岡田利規

海外進出で見えてきたもの 岡田利規の最新インタビュー

2010.03.19
岡田利規

岡田利規Toshiki Okada

1973年横浜生まれ、熊本在住。演劇作家、小説家。チェルフィッチュを主宰し、作・演出を手がける。2005年に『三月の5日間』で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。以降、その活動は国内外で高い注目を集め続けている。2008年、小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』で第二回大江健三郎賞受賞。2016年よりミュンヘン・カンマーシュピーレ劇場のレパートリー作品の演出を4シーズンにわたって務め、2020年には『The Vacuum Cleaner』がベルリン演劇祭の“注目すべき10作品”に選出。タイの小説家ウティット・へーマムーンの原作を舞台化した『プラータナー:憑依のポートレート』で2020年第27回読売演劇大賞 選考委員特別賞を受賞。2021年には『夕鶴』でオペラの演出を初めて手がけるなど、現在も活動の幅を広げ続けている。

チェルフィッチュ公式サイト
https://chelfitsch.net/

パーソナルな場で交わされる私語のようなとりとめのない会話と、コンテンポラリーダンスとしても評価されるノイジーな身体表現によって、日本の若者のとらえどころのない現在をあぶり出すチェルフィッチュのパフォーマンス。2007年に、世界のフェスティバル・ディレクターが注目するベルギーのクンステン・フェスティバル・デザールに招待されたのをきっかけに海外に進出。代表作の『三月の5日間』をこれまでに9カ国14都市で公演したのをはじめ、海外フェスティバルとの国際共同制作によって新作をつくり、海外ツアーを行うなど、実験的な作品づくりのための新たな環境を模索している。海外進出で見えてきたものについて、岡田利規に話を聞いた。
聞き手:相馬千秋[フェスティバル/トーキョー プログラム・ディレクター]
岡田さんへの(同サイトでの)インタビューはこれが2度目ですが( →2005年の最初のインタビュー )、今回は主に海外進出以後の展開について、創作の環境面、制作面などを交えつつ詳しくお伺いします。まずはチェルフィッチュが海外に出て行った経緯を教えてください。
 ベルギーのクンステン・フェスティバル・デサールのディレクターの クリストフ・スラフマイルダー さんが2006年3月に行った 『三月の5日間』 の再演を観に来てくれて、翌年のフェスティバルに呼んでくれたのがきっかけです。それから、運の良いことに他のフェスティバルからもオファーをいただいて、いろいろな所に行くことができました。2008年には、クンステン、ウィーン芸術週間、パリの秋の芸術祭と3つのフェスティバルから共同制作の打診をいただき、彼らをパートナーにして『フリータイム』を制作しました。昨年もベルリンの HAU劇場 からの依頼で『ホットペッパー、クーラー、そして、お別れの挨拶』の初演を行い、それもまあ有り体に言うと売れまして(笑)、海外での活動がかなり増えてきました。
これは僕らにとってはものすごく重要な意味をもっています。まず、資金面でとても助かっています。海外といっても、イコール世界ではなくて、あくまでヨーロッパが主ですが。舞台芸術が盛んなヨーロッパには実験性の高いインターナショナルなフェスティバルが多く、僕らにとってはそこが主な活動場所になっています。
『三月の5日間』は9カ国14都市、『クーラー』は3カ国4都市、『フリータイム』は3カ国3都市を回っています。多くの国で公演したことで、作品や岡田さん個人に何か変化がありましたか?
 まず自分のクリエーションに関して言えば、自分と多くの文化的前提条件を共有していない人たちに向けて作品を提示するということを、当たり前のことだと考えてクリエーションするようになったことが一番大きいですね。『三月の5日間』はそういう事態を想定せずにつくった作品ですが、何となく伝わったというか、受け入れられた感じがします。それはたまたま、テーマというかモチーフがある意味普遍的だったというか、戦争だったりセックスだったり、みんなが知っていることだからだと思いますけど。
そこから先はいろいろな葛藤がありました。例えば、日本の極めてローカルなアイテムやモチーフを取り上げることに対してどう考えればいいのか。海外では伝わらないから使うべきではないのか。いや、そんな自主規制は本末転倒だから、やらないで、むしろ敢えて使っていくのか。そういうことを僕はうじうじ考えてしまうタイプなんですね。考えないでさらっとやれちゃう人もいるんだけど。
今思えば、『フリータイム』は、その泥沼の中でもがいていたような作品でした。でも、昨年つくった『ホットペッパー、クーラー、そして、お別れの挨拶』と、公演中の『わたしたちは無傷な別人であるのか?』によって、それは克服できた気がして、今は晴れやな気分ですね。その前の2〜3年間は苦闘と言いますか……誰かともがいていたというのではなくて、自分で自分ともがいていただけなんですけど(笑)。
カンパニーとしては何が変わりましたか?
 端的に言うとすごく成長していると思います。まず、1つの作品を何公演もやるようになったことで、パフォーマーの地力は間違いなくつきました。やはり同じ作品を何回もパフォーマンスすることでしか得られない蓄積というのが絶対にあって、海外に行くことで国内だけではできないぐらい回数を重ねられたのは本当に大きかった。『三月の5日間』は国内外合わせて約80回やりました。
また、海外では会場が頻繁に変わるので、そういう意味でも作品が強くなった。例えば『三月の5日間』の再演は六本木のスーパーデラックスでやりまして、あの会場が僕はほんとに好きですが、でもスーパーデラックスがツアーについてきてくれるわけはないので、当然現地にある劇場で上演するしかない。例えば、日本ではあり得ないですが、500席くらいの所でやる場合も出てくる。そうするともっと大きな声を出さなければいけないとか、臨機応変に対応することもしなくちゃいけない。やっぱりチェルフィッチュはこの3年ほどで強くなったと思います。そして僕もつくり手として少しは強くなったと思います(笑)。
海外との国際共同制作について伺います。共同制作というと、 平田オリザ さんのように海外のアーティストと共同でクリエーションをする場合もあれば、制作面での共同制作もあります。
 僕らの場合は、どちらかというと後者で、制作費を提供してもらうだけです。作品のテーマなどについて話はしますが、介入とか干渉といったことはされません。『フリータイム』は3つのフェスティバルとの共同制作で、もちろんお金を提供してもらったので現地でも上演しますが、クリエーションは日本、急な坂スタジオでやりました。
コラボレーションについて興味はあるんですが、いまチェルフィッチュでないことをやってそれで強い作品ができるのかなと、僕の中でちょっとひるんでいるところがあります。だからそこに積極的に打ってでる気持ちがない。それより日本語もわからなくて文化も違う観客に対して、日本のローカルな問題を扱った作品を置いてみたときに観客のなかに起こることの方が面白い。コラボレーションしなくても、観客との出会いの中でそれは実現されているはずだと思います。
カンパニーにとって、国際共同制作のメリット、デメリットとは?
 デメリットはありません。もちろんツアーは疲れるとかいろいろありますが、僕らはこれが仕事であって、パフォーマンスをたくさんの回数できることは単純に喜びだし、作品も強くなる。メリットは、それによって稽古時間が長く取れるようになったことです。つまり、国際共同制作だとリハーサル・フィーが請求できる(笑)。これは国内の助成金制度では計上できません。
『フリータイム』はおかげで、本当に長い時間をかけてつくることができました。今回の新作はそれほど長い稽古期間ではありませんが、僕の場合はとにかく海外との共同制作のおかげで、やりたいことを実現するフレームを個々の作品単位で考える必要がなくなったというか、全体が線になって繋がった。それはひとえにユーロのおかげです(笑)。というか、舞台芸術が盛んであるヨーロッパの恩恵にあずかって、そこで活動させてもらえるようになったおかげでこういう創作環境を手に入れることができたということです。
劇場を基盤に作品をつくるヨーロッパと、カンパニー制を基盤にする日本には、作品づくりのシステムに決定的な差がありますよね。昨年は立て続けに日本の公共劇場での仕事もされましたが…。
 公共劇場での仕事に対するフラストレーションについては、いろんなところで発言したとおりです。これはチェルフィッチュの作品を観ていただければ明らかだと思うんですが、僕がやりたいこと、僕の演出というのは俳優を介してしか見せられない。コンセプトとか、セットのつくり方とか、戯曲の解釈とか、あるいは役柄の解釈とか、そういうレベルの話ではなくて、その俳優が行うパフォーマンス自体の強さというものでしか、僕は演出家としての能力を発揮できない。だから、劇場がキャスティングした俳優に限られた時間でその強さをいきなりやってもらうのは、ものすごく難しい。というか、無理です。
それから、そうした劇場のプロダクションがどういうスパンで考えられているか、ということもあります。作品の生命というものが1カ月、あるいはもっと短くて2週間に20ステージも行われれば十分ではないかという感覚でつくられている。本来的には作品は長く繰り返すことで成熟するわけだし、もっと言えば、回数を重ねて数を売れば、コストは回収されるはずなのに、それを2週間でなんとかしようとする。プロダクションの発想自体が短命な作品を前提としたものになっている。
とすると、ヨーロッパのシステムのほうが、岡田さんがやりたいことにチャレンジできる確率が高い?
 とりあえず今後、死ぬまで生きていかなきゃならないわけで、そういう立場から言うと、“消費”されちゃったら困るわけです。そうされないように生きていかなきゃいけない。そして自分のやりたいことを突き詰めて、何か力のあるモノを生み出して、それをとりあえず死ぬまでやっていく。引退できちゃったりするかもしれないけど(笑)、とにかくアーティストとして生き続ける限りはそれをやり続けなきゃいけないとすると、消費されちゃマズイわけです。でも、消費される恐怖感というのがいつもあって、自分のすり減り度とのデッドヒートみたいな、「それに勝てるのか俺は?勝てないのか?」(笑)みたいなのはイヤだなあと。
そうした消費への恐怖に対して、ヨーロッパという場所で1つの作品を何度も上演することに僕らは活路を見出したわけです。一生懸命つくった作品を大切に育てて少しずつ成熟させていき、その喜びを味わいながら経済的にも成り立つように。
しかしヨーロッパでも消費される危険性は常にあるわけですよね。
 確かにそれはそうですね、ちょっとそれを恐れていたところはあるかもしれない。『三月の5日間』は、そういうことに無頓着につくったラッキーな作品でしたけど、一発屋で終わるかもという危機感はもっていました。では、ゼロから意識的につくった作品が『三月』のように届くのか。それは「受ける」「受けない」とか、日本というローカリティを「超える」「超えない」とかの話ではなく、アーティストとして自分が自分の作品をどう乗り越えていくかということが問題の本質的なんだと思います。プロフィールに代表作として書かれているのが何十年も前の作品だったらやっぱり切ないけれど、それが現実だったりする場合もあって、そういうこととアーティストとして戦わなきゃいけない。あるいは甘んじなければいけない。HAUで『ホットペッパー、クーラー、そして、お別れの挨拶』をやって成功させられたことは、そういう意味でも大きかったと思います。
ところで岡田さんは劇場としてはSTスポットに関わられ、アゴラでもフェスティバルのディレクターを務められました。そういうポジションで仕事をすることはアーティストにとってどのような影響があると思いますか?
 これはアーティスト次第だと思います。僕にとってSTスポット時代は、「役に立ちました」とかいうレベルではなく、本当に核になっています。例えば、STスポットがダンスに深くコミットした場所だったということは、僕にとっては本当にたまたまのことで、でもそのおかげで、手塚夏子さんをはじめとするアーティストと出会い、それまで全く興味がなかったダンスというジャンルに触れるようになった結果、ものすごくたくさんのものを手に入れることができた。本当に幸運でした。
これは僕のケースですが、好奇心というか、自分に対して何かを起こそうと待ちかまえているとか、そういう態度は多分必要だと思います。これはアーティスト個人の問題だとは思いますが、こういうチャンスさえ奪うような環境もありますから、そういうネガティブなことはしないでほしい、というぐらいしか僕には言えない気がします。
とにかく、こういう場や人にどうやって出会っていくかは、運なんじゃないですか?って言っちゃうと無責任ですが、それに関して僕はすごくラッキーでしたとしか言えない。それと僕の場合は、岸田戯曲賞を頂くまでは全く無名だったことがものすごく良かった。本当に良かったと思います。
海外で公演をするようになり、これまで知らなかった世界を知り、いろいろな人や観客と出会うことで、体験できる現実自体が広がったと思いますが、これからも自分が描くものは変わらないと思いますか?
 例えば「半径3メートル」しか描けていないというような揶揄をされたりしている世代なわけですが、それまで全く知らなかった外国に行くようになったからと言って、半径3メートルを描くということ自体が、変わることはない気がします。そうじゃなくなることは、今のところ僕には想像できないです。でも、なぜその3メートルをフレーミングをするか、ということに関しては、すごく意識的になった気がします。そういう中でなぜ敢えてこの3メートルを描くのかという感覚は確かに増している気がします。それは最新作の『わたしたちは無傷な別人であるのか?』にすごく表れてるかもしれません。例えば、『三月の5日間』はなぜ渋谷なのか?と聞かれても、ニューヨークがあり、バグダッドがあり、あらゆる都市があって、その中で敢えて渋谷なんだ、という風には考えていなかったですから。
「半径3メートル」を描いた作品が、そこから遠く離れた他所で上演されることの価値はどのようなところにあると思いますか?
 その価値は、まず観客に対してあると思います。例えばクンステン・フェスティバル・デザールは、ブリュッセルという町が抱えているローカルな問題、例えば多文化や移民の問題などを考える機会を与える場なんだ、ということがフェスティバルの文脈としてきちんと打ち出されている。だからフェスティバルで他所から、例えば日本からやってきて、日本という文化で規定されたものをやっても、それを観客が観るということが何かしらの価値をもっているはずだと、少なくとも僕は信じることができる。
多分、演劇というのは何かを観客に観せるもの、例えばドラマの感動とかを観せるものではなく、観客をそれによって変容させていくものだと思うんです。全人格が変わるわけではないけれど、観客に何かを与えていくものだと。
そう考えるようになったのは、本当にごく最近のことですけれど、思えば僕も演出する際に、“観客”という言葉を使う頻度があからさまに上がっています。例えば俳優にも「自分にとってのリアリティとか、自分の中の意識の問題とかではなく、観客を変えるために何をやるのか考えてくれ」と言うようになってます。僕の意見では、それが結局、ブレヒト的な発想ということなんだと思います。いわゆるブレヒト演劇という意味ではなく、演劇という制度は観客のためにある、観客に働きかけるためのものとしてある、ということ。つまり舞台の中でのドラマがどのようにリアルに立ち上がるかではなく、観客をどう変えるかが演劇をやる意味なんじゃないかと。
そういう意味で、僕はやっぱりヨーロッパはブレヒトがデフォルトになっていると感じます。だから、たとえばトラックの荷台に観客を乗せて運ぶ、といった作品があったりしますよね、それを通して物流というものを観客に考えさせるわけですよね、それってちっとも変な演劇ではなくて、むしろ全然真っ当だとも言える。そうやって観客を変えるんだから。それが演劇なんだから。
でもこういう当たり前のことに気付いたのはごく最近です。というか、ここまではっきり感じたのは、それこそ一昨日くらいからかもしれないです。『わたしたちは無傷な別人であるのか?』の当日パンフレットの挨拶文でもちょっと書いていますが。現代だとか、脱力しているとか、ダラダラしているとか、身体の動きがどうだとか、そういうことを問題にしてつくってきたけれど、そのことをまだやってはいますけど、どちらかというとそれ自体が目的のようだったのが、少しずつ手段になってきたような気がします。目的は観客にどう働きかけるか……思いっきり誤読かもしれないけど、それがブレヒトがやるべきだと言ったことなんじゃないかと僕は思っています。
観客の体験がどのように変化していくか? 岡田さんにとって、それを実践する最大にして最高のメディアが俳優の身体ということですね。
 そうですね。俳優が表象を担うだけだったら、そんなの別にコップにだってできますから。
『わたしたちは無傷な別人であるのか?』では、これまで以上に俳優の身体に負荷がかかっているという印象を持ちました。その結果、俳優の身体を媒介として観客に伝わる強度もさらに高まっていたように思います。そうした身体を作り出すのに、稽古のやり方が変わったりはしましたか。
 この前、公開リハーサルのあとにティム・エッチェルス(イギリスの前衛劇団フォースド・エンタテイメントのリーダー)とトーク・セッションをした時に、通訳をしてくれた人が「英語でこうやって説明するとわかりやすい」と僕に提案してくれたことがあります。つまり、観客は、舞台上にあるものを知覚=perceiveするのではなくて、想像・受精=conceiveするんだと。あ、そうやって対みたいになっている単語なんだ、ということが僕にとってはすごい驚きでした。しかも、僕が稽古場でずっと使っていた単語というのは“受精する”というものだった。観客の中で言葉と空間を受精させるんだと。観客の中に生まれるものをつくるんだと。だから、「今のは受精に至っていない」とか「届いていない」とか「膨らんでいない」とか、「今度はちゃんと受精できた」とか、そういうようなことを新作の稽古場ではずっと言っていたんです。
何なんだろう、そういうconceiveって単語のある英語っていうのは、すごいな、俺のことをなにもかも見透かしているなって思って(笑)。
確かに、観客を変容させる力のようなところにこれからの演劇の可能性もあるのではと思います。逆にいうとそこがなければ、他のメディアではできない演劇たる根拠をなかなか持ち難くなってきている。
 そうですね。結局、演劇は“具象する”ということが非常に苦手なメディアなんですよ。例えば、死んでいるテイで横になっているけれど、ちょっとお腹が上下しています、みたいな(笑)。でもさっきまで激しい格闘シーンやってたし、しょうがないよね、みたいな。そこで「腹を動かすな」っていうダメ出しをするのは、演劇をネガティブなものと捉えてしまっているってことだと思うんですよ。
だけどそうではなくて、例えば死というものを表象するならば、目の前の役者の身体っていうマテリアルなものと、“死んでいる”という表象とが共に成立している、それは具象的にではないんけど、重なり合っている、そういうことを起こせるのが演劇だと思うんです。だから、「お腹は上下させるな」というディレクションは、演劇のディレクションではない。例えば、俳優が横になってさえいなくても、ある人物が横たわって死んでいることにできるとか、そういうのが演劇なんですよ。そうしないと演劇は演劇の可能性を最大化することはできない。
その“できる”の方法として、「物語」に依存せず俳優の身体そのものが持ちうる力ってどういうものでしょう?
 物語とか、状況とか、感情とか、要するに表象というのは、いちばん最後にパフォーマーに訪れる、そういう感じがいちばんいいんです。最初からそれらの中にズブっと潜り込んでしまっている、というのだと、弱いですよね。
つまり、俳優がそのとき与えられている役割からくる気持ちみたいなのを問題にしてパフォーマンスを行うと、それはパーソナルなパフォーマンスになってしまうんですよ、パブリックなパフォーマンスというのがあって、それは、観客に植え込むためにパフォーマンスをするということですよね。僕、最近、とにかくもうパブリックという言葉の意味ををどうやって創作のレベルに落とし込むか、実現させるか、っていうことを考えてますよ。だってそれ考えないとマズイですからね、世の中の流れが。で、作品がパブリックであるっていうのは、要するに強い作品だっていうことだと思うんですね、僕は。演劇をパブリックなものとしてやろうという意識が、僕たちにはあからさまに、まだ足りてませんよね。そしてパブリックにするというのは、社会的な題材をテーマにしなければいけないとか、実験的なことをやっちゃいけないとかいう意味ではないはずで、ものすごく個人的な妄想みたいなものでも全然いいはずですよね。それをどれだけ強くリアライズするか、リアライズの度合いが高いか否かということが、パブリックか否かの尺度になる、というふうに、たとえば考えてみたいんですよね。
日本でパブリックというと、最大公約数という風に考えられがちで、パブリックなお金を使っているんだからみんなに分かるものをつくるべき、という残念な議論に陥りがちですが。
 そこに陥ったら最悪でしょ。だから、それに抗わないといけない。そのために作り手としての僕がやれることは、「これがパブリックなんだ」という説得力をもった作品をつくることしかない。だからそれを僕はやるつもりです。 そのためには創作のために時間をかけること、繰り返し上演して作品を成熟させることが、必要なんです。だから、パブリックなものを作れるように、そのための条件は整っていてほしい。もしくは、その条件を自分たちが手に入れられるような活動の仕方をする。そのために、今の僕らにとってもっとも現実的なのが、さしあたっては海外での活動、ということなんですよね。
海外公演実績
『三月の5日間』:9カ国14都市(*2010年には4カ国4都市予定)
『フリータイム』(国際共同制作作品):3カ国3都市
『クーラー』:3カ国4都市
『ホットペッパー、クーラー、そして、お別れの挨拶』:2カ国2都市(プレビュー含む)※2010年には8カ国9都市を予定

クンステン・フェスティバル・デザール(Kunsten Festival des Arts) ベルギー・ブリュッセルで毎年5月に開催されるパフォーミングアーツを中心とした現代アートフェスティバル。先鋭的なプログラムで知られ、世界の現代パフォーミングアーツ界のアンテナ・フェスティバルとも称されている。ヨーロッパ演劇のメインストリームをいくフランスのアヴィニョン・フェスティバルとは対称的に、より実験的な作品および世界の多様性を反映する独自のプログラミングを目指している。ベルギー国内はもとより、ヨーロッパ全域、さらには芸術支援インフラに乏しい発展途上の国々におよぶ世界の若手アーティストを独自に発掘し、多くの作品プロデュースを行なっている。また、長期的視野に立ってアーティストの育成を図るため、複数年にわたり共同制作を行なうと同時に、ベルギーやヨーロッパに拠点を置く実力派アーティストの新作を製作し、世界に先駆けて発表している。世界のパフォーミングアーツの潮流を生み出す震源地のひとつとして、確かなブランド力を持つ。プロデュース公演と共同製作公演が、プログラム全体の50パーセントを超え、世界初演が約半数を占める。2006年を最後に立ち上げから芸術監督を務めてきたフリー・レイセンが引退。それまで女史の右腕としてプログラミングを担当してきたクリストフ・スラフマイルダーが芸術監督を引き継いだ。

『わたしたちは無傷な別人であるのか?』
(2010年2月14日〜26日/STスポット、3月1日〜10日/横浜美術館レクチャーホール)
自民党から民主党への政権交代が実現した2009年8月30日の衆議院選挙前後の出来事。何もない空間に役者が出入りして舞台は展開。高層マンションへの引っ越しをひかえ、いつも通りの一見幸せそうな日々を過ごしている夫婦。そこに遊びに来ることになっている妻の同僚たち。夫婦二人だけになった夜…。観客の心の中に潜む、「幸福の中の不安」「不安の中の幸福」を役者の身体を媒介にして露わにしようとした野心作。
(STスポット公演)
撮影:松本和幸

『ホットペッパー、クーラー、そしてお別れの挨拶』
(2009年10月/ベルリンHAU劇場)
(c) Dieter Hartwig