ムハンマド・アベ

インドネシアからアジアに広がる
戯曲のためのプラットフォーム

2021.10.20
ムハンマド・アベ

ムハンマド・アベMuhammad Abe

アジア劇作家ミーティング(APM) キュレーター
2009年に東京で開催されたアジア劇作家会議をきっかけに、翌10年からインドネシアのジョグジャカルタで毎年実施されてきたインドネシア・ドラマリーディング・フェスティバル(IDRF)。19年にはIDRF10周年記念として日本や東南アジアの劇作家を招いたアジア劇作家ミーティング(APM)2019を開催。

IDRF、APMなどアジアの戯曲のためのプラットフォームづくりに尽力するキュレーターで翻訳も手がけるムハンマド・アベにインタビュー。
聞き手:山口真樹子

インドネシア・ドラマリーディング・フェスティバル(IDRF)のスタート

まず、アベさんが第1回より関わってきたインドネシア・ドラマリーディング・フェスティバル(IDRF)について伺います。IDRFはどのような経緯で、何を目的としてスタートしたのでしょうか。劇作家のジョネッド・スリャトモコがIDRFの発起人のひとりと聞いています。
 その通りです。IDRFは2010年にスタートしました。きっかけとなったのが、2009年に東京の座・高円寺で開催されたアジア劇作家会議(共催:国際交流基金)です。その会議にはシンガポール、フィリピン、ベトナム、オーストラリアなど6名の劇作家が招かれ、ジョネッドはインドネシアの劇作家として参加しました。

 彼はこのような劇作家が集うプラットフォームが自分の国にも必要だ、と考えました。当時、インドネシアでは、新作の戯曲の数が減少していました。1950年代・60年代・70年代の作品は頻繁に上演されていましたが、新しい戯曲が広まっていなかった。新作戯曲のためのプラットフォームがあれば、リーディングを通してインドネシアの演劇人に新作を紹介することができる。そこで彼は、テアトル・ガラシ(ジョグジャカルタの舞台芸術コレクティブ)のグナワン・マリヤント(インドネシアの演劇・映画界の著名な俳優、演出家、作家)(*)とルシア・ネティ・カヤニ(プログラム・マネージャー)に話を持ち掛けました。そして、ジョネッド、グナワン、ルシアの3名がIDRFを創設し、グナワンとルシアがメンバーであるテアトル・ガラシと、ジョネッドが主宰するテアトル・ガルダナラが協力してIDRFをジョグジャカルタでスタートさせました。

 2010年の第1回開催時には、日本から坂手洋二さんを招へいし、彼の作品のリーディングを行いました。当時、坂手さんは日本劇作家協会の会長で、そのような人物を第1回IDRFに招くことができて大変光栄でした。その後2020年まで毎年IDRFを実施し、インドネシアの戯曲だけでなく、他国の作品もインドネシア語に翻訳して取り上げてきました。外国の戯曲には、インドネシアの作品にはない新しいアプローチや、新しい視点があり、そういった作品を紹介することがインドネシアの新しい戯曲の誕生につながると考えました。私は、2010年の第1回には翻訳者として参加し、フィリピンの作家の作品『Doc Resureccion』(ラエタ・ブコイ作)を翻訳しました。
IDRFで取り上げる国内外の戯曲はどのように探して選んでいますか。
 外国の作品については、ジョネッドがアジア劇作家会議で得たネットワークを活用しています。フィリピン、マレーシア、シンガポールの劇作家と知り合いになっていましたので、彼らを通してインドネシア語に翻訳して紹介するための作品を探しました。国内の作品については、テアトル・ガラシとテアトル・ガルダナラが新作を書きたい劇作家のためのプログラムを実施していましたので、当初はそのプログラムに参加している劇作家から戯曲を提供してもらおうと考えました。また、インドネシアのロンタル財団が、1910年代・20年代のインドネシアの戯曲を本にまとめていました。新作ではありませんが、そういった作品も取り上げました。インドネシアには長年にわたる戯曲の歴史があることを、思い起こしてほしかったからです。
インドネシアは多数の島からなる多民族、多言語国家です。インドネシアとおっしゃるとき、ジャワ島のことを主に指していますか。それともインドネシア全土でしょうか。
 取り上げてきた作家の大半はジャワ島とスマトラ島出身です。ただ最近は、それ以外の地域、たとえばスラウェシやインドネシア東部の作家も取り上げています。それまで彼らの戯曲が地域外に広がることはほとんどなかったのですが、近年はインドネシア全土で知られるようになってきました。

IDRF10周年記念で立ち上がったアジア劇作家ミーティング(APM)

2019年のIDRFは、国際交流基金アジアセンターの助成も受け、アジア劇作家ミーティング(APM)として7月に開催されました。私も参加しましたが、とても充実したプログラムでした。APM開催の経緯について教えてください。
 APM2019の開催はジョネッドの発案によるものです。彼とグナワン、ルシアと私で2018年に話し合い、IDRFの10周年記念事業として考えました。IDRFの契機が、東京で開催されたアジア劇作家会議だったので開催のために国際交流基金のサポートを仰ぎたいと考えました。

 ジョネッドがACC(アジアン・カルチュラル・カウンシル)のグラントを得てニューヨークに行くことになっていたため、私がAPMの企画運営を引き受けました。私にとって初めての国際プロジェクトだったので、彼は私をシンガポールの劇作家アルフィアン・サアット(https://asiawa.jpf.go.jp/culture/features/asiahundred09/)に紹介してくれました。アルフィアンは東南アジアの演劇界に広いネットワークを持っています。2013年のIDRFでは彼の戯曲『ナディラ』のリーディング上演を行っています。2018年にアルフィアンとジョグジャカルタで会いました。今はコロナでアクセスが難しくなりましたが、シンガポールとジョグジャカルタは空路で2時間の近さです。IDRF2018にも来てくれました。

 その後、アルフィアンからバンコク国際舞台芸術ミーティング(BIPAM)2018に招かれ、11月に行きました。そして山口さん、あなたにもそこで初めて会いましたね。
アベさんはその後、国際交流基金アジアセンターがTPAM2019に合わせて実施した舞台芸術の若手制作者のためのプログラム「Next Generation: Producing Performing Arts」に参加されています。
 それが初めての日本でした。2月で、到着したら雪が降っていました(笑)。ここでカンボジア、ベトナム、インドなど、多くのアジアの国の舞台芸術の関係者や日本の若い劇作家、演出家とも出会うことができました。

 APM2019に招いた山本卓卓さんともここで知り合いました。筒井潤さんにも会い、山田由梨さんの作品も観ました。多種多様なスタイルがあり、たくさんの演劇言語があり、言語面でも芸術面でも様々な実験的試みが行われていて、大変面白く感じました。TPAMに参加できたことは実に重要で、APMの企画をたてる上でとても役に立ちました。今でもよく覚えている公演があります。小さなアパートの一室で上演された、とても強度のある若手の作品でした(TPAMフリンジに参加した「お布団」の『破壊された女』)。それから、神里雄大さんのレクチャーパフォーマンス『いいかげんな訪問者の報告(アサード・おにぎり付き)』も観ました。美味しい食べ物が出てきました(笑)。インドネシアのイルワン・アーメットの『暴力の星座』も含め、多数の公演を一度に観ることができました。

APM2019のリーディング・プログラム

TPAM2019を経て、APM2019のキュレーションに着手したわけですね。作品をどのように選んだのですか。
 様々な地域から劇作家を招きたいと考えました。6名から8名の劇作家を選ぶことを想定していました。マレーシア、シンガポール、フィリピン、それからもちろん日本からです。アルフィアンはシンガポール、マレーシアそしてタイの演劇シーンについて詳しく、劇作家を推薦してくれました。日本については私がTPAMで得た出会いや経験を活かし、候補を挙げました。フィリピンとカンボジアについては、BIPAMで得たネットワークを通してリサーチしました。また、Next Generation: Producing Performing Artsの参加メンバーにフィリピンの舞台芸術の関係者がいましたので、彼らにも劇作家を紹介してもらいました。TPAMで会ったカンボジアの芸術団体の人からはカンボジアの劇作家の名前を複数挙げてもらいました。
私は日程の関係で、第1日目のマレーシアのリドワン・サイディさんと、山本卓卓さんの作品のリーディングを残念ながら観られませんでした。山本さんの『幼女X』を上演したのはジョグジャカルタの美術のコレクティブAce House Collectiveで、とても評判が良かったようですね。タイの劇作家ノップパン・ブンヤイさんの作品『Taxi Radio』を観ましたが、ラジオの話だったことからジョグジャカルタのラジオ局のアナウンサーがリーディングしていました。どの作品と誰をどう組み合わせるか、それがまさにクリエイションだと思いました。
 IDRFは発足当初より常に演劇界の外の人々を引き込んできました。彼らは俳優ではないですが、IDRFでリーディングの舞台に立ちます。また、毎年必ず美術のアーティストにもリーディングを依頼してきました。山本さんの作品は、若手のアーティストのコレクティブAce House Collectiveと組み合わせましたが、そのリーディングはかなり面白かったです。感情的表現を一切排除したもので、山本さんにとっても、『幼女X』がモノトーンで上演しうるのは驚きだったかもしれません。俳優ではないからこそ、戯曲について自由に、思いもよらない解釈ができるのだと考えます。山本さんの作品はとても実験的で、登場人物の何人かはセリフでしか登場しません。山本さんがテキストをドラマトゥルギーのツールとして使うその方法を、とても面白く思います。また、『幼女X』ではテクノロジーが重要な位置を占めています。上演においてテクノロジーをどのように用いるか、小道具として使うのか、あるいはドラマトゥルギーの一部として用いるのか。そういったこともとても日本的であるように思います。日本の方々の意見は異なるかもしれませんが、女性の登場人物がテキストの中のみに現れる点にも興味があります。

 『Taxi Radio』については当初より、ラジオのアナウンサーが上演するのが面白いだろうと考えていました。それで知り合いのアナウンサーに声を掛けました。実際に彼らが舞台でリーディングを行うと、その話し方や言葉の響きがとてもラジオのアナウンス的なんです。劇作家のノーファンさんはインドネシア語を全く介さないにもかかわらず、テキストの感情やリズムも全部フォローできていました。言語を超えて伝わるものがある、それがリーディングであり、演劇なのだと思いました。
他の作品についても紹介していただけますか。
 シンガポールの劇作家ジーン・テイさんの『Plunge』は大変興味深い作品でした。彼女は経済のジャーナリストとしての実体験をもとに、この作品を書きました。当時、1997・98年頃、彼女はアジアの経済危機を追っていました。マクロ経済・世界経済の急激な落ち込みが、インドネシアの中華系マイノリティのミクロなナラティブといかに関連しているかを、非常に詳細に描写しています。

 その二つの関連性に着眼したのは、大変興味深い切り口です。彼女の視座は、1998年のアジア経済危機に関する他の作品とはかなり異なっています。そしてこの作品には、現在でも重要な意味があります。なぜなら、1998年の事件はまだ解決されていないにもかかわらず、今ではあまり話されなくなっているからです。APMで取り上げることにより、多くの人々が当時のことを思い起こす契機になればと思いました。また同様のことが再び起こりうるのかどうか、私たちにはわかりません。こういったことがかつて起きたことを、私たちはこれからも記憶していかなければならないのです。

 インドネシアのイベッド・スルガナ・ユガの『Red Janger』も、未解決の事件を扱っています。イベッドはバリ島の出身で、世界的に有名な観光のパラダイスとは全く異なるバリ島を描いています。1965年に起きた悲惨な事件を扱ったもので、バリ島のツーリズムの発展によって人々が過去の事件を忘れてしまうことも描かれています。

 マレーシアのリドワン・サイディの長編戯曲『Necrotopia』は、ディストピアのコミュニティ、全体主義の社会を描いた実験作です。登場人物は人間とヒューマノイドで、独裁者がコミュニティを変えていきます。東南アジアの人々には多かれ少なかれ類似の経験があると思います。

 カンボジアのChea Sokyouさんの『Courageous Turtle』、フィリピンのマリア・クリスティナ・パンガンさんの『Last Requirement』もリーディング上演しました。『Courageous Turtle』はイベッドの作品と同様に、過去の暴力に関する記憶を扱ったものです。『Last Requirement』は父と娘の関係を中心に据えていますが、物語の背景には鉱山の採掘企業と住民の対立があります。インドネシアでも起こっていますし、アジアのいくつかの地域でもそうでしょう。

 今回取り上げた作品は、それぞれ異なる地域を代表するものとして取り上げていますが、その内容には共通点や共通の切り口を見出すことができます。過去に関する物語、未来を語る作品、戯曲そのものが帯びるテクノロジー性、ナラティブの用い方、などです。
とてもいいプログラムだったと思います。それと観客がとても熱心に参加していましたね。若い人が多く、その大半は学生でした。
 ジョグジャカルタは大学が多く、学生の街でもあります。大学で演劇活動をしている人も多く、演劇への関心が高く、観客の大半を学生が占めています。また、新しい戯曲に関心のあるシニアの演劇人も来場していました。
印象的だったのが、多くのアーティストや関係者が演劇や美術、音楽といったジャンルに関係なく、協力してAPMの運営に関わっていたことです。アーティストが活動するための、とてもよいインフラがあるではないかと感じました。
 ジョグジャカルタには多数のアーティストが住んで活動しています。アーティストのコレクティブも多く、互いに協力しあっています。そして、とても小さな都市なので、多くの人たちが顔見知りです。知人を通して、別の集団にも知己を得て助けてもらうこともできます。移動も簡単です。
幼女X

Ace House Collectiveによる『幼女X』リーディング公演

幼女X

『幼女X』上演後のディスカッション

Plunge

Irfanuddien Ghozali’s teamによる『Plunge』リーディング公演

Taxi Radio

ラジオのアナウンサーによる『Taxi Radio』リーディング公演

Red Janger

『Red Janger』上演後、劇作家からスタッフまですべてのAPM2019関係者が勢揃い

APM 2019ディスカッション

ディスカッションセッションで議論するグナワン・マリヤント(左)とAPM2019キュレーターのShinta Febriany

プラットフォームとしての取り組み

APM2019では毎日、午前中にテーマを設けたディスカッションが行われていました。そのうちのひとつが「翻訳」を取り上げたセッションで、リーディングされた6作品を手分けして翻訳したアベさんとテグ・ハリさんが登壇しました。アベさんはもともと俳優で、ハリさんは演出家です。
 自分は俳優でもあるので、舞台上でセリフがどのように発せられるかを想像しながら翻訳します。翻訳された言葉が持つリズム、音や響き方とドラマの関係を考えていて、それが翻訳ではとても重要だと思っています。インドネシア語に翻訳する上で、適切なリズムや響き方がみつからないときには、非常に独特なローカル言語を用います。自分の場合はジャワ語です。私たちのローカル言語は、共通語であるインドネシア語よりもずっと表現が多彩で、ひとつのことを表現するのに多数の選択肢があり、より魅力的です。ナショナルなインドネシア語はかなりフォーマルなものです。
英語からインドネシア語への翻訳には複雑な部分がありますね。
 そうですね、容易ではありませんが、いったんその作品と自分との接点がみつかれば、作品の主題の理解につながり興味がわいてきます。たとえばジーンさんの戯曲『Plunge』の翻訳は、とても充実した作業でした。この作品は1998年のインドネシアのことを扱っていますが、書いたのはシンガポールの劇作家です。自分たちの国に起こったこと、過去の歴史を外部から、私たちとは異なる視線で捉えているので翻訳をしながら非常に興味を持ちました。
APM2019 にはリーディング上演した戯曲の劇作家に加え、オブザーバーが数名と、ニューヨーク在住の翻訳家であるオガワ・アヤさんも招かれていました。
 戯曲や演出だけでなく、もっと幅広く、アジアの戯曲が今後どのように発展していくのか、戯曲の翻訳、アジア各国の演劇シーンの違いといったものについても話し合いたかったのです。たとえばマレーシアやシンガポール、インドネシア、日本では新しい戯曲が出版されますが、ベトナムやカンボジア、ミャンマーなどでは戯曲を見つけることが今も容易ではありません。APMはプラットフォームとしてそうした私たちが直面している問題、それぞれの社会状況などを深く掘り下げる場でありたいと考えました。

 オガワ・アヤさんは戯曲翻訳の経験が豊富で、日本の戯曲にも、また米国の演劇にも精通しています。テアトル・ガラシのドラマトゥルグでもあるウゴラン・プラサドも参加しましたし、バンコクのジャールナン・パンタチャート(https://asiawa.jpf.go.jp/culture/features/f-ah-tpam2019-jarunun-phantachat/)も招きました。彼女は演劇のプラットフォームについて、私たちと共通の関心と理念を持っています。IDRFもAPMも、戯曲や演劇の今後の発展のために何でも話し合えるプラットフォームとして位置づけてやってきました。

 アジア各国から劇作家などを招いたインターナショナルなAPMですが、一方で自分達の拠点である地元の演劇界や地域に蓄積された経験や知識と結び付けることも重要だと考えています。それなしには空を見上げてばかりで、地面を見つめることができません。最終日の振り返りのセッションには地元の先達である詩人・劇作家のイクン・スリ・クンチョロさんにも参加していただきましたが、それはとても重要なことでした。彼は学生時代からの私を知っていますし、シニアから若い世代まで多くのアーティストとネットワークのある地元の有識者です。

戯曲リーディングのポテンシャル

山本卓卓さんはそのセッションで、「戯曲はだれかと出会うツールであり、集まって出会うことで社会の変化が生まれるといい」といった発言をされていました。APMで同業の劇作家たちに出会ったことで、彼に大きなモティベーションをもたらしたように思います。戯曲を通じた国際交流の可能性について、お考えになっていることはありますか。
 戯曲は、引っ越し公演に比べてコンパクトで動きやすいものです。戯曲が国境を越えて旅をすることはずっと簡単だし、多数の島から成るインドネシアの国内においても同じで、いろいろな交流の実現性が高いと考えています。ただ私たちとしては、リーディングにとどまることなく、いつの日かフルスケールの演劇公演として戯曲が上演されることを願っています。それはIDRFやAPMが直接手がけるというのではなく、アーティストが自らイニシアティブをとって実現する方がいい。タイの演出家がインドネシアの戯曲上演を手がけるとか、日本の演出家がタイやフィリピンの作品を上演するとか。リーディングはそうしたことができるようになるための、互いが知り合う交流のプラットフォームとしてとても有効だと思います。
地域間移動が難しい、人々が集まることが難しいコロナ・パンディックにおいてリーディングの再評価が進むような気がします。
 はい。パンデミック下で人々はなかなか劇場で公演を観ることができない状況になっていますが、オンラインの戯曲リーディングは可能です。そもそも演劇公演を実現するには費用もかかりますし、多くの技術や機材が必要になります。演劇人には理解されにくいことかもしれませんが、リーディングはよりシンプルに戯曲を観客に届けることができます。
リーディング上演を手がける人の解釈を通して初めて気付くこともありますし、劇作家本人にとっても思いがけない発見があります。一口にリーディングと言っても読むだけのものからかなり演出が入ったものまでAPMの上演も多様でした。
 それがリーディングの楽しいところです。ジョグジャカルタには俳優をはじめとしてクリエイティブな人々が大勢います。彼らがIDRFをずっとサポートしてくれているお陰で、毎年、趣向を変えて新しい戯曲を紹介できます。

ちなみに、APMには招かれていませんでしたが、IDRF2018では市原佐都子さんの『妖精の問題』を取り上げています。
 市原さんは、「Jejak Tabi」という企画で知りました。これはヘリー・ミナルティさん(ダンス研究者)(https://asiawa.jpf.go.jp/culture/features/asiahundred03//)と中村茜さん(precog代表)が手がけた企画で、その第1回がジョグジャカルタで実施されました。そこで市原さんが自分の作品のプレゼンテーションを行ったのですが、その中から『妖精の問題』を選びました。残念ながら彼女は来られなかったのですが、地元の若手の演劇コレクティブ「Sakatoya」がリーディング上演しました。実は、APM2019からの展開として2020年にホーチミンで行う予定だったイベントに市原さんを招いていたのですが、コロナのため実現できませんでした。でも、今年6月にはSakatoyaによる『妖精の問題』のオンライン・パフォーマンスを行いました。
市原さんの作品をどう評価していますか。
 すごく面白いと思います。自分の見る限り、市原さんのような方法論やメタファーを用いる女性の劇作家はインドネシアではあまりいないのではないでしょうか。現在の社会の中で女性が置かれている状況がかなり似ているので、彼女の作品はインドネシアの様々なコミュニティにスムーズに受け入れられると思います。

今後について

IDRFもしくはAPMの今後の展開について教えてください。
 2020年のIDRFはオンラインでの開催となりました。おそらく21年も同様だと思います。オンラインはジョグジャカルタ以外の劇団が参加可能になるなど、新しい経験かつ新しいチャンスになりました。昨年はスラウェシ島のマカッサルのテアトル・カラや、東ヌサ・トゥンガラ州のマウメレ、ジャワ島内のソロなど他の都市の劇団が参加し、オンラインで協働しました。

 今年のIDRFは9月に開催する予定ですが、オンラインのみだと11月になります。できればハイブリッドで実施したいのですが、まだわかりません。それから、今年はBIPAMと共同の企画を立てています。タイ、シンガポール、そしてインドネシアなどの戯曲で過去に上演禁止となった作品を取り上げます(https://www.bipam.org/bipam2021-showcases)。また、まだ協議中ですが、来年には日本でAPMを実施できるかもしれません。それからAPM2019で取り上げた戯曲を収めた本も出版しました。
そういえば、インドネシアの現代戯曲を英訳した戯曲集をロンドンで出版したそうですね。
 2019年にロンドン・ブックフェアでインドネシア政府がいろいろなプログラムを行ったのですが、その中でインドネシアの現代戯曲を紹介する機会がありました。ロンドンの出版社がインドネシア戯曲の英訳出版に興味を持ってくれて、「New Indonesian Plays」として出版が実現しました。

演劇からアートコレクティブまで

最後になりますが、ご自身について少し教えてください。
 私が演劇と接点を持ったのは大学時代です。それまではスポーツばかりやっていて、実際、バスケットボールの選手になろうとしていたのですが、諦めました。大学では歴史を学んでいたのですが、演劇に関心を持つようになりました。というのも、人前に出ることに臆病でなくなると気づいたからです。それ以来、どんどん深みにはまり、演劇シーンにもアクセスしてテアトル・ガラシのことも知り、テアトル・ガルダナラのジョネッドとも知り合いになりました。ジョグジャカルタでは毎年実に多数の、多様なフェスティバルが行われていて、インドネシア国内や海外のものもふくめて作品を観る機会があります。そこで多くの公演を観て、演劇も含めたジョグジャカルタのアートシーンに触れ、私の芸術観や演劇観が形成されていきました。ただこの2、3年については、BIPAMやTPAMといった国際的なプラットフォームへの参加を通して、作品に向ける自分の眼やマインドがぐっと大きく開かれたと感じています。今ではアジアの演劇界における人々とつながり、ネットワークとの接点ができました。
アベさんはアートコレクティブでも活動されているそうですね。Gymnastik Emporium と、Indonesia Conference of Theatre and Performanceですね。
 「Gymnastik Emporium」 と「Indonesia Conference of Theatre and Performance 」で活動しています。Gymnastik Emporium には、私とイルファヌディエン・ゴザリ、彼はジーンの『Plunge』のリーディングを手がけた人です。それからマカッサル出身のアブディ・カルヤAbdi Karyaがメンバーです。アブディは今はジョグジャカルタを拠点にしているパフォーマーです。さらに、アリ・ドゥイアント、クルニア・ヤウミル・ファジャール、ファンディ・リザルディがいます。演劇・ダンス・美術といった異なるジャンル出身者のコレクティブです。Gymnastik Emporium はスポーツとアートを結びつけ、特に、体操(Gymnastik)に関して、それが私たちの身体と心、思考を形づくるために、また理想的な身体とそうでないものを区別するために、いかに体制に利用されてきたかを考え続けています。

 2020年のジャカルタ・ビエンナーレで初めてパフォーマンスを行い、インドネシア・ダンスフェスティバル2020でもオンライン上演しました。ジョグジャカルタの体操の教師たちとワークショップを行い、体操での身体の動きがどのように作られ、どのように変化してきたか、それぞれの経験をシェアし、話し合いました。その成果としてパフォーマンスを発表しました。

 1970年代から1990年代半ばのいわゆる「新秩序」時代にナショナル・ギムナスティックが提唱され、インドネシア全土で毎週金曜日にその体操をしなければならなかった歴史があります。その体操を振り返るとともに、当時よりずっと自由に自己を表現できるようになった今日に再解釈しようというものです。Gymnastik Emporiumは、一方で動きに関する厳格な規則があり、もう一方で人々に動きをもっと自由に解釈することを促します。規則に従いたいのであればそれでも構いません。まだ創作途中ですが、近い将来再び上演できればと考えています。
もうひとつが演劇とパフォーマンスに関するインドネシア会議「Indonesia Conference of Theatre and Performance」です。これはどういったものですか。
 これは、パフォーミング・アーツの研究者が舞台芸術に限定せず幅広くアーティストと出会うためのプラットフォームです。第1回を昨年オンラインで行いました。カンファレンスと称していますが、学術会議ではありません。アーティストが自ら作品やアイディアをアーティストとしてプレゼンテーションする場が必要だと感じ、そのための場として立ち上げました。まだ試行錯誤していて、最も適したフォーマットを模索しています。オンラインだったのでジャワ島の外からもアーティストが参加しました。視聴者も多く、トークやディスカッションもとても充実したものでした。次回は2021年9月の予定です。
インドネシアでは多数のアーティストのコレクティブが活動しています。2023年のドイツ・カッセルのドクメンタではインドネシアのコレクティブ、ルアンルパが芸術監督に決まり、注目されています。
 私の場合はよく知っている人々とプロジェクトを行います。必ずしも仕事をした人とコレクティブを組むというわけではありませんが、よく知っているからこそ、そこを起点にして協働ができます。負担や作業は組織的・構造的にシェアするのではなく、有機的にシェアします。私はこれができるのでやります。あなたは振付ができるので私のためにそれを引き受けてくれますか?では、そのためのリソースを一緒に探しましょう──といった感じです。自分ひとりで動くよりもコレクティブで動くほうが確かに戦略的ではあります。インドネシアのコレクティブのあり方はいろいろです。インドネシアでは、とりわけ舞台芸術においてアーティストがコレクティブで活動する傾向があります。
最後に、新型コロナウィルスのパンデミック後の舞台芸術についてどのような展望をお持ちですか。
 この1年半の間、常にバックアップのためのプランBを考えてきました。ハイブリッド形式での上演、つまりオンラインとオフラインの両方を使う上演形式が可能であることも学びました。今ではオンサイトで来場人数を制限して上演し、同時にそれをオンラインでライブ配信することがインドネシアでは増えてきています。。本来上演は舞台で、生で行うものであり、映像はあくまで記録として認識してきた舞台芸術関係者にとって、これは全く新しい経験です。テクノロジーにはテクノロジーの語彙があり、使い方次第だと考えています。舞台上では出演者にズームすることはできませんが、映像上ではできる。観客がパフォーマンスをどう観るか、パフォーマンスの流れをどうフォローするかについて、いろいろ工夫の余地があります。こういったことをこの1年半で身につけることができました。近い将来、オンライン公演がライブの舞台公演と対等な重要性を帯びるようになるかもしれません。

 実際のところパンデミックによって厳しい状況がまだ続いています。資源も、場所も、すべてが制限される中で、それでもクリエイティブであり続けたい。そのためにはシンプルであることが重要だと考えています。この制限をどうやって自分たちの手段や力に変えられるか──クリエイティビティこそが答えを導くはずです。

 オンラインというフォーマットでは、移動せずに繋がることができます。こうやって国境を越えることなくインタビューを受けることもできます。これは利点のひとつです。IDRFをオンラインで開催すると、地元からもジャワ島の外からも全国から参加できますので、戯曲をより広い範囲に届けることができます。ジョグジャカルタから国内の他の島に行こうとするとシンガポールに行くより費用がかかりますが、それも必要ありません。一方、オンラインによって私たちの間に横たわる距離という欠点を解決することはできません。実際に顔を合わせて会って話すことは唯一無二であり、オンラインで代替することはできません。とりわけAPMのような交流のためのプラットフォームでは、同じ時間と空間を共有することが非常に重要です。来年にはパンデミックが終焉し、IDRFもしくはAPMを人々が集う形で実施できることを願っています。
私もそう願っています。コロナの影響でZoomでのインタビューになりましたが、ご協力いただきありがとうございました。
参考URL
Indonesia Dramatic Reading Festival – Asian Playwrights Meeting 2019
https://grant-fellowship-db.jfac.jp/ja/grant/cc1901/
https://apm2019.home.blog/

*グナワン・マリヤントさんは誠に残念なことに10月6日に急逝されました。心よりご冥福をお祈りいたします。