山本卓卓

幼女X

2015.01.22
山本卓卓

山本卓卓Suguru Yamamoto

1987年山梨県生まれ。2007年、桜美林大学在学中に範宙遊泳を旗揚げし、劇作家・演出家を務める。2013年の東京を舞台に、現在の緊張した空気感とそこで生きる人への祝福を描く『幼女X』を発表。投影した文字と俳優が絡むオリジナル・スタイルで、携帯電話やスマートフォンの文字や絵でコミュニケーションする世代を象徴する表現として注目を集める。以来、加速度的に倫理観が変貌する現代情報化社会を反映した作品を発表。2014年にTPAMに参加したのを契機に、アジア諸国や北米など9カ国で公演や国際共同制作などを行う。2020年5月に「むこう側の演劇」と題して、過去公演の無料配信や新作の発表など、オンラインを創作の場とする活動を始動。

範宙遊泳
https://www.hanchuyuei2017.com/

1987年生まれの劇作家・演出家の山本卓卓が2013年に発表し、バンコク・シアター・フェスティバル2014で最優秀作品賞・最優秀脚本賞を受賞した作品。連続幼女強姦殺害事件が発生している2013年の東京が舞台。金持ちの夫とタワーマンションで暮らす姉と小さな娘、貧しい弟、姉の元彼で「敵」を探して歩く男などを通じて、現代の緊張した空気感と祝福を描く。上演にあたっては、「男」「弟」「姉の夫」を男優2名が演じ、その他の人物(お腹にいる子ども、姉、母など)は舞台に登場せず、その台詞は客席に設置されたプロジェクターによって舞台背景に文字で投影される。

「範宙遊泳展─幼女Xの人生で一番楽しい数時間─」『幼女X』
(2013年2月16日〜27日/新宿眼科画廊地下スペース) 撮影:amemiya yukitaka
Data :
[初演年]2013年

雨の日。母のお腹の中にいる子どもが言う。

お母さん
まだ産まないで欲しい
この雨に耐えられるだけの準備がまだ
足りていない


だが子どもは産まれる。母に抱かれ、泣く。画面一面に「泣」の漢字が投影される。

公園の映像が映し出される。日曜日の昼下がり。弟は寝起き姿のまま、2時間遅れで新宿御苑に到着する。ここで母、姉、その小さな娘とピクニックをすることになっていたのだ。

親子連れやカップルが多い新宿御苑で、男は疎外感を感じながら「敵」を探している。偶然、男は姉と再会し、ピクニックに参加することになる。二人は高校時代、恋人同士だったのだ。

男は疎外感を募らせる。どんどん積み重なる疎外感をTポイントにして、TSUTAYAで使えたらよいのにと考える。

帰路、男は小学校の前に立ち止まる。不信に思って「何か学校に御用ですか?」と声をかけた女性教師に、男は「敵」探しの仲間として親近感を抱くが、女にはそれが伝わらない。

男は6帖の自宅で、今も姉と付き合っている様子を夢想する。

──IKEAで買ったダブルベッド、背の高い観葉植物、珍しい熱帯魚が泳ぐ水槽。品川駅徒歩10分の高層マンション95階4LDK、愛車はレクサス、大理石の床は床暖房。男は姉の寝顔を見ている──

それはすべて「例えばの」ものであり、夢想にすぎない。「例えばの」姉は妊娠しているが、その子は「生まれてこなくていい」「生きる価値がないから」と言う。

新宿御苑から、姉と娘、母はタクシーで姉の自宅に移動する。貧しい弟はタクシーに乗らず、走って向かう。タクシーよりも早く到着するが、汗をかいてしまった。姉の自宅はタワーマンションの30階にある。エレベーターの中で、姉の娘から「おじちゃんくさい」といわれることを危ぶむ。

弟にとって姉の家は「アメリカみたい」に見える。部屋は5つあり、風呂にはサウナがついている。姉の夫の振る舞いも「アメリカみたい」だ。「間違いない、姉は、資本主義に勝っている」と弟は思う。

翌日。姉は、マンションの管理人室で、防犯カメラの映像を見ている。夫の新車に傷がついていたのだ。映像にはその犯人が映っている。犯人は、口にハンカチのようなものを咥えながら自慰をし、バンパーに射精し、泣き出した。

男が目覚めると、すでにバイトの時間を過ぎている。1日予定があいてしまったので、「敵」を探しに出る。

弟は、ガイガーカウンターの訪問販売の仕事に出ている。売れ行きは好調。そこへ連続幼女強姦殺害事件のニュースが流れ、父から「母が倒れた」との連絡が入る。男は電気屋の店先のテレビでニュースを見ながら「(犯人は)早く捕まって死刑になれ」と言う人を目にする。

母が入院している病院で、姉は泣きながら弟を詰問する。やがて弟は自分が義兄の新車に傷をつけたこと、娘のパンツを口に咥え自慰をしたことを認め、泣いて詫びる。姉は嘔吐する。

弟は新車のことを「ポルスケ」と呼んだ。「Porsche」を正しく読むことができなかったのだ。

男の「敵」はなかなか見つからなかった。男にとって「敵」とは、「生身の、そこにある悪」のこと。生身でない悪はフィクションだ。

家から出る前、男は母親に手紙を書いた。手紙には、準備ができる前に生まれてしまった自分の人生への後悔、これから生まれてくる生命の安心への祈りなどが綴られていた。

弟がテレビをつけると、警察署の前からの生中継。連続幼女強姦殺害事件の犯人が逮捕された。弟は犯人のことを少しだけ羨ましく感じた。

男の前に、警官に連れられ、連続幼女強姦殺害事件の犯人が出てきた。ようやくにして男が出逢った「敵」だった。男は手にしていたハンマーで襲いかかる。だが、警察署前を埋め尽くした警官と記者に取り押さえられてしまう。

男は、突然、ハンマーで自分の頭を殴り始め、男は死んだ。

現場は血の海になり‥‥、海になった。
そのちはどんどんげんばをおおいつくして
なんと
うみにしてしまいました
それからそのうみにひかりがさして
まぶしくてまぶしくて
そのひかりをわすれるひとは
だあれもいませんでした


童話の絵本のようになった映像が次第にスクリーンからずれ、天井に移動して消え、暗転。

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