アラン・パレ

CINARS四半世紀の歩み
創設者アラン・パレの挑戦

2010.05.28
アラン・パレ

アラン・パレAlain Paré

CINARS 創設者
CINARS(International Exchange for the Performing Arts)は、カナダ・ケベック州のモントリオールで隔年に開催されている国際舞台芸術見本市だ。1984年にカナダの舞台芸術を海外に普及することを主な目的にスタートしてから四半世紀。いまでは世界約60カ国から1,000人以上のアーティストやプレゼンターらが集う世界最大規模の見本市の一つに成長した。

創設者のアラン・パレにその歩みとCINARSが果たしてきた役割について聞いた。
聞き手:吉田恭子[日米カルチュラル・トレード・ネットワーク・ディレクター]

海外市場の開拓を目指したシナール

CINARS(シナール)は、1984年にケベック州モントリオール市に設立された舞台芸術の見本市として知られています。そもそもの設立の経緯から聞かせていただけますか。
 シナールの創設当時は、カナダの舞台芸術のために非営利のサービス組織とイベントをつくること自体が重要でした。カナダは広大な国土をもちますが、人口は僅か3,400万人です。米国は、カナダより狭い国土に人口3億人なので国内の需要で興行が成り立ちます。でもカナダでは、モントリオール、トロント、バンクーバーなどの大都市を除き、中小都市の場合、興行で採算はとれません。モントリオールでさえ、例えばロベール・ルパージュの作品が上演される場合でも公演回数は6回くらいが限度です。観客数つまり需要が限られているので、舞台芸術のサバイバルのために海外市場の開拓と需要を生み出すための仕組みが不可欠だったのです。
それで、シナールを立ち上げ、海外からプレゼンターや企画担当者を呼んで、アーティストの作品を見せました。目論見は当たり、ラララ・ヒューマン・ステップスやルパージュをはじめとした様々なカンパニーやアーティストの作品が注目され、海外から招聘されるようになりました。その成果は私たちが期待した以上の驚くべきものでした。今では、カナダのアーティストは海外からの需要が多く、カナダ国内をほとんどツアーしなくなりました。ルパージュも、ヒューマンステップスも、また、例えばダンスカンパニーが新しい作品をつくる場合なども、基本的にカナダ国内は新作のためのラボラトリー(実験室)という構図になっています。
シナールは、ケベック州やモントリオール市がイニシアチブをとって創設したのですか。
 シナールは私が個人で始めたものです。当時、私はモントリオールのフランス協会(French Association)のプレジデントをしていました。そのような会合で、「プラットフォーム」(後述)の必要性について話し合ったのがきっかけでした。幸い、私はケベック州の文化大臣(Minister of Culture)と懇意にしていました。彼は芸術家の支援に熱心で、シルク・ド・ソレイユに100万ドルの経済支援をしたこともあります。州のサポートを得て、第1回目のイベント開催が実現しましたが、最初はとても小規模で、5、6カ国から50人ほどが集まっただけでした。それがどんどん大きくなり、忙しくなったので、私は自分の会社を売って、シナールに専念することにしました。
パレさんご自身は、シナールを始める前は何をされていたのですか。
 私は、モントリオールの大学でコミュニケーションとマーケティングを勉強した後、プロモーターとプレゼンターの仕事を始めました。スタッフもいて、1年に400公演くらいを上演し、カナダ国内だけでなく海外での公演ツアーも手がける比較的大きな会社でした。その仕事を数年続けた後、私は、シナールのようなシステムとイベントが必要なことに気がついたのです。まだ若くて、ナイーブで、何に首を突っ込んだのかもわからないまま、奇妙なアドベンチャーを始めてしまったわけです(笑)。
ケベック州はフランス語文化圏で、フランス語とその文化を継承し、発展させていく意識の高い土地柄ですが、そのこともシナールの誕生に関係していますか。
 はい。シナールを始めた頃というのは、ちょうどケベック以外、つまり英語文化圏のカナダで、米国アーティストのコピーのような作品が盛んになってきた時期でした。ケベックのダンスの振付家や俳優、劇作家たちは、「私たちは他の英語圏のカナダとは違って、フランスを含めたヨーロッパ系文化の影響が強い」と言い、私たちはパワフルなアメリカ系文化と競争するには、「違うもの、新しいもの、独自のもの」が必要だと話し合いました。
そうしたビジョンに基づいて生まれたカンパニー、例えば、シルク・ド・ソレイユは、動物を登場させず、洗練された振付を導入して、既存のサーカスとは全く違う新しいサーカス芸術をつくり、人気を得ました。また、ケベックは、ラ・ラ・ラ・ヒューマンステップスやオー・ヴァーティゴ(O VERTIGO)、カンパニー・マリー・シュワナード(Compagnie Marie Chouinard)などを輩出し、「ダンスを変えた州」とも言われました。私自身、最初に彼らの作品を観た時はショックを受け、このような作品は誰からも受けないし、プレゼンターも上演しないのではないかと思いました。しかし予想に反して、彼らの作品はこれまでにない需要を掘り起こしました。ちょうど若い世代が新しい芸術を求めていたのでしょう。既存の確立したクラシック芸術ではなく(もちろんそれが悪いというのではないですが)、刺激的な新しい芸術表現に多くの人々が惹きつけられました。そして、海外からシナールに参加したプレゼンターたちがそれを見て、「これは自分の国にはない表現だ。自国の観客に見せなければ、フェスティバルで上演しなければ!」と、とても大きな反響を呼びました。
それは、ケベックの芸術の新しいアイデンティティになったと言えますか。
 そうです。その頃から今に至るまで、カナダの他の地域では「ケベックは特別だから」とか、「ケベックと比べられては困る」と区別するようになりました。現在、国外をツアーするアーティストの約80パーセントが、ケベック州のモントリオールのアーティストです。ケベック州政府が、そのような新しい芸術の創造、制作に、多大な支援をしたからこその結果でもあります。それは、オンタリオや他のカナダの州や欧米に比べても、ずっと大きな支援です。他の州は、長期的に芸術に投資してこなかった。そこが大きく違います。


25年間で変わったこと

25年間の歴史の中で、シナールはどのように変わってきましたか。
 実は、10年ほど前のことですが、多くの参加者から厳しい指摘をされました。「私たちは、ケベックやカナダのアーティストを数多く招聘して公演を行っているのに、そちらは全然私たちの国のアーティストを招聘してない」と。その通りでした。一方、カナダのプレゼンターたちも「シナールに行く必要はない。カナダのアーティストのことはもうわかっているから」と公言していた。そこで、シナールで海外のアーティストを紹介し、それをカナダのプレゼンターが見に来るようにすることも重要だということになり、互恵主義に基づく方針を打ち出して、内容を変えていきました。2008年に開催したシナールのショーケースでは、ケベック、ケベック以外のカナダ、カナダ以外のアーティストの比率は、2対1対2くらいですから、いまでは海外からのアーティストが約4割を占めています。
シナールは、カナディアン・プラットフォームではなく、インターナショナル・プラットフォームと呼ばれたいし、そうありたいと思っています。各国のプレゼンターがモントリオールに来て、様々な国のアーティストと出会い、作品を発見するということでいいわけです。それでも、モントリオールで開催するのですから、我々はネットワークの要に位置していますし、アーティスト同士が刺激しあうので、カナダやケベックのアーティストのためにもなります。84年の開始当初はケベック州のアーティストを海外へ紹介するのがシナールの主目的でしたから、この点は大きく発展・変化したことになります。
またカナダに限らず、全体的なトレンドとして、数年前からアーティスト、作品、プレゼンター、観客、すべてにおいて新しい世代が出てきているように思います。私たちの世代が新風を吹き込んだ20年前がそうであったように、新たな時代の胎動を感じます。今はちょうど芸術の創り手が色々な可能性を模索していて、面白いもの、そうでないものが混在していますが、それを受け入れ、見守り続け、サポートしなければなりません。もしかすると、大きなトレンドは、日本か他の国から出てくるかもしれない。それが全体を変えるほどの影響をもつかもしれません。
現在、シナールでは「トレーニング」の領域に力を入れているように思います。
 3、4年前にある事実に気がつきました。私の回りのアーティストのエージェント、マネージャー、ダンスやシアターカンパニーやサーカスのディレクターなどが、皆、50歳か55歳以上で、若い人たちがいないのです。「これは大変だ。自分たちの世代の持っている経験、専門知識や技術を若い世代に伝えなければ。海外公演のためには、アーティストや作品をどのようにプロモートし、どのような準備が必要か、そのノウハウを伝える必要がある」と思いました。
それで2009年に5日間の集中セミナー (*1) を企画しました。20人程の小規模のグループに対して、経験を積んだエキスパートがマーケティング、プロモーション、戦略的計画性、ディベロップメント(助成金をはじめとするファンドレイジング)などを教えました。私たちの世代が体当たり式で自分たちで身につけてきたノウハウを、若い人たちとシェアしようということになったのです。このトレーニング/セミナーは、とてもうまくいっていて、毎年新しい人たちが参加してきます。面白いのは、セミナーを受けて、自分は舞台芸術業界に向いていないことがはっきりとわかり、別の道に進む人もいるということです。普通は2、3年経験しないとわからない向き、不向きがセミナーでわかるのだから、彼らの時間や労力の節約にも役立っている(笑)。海外からもこのようなセミナーに対する要望があり、最近ではフィンランドやノルウェーでも行いましたし、スペイン、韓国からも要望があります。日本でもワークショップやセミナーをする話があります。
それから私のオフィスには、1週間に2、3度、カンパニーの人が相談に来て、このような会話をしていきます。
A:「イタリアにツアーに行きたいのですが、アドバイスしてください」
C:「貴方のカンパニーはどんな作品をつくるのですか?」
A:「青少年対象の作品です」
C:「では、コンタクト先としては、これらのところが良いと思います(リストなど渡す)。でも、まずは、イタリアに行って彼らに会うことを強く薦めます。ただDVDやEメイルを送るだけではなく、彼らと会って、顔を見ながら話をする。そこからはじめることが大事です」
そして、資金、労力、時間を無駄にしないためにも、良い計画をたてることをアドバイスしています。
そのようなコンサルティングは、年間を通して無料で行っているのですか。
 はい。スタッフのサラリーは公的な資金で賄っていますから、このようなサービスを常時、無料で提供することができるのです。シナールはカンパニーに対して、「情報提供、テクニカルサポート、戦略的計画など、何でも、いつでも相談に来てください」と言っています。
現在、スタッフは何人でバジェットはどれくらいですか。
 スタッフは5人で、予算はプラットフォームが隔年開催なので、開催年が約100万カナダドル、そうでない年が大体50〜60万カナダドルです。この種のイベントの事業母体としては、予算は小さいほうだと思います。


人が出会い、信頼関係を築く「場」としてのプラットフォーム

先ほどから舞台芸術の「マーケット」ではなく、「プラットフォーム」という言葉を使われていますね。
 「プラットフォーム」という言葉が実はキーワードで、よくみんなで議論をしています。今の時代、私たちがやっていることを表現するのに、「マーケット」という言葉は適さなくなってきていて、「ネットワーキング」または「ミーティング」という言葉のほうがより適切だと思います。舞台芸術業界の関係者たちが、様々な国からジャンルを超えて集まり、互いに会って情報を交換する、これまで蓄積してきた知識やノウハウをシェアする、互いの国の新しい芸術家とその表現を発見する、といったことを目的としたイベントというか「場」なのですから。
シナールやTPAM(東京芸術見本市)といったプラットフォームの他にも、業界関係者が一堂に会するコングレス(Congress)として、IETM (*2) やISPA (*3) などがあり、各地でアーティストや作品、アート・フェスティバル等に関する情報の交換などを行っています。このような集まりで私たちがやっていることは「売り/買い」という単純なことではありません。舞台芸術をプロモートし、上演するという私たちの仕事には、長期のプロセスが必要です。フォローアップのため、お互いに知り合うために、何度もこのような場に行かなければなりません。信頼関係、人間関係を築かなければなりません。そうした意味合いを込めて、特にここ2、3年、シナールでは「マーケット」という言葉は使わず、「プラットフォーム」という言葉を使うようにしていますし、してもらっています。人が出会い、知り合う「窓口」、「場」という認識です。
実際に、上演アーティストや演目の決定、契約に関しても、そのような人と人との繋がりや信頼関係の上に成り立っているといえますか。
 はい。今はまさにそうした時代だといえます。インターネットやEメールがあっても、離れていてはやはりできないことです。生身のコンタクトが重要です。あるプレゼンターは私にこう言いました。「2週間ほどの間にDVDやプロモーション冊子が合計50枚くらい送られてくる。私にそれを全部見ている時間があるはずはない。部屋の隅に積み上げられて、結局ゴミ箱に行ってしまう。アーティストを選ぶ時は、まず自分と人間同士のリレーションがあるエージェントやカンパニーを考える。彼らの作品を実際に観に行き、またリレーションを深める」。酷いといえば酷いかもしれないけれど、理解できます。競争はとても激しいのです。
以前は、送られてきたDVDを観て、アーティストやエージェントにアプローチするというケースも比較的多くあったようですが、そのやり方は間違いだったと思います。今では、私はDVDやCDを名刺のように考えてます。名刺の場合と同じように、本当に“わかる”ためには、実際にその人に会って、話をしなければなりません。人間同士が何度も顔を合わせ、より包括的な話、例えば新しいダンスのトレンドがどうなっているとか、アーティストの直面している問題などを話し合うことが大事です。観客や一般の人々が何を欲しているかも話します。「これは見なければ、見せなければ」と実際に肌で感じることが必要です。
パレさんも、ほとんど毎年のようにTPAMにいらしてますね。
 日本とのコンタクト、緊密なリレーションを持ち続けるためで、それは日本から多くの関係者にシナールに参加してもらうことに結びつきます。そしてまた、日本のアーティストのトレンドや成熟の過程を見ていくことも重要だと思っています。現地で現状を見聞きし、こちらの状況を伝える。そのためには、当然TPAMに、何度も参加しなければなりません。その長いプロセスを経て、プラットフォーム同士の連携、パートナーシップも育っていきます。
ですから、「一度はTPAMに行こうと思うが」というような相談を受けると、「1回だけ行くのなら止めたほうがいい」と言います。お金、時間、労力の無駄です。少なくとも3回、4回、5回と行ってこそ、日本で行われている創造活動が理解できます。もちろん、日本以外の国についても同じです。
私は、日本に来たら日本の独自の文化が反映された作品を観たいといつも思います。アメリカ文化のコピーなどには興味がありません。日本人は日本人でいてほしい。「これは、日本以外のどこにもない」というものが欲しい。独自性があり、プロフェッショナルでもあるものを期待しています。私が日本で見てきたアーティストは若手が多いですが、10年間見続けてきて、確かに成長し、成熟してきているのがわかります。


ケベック州が支えてきたシナール

シナールを支えてきたケベック州政府の芸術支援についてお話しいただけますか。
 ケベック州政府は、1992年に「ケベックの文化政策、私たちの文化、私たちの将来」という150ページにわたる文化政策に関する文書を発表しました。そこに書かれていた基本的な考え方は、今も変わりません。ケベックの芸術と文化の発展は、国際マーケット抜きには考えられないということです。一つの芸術作品が海外に出ることによって、2年、3年と上演される“生命”を持つことになります。
同年、州の文化省は、CALQ(ケベック・アーツ・カウンシル) (*4) を設立しました。海外ツアーを行う舞台芸術のアーティストもシナールも、CALQから支援を受けています。また、95年にはもう一つの州立文化公社であるSODEC (*5) が設立され、映像、工芸、録音、出版などを支援の主たる対象としています。SODECが商業的文化芸術産業のサポート、CALQが非営利の文化芸術団体の支援をしているという役割分担です。
カナダ連邦政府レベルでの支援はどうですか。
 ケベック州に倣って連邦政府は15年ほど前から芸術支援を始めました。しかし、昨年から新政府になり、芸術への予算が削減され始めました。そのため、連邦政府の文化大臣とオタワで会見し、「芸術文化業界は、連邦政府が投資する1カナダドルに対し5.5カナダドルをもたらしている(助成金などの政府の補助が5.5倍の政府収入になる)」という調査結果を報告しました。仕事をつくり、雇用を生んで経済効果をもたらし、しかもカナダのイメージアップをしてカナダという国をプロモートしている。例えば、カナダのアーティストの海外公演の場合でも、航空会社はエア・カナダで、航空券も国内で購入します。海外公演の収入もカナダ国内に戻って来るわけなので、海外で使ってくるのは、宿泊代とレストランでの食事だけだと説明しました。大臣は、そのような経済効果については、算出法に関しても結果に関しても知らなかったと、随分感心していました。芸術文化は海外を含む他の地域からの観光客も引き寄せること、ビジネスをつくること、それを論証する必要があります。 ──政府の芸術文化への支援カットなどに対処するための「アーツ・アドボカシー」もシナールでやっているのですか。「投資が5.5倍のリターンになる」というような明確な数字を提示することは、ポリシーメーカーに対して有効だと思います。
 芸術の経済効果に関するリサーチは、シナール自体が専門家の助けを借りて行いました。これは、カナダ全域に対して行ったもので、約2,500の芸術団体やマネージメントを対象に調査をし、35%の回答を得ることができました。3月末に、この新しい調査の結果を政府に送りました。カットの影響はこのアンケート調査にも顕著に出ていて、多くのカナダのカンパニーが海外ツアーをキャンセルし、収入を失ったことがわかりました。例外は、州レベルでカットがなかったケベック州のアーティストだけです。
私は、文化大臣に「支援を止めるということは、せっかく築いてきたものを台無しにします。また初めから立て直さなければならなくなります」と訴えました。例えば、シナールがTPAMに毎年参加する理由は何かというと、日本の人たち、アーティストやプレゼンターと、リンク、関係を築いていくためです。何度も言うように、長期的な投資、計画の一部なのです。だからもし、ある年、私たちが参加しないということになったら、次の年に来た時に失ったものを取り返さなければならない。それがとても困難だということが、新しい政権になって2年経つのですが、なかなか理解してもらえません。
そして、バンクーバーでオリンピックを開催したために、多くの文化のための資金がスポーツに移されてしまいました。前のオリンピックでカナダ勢は振るわなかったため、政府は何億という資金をウィンタースポーツとアスリートに投資しました。オリンピックが終わったので、カットした資金を文化に戻してくれるよう、期待しているのですが…。新聞記事によると、開催地であるブリティッシュ・コロンビア州は巨額の負債を抱えてしまったとのことです。同州の文化予算はなんと、95%カットされたのですよ。想像を絶するひどさです。そしてその負債を返済するには5年、10年とかかる。それを文化セクター、アーティストも背負わなければならないのです。
NPO芸術業界に携わる人は、自分の都市がオリンピックを招聘するという時、諸手を挙げて賛成しないように注意しなければなりませんね。
 そうですよ。モントリオールでも76年に夏季オリンピックを開催しましたが、負債を返済するのに20年、いや25年もかかりましたからね。国の知名度を上げるには良いかもしれませんが。それでまた今回も連邦政府は文化予算をカットするのではないかととても心配しています。でも、地元ケベック州にとっては幸いなことに、州政府は、連邦政府からの支援がなくても、ケベック州のアーティストへの支援は続ける、と言ってくれています。他の州の芸術文化業界は非常に苦しい状態に陥っています。政府支援カットの悪影響は、新しい創造活動やツアーをはじめ、様々な面で大きく、長く続くでしょう。シナールとしては、もちろんケベック州以外のカナダのアーティストもサポートし、プロモートしたいですが、各州からの援助なしでは非常に難しくなります。


北京に生まれる新たなプラットフォーム

ところで、今度は北京でもアーツマーケットが始まると聞きました。ペレさんは、アドバイザーになられそうですが、上海にもアーツマーケットがありますし、そことの関わりも含めて、どのようなビジョンをお持ちですか。
 早耳ですね(笑)。中国政府から依頼を受けて、北京の新しいアーツマーケットのコンサルタントをします。大きな方向としては、最初から国際的なものを目指します。現在、上海のパフォーミングアートフェアは、国内の舞台芸術に焦点が絞られすぎていると私は思います。中国政府の「中国の舞台芸術を海外にプロモートしたい」という意向を反映しているからです。ただ問題は、日本や韓国をはじめ、同様のマーケットを開催している他の国にはストラクチャーがあって、劇場施設のマネージメントやアーツフェスティバルのノウハウがありますが、中国は随分事情が違います。まずは、ストラクチャーをつくること、ノウハウの伝達、トレーニングが必要ではないかと感じています。その反面、「私たち流」に変えることへの懸念、「変えたくない」という思いもあります。
具体的に、中国はどこが大きく違うのですか?
 例えば、ケベックのアーティストを中国にツアーしようとして、アーティストフィーに話が及んだ時、「なぜ、フィーを払わなければならないのですか?」と聞かれました。中国では、バレエやオーケストラ、オペラなどの芸術家は国から給与をもらっている国家公務員だからです。月曜から金曜まで、決まった時間にリハーサルをして、年間200公演こなしても、10公演しかなくても、給与は同じです。私は、中国におけるアーティストの非常に安定した経済基盤を、変えなければならないなどとは思いません。そこが難しいのです。
それから、中国の舞台芸術は伝統的なものがほとんどですが、多くのプレゼンターは、コンテンポラリーな、そしてオリジナルな芸術表現を求めています。ですので、例えば、今私が提案しうるアイデアの一つは、他の国から振付家を呼んで来て、伝統的なトレーニングを受けたダンサーと新しいコンテンポラリーな作品を創るというようなことです。それに中国の若い世代は、資金力もあり、教育も受け、海外にも出て、もちろんインターネットで育っていますから、「新しいものを観たい」と思っています。彼らは両親たちのようにバレエやオペラに行きたいとは思っていません。
でも彼らの求めているものはまだ中国にはない。基本からつくる必要があるので、非常に時間のかかる、長いプロセスの話になります。例えば、日本や韓国から振付家を呼んで新しいダンスを共同制作するとか。演劇や音楽でも、同様に共同制作の可能性を探ることになると思います。そういうものが生まれてこそ、カナダからでも、日本からでも、諸外国のプレゼンターが中国のアーツマーケットで、オリジナルな他の国にはないものを見つけに行くという構図が成り立つようになると思います。
私は、「まず、貴方たちにとってどうするのが一番良いかを話し合いましょう」という姿勢でいます。そして、話し合った後、決めるのは彼らです。自分たちの結論でないといけないと思います。2005年には、韓国で PAMS(ソウル舞台芸術見本市) (*6) を立ち上げましたが、その際は2週間ソウルに滞在し、スタッフのトレーニングを行いました。その後、韓国のアーティストをプロモートする為の組織 KAMS(芸術経営支援センター) (*7) もつくりました。その際、シナールのモデルを使いましたが、私は「自分流に、自分の国に合うようにアジャストしていくことが大切だ」と一貫して言ってきました。アジアでは、欧米型ではなく、アジア流にアレンジすることが大切だと思います。

*1
シナールはアーティストのエージェントやマネージャーを対象に、海外市場の開拓と、アーティストの海外公演に関するトレーニングセミナーを、国内外で100回以上行ってきた。その内容をより充実させ、2008年12月にモントリオールで“Stakes, ingredients and strategies for international touring”と銘打った5日間集中セミナーを開催した。

*2 IETM
ベルギーを拠点とするコンテンポラリー・パフォーミング・アーツの国際ネットワーク。「Informal European Theatre Meeting」として1981年に始まり、2005年に「International Network for Contemporary Performing Arts」に改称。

*3 ISPA
International Society for Performing Arts は、舞台芸術専門家たちのネットワークの構築を目的に、1949年に設立された会員制の非営利国際組織。

*4
「ケベック州芸術人文評議会」と訳されている州立公社

*5
文化企業開発会社

*6 Performing Arts Market Seoul
2005年に始まった韓国ソウルの芸術見本市。KAMS(Korea Arts Management Service:芸術経営支援センター)により運営されている。

*7 Korea Arts Management Service
韓国政府文化体育館観光部傘下の芸術経営支援センター。2006年に発足。

CINARS(Conference Internationale des Arts de la Scene)

カナダ・ケベック州のモントリオールでカナダの舞台芸術を海外に普及することを主な目的に隔年(11月)で開催されている国際舞台芸術見本市。「プラットフォーム(Platform)」と「フォーラム(Forum)」で構成されており、「プラットフォーム」では、各国から参加するダンス、演劇、音楽、マルチディシプリナリー・アーツなど、約30のショウケースと約150団体のブース・プレゼンテーションが行われる。 また、「フォーラム」では、資金調達やネットワーキングに関する勉強会やワークショップが開催され、プロフェッショナルな交流や情報交換が行われる。会期中には「オフ・シナール(OFF CINARS)」と呼ばれる自主公演が市内30カ所以上で行われ、カナダ国内外から多数のアーティストたちが集う。
https://cinars.org/

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