ガイア・ヨンソン/スタイン・ヘンリクセン

毎年秋に開催されるノルウェーのウルティマ現代音楽祭
今年は日本にスポット

2005.01.19
ガイア・ヨンソン

ガイア・ヨンソンGeir Johnson

ウルティマ現代音楽祭 フェスティバル・ディレクター

スタイン・ヘンリクセン

スタイン・ヘンリクセンStein Henrichsen

ウルティマ現代音楽祭 フェスティバル実行委員長

ノルウェーの首都オスロで毎年秋に開催されるウルティマ現代音楽祭は、スカンジナビアを代表する現代音楽祭である。日本からはこれまでも雅楽集団の伶楽舎や東京インターナショナル・ミュージック・アンサンブルなどが参加しているが、2005年のフェスティバルでは、日本の現代音楽にスポットを当てた「ジャパン・イン・フォーカス」が企画されている。2004年12月、同フェスティバル・ディレクターのガイア・ヨンソン氏およびフェスティバル実行委員長のスタイン・ヘンリクセン氏が来日。ウルティマ現代音楽祭の背景やクオリティーの高い音楽祭運営のしくみ、および聴衆の育成などについて話を聞いた。
聞き手:ロバート・リード/構成:但馬智子
ノルウェーの現代の芸術文化活動を理解するために知っておくべき歴史的背景から教えていただけますか。
ガイア・ヨンソン(J): 100年前までノルウェーは500年もの間スウェーデンとデンマークの統治下にありました。19世紀末に独立運動が起こり、1905年に独立しますが、その運動を最前線でリードしたのが芸術家や音楽家たちでした。作曲家のエドヴァルド・グリーグ、劇作家のヘンリク・イプセン、画家のエドヴァルド・ムンクらはすでに芸術家として国際的に活躍していましたが、同時に独立推進派の運動家であり、当時の国民意識を代弁する存在でした。第一次世界大戦後には彼らの運動はいったん沈静化します。しかし、1950年代から60年代にかけて芸術家たちは再び結集し、激しい政治運動を繰り広げ、大きな社会問題になりました。70年代には、芸術家のこのような動きが議会への圧力となって、出版や楽曲の著作権などアーティストの権利保護のための法律が議決されるかたちで結実しました。

もうひとつの重要な流れは、学校教育における芸術教育を推進しようという国家的な動きがあったことです。その結果、70年代から80年代にかけてすばらしい音楽学校がいくつか設立され、そこから優秀な音楽家や新世代の作曲家が輩出されるようになりました。1973年以前にはそういった教育機関が国内にはまったくなかったため、グリーグや彼と同時代の音楽家たちはみな、ドイツまで行って勉強していました。私の世代は、ノルウェー政府が打ち出した芸術へのサポート政策によって生まれた第一世代の芸術家なのです。

スタイン・ヘンリクセン(H): ノルウェーのナショナル・アート・カウンシルの成り立ちについても言及しなければなりません。第二次世界大戦後に国家を再建するにあたり、教育制度の見直しも図られました。その時、すべてのノルウェー人は芸術教育を受ける権利を与えられるべき、という理想があり、教育システムの重要な部分を占める芸術教育の職務を担うナショナル・アート・カウンシルが設立されました。コンテンポラリーアートは、そのカウンシルが重点を置いているもののひとつに位置づけられています。

J: それで先進的な芸術教育が何十年も行われていなかったノルウェーに、演劇、音楽、ビジュアルアートの3つの政府系芸術団体(財団)が設立されました。おかげで今では、人口460万人のうちおよそ50万人のアマチュア音楽家が活発に活動するまでになりました。

H: 芸術家への資金面でのサポートは国家補助でまかなわれますが、特筆すべきは、その管理・運用をしているのが民間の組織だということ。出資母体と運用母体との間には、ほどよい距離が保たれているため、芸術活動は、政治的圧力から一定の独立性を担保することができています。

 ノルウェーの国家予算のおよそ1%が芸術への補助金で、他国との比較でも非常に高い水準だと思います。しかし、今日ノルウェーがコンテンポラリーアートに強いのは、こうした政府からの支援があるからではなく、(民間の)委員で組織されるアート・カウンシルがあるからです。

J: コンテンポラリーアートシーンは、隣国スウェーデンと比べてもかなり異なっています。スウェーデンでは、芸術に対する補助金が、芸術家自身ではなく政府によって管理されています。ノルウェーのシステムでは、芸術家本人が自分の芸術的価値に基づいて判断します。政治的支配ではない、芸術家主体のこの政策のおかげで私たちのアートシーンは発展しているのだと思います。ちなみに20〜30年前はスウェーデンのアートシーンはスカンジナビアでもっとも勢いがありましたが、現在は低迷しています。
お二人の経歴は? ヨンソンさんはご自身も音楽家ということですが。
J: 子どものころから聖歌隊に入っていて、高校、大学で音楽を勉強しました。それで音楽に関わる仕事に就くことにしました。ロックバンドのようなもので歌っていたこともあります。その後何年間か大学レベルでポピュラーミュージックを教えていました。現在では、現代音楽に関わる各方面からの要望に応じてさまざまな仕事をしています。

H: 私は、委員長としてウルティマフェスティバルのマネージメントにかかわっています。私たちの委員会は大きく分けて、芸術的なバックグラウンドをもつ者と、政治・経済界での実績を持つ者とで構成されています。 私自身は前者のほうで、ノルウェー、アメリカ、デンマークの大学で音楽を学びました。その後現代音楽の楽団で活動を始め、現在はある楽団の芸術監督をしています。
ウルティマは現代音楽フェスティバルですが、企画のなかにはオペラやクラシック音楽のプログラムも含まれています。あなたがたの考える「現代音楽」の定義は?
J: 非常に難しい質問ですが、「何が現代音楽か」という問題は、私たちがこのフェスティバルを運営するうえで常に考えていかなければならないことです。今日つくられる作品だからコンテンポラリーなのか、もしくは過去に語り伝えられたことが今日の世界を反映するからコンテンポラリーなのか? 私たちはこうした疑問に対してもっぱら寛大に対処することにしています。フェスティバルが対象にしているのは、基本的に新しい方向へ発展している作品や事業です。こういったものがプログラム全体の70〜80パーセントを占めているのではないでしょうか。毎年およそ35もの作品が世界初演で、その約3分の1が海外からの作品です。フェスティバル予算の3分の1から半分ぐらいがこうした新作のために使われています。

例えば、今年 (2004年) のフェスティバルでは、70年代から80年代のオランダの音楽、特に作曲家フィリップ・ユレルと彼の弟子たちを中心にした現代音楽を紹介しました。さらにパリや、アフガニスタン、トルクメニスタンなどもプログラムしました。これらの共通点は何だと思いますか? 答えは、イーゴリ・ストラヴィンスキーです。ロシア人の彼はパリに来て、世界中の作曲家に影響を与えました。これはプログラムに書いていないことなのですが、ストラヴィンスキーにまつわるプログラムでありながら、ストラヴィンスキーの作品そのものはまったく登場しませんでした。

その一方で、中世のバロック音楽も取り上げました。演奏家たちとうまく調和するものであれば、それもありです。演奏家は生身の人間で、彼らがやることにはある内発的な動機があることを認める必要があります。トップレベルのパフォーマーにとって、インスピレーションとはその質が問題なのであり、その種類にこだわっていたら、演奏家たちが望む作品を生み出すことはできないでしょう。ですから現代の演奏家が何か初期のもの、たとえば1920年代からさかのぼって13世紀のものをやりたいなら、それに芸術的な理由があれば一向にかまいません。彼らの好まない現代作品を15分でいいから演奏してくれとは言いません。それは何を意味しているのか?

詰まるところ、よいコンサートを聴衆に提供したいということに尽きます。それでも、新しいスタイル、新しいレパートリー、新しい見識をもたらす新しい作品を紹介するという私たちのねらいに変わりはありません。

大まかにいうと、ウルティマのプログラム全体の30〜35%が新作、50〜55%が過去20年以内に発表された作品、残りはアーティストと相談して、あらゆる観点からインスパイアされた特別なもの。たとえば毎年、クラッシック音楽のプログラムを企画していて、2004年は、中央アジアの音楽に関する「Via Kabul(カブール経由)」を企画しました。過去には、中国の京劇や、モスクを建ててシリアの音楽を取り上げたこともあります。2000年には日本の雅楽もやりました。

 とにかく私たちは、どこからインスピレーションを得ているか、という大きな概観を描こうとしているのです。ちなみに、フェスティバルはノルウェーの18の団体が共同で運営しており、各団体がコンテンツを提案する権利をもっています。コンテンツは最終的にプログラム委員会で決定しています。
2005年のテーマの1つで日本の音楽を取り上げるとのことですが、どのような取り組みがありますか。
J: 日本のプログラムを組み立てるときに難しいのは、何が日本の音楽であるのかを一言で表せないこと。日本で生まれた音楽を意味するのか、日本に住んでいる芸術家のものか、日本で訓練されたものか、など。多くの優れた日本人作曲家が世界各地で活躍していますが、たとえば20年間も外国に住んでいる日本人の作品は、ヨーロッパ人からすると日本を感じられても、日本国内にいる人にとってはそれを日本的だとはいわないでしょう。

この10年私が見ただけでも多くの新しい才能が出てきていますが、彼らにはさまざまなスタイルがあります。パリ、ロンドン、アメリカを拠点にするなど、世界の他の地域に住むことを選んでいる場合もありますし、私たちが先日会った音楽家の近藤譲のように、60年代アメリカにいたことで国際的に知られるようになり、ヨーロッパでも公演やレコーディングを行っているので、多くの人がヨーロッパ在住だと思っているような人がここ日本在住だったりする。つまり、国際的なコミュニティーでは音楽家の住んでいる場所は関係なく、彼らの作品のクオリティーが話題になります。繰り返しますが、私たちが見つけようとしているもの、それはクオリティーです。ですから、今回のフェスティバルでも、日本の音楽の概観のみを見せかけで紹介することは考えていませんし、それはそもそも不可能です。

それで今回私たちは、3人の音楽家の招聘を決定しました。一人は近藤譲で、3人のうちで一番年上です。二人目は西村朗。そして、他の二人とはまったく異なるタイプの鶴見幸代という、若くて有能な女性音楽家を選任しました。近藤は中央ヨーロッパの音楽の影響を受けた60年代を代表する存在。西村はヨーロッパの影響を受けながら日本の音楽を再定義し、そして鶴見は、虚無の世界観をもって日本の音楽を「再解釈」しようとしている。これは本当にたのしみです。非常に革新的な作品になるでしょう。

この3人の作品を日本プログラムのコアにし、細川俊夫の現代作品を演奏する雅楽集団の伶楽舎を今回も招聘します。また、ダンスカンパニーのレニ・バッソの招聘を検討中です。そのほかにも、およそ15人の日本人作曲家による25〜30の作品を上演します。あえていうなら、注目すべきは、私と同世代の先進的な作曲家である細川と西村です。日本のプログラムは10月2日から10月9日までで、フェスティバル期間のほぼ半分を占めています。フェスティバルは日本で始まり、ドイツ・フランスのプログラムで終わります。その間にノルウェー音楽のワールドプレミア公演がいくつかあります。
日本プログラム開催のアイデアはどこから?
J: 私が1998年にフェスティバル・ディレクターの仕事を引き継いだとき、ちょうどその前年のフェスティバルで日本にスポットを当てた催しがあり、大成功を収めていました。その後2000年にも東京インターナショナル・ミュージック・アンサンブルを招聘し、武満徹の『秋庭歌』を披露してもらったのですがそれは本当に素晴らしかった。その時に彼らと、2005年の日本プログラム開催を約束したわけです。

H: 日本は1905年のノルウェー独立を認めてくれた最初の国の1つで、2005年は独立から100年の記念すべき年です。日本との文化交流プログラムをつくるべきだという提案を政府に伝え、1999年から2005年まで日本の作品を毎年招聘する案を示し、実際それを成し遂げました。

J: もちろん2005年以降も日本人の芸術家たちとの交流は続きます。日本人芸術家と何年間もともに仕事をしてきましたから多くの友人がいますし、よい関係が保たれています。私はあらゆるところに対してクオリティー求めますが、とりわけ日本はレベルが高い。ピアニストの高橋アキのような優れた演奏家にしてもそうです。日本のアーティストに限らず、こうした優れた演奏家の情報やフェスティバルのプログラムを考えるためのアイデアは、私たちが絶えずいろいろな人たちと話をする中で得ています。日本人を含む外国の芸術家を紹介しあうヨーロッパ域内のネットワークもあります。
聴衆育成を目的とするプログラムはありますか。
J: はい、かなり充実したものを用意しています。2004年は、演奏家を教育現場に派遣しました。オスロ周辺の500人あまりの音楽学校生とふれあい、コンサートを催したり、音楽について語りあったりする場を設けました。音楽教育を受けている子どもとそうでない子どもの両方にリーチするプログラムを行っています。ある若手の優秀な弦楽団があるのですが、彼らを派遣して現代音楽の演奏家と即興演奏に触れる機会を提供しています。若者たちはたいていオスロやベルゲンのオーケストラを聴くだけに終わってしまうので、あらゆるタイプの音楽にもっと触れてもらいたいと思っています。

ウルティマの教育プログラムは2週間のフェスティバル期間中の活動にすぎませんが、それでも2004年はおよそ4000人の小学生とふれあうことができました。通年にわたってこういった活動をする資金に乏しいので、期間外にも別の人たちがそのまま活用できるプロジェクトを開発しようとしています。

H: フェスティバルの教育的側面に関して言うと、たとえば、作曲科の学生のためのマスタークラスを開講しています。これも育成プログラムの重要な部分を占めています。
これらの活動の成果は?
J: 順調です。90年代前半のノルウェーの現代音楽の聴衆は1万人程度でしたが、現在は1万5000人から2万人に増えています。実際、現代音楽の聴衆は、時代の変化や音楽家の動きに応じて移り変わりがありますが、今はまだ聴衆育成の発展途上にあります。プロの聴衆が育ってくるにしたがって、国際的な高いレベルの演奏も求められていくでしょう。

ご存じのように、ヨーロッパ域内の行き来は非常に容易で安価なので、人々はコンサートのためにロンドン、ベルリン、アムステルダムなどの都市に気軽に出かけて行きます。つまり、私たちはこれらのすべてのヨーロッパの都市を相手に競争しなければならないのです。これも私たちが常に高い水準を維持しなければならない理由のひとつですし、そのためにも聴衆育成に尽力しているわけです。
2005年の日本プログラムの後、ノルウェーの演奏家を日本に派遣することは?
J: そういった交換ができることを願っていますが、必ずしも招聘と派遣が交換条件ではありません。お互いにすべてにおいて完全に独立した判断を尊重しています。私たちは、ヨーロッパの17、18のフェスティバルが集まる国際ネットワークのメンバーで、年に4回ほどパリで会合をもっていますが、そこでもこうした考え方が共有されています。

H: 国際ネットワークは、こういった考えを普及したり、芸術家に関する情報交換をしたりする場として有効に機能しています。たとえば、私たちが招聘する近藤譲は、このコネクションによってロンドン、オーストリア、ドイツでの公演が実現するかもしれません。とにかく面白いと思えば採用する。それになんらかの義務が生じることはありません。これがあるべき姿だと思います。
たくさんの日本人が音楽の勉強のためにノルウェーへ留学していると聞きますが。
J: そうなんです。実際、ヘンリクセンさんの楽団にも日本人音楽家が何人かいました。特にこの10年、ノルウェーで学ぶ日本人が増えています。ノルウェーのオーケストラで活動しているプロの日本人演奏家もいますし、私たちのフェスティバルにも日本人女性のプログラム・コーディネーターがいます。これからもこういう交流が活発になっていけばいいと思います。

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