イ・ギュソク

世界に向かって進出する
コリアン・パフォーミングアーツ

2006.08.10
イ・ギュソク

イ・ギュソクLee Gyu-Seog

1971年ソウル生まれ。1991年、高麗大学マス・コミュニケーション学部中退。1997年に若いアーチストたちとともにソウル独立芸術祭を立ち上げ、フェスティバルディレクターとして活躍。春川マイムフェスティバルとの共同企画(2000-2001)、光州ビエンナーレ公演部門プログラマー(2002)、果川ハンマダン祝祭運営委員(2002-現在)などのフェスティバルにかかわるとともに、日本のフィジカル・シアターフェスティバル(2001)、バンコク・フリンジフェスティバル(2002)などに参加。また、シンガポールのアジア・アートマーケットへの協力企画(2003)、香港シティフェスティバルでのソウルフォーカスプログラムの企画(2005)など、国際交流の現場で活躍する。2006年1月より韓国芸術経営支援センター長に就任。

韓国芸術経営支援センター
https://www.gokams.or.kr/

昨年、韓国内の舞台芸術界はもちろん国外からの注目も集めてスタートしたソウル芸術見本市(PAMS)。今年、第2回目が10月11日から14日の4日間にわたって開催される。1月に発足したばかりの韓国文化観光部傘下の韓国芸術経営支援センター(KAMS)の主管のもと、コリアン・パフォーミングアーツを世界に向かって大きく広げるイベントとなりそうだ。若干35歳という若さで、韓国芸術経営支援センター長となったイ・ギュソク氏に2006年ソウル芸術見本市と新たに発足した芸術経営支援センターについて話を聞いた。
(インタビュアー:木村典子)
若干35歳の若さで、韓国芸術経営支援センター長という役職に就かれましたが、かなり異例の人事ですね。
そうですね。僕自身も最初にお話をいただいた時はとても驚きましたし、何度かお断りしたという経緯があります。今までソウル・フリンジフェスティバル (*1) の代表を務めながら、既存の文化や制度に一石を投じてきましたから、これからは批判だけせずに文化機構の中に入り、直接やってみろということだと思います。今度は批判を聞く文化政策の設計者になったわけですから、とても緊張しています。
フェスティバルディレクターという立場で若いアーチストたちの代弁者的な活動を行ってきましたが、パフォーミングアーツの世界に入ったきっかけは?
高校、大学と演劇サークルで活動をしていましたが、夢はテレビや映画のドキュメンタリー監督でした。軍隊除隊後、映像関連の専門学校で勉強するつもりが、大学時代の友人たちと旗揚げした「SKENE」というアマチュア劇団から離れられず、そのまま演劇とかかわっていました。その時、既存世代の後ろ盾がなければ若いアーチストは劇場ひとつ借りられないという韓国独特の文化風土にかなり苦労させられました。これは僕だけではなく、多くの若いアーチストが経験する苦労であり、苛立ちです。そこで、弘大 (*2) に集まる音楽、美術、ダンス、映像、演劇などの各ジャンルのアーチストたちと自分たちの作品の発表の場として、1997年にソウル独立芸術祭を立ち上げました。
フェスティバルディレクターとしてですか?
いいえ。最初は僕も映像作品を出品するひとりのアーチストとして参加するつもりでした。ただ、弘大にあるポスト劇場で2年ほど「女性映画祭」や「女性演劇祭」などのフェスティバルの企画にかかわっていたことがあり、事務局のひとりとして運営も兼ねることになりました。結局、事務局の仕事が忙しく、作品は出品できませんでしたけどね。この時点で、自分の本意とかかわらず、今のような仕事に進路が向いてしまいました(笑)。このソウル独立芸術祭は、2002年にソウル・フリンジフェスティバルと名前を変えて、現在もつづいています。今年、10年目を迎えますが、この間、日本のフィジカル・シアターフェスティバル、バンコク・フリンジフェスティバル、香港シティフェスティバルなどの多くの海外のフェスティバルディレクターたちとも出会い、多くのことを経験し、学ばせてもらいました。韓国芸術経営支援センター長に任命されたのは、この海外交流の経験と人脈も大きいと思います。
まず、ソウル芸術見本市の主管である韓国芸術経営支援センターがどのような機構か説明してください。
韓国芸術経営支援センターは、今年1月に発足しました。韓国文化観光部の政策研究所傘下にあった専門芸術法人・団体評価センターとアジア・アートプレックスチーム、そして昨年文化観光部が臨時に組織したソウル芸術見本市事務局を統合して法人化したものです。組織は、企画支援チーム、海外事業チーム、アジア・アートプレックスチームの3パートに分かれています。主業務は、韓国の舞台芸術の海外進出をはじめとする国際交流のサポート、そして国庫助成事業に対する評価です。
3つのパートについてそれぞれ詳しくお聞きしたいのですが、まず企画支援チームの具体的な業務についてお願いします。
企画支援チームは、既存の専門芸術法人・団体評価センターの業務をそのまま受け継ぎ、専門芸術団体の法人認定、国庫助成事業に対する評価を行っています。そこに新しく芸術経営情報化とコンサルティングの業務が加わり、4つの業務を遂行します。新しい業務に関して簡単にお話しすると、芸術経営情報化は舞台芸術に関するリサーチと情報の蓄積、コンサルティングは芸術団体の運営や経営そして人材育成に対する相談窓口です。
海外事業チームは?
海外事業チームは、舞台芸術の海外交流と海外進出の促進が主業務です。この業務は大きくインバウンド(Inbound)とアウトバウンド(Outbound)にわかれます。インバウンドはソウル芸術見本市を通じて韓国の芸術団体を国内で海外に紹介していくこと、アウトバウンドは海外のアートマーケットに参加して韓国の芸術団体を広く海外で広報することです。発足したばかりで予算規模に関しては、まだ内部承認されていないのでお話できませんが、現在は予算的にもインバウンド事業に力を入れています。しかし、今後は徐々にアウトバウンド事業に重点を移行させていくつもりです。
アジア・アートプレックスチームは?
これは前金大中大統領の時から推進されてきた文化中心都市造成事業のひとつです。慶州は慶尚道の伝統文化都市、全州は全羅道の伝統文化都市、大邱はファッションデザイン都市、釜山は映像文化中心都市、光州はアジア文化中心都市に指定されています。他の4都市に関してはすでに事業が推進されており、今は光州のアジア文化中心都市造成に力が入れられています。これがアジア・アートプレックス事業です。3年前にこの事業のための特別法が制定され、大統領直属の推進企画団が結成されました。今後は韓国芸術経営支援センターのメイン事業のひとつになります。2010年には、光州に国立アジア文化の殿堂をオープンさせる予定ですが、この複合施設にはアジア文化交流センター、アジア文化創造センター、劇場、子ども知識博物館などが設置されます。
最近、国内では地方に、海外ではアジアに政府の目が向いているようですが。
韓国は地方対立が長く続いていましたが、前金大中大統領の政権時にこの対立構造の体制的な解体が始まりました。光州は長く文化的にも産業的にも疎外されてきた全羅南道の中心ですし、民主化運動による大きな傷も抱えている都市です。ここをアジア文化の中心都市に指定したのは政治的な配慮もあったと思います。また、政策的に現在ソウルへの一極集中から地方都市への国家機能の分散化が進んでもいますからね。アジアに関しては、ある程度の経済ならびに文化成長をはたし、アジアの中の韓国、韓流ブームも含めアジア文化の中心・韓国という役割を国家自体が望んでいるのは確かです。
それと同時にここ数年、海外公演する団体への助成など、政府自体が舞台芸術の海外進出を積極的にバックアップしているようにみえますが。
そうですね。映画、音楽などの分野への海外進出に対する助成制度がある程度普及し、やっと演劇やダンスなどの舞台芸術分野に着手し始めたといっていいかと思います。実際、映画や音楽は直接経済と結びつき、海外市場への進出が比較的に楽な分野です。反面、舞台芸術はなかなかそういきません。政府のバックアップが待たれていた分野です。ここにも韓国芸術経営支援センターの役割があります。
昨年、政府機関である文化観光部が臨時事務局を組織し、舞台芸術界の大きな期待が集まる中、初のソウル芸術見本市が開催されました。しかし、規模的にも内容的にもさまざまな批判があったと聞いています。今年は韓国芸術経営支援センター主管で開催されるわけですが、何か変わった点はありますか。
昨年はまったく戦略なしに、さまざまな人たちの意見を取り入れ開催されました。それが裏目にでたといえます。昨年の経験をもとに、今年は明確な戦略とコンセプトを立てています。一番大きな違いは、開催場所が国立劇場から大学路 (*3) のアルコ芸術劇場にメイン会場が変わったことです。政府機関の主管する事業ですから国立劇場や芸術の殿堂 (*4) などの施設で開催したい気持ちはわかりますが、舞台芸術の現場と人の流れと離れた場所で開催しても効果は得られませんからね。今年の予算は7億7千万ウォン(約9千5百万円)です。昨年の10億ウォン(約1億2千万円)より約2億ウォン以上削減しながらも、大学路で開催することでより大きな効果が期待できると思っています。この他、予算規模を縮小しながらも、ショーケースの作品を41作品から50作品に、海外ゲストを22カ国94名から25カ国120名に増やし、国内参加者3000名、観覧客数延べ1万人と昨年より高い目標を立てています。
大学路には40以上の劇場が点在していますが、それらの民間劇場や芸術団体との連携もあるのでしょうか?
特別な連帯はありませんが、波及効果は大きいでしょうね。海外からのゲストには大学路ツアーのプログラムを準備していますし、何よりもアートマーケット参加者が大学路に足を運ぶことで自然と韓国の舞台芸術を広く見てもらえる機会になると思います。
戦略とコンセプトとおっしゃいましたが、詳しくお聞かせください。
戦略としては、海外ゲストの構成に主眼をおきました。世界を西ヨーロッパ、東ヨーロッパ、中東、北米、中南米、オーストラリア・ニュージーランド、アジアの7地域に分け、フェスティバルディレクターよりも劇場やアートセンターなどのプロデューサーを中心に招待しています。オーストラリアを例にあげれば、シドニーにはオペラハウス、メルボルンにはヴィクトリア・アートセンター、クイーンズランドにはパフォーミングアーツセンターがあります。もし、ある芸術団体のオーストラリア公演が決まった時、この都市をつないでツアーが可能な下地作りをしておくということです。今までは各国のフェスティバル関係者が主な海外ゲストでしたが、これではひとつの都市での単独公演で終わってしまいますし、時期も限定されてしまいます。労力と投資に比べて効果は小さいわけです。また、劇場やアートセンターであれば、公演場所はあるわけですから1年中お互いの時期を調整しながら、その国の地域をつないで公演するができます。コンセプトはアジアです。これからはアジアにフォーカスを当てていかなければならない時代だとの判断からです。今回のソウル芸術見本市の特徴のひとつでもありますが、アジアからのゲストはすべて無料招待で、他地域のゲストよりも経済的な面で優遇されています (*5) 。これはもちろん経済格差もありますが、アジア内での市場形成が不可欠と考えてのことです。アジアはお互いに市場になりえる可能性を持っていますからね。またアメリカやヨーロッパではすでに地域内での市場が形成されていますし、そこにわざわざ多額を投資して参入していくよりは、アジア内での市場で注目されれば、自然と他地域の市場にも影響を与えられるのではないかと思っています。
お話をうかがっていると、既存の世代にはないとても理論的で戦略的な感じがします。
韓国の舞台芸術界は世代交換の時期に入っています。ショーケース公演を行う「2006 PAMS Choice」の選出も、プログラムディレクターシステムを導入して40代以下の各ジャンルの専門家が行いました。若い目で海外に進出可能な作品を責任をもって発掘すると同時に、韓国の文化土壌の中ではなかなか注目されづらい若く実験的な作品により目を向けさせるためです。そんな若手専門家の目で、韓国の舞台芸術の多様性と躍動性、そして同時代性をもつ演劇7作品、ダンス9作品、音楽4作品、複合4作品、その他1作品、計25作品が選ばれました。
現在の韓国の舞台芸術の状況をどのように見られていますか?
韓国の舞台芸術はとても多様で独創性に長けています。多様性の面では、1500以上の公演芸術団体が活動しており、年間7500本の作品が発表されているという数字をみていただければわかると思います。独創性の面では、演劇にしろ、ダンスにしろ、その他の舞台芸術にしろ、西洋の形式を受け入れながらも、韓国の伝統と融合させた伝統の現代化という第三の形式をもっています。多様性と独創性をもちながらも、国内の場合、これらを流通させる側は550あまりと、市場が小さいのが現状です。海外の場合も同じです。間違えなく海外でも競争力をもっている団体や作品にもかかわらず、紹介される作品はこのうちのわずか2.4%にしかすぎません。国内外の流通システムを構築することが韓国の舞台芸術の現在の課題だと思います。
海外進出は交流というより市場開拓ということですか?
交流と経済は切っては話せない時代ではないでしょうか。実質面からお話をしましょう。芸術団体の生存には、経済性の安定が不可欠です。経済的な面が安定すれば再生産、すなわち次の作品を作っていく基盤ができるわけです。しかし、国内市場には限界があるわけですから、海外に市場を広げる必要があります。芸術面では国内だけで活動していると井の中の蛙に陥りがちです。互いの文化の同時発展のためにも海外進出には意味があります。これら両極面が交流だと思います。
日本との関係をどのようにお考えですか?
今回のソウル芸術見本市で、東京芸術見本市とプログラム交流協定の調印式を行います。両国は互いにとって大きな市場ですからね。今後も積極的に交流をつづけていくつもりです。
最後にこれからの夢をお聞かせください。
今は韓国芸術経営支援センター長という仕事に全力を尽くしたいと思います。任期は5年ですが、アーチストに真に必要な、アーチストのための制度と政策を構築していきたいと思いますし、文化のための政治を作りたいですね。それと、舞台芸術の現場の世代交代が求められている現状の中で、単なる世代交代ではなく、真に意味のある変化を引き出せる仕事をしたいと思います。

*1 ソウル・フリンジフェスティバル
1997年、若いアーチストたちによって自発的に開催されはじめたソウル独立芸術祭が、2002年に名称をソウル・フリンジフェスティバルに改名。2005年には308団体が参加し、観客数も17万名に達した。韓国の人気ロックバンド<Crying Nut>、チェ・ミンシク主演の「クライング・フィスト(原題:拳が泣く)」の映画監督リュ・スンボン、劇団<ノートル>などが、このフェスティバルを通じて広く知られるようになった。

*2 弘大(ホンデ)
美術大学として有名な弘益大学が位置する一帯。このエリアは、自由な空気が漂う韓国のアンダーグラウンドそして若者文化のメッカで、つねに新しい文化の胎動が感じられる。

*3 大学路(テハンノ)
小劇場を中心に40以上の劇場が密集する劇場街であり、舞台芸術の発信地。

*4 芸術の殿堂
南江にある公共の複合文化施設。オペラ劇場をはじめ3つの劇場、音楽ホール、国樂専用ホール、美術館、書道館、芸術資料館などがある。

*5
アジアからのゲストは渡航費、滞在費、参加費が一切免除されるが、その他の国からのゲストは渡航費は自己負担。

ソウル芸術見本市2006(PAMS 2006)
会期:10月11日〜14日
会場:大学路一帯(アルコ芸術劇場、アルコ美術館、マロニエ公園野外ステージ)
主催:2006ソウル芸術見本市推進委員会
主管:韓国芸術経営支援センター
後援:文化観光部、韓国文化芸術委員会
協力:ソウル国際公演芸術祭、ソウル世界舞踊祭、ベセト演劇祭
https://www.pams.or.kr/
© PAMS

大学路にある演劇公演のポスター掲示板
© Noriko Kimura

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