ポー・チエ・チェン

台湾の新潮流
PAAと台中国家歌劇院

2019.10.28
ポー・チエ・チェン

ポー・チエ・チェンPo-Chien Chen

台中市の再開発エリアに台湾政府が推進する文化創意産業(クリエイティブ産業)の新拠点として2016年9月30日にオープンした国立劇場「台中国家歌劇院(National Taichung Theater ― NTT)」。曲線の壁面が特徴的な伊東豊雄設計の建物は、台中市の新名所になっている。そこでオープン当初からプログラミング・アソシエートとして劇場を押し上げてきたのが、インティペンデント・プロデューサーとして台湾国内外の舞台芸術ネットワーク構築に尽力してきたポー・チエ・チェン(Po-Chieh Chen)だ。

台湾の舞台芸術関係者のプラットフォーム「パフォーミング・アーツ・アライアンス(PAA)」での活動、新天地NTTでの取り組みなど、近年、多くの公立文化施設がオープンして注目を集める台湾の現状と彼女の歩みを聞いた。
聞き手:田中伸子
舞台芸術の世界に入ったきっかけを教えてください。
 12歳からダンスを習い始め、中学、高校とダンスを続けていました。卒業後にアメリカ、ニューヨークに渡り、SUNY(State University of New York)のPurchase Collegeというコンサバトリー(芸術専門学校)にダンス留学しました。そこでは踊りも続けましたが、主に振付を学びました。カレッジ卒業後はニューヨークにあるElisa Monteコンテンポラリーダンスカンパニー(MonteはMartha Grahamダンスカンパニーでプリンシパルを務めたダンサー)に入団しましたが、約2年が過ぎたあたりで他のことをしたいと思い始めました。ニューヨークにいた最中に、9.11同時多発テロが起きて外国人に対する雰囲気が悪化したというのも理由のひとつです。芸術家であろうが、学者、医者であろうが例外はなく、外国人に対して厳しく当たる状況がありましたから。いろいろな面で自由が制限され、ニューヨークで働くことにプレッシャーを感じ、「私はなぜここで働いているんだろう?」と思うようになりました。結局2004年末に台湾に戻りました。
台湾で演劇プロデューサーになろうと考えて、帰国したのですか。
 いえ、まだそういう考えはありませんでした。カレッジで版画や写真も学んでいたので、例えば美術とか写真とかに転向してもいいかなと思っていました。クリエイティブな活動にはいろいろなものがあるので、あれもこれも面白そう、私にもできるかもと思いながら前へ、次へと進んでいた感じです。というわけで、はっきりとした方向性はなかったのですが、一息ついた頃、台北のダンス・フォーラム(ピン・ヘン Ping Hengが1989年に立ち上げたコンテンポラリーダンスカンパニー)で働いていた友人の紹介で、中国伝統舞踊のカンパニーでアドミニストレーターの職に就くことになりました。国内ツアーの手配をするような仕事で、やったことがなかったので迷いましたが、引き受けました。24歳のときで、これが私の今の仕事の出発点です。そこで6カ月間働いた後、やはり知人の紹介でクラウド・ゲイト2 (林懐民 Lin Hwai-minが1973年に創立した台湾を代表するコンテンポラリーダンス集団「クラウド・ゲイト舞踊団(雲門舞集)」の国内ツアーおよび若手ダンサー・振付家の育成を担うチーム)へ転職しました。
 当初、クラウド・ゲイト2の芸術監督は私をダンサーとして採用しようとしたみたいですが、現役時代の怪我の後遺症で舞台に立つのが困難になっていたので自分はもうダンサーとしてのキャリアを終えていると告げました。カンパニー側も理解してくれて、制作チームに招き入れてくれました。それで、クラウド・ゲイト1か2、どちらで働きたいか尋ねられました。私は10代から海外に出ていて国内の状況をよく知らなかったので、2で働きたいとお願いしました。クラウド・ゲイト2で様々な地方都市を訪れ、いろいろなタイプの施設で公演を行いました。その経験が台湾の舞台芸術産業のインフラを理解する上でとても役立っています。訪れた先でたくさんの人に会いましたし、多くの学校を訪れる機会に恵まれました。そうして、地域特有の状況を知り、なぜクラウド・ゲイトがそういった場所に出向く必要があるのかを身をもって理解しました。多くの人がダンスなんて観たことも聞いたこともないという事実がそこにはありました。
事実、台湾第2の都市ここ台中でさえ、ダンスはまだまだ知名度が低い、とNTTの劇場スタッフが教えてくれました。
 その通りです。なぜかと言うと、演劇だけでなく、全てのアートが台北に集中しているからです。情報も劇場も何もかもが台北には溢れていて、人材もそこに集まっている。地方で何かを始める場合は資金調達が不可欠ですが、それには地方行政がどれほどアートに関心があるかが大きく影響します。以前は台北以外では南部の高雄、台南といった都市がアートに力を入れていましたが、台湾の中央部に芸術都市はありませんでした。なので、アート好きは北か南で芸術を楽しんでいたのです。
 台中ではアート関連のイベントの多くがこれまで無料で行われてきた背景があり、その名残なのかチケットを買って観るという習慣がありません。台中国家歌劇院(NTT)が開館してから状況が変わりつつありますが、それでもチケットを売るのは大変です。ただ、チケットを買って観る舞台にはそれなりのクオリティーがある、お金を払えば高い質のものが観られる、高い質のものにはお金を支払う必要があるということは少しずつ理解されてきています。
ポーさんの経歴に話を戻すと、台中国家歌劇院の現職に就く前はインディペンデント・プロデューサーとして活躍されていたそうですね。クラウド・ゲイトのアドミニストレーターからプロデューサーになった経緯を教えてもらえますか。
 クラウド・ゲイトを退職した後、パフォーミング・アーツ・アライアンス(PAA)で働き始めました。PAAは台湾の様々な舞台芸術関係団体がメンバーとして所属しているプラットフォーム組織です。パフォーミングアーツに関わる多くの団体、人々の声を反映し、ネットワークの構築、人材の育成、諸々の問題解決などに取り組んでいます。台湾政府と協力し、プロジェクトを運営することもあります。私は協会のスタッフでしたが、社員というより共同体の一員というポジションである程度自由が許されていたので、インディペンデント・プロデューサーとしても活動していました。
 PAAではオープンな立場でそれぞれがミーティングに参加し、活発な議論が行われていました。私はPAAで台湾のアートを取り巻く環境をさらに詳しく知ることになりました。2000年以降、国の芸術政策の核となった台湾政府文化部の文化創意産業(クリエイティブ産業)についてとか、現状を改善するためにどこを変えていけばいいのかとか‥‥。多岐にわたるアート──演劇からダンス、音楽、美術、またクロスジャンルのアーティスト、建築やファッション関連のアーティストとの共同制作プロジェクトなど、かなり幅広いアートに関わったお陰で、台湾で活動するアーティストの実態を多角的に知ることができました。そこで気付いたことは、全てを政府に一任して丸投げするだけではダメだということです。自らアプローチして政府に働きかけ、良好な関係の中で彼らが業界を上手く率いることができるように持っていくことが重要です。PAAは政府、行政とアーティストの間を取り持つかけ橋のような存在なのです。
 例えばですが、政府が新しい芸術関連の政策を打ち出しても、多くのアーティストは読みもしません。そこでPAAが率先してその情報を周知する活動を行っています。行政と対立して要求を突きつけるのではなく、お互いに協力しあう環境づくりを目指しました。
ポーさんはPAAで具体的にどのようなことを行ったのですか。
 私が働いていた時期は、国内だけでなく、国際的なコネクションを築くという新たな課題がありました。海外は台湾政府文化部の文化創意産業(クリエイティブ産業)課にとって重要なターゲットです。2000年代に入って、台湾には政府が主導する文化創意園区(クリエィティブ・パーク)が5都市(台北、台南、高雄、花蓮、嘉義)に建設されました。2010年にはその文化創意産業を国としてさらに大々的に推し進めるという、とても刺激的な政策が発表され、文化創意園区それぞれに具体的な目標が設けられました。
 例えば、台北にある日本統治時代の1914年に建設された旧・酒工場をリニューアルした「華山1914文化創意園区」には“舞台芸術を主軸とする”という課題が設けられました。「華山1914文化創意園区」はギャラリー、ホール、ライブハウス、映画館、レストラン、そしてショッピングエリアを有する総合文化、レジャー施設なのですが、舞台芸術に特化するようにという指針が示されたのです。華山は舞台芸術用の場所ではなかったので、その決定は多くの人にとって少し意外でしたが、逆に面白い決断だと受けとめられたと思います。そうなるとその舞台向きでないスペースをいかに活用するかという創意工夫が求められます。文化部は5年契約の“華山を舞台芸術で有名にするプロジェクト”の実施団体を公募しましたが、多くの団体から私たちPAAがコンペティションにより選考されました。私もこのプロジェクトに深く関わりました。
PAAはどのような事を仕掛けたのですか。
 私たちは「より多くの人々に華山を訪れてもらい、そこでパフォーマンスしてもらうこと」をゴールに決めました。いわゆる演劇愛好家ではない、演劇など観た事のない人々を巻き込み、新しい観客を呼び込むという試みです。そこで2010年に「Living Arts Festival」と銘打ったアート・フェスティバルを立ち上げました。このフェスティバルでは、従来の演劇人に向けたフェスティバルとは違う、訪れた人々が舞台芸術だとは気づかずに楽しく体験できるような、市民の舞台芸術への入り口となる新たなプラットフォームを目指しました。劇場で上演される演劇とは一味違ったツアー型演劇やゲーム型イベント、気楽に楽しめるリーディングなどを企画し、決まった時間に集まる必要のないものや、無料のイベントも多く用意しました。演劇の完成作品というよりは、人々が自然と舞台芸術の一端に触れるような企画を提案しました。例えば、アーティストに小さな小屋のようなスペースを提供して自由に使ってもらいました。あるパフォーマーはそこを「占いの部屋」と称し、観客たちと出会い、話をして、最後に彼女が書いたおみくじを渡しました。それまでのように舞台と観客が離れた関係にあるのではなく、パフォーマーと観客が直接顔を合わせ、演者が即興で言葉を創り出して披露するような、新しい舞台芸術のプラットフォームになったと思います。私はフェスティバルを通じ、観客にもアーティストにも型通りのやり方に捕らわれずに、舞台芸術への興味を培ってもらいたかったのです。
 作品上演の他に、フェスティバル期間中は毎晩のようにアーティストや役者によるトークイベントを開催しました。誰でも参加できるとてもカジュアルなもので、特に若手アーティストに多く登壇してもらい、彼らの考えていることを話してもらいました。また、オープンスペースを若いアーティストたちに提供して公開リハーサルをしたりしました。そこでも演出家や振付家、役者などのアーティストと一般の人の交流が生まれました。他に台北の実験的な演劇集団「riverbed theatre」のかなりビジュアルアートよりの作品を上演し、人気になりました。こうして演劇を身近に感じられるよう、敷居が高いものではないと知ってもらえるようにしました。
 フェスティバルでは文化創意産業の「産業」という意味で舞台芸術の生産性、経済性についても様々な試みをしました。演劇が映画やポップ・ミュージック産業のようなお金の生み出し方をしないことはもちろん承知しています。そこで、舞台芸術を利益の出る産業にするために、まずはアーティストに利益を与えることから始めました。毎年、プログラミング・チームに無名だけど可能性を秘めた作品、団体を推薦してもらい、彼らに製作費を援助して作品を仕上げてもらい、屋外や倉庫のスペースでフェスティバルの演目として上演しました。その際に、特別なシステムとして、例えば100ドルのチケットを1枚売る毎に75ドルが上乗せされる、つまりは1枚の値段以上の額をPAA側が上演団体に保証するシステムにしました。これでアーティストのやる気は確実に倍増しました。彼らもいろいろと考え、余分に入る収入で作品の質を向上したり、チケット代を安くして観客動員数、特に若い観客を増やす作戦をとるアーティストもいました。彼らにとっても舞台産業を考えるいい機会になったと思います。
海外をターゲットにした取り組みについても教えてください。
 文化創意産業の大きな狙いのひとつは、台湾の舞台芸術を海外に紹介することです。作品を買ってもらうためには、海外の人たちに見てもらわなければなりませんが、その頃は台湾に舞台芸術の国際的なショーケースの場はありませんでした。そこで世界各地の舞台芸術見本市、カナダのCINARS や韓国のPAMS(ソウル芸術見本市) 、日本のTPAM(国際舞台芸術ミーティング in 横浜) などを回り、広報しました。台湾での本格的な舞台芸術見本市の開催はまだ難しい状況ですが、年間20〜24本の海外作品―演劇、ダンス、音楽、古典芸能、人形劇などを台北へ招聘しました。「華山1914文化創意園区」には本格的な上演施設がないので、大規模な作品を紹介するには限界がありました。そこで台湾政府文化部と相談し、3年目からは国家両庁院(ナショナル・シアターホールとコンサートホール)と協力体制を組み、作品の規模に応じた場所で上演できるようになりました。
 台湾政府文化部、そしてフェスティバルの主な助成団体である財団法人国家文化芸術基金会(NCAF)にとって、舞台芸術における国際市場進出は最重要案件でした。台湾は人口2300万人強の小さな国です。その上、台北に人口が集中しているため、そもそも国内に舞台芸術の広がりがありませんでした。そこで、政府は海外との関係を強化し、様々な人たちと混ざり合い、意見を交わしながら新しいものを創造していくような環境づくりを進めたいと考えました。この方針に従って、私たちもPAMSなどに積極的に出向いて意見交換を行い、台湾の舞台芸術を広報しました。以前は国際的な舞台を観るために人々が台湾を訪れることはなかったと思いますが、近年では、台湾にも観客が訪れるようになってきました。また、台湾発のユニークな作品が海外で認知されるようになってきたとも感じています。台湾ではニューメディアや美術のインスタレーションを演劇に取り入れた作品が多くつくられています。それらのつくり手である若いアーティストたちにとって、フェスティバルの一環で行ったインターナショナル・ショーケースはとても有効なプラットフォームになりました。海外からのキューレーターや演劇関係者に作品を見てもらう絶好の機会でもありますし、台湾のアーティストたちが海外で起きていることを知る貴重な機会になりました。国毎の違いに気づき、興味を持ったアーティストが他の国の人たちとコラボレーションをするきっかけにもなりました。
 このように、2010年からの5年間で人々は新しい観点から物事を見るようになり、台湾の文化創意産業にとって重要な、有意義な期間になったと思います。徐々に国際的なネットワークも築かれ、台湾の作品がオーストラリア、アデレイドのOZAsiaフェスティバルに呼ばれたり、シンガポールやカナダの劇場から招待されたりといったケースも出てきたのですが、世界ツアーを組んで実施する、ツアー興業ができるアドミニストレーターが台湾の劇団の中にいない。海外の要望に応える作品があるのに、それを海外へ持ち出す人材がまだ育っていなかったのです。
 そこで、2014年にPAAで台湾、日本、韓国、オーストラリアの4カ国を繋ぐアジア・プロデューサーズ・プラットフォーム(APP)を立ち上げました。年1回各国のインディペンデントプロデューサーや、経験の浅いプロデューサーが集うキャンプを実施していますが、他国の状況、それぞれの問題点などを知るのにとても良い機会となっています。その後、さらに7つのプラットフォームを立ち上げました。例えば「中国語で書かれた戯曲」のプラットフォームは中国語圏のシンガポール、マレーシア、中国などの劇作家を繋ぐ役目を果たし、またデジタルメディアに関するプラットフォームではヨーロッパとも繋がりました。PAAの活動が台湾の舞台芸術関係者に国際的視点を持つことの重要性を気づかせるのに大きく貢献したと思っています。その他に、PAAでは台湾の舞台芸術に関する調査、芸術団体のデータベースの管理などを行っています。
資料によると、ポーさんは同時期にPerforming Arts Network Development Association(PANDA)にも関わっていますね。
 PANDAは4人のインディペンデントのアート・アドミニストレーターが始めた非営利の組織です。主にプロデューサーや個人の舞台芸術関係者がネットワークを構築するための機関として機能しています。事務所は存在せず、登録しているメンバー間のプラットフォームとして、何か要望があれば我々がそれに対処していくという形をとっています。アドミニストレーターが何か困った時にPANDAに連絡し、そこで情報やアイディアを共有してみんなで解決していくための一種のシェアリング・グループです。団体に所属している人、個人でやっている人、舞台関係、音楽関係など立場はそれぞれ異なりますが、何かあったときに相談できることを目指しています。
そして、2015年、台中に新しくオープンした伊東豊雄設計による台中国家歌劇院(NTT)のプログラミング・アソシエートに就任されます。
 NTTの初代芸術監督、王文儀(Victoria Wen-yi Wang)さんが台北アーツフェスティバルの芸術監督をしていた時に、仕事で何度かご一緒しました。その縁で王さんから誘われてNTTに移りました。これまで劇場付きで働いたことがなかったので、劇場で実際にプログラミングを担当するのも面白そうだと思ったからです。PAAはどちらかと言えばR&Dの要素が強く、実際に作品をプロデュースすることはなかったので、チャレンジしたいという気持ちもありました。それまでリサーチの机上で「なぜ」と思っていた様々な問題に、実際問題として直面することになり、かなり違うことを実感しました。特にNTTは政府が出資している劇場ですから、当然のことながら多くのミッション、従わなくてはならない制限があります。全てがリサーチよりも切実な現実の問題として降りかかってきました。問題を遠巻きに批判するのではなく、その直中でなんとか解決しようと覚悟を決めました。そして、日々、奮闘を続けています。
実際に劇場で働いて予想外だったこと、難しいと感じていることはありますか。
 文化発展の途上にある台中で劇場運営することは、特に難しい任務だと思っています。NTTは2016年にオープンし、テレビでも新聞でも大きなニュースとして取り上げられましたが、台中市民の中にはいまだにこの建物が何なのかを知らない人がたくさんいます。その原因のひとつはニュースの焦点がいつもこのユニークな建物に当てられ、そこで行われていることについてあまり報じられないところがあるからです。人々は伊東豊雄設計の建物を見るためにNTTを訪れますが、それが何のためのものなのか、何が行われているのかを知っている人はまだまだ少数です。開場以来、それが大きな課題になっています。そんな市民にチケットを購入してもらい、劇場のイベントに参加してもらうには時間がかかります。正式なオープニング前年の12月に、プレゼンテーションの意味も兼ねて1カ月の無料上演イベントを試みましたが、それでもまだ足りません。なぜなら台中にはこの劇場ができる前には“コンテンポラリー演劇”なるものは存在していなかったからです。お芝居、ダンスと言った類いはあったかもしれませんが、その中に“コンテンポラリー”と付くものは含まれていなかった。市民にとっては“コンテンポラリーって何?”から始まるのに、皮肉なことですが、上質なコンテンポラリーの舞台芸術を国内外に発信することが私たちNTTのミッションになっていました。
 屋外での無料上演イベントでフランスからラ・マシン(La Machine)カンパニーを招聘し、前庭で自作の巨大メタル製楽器によるライブ交響曲演奏会『La Symphonie Mécanique』を行いました。また、同時期に招聘したスペインのサーシャ・シアター(Xarxa Teatre)は最新メディアを駆使した色鮮やかでスペクタクルな演目『Veles e Vents』で集まった多くの観客を沸かせました。これまで観たことのない、全く新しいパフォーマンスを目の当たりにして、来場者はこんなアートもあるんだと目を輝かせていました。その様子を見て、「これはやれる!市民の多くが、実は舞台芸術に好奇心を抱いている」と私たちは希望を持ちました。今では開館時よりも多くの人たちが、ここの活動を好意的に受け止めてくれていると感じています。彼らは台中に自主プログラムを行う劇場ができて良かったと思ってくれているのではないでしょうか。なぜなら台中には他に地方文化センターという貸館しかないからです。
ポーさんは1年前から現職のクリエイティブ・エンゲージメント部のアソシエート・マネージャーに異動されましたが、当初はプログラミング・アソシエートとして仕事をされていました。プログラミングについてはどのように考えていましたか。
 舞台芸術のプログラミングにあたっては、まだ基礎となるような作品上演が必要だと考えています。劇場のオープニング期間には意図的に大掛かりな作品、巨匠の作品、ハイ・カルチャーな作品などを選んで取り上げました。それはそれで刺激的でしたが、あくまでも特別な機会だったからです。
 時には、度肝を抜くような作品、有名人が出演する作品、海外の著名な作品、台湾の巨匠による作品などを上演することも必要です。しかし、舞台芸術はそれだけではなく、新しい才能がつくり出す作品、実験的な作品などの中にも上質なものが沢山あります。ですが、無名ではチケットが売れない現実もあります。観客に舞台芸術とは何なのかが十分に浸透していなかったオープニング当初はなおさらです。ですから、プログラミング・チームにいた頃は、この作品を届けるために、どうしたら観客とコミュニケーションを図れるだろうかと常に考えていました。アーティストと話し合い、彼らの考えていること、意図を観客に伝えようと常時トークなどを行い、多くのアウトリーチプログラムを企画しました。でもまだ足りていないところは沢山あるので、これからも観客に参加してもらう機会を増やし、アートの可能性についてみんなで探っていきたいと思っています。それがNTTの大きな役目のひとつだと考えています。
 今では笑い話ですが、当初のプログラム、例えばクラウド・ゲイトの作品「ムーン・ウォーター(水月)」のプログラムには、「モダンダンス ムーン・ウォーター」とタイトルのところに、モダンダンスなのか、演劇なのか内容がひと目でわかるような表記を入れていました。台中の観客たちにはそのような説明書きが不可欠だったのです。当初は映画館のように、劇場に来てから演目を確認する観客も多かったですし、チケットを購入して客席に移動して観劇するという基本的なシステムを理解していない人も多くいました。上演中に携帯電話の電源を切らないで使う、飲食をするなどは日常茶飯事でした。観劇の上級者以外は初心者が大半で、中間層がいなかったのです。とは言え、彼らの舞台芸術への好奇心が旺盛なのは明らかなので、全てはこれからだと思っています。毎回必ずポストトーク、プレトークを行っていますが、本当に沢山の人がトークに参加し、熱心に耳を傾けています。NTTの観客は台北と比べても若い人が多いというのがひとつの特徴になっていて、今は観客たちが私たちの提供するものを貪欲に吸収している段階だと思います。これからもっと自主的にいろいろな提案、アイディアなどが出てくるのではと期待しています。
クリエイティブ・エンゲージメント部のアソシエート・マネージャーとしてはどのような取り組みをされていますか。
 この部署は劇場のエデュケーション部門で、舞台芸術の地域社会への普及活動を行っています。ですから、今の私の目標は、なるべく多くの人に出会って関わること。そのために多くの課外活動やイベントを企画しています。作品を選んで上演するプログラミングでは、通常、すでにできあがっている作品を扱いますが、アート・エデュケーションの現場には最初は何もありません。私たちが、アーティストと劇場、そして観客、もしくはコミュニティーの間の橋渡し役になります。ある意味、プログラミングよりも挑戦的な仕事かもしれないと思っています。
 私たちはアート・エデュケーションのスタッフであるとともに、作品制作の一過程を担うチームの一員であると理解しています。アーティストと一緒になって新しい可能性を探っていくのはとても面白いですし、アーティストにとっても創作を離れてエデュケーションという別の役割に携わるのは有意義なことだと思います。エデュケーション・プログラムをどのように組み立てればいいか、若い観客にどのように伝えればいいか、高齢者とワークショップをする時には何が大切かなど、作品創作とは違った視点からアート、演劇を考え、幅広い年齢層の観客について知るとてもいい機会になっているようです。
 アート・エデュケーションではプロの演劇人向けのもの、一般の観客、学校、ファミリー、高齢者向けなどのプログラムを用意しています。他にも、さまざまなトピック──オペラ、クラシック音楽、ダンスのテクニック、演劇の技術面などに関して、それらを深く探求するサロン形式の会も開いています。会では、専門家、アーティスト、その分野の研究者などを招き、デモンストレーションを交えながら学んでいます。また、デザイナー、ドキュメンタリー映画の監督、写真家、フローリスト、脚本家などを招いて「美とは何か?」など一般的なテーマでのトークイベントも企画しています。これらすべての基本にあるのは「他の人の意見を聞いて、それについてみんなで話し合う」ということです。ありがたいことにこれらのプログラムはとても人気があります。そこで私たちスタッフは直接人々と触れあい、生の声を聞くことができます。それがとても重要なのです。
 チケットを買ってもらうことが目的ではありませんが、こうしたトークやサロン、ワークショップや無料イベントが劇場へ通じるドアの役割をしてくれていて、多くの参加者が次の機会にはチケットを購入するお客様になってくれています。

Living Arts Festival
2010に台北「華山1914文化創意園区」で第1回が開催された舞台芸術と現代美術展のフェスティバル。5年間という期限付きで毎年10月に約1カ月間開かれた。台湾のアートを国内外に広く発信するという目的の他に、地元のアーティストたちの市場を開拓するという役目も担っていた。2014年にはWei Wu Yin Living Arts Festivalと名前を変えて開催された。その後は台湾南部の都市、高雄(Kaohsiung)の衛武営国家芸術文化センター(National Kaohsiung Center for the Arts ─ WWY)にフェスティバルの運営が移ったことで台北でのLiving Arts Festivalは終了し、新たにWeiwuying Arts Festivalが始動した。

台中国家歌劇院
National Taichung Theater (NTT)

2005年の国際コンペで最優秀者として選ばれた伊東豊雄の設計による洞窟のような曲線建築が特徴の地上6階、地下2階の国立劇場。大(2,007席)、中(794席)、小(200席)の3つの劇場の他に屋外円形劇場、屋外ガーデンスペース、ギャラリー、数カ所の展示スペースなどを備えた最新の総合文化施設。建設まで、また着工後もその複雑な建築構造から紆余曲折があり、2016年9月に前衛的演出のオペラ「ラインの黄金」でこけら落としを迎えた。初代芸術監督は王文儀(Victoria Wen-yi Wang)。2018年6月からは国家交響楽団(National Symphony Orchestra)でエクゼクティブ・ダイレクターを務めた邱瑗(Joyce Chiou)が芸術監督に就任。オペラ演目上演の充実に取り組んでいる。
https://www.npac-ntt.org/index

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