ピン・ヘン

台湾の新文化行政〜
半NPO化した台北国立劇場

2006.09.27
ピン・ヘン

ピン・ヘンPing Heng

国立中正文化中心芸術総監
2004年、国家戯劇院と国家音楽廟を擁する台北の顔「国立中正文化中心(国立文化センター)」は、運営予算の3分の1を自主調達するという体制に移行。プログラミングはもちろん予算配分から人事体制、マーケティングまで女性の新芸術監督の手にゆだねた。

「競争力のある総合舞台芸術施設」をめざすピン・ヘン芸術総監に話を聞く。
(インタビュアー:ジャパン・ソサエティー芸術監督 塩谷陽子)
あなたが芸術監督に就任された台湾の国立舞台芸術センターについて紹介してください。
国立舞台芸術センターは来年創立20周年を迎えます。このセンターには2つの大劇場と2つの小劇場、計4つの劇場があります。2000席のコンサート・ホール、350席のリサイタル・ホール、1500席の国立劇場、180席の実験劇場です。これらの劇場を運営するための年間予算は、シャンデリアや空調の電気代なども含めて、米ドルにして3千万(約35億円)。そのうち事業費は約800-900万ドル(約10億円)。自主事業の公演は年間350公演、レンタルの公演が650公演ほどです。
ここは以前までは国立の機関であり、国が運営する舞台芸術センターでした。しかし、2004年3月に新しい制度が導入され、「パブリック・コーポレーション」という組織に改編されました。それによって予算の3分の2は国から、残りの3分の1は自分たち自らの手で稼ぎ出すという新体制になりましたが、代わりに、我々は予算の使い方や人事の方針などを自由に操作できるようになりました。
例えば国立だったころは、このセンターに就職したいと思う人は国の定めたある種の試験をパスすればよかった。その結果、「試験はできるけれど、舞台芸術のことやアーツ・アドミニストーレションには暗い」というスタッフを抱えることになってしまい、しかもそうして採用された人は、いたいと思えばここでずっと働き続けることができたのです。でも、新制度の下では、私たちが求める人材を、正職員についてもパートタイムについても自由に採用することができます。当初は契約ベースで採用し、後に本採用に切り替えるといった選択肢もあります。
つまり(同センターの設立以来)17年経ってようやく、新しい人材を迎えることができるようになったということです。実際90人ほどの旧スタッフが早期退職をしたり、他の国立機関に転職しています。新制度はとても良い変化だと思っています。とは言え、「パブリック・コーポレーション」の制度が制定されてから2年も経つのに、この制度を導入した組織はいまだに私どもだけです。
なぜですか?
国は、この新制度の下で競争原理が働いて、諸団体が人々に対してより多くの、そしてより優秀なサービスを提供するようになって欲しいと考えています。大学やギャラリー、あるいは美術館などでは、実際に新制度に改編したいと思っているところは数多くあると思います。自分たちの裁量で経営や運営方針を決められるわけですから。でも同時に、この制度に改編することの難しさも知っているのです。国の傘下にある時には、別段努力もせずに訪れて来る人々を受け入れていればよかったけれど、パブリック・コーポレーションになれば、自ら働きかけてアウトリーチをしていかなければなりませんから。
ペン・ピンさん自身の経歴について教えてください。
6歳からバレエを始め、大学時代には様々な種類の舞台に出演していました。ニューヨーク大学の大学院に進んで最初の1年はダンスを専攻し、2年目には、ダンスの記譜法やその他ダンスに関わる多くの授業を取りました。その頃---23歳でしたが---自分はプロのダンサーではなくアドミニストレーターになるべき人間だと気づきました。
台湾に戻ってから、台北ダンス・ワークショップというのを興しました。まだ「ワークショップ」という言葉が中国語になりようのない時代でした。同時にブラック・ボックスの実験劇場「Crown Theater(皇冠劇場)」も開いたのですが、この手の劇場も1984年当時はとても斬新なものでした。ワークショップの指導者を主に米国から招き、その成果を年末に発表するという運営は、当時ニューヨークのDTWがやっていた事業と同様のものです。台北ではモダン・ダンスと言えば「グラハム・テクニック」しか存在してなかった時代に、リモン・ダンス・カンパニーのジム・メイや、リサ・スタインバーグといった人々を招聘していました。様々な手法があるのだということを紹介したかったのです。
その後、作曲家と共に作品を作りたいと思っている振付家たちのために、作曲のワークショップも始めました。毎年ジュリアード音楽院から講師を招き、若い台北の振付家たちと実験的な作品を試みたり即興をしたりしました。こういったことを5年ほど続けた後に、「ダンス・フォーラム台北(舞蹈空間)」という自分のダンス・カンパニーを立ち上げました。なので、ここの芸術監督に就任する前は、約10年間、自分のダンス・カンパニーと実験劇場のディレクターとして活動していました。振付家ではなく経営責任者ですから、あくまで私が振付家を雇うという立場です。
国立舞台芸術センターのような巨大な組織とダンス・カンパニーや実験劇場ではかなり規模が異なります。
ダンス・フォーラム台北は、スクール、劇場、カンパニーを合わせてもスタッフ数20人の組織です。いまのこのセンターには(常駐オケではあるがその経営は別個に独立した国立交響楽団 National Symphony Orchestra = NSOを含めずに)230名の人々が働いていますから、確かにサイズは桁違いです。ただ、この職場に来る前、96年から99年までの4年間、私は台湾で初めてのNPOとして発足した「舞台芸術同盟(Performing Arts Alliance = PAA)」の議長を務めていました。そこで、様々な舞台芸術団体や個人の舞台芸術家からなる200名の意見をまとめ、国との交渉なども行っていた経験がとても役立っています。また、このセンターの演目選定のためのダンス評議委員を長年、折りにつけて務めていた経験も役立っています。
先ほど、運営費の3分の1の予算を稼がなければならないとおっしゃいました。どのようにして資金を調達しているのですか?
ボックス・オフィス、センター内での物販、駐車場、それから劇場のレンタルからの収入です。それとほんの少し、企業からの寄付などもあります。
ピンさんが就任されてからどのような改革をなさったのですか?
NSOは別にして、同センターは10の部署で構成されています。これまでスタッフはただ上司の言う事に従っていればいいだけでしたが、新体制の下で大切なのは、各部署が自らの意思で考え、自らの部署の計画を立てて行くことだと思っています。
それで、着任してからスタッフを大きく3つのセクションに分けました。舞台公演そのものを司るアーティスティック部門、マーケティング部門、そして管理部門です。一番大きな変化があったのはおそらくマーケティングの部門でしょう。なにしろ、観客・顧客によりよいサービスを提供するというのが組織全体の目指す方向性なのですから。例えば、センター内の物販テナントを増やすというのもマーケティング部門の仕事ですが、これもただ単にテナント料が増えればいいというのではなく、公共に対してベストなサービスは何かという観点で対応する必要があります。
以前のマーケティング部門は、とにかく公演を広報することだけに集中していました。しかし、今後は、センター全体のイメージ向上を図るという仕事のしかたをしなければなりません。来年創立20周年を迎えるにあたって、実は今CIを一新しようと考えていて、毎月発行している雑誌『パフォーミング・アーツ・リビュー』もリニューアルしたところです。上演時に配るプログラムの内容に意を凝らすより、この雑誌で上演演目についてより深い情報を掲載することにしました。例えば、先の7月号では、8月に大規模なジャズ・フェスティバルを開催するのに併せて、ジャズのイロハからからQ&Aまで40ページもの「ジャズ特集」を企画しました。
この舞台芸術センターの公演事業はどのように企画されていますか?
国の傘下にあった時は、毎年1月から始まる「年度」の予算は、その年の3月や4月にようやく知らされるという具合でした。つまり、予算のわかった時にはもう残りの年度期間は3分の2程度しかないということです。しかも予算を繰り越すことはできず、与えられた予算は12月までに使い切ってしまわなければならない。こんな調子ではまともな公演事業の計画はできませんし、特に海外からゲスト・カンパニーを招くことなど不可能です。
でも新体制の下では、長期の計画を立てることが可能になりました。国は、向こう3年間は同額の予算を割り当ててくれることを表明していますし、その先の3年間についても「毎年3%減の後にいったん見直し」というラインで進められることが約束されています。つまり今現在、向こう6年間分の予算が立てられるということです。
国立劇場(1500席)での公演について言えば、全体の7割が地元台湾のカンパニー---演劇、ダンス、そして伝統芸能等の公演を、自主事業として主催しています。地元の団体でこの劇場に見合った規模のプロダクションで毎年定期公演ができるのは、せいぜい10団体しかありません。クラウド・ゲートが年に2回、ネオ・クラシック・ダンス・カンパニーが年1回、国立北京歌劇団が年2回の定期公演を行っています。こうした大型のカンパニーにとっては、定期的に新作発表ができる場になっています。残りの3割も自主事業で、海外からのカンパニーの招聘公演にあてています。国立劇場でのレンタル公演はほとんどありません。
この舞台芸術センターができたばかりの頃は、海外の大型の劇団をよく招聘したのですが、ほどなく国は、こういったプロダクションは金を垂れ流すばかりであるとして、より保守的な演目やあるいは収入の見込みが立つ大衆的なプロダクションばかりを主催するようになりました。海の外で起こっていることから自らを隔離してしまったのですから、これは致命的なことでした。
私の前任者で新体制導入前の3年間、芸術監督を務めたツォン・シン・ジュ氏が海外とのコミュニケーションを再構築しようと努力したのですが、それでも我々が海外のカンパニーを呼べる枠は非常に限られています。例えば02-03年のシーズンには3団体、04-05年には4団体といった程度です。これまで招聘した団体は、例えばオランダのネザーランド・ダンス・シアター、スウェーデンのクルベリ・バレエ、日本の勅使川原三郎のダンスカンパニーKARAS、スペイン国立バレエ。昨年は英国のDV8、フランスのマギー・マラン。今年はベルギーのローザス、そしてカナダのカンパニー・マリー・シュイナールなどまで広がっています。
世界の大物ばかりですね。チケットの売り上げはいかがですか?
徐々に向上しています。ただ台湾では、バレエのチケットの方がずっと売りやすいという認識があって、海外のコンテンポラリー・ダンスを呼んで来るエージェントがほとんどいない。そのため台湾の人々はこうした海外の著名なコンテンポラリー・ダンスのことをあまり知りません。このセンターがメインの、というよりもほぼ唯一の招聘元なので、一般の人々にこれらを浸透させるには時間がかかります。
そんな中で、昨年やったDV8の公演は特別でした。DV8の台湾デビューだっただけでなく、新作を持ってきたために海外での評判もわからなかった。そこで我々は、事前にできるだけDV8の作品が露出するような機会を作りました。まずは公演の2週間前に彼らの作品のフィルム上映会をしました。それから公共放送のTV番組でもとりあげてもらいました。そうやって、生の舞台を観せる準備を整えた結果、3日間の公演チケットはめでたく完売となりましたし、観客の反応も非常に良好なものでした。
その他の海外カンパニーのチケットの売り上げは、2003年にクルベリ・バレエが『白鳥の湖』を演って75%、同年の勅使河原三郎の公演は85%。2004年のスペイン国立バレエ---これは結構ショックだったのですが60%。同年のチューリッヒ・バレエが92%。2005年のマギーマランが95%。ダンス公演は実に良い数字になってきていると思います。
私たちは、できるだけ多岐にわたった様々な作品を紹介したいと思っていますし、それが台湾の人々にとってとても大切なことだとも思っています。ただ、この「多岐にわたって」というのが曲者で、ひとつのまとまった観客を開拓するという意味においてはこの方針が障害になります。観客にある種の習慣を植え付けたいと思っているのですが----例えば日本であれば、ネザーランド・ダンス・シアターやピナ・バウシュなどはしょっちゅう公演しますから、観客は「次はどんな作品なのかな?」という期待をします。でも私のところで上演できる海外招聘枠はとても限られていますから、何年かに一度やってくるというサイクルを作り上げるしかないんです。
2000席のコンサート・ホールの事業はどのようになっているのでしょう?
国立劇場とはかなり違っていて、こちらでの自主事業は全体の25%で、残り75%はレンタル。しかも25%のうちの半分は常駐オケのNSOの定期公演ですから、本当の意味での自主事業はたったの1割程度ですね。台湾では音楽のマーケットが巨大なので、このホールのレンタル希望はとても多いのです。我々としてはその要望に応えるために、レンタル用の日数を確保する必要があります。
ただ「レンタル」とは言っていますが、単純なレンタルではありません。私たちはホールの使用に本来かかる経費の3割引きでレンタル料金を設定していますから、借りる人に対して貸し館料を支援しているのと同じです。なので、借りるには、「申請」と「審査」が必要です。レンタルの申請受付は年2回。審査委員が、その申請書の内容から芸術的な質を吟味して選びます。申請者が多いため、3分の1は不採用です。しかも採用されたからといって希望の日程を確保できる保証はありません。
また、利用者の内、少なくとも3分の1のコンサートを我々で雇った専門家が聴きに行き、評価をしています。このホールを使うコンサートの水準を保つために最近になって始めました。自主事業については6ヶ月毎のカレンダーを制作していますし、観客に無料プログラムを配布しています。
180席の実験劇場の事業はどうなっているのでしょう?
来年の創立20周年の準備として、同センターが台湾の舞台芸術に及ぼした影響についてリサーチを進めているのですが、その結果わかったのは、台湾中の中小規模の実験劇団、ならびにコンテンポラリー・ダンス・カンパニーは例外なくすべて、この実験劇場での公演実績があるという事実です。つまり、この実験劇場が続けてきた公演シリーズによって、地元のカンパニーの新作を過去20年間ずっと後押ししてきたということなのです。
このシリーズは折り折りに名称を変えてきましたが、近頃「ニュー・アイディア」と名付けたところです。特に実験的な作品をつくる団体は、その活動の初期の段階には私がかつて運営していたCrown Theaterで公演し、キャリアが成熟してくると、ここの実験劇場で上演の機会を与えられる、という経緯をたどっているのが一般的です。「ニュー・アイディア」シリーズの下では、毎年、約5つのダンス・プログラムと5つの演劇のプログラムを主催しています。
実験劇場では、小さな団体にできるだけ多くのチャンスを与えるということが運営方針の核になっています。彼らには思い切って実験的な作品をやってみるよう勧めています。劇場を借りる財力は無く、ボックス・オフィスの収入でプロダクション・コストをまかなうことなどもちろん不可能なのですから、実験劇場で公演できるチャンスを、自助努力ではぜったいに上演できないような思い切った作品のために使うべきだと思いませんか。
国立舞台芸術センターのプロデュース企画にはどのようなものがありますか?
例えば、昨年3月にある人形劇団とNSOの共演というプロダクションをプロデュースしました。題材は『火の鳥』です。こういうコラボレーションを実現させることは、我々の援助なくしては人形劇団には絶対に不可能ですし、同時にNSOにとっても希有な経験となりました。彼らのコンサートはとても人気があっていつもチケットは完売ですが、彼らが舞台ものの伴奏を務める機会などほぼありませんから。国立劇場でやったこのプログラムは、5公演すべて完売でした。
来年は、国立北京歌劇団がやはりNSOと共演をします。つまり北京オペラが西洋楽器を取り込んだプロダクションをやるということです。果たしてどんなものが出来上がるかはまだ未知数ですが、こういったコラボレーションはアーティストにとって新しい経験ですから、その刺激によって何か新しい方向性に目覚めてくれればと思っています。
フェスティバルなどのプログラムはありますか?
かつては年間の公演を単純に決めてゆくというやり方でしたが、私が着任してからは、シーズンごとにテーマを設けたり、一定の切り口で選んだプログラムを集中して上演したりという方法をとり始めました。例えば昨年始めた「ダンス・イン・スプリング」というのは、いわばフェスティバル的にダンスの公演を一期間に集中させて打つというやり方です。また、新しい現代もののプロダクションは春に、伝統ものやクラシックなものは秋にまとめています。
また、私の着任前から続いている「ワールド・シリーズ」という国別特集もあります。2003年は英国、2004年はフランス、昨年はロシア、そして今年はドイツがテーマです。来年は20周年事業に集中するのでこのシリーズは休みますが、翌年はフィンランドかスウェーデンあたりがテーマになるのではないでしょうか。
日本の団体が国立舞台芸術センターに招聘される可能性についてはいかがですか?
ここに就任する前のことですが、私は「リトル・アジア」というプロジェクトを手がけていました。1997年にスタートさせたもので、東京・香港・中国、そして台湾の実験劇場が共同で始めた演劇の交換プロジェクトです。その後1999年にこのプロジェクトは東京・台北・香港・メルボルン(またはシドーニ)、そして後にソウルが加わったダンスのネットワークに発展しました。毎年、各都市にいるキュレーター各自がソロ作品を踊る地元のアーティストを推薦し、毎年持ち回りでキュレーターのうちの一人が「世話役」となって5人のアーティストのためのショウケースのプロダクションを仕立て、5都市をツアーさせる、そういうプロジェクトです。
2004年にこのプロジェクトに参加したアーティストたちは、台北に3週間滞在して共同でひとつの新作を作ったのですが、この5人はレジデンシーの終了後もコミュニケーションを絶やさなかった。そのうちにメルボルンのアーティストが助成金を得たことで、5人はまた来年の春にオーストラリアで一緒にレジデンシーができることになり、その時に作られる予定の作品が、メルボルンと香港で公演された後、この実験劇場で上演することになっています。今のところその程度ですね。
フェスティバルで日本は特集しないのですか?
そういえばどうして今まで日本を特集していないのでしょう。台北のノーベル・ホールという930席の劇場は、クラウド・ゲートの創設者で振付家のリン・ウェイミン氏が芸術監督をつとめる「ノーヴェル・ダンス」というコンテンポラリー・ダンスのシリーズをやっていますが、この中で日本をテーマにしたものを近年やっていたはずです。確かレニ・バッソやダムタイプなどが参加していたと思います。日本テーマはとても面白いと思いますが、ただどれも高額ではありませんか?
近頃は「海外ツアーも可能な作品づくりを」という意識を持ったカンパニーも増えているので、かつてほど大きな負担を強いられることはありませんよ。
経費的にクリアーされるなら、日本特集を検討してみるべきですね。

この記事に関連するタグ