国際交流基金 The Japan Foundation Performing Arts Network Japan

Artist Interview アーティストインタビュー

2022.7.8
北尾亘 Photo by Kenji Kagawa

Wataru Kitao’s “Mind Beyond the Frame”
Driving Baobab and Dance × Scrum!!!

ダンス

北尾亘の“フレームを超えるマインド”が牽引する BaobabとDANCE×Scrum!!!

ダンスカンパニーBaobabを主宰し、振付家、ダンサー、俳優として活躍する北尾亘(1987年生まれ)。コロナ禍で国際交流基金が立ち上げた多言語字幕付きオンライン配信事業「STAGE BEYOND BORDERS」(https://stagebb.jpf.go.jp)で公開したBaobab Re:born project vol.6『笑って!額縁』(額縁=フレームを超えようとする衝動を描いたレパートリー作品『笑う額縁』の映像バージョン。北尾のソロインタビューから和室でダンサーにお見合い形式でインタビューする自己紹介映像へとつながり、コロナ禍で人がいなくなった渡航制限下のからっぽの空港でエネルギッシュな群舞を展開)が約30万回再生を数えるなど、若い世代の支持を集めている。総合芸術としてのダンスを志向するとともに、2016年にはフェスティバル「DANCE×Scrum!!!」を立ち上げるなど同世代のリーダーとして活躍する北尾のロングインタビュー。
聞き手:乗越たかお(舞踊評論家)

Baobab Re:born project vol.6 『笑って!額縁』
振付・構成・演出:北尾亘
製作:国際交流基金

新しい関係をつなぐDANCE×Scrum!!!

北尾さんは自分のダンスカンパニーBaobabの他にも様々な活動をされていて、演劇公演に俳優や振付で関わられることも多いです。特筆すべきは、28歳のときに自らが芸術監督として立ちあげたフェスティバル「DANCE×Scrum!!!」(以下、Scrum)です。Scrumは2016年に豊島区立舞台芸術交流センター・あうるすぽっとを会場に隔年開催でスタートし、今年7月に第4回を迎えます。枠組みを説明していただけますか。
 そもそもは、アーティスト同士が出会ったり共闘したりライバルになったり、そういう場を生み出せればいいなと始めました。同時にアーティストと観客の間の壁をできるだけなくして、スクラムを組むようなボーダーレスな関係を結べないかと思いました。過去3回の出演者は合わせて41組、アーティストの人数は150名を超え、延べ1,000人以上の観客と出会いました。
出演者はどのように選んでいますか。
 オファーするアーティストと公募で選出するアーティストがいます。最初の2回は35歳未満という年齢制限を設けて若手を打ち出していましたが、3回目から年齢制限を撤廃しました。我々も歳を取ったのと、Scrumの内容が多様になってきたからです。

 オファーするアーティストはScrumに継続して関わってくれている人や、フェスティバルの意図と気質を理解してくれている人です。ただ、必ず新しい出会いがあるように流動性をもたせてバランスをとっています。公募は毎回選出するメンバーを変えています。第4回はオンラインも含めて19歳から50歳代まで約30組のエントリーがありました。公募の出演者数は第1回から11、14、16組と増えていて、今回はオンラインプログラムを含めて20組です。Scrumの規模も大きくなってきたので、次の展開を考える時期かなと思っています。
劇場のステージ上だけではなく、主に若手がホワイエ空間で上演するのも人気です。
 あうるすぽっととの共催事業としてスタートしたので、劇場全体を使い切ろうと思いました(第4回はBaobabの単独主催)。ホワイエでアーティストがアクティングエリアをそれぞれ自由に設定し、観客は回遊しながら見る。ホワイエの空間をどう切り取って見せるかも作品の重要な要素になります。観客も間近でダンスの興奮や情熱に出会えますし、ホワイエと劇場内を行き来しながらどっぷりダンスに浸かってもらえればと考えました。
若いダンサーにはとてもいい経験になります。出演者も「この空間をこうしてやろう」みたいな意気込みがすごい。
 フェスティバルと銘打つ意義はそこだと思っています。ただコロナ禍ではディスタンスを取らなければならず、前回はホワイエでの交流をほとんど持つことができませんでした。その代わりに始動したのがオンラインプログラムです。
コロナ禍では多くのフェスティバルがオンライン開催になりましたが、どのように取り組んだのですか。
 劇場での上演を収録し、編集した映像をオンラインで東京以外の日本全国、世界にも発信しました。実際にやってみて、これからの時代は映像の視点からダンスを発想する可能性に興味をもつアーティストもいるのではないかと感じました。そういうオンライン配信に対する意識の変化について僕自身も知りたいので、今回も劇場プログラム以外の目玉として取り組んでいます。
Scrumを立ちあげた当初、インタビューを受ける度に「同年代のアーティストとの交流」を盛んに呼びかけていました。北尾さんは1987年生まれで、同年代で活躍しているダンサーが多くいます。古家優里(1983)、中村蓉(1988)、岡本優(1988)、木原浩太(1988)、川村美紀子(1990年)、小暮香帆(1990年)、中川絢音(1991年)など。北尾さんはミュージカルの子役の出身で、その感覚に比べるとダンスの世界は横のつながりがなさすぎるのではないか、と危惧されていました。
 はい。ダンスの人々は個々の活動に集中していて、ダンサー同士の交流や、互いに刺激し合う関係性が少ないように思いました。ただScrumを続けるうちに、どうも違うらしいとわかってきた。実はダンサー同士のつながりは結構あって、僕たちBaobabがコネクトしてなかったというか、離れ小島のようになっていただけだったのではないかと‥‥(笑)。
北尾さんと同じ桜美林大学出身の中川絢音さんも似たようなことを言っていました。
 桜美林大学があまり大学のダンス部などが参加する外部のイベントに積極的ではないことに加え、僕自身の演劇活動も盛んだったのでそちらとの関わりが強かった。Baobabに声がかかるのもKYOTO EXPERIMENT、静岡のストレンジシード、多摩1キロフェスなど、演劇系のフェスティバルばかりでした。僕らの作品には俳優の出演者も多く、台詞を使うことも多かったので。
つまりダンスカンパニーというより「ダンスが多めの劇団」だと思われていた(笑)?
 そうかもしれません(笑)。終演後に「思ったよりダンスだった」と言われたこともありましたから。若い頃は、荒削りでも爪痕を残すためにフェスティバル毎にものすごく考えて作品を作っていました。Scrumはそういう場であって欲しいし、そもそも若いダンサーが無茶苦茶なエネルギーを発揮できる場が少ない、それなら自分たちでやろうという思いがありました。そのためにも継続していくことが重要だと思っています。
いま、特にアジアはダンサーが主催する小さくてユニークなダンスフェスが活発で、相互に連携しながら活動しています。Scrumも公募を含めて海外のフェスとつながっていくと良いですね。
 本当にそうしたいですね。
UMU -うむ-

DANCE×Scrum!!!2020 Baobab『UMU -うむ- future edit.』
(2020年12月/あうるすぽっと)
Photo by bozzo

Baobab

Baobabは2009年、北尾さんが桜美林大学の学生だった時に結成しました。
 僕は桜美林大学には演劇を学ぶつもりで入学しました。将来、ミュージカル俳優としてバイプレイヤー的にやれればと思っていたのですが、木佐貫邦子先生に出会って褒めていただき、「僕、ダンスでいけるの?」という感じで気がついたらダンスに逸れていました(笑)。もともとクラシックバレエやストリートダンスをやっていましたし、当時の桜美林はダンスと演劇がかなりボーダレスだったので学内公演で俳優活動もしていました。

 同じく在学中に旗揚げした範宙遊泳の山本卓卓は大学の同期で、入学したときから本当に仲が良くて、同じクラスで演劇の授業を受けたりしていました。在学時から範宙遊泳の公演に出演したり、企画公演では逆に僕の脚本・演出作品に卓卓くんに出演してもらったりもしました。ちなみに桜美林では卒業制作で作品を発表したりしますが、僕の卒業制作は4年生が主催して行っているオムニバス公演での企画・運営が研究対象で(Baobab上演作は『アンバランス』)、どうすれば企画が継続・発展できるかを分析しました。それほど意識していたわけではないですが、Baobabの単独公演も念頭にあって公演の仕方について興味が向いていたんだと思います。
BaobabはKYOTO EXPERIMENTの若手企画として旗揚げ公演を行いましたが、そこから数えると創作した作品数はかなり多いですよね。
 本公演での長編作品は今年14作品目になりました。何作かはバージョンが複数あり、フェスティバルに参加する度に短編も創作しているので、ソロも入れると30作品くらいはあります。
若手の登竜門である横浜ダンスコレクションやトヨタ・コレオグラフィ・アワードで拝見したときには「身体が利く」のが印象的でした。トヨタのファイナリストに選ばれ、オーディエンス賞を受賞した『vacuum』は、北尾さんを含む9名のダンサーが思い思いのカラフルな柄シャツにバミューダパンツというストリート系の出で立ちで、上へ下へと激しい群舞を見せ、コンセプト重視の頭でっかちな作品に対抗して動きで突破していく衝撃がありました。
 実は『vacuum』は、言葉と身体の関係をあれこれ試行錯誤していた時期の作品で、最初はもっと演劇的でした。トヨタはダンスの賞なのでダンスに振り切って再構成しました。元のバージョンを審査映像資料として見ていただいた演出家の長塚圭史さんからは「なんでダンスに振り切ったの?」って言われましたけど(笑)。
ちなみにBaobabでは作品の中でテキストを使うことが多いですが、それは北尾さんが書いているのですか?
 僕が演劇を諦めたのは「脚本は書けない」と自覚したからです。でもダンスの中のテキストは、筋を語るものではありませんし、身体に対する言葉が必要なので、僕が書いたり、キャストの俳優さんと一緒に作ったりしています。
北尾さんのクレジットは最初の作品から「振付・構成・演出」になっていて、演劇的な志向を感じます。
 そうですね。僕はダンスも演劇も好きなので、総合芸術として広い視野の作品になるように意識しています。ムーブのひとつひとつを振付、空間デザインを含めて構成と呼んでいます。アイデアや抽象的なモチーフだけで創るのではなく、しっかりした構成や演出が必要だと思っていて、おそらく相当演劇的な作り方をしているのではないでしょうか。それにスペクタクル好き、SF好きという自分の嗜好もあって最後は劇的なものを求めるし、そういうところは振付というテリトリーとは違うことをやっているなという認識があります。

 作り方としては、最初に楽曲とともにシーン毎のプロットのようなものを立ちあげます。作っていく中でそれを書き足したり、順番を組み替えたりして、「あ、筋が通った」っていう感じです。ただこういう思考の仕方はダンサーとは共有しづらい。でも俳優がいて一緒にクリエーションすると、彼らはその飲み込みが凄く速いんです。枠をはみ出したくてワークショップ的なことをやると俳優は全然違う視点から投げかけてくる。それを見てダンサーたちが感化される。ただ動けばいいというのではなく、自分の個性を伸張した上で何が出来るかを思考しはじめるんです。一方で俳優は、身体の面白さに感動してそこを極めようとする。僕は、そういう風通しの良さが作品を多角的なものにしてくれると思っていて、そういったところが演出的な作業になっています。

 初期の作品は、「とにかく目の前のパフォーマンスが豊かであれ」「このダンサーや俳優たちを見てくれ」という思いが優っていました。でも、アイデアや好奇心だけでは作れなくなる予感がして、2013年の『家庭的 1.2.3』(“家庭的”とは?をモチーフに、仕草や家庭的だと感じる言葉を使ったラップの群舞を展開)あたりから、徐々に自分が生活する中での感覚をリアルな手がかりから描くようになっていきました。
そうなると、自分の中身をさらけ出すことになりますよね。
 最初は恥ずかしかったです。そこを出して拒否されたら立ち直れない(笑)。ただその分、作品について思考する時間は大きく増えました。そういうこともあり、吉祥寺シアターで上演した2018年の第11回公演『FIELD-フィールド-』(舞台をテープや鉄パイプのオブジェで仕切ったフィールドで、17名の個性的なダンサーがスネアドラムや笑い声などをバックにスポーツ競技のアスリートのような身体バトルを見せる)から映像兼ドラマトゥルクとして中瀬俊介さん(*1)に加わってもらいました。
どうしてドラマトゥルクを迎えようと思ったのですか。具体的に中瀬さんはどんな風に関わるのですか。
 中瀬さんは作り手側や作品全体の意図を汲み取る考察が鋭くて。以前、野村政之さんや長島確さんなど、演劇でドラマトゥルクとして活動されている方と話したときに舞台から遠く外れたところまで思考が広がっていて驚かされましたが、中瀬さんも同じです。それでメンターに近い関係になれるのではと思って声をかけました。

 彼には僕の手が及ばない部分へのリサーチをお願いしたり、構成についても相談しています。稽古場では、演劇の強力な演出助手のような立ち位置で僕の横に付いてもらっています。中瀬さんは常に全体を把握して、違う視点が必要だと感じると投げかけてくれます。彼はダンサーではないので、思考がダンスに特化していないのも重要な点だと思います。
『FIELD-フィールド-』には振付家でもある中川絢音(水中めがね∞)、中村駿(ブッシュマン)、下島礼紗(ケダゴロ)、橋本ロマンス等が参加しています。この頃は、そうした作品もつくれるダンサーが大勢出演した舞台が続きました。2019年の『ジャングル・コンクリート・ジャングル』(都市をイメージした空間デザインの中でさまざまな命の躍動を表現)には岡本優(TABATHA)、鈴木竜(eltanin)、小林利那(スッポンザル)など21人が参加しています。出演者はオファーですか? オーディションですか?
 主な人はオファーですが、半分はオーディションです。橋本ロマンスさんはオーディションを受けてくれて、「自分もカンパニーを作っていきたいので、劇場で活動しているカンパニーを偵察に来ました」って(笑)。すごくいいなと思いました。

 この頃は、ダンサーを増やして、集団の規模を大きくすることに可能性を感じていました。いろんな人と作ってみたいとか、オーディションを試してみたいとか、Baobabを認知していない人にも届けたいとか‥‥。『FIELD-フィールド-』のときには、「この作品ではアスリートたちの闘争や競争を演出したいし、クリエイターばかりが集う場所にもしたい」と説明しました。そうしたらみんな周りをよく見ながら自分にできることを探してくれて、極めてクリエイティブな現場になりました。
FIELD-フィールド-
FIELD-フィールド-

『FIELD-フィールド-』(2018年9月/吉祥寺シアター)
Photo by Manaho Kaneko

ジャングル・コンクリート・ジャングル
ジャングル・コンクリート・ジャングル

『ジャングル・コンクリート・ジャングル』(2021年10月/あうるすぽっと)
Photo by Manaho Kaneko

北尾さんたちの世代は主宰者がカンパニーの壁を越えて交流することに抵抗がないというか、とても仲がいい。以前だったら、他のカンパニーに出演するなど考えられませんでした。
 そうですね。今はすごく横断するようになっていると思います。ボーダレスになっているというか、ユニットも含めて所属クレジットが4つある、みたいなダンサーもいます。おそらく「自分のカンパニーを継続しているだけでは行き着けない部分がある」と肌で感じていて、いろんな所に出向かないと活性化していかないという危機感があるのではないでしょうか。中川さんや下島さんなどは、それで引き受けてくれたんだと思います。
最近のBaobabで特筆すべきなのが、過去作品の再創作シリーズ「Re:born project」(*2)です。過度な新作主義で、作品を深める機会が少ないと問題視されてきた日本のコンテンポラリー・ダンスに一石を投じる企画です。
 『笑う額縁』のように10分のショートピースで生み出して、何度も作り直しているレパートリー作品はありますが、数年前までは僕もけっこう新作至上主義でした。ただ30歳を超えてくると自分自身が摩耗している感覚がありました。公演ごとにコンセプトを定めるとしても、そこにルーツがあればと思いました。演劇ですでにある戯曲を扱うように、例えばシェイクスピアのこの戯曲をやるとか、関わる関係者、座組にとって道しるべになるようなものがあればと思いました。

 コンテンポラリーダンスで新作を作り続けるのは毎回ゼロからのスタートです。僕の中で構想を膨らませていざクリエーションに挑んでも、まずそれをダンサーとシェアすることから始めなければならない。例えるならどうしても浅漬けみたいな感じになってしまう。それでちょっとしっかりぬか床に漬けた作品をやりたいと思いました。いずれ古典もやりたいですが、これまで作ってきた作品が溜まってきていたのでまずはそれをリクリエーションしようと。それで生み直しというイメージで「Re:born」と名付けました。創作から10年を超えた作品と現在の自分を照らし合わせることで、将来に繋がる太い幹のようなものになっていくんじゃないかと思っています。
笑う額縁
笑う額縁

Re:born project vol.4-5『笑う額縁』
(2022年1月/KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ)
撮影:大洞博靖

クリエイションの方法

クリエイションの方法について伺いたいと思います。ムーブメントはどのように作っていくのですか。
 様々なやり方をしていますが、ワークショップ形式が多いです。作品のテーマを伝えたところでダンサーにアンケートを採ったりもします。「カラダが熱狂状態になるために必要な運動(ムーブ)は?」とか。もしも「風」がテーマだったら、僕とダンサーがそれぞれ風の動きを作って照らし合わせ、自分の風はあなたの予想を上回ったかとか、二人の風の捉え方は何が違うのかとか、話し合ったりします。言葉や音楽からインスピレーションをうけて作ることもありますし、シーン毎に作り方が違うんです。ただ、最終的に8割くらいは僕が振りを作ってダンサーに手渡しています。
出演者によって北尾さんの振付のアウトプットが変わってきますか。
 変わります。初期は出演者に合わせて作品のテーマが変わったこともあります。いまは早い段階で僕からひとつ振りを手渡し、僕の身体言語をシェアしながら、まず共通言語づくりに従事する。次にダンサーから発想をもらったり、身体を投げ出してもらうようなラリーに入いります。
空間デザインはどうしていますか。
 美術や照明を含めて空間には非常にこだわりがあります。美術に坂道を作って動きにくいとダンサーに文句を言われたりしますが(笑)。総合芸術であるダンスは身体だけのものではないと思っていますし、唐組の紅テントの演劇(ラストに舞台奥のテントが開いて空間が屋外と一体化する「屋台崩し」が見所)や野田秀樹さんの演劇にように世界が反転するようなスペクタクルをダンスでできないか、いつも考えています。
音楽は?
 中瀬さんに相談することもありますが、ほぼ僕が決めています。そこはガンコに貫きます(笑)。ただ、世代間のギャップについてはいろいろ考えています。中学1年生の子が宇多田ヒカルを知らないとか、若い子がスティーヴ・ライヒにめちゃめちゃ反応するとか。なにが響くのか、実験しながら探っています。
『ジャングル・コンクリート・ジャングル』では、エド・シーランの曲をかけながらダジャレを言って、煽っていました。
 関西のノリもありますが、あれには理由があって。「TikTokやSNS時代のいま、同じ楽曲で同じダンスばっかり踊っていませんか?」と問いかけたかった。それで流行のド真ん中のエド・シーランをユーモアで裏切ったらどう感じるんだろう?と思って、やってみました。
いま音楽業界に続いてダンスの世界でも大きな存在になってきているTikTok世代をどう見ていますか。
 一長一短ですよね。映像作品としてのダンスと舞台芸術の違いについては日々考えていますが、僕にとって重要なのは立体的な身体です。コンテンポラリー・ダンスに魅力を感じたのも、360度どこから見られても耐えうる肉体の美意識と空間デザインにおける自由さがあったから。しかしTikTokには常にカメラに対する正面性しかない。あの画角に収まることが全て。もちろんダンスが普及するのはいいことだし、そのための強力なツールであることは間違いありません。しかし画角の中の世界だけがダンスというのは、身体にとって少し不健康なんじゃないでしょうか。
TikTokの縦長映像は、左右の情報を遮断して視聴者の意識を中央の身体に集中させる効果があると言われています。その反面、舞台芸術に求められる「身体を含めた空間全体をデザインし、認識する感覚」が失われていくかもしれませんね。
 苛立ちを覚えるのは一部のアイドル系のライブ映像です。失礼ながらダンスとしては複雑ではない振付を、何台もあるクレーンカメラが動き回ってダンスのフォーメーションが劇的に変化する映像を作り出している。ダンサーよりも、カメラの方がよっぽど“踊っている”んです。若い人の多くは、それだけを見てダンスに出会うことになってしまう。僕は他にも違う世界があることを作品を通して、あるいは学校の授業やワークショップとかを通して紹介していきたいと思っています。
確かに舞台空間をいっぱいに使った群舞はBaobabの特徴になっています。
 集団で踊ることで身体の叫びを轟かせたいという思いがあります。最終的に必要なのはカオスで、それが起きないと枠組みを超えるほどのエネルギーに出会えない。

 構成にも絡む話ですが、群舞では同時多発的に違った振り付けを展開し、常に複数の出来事が起こるようにしています。客席によって見え方が違うので、1回ではすべてを把握し切れないだけの情報量を作品の中に宿す。それがダンスをきまった画角でしか見られない映像との違いですし。同じ作品を見ていても、別の席に座っていた友人とは違う景色が展開するのがBaobabの作品だと、常に意識しています。

 既視感を感じさせずに、観客が「なぜこうしたんだろう?」と考えたくなるようにフォーメーションや時間をずらし、観客に突き刺さる景色が偶発的に起こるように心がけています。ダンサーと俳優が混ざることで、違う偶発性が生まれるんです。技術のラインが整うことで無くなってしまうものがあるので、振りは綺麗に揃わなくてもいい。これらはBaobabを結成した頃から直感的にやっていることで、いまも一貫して探求し続けています。

広がる個人の活動

北尾さん個人の活動について伺いたいと思います。現在はゴーチ・ブラザーズに所属して、振付家、俳優として、柿喰う客、KUNIO、木ノ下歌舞伎、ロロなどで幅広く活躍しています。
 基本的には依頼されたものをお引き受けしている形です。演出家は「人間(出演者)をどうコーディネートするか」まで意識が向いているので、学ぶことが多いです。
そもそも子役出身なので俳優としてのキャリアは長いです。
 そうですね。初舞台は5歳で、毎年のようにミュージカル公演に出演していました。ミュージカル以外の舞台芸術を知らずに、偏った世界のまま人生の3分の1ぐらいそこで過ごしました。でもそのおかげで、いま出会う現場は演劇もダンスも新鮮で、発見の連続です。

 子役は中学生になると大人との境目で、演じる役が急速になくなってくる。僕は本格的に大人の俳優を目指して大学に進みましたが、そこでダンスを再発見した。そもそもミュージカル出身なので、芝居、歌、ダンスの複合が舞台芸術だという認識がある。ダンスだけ、演劇だけの振れ幅のない作品にはワクワクできませんでした。そういう舞台を見ると「もっとこうすればいいのに」と思うこともあって、その欲求がBaobabを続ける原動力になっている気がします。僕はあれこれ手広くやっていると思われがちですが、僕なりの論理は一貫しています。そういう多様なインプットがなければ、今日のようなBaobabの表現にはなっていないと思います。
木ノ下歌舞伎の『黒塚』で演じた強力太郎吾はとても印象に残っています。
 あのときは木ノ下歌舞伎と杉原邦生さんの演出方法にどっぷり浸かって、翌年発表の『TERAMACHI』(2014年。京都の寺町通りという歴史と観光が共存する地での営み、昼夜の明暗に想を得た作品)でも応用させていただきました。特に歌舞伎の「完コピ」(映像を見ながら歌舞伎の所作・演技を完全にコピーするもの。古典を真似るのが目的ではなく、自分の身体ではコピーできないことを自覚するためのもの)は、古典を現代の身体で作り替えていくためのステップだと思いました。それで、ストリートダンスなど海外のダンスを日本人である自分の身体に落とし込む上での裏付けをもらえた気がしました。
演劇とダンスを融合した『となり街の知らない踊り子』(山本卓卓の作・演出。他者への無関心や無意識の暴力など描いたテキストを投影した文字と、街で生きる人々、電車、犬など25役を踊り分ける北尾がコラボレートしたひとり舞台。2015年初演)も90分間、動きっぱなし、しゃべりっぱなしで驚かされました。
 初演は本当に怖かったですし、終わったときは人生観が変わりました。『○○階から望む~集合住宅編~』のアフタートークに卓卓くんを招いたときに、舞台を見て、「いつか一対一で作りたい。北尾は自分の作品だと作り手として冷静に見てしまう。その枷を外し、北尾のプレイヤーとしての可能性を掘り下げたい」と思ってくれたそうです。
どのようなプロセスでクリエーションしたのですか。
 暗中模索でした(笑)。テキストは全く上がっていないのに、卓卓くんはどんどん架空の人物の設定を振ってくるんです。例えば、「Aさんは45歳で独身。平日は休みで動物園に来ている。趣味はストリップ観劇」という人物に振り付けをしてくれと。それをAさんからHさんくらいまでやって、全員に振付をして、そこにテキストが加わり、最終的にそのなかのいくつかを反映してまとめ上げていきました。
北尾さんが何役も演じ分け、人間以外の電車とか、最後は「生まれてこなかった未来の子ども」まで演じていました。テキストと動きを使う作品はありますが、全編、コラボレーションしてこれほどうまくいくのは奇跡的です。そもそもつくり方から違っていたのですね。
 共生・共存している感じでした。ダンスの作品で言葉を使うとポエムになりがちなんです。身体の状態に言葉を乗せると、発語からしてそうなってしまう。ただ僕は子どもの頃からシェイクスピアをやったり、劇団四季の方法論を学んだりしていたので、俳優として役を立ち上げる自信はありました。その上でのこの舞台だとは思います。すごく刺激的でしたけど、フルマラソンみたいな感覚で、同じ方式でもう1度はちょっとできないかもしれませんね。
2020年にNYでも公演しました。ACCフェローシップで6カ月間NYに滞在していた山本さんに呼ばれて上演しました。ベッシー賞にもノミネートされましたよね。初演から4年後では台詞もすっかり抜けていたのでは?
 僕は一人で横浜の急な坂スタジオにこもって稽古をしましたが、さすがに台詞はすっかり抜けてた(笑)。ただ特殊な作り方をしていたおかげで、動きを思い出せば台詞がスーッと出てきた。動きと言葉がセットになって身体にインストールされていた感じです。

 この舞台はギリギリ上演できましたが、2020年は新型コロナが大流行して多くの公演が中止になった。それでベッシー賞もグランプリ等は選出せず、全員ノミネートでした。僕が帰国したのが1月20日ぐらいで、空港にはすでに新型コロナの感染源とされた「武漢」の文字があちこちにあったのを覚えています。
となり街の知らない踊り子

Festival/Tokyo まちなかパフォーマンスシリーズ
ドキュントメント『となり街の知らない踊り子』

(2021年12月/あうるすぽっと ホワイエ)
Photo by 鈴木竜一朗

コロナ禍をこえて

作り手として北尾さんがいま興味をもっていることは何ですか。
 Re:born projectにすごく手応えを感じているので継続したいと思っています。それと、古典の名曲、たとえば『ボレロ』などに挑んでみたいですね。今の自分がこの曲に挑む意味を明確にした上でですが‥‥。

 僕はずっと「疑うこと、裏切ること」を重視してきました。自分の発想を疑って、裏切りを持って新たなムーブを生み出していく、作品を生み出していく。最近はそういう自分の方法論や思考を整理したいと思っています。ちょうど赤レンガ倉庫の小野晋司さんから「振付家としての海外に向けたステートメントを作ってみてはどうか」とアドバイスされて、いま取りかかっているところです。ずっとBaobabを見てくれているファンで、一番理解してくださっている本屋の店員さんにインタビューしてもらっています。
北尾さんぐらいの世代だと、前の世代とは見えている世界が違うと思います。自分たちの踊る環境や創作する環境についてどのように捉えていますか。
 正直に言うと、海外のフェスティバルをバンバン回って国際的に活躍していた世代のカンパニーに参加したこともないし、そういうあり方に実感がないんです。僕個人やBaobabがようやく海外に羽ばたきはじめた矢先にコロナ禍で、3年が経ってしまった。若い頃にダンス界と馴染みが薄かったこともあるかもしれませんが、とにかく目の前のことをやって、続けていきたいです。続けたいのにできない事が一番悲しいので、若い世代に向けたScrumなどのアプローチをしているのだと思います。

 僕はダンスだけ見ていたわけではなく、ミュージカルや演劇など外部に目を向けていて、そこにライバル意識をもって闘志に変えてきました。エンタテインメントも含めて幅広く活動いているのは、ダンスだけでは食い扶持を稼げないということもありますが、ジャンルを超えてアーティストとつながれる広い視野の持ち方は僕の個性だとも思っています。いろんなところに顔を出してアウトプットとインプットを繰り返す。そしてカンパニーを守る。そこはブレずにやっていきます。
コロナ禍で考えられたことはありますか。
 いろいろなことを見直す時間がありました。海外の仕事が中止になったことで、逆に日本の事を改めて考えました。オリンピックの関連事業「東京キャラバン」(*3)で高知と富山に行ったのですが、地元の伝統芸能やその地に根ざしたいろいろな分野のアーティストと作品を立ち上げる作業が充実していてものすごく楽しかった。しかも、それから地元同士でも連携のなかったダンスや演劇のアーティストの繋がりが続いているらしいんです。

 僕らは外様でお邪魔しただけですが、一緒に作り上げたものがその地に新しい根ざし方を育んだ。これって化学反応が起きたということですよね! 僕は人と人の繋がりや新しく生まれる関係性にすごく喜びを覚える質で。たまたま自分の一番得意なツールがダンスなので、それが一助になったってことが嬉しかったです。日本で知らないことも、出会っていない人もまだまだ沢山なので、そこには大きな可能性を感じています。門戸が開けば、それは海外にも広がっていくと思っています。

 Baobabの作品としては常に新しく研ぎ澄まされたものを創ってアウトプットする。一方で、ダンスの間口が広がり人との関係性を紡げるようなことにも積極的に携わり続けたい。その両方が僕の願いです。

*1 中瀬俊介
1983年生まれ。映像作家、ドラマトゥルク。和光大学文学科在学中からライブコンサートの映像演出などを手掛ける。2009年、2012年に世界を1周し、2014年にPerformance Projectデルトーカを発足。2017年にBaobabに加入し、北尾亘とともに作品の創作に関わる。他に、岡本優、笠井叡、中村蓉、中屋敷南の振付作品に映像演出で参加。

*2 Re:born project
2021年からRe:born projectと銘打ち、これまでに『アンバランス』(21年)、『ジャングル・コンクリート・ジャングル』(21年)、『UMU -うむ-fusion edit.』/『笑う額縁』(22年・2本立て公演)などをリクリエーション。

*3 東京キャラバン
東京2020オリンピック・パラリンピックの文化プログラムを先導する東京都のリーディング・プロジェクトとして2015年からスタート。「人と人が交わるところに文化が生まれる」をコンセプトに多種多様なリーディングアーティストが日本各地に出向き、さまざまな文化混交事業を展開。