前川知大

若者の日常生活を怪奇現象と絡ませる
劇団イキウメ・前川知大の劇世界

2008.12.24
前川知大

ⓒ 阿部章仁

前川知大Tomohiro Maekawa

1974年新潟県柏崎市生まれの劇作家、演出家。東洋大学文学部哲学科卒業後の2003年に活動の拠点とする劇団「イキウメ」を結成。SFや哲学、オカルト的な世界観を有した独自の作風で常に話題を集め、国内の演劇賞を多数受賞する。
そんな国内での活動に加え、2019年に韓国・ソウルで『散歩する侵略者』、2021年には『太陽』が韓国人俳優により上演された。2023年に国立チョンドン劇場で『太陽』が再演された際には、ダンス作品の『太陽』もあわせて上演されている。
2022年、フランス・パリでのイキウメの海外公演『外の道』も好評を博し、近年ではさまざまな言語(フランス語、韓国語、スペイン語、英語、ロシア語、アラブ語、中国語)での翻訳版の出版が続いている。2023年上演の舞台に対して贈られる読売演劇大賞では『人魂を届けに』が最優秀作品賞を受賞。

イキウメweb

SF、ホラー、オカルトといったアイテムに彩られた作風で、身近な社会に出現したセンス・オブ・ワンダーな世界を描き、注目を集めている劇団「イキウメ」の前川知大。人間に乗り移った宇宙人、天国でもない地獄でもない場所、過去の事実を書き換えていくタイムマシンなどの怪奇な存在が、独特の雰囲気と人間観をもって前川ワールドを展開する。現代の小劇場シーンにおいてプロデュース公演など、劇作家、演出家として引っ張りだこの前川に劇作のエッセンスを聞いた。
聞き手:岡野宏文
前川さんは新潟県柏崎市の出身で、高校生の時にドロップアウトして、料理人になりたくて上京したという変わった経歴をお持ちです。劇作を始める前の経歴についてお聞かせください。
 僕の父親は庭師で、絵を描いたり、音楽をやったり、バイクに乗ったりするような人で。僕はそういう父親の影響を大きく受けています。高校生の頃から好きな料理でアルバイトをしていて、1年生の半ばからは学校にも行かないでしょっちゅうバイクでうろうろしていました。結局、高校2年の1学期を終えたところで、学校とは肌が合わなくて中退し、本格的にアルバイトで資金を稼いでは旅に出るという生活を始めました。
どのあたりまで旅をしたのですか。日本の果てまで回ったとか(笑)?
 果てまで……いや意外と中途半端で、北海道には行けてないですねえ。九州にも行ってない。なぜか本州をうろうろしていました(笑)。その代わり、本州は、山口県を除いて全ての県に行きました。四国は大学の時お遍路で回りました。
料理人を目指して上京した前川さんが、なぜ劇作を始めるようになったのですか。
 半年ぐらい飲食業でアルバイトして、料理人目指して調理師免許を取りました。その頃、インテリの兄に触発されて、それまで本というものをほとんど読んだことがなかったのに気付き、映画と漫画ばっかりじゃダメだ、本を読まなきゃと。でも、何を読めばいいかわからない。日本文学より海外文学の方が偉いだろうぐらいの認識しかなくて(笑)、それで古本屋に行ってそこにある岩波文庫をゴッソリ買ってきて、片っ端から読みました。
友達もいなかったし、バイトしながら本を読むという生活を続けていたら、兄の友人が勉強がしたいのならと、大検の存在を教えてくれたんです。それで大検専門の予備校に通い、大学に進学しました。高校を中退した時に親からは勘当同然だったのですが、予備校に通うと言ったら喜んで授業料を出してくれましたね(笑)。
旅をし、料理の修業をし、また文学に親しむという生活の中でどんなことを考えていたのですか。
 仏教関係の本をよく読んでいたこともあり、禅の考え方に惹かれていました。バイクで旅をしてた時も、よく名もないお寺に立ち寄ったりしていました。野宿もできるし、たまに住職さんと話す機会があったりすると、うーん、結構いいこと言うなって思ったり。仏教建築や仏教美術も好きで、仏像やお寺は真言密教のほうが格好いいとか(笑)。みうらじゅんさんといとうせいこうさんが、各地の仏像を自分の感性で面白く見て歩く「見仏記」を雑誌で連載されていましたが、僕もそういう感覚でした。別に信心しているわけではなく、仮面ライダーやウルトラマンに登場する敵キャラに憧れるみたいに「あそこの千手観音はマジ格好いい」なんて思っていました。だから、今でも僕の脚本にはそういう要素が出てきますね。
それと、アメリカのビートジェネレーションの考え方や、それからのカウンターカルチャーの流れも肌に合いました。禅の影響を受けているような作品世界が好きでした。
東洋大学哲学科に進学されてから、演劇を始めるまでのプロセスをうかがえますか。
 最初は映画を撮りたいと思って、映画研究会に入部しました。ちょうど映画がフィルムからビデオに切り替わる時期で、僕は、ビデオは安いし融通も利くのでビデオで撮影したいと思ったのですが、その映研ではフィルムに固執していた。じゃあいいや、自分でやろうと思って、大学4年間は、バイトして資金を稼ぎ、友達を集めて映画を撮っていました。でも、役者の弁当代から交通費まで監督が制作費を準備するのが自主制作映画の常識ですから、とても続かなかった。
大学を卒業して、ブラブラしていた時に、僕の映画に出てくれていた俳優のいた「東京23区外劇団」が公演をやるというので見に行ったんです。芝居にはあまり興味がなかったのですが、いったいどうやってこういう劇団の公演が成り立っているのか不思議だったので、聞いてみたら、そしたら、みんなでお金を出し合って劇場やスタッフの費用を支払い、役者は自分のノルマ分のチケットを売り、結局一人当たり数万円負担すれば公演できるというんです。驚きのシステムでしょ。役者にギャラを出すんじゃなくて、払わせるなんて、スゴイなって(笑)。それでできるんだったら、僕に脚本を書かせてくれって頼みました。これが芝居を始めたきっかけです。
1本目の脚本は上演されなくて、一度俳優を経験した方がいいと言われた。俳優がいて、演出家がいて、脚本があって、スタッフワークがあって、劇場に入ってという芝居の流れみたいなものがつかめるからって。やってみましたが、俳優は僕には向いてないというか、やらされている感じが納得できなくてダメでしたね。それから脚本・演出をやるようになり、2003年にその劇団の何人かのメンバーと新しく「イキウメ」をつくりました。
前川さんの作品は、SF、ホラー、オカルトといったアイテムに彩られています。例えば、最新作は「図書館的人生vol.2盾と矛」という4話のオムニバスでした。賽の河原で亡者が天国にいくために中間管理職のような鬼に単純労働させられるというアイロニカルな『亡者』、暴漢に襲われた若者を家に招き入れた夫婦が善良であるがゆえにその若者に支配されていく『懐石』、宇宙人が秘密兵器(ソレをみると幸福感に襲われて身動きできなくなり死にいたる)で地球侵略を企てる『幸福』、喜怒哀楽が顔の表情ではなく身体の筋肉反射になってしまう男の悲喜劇『帝王』と、前川ワールドのエッセンスが詰まっていました。
 当初からそういう自覚があったわけではなく、周りから指摘されて気付いたという感じです。振り返ってみると、確かに小学生の頃からオバケ好き、妖怪好きだったとか、お寺や神社の雰囲気が好きだったということはありました。特に、水木しげるの「妖怪大百科」は好きでしたね。僕の通っていた創立110年の古い小学校の校舎にもいろんな心霊エピソードがあって、それをネタにして「心霊新聞」をつくったこともあります。そういうものに対する興味や好みが、僕の作品づくりの根っこにはありますね。
科学でほぼこの宇宙の全てを説明できるはずだけど、まだその途中にいるので説明できない一連のものごとが存在する──そういうスタンスで心霊やオカルトを見ると、大変面白いですよね。
 僕もそう思います。科学ってやつでまだ説明できない部分を宗教が肩代わりしているだけ、あるいは悪魔だの呪いだのそういったオカルトのロジックで説明を付けているだけ。ということは、その科学で説明できない領域は自由に想像して、勝手に説明を付けてもいいよということじゃないか。それでイキウメをつくった時に、みんなが不思議だと共通に思っているようなことに、自分の好きな解釈をどんどん入れていって、説明を付けていくような物語をつくろう、そこにこそロマンがあると思いました。観た人が「ああ、それはありだね」と感じるような、いわば嘘がつける物語が書けたらなと思っています。
そういうスタイルを意識するようになると、逆に縛られるということはありませんか。
 そうですよね。SF好き、オカルト好きと言ってもそんなに好きなものがいっぱいあるわけじゃないから、ここ2、3年書いて、もうザッと浚ったなっていう感じがしています。今まではこんなことが起きたら面白いなっていうアイデア中心で書いていましたが、同じアイデアをただのホラ話ではなくて、もっと現実の世界と繋がれるものにできるんじゃないかと、考えるようになりました。
前川さんは1974年生まれで、1975年生まれの劇作家・演出家の 長塚圭史 さん、 三浦大輔 さんたちと同世代になります。自分たちの世代やその社会状況について、前川さんはどのように感じていますか。
 僕らは、学校でも個性、個性といわれて教育され、自分らしさを表現しろみたいな生き方を押しつけられて育った世代だと思います。だから何かクリエイティブな道を歩かなきゃいけないみたいな強迫観念があって、どこにも行けずにニートになったり、もっと自分らしくできるんじゃないかと転職を繰り返したりする。そういう同年代の自意識には興味がありますね。
それから、先日の秋葉原の無差別殺傷事件のように、僕らの周りではめちゃくちゃたくさんの事件が起こっています。でもいくらニュースをみてもその背景が全くわからない。食品偽装の問題もそうですが、その会社が始まったときには不健全でなかったものが、どこかで一線を越えてムチャクチャやってしまうような、たまったものが一線をこえる事件の背景がとても気になってデータを集めています。
劇団名イキウメは、「生きたまま彼岸を覗く」という作劇のコンセプトに由来した名前だそうですね。イキウメという言葉からは人間を生殺しにしているような閉塞した時代観も感じられますが、彼岸とは何を表しているのですか。ホッとして幸せを味わえる西方浄土のことでしょうか、あるいは阿鼻叫喚の地獄のことでしょうか。
 いや、ホッとする場所でも、地獄でもないですね。「彼岸」というのは、ほかに言いようがないから彼岸なわけです。無理やり分ければ天国の方が近いかもしれませんが、楽しいとかいうイメージではなく、ただただ「重要な場所」ということ。宗教的な意味はなくて、そこを知ることが人生の最終目標になっているところみたいなイメージです。
僕は、物語を通じてお客さんにそんなイメージにふれて帰ってもらいたいと思っています。それをなんと呼んでもかまいませんが、自分たちの生活を生活たらしめているものに、一瞬でもタッチして帰ってくるような体験をしてもらえればと考えています。
前川さんの作品で、2005年に初演され、小説化もされた 『散歩する侵略者』 ですが、この作品は、人間に乗り移った宇宙人が人間研究のために出会った人々から次々に「家族」「笑い」といった「概念」を奪っていくという仕掛けになっています。宇宙人に乗っ取られた人間、概念を奪われて崩壊していく人間、そのことで見えてくる真実などがコミカルに描かれています。この作品ではどのような「彼岸」を描こうとされたのでしょう。
 あの作品は、そもそもは人間に乗り移った宇宙人の存在の仕方に興味があって書き始めたものです。宇宙人の侵略の「コマ」にされた人間は、自分の記憶を情報としてもったまま、宇宙人というソフトがインストールされるわけです。これまでの情報をもったまま人間として機能しながら、でもそのことに意味がなくなり、乗り移った宇宙人は他の人間から概念を奪いながらもとの人間とは別の人格をつくっていく。そして最後に「愛」という概念を奪って本当の意味での人間に目覚める……こういう人間を人間たらしめているものは何だろう、というのを考えてみたくてあの物語を書きました。
お話をうかがっていると、前川さんの作品の書き方は、まず巨大なハテナがあって、書きながらそれを少しずつ崩していく。最後に答えが出るかどうかはわからないけど、とりあえず目の前の謎を手がかりに書き進めていく、という感じですね。
 そうです。どんな不思議なハテナが立てられるかというのがまず先決で、次にそのハテナをいろいろな角度から見て、こんな見方が面白いというのがでっち上げられれば成功という感じです。
『散歩する侵略者』 で言うと、以前書いた物語からアイデアが生まれました。それは、アメリカに留学したのに外へ出るのが恐くて部屋から一歩も出ない日本人留学生の話だったのですが、友達3人が日本からやって来たけど、彼らも恐くて外に出られない。食べ物はデリバリーでなんとかなるし、買い物はインターネットの通販でできるし、情報はテレビでわかる。そうすると、ここが日本でもニューヨークでも、どうでもよくなってくるという話なんです。
社会への窓がインターネットとテレビなら、まるっきり日本と同じ。じゃあ俺たちいったいどこにいるんだ。ということは、そこでは「国」という概念が消失してるんじゃないか。国という概念が消失したところで彼らはどんな会話を交わすのだろうか、アメリカや日本というのがただのものの名前にすぎなくなっているところで彼らはどんな会話を交わすのだろうか……。色々な概念が抜け落ちた人間というのはどう変化していくんだろうか、と興味が展開していって『散歩する侵略者』のアイデアの基になりました。
じゃあその概念を奪うものは誰?となると、もうベストなのは宇宙人でしょ(笑)。どんな宇宙人か、というので思いついたのが、ウルトラセブンの「狙われた街」(ウルトラセブンは1960年代に放映された特撮テレビ番組。宇宙からやって来たウルトラセブンというヒーローが地球の侵略者や怪獣と戦う人気シリーズ)に登場したメトロン星人(笑)。
メトロン星人は、田舎町の安アパートを基地にして、駅前のたばこの自動販売機に人を発狂させてお互いが殺し合うという毒を仕込み、地球侵略を謀るんです。なぜ田舎の安アパートなのか、なぜ一銘柄にだけ絞って毒を仕込んだのか……。
たぶんメトロン星人は、事前調査をしていて、自分たちが直接武器をもって攻め込まなくても、地球人は負の感情をいっぱい抱え込んでいて戦争をやめようとしない人種だから、互いに殺し合ってくれたらOKなんじゃない?と考えたんじゃないか。いや、これはあくまで僕の想像なんですが、そういうメトロン星人のイメージが『散歩する侵略者』の宇宙人に繋がっています。メトロン星人って金魚に姿が似ているでしょ。『散歩する侵略者』で最初に宇宙人が金魚に乗り移るのはそのせいなんですが、結局、メトロン星人のエピソードはそこにしか残ってない(笑)。
「狙われた街」のラスト、六畳一間の安アパートでコタツをまん中に挟んでウルトラセブンとメトロン星人が対面し、地球いや宇宙の平和について語り合うという有名なシーンがあります。そこが本当に格好よくて、概念を抜き取ることで、宇宙人にすることで、照れずにコタツを囲んで宇宙の平和や愛が語り合えるんじゃないか、語れるなら語っちゃえと思って書いたのが『散歩する侵略者』です。
前川さんは元々映画から出発されていますが、演劇を始めるにあたって影響を受けた人はいますか?
 芝居始めるときに、ザッと見て回ったんですが、何を語ろうとしているかばかりに目がいっちゃって、演劇としてどうかという風に見ていませんでした。僕にとってはまず語りたい物語があって、それをお客さんに伝えたくて演劇でやっているところがあります。演劇の流れの中から何かを始めたわけではなくて、一番重要なのはやはり物語なんです。
演劇的な効果を考えて、あえて劇構造を迷路じみたつくりにするという方法もあります。そうした劇構造のつくり方についてどう考えていますか。
 僕もそう思った時期がありました。複雑な劇構造の方が格好いいというか、上級なんじゃないかとか(笑)。でも、やっぱり伝わらなくちゃ意味がない。今は、ズドンと伝わった方が強いと思っています。
前川さんの作品は、破綻した状況設定であるにもかかわらず、人間関係は破綻していないというか、信頼関係があって、仲間意識があります。同世代の劇作家たちが破綻した人間関係や孤立した人間を描いているのと対照的ですが、そうした人間観はどこからきているのでしょう。
 そうですか、信頼関係がありますか(笑)。僕自身は、一時吃音だったこともあり、そんなに対人関係がうまいわけではありません。人見知りだし、あまり喋らないし、だけど、そのことから意識的に抜け出そう、ちゃんと喋らなきゃ、と努力してきました。人に対する信頼感がどこからきているか考えたことはありませんが、僕の中には割りとあるほうだと思います。それは別に性善説とかじゃなくて、人間に対して期待したい、いざとなったら人間はきっとうまくやるだろうみたいな期待感がある。それと、人の醜い部分をことさら舞台に上げたいという欲望もほとんどありません。もちろんお客さんがシンクロしちゃうほど人の心の醜い部分を掘り下げるという作品があっていいと思いますが、それは僕の趣味ではないということです。

イキウメ『図書館的人生Vol.2 盾と矛』
(2008年10月〜11月/三鷹市芸術文化センター)
撮影:田中亜紀

イキウメ『散歩する侵略者』
(2007年9月/青山円形劇場)
撮影:田中亜紀

イキウメ『表と裏と、その向こう』
(2008年7月/紀伊國屋ホール)
撮影:田中亜紀

イキウメ『眠りのともだち』
(2008年2月〜3月/赤坂RED/TEATER)
撮影:宮川舞子