前川知大

前川知大

前川知大と6人の翻訳家ー前川戯曲の国際性を検証する

ⓒ 阿部章仁

2024.04.01
前川知大

ⓒ 阿部章仁

前川知大Tomohiro Maekawa

1974年新潟県柏崎市生まれの劇作家、演出家。東洋大学文学部哲学科卒業後の2003年に活動の拠点とする劇団「イキウメ」を結成。SFや哲学、オカルト的な世界観を有した独自の作風で常に話題を集め、国内の演劇賞を多数受賞する。
そんな国内での活動に加え、2019年に韓国・ソウルで『散歩する侵略者』、2021年には『太陽』が韓国人俳優により上演された。2023年に国立チョンドン劇場で『太陽』が再演された際には、ダンス作品の『太陽』もあわせて上演されている。
2022年、フランス・パリでのイキウメの海外公演『外の道』も好評を博し、近年ではさまざまな言語(フランス語、韓国語、スペイン語、英語、ロシア語、アラブ語、中国語)での翻訳版の出版が続いている。2023年上演の舞台に対して贈られる読売演劇大賞では『人魂を届けに』が最優秀作品賞を受賞。

イキウメweb

オカルト的な独自の視線でこの世を描いた作品が常に演劇界の話題をさらい、その結果、国内の演劇賞の常連となった劇団「イキウメ」の主宰、劇作家、演出家の前川知大。国内で安定した高い評価を持続する中、彼は新しいフィールドに踏み出していた。2016年以降にロンドン、パリ、ソウルなどで前川の戯曲(『太陽』『散歩する侵略者』)の翻訳版のリーディングや上演が始まり、次いで2021年には戯曲『散歩する侵略者』 のフランス語訳、韓国語訳が出版。続いて日本の優れた舞台公演をオンライン配信する国際交流基金のSTAGE BEYOND BORDERSで『太陽』が英語、スペイン語、ロシア語、中国語(簡体字・繁体字)、フランス語、韓国語、日本語字幕付きで配信され、視聴数153,889PVを記録(その後英語、スペイン語、ロシア語、中国語、アラビア語訳が各国で出版された)。同年ソウルで翻訳上演された『太陽』(キム・ジョン演出)では、俳優のキム・ジョンファが東亜演劇賞新人演技賞を受賞。2022年にはパリでフランス語字幕によるイキウメの海外公演『外の道(À la Marge)』が実現し、2024年には STAGE BEYOND BORDERS のラインナップに新たに『獣の柱』が登場。さらに韓国や台湾では『関数ドミノ』『天の敵』などの翻訳上演が予定されている。
広がりを見せる前川知大の劇世界は、海外で実際どう受け止められているのか。アラビア語・スペイン語・中国語・英語・フランス語・韓国語の各翻訳家によるコメントを紹介しながら、前川自身にその手応えと、これまでとこれからの海外との関わりについて聞いた。


取材・文/田中伸子

海外とのつながりという点では2010年に英国のロイヤルコート劇場での劇作プログラム「インターナショナル・レジデンシー」に参加したことが始まりではないかと思います。英国の演劇状況を体験して、どんなことを得たのでしょうか。
事前に書いた初稿を送り、現場で1か月かけてブラッシュアップしていくというものでした。日本では公演日程が決まっているのが前提で、それに向けて戯曲を仕上げる、または仕上がらず書きながら稽古を進めていくこともよくあります。ですので、僕自身ブラッシュアップというものをあまりしたことがありませんでした。英国では、英訳された初稿を現地の俳優でリーディングをして、戯曲について話し合い、問題点を出してもらって書き直すということの繰り返しでした。作家のほかに俳優、演出家、ドラマターグ、スクリプター、劇場スタッフさんも集まり、幅広い集団でディスカッションしました。
それがよいなと思ったので帰国後にはすぐにその方法を取り入れました。劇団を持っていたので、稽古中でなくてもアイデア段階から劇団内でそれを共有し、時には俳優とリーディングをしてフィードバックをもらいながら執筆するということを実践しました。
 
その後、劇団で再演もするようになったのですが、新作の場合は書いておきながら自分でも何を書いたのか理解できていなかったりするので、再演する場合は客観的に戯曲を分析してテーマを掘り起こしたり、その時々の「今」にもっと響くと思われる部分にフォーカスすることを明確に自覚しながら、再演に向き合うようになったと思います。
 
ただ、共同作業のよさを実感した反面、うまくいかなかったこともあります。一時期『イキウメ文芸部』というのを作って“チームで物語を作る”ことに興味がある人を広く集めました。ミュージシャンやドラマターグ、小説家志望など多様な人が集まって、戯曲をゼロからチームで作るということをやりました。それはとてもとてもおもしろかったのですが最終的にはやめてしまいました。責任が分散されてしまうし、僕の個性が薄まってしまうので、台本はやはり一人で書かないとダメだとわかったからです。劇作家は孤独に書かなければならないんです(笑)。スティーブン・キングも、たしか「初稿はドアを閉めて一人で書け、一旦初稿をあげたら、ドアは開け放っておけ(そしてさまざまな意見を聞け)」と言っていました。
今回、海外の前川作品の翻訳家さんたちのコメントを読んでの感想をお聞かせください。
『太陽』を訳したアラビア語翻訳の方が「具体的な国の名前を出して、どこどこの国の人がと考えはじめたら傷つく人もいると思うが、国の名前が出てこない」と国名が出てこないことを好意的に捉えていました。『太陽』は格差の話だと思ってはいましたが、国レベル、つまり貧しい国の人たちが裕福な国へ難民として流れていくといった国際レベルのこととは捉えていなかった。そこまで大きく捉えられるものになっているということがすごく嬉しかったです。『太陽』は日本の近未来という設定で、ノクスという進化した人類が普通の人類をキュリオと呼んで管理している世界です。その構図は、中央と地方というのが僕らにとってわかりやすいメタファーだと思いますが、海外では、その地域ごとにある格差や分断に置き換えられて読まれるというのがわかって驚いています。
  1. 翻訳家コメント1【アラビア語】マーヒル・エルシリビーニー教授

    とてもいい作品で、前川さんは天才だと思う。内容は大切なテーマを扱っており、素晴らしい手法・切り口でテーマを紹介することができた。時代や場所を超えた社会問題で、個人的にも大変気に入っている作品だ。さまざまな読み方ができると思うが、経済的に進んだ国と遅れている国の人々の考え方も反映しているのではないかと感じた。遅れた国の人は進んだ国の人になりたがっている、そんなことも表しているのかなと思った。チャプターは24あるが、1日が24時間であることを表しているのかと思う。

    自分の生まれたところはここで、別のところに生まれたとしたらそのメリットはとか、自分の社会から離れて、別の社会の人になったらどうなるかとか、どういう悩みを抱えているかとか、さまざまな側面を持った、とても意義のある作品だ。エジプト人はもちろん、アラビア語圏の方々にもぜひ読んでほしい。具体的な国の名前を出して、どこどこの国の人が、と考えはじめたら傷つく人もいると思うが、国の名前が出てこない。国際的な手法で課題を取り出していて、大変素晴らしいやり方だった。どこの人間にとってもわかりやすいテーマだと思う。前川さんの考え方は国際的で国際的な問題を扱っている。(取材・文/国際交流基金カイロ日本文化センター)

  2. 翻訳家コメント2【スペイン語】アスケリノ・エゴスコザーバル、ラウラさん

    全体的に、内容を理解することも翻訳することも難しくありませんでした。いちばん苦労したことは作品の世界観に入っていくこと、「ノクス」や「キュリオ」といった作者が創作した言葉をどうスペイン語に置き換えるかという点でした。ですが、新型コロナウイルスの拡大によるパンデミックを経験したことで、そうした状況に置かれたらと想像しやすくなりました。読者の方もそうではないでしょうか。

    お話しできるのは、最初に出会った前川作品である『太陽』に関してだけとなりますが、こうしたSF作品(一種のSF作品だとして)であっても仏教的な考え方が底を流れているという点にもっとも関心をひかれました。これは翻訳作業をしながら何となく感じていたことですが、その後、作品に関するコメントと著者紹介文を求められたときにはっきりと確認することができました。ただし、これは作品を通じて直接語られることはないため、翻訳を通じて読者に伝えることは簡単ではありませんでした。こうした部分が前川作品の魅力でもあり、ひとつの到達点でもあったのではないかと思います。ともあれ、翻訳版を手にするスペインの読者が、日本語で書かれた原作の読者と同じような読後感を持てるよう意識しました。

  3. 翻訳家コメント3【中国語】林少華(リンショウカ)さん

    実際にアンケート調査をしていませんので、はっきりと断定はできませんが、訳者の私もまず読者であって、また、読んでくれた同僚から聞いたところでは、ちょうどと言うかあいにくと言いますか、『太陽』の刊行のタイミングは新型コロナウイルスの流行と重なっているということもあって、いや応なしに世界の現状や人類の将来を深く考えさせられ、すごく感銘を受けました。こうした意味においては、作者の前川知大さんの先見の明に感服しないわけにはいきません。その先見の明は直感からなのか、それとも長期にわたる研究の結果なのか、とにかく不思議ですね。大いに感心しました。

  4. 翻訳家コメント4【英語】阿部のぞみさん

    イギリス人の作家仲間にいろいろと確認してもらっていたのですが、SF好きの彼は直訳調のバージョンを読むだけで私よりもはるかに多くのメッセージを受け取っていて驚きました。SFファンの世界共通言語みたいなものがあるのでしょうか。おそらく、古典的なSF小説や映画に登場しているモチーフのオマージュを瞬時に察知していたのだと思います。

    『太陽』の登場人物をとりまく環境が、パンデミックの影響で全世界の人々に強いられた状況と酷似していたことで、奇妙な共感が生まれたと思います。田舎にセカンドホームを買ったり、自給自足について真剣に考えてみたり、身内と部外者の間の溝が深まったり、ワクチン接種について議論したり、そういう状況になることがわかっていたかのように物語が展開されます。『太陽』自体がひとつの預言のようになっていているようにもみえました。多くの方がこの作品に大きな感銘を受けるとともに、背筋がゾクゾクするような感覚を味わったのではないかと思います。

    (僭越ながら…)SFの要素が強い作品を舞台で成立させるのは非常に難しい、不可能に近いことだと思うのですが、前川さんの作品の魅力はそのほぼ不可能なことを演劇的に実現させているところ、だと思います。小説や映像作品の中で生み出せる効果や特殊効果はたくさんありますが、そういう意味でいうと生身の舞台は制限しかありません。その中で新しい世界観を構築して、それを観客にみせる、というのはもう奇跡というか魔法に近いことをされていると感じています。

『太陽』がよかったところは、テーマ主義的に考えなかった点だと思います。作品のもとになっているのがリチャード・マシスンの『I Am Legend』で、この設定で僕ならどう書くのかという興味から入りました。まず僕たちが今生きている社会から『太陽』で描かれる近未来に至る歴史を作り、その中へ登場人物たちを放り込んでいくという作り方をしました。書きながら、現実のさまざまな問題に触れていける設定なんだと思いました。
ノクスの欺瞞って資本主義の欺瞞、発展途上国を搾取しながら援助をするみたいなところ。再演のときは、テーマを明確に意識できている分、大きなメッセージを語るようにならないように、登場人物の感情に寄り添ってリライトと演出を心がけました。フィクション度の高い設定にしたことで、海外の人にとってもそれぞれが抱えている問題、社会状況に寄せて読むことができるのだということを翻訳者たちのコメントを読んで知りました。
 
海外での上演は意識していなかったのですが、基本的にいつも現在の日本の風俗みたいなものからは距離を置き、流行りの言葉とかネタはあまり入れないように、ローカルすぎるものも避けるようにしていました。全ての物語は架空の「金輪町(こんりんちょう)」というところで起きているということにしています。どこにでもありそうな地方都市、逆に言うと世界のどこにでもあるような場所なので、それもよかったのかもしれません。
フランスでは2022年に『外の道』をイキウメの日本人俳優たちで上演しました。実存主義が浸透しているフランスの上演には最適の作品だったのではないかと思います。
パリ日本文化会館の方が東京公演を観て、直感で「これはパリでウケる」と思ったそうです。僕も『外の道』は設定がサルトルの『出口なし』に似ているし、実存主義が入っているなと思っていたので、それならと上演を快諾しました。翻訳者のコメントにも「(台本が)フランスの思考のロジックに沿うものだったため」とあるので、そうなのかと納得しました。
  1. 翻訳家コメント5【フランス語】ルモンデ都さん(『外の道』翻訳)

    この作品には「無」が広がっていくというテーマがあり、それは仏教的な概念を知っている方が理解しやすいものだと思われがちです。しかし、前川さんの概念的な思考は言葉を超えた、普遍的な特徴を備えているため、フランス人にすんなり受け入れてもらうことができました。フランスの文化的素養にある、量子力学の存在も大きいのかもしれません。その場で細かい説明ができなくても、フランス人の思考にはかつて量子力学で聞いたことのある仮説の断片が蓄積されており、前川さんの提示する不思議な世界を想像することが可能だったのでしょう。でも総じて、理屈を超えた、前川さんの哲学に観客は感動したのだと思います。

    またフランス人が反応しやすかった場面は、主人公の弟がもう一人の主人公の妻と浮気しているらしいと対話の中に出てくるシーンです。シリアスで重い雰囲気の中で展開する芝居だったので、このネタが出てくると観客はほっとしたかのように笑っていました。あと最後に出てくる「失業保険がもらえるから」と妻が提言するシーン。これは心配して真面目に言っているのですが、フランス的にはうまくシステムを利用する人たちがいるため、思わず笑う人たちがいましたね。

    前川さんの作品はとても自然な対話が展開するので、その流暢なさまをなるべくフランス語に反映したいと思って訳していました。リアルな設定から始まりつつも、思わぬ展開が用意されていて、それがとても映画的なのが魅力だと思っています。そして前述したとおり、前川さんの作品にはご自身の哲学が込められており、それにフランス人は共感したから公演の評判が良かったのだと思います。終演後、「早く次の作品をパリで上演してほしい」と前川さんに声を掛けてくる観客がいらっしゃいましたね。(取材・文/舞台芸術アドバイザー 副島綾)

現地では観客が楽しんでくれているのがわかって嬉しかったです。フランスでは失業保険のくだりがすごくウケていたので不思議でした。妻が心配して“精神を病んでいるのだから会社から失業保険ももらえるかも”と言う台詞でどっと沸くんです。日本では誰も反応していなかったのに(笑)。フランスでは使える制度はちゃんと使わなくては、といった考え方があるようで、妻の抜け目なさが笑いを生んだようです。客席の集中度も高く、上演後の拍手もとても熱くて、内容に関しての質問もたくさん受けました。多くの人が興味を持ってくださっているのを感じて、上演してよかったなと思いました。
 
翻訳者のコメントに、フランスで受け入れられたのには「フランスの文化的素養にある、量子力学の存在も大きいのかも」とあったのですが、それはびっくりしましたしおもしろいな、と。劇中では「無」が「在る」という言い方をします。仏教的であると同時に、量子論でも無から有が現れる現象があります。また、「分子の隙間を通す」みたいなことも言っているので、こういうところも、量子力学のイメージと重なったのかもしれませんね。
 
一方で、日本語による字幕付きの上演というのは、紹介の域を出ないのかなとも感じました。どうしても字幕ばっかり追うようになってしまいます。演劇では舞台上の俳優の動き、演技を見るということがとても大事なので。その意味で言えば、次はフランス人の俳優でフランス語での上演をして欲しいという気持ちがあります。
  • イキウメ『外の道(À la Marge)』パリ公演(2022)  撮影:Pierre Grosbois

その点、2023年の韓国では韓国人の俳優が韓国語で『太陽』を上演しました。
そうですね、翻訳段階でどう変わっているのかを僕はチェックができていないので、良し悪しはあるとは思います。韓国へ観にいきましたが、すごくよかったです。何と言うか、情熱的でした。とても感情的に表現していたので、お国柄というのはあるなと感じました。演出家の意図でもあると思うのですが、ノクスがロボットのような人間離れした身体で描かれていて、そのようなかなり戯画化された表現でもテーマがきちんと伝わるんだという新しい発見もありました。そこで自分の戯曲への信頼が高まったように思います。
  • 2023年にソウルで韓国キャストにより上演された『太陽』公演のポスター

前川さんの戯曲を韓国語に翻訳しているイホンイさんはほかにも日本の若手劇作家の戯曲を積極的に翻訳して、韓国のプロデューサーや劇場に紹介しているそうですね。韓国での上演では彼女の存在が大きいですね。
そうなんです。ある時、イホンイさんから「前川さんが気に入っている自作があったら教えてください」と言われたのでいくつか渡したら、その次には「おもしろかったです。なので、訳してしまいました」と言われ、本当にびっくりしました。彼女は自分が読んでおもしろいと思った日本語の戯曲をきちんとどこかにつなげてくれているんですよ。例えば、韓国にSF好きの演出家がいたとしたら、前川戯曲に興味があるかもとその人に紹介してくれてたり。彼女の日本演劇への情熱のおかげで本当に助かっています。
そのつながりのおかげで、今年は韓国で『天の敵』と『関数ドミノ』を上演する予定です。さらに言えば、今年は台湾での上演も決まっています。
  1. 翻訳家コメント6【韓国語】李洪伊(イホンイ)さん

    不思議なくらいSFの人気がなかった韓国で、数年前から急にSFブームが起きた。前川知大作品が韓国で紹介されたのもその頃で、ちょうどいいタイミングだったかもしれない。韓国の演劇ファンと読者はこの新しいSF作品を歓迎しながら新鮮な刺激を受けた。実際にどこでも読んだことのない物語だった。日本文化を知らない限り、理解できない部分ももちろんあって、例えば『太陽』では「年賀状のくじ」など一部のセリフには説明を追加しなければならなかったが、それは難しいことではなかった。それより、彼の作品の中には私たちが常に語ってきたテーマがあった。この作品が描いた極端な両極化社会は未来ではなく、現在世界そのものだった。特に、当時韓国ではコロナワクチンの問題で社会的な葛藤から不安が高まった時期だったため、『太陽』はより現実的なストーリーとして受け入れられた。

    『散歩する侵略者』と『太陽』などで前川知大は韓国の演劇ファンと読者に強い印象を残した。個人的には彼の作品ではSFの典型と変形、両方が見られるからだと思っている。オカルトやファンタジーなど彼のほかの作品も含めて、彼の戯曲を読むと彼の前世代の作品も読みたくなる。彼のおかげで改めて虚構の世界の魅力にハマっている。

海外へ出ていくことについて、これからトライしたいと思っている若手にはどのようなアドバイスをしますか。
戯曲を翻訳して海外で出版しても、すぐに上演という流れにはならないというのは実感しています。あまたある戯曲の中で日本の小劇場の戯曲を手にとってもらうのは相当ハードルの高いことだと思います。でも、フランスで上演してみて思ったことは、演劇の場合は戯曲だけ海を渡ってもダメで、まずは自分たちで現地へ行って上演しなければということです。以前は字幕上演に懐疑的なところもあったのですが、フランスでぜひという人がいたおかげで上演し、結果、お客さんがすごく気に入ってくれて「次はいつ来るの?」「新作が観たい」と言ってくれました。フランス語で劇評や記事が出ることで前川という名前も知られることとなったので、自分の作品をもっと知ってもらいたいと思うのだったら、まずは自分たちで出向かなければと思います。
最近の記事で『外の道』以降、作風を書き換えたとおっしゃっていましたがそれは何かきっかけがあったのでしょうか。
変えたというよりも変わってしまったという感じです。違うものを書きたいという気持ちが強くなり、『外の道』はコロナで病んだ自分のメンタルを表現しているようなものになりました。その次の『人魂を届けに』 (2023) もそうです。結果的にそうなってしまったのですが、これは今までやってきたものとは違うんだと思い、変わっていくことにストップをかけませんでした。それまでは緻密にプロットを立てて書いていたのですが、それをやらず、十分な材料をそろえたうえで、なるべく即興的に書くというようにしました。
 
単純によいものを書きたい、自分を超えたものを書きたいという気持ちがとても強いのでそうなったのだと思います。書いているときに、ひらめきのような、自分以外のものが入ってくる感覚はそれまでもあったのですが、もうちょっとそういう感覚を強く引き込んでみようと思いました。スピリチュアルな言い方になりますが、自分の無意識をもっとうまくすくい上げることができないかと思って、プロットを書かないようにしてみたんです。
 
コロナ禍でさまざまなことの認識が変わりました。それらはまだ自分の中で整理ができていないものです。それを整理できる言葉で書くとすごく表層的になる。意識的に言語化できるものではなく、まだ無意識のレベルでしか捉えられていないものを作品に取り込みたかった。出てきたものは支離滅裂だったりするけど、うまく無意識とつながっていれば、自分で思ってもみなかった考えや視点、感情に出会うことになります。それは自分でもびっくりするようなことだったりするんです。
 
アプローチの仕方を変えてちょっと自由になった成果として、今までやらなかった手法も生まれました。登場人物が他者の内面を、小説の地の文のように語ることを『外の道』から取り入れています。数年前からコロス的な演出を好んでしているので、その流れもあって、感覚的に戯曲にも入り込んできました。
しばらくこの手法で書いてみようと思い、『人魂を届けに』も同じ語り口にし、テーマ的にも『外の道』の延長線上ということにしました。『外の道』って解脱するような話なんです。
社会の奇妙さに気づいた二人が、社会を飛び出して、新しい価値を作るという。周囲は反対し「出来るはずがない、お前らは死ぬ、絶対に死ぬ」とささやく。でも二人は外へ出ていく、という幕切れです。その飛び出していった人が社会の外で何をするのかというのを手掛かりとして『人魂を届けに』が書かれたのです。
作品のテーマに関してはどうでしょう。今思っている書きたいテーマはありますか。
ちょうど今『獣の柱』 (2019) をSTAGE BEYOND BORDERSで紹介してもらっています。『獣の柱』は『太陽』と通じるメッセージがあって、環境問題というか、自然と文明が地球上で折り合いつかなくなっていることを描いています。それは僕が好きな妖怪の世界にもつながっていて、というのは今の都市は妖怪が住めない世の中になっていますから。妖怪が住めない世界というのは、つまりはマイノリティーにとっても住みにくい社会であるはずなんです。健常者で、ある程度の体力が備わっている人たちのために街は設計されていますよね。妖怪が住めるぐらいの余白がある方が、包摂的な社会であると思います。例えば『太陽』でもノクスはすごくクリーンで知的で、先進的な考えを持っているけれど、彼らにもやはり抜け落ちているところがある。もちろんキュリオにもあって、だからそこはお互いに認め、力を合わせなくてはならない。でも比べて嫉妬して憎んで、そのくせ憧れたり。うまく関係を作れない。
 
『ゲゲゲの先生へ』(2018) は水木しげる先生(漫画家、妖怪研究家)の感覚――人間中心的な社会はどれほど妖怪が生きにくい社会なのか、そこで何が失われたのか、地球の主役は人間じゃないぞ――というのをテーマにしました。『生』の方ばかりに光を当てて『死』を見えなくしている今にあって、水木先生は、大自然を描いたときにそこに死がある。人間なんてすぐ死ぬよということをきちんと書き込んであって、すごく美しいのだけれど怖い、見たいけれど見えない、けれどいるような気がする、みたいなものがきちんと描かれています。自分の作品のテーマはたぶんそういったところに集約されているのだと思います。
 
それらのテーマを演劇という手法で伝えるのはなぜ? 演劇だからできることとは。
想像力の使わせ方が映像と演劇では絶対的に違うと思います。演劇の場合、見立てであったりごっこ遊びのような要素があるのでそこには余白が必要で、その余白があることで観客と同じものを共有できるんです。例えばそこにドアがなくても俳優の動きによって観客も俳優と同じようにそこにないものを見ることができる。そういった想像力の積極的な使わせ方が演劇ではできます。映画は細部が映ってしまうし、むしろディテールを詰めて画で表現していく。演劇は舞台美術にしても俳優の演技にしても意図的に余白を作って、観客にそこを埋めてもらう、想像させるということをします。存在しないものを存在させることや、観客の中にイメージを作らせることができるので、時には精巧に作ったCGよりもリアルなものが生まれるはずです。今は、言葉と身体があれば素舞台でも十分だと思っていて、それでも観客の想像力を引き出すことで、個々人のリアルに沿ったものが舞台上に現れるはずです。
最後に、今後の抱負、チャレンジしていきたいことを教えてもらえますか。
そうですね、「仏教」をテーマにしたものをやりたいと思っています。あとは、演劇としてやるのかは別として、自分自身のことをあまり書いてこなかったので、そういうものにも向き合っていくことが必要かなと思っています。自分の10代の頃の経験とか、家族が抱えていた問題とか、そういうものを引いて見られる年齢になってきたと思うので。