- 私自身、2年前にこの事業の演劇ジャンルの選考委員を務めさせていただきましたので、楽屋裏のことも多少は存じ上げていますが、今回は改めていろいろと伺わせていただければと思います。まずは、そもそもどういう経緯でロレックス社は「芸術支援のための事業を何か始めよう」と思い立ったのですか? また、どうしてこういう「メントー&プロトジェ」という枠組みになったのでしょう?
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本事業の開発には、1999年から2001年まで約2年の歳月が費やされています。我が社は「ロレックス賞」という科学と環境問題に関するもうひとつの篤志的な事業を運営してきましたが、「メントー&プロトジェ」はそこから発想されたものです。1999年ごろに、「ロレックス賞を芸術分野にまで拡張できないだろうか?」と我々は自問しはじめていました。が、速やかに「科学や環境を支援するのと同じやり方で芸術は支援できない」との結論に達し、私はCEOのパトリック・ヘイニガーに、芸術については別個の事業を立てるべきだと提案して早速調査にとりかかりました。
当初から我々は、この事業を「国際的で」「恒常的に行うもので」「多様で」「多くの芸術形態を扱う」ものにしたいと考えていました。多くのアーティストたちからの意見を聞くことを基本に、加えて在ニューヨークの芸術支援を業務とする小さな会社に調査を依頼しました。ロレックス内部での吟味・検討、アーティストたちとの会話、委託調査の結果とそれに基づく提案、さらに多くのブレーン・ストーミング──それらすべての複合的な情報の結果として、この事業は編み出されました。
そのときに課題になったのは、「ロレックスが芸術に貢献する方法、しかも他に類が無い面白い方法は何か?」「従来必要だとされながら実行されたためしがないことで、我々にできることは何か?」ということでした。若い作家が必ずしも金銭援助を欲しているとは限りません。彼らは彼ら自身の知己を利用するでしょうし、発表の機会や助成金を手に入れたりもできます。こういう環境に真の違いをもたらし得るのは、彼らに「指導者《メントー》」を与えることだと考えました。2001年に最初の顧問委員会をジュネーブで開き、そして最初の《メントー》と《プロトジェ》らをペアで整えて正式にこの事業がスタートしたのが、2002年です。 - この事業を始めた時点で、《メントー》の「指導」の仕方について何か具体的なイメージを持っていましたか?
- 発足当時に作成したガイドラインは、5年たった今でも有効です。我々は《メントー》らに対して「こんなことができるのではないでしょうか」というサジェスチョンは与えますが、「これをしてください」とはっきり通達をするのは、「1年間の期間中、最低30日は《プロトジェ》と共に時間を過ごすこと」という条項だけです。結果としてそれ以上の日数になることの方が普通ですが。一緒の作業をしたり、意見交換をしたり、若い《プロトジェ》が《メントー》のリハーサルを観察したりついてまわったり、あるいは数週間集中的に《プロトジェ》が《メントー》のインターンとして働いたりといったことを当初から想定していましたが、実際に起こっているのもだいたいそんなところです。ただ、近頃は《メントー》と《プロトジェ》の役割が逆転しているケースなども見られるようになってきました。
- 事業が始まって3サイクルを終了しました。《メントー》と《プロトジェ》の役割に変化が見られるようになったとのことですが、どのように変わってきていますか?
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たとえば最新の第3サイクルを例にとると、すごく広がりが出て、参加している作家がどん欲になり、同時にしっかりとしたものになってきてると思います。もちろん、《メントー》と《プロトジェ》の関係の近さ・遠さはペアによってさまざまですが、それでも今回のサイクルにおいてとても興味深かったのは、概して、《メントー》が《プロトジェ》の仕事に自らを関与させる度合いが以前よりもずっと増したということです。今回はそんな3つの良い例が登場しました。
ひとつは、美術分野でのジョン・バルデッセリとアレハンドロ・セサルコとが行ったコラボレーションです。彼らは実際にひとつの作品を恊働でつくりあげたのです。ガラの晩の時にお配りしたギフトバッグの中に『Retrospective』というタイトルの本が入っていたでしょう? 一連の版画の作品集ですが、あれは彼らが恊働で制作し、出版したものです。《メントー》が《プロトジェ》と恊働して作品を作ったなんてことは、このプロジェクトにおいて初のことです。
もうひとつの例は、映画分野の《メントー》、スティーブン・フリアースです。《メントー》と《プロトジェ》の役割が逆転してしまっていて、彼は、「このプロジェクトの期間、自分は映画づくりをしないし、自分が誰かに追いかけまわされるのもたまらない。むしろ自分が若い《プロトジェ》の映画づくりを追っかけてみたい」と言って、実際、《プロトジェ》のホセ・メンデスのいるペルーまで出かけて行き、メンデスの撮影期間の前後のさまざまなプロセスに立会っています。《プロトジェ》が《メントー》についてまわるのではなく、その逆例が起きたというわけです。
さらに今回起こったもうひとつの面白い例は、文学の分野でした。やはり《メントー》のタハール・ベン=ジェルーンが、当時3つ目の小説にとりかかかっていた《プロトジェ》のエデム・オゥメイを追っかけています。《メントー》は、その小説の筋書きや登場人物のキャラクター設定などをエデムと話し合い、どっぷり《プロトジェ》の仕事に関わりました。と同時に、タハール・ベン=ジェルーンは彼自身の新作についてエデムに意見を求めており、つまり《プロトジェ》は《メントー》の新しい小説創作の一部をも担ったということです。 - なぜ第3サイクル目になって初めてこのような「恊働関係」が発生しはじめたのですか?
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なぜでしょうね。はっきりした理由はわかりませんが、考えられる原因は、まずひとつに《プロトジェ》のレベルが向上しているということが言えるでしょう。第1サイクルや第2サイクルの《プロトジェ》たちが劣っていたということではありませんが、なによりもまず今回の《プロトジェ》は「年齢」がそれまでとは違っているのです。
今回は《プロトジェ》の年齢を「40歳を越えないこと」という風に規定しました。というのも、《メントー》らが求める《プロトジェ》像には、「しっかりした一連の創造活動の積み上げがあること」、「学生ではなくプロとして歩み始めていること」という要件が含まれていたからです。つまり《プロトジェ》の年齢の向上が、彼らのレベルの向上を招いた──彼らは第1回目や2回目のサイクルの参加者よりも成熟したアーティストだったと思います。
とは言っても、本事業は本事業のような支援を必要とする若手のアーティストのためのものであり、すでに独り立ちしている人のためのものではありませんから、年齢の高くなるのを手放しにしておくわけにもいきません。特にダンスや音楽分野の《プロトジェ》は若いですから、平均年齢は相変わらず約30歳です。あまり高年齢の者を《プロトジェ》として迎えたがらない《メントー》もいますしね。
もうひとつの理由は個性の問題でしょう。当初、私たちは「《メントー》は「与える側」だと思っていました。ところが2回目のサイクルが始まってしばらくした頃から、「得るものがいろいろあるよ」という《メントー》たちからの声を聞くようになった。《メントー》にとって、「与える」よりも「得る」ものの方が大きいということに、徐々に我々は気づきはじめたのです。それ故に、我々運営の側も「伝授」よりも「交換」に強調を置くようになったのかもしれません。ロレックスとしてはこの成り行きを見て自信を深めましたね。なにせこの事業は、「何かが起こってくれればいい」なんて期待をしながらも、「まったくの赤の他人同士をくっつけてしまう」という、非常にコワイことをやっているのですから。わかるでしょう? - いわば「強制見合い」みたいなものですものね。
- (笑)、そう。「まだ離婚は起こっていないね」なんてよく内輪の冗談を言っているくらいです。もちろん、ペアの親密さの度合いはさまざまですが、少なくとも皆それなりの関係性を構築しています。それゆえに、今では我々も「この事業は機能している」との確信を深めています。ロレックス社は常にリスクをかけた挑戦をしていますが、この事業の成り行きを眺めるにつけ、以前よりは気持ちを楽に持てるようになりました。
- 《メントー》の選定はどのように行われているのですか? 顧問委員会の面々によって候補が抽出されるのは知っていますが、指名に挙がった人々に実際にこの事業の説明をしたり、その人が《メントー》として参加する興味があるかを確かめたりするという手順は、レベッカさんや事業部の方々が実際に候補者らと向き合ってなさるのですか?
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2007年初頭にジュネーブで、第4サイクルの《メントー》選定についての顧問委員会を開きました。委員たちは候補を挙げ、討論し、そして投票を経て、一分野につき4〜5人の《メントー》候補を選出します。例えばレベッカ・ホーン(次の第4サイクルの美術《メントー》)を例にとれば、二人の顧問委員──イタリア人彫刻家のジュゼッペ・ペノネと、前回のベネチア・ビエンナーレのキュレーターだったスペイン人のマリア・デ・コラル──が、レベッカ・ホーンと既知の仲でしたので、彼らが私のために接触の道をつけてくれました。そして本人が「諾」と言ってくれた。これが基本的な手順です。
しかしながら、顧問委員の意思を受けて事務局が本人と接触しても、参加への興味はあるがタイミングが合わないからダメだということもままあります。ですから我々としては柔軟性を持って対処しなければなりません。例えば、(次の第4サイクルの《メントー》である)マーティン・スコセッシ監督にはかなり以前から接触を続けていました。一度指名に挙がって本人が興味を示したような人々とは、将来的な参加の可能性を念頭において我々は関係性を保ち続けるようにしていますから。つまり《メントー》の選定は、恒常的に行われているプロセスだとも言えます。例えば先日、私はとても著名な女流映画監督と晩餐会の席で隣同士になったので、その折に「将来この事業に《メントー》として参加する興味があるかしら?」と持ちかけたところ、もちろんとの答えでした。でもこの女性を実際に《メントー》にえるかどうかは顧問委員にかけねばならないし、委員会の承認が必要です。
(《メントー》のラインナップを)多様な構成にすることも大切な留意点です。例えば次の第4サイクルには、2人の女性がいて、出身地は欧州から2人、アフリカから2人、アメリカから2人になっています。残念なことにアジア人はいないですが、少なくともバランスのとれた混在を為しています。つまり、6人の《メントー》が全員アメリカ人だとか全員男性だということにはならないよう、ここにもある種の柔軟性が必要になってきます。
- 《メントー》の性格がどんなか、というのはこのプロジェクトにとってとても大切な要素に思えるのですが、一般的に言って、顧問委員は彼らの推薦する《メントー》候補のことをよく知っているものなのですか?
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もちろんです。それが顧問委員会を設けている理由ですから。《メントー》の要件として、国際的な地位にあり、不朽の価値と評される作品群を持っており、しかもなお創造と開発に邁進する現役であり、寛容な精神と明確な個性を有し、若い世代と対話を持てる人──といった一連の基準を敷いていますから、顧問委員会が《メントー》を推薦する際にはこれらの基準に当てはまる人物かどうかを話し合います。
この話し合いの内容は一切秘匿しますと委員会の方々には伝えてありますから、それはそれはつっこんだディスカッションが展開されます。委員が自分の専門ジャンルではない人物を推薦することもありますから、そうした場合には該当ジャンル出身の委員が、「いや、彼は卓越した作家だけれど、他人とコミュニケートできない人間ですから、この事業には相応しくないと思います」と意見するといったことも起きます。
《メントー》の推薦においては、その作家の芸術的探究心はどんなか、人間として尊敬できるかといった情報が大切だからこそ、顧問委員会は多くの著名なアーティストや、前言したマリア・デ・コラルのように多くの作家と直接の仕事の付き合いのある人々で構成されているのです。
- 顧問委員は持ち回りで入れ替わったりするのですか?
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顧問委員は毎回のサイクルごとに総入れ替えするのが基本です。誰にお願いするかは、我々ロレックス自身のリサーチと、そして前サイクルで顧問委員を務めてもらった人に次のサイクルのための顧問委員を推薦してもらうという両方の作業の結果で、どの分野からも最低2名の委員を含めるようにしています。(2007年11月現在、顧問委員は総勢53名。委員のリストは次を参照:
https://www.rolex.org/rolex-mentor-protege
)。
時には顧問委員を務めた方が《メントー》になって委員を抜ける場合もあります。私としては逆に《メントー》経験者が顧問委員になるという形態がとても有効だろうと思っているのですが、これはまだ起きたことがありません。時には顧問委員を2年続投してもらう場合もありまして、例えば(カナダ人作家の)マイケル・オンダーチェは、第3サイクルのための《メントー》候補を話し合うジュネーブでの顧問委員会に出席できず、電話会議だけの参加で終わってしまったので、今回第4サイクルでも委員を続けてもらいました。
- 私が《プロトジェ》の選考委員を務めた時には、その任にあった数カ月の間、きわめて頻繁に電話会議を開いて世界各地にいる委員らが全員集まっての“ミーティング”を持ちましたが、顧問委員はどの程度頻繁に集まったり電話会議をしたりして《メントー》を決めるのでしょう?
-
年に一度のジュネーブでの会議のみです。顧問委員の仕事は選考委員に比べてずっと楽です。何人かの候補を示唆してもらい、それらの簡単な履歴資料を提出してもらうだけですから。ボランティア・ベースですから謝礼もお支払いしていません。一方、選考委員にはものすごく骨の折れる仕事
(*)
をお願いしていますから、謝礼をお支払いしています。
* 選考委員会について:
最終目的として各分野2〜3人の「《プロトジェ》最終候補」を選出するために、各分野ごとに5〜6人の専門家から成る「選考委員会」が構成される。選考委員は、顧問委員の推薦やロレックスのスタッフの調査、あるいは前サイクルで選考委員を務めた人からの推薦等をもとに選ばれるが、「北米・アジア・欧州・南米・アフリカからひとりづつ」といったように、世界各地から集められるのが普通だ。選考委員各自は、まず最初に、同分野の《メントー》がどのようなタイプの若手芸術家を求めているかというロレックス側から与えられた情報を基に、各自の地域で活動する若手作家のリサーチを開始。数ヶ月後に各自4〜6人の名前を候補として提出する。選考委員は匿名で動くため、こうして推薦された一分野あたり合計30人を越える各候補に逐一コンタクトをするのはロレックスのスタッフの役割だ。候補者が応募の意思をみせれば、同社スタッフはその者から作品の資料やこのプロジェクトで何がしたいかというプロポーザルを徴収、これらの資料を選考委員各自に配布すべくコピーを制作するのもスタッフの役割だ。選考委員各自はこの膨大な量の資料──ダンスや演劇や映画の分野の委員であれば100枚を越えるDVDを、文学であれば100を越える小説を──視聴したり読み通したりして吟味・審査をする。最後に、世界各地にちらばる選考委員にとって一番都合の良い世界のどこかの都市で、分野別に委員全員が集合してミーティングが行われ、そこで「《プロトジェ》最終候補」の2〜3名が決定される。この中から最後のひとりを選び出すのは、《メントー》本人が行う仕事である。 - なぜ音楽分野だけが演奏家という「解釈系」のアーティストなのでしょう? 他の分野はいずれも美術作家・演出家・振付家、映画監督、文筆家というようにすべて「創造系」のアーティストなのに。一貫性ということを考えるなら、音楽分野は西洋クラシック音楽の演奏家や指揮者ではなく作曲家を扱うべきではないのでしょうか?
-
次の第4サイクルでの音楽の《メントー》はセネガル出身のユッスー・ンドゥールで、彼は創造と解釈の両方を手掛けているアーティストです。自身のための作曲を多くしていますから、《プロトジェ》の要件としても「作曲もするし演奏家でもある若手が欲しい」と示唆しています。音楽分野について言えば、我々は徐々に西洋クラシックのジャンルから、もっとワールド・ミュージック系のいわゆる「創造的」ジャンルの方にシフトしています。
この話をもう少し続けると、ダンス分野の《メントー》たちは、《プロトジェ》に「若手の“ダンサー”で“振付”にも興味があり、将来的には“振付家”になってゆく人材」を求めています。彼ら曰く、振り付けは、踊ってゆくうちに学ぶものだから教授しようとして教授できるものではない、と。ですから「創造系か・解釈系か」という二者択一的に考えるのはあまり適当ではないと思います。
- 穿った見方をする人の中には、「音楽分野に作曲家が含まれないのは、どんなに有名な作曲家でも一般人は作曲家の名前など知らないからだ」という意見もあるようです。例えばアンヌ=テレサ・ドゥ・ケースマイケルやウィリアム・フォーサイスといった振付家の大御所の知名度は、同じレベルの大御所の作曲家より一般人の覚えがめでたい。『メントー&プロトジェ』の事業は純粋に芸術と芸術家を支援するものではありながら、その実、ロレックスという企業の名前を冠したからには一般に対する効果的な訴求をしないとならない、そのためにはビッグネームを利用して企業イメージに一層の箔をつけるのだ、と。
-
つまり、我々が取り込んでいるアーティストの知名度や“セレブリティーとしての地位”についての見解ですね。「混在」、なんですよ。例えば、次の第4サイクルの演劇分野の《メントー》になったケイト・ヴァルクを例にとりましょう。彼女はニューヨークにあるダウンタウンの演劇集団、『ウースター・グループ』のリーダーたる演者です。ウースター・グループはつとに知られた団体ですが、いったいどれほどの人がケイト・ヴァルクの名前まで認知しているでしょう? 彼女は“業界通”の目になる選択です。彼女は“セレブ”的なキャリアには目もくれず、映画にも商業舞台にも出ません。ひたすらウースター・グループでの活動に集中しているだけですが、顧問委員の方々いわく、彼女は今日の全米で最も優れた女優であり、演劇業界や舞台芸術業界からものすごく尊敬をされている、と。明らかに、同じ第4サイクルの映画の《メントー》となったマーティン・スコセッシとは、違う種類の知名度です。
初回のサイクルを見てみても、《メントー》のアルヴァロ・シザ・ヴィエイラは、建築家でもない限り「それって誰?」というたぐいの名前でしょう。同じサイクルの時に文学の《メントー》となったトニ・モリソンは、もう誰でもが知っている名前です。つまり、我々がビッグネームのセレブばかりを追いかけているというのは正確ではありません。常に“業界通”の選択と一般的著名人の混在を心がけています。
- この事業の活動結果を測る評価基準といったものを設定していらっしゃいますか?
-
最初に結論を言えばノーです。顧問委員は《メントー》を推薦しその参加を促す手伝いをするというのがおもな役割ですが、我々は、この事業についてのさまざまな局面について常時彼らにコンサルティングを求めています。例えば、「総合芸術というカテゴリ-を作るべきか?」とか、「《メントー》は現役活動をバリバリしている人物に限るべきか?」といった質問を投げかけるわけです。この前の顧問委員会の席で質問したのは、まさにその評価に関わることで、私も最も気にしていた問題です。
「ロレックスは、この事業の“成果”というものにもっとどん欲であるべきじゃなかろうか? 例えば、《プロトジェ》には同事業参加期間中に何らかのプロジェクトを完成しろと要求するのはどうか?」とか、あるいは「何らかの活動の“ベンチ・マーク”(一定基準)を設けるべきじゃないか?」といった疑問です。でもこの間のミーティングでの顧問委員たちの反応は、「そんな必要は無い。今のままでとても良い。どのようなインパクトをもたらしているかなんて10年後になってみなけりゃわからないことなんだから」というものでした。というわけで、「評価」ということはしていないのです。最初の第1サイクルからいま5年経っていますが、その第1サイクルの成果を測定しようとすることすら、まだ性急すぎます。
- この事業をスタートさせた時に、ロレックス社としてこの事業の継続時間の枠を設けたりしましたか? 例えば「何にせよ最低○○年は続けてみよう」とか、「5サイクル目の終了したところで見直しをはかって、必要な改訂や調節を行うことにしよう」──みたいなことですが。
-
いえ、今までのところそんなものは無いです。何か大きな改良を加えるなんてことはまだまだ時期尚早だと思いますから、最初の年に作り上げた方法のまま今後も続けて行きます。いいですか、例えば『ロレックス賞』は始まってから約30年経っていますが、今ようやく、「このまま続行するか、変革を加えるか」という論議が始められているところです。2008年末にほんの少しの改訂することになった程度です。
ロレックスは100年を越える歴史を持つ、卓越したブランドです。現在のCEOのパトリック・ハイニガーにしても、創立から数えてやっと3人目のCEOです。つまりロレックスという会社のおもしろいところは、何を為すにも時間の単位がとても鷹揚だということです。5年なんていうのはとるに足らない時間です。20年あるいは30年経ってようやく、「さて、どうするか? うまくいっているか? このまま続けるか?」なんてことに目を向けるのかもしれません。
株の売買のような企業で働くのでなければ、中期・長期単位でものごとを進めることができるはずです。長期の積み上げによって、力は培養されるのです。まぁどこかの時点で──10年後くらいでしょうか──『メントー&プロトジェ・プロジェクト』についても、我々の為していることと進む方向、そして評価ということが話し合われるでしょう。
ただし、「変化」ということは常に起きています。例えば、先日のガラの一週間前の週末に、ニューヨークで『ロレックス・アーツ・ウィークエンド』というイベントを催しています。6つのイベントがマンハッタン各地の劇場や文化施設で開催され、過去の3サイクルに参加した《プロトジェ》たちの作品が一般に向けて上演・上映・展覧されました。さらにシンポジウムもひとつ主催しました。こういった一連のさまざまのイベント公共に向けて行うのは、今回が初めての試みでした。前回、第2サイクルが終了した2年前の時には、今回の一連イベントのミニ・バージョン的な催しをコロンビア大学で行いましたが、内部関係者を招待しただけの内輪のものでしたから。
というわけで、アウトリーチとか一般に向けての普及活動という関連事業の面で、本事業は多いに変化発展しているわけです。何にせよ、大局的に見て、いま現在、CEOのパトリック・ハイニガンはこの事業に満足していると思います。なぜなら、我々は多くの興味深い人々と巡り会い、支援をし、豊かなつながりを創出しているのですから。 - ロレックスはこの事業を「国際的」でしかも「多様性」のある事業だと強調していますが、ある種の人たちにはむしろ「欧米中心主義」あるいは「大西洋中心主義」だと見えるようです。2年に一度のガラがニューヨークで開催されることや、6つの分野の種分け方法そのものが西洋文化の因習だというあたりが、揶揄する人々の根拠ですが、こういった意見にはどう反応されますか?
-
6つの分野のことについては、我々は顧問委員らと常に話し合ってきていますし、恐らく将来的には「分野ごとの採択」という方法ではない方向に進むと思われます。「総合芸術の分野」を作るべきかという観点についてはすでに話し合いましたし、実際問題、現在の分野分類ではうまくあてはまらないアーティストも多くいます。だからといって「何にでも手を出す」ということも不可能です。事業を運営するために落とし込まなければならない現実性というものを直視しなければなりません。
例えば、次の第4サイクルの文学《メントー》のウォーレ・ショインカですが、彼いわく、彼の《プロトジェ》は「英語でもフランス語でもスペイン語でもどれでも良く」て、「劇作家でも詩人でも小説家でもエッセイストでもなんでも良い」と言う。あまりに門戸が広すぎます。《プロトジェ》を探し選定するという現実的な観点から言えば、もっと絞り込んでもらわねばなりません。というわけで、現実性においては、ある種の特定性は受容せざるを得ないのです。
もうひとつの問題は、分野ごとに状況が違うということですが、例えば美術を例にとりましょう。現代美術はいまどこで起こっているかと考えた場合、多くが米国で、時には英国、あるいはドイツ。中国も近頃では遡上に挙がってきています。ですが、「《メントー》に相応しい卓越したアーティストは誰?」という質問を投げた場合には、どうしてもアメリカ人の名前が次々に挙がるでしょう。こんな現実も、議論の一端になっているはずです。
いま現在、この事業がアジアやラテン・アメリカよりも欧州や米国よりになっていることは確かです。「太平洋プロジェクト」というより、「大西洋プロジェクト」ですね。次の第4サイクルの《メントー》は、米国と欧州とアフリカからそれぞれ2名ずつ。残念なことにアジアからの《メントー》はいませんし。このことは顧問委員が誰を《メントー》に推薦するかということの結果次第なのですが、つまりは、例えばアジアの影響をもっと強めるためには、顧問委員をもっとアジアから募らねばならないということになりますね。
- 「大西洋プロジェクト」という問題に即して浮かぶのは、「言語の壁」という課題です。特に演劇や文学の分野においては、《メントー》がどの言語をしゃべるかということが《メントー》選出の条件になったりもするのでしょうか?
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その答えは「是」でもあり「否」でもあります。理想とするところがあり、同時に、現実性という落としどころも必要です。先の顧問委員会ではハンガリア人の文筆家が推薦されました。彼の作品は翻訳出版されたことがありません。明らかに優れた文筆家ですが、ほんの少しのドイツ語を話しますが、あとはハンガリア語だけ。いったいどうやって《プロトジェ》と一緒に活動できるでしょう? ハンガリア語でものを書くことを要件に《プロトジェ》探しをするなんて…、いったい誰が彼の《プロトジェ》になれるでしょう? 前に中国人が《メントー》として推薦されたこともあったのですが、その人物は中国語しかしゃべらない。ということは、《プロトジェ》には必ず中国語をしゃべるアーティストを手配しなければならないということになってしまいます。
この問題も興味の尽きない課題ですよね、なにしろこの事業は「世代間を交差」させることに加えて、「文化や国境の交差」をも主眼にしているのですから。政治じみた宣言を出して多様性やら包括性やらを唱えることだってできますが、前出のようなケースに実際にはどう対処したら良いのでしょう? どうしたら実際にコトを起こせるのでしょう? 幸いなことに英語はいわば「国際語」であり、芸術の世界にいる人々の間においても英語は国際語として機能しています。我々はこの現実から抜け出せていない。望むべき状況とは言えませんが、これが現実でもあるのです。
- 《プロトジェ》たちには、どのようなキャリアを進んで行って欲しいとお考えですか? 分野によって異なるかもしれませんが……。
-
個人的には、彼らが彼らそれぞれの分野でインパクトを放つようになって欲しいですね。そして彼ら自身がいつの日か《メントー》になれたらと良いと思っています。第2サイクルの参加者だった南アフリカ出身の演劇《プロトジェ》、ララ・フット・ニュートンと、同・エチオピア出身のダンス《プロトジェ》、ジュナイ・ジュマル・センディの二人は、自国に戻って彼ら自身の「メントー・プログラム」をスタートしているのですよ──我々が援助している事業というのではありませんが。ロレックスのこの事業にたいそう感銘を受けて、まだ歳若いにもかかわらず「自分たちも後続するアーティストを指導する時期に来た」と感じたんです。
- この事業の予算を明かしてくれませんか?
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この事業にかかるすべての投資を総額にするのは困難ですね。ガラの経費もあればその他の諸イベントの経費もあり、出版物やら選考委員にかかる費用やら、実に多くのことがありますから。でも事業の「直接の助成金」と「直接支出」に関してなら、総額で70万ドル(約8000万円)になります。6人の《メントー》各自が受け取る金額が5万ドル(約570万円)。6人の《プロトジェ》各自は、事業サイクルへの参加期間中に2万5000ドルを受け取りますが、さらに、サイクル期間終了後に彼らが打つ公演や個展や出版等の活動に対して、再び2万5000ドルを助成します。これについては、サイクル終了後2年以内に、《プロトジェ》は我々に助成金の申請書を提出しなければなりません。この他、サイクル参加期間中の《プロトジェ》の旅費などはロレックスの負担です。《メントー》が「《プロトジェ》の仕事を見に行きたい」と言った場合には、その旅費を負担することもあります。以上が「直接の助成金と直接支出」と呼ぶものの内訳です。
- 用意してきた質問はこんなところですが、何か付け加えたいことはおありですか?
-
この事業は成長し続けており、深みを増しています。この事業に積極的に関与した人々──《メントー》や《プロトジェ》たち、選考委員や顧問委員の方々のことですが──を数えただけでも、この5年間で200人以上に達しています。しかも彼らはいずれもアーティストか、あるいは40数カ国から集まって来た芸術界の指導的立場にある人々です。スゴイことですよね。
もうひとつ、興味深いと思うのは、「出会い」が創出されているということです。この事業からは多くの副産物が生まれています。例えば、《プロトジェ》たちはこの事業を通じてお互いに知己を得ますでしょう? ここで知り合った違う分野のアーティストたちが他の芸術形態に興味を持ち、分野を越えて活動を広げて行くことを我々は期待しています。
選考委員の人々にとっても、――貴女も先刻おっしゃっておられたように──この事業への参加は有意義な機会です。《プロトジェ》として最終のリストからは漏れてしまったアーティストの中にも、選考委員たちの注目をあつめるアーティストがいたりするもので、選考委員らにとっては未知のアーティストについての情報を入手する良い機会です。彼らはフェスティバルのディレクターだったり、プレゼンターだったりキュレーターだったりという人たちですから、「この若手は《プロトジェ》には選ばれなかったけれど、私のところの来年のフェスティバルに出演してもらいたい」と思う選考委員がいたりしますし、実際にそういうことが起こっています。この意味で、この事業は、応募した若手アーティストたちすべてを間接的にではありますが支援していることになるわけです。
- 実際、私が選考委員会で推薦して応募してきた演出家のひとりは、選考委員仲間のひとりであるフェスティバル・ディレクターの関心を引いて、彼の作品は2年後にそのフェスティバルに招聘されています。
-
ほらね。その通りなんです、とっても素晴らしい副産物でしょう?
- 最後の質問です。私が選考委員を務めていた時に、選考委員は匿名だと解説されました。今後も匿名で通すべきでしょうか?
-
選考委員として“従事している期間”は匿名でなければなりませんが、貴女が選考委員として従事したサイクルはすでに終了していますから、もう明かしても大丈夫です。むしろ貴女が、選考委員に従事したことはとても有意義なことだった、未知のアーティストを知ることができて良かったと世間に語ってくれるのなら、それはこの事業にとっても良いことです。
- はい、必ずそうします(笑)。今日はお時間をどうもありがとうございました。
レベッカ・アーヴィン
巨匠との出会いをコーディネートする
ロレックス社「メントー&プロトジェ・アーツ・イニシアティブ」
レベッカ・アーヴィンRebecca Irvin
「ロレックス賞」「ロレックス メントー&プロトジェ・アーツ・イニシアティブ」ディレクター(事務局長)
1981年米イリノイ州ウィートン大学卒(政治学、現代言語学)。85年スイス・ジュネーブ国際関係大学院にて国際歴史学および政治学の修士号を取得。82年から91年まで通信社やラジオのフリーランス・ジャーナリストとして、ジュネーブ、ロンドン、リスボンで活動。91年から93年までジュネーブに本部を置く赤十字国際委員会の広報部長を務める。93年にジュネーブに本社を置くロレックス社に入社し、科学や環境保護等の分野で斬新な活動を行っている人々やプロジェクトを支援する表彰プログラム「ロレックス賞」の事務局長を務める。
2001年、同社代表取締役社長・CEOのパトリック・ハイニガーからの応援を受けて、芸術界における新たなフィランソロピー・プログラム『メントー&プロトジェ・アーツ・イニシアティブ』のプログラムを始動。ジュネーブの事務局で15名のスタッフを率いて、顧問委員や選考委員の構成、広報や教育活動の管理など、同プログラムの全体統括責任を担う。
ロレックスに勤務する傍ら最近では、得意のピアノでジュネーブポピュラー音楽学校の学位を取得。米国、スイス両方の国籍を持つ。2児の母親でもある。
「ロレックス メントー&プロトジェ・アーツ・イニシアティブ」
https://www.rolex.org/rolex-mentor-protege
事業は2年サイクルで行われ、《メントー》は《プロトジェ》と1年間、交流しながら育成を図り、ロレックス社がニューヨークで1年おきに催す豪奢なガラ・パーティーを以てプログラムは完了する。パーティーは、アーティスト、プレゼンター、キュレーター、批評家や芸術系助成財団の人々など世界各地の芸術関係者600人以上の招待客を迎えて開催され、《メントー》と《プロトジェ》が事業サイクル期間中にどのように時を共に過ごし、どのような活動を行ったかをリポートするドキュメンタリー・ビデオを上映するとともに、シャンパンと美味な料理でサイクル終了を祝う。以下のインタビューは、第3回目のサイクル終了を祝う同ガラから36時間後のニューヨークでとり行われた。
聞き手:ジャパン・ソサエティー芸術監督 塩谷陽子
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