ハンダン・ウザル・ドュンダル

ハンダン・ウザル・ドュンダル

現状維持というチャレンジ -トルコ舞台芸術シーンの現在とイスタンブール演劇祭

2024.06.03
ハンダン・ウザル・ドュンダル

ⓒ 山本れお

ハンダン・ウザル・ドュンダルHandan Uzal Dündar

イスタンブール演劇祭プログラム運営責任者。1984年トルコに生まれる。2006年、エーゲ大学コミュニケーション学部ラジオ・テレビ・映画学科を卒業。卒業後、語学力向上の目的でフランスに暮らす。
2010年、イスタンブール文化芸術基金 (İKSV)に入り、1年にわたり複数の部署で専門的経験を積んだ後、2011年にイスタンブール演劇祭の常勤メンバーとなる。以来、トルコで最大の規模を誇り最も権威あるこの舞台芸術イベントを、企画・実施するチームの一員として活動している。
2022年現在、イスタンブール演劇祭のプログラム運営責任者として、2年ごとに交代するキュレーターと協力して演劇祭の企画・運営の両面に責任者として携わる。また、İKSVが毎年授与するGülriz Sururi – Engin Cezzar 劇場奨励賞の責任者も務めている。(2024.6更新)

イスタンブール演劇祭 https://tiyatro.iksv.org/en

イスタンブール演劇祭は、イスタンブール文化芸術基金(İKSV)の運営による国際演劇祭。建国50周年にあたる1973年に、国際的な文化イベント「イスタンブール・フェスティバル」としてスタート。その後数年にわたって別々のフェスティバルに分割された中から1989年に「イスタンブール演劇祭」が創設され、現在は毎年秋に開催 、ダンスも含めた国内外のさまざまな舞台作品を紹介している。プログラム運営責任者として、企画・運営の双方に携わるハンダン・ウザル・ドュンダルに、トルコ国内の舞台芸術シーン、ヨーロッパをはじめとする海外との交流、そして演劇祭の現在について聞いた。

取材・文/鈴木理映子

イスタンブール演劇祭についておうかがいする前に、トルコ国内の演劇事情について教えていただけますか。
トルコ国内の演劇のほとんどは、テキストを中心にしたものですが、2000年代の初頭にオルタナティブ演劇の潮流が起こりました。今ではもう「オルタナティブ」とは呼べませんが、その流れは現在のインディペンデントの演劇運動につながっています。ここ5、6年の経済的な困窮もあって、パンデミックの数年前からよく観られるようになったのは大道具を使わない、モノローグの劇です。一人の俳優が戯曲、舞台を背負うのは大変なことですが、こうしたトレンドによって、それをこなせる若い俳優がたくさん育ちました。同時に、劇作家たちも非常にレベルの高い一人芝居を書くようになった。ですから近年では、俳優、戯曲のクオリティが明らかに上がってきています。

一方2013年には、イスタンブールに民間の大きなパフォーミングアーツセンターがつくられ、ミュージカルなど、大きな経済的投資を必要とするような大型公演のためのスペースが初めてできました。そこではテレビで観ているような有名な俳優を実際に観ることができ、そのためならチケット代はいくらでも出せるというような観客が多く通っています。チケットは連日売り切れです。俳優だけでなく、美術や照明、音響なども含めて、お金はかかっていますが、高品質の舞台が提供されているといえます。

トルコの舞台芸術は、ちょうどこの二つの流れの間のバランスをとらなければいけない状況にあると思います。一方には有名人を起用することがメインのような演劇があり、一方でインディペンデント演劇の人たちはクオリティを追求しながらも、稽古場も見つけられない、会場は足りない、観客は集められないといった環境にある。こうした二分化は、一般の観客の行動にも影響を与えるもので、私は望ましくないと考えています。さらに、物価高やリラ安などの影響で、これまでは1シーズンに5、6作品を観ていた観客が2、3作品を観るにとどまっているような状況が続いています。

ただ、ここまでお話ししてきたのは民間の、それもイスタンブールに限ってのことです。アナトリア半島などの地方では、そもそもインディペンデントの劇団は非常に少ないですし、国立や市立などの劇場に付属した劇団もありますが、その両方があれば相当な大都市といえるでしょう。
  • ⓒ 山本れお

国立劇場や市立劇場ではどのような作品が上演されていますか。
国立劇場は各地にあって、その付属劇団で俳優たちがなかば公務員のような形で給料をもらって活動しています。地方自治体が運営している劇場、劇団もあり、どこも安価でさまざまな層の観客が鑑賞できるようなプログラムを提供しています。社会のどの層にも届けるという使命については、私ももちろん肯定していますし、推進すべきだと思います。ただその一方で、作品の多様性についてどう考えるかという課題もあります。誰にでも理解しやすい内容でプログラムを構成することと、美学的な気づきが両立する舞台があるのも確かです。でもそれも、劇場、劇団、演出家の個性に左右されてしまうので、継続的に提供できているとはいえません。
どの層にもアクセスしやすい内容というのは、例えばどういう作品ですか。
古典も現代ものもあります。シェイクスピアはどこでも好んで観られます。でも、イスタンブール市立劇場で最近まで何十年もロングランしていた作品はトルコの劇作家のものです。トルコの作家の方が安心して観られるようなところもありますが、同時に、チェーホフやトルストイもみんな観ているし、求められています。
ダンスについてはどうでしょう。
国立のオペラ劇場とそのバレエ団があり、そこで学んだ人たちによるModern Dance Theatre (MDT)というグループがあります。また、インディペンデントのダンサー、ダンスカンパニーも数は少ないのですが存在はしています。ただ彼らも演劇のインディペンデント劇団と同じように稽古場や公演会場の確保、観客動員に苦戦しています。そんな中でもムスタファ・カプラン(Mustafa Kaplan)と、フィリーズ・スザンル(Filiz Sızanlı)は、パンデミックもあって国際的なネットワーキングが非常に難しい状況下で、充実した活動を続けています(https://taldans.com/)。
演劇のつくり手で国際的に活躍するアーティストにはどんな人がいますか。
もっとも優れた演出家として名前を挙げるべきなのは、シャーヒカ・テカンド(Şahika Tekand)でしょう。彼女はギリシャのテオドロス・テルゾプロス(Theodoros Terzopoulos)との親交を通じて、日本の鈴木忠志とも交流を持っています。またムラット・ダルタバン(Murat Daltaban)の演出した作品は、エディンバラ・フェスティバルのメインプログラムにも選ばれていました。それからイェシム・オズソイ・ギュラン(Yeşim Özsoy Gülan)も20年にわたり自分の劇団を率いて、世界的に活動している演出家です。

ダンスの担い手も含め、今名前を挙げた人たちに共通するのは、ローカルな観客のためだけに創作しているのではないということです。国際性だけが唯一の価値基準ではありませんが、やはり異なる背景を持った観客に訴える何かを持っている、そのために努力しているということは大事だと思います。私たち国際フェスティバルの担い手も、そういうところを評価していますし、そうした潜在能力を持っている演出家を国際化するチャンスをつくっていくべきだと考えています。
トルコの舞台芸術は、世界でどのように評価されていると思いますか。
海外で注目を集める作品は、政治的な内容のものが多い傾向にあります。ただフェスティバルとしては、もっと美学的な側面、美的なレベルの高さを伝えていくことを理想としています。そのためにも、たびたびショーケースの開催をしています。もちろん制作者だけがこういった課題について影響力を発揮できるわけではないですが、その機会をつくらなければ、いっそう凝り固まった傾向が強まってしまいます。つまり、「アート」としての交流がより重要だと感じています。
  • 2023年10月25日~11月25日に開催された第27回イスタンブール演劇祭ポスター

ここまでうかがった、トルコの舞台芸術の「見取り図」を踏まえ、あらためてイスタンブール演劇祭の位置づけや役割について教えてください。
イスタンブール演劇祭は、トルコで最大の国際演劇祭です。経済危機やパンデミックの影響で苦闘を余儀なくされてはいますが世界でも有数の演劇祭としてその名を挙げられています。これはフェスティバルを支えた先人たちの貢献によるものですが、とりわけ、ディクメン・ギュルン(Dikmen Gürün)は、1993年まで20年にわたって2代目のフェスティバル・ディレクターを務め、国際的に評価される作家や作品をたくさん紹介しましたし、国内のつくり手の育成にも徹底して注力していました。

私たちのミッションはつくり手と観客、双方を育成し、そのレベルを高めていくことにあります。そのためにも、国際的に価値が認められた作品をイスタンブールの観客に提供しなくてはなりません。国内のアーティストたちはよく、「すぐ隣の街でロバート・ウィルソン(Robert Wilson)の公演があるようなところで、自分たちも公演をしていた。そのことでモチベーションが上がった」という話をしていました。そうした作品は、ローカルのアーティストにとっても、観客にとっても、インスピレーションを与えるものです。

もちろんそれに加えて、トルコ国内の劇団やクリエイターを支援し、イスタンブール演劇祭で世界初演となる作品を送り出せるようにしていくことも私たちの使命です。
イスタンブール演劇祭では、2021年以後、フェスティバル・ディレクターが多くを取り仕切るのではなく、2年任期のキュレーターがプログラム構成を担う体制になったそうですね。今ちょうど最初の2年を終えて、どんな手応えを得ていますか。
キュレーター制度の狙いは、2年ごとに、それまでとは異なる考え方、パースペクティブを導入することによって、観客の関心を維持し、高めることです。ただ最初の年は大変でした。トルコの場合、造形美術の分野ではキュレーターという概念は普及していますが、ダンスや演劇の分野ではゼロからこの概念について伝え、共有していかなければなりませんでした。またキュレーター自身も財団の仕組みやフェスティバルの成り立ちを知るところからスタートしなくてはならなかった。ですからお互いを知り合うというだけでも長く時間がかかりました。さらに、パンデミックの渦中で、次々とあらたなタイプのコロナウイルスが出てくる中、海外のカンパニーのスケジュールを押さえることも難しい。劇場は実際の席数の半分の収容人数でしか運用できないから、観客動員も見込めない——ということで、現場はとても混乱していました。今振り返っても、どうやっていたのか、思い出せないくらいです(笑)。

私はプログラムの運営責任者ですが、2年目になってようやく、私たちフェスティバルのスタッフとキュレーターとの関係が見えてきた気がします。要するに、私やフェスティバルのスタッフは、キュレーターの視点と、演劇祭が培ってきた観客のニーズをつなぐ役割を担っているんです。この2年間キュレーターを務めたイシュル・カサポール(Işıl Kasapoğlu)は、ソルボンヌ大学を卒業し、長年フランスで演劇活動をした後にトルコに戻り、セマーヴェル劇場(Semaver Kumpanya)という劇団で活動しています。いわゆるテキスト演劇の演出家ですが、マスクプレイにも関心が高いということで、世界中から集めた資料を一緒に観て、ドイツのファミリー・フロズ(Familie Flöz)の作品を紹介することもできました。一方で、ヴッパタール舞踊団の『カフェ・ミュラー』の公演もありましたが、これはキュレーターの意思というよりは、イスタンブールの観客とピナ・バウシュの20年にわたる関係を踏まえて決められたものです。ご存じのように、海外からの招聘や国際共同制作は、今日話し合いをして明日できるというようなものではありません。数年かけてやっと可能性が見えてきたところで、そのときのキュレーターのアプローチと合致するのかどうか、あるいはどういうコンテクストのもとでなら観せられるのかを考えていくのも私たちの仕事です。
  • 2023年のイスタンブール演劇祭で上演された『イスタンブール・モナムール』ⓒ Salih Üstündağ
    İSTANBUL MON AMOUR | BEYOĞLU

トルコは「ヨーロッパとアジアの交差点」とも呼ばれますが、そうした地理的、文化的な条件をどのように意識されていますか。
確かにトルコ、そしてイスタンブールは、ヨーロッパとアジアの橋渡しの役割を担う地域です。ただ、そのことを、舞台芸術に関わる人々がチャンスにできているかというと、ヨーロッパにもアジアにも、トルコの演劇人を十分紹介しているとは言えませんし、交流はむしろ滞っているように感じます。この問題を解決するには、やはり支援を充実させる必要があります。私たちのフェスティバルだけでは不十分です。創作活動を続けること自体に経済的な困難があり、支援を受けられる人も限られてしまうというのは、世界中で見られる問題ですが、トルコではいっそうの困難さがあると思っています。アーティストだけに任せるのではなく、それ以外の誰かが戦わなければなりません。トルコにも国際交流基金のような公的組織が必要なんです。
最後に、30年以上の歴史を重ねてきたフェスティバルとして、今後どのような目標を持っているか、お聞かせください。
最初の2年間のキュレーション体制は首尾よく機能し、作品のクオリティはもちろん、観客も一定のレベルに引き上げることができたと感じています。ですから課題は、どうこの状態を維持できるかです。世界は複雑に変容し続けていますし、中でもトルコは非常にダイナミックな国です。そこでは「維持」もチャレンジといえるんです。
  • ⓒ 山本れお
    通訳/イナン・オネル

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