国際交流基金 The Japan Foundation Performing Arts Network Japan

Presenter Interview プレゼンターインタビュー

2009.2.28

Pioneering the role of the university-based arts center,
The Hopkins Center for the Arts in New Hampshire, USA

アメリカ

大学付属の芸術センターの草分け
米ニューハンプシャー州のホプキンス・センター

マーガレット・ローレンス Margaret Lawrence
ホプキンス・センター プログラム・ディレクター

米国において数ある大学付属の芸術センターの草分けとして、50年以上にわたって活動してきたダートマス大学のホプキンス・センター。学生アンサンブルによる公演、世界の一流アーティストによる公演、滞在制作による新作委嘱などを提供し、地域の「文化中心地」として重要な役割を担ってきた。米国を代表する舞台芸術プレゼンターのひとり、同センターのプログラム・ディレクター、マーガレット・ローレンス女史に、大学付属の芸術センターの役割と多彩なプログラムについて聞いた。
聞き手:ジャパン・ソサエティー芸術監督 塩谷陽子

ホプキンス・センターはダートマス大学付属の劇場ですね。日本では「大学付属の劇場とか、大学が運営している劇場などというと、そこはもっぱら学生の活動のための施設なのだろうと解釈されてしまうのが普通です。ところが米国では全く違っていて、市や州の中で最も優れた劇場は大学付属の劇場で、そこではプロの劇場運営者が企画した世界の一流の作品を一般市民に向けて上演しているケースが非常に多い。ホプキンス・センターもそうした劇場のひとつですが、まず、その成り立ちからお伺いしたいと思います。また、同センターの組織、運営体制、事業内容がダートマス大学とどう関係しているのかについてもご説明いただけますか。
 ホプキンス・センター(HOP)は1962年に建てられました。さまざまなジャンルの芸術を対象にした大規模な複合芸術センターをキャンパス内に建設しようとする動きがアメリカのあちらこちらの大学で起こった、その潮流の先駆けのひとつです。
北米では、メジャーな劇場の多くが大学のキャンパスに付属しています。アメリカでは、公(行政)が芸術センターの運営を行うことは非常に稀なため、大学付属の芸術センターがメジャーなプレゼンターの役割を果たすべく成長してきた経緯があります。つまり、アメリカでは大学が自らを「学生に教育を与える場所」というだけでなく、そのコミュニティーの人々に対して「文化の中心地」としての機能する場所だと、自覚しているのです。
1960年代以前には、大学付属のアートセンターというものは存在していなかったのですか? 
 カリフォルニア大学(UC)バークレー校などは、カル・パフォーマンスという劇場をもう100年も前からキャンパス内に擁していましたが、「多様なジャンルを対象にした複合芸術センター」という発想は、60年代の潮流以前にはありませんでした。HOPはまさにその先駆けでした。「複合芸術センター」としては、“大学付属”ということに限らず、ロサンゼルス・ミュージック・センターやニューヨークのリンカーン・センターよりもHOPのほうが先です。HOPの1年後にオープンしたリンカーン・センターのメトロポリタン歌劇場は同じ建築家がHOPをモデルにして設計したものです。
HOPには、ただ劇場があるだけでなく、ギャラリーがあり、リハーサル・ルームがあって、そして映画上映も行っている。HOPは、こういう多ジャンルの文化事業を提供する施設を「地域の文化の中心」としてキャンパス内に建設しようという、当時の実験的な試みの、まさに最初のプロトタイプとなったわけです。
HOPと大学および地域との関わりについてお話すると──。HOPは、ダートマス大学の一部であり、私自身も大学に雇用されています。ですが、私たちHOPのスタッフは、大学の学部・研究部門に属する職員ではなく、プロのアート・アドミニストレーターであり、大学の副総長に直属しています。HOPのビルの中には、芸術系の学部──演劇学部、映像&TV学部、音楽学部、そして美術学部──が入っていますが、彼らはHOPとは独立した“店子”のような存在です。けれども、学部と私たちは「店子と大家」の関係をはるかに超えたもので、常に緊密な協働・コラボレーションを行っています。また、私たちは、学部の学生のつくった舞台作品を一般に向けてプロモートするという役割も担っています。
HOPと芸術学部との協働とはどのようなものですか? 例えば、教授が「これこれのアーティストやカンパニーをHOPで招聘・主催してほしい?」と提案するとか?
 そうであれば素晴らしいですが、たいていの場合はその逆で、私のほうから学部に対して提案します。例えば、この春までの3年間、演劇学部や他のさまざまな学科を巻き込んであるプロジェクトを行っています。それは、ドリス・デューク・チャリタブル財団の「クリエイティブ・キャンパス助成」を受けて実現したもので、「ひとりのアーティストの視点からテーマを考える」というプロジェクトです。そこで取り上げたテーマが「Class Divide(階層社会)」です。つまり、「上位にいる“持てる者”」と「下位にいる労働者層」との格差、この国の人間を二分し経済を二分している大きな社会経済問題をテーマにしました。
そのプロジェクトの一環として、劇作家で俳優のアン・ガルジョアに、私たちの地域の住民の生活やその格差をもとにした演劇の新作を委嘱しました(*この新作、『You Can’t Get There From Here(ここからじゃあそこへは辿りつけない)』は、HOPにて2008年11月に初演)。そのため、2年にわたって彼女は大学の演劇学部に何度も出入りすることになりました。
アンのリサーチは、コミュニティーの住民やキャンパスの学生たちとの1対1の会話や、グループ・ディスカッションという方法で始められました。例えば、女子学生とのグループ・ディスカッションでは、「“階層”って何?」「初めて『この人とは階層が違う』と思ったのはいつ?」「お金持ちの人、あるいはお金の無い人に対して、これは顔に出せないなという感情を抱くことがある?」──といった質問を投げ掛けるわけです。
こういう方法で非常に多くの住民や学生がプロジェクトに関与しました。また、ダートマス大学でも戯曲ワークショップなど色々な活動が行われました。昨年、HOPは、「ワーク・イン・プログレス(中間発表)」としてセットなし・俳優が片手に台本をもってのリーディング形式で新作を上演しました。公演後には観客とアンとのディスカッションを行い、もちろん学生たちも参加しました。
このプロジェクトは、私が先導したものですが、その上で、演劇学部に対して「ワークショップだけではなく、“階層社会”をテーマに何か考えられない?」といって、プロジェクトへの参加を執拗に働きかけました。
その結果、今年、学生たちによる『怒りの葡萄』の公演が企画されました。『怒りの葡萄』は貧困と労働運動──つまり“階層社会”をテーマにしたものですから。このように演劇学部としてこのプロジェクトに正式に参加することになったわけですが、その意思決定は彼ら自身によるものです(*『怒りの葡萄』はHOPにて2009年2月18〜28日上演)。
こうした学部とのコラボレーションの成否は教授陣との付き合いを通じて彼らの興味や熱意をどれだけ共有できているかが鍵になります。インフォーマルですが、私は常日頃から演劇学部の教授陣と個人的な関係を築いているので、彼らの好みを知っています。音楽学部については、HOPとある種の提携関係を築いていて、学部のほうから毎年3グループの招聘要請がきます。私たちはそれをブッキングし、1週間のレジデンシーに招きます。グループを選ぶのは音楽学部ですが、プロデユースするのは私たちHOPです。
ひとつ思い出したことがあります。私たちジャパン・ソサエティーが 川村毅 演出による 『Aoi / Komachi』 の2007年春の北米ツアーをプロデュースしていた時、HOPをツアーの巡回先に組み込む相談をさせていただきました。その時に、「この作品は女性問題や日本のポップ・カルチャーなど、いろいろな角度から眺めることができるので、ダートマス大学のさまざまな学部を巻き込むことができそうだ」という話がでました。このアン・ガルジョアのプロジェクトでも他の関連学部を巻き込んだのですか。
 ええ。社会学、地理学、歴史、宗教などの学部を巻き込んでいます。学部以外にも、タッカー・ファウンデーションといって、学生が地域に労働奉仕をする時にコーディネートなどを行う部署も参加しています。
芸術系の学部以外を巻き込んだいい例としては、昨年行ったマース・カニングハムへの新作委嘱のプロジェクトがあります。カニングハムは長期レジデンシーせずに、公演前1週間だけ仕込みやリハーサルのためにキャンパスで過ごしました。たった1週間でしたが、カンパニーのメンバーは、モーション・キャプチャーの技術協力や、抽象数学と身体運動の関係をデモンストレーションするなど、キャンパスのあちこちで活動してくれました。
この新作は、舞台美術にロバード・ラウシェンバーグの絵画を使用していたため、美術学部は授業の一環としてリハーサルを見学し、絵画についての講義も行われました。また、カニングハムと(彼のパートナーだった)ジョン・ケージ財団の理事長を招いた対談も行いました。コンピューター科学学科の学生は、カニングハムが舞台で使用した鳥の絵を3Dアニメーション化する課題に取り組みましたし、さらに同学部の教授陣も参加して、ダンサーたちにモーション・キャプチャーのセンサーを付けて彼らの動きと3Dの鳥の動きを連動させる実験も行われました。
このように、私たちは芸術系の学部だけでなく、キャンパス中の非常に多くの教授陣との関係を構築しています。HOPに招聘するアーティストが、公演以外の機会で接する人々の数は、学生と地域住民を合わせておそらく2万人以上になるのではないでしょうか。何しろものすごい数の関連イベントが実施されますからね。
先ほど「HOPは学部の学生のつくった舞台作品をプロモートする役割も担っている」と言われました。実際、HOPのウェブサイトを見ると、学生のコンサートや学生の舞台の告知・宣伝が、世界の超一流のプロのグループ(招聘アーティスト)の告知と全く同列の扱いで掲載されています。
 HOPで“一般に向けて公開されるイベント”は、すべて「ホプキンス・センターの催し」という位置づけであり、大学が独自で行う学術シンポジウムなど一部の例外を除いて、「ホプキンス・センターの催し」のためのマーケティングはすべて我々の業務となっています。
ダートマス大には各種の学生アンサンブル──ダートマス交響楽団、吹奏楽団、合唱部、ヘンデル協会、ワールド・ミュージック打楽器アンサンブル等々──がありますが、これらの指導に当たっているのは学部の教授ではなく、プロの音楽家です。実は、このプロの音楽家がみんなHOPのスタッフなのです。私たちはこれを「相互カリキュラム」と呼んでいます。というのも、学生アンサンブルの活動は、授業の一部や単位の対象にはなっていないものの、特別カリキュラムとして行われているからです。そして、これら“プロの指導による学生アンサンブル”のマネージメントは私たちが担当しています。その面から言えば、学生アンサンブルはHOPの常駐カンパニーとも言えます。
私たちは、彼らの演奏会の日程を管理・調整し、演奏会をマネージメントし、チケットを販売し、そしてその他の一流のプロの団体のプログラムと同列に扱ってプロモートします。私たちはこうした学生の活動をサポートしたり助言したりするプロデュース的な役割も担っています。
例えば学生の音楽アンサンブルの場合、具体的な演目は誰が決めているのですか?
 各アンサンブルを指導しているプロのディレクター──つまり各アンサンブルの指揮者でHOPのスタッフということですが──がディレクションしています。ディレクターの方向性だけで決まるわけではなく、学生の資質や力量なども考慮する必要があるため、演奏会直前まで演目が決まらないことも多い。「マーラーにしたいけど、金管奏者が揃うかどうかがわからない」とか。シーズン・ブロシュアに掲載する学生プロダクションのプログラム内容が曖昧なのはそのためで、予めシーズン・テーマを設けてプログラミングをすることもできなくて、マーケティングをする立場の私にはやっかいなことです。
プログラムの質を一定に見せるためには、一流の招聘アーティストのプログラムと学生のプログラムとを別々にして宣伝したほうがいいとは思われないのですか?
 地域の人々は、どれが学生のものでどれが招聘アーティストのものかよくわかっています。しかも、両方の観客はその多くがオーバーラップしています。ダートマス交響楽団のチケットはいつも完売で、大勢の地域の人々が駆けつけますが、同じ人々がテナーのイアン・ボストリッジのコンサートにも来てくれる。彼らは違いを知った上で、両方を楽しんでいます。ですから、両方を並行して宣伝し、上演することで失うものは何らないと思っています。
学生アンサンブルも年間のシーズンに組み込むとなると、招聘アーティストをブッキングするためのスケジュール調整がそうとう複雑になりそうですね。
 複雑です。ダートマス大は4学期制を採用していて、1学期あたり9〜10週。公演カレンダーを見ていただくとわかりますが、招聘アーティストの公演は各学期の最初の月に集中していて、ほとんど毎日のように行われています。そして各学期の2カ月目には、ほとんどの公演が学生のプロダクションになっています。つまり、学期の後半には演奏会ができる水準に上達している、ということなんですね。例えば今春、新学期は3月末にスタートしますから、4月の1カ月間は招聘アーティストのプログラムで、5月に入るとほとんどが学生のプログラムになり、演奏会や公演が終わったら、はい卒業というわけ(笑)。やっかいですが、慣れてしまえばどうなるかの読みはできます。
そうしたプログラムの周期はマーガレットさんがここに着任してからの14年間でつくり上げたものですか?
 着任した時にはすでにこうしたパターンは出来上がっていました。なにしろHOPはもうじき50周年を迎える組織ですから。それよりもやっかいなのが、スペースの問題です。HOPには900席のコンサート・ホールと480席の劇場があります。演劇学科がプロダクションを制作する時に使えるスペースはこの劇場のみで、セットもステージ上で組んでいくため、私がこの劇場を招聘アーティストのために使えるのは、学期の始まりのごく短い期間だけ。その限られた日程にアーティストをブッキングするのは易しい作業ではありません。私はこのチャレンジングな“限られた日程”を、年に4回もっているわけです。
HOPでは年間どのぐらいの数のプログラムが行われていますか?
 招聘アーティストのプログラムは年間50件・50団体です。主な学生アンサンブルの公演が20件ほどあって、それ以外にも各種の学生のプロダクションで一般公演をするものがありますから、それを合わせると学生のものが年間計50件ほどでしょうか。それに加えて、映画の上映が年間200本以上。水曜日と日曜日は900席のコンサート・ホールで上映し、加えて200席の映画用劇場で週に2度以上の上映しているので、平均すると映画は週に5本ほど上映していることになります。ほとんど35mmの上映です。さらに、近頃メトロポリタン・オペラが始めた同歌劇場のオペラのライブ上映もスタートさせました。
招聘アーティストのプログラムについてはどのような基準で決めていますか?
 「学生たちが今まで接したことがないもの」ということを常に心がけています。私は幸運にも、UCバークレー校というずば抜けて優れたプレゼンターのいる大学へ行きました。入学当時の私は、すでに演奏家として音楽については知っていましたが、コンテンポラリーダンスや現代演劇などは全く観たことがありませんでした。ピン・チョンもマーク・モリスもマーサ・グラハムも、何も知らなくて、在学中に浴びるように観ました。ですから、私はHOPの仕事は、世にあるものをできるだけ色々と学生に見せる機会を提供し、学生たちが個々それぞれに文化という感覚を培うための一助になることだと思っています。一部の学生は非常に洗練されていますが、何も観たことがないという学生がほとんどですから。
つまり、貴女自身が経験したようなことをダートマスの学生とシェアしたいということですか。
 その通りです。多様な種類の芸術に触れ、異なるものの見方を知り、未知の美に触れられる4年間であってほしいと思います。また、時代を共にしている著名なアーティストらに、学生たちが近く接することのできる機会をつくりたいとも思っています。
先週、この1月のフィリップ・グラスのプログラムに関して、ひとりの学生がダートマス新聞に記事を書くため私に電話してきました(*「フィリップ・グラス:映像とディスカッションの夕べ」( http:// hop. dartmouth. edu/ 2008-09/ 090115- glass. html ):フィリップ・グラスが作曲に関わった映像作品の上映と、グラス本人のトークからなるプログラム。この企画は4月に行われるフィリップ・グラス室内楽コンサートの連動企画として行われるもので、マーガレット・ローレンスとHOPのフィルム・ディレクターが協働してつくったプログラム)。
彼に「多くの学生がフィリップ・グラスという名前を聞いたことがないと言っているのに、なぜ僕らはこのプログラムに行くべきなんでしょうか?」と質問されて、私は、「彼の音楽を知らないと思っていても、例えばTVコマーシャルにも彼の音楽を使ったものがいくつもある。だったらグラスがどんな人間なのか、君の人生に訪れたこの好機に知ってみるのも悪くないでしょ。何しろ特別な機会なんだから」と答えました。私たちがつくったこういう機会を学生にはできるだけ活用してほしいと思っています。
多様な芸術にふれてもらうために、私たちは、コンテンポラリーから伝統芸能まで、世界中からできるだけ広範囲のもの提供しようと、常にリサーチを怠らないようにしています。この場合、ダートマス大学のカリキュラムとどう関連付けられるかを吟味するだけでなく、どのような生徒がいるかということも検討材料にしています。
例えば、ダートマス大学は、「アメリカ先住民たちにも“教育”を与える場」として200年以上前に創立された経緯があるのですが、この方針はすぐに変わってしまいます。今から30年ほど前に再び方針として掲げられるようになり、優秀なアメリカ先住民の学生を全米からリクルートしています。今ではアイビー・リーグの中で最も先住民関係の講座が充実している大学になりました。これはあらゆることを考慮してプログラミングをするというひとつの例にすぎませんが、こうした学生がいるという大学の特徴を踏まえて、日本から民俗芸能のグループ「わらび座」を招聘しようかなという時には、音楽学部でこの民俗芸能と関連した授業が行われていないか、アメリカ先住民講座をわらび座公演と結び付けて伝統民俗芸能比較ができないか、などと考えるわけです。
このようにキャンパスにいる学生たちが、自分たちの伝統の殻を脱ぎ捨てて外に出て、他の人々の伝統に触れることに興味を抱くことに貢献できる──それがこの大学の付属施設で仕事をすることの喜びのひとつですね。
逆に、こうタイプの公演は避けたい、というのはありますか?
 ありますよ。オーセンティックではないものをもってくるのは避けています。例えば、アメリカのどこかでやっている有象無象の太鼓のグループ、などというのは絶対にもってきません。太鼓の公演を行うのなら日本のアーティストを招聘します。例えば日系二世の太鼓グループがあったとして、彼らがどうして太鼓をやっていてどういう演奏をするのか、そこに独自の考え方を持っているかどうかは、極めて重要です。ある特定の表現形式のものをやる場合、その形式をやっているアーティストだからということで公演を打ったりはしません。その表現形式の源流をできるかぎり突き詰めて、そこからアーティストを招聘することができるのであれば、それを招聘します。私にとって、これは非常に大切なことです。
あと避けているのは、この地域の人々がこの地域で観ることができているもの、ですね。私の仕事はそういうもののためにあるのではなく、「私が介入しなければ地域の人々がそれを観ることはない」というもののためにあるのですから。地域の劇場では地元のフォーク・アート系のものを多く上演していますから、私が同じものを扱う必要はなく、私は私の場所だからこそというものを観せるべきでしょう。
一度招聘したアーティストを連続して招聘することはありますか?
 もちろんあります。エマーソン管絃四重奏団を例に取りましょう。私は、今現在彼らより優れた管絃四重奏団はいないと思っているので、2年ごとに招聘していますが、何ら躊躇はありません。彼らは毎回違ったプログラムをもってきてくれますし。つまり、極めて優れたアーティストが、毎回異なる視点の内容の舞台を提供できるのであれば、招聘を重ねることに問題はありません。
先ほど地元のアーティストのものを上演するのは避けているとおっしゃいましたが、地元アーティストとHOPの交流は全く行われていないのでしょうか。
 地元のアーティストは地元で上演の場がありますから、HOPでプログラムすることはあまりありません。ですが、私たちが招聘したアーティストと彼らが交流し、成長する機会を提供していて、多くの地元アーティストが、私たちが連れてきたダンスやオペラのアーティストのマスタークラスに参加しています。アン・ボガートによる演劇のワークショップを開催した時には、地元のプロとセミ・プロの俳優に限定して参加してもらいました。
新作委嘱についてもう少し詳しく聞かせてください。これまでどのぐらいの作品を委嘱されていますか?
 HOPには新作委嘱の歴史がありまして、すでに80作以上の委嘱が行われています。多くが音楽で、ダンスもありますが、演劇の委嘱は企画が困難なためにあまり委嘱していません。単独委嘱の場合もあれば、(ニューヨークの)BAMやリンカーン・センターの「グレート・パフォーマーズ・シリーズ」など、大御所のプレゼンターとの共同委嘱もあります。また、ドナルド・バード(アフリカ系アメリカ人振付家)への委嘱のように、全米の約20ものプレゼンターが集まって、共同委嘱するケースもあります。
前にも述べましたが、アーティストが大学に一定期間レジデンシーして委嘱作品をつくってもらうという方法により、創造の過程をできるだけ学生たちに見せるようにしています。学生たちには、アートというものが既存のものとしてあるのではなく、常に進化し、つくられ続けているものなのだということを見てもらいたい──たとえレジデンシー期間を設けられない場合でも、初演の瞬間を創作者と共有し、創作者本人から直に創造過程の話を聞くというだけでも、学生たちには大きな意味があると思います。
委嘱作品を初演した後は、ツアーに出すのですか?
 はい。例えば先に触れたアン・ガルジョアの『You Can’t Get There From Here』は、私たちの地域コミュニティーの問題意識に深く関わっています。一人芝居ですから上演も手軽なので、HOPでの初演の後に容易にツアーに出すことができます。この作品の場合、「地元コミュニティーのあり方を反映した新作をつくる」ことに加えて、各地のコミュニティーに作品を観てもらうことも目指していたので、初期の段階からツアーができるよう共同委嘱者を募るべく動きました。まず、東海岸ニュー・イングランド地方全域に向けて彼女の既存の戯曲の書籍キャンペーンを実施して彼女のことを知らせ、短いツアーへ発展させました。つまり、彼女の新作が完成した時点で、すでに、ニューイングランド地方のツアーのブッキングを容易にする下地が出来ていたということです。サンフランシスコでも公演することになっていますが、これをさらに全米各地のツアーに広げていこうと現在プロモートしている真っ最中です。というわけで、委嘱作品については他の地域でも公演が行われるよう、できるだけ努力しています。これを専門に担当してくれるスタッフがいるといいのですが……。
新作委嘱のための資金はどのようにして調達しているのですか?
 委嘱のための特別財源があるわけではなく、私の年間のプログラミング予算から割り当てています。2012年にHOPが設立50周年を迎えるのを機に、委嘱のための基金を設立しようと、努力しているところです。当然、50周年を祝う特別委嘱をしたいので、これについても思いをめぐらせています。
年間予算から捻出するとなると、大変なのではないですか。
 そうなんです。こちらから少し、あちらから少しと工面して財源を捻出しています。あとは助成金の申請もしますし、理事会メンバーのどなたかに特別援助をお願いすることもあります。例えば、4月に初演が予定されているポール・テイラーによる委嘱は、3名の理事会の方々を巻き込んで、さらに2つの助成金を申請しました。今年度は委嘱もしくは共同制作が5件もあって特別でしたが、普通は1年に1件のペースです。
HOPの年間運営予算は?
 映画の予算や人件費まで含んで年間約700万ドル(約7億円)です。HOPの正規スタッフは約50名で、そのうち舞台公演のプログラミングと教育アウトリーチを担当する計5名が、私の管理下にいます。マーケティング部のスタッフは、私の担当の舞台公演の他にも、映画のプログラムや展覧会のキュレーターのためにも働きますから、私の直属ではありません。同様に、ボックス・オフィス部も直属ではありません。
舞台公演のプログラミングのための予算はどれくらいですか? また、どのようにして資金調達していますか?
 舞台芸術プログラムの中でも芸術面における経費は年間約55万ドル(約5,500万円)で、決して多い数字ではありません。必死に交渉しています。
資金調達の主な担当者は、HOPのエグゼクティブ・ディレクターです。ダートマス大学にも資金調達部がありますから、彼は常に大学側と協力して動いています。私もエグゼクティブ・ディレクターを補佐していますが、舞台芸術のプログラムのために助成金の申請書を書いているのは私ひとり。でも、毎年約20万ドルを稼ぎだしているんですよ。企業のスポンサーシップを探してくるのも私です。
昨今の経済破綻の影響は大きいのではないですか?
 ダートマス大学の基金は他の大学に比べてダメージは少なかった。それでもなお6,000万ドルのコスト・カットが余儀なくされています。さらに大学側は、学内のあらゆる部署の予算をカットするにあたって、5%カット、10%カット、15%カットの3つのシナリオをつくっていて、数週間以内にはどの数字に落ち着くかの結果が発表されます。私の舞台公演プログラムも、来シーズンは、3割ほど予算を縮小し、小振りなシーズンにしなければならないかもしれません。
話題を日本のことに移しましょう。私たちジャパン・ソサエティーでは、近年、伝統芸能の八王子車人形のツアーをHOPに巡回させています。また、日本のコンテンポラリーのグループのツアーでも、多くの仕事を一緒にさせていただいています。
  伊藤キム 、ク・ナウカ、 パパ・タラフマラ 、そして川村毅の『Aoi/Komachi』等々ですよね。日本人という意味で言えば、米国在住のエイコ&コマの公演もやっていますし、“日本がらみ”ということまで広げれば、ハイナー・ゲッペルスの作品『走り書き』を記憶している観客も多いと思います。
国際交流基金が行っている 「パフォーミング・アーツ・ジャパン(PAJ)北米」 の審査員も数年間務めてらっしゃいましたし、さらに昨夏は「トヨタ・コレオグラフィー・アワード」の審査員も務められました。これらのご経験を通じて、「日本の舞台芸術の今」をどのようにご覧になっていますか? また日本の舞台芸術には何を期待されていますか?
 常々、私が感心しているのは、日本のコンテンポラリーダンスが実に想像力豊かにテクノロジーを駆使していることです。米国ではほとんどこうしたものを見かけませんが、彼らにはテクノロジーを取り込む手段が全くなくて、日本に比べると「暗黒時代」を生きているようなものなのかもしれません。
コンテンポラリーダンスについてもうひとつ言及したいのは、日本のダンサーたちは正式なダンス・トレーニングを受けているとは限らない、ということです。これは非常に興味深いことです。というのも、ここ米国ではダンサーは必ず正式な、しかも多様な身体的トレーニングを経ているのが普通です。例えば、バレエの後にポール・テイラー風のスタイルに変遷したとか、コンタクト・インプロビゼーションから他の何かに移行したとか。そのダンサーがどんなトレーニングを積んできたか、舞台を観ればわかりますし、実際多くのダンサーが何らかのトレーニングを経ています。ところが日本は「何でもあり」です。このことは時には“失望”という形になって現れて、たとえば「何だ、あのだらしなく引きずっている足は!」なんてこともあります。でも、見方を変えれば、真っ白なページとしての肉体から作品をつくるという面白さでもあって、ある意味こちらのほうが魅力的とも言えます。
昨年のトヨタ・コレオグラフィー・アワードの最優秀賞を取った鈴木ユキオは、強烈でした。彼の動きはどんな種類にも属さなくて──ある種の舞踏的な動きではありますが、でも正式なダンス・トレーニングをしたという片鱗が全く見い出せません。もしも彼が何らかのトレーニングを受けていて、その上であれと同じ動きをしようとしたならば、結果はもっとずっとぬるま湯的なものになって、あれほど尖った表現にはならなかっただろうと思います。
PAJ北米プログラムには、「日米のアーティストによるコラボレーション」のための助成金と、「北米ツアー」のための助成金の2種類があります。この助成プログラムの影響や効力を、どのように見てらっしゃいますか? また、全般的に見て米国における日本の現代舞台芸術に対する興味はどのような状況なのでしょう。
 難しい問題ですよね。PAJ助成の価値をよく知っている人は少なからずいて、彼らはこの助成金を頻繁に利用しています。彼らにとって財源は非常に限られているので、同じ面々が何度も申請をするのは理解できますが、日本の舞台芸術を広く紹介するというPAJの目的に照らすと、もっと申請者が広がっていかなければならない。私のように、リスクを恐れず、あなたとコラボレートすることで優れたアイディアを吸収しようというプレゼンターの申請を増やすこと。さらに、アーティストの申請者ももっと増えていかなければダメだと思います。この問題はPAJプログラムの担当者たちもよくご存じなので、毎年議題に上がっています。
個々のアメリカ人のアーティストに、日本のあらゆる優秀なアーティストのことを知ってもらうには、多額の資金も必要です。こんなに距離が離れているのにどうやって知ってもらうのか? バーチャル・テクノロジーがあるじゃないか、と言っても、それだけではダメで、やはりホンモノの人間関係からスタートしなければものごとは始まらない。2つの才能あふれるグループがあって、彼らが協働したら驚異的な結果が生まれるに違いないのに、その2つのグループはいったいどうやったら互いに巡り会えるのか? 物理的な距離というのは、今日をもってしてもなお最大の課題ですね。
HOPでお仕事を始められてから14年間になりましたが、このあと5年後、10年後には何をなさりたいですか?
 ここの同僚は大好きですし、エグゼクティブ・ディレクターと共に働くのも大好きです。触発されますし、しかも常に私を支持してくれていていますし、素晴らしい職場です。HOPで長く働いているので、地域の人々も私を信頼してくれています。「コレコレのことは知らないかもしれないけど、ともかく観にきて」と言うと、彼らは来てくれます。私の観客たちも冒険好きなんでしょう。ここは川が流れる森の中にある小さな街ですが、とてつもなく活発なアートセンターがあります。多くの人々がここに引っ越してきた理由を、「HOPがあるから」と説明してくれます。素晴らしいことですよね。
そのHOPで、私はいつも、「次に自分自身が興奮するプロジェクトは何か」ということを考えてきました。つまり、興奮し続けていられる限り、この次に将来のことを深く考えたりはしないんです(笑)。
つまり、まだまだ飽きていないと?
 私たちプレセンターの仕事を包括的に定義すれば、「自分自身が楽しめるモノを考える」ということですから(笑)。つまり次なる挑戦をつくり出せるかどうかは自分たち次第なのだから、飽きるということはあり得ないでしょう?
その通りですね(笑)。お時間をいただき、またさまざまな考えを聞かせいただきまして、たいへんありがとうございました。