国際交流基金 The Japan Foundation Performing Arts Network Japan

Artist Interview アーティストインタビュー

2022.3.23
中川絢音 Photo by gnta

Nihon Buyo × Ballet × Theater
The seamless world of Ayane Nakagawa

ダンス

日本舞踊×バレエ×演劇
中川絢音のシームレス・ワールド

「水中めがね∞」という一風変わった名前のダンスカンパニーを率いる中川絢音(1991年生まれ)。横浜ダンスコレクション2021で発表した能面を付けて踊る『my choice, my body,』が3部門(審査員賞、若手振付家のための在日フランス大使館賞、アーキタンツ・アーティスト・サポート賞)で受賞。幼い頃からクラシックバレエと日本舞踊を習い、大学では演劇を専攻。しばしば「伝統舞踊と乖離している」と指摘されてきた日本のコンテンポラリーダンスにあって新しい感覚でクリエイションするアーティストとして大いに期待されている。
聞き手:乗越たかお(舞踊評論家)

my choice, my body,

『my choice, my body,』(2019年5月17日/彩の国さいたま芸術劇場小ホール)
Photo by bozzo

『my choice, my body,』

まずは受賞作である『my choice, my body,』について伺います。男性ひとりを含む3人のダンサーが黒い皮ジャケットに能面を着けて踊るインパクトのある作品でした。能の摺り足やバレエの要素もありました。あの作品はどのようにつくられたのでしょう。
 あれはセッションハウスで近藤良平さんの企画で上演した『(my)BODY(my)CHOICE』(2018年)と、TPAM(現YPAM)でのショーケース『古臭い』(2019年)を合わせて生まれた作品です。

 『(my)BODY(my)CHOICE』は、タイトルから始まりました。日本のレインボーパレードで、トランスジェンダーか女装家の人がインタビューに「My body, my choice」と答えていた。「生まれ持った自分の身体に悩んだことも含めて、私は今の私自身を選んできたのよ」と、私には聞こえました。この言葉は、そもそもは中絶禁止反対のスローガンだったそうですが、もっと広い意味で刺さる言葉だと思い、作品にしました。ただ海外公演で中絶をテーマにした作品と誤解されないよう、(my)とカッコ付きにしました。
近年は「親ガチャ」「環境ガチャ」(生まれもった環境によって人生が大きく左右されることをスマホゲームの「ガチャ」になぞらえた日本のインターネットスラング)など称し、自分で選べないという絶望感で語られることも多い。しかし、そこも含めて「自分で選んだんだ」と向き合っていく考え方ですね。
 はい。身体を使う私たちダンサーが、「この身体を自分で選んだからこの人生がある」と思えたら素敵じゃないか、というコンセプトです。

 もうひとつの『古臭い』は、「日本舞踊の身体性や特徴」について調べていた時の作品です。日本舞踊の素踊り(役柄を表す衣裳や鬘などを付けないで踊る上演形式のこと。踊りだけで何役も演じわけることができる)では、「自分の元の性別とは違う役を踊り、身体性でもって超えていく」ことができますが、それは他の伝統舞踊や民族舞踊にはあまり例がありません。素踊りで「どうしたら男っぽく(女っぽく)見えるか」を稽古で試していると、ときどき“性別を超える瞬間”があります。そういう身体性の遊びを拡張して作品にすると面白いと思いました。動きとしては、こちらが『my choice, my body,』の原型になります。

 持って生まれた自分の身体を受け入れる。でもそれは自分の見せ方で変えていける。『my choice, my body,』は、この矛盾と可能性が自分の中で繋がった作品です。
『my choice, my body,』は、冒頭、小面(若い女性を表す能面)を付けたダンサーが3人、腰を落とし、ゆっくり正面に向かって横に開く摺り足で歩いてきます。不気味な迫力がありました。
 あれは日本舞踊の花魁の歩き方をイメージしました。両足のつま先を内側に向けて、八の字を描くように外に足を回して歩く。本当は着物の裾から木履(ぽっくり)を履いた足がスッと出てきて、床を擦って歩くのですが、今回は現代的な衣裳なので裸足の緊張感や美しさを研究しました。

 面は遊びで試してみたら、顔の表情をカットすることでダンサーの匿名性が確保でき、観客の意識を身体の動きに集中させられるので面白いと思って採用しました。再演を重ねるうちに、ちょっとした角度の違いで能面の表情が変わって見えることも意識するようになりましたね。それと、これは私のコンプレックスからくる悩みなんですが、海外のダンサーに比べると、どうしても“洋服”を着ている日本人ダンサーの身体は心許ない感じがあって、それをどうにかしたいという思いもありました。
途中で面を外します。勝負のしどころですが、面を外したときにものすごく歪んだ顔をしています。
 面を外したときの顔は毎回違います。面に顔が張り付いてしまったらどうなるかとか(笑)。日本舞踊の『三つ面子守』(子守をしている少女が「おかめ」「えびす」「ひょっとこ」の3つの面を替えながら踊る。最後は面を外す)が好きで、ひょっとこになったりとか、いろいろな表情をします。
そういう日本舞踊に影響されているシーンもあれば、バレエダンサーが美しく足の甲を出すためにやる「足の甲で立つエクササイズ」のような動きもあります。
 はい。バレエを習っていたときに、私はうまく甲が出なかったので、ずっと練習していたのですがお陰で体重をかけても大丈夫な足になりました。
様々な要素がミックスされています。
 最初は「日本舞踊の面白い振りを崩してダンスにする作業」をしていましたが、これでは頭で考えただけの表面的なもので終わってしまうと直感しました。日本舞踊やバレエやダンスがシームレスにミックスされているものは何か、と考えたらおこがましいですが、それは私自身の身体なんじゃないかと。そう思って、とにかく自分の身体から出てくる面白いものを徹底的に突きつめていきました。

 ただ日本舞踊の経験がないダンサーに振り付けを渡す時に、同じ動きをしてもらっても、ちょっとした手の位置や首の角度に違和感が出るんです。おそらくそこが日本舞踊らしい動きのポイントで、狙って入れるまでもなく私の身体に自然と身に付いているものなんだと実感しました。

 それからカウントで動きを揃えると、日本舞踊から引っ張ってきたニュアンスがことごとく消えていくんです。それで「スーッ、と、とんととーん」と口三味線で間を取り直しました。音楽は先に動きを作ってそれに合わせて作曲してもらいましたが、リズムも一定じゃないし、大変だったそうです。
世界を見ると、伝統文化や伝統舞踊を採り入れることで新しい表現を生み出しているコンテンポラリーダンスは多いです。日本でもそういう試みはありましたが、なかなか難しい。どうしても木に竹を接ぐような違和感が残り、バレエと日本舞踊の良いところを殺しただけになりがちです。おっしゃるような「シームレス」さを、そもそもダンサーが持っていなかったんですね。
 日本舞踊の稽古に行けば「絢音ちゃん、バレエが出てるよ」と言われ、バレエの稽古では「日舞が出てる」と言われ続けていました。ただ両方とも私の中では自然なことだし、この感覚を突き詰めていけば絶対何か見えるはずだと信じてつくるしかないと思いました。

 私はどこにも完璧に所属できないだろうし、それにはもう慣れっこだし、それなら両者を融合させる作品をつくりたいと中学生くらいから思っていました。ただ、それをやっても「怒られないくらい有名になってからやろう」と(笑)。でも待ちきれず、2019年に挑戦を始めました。
どうしても「自分はちゃんと日本舞踊(バレエ)をわかったうえでやっているんだ」と示さないとつくれないと思ってやるから作品が破綻するのかもしれませんね。中川さんは、両方から「できてない」と言われることを受け入れているので、自分の身体に従ってつくることができたのかもしれません。

バレエ、日本舞踊、演劇を学ぶ

バックボーンについても伺いたいと思います。バレエは3歳から、日本舞踊(板東流)は4歳から習われたとのことですが、なぜ両方やろうと?
 もともと身体を動かすことが好きでした。クラシックバレエは姉が先に習っていたので始めました。子どもの頃は時代劇が好きで、着物を着て殺陣をやりたかったんです。それで日本舞踊を習っていた母親が着物を着られるからと連れて行ってくれたのですが、私は殺陣ができると思って通っているのにいつまで経っても刀を持たせてくれない(笑)。これは踊り?でも大人になったら殺陣をやらせてもらえる?と思いながら続けていました。
身体の使い方としては、外に開くバレエと、内側に閉じる日本舞踊は正反対のように思います。
 幸運なことに、バレエも日舞も他のダンスを禁じるような先生ではなく、どちらも「結局、体幹は一緒だよね」と理解がありました。実際、ターンアウトやインはありますが身体の軸に関しては同じです。子どもなので柔軟だったのかもしれませんが、違和感はありませんでした。

 それと日本舞踊の教室に鏡がなかったのも大きかったかもしれません。先生を見て真似るのが基本で、自分の身体は自分では見えない。「爪先の方向がバレエと日舞は正反対だけど、どっちも綺麗だからまあいいかな」という感じで続けられました。それと「そのジャンルでの絶対的な美が、自分にとっての絶対ではないんだ」という考えも自然に身に付きました。
野球とサッカーを同時にやっているみたいな感じでしょうか。ずっと両方やっていたのですか。
 中学までは結構ちゃんと通っていました。高校の部活でストリートダンスを始めて全国大会に行くぐらい集中していたので、なかなか今まで通りには通えなくなりましたが、今でもどちらの先生とも交流はあります。
そして、大学はダンスではなく、桜美林大学の演劇科に進みました。
 クラシックバレエは体型的に向いてないし、日本舞踊もスラッとした子が踊っているのを見ると「この子がやったほうが綺麗だな…」と。自分がダンサーになれると思いませんでした。でも、演出家か照明スタッフか、舞台に関わる仕事はしたかった。私の母は以前、劇団四季で浅利慶太さんの演助に付いていたことがあり、父も舞台の裏方だったので、舞台の仕事が身近でした。
大学の先生は誰でしたか。
 ダンスは木佐貫邦子先生です。近藤良平さんや伊藤千枝子さんの授業もあり、すごく面白かった。演劇は鐘下辰男さんや高瀬久男さんでした。
 当時の桜美林は、ダンサー志望者も演出やスタッフ志望者もみんな一緒に同じダンスの授業を選択できました。その授業で見た、なんの訓練も受けていない人の動きが面白くて美しい。私は、10年以上踊っているのに負けてる! と変なダンスを真似しているうちに、胸の奥でザワつく感覚があって、ダンスに再びハマっていました。
桜美林は劇作家・演出家の市原佐都子さんの出身校です。中川さんと市原さんは在学時期が重なっていますよね。
 大学1年生の時に市原佐都子さんの卒業制作の舞台を見て、そこからずっとファンで追いかけています。「すごく共感したような気もするし、全くわかってないような気もする。でもすごく見届けたい」という思いがあります。私の解釈ですが、「汚いであろう人間を、愛したいとは思っている」というところに共感します。「どう考えれば愛おしく思えるのか? そのために何ができようか?」というのは、作品づくりにおいても、私の実生活においてもよく考えることです。
大学在学中、2011年に「水中めがね∞」を立ちあげます。第1作目が在学中の演劇作品で、初の単独ダンス公演『既に溢れている』(2015年)は卒業後ですね。
 卒業して1年目、ダンス公演としては初でした。それまで照明やスタッフワークや演劇や色々やっていたので木佐貫先生から「どれかに絞りなさい!」と言われ、それもそうだなと。「ダンス作品と名乗れるダンス作品」というものを一度つくろうと思いました。

『現代版・現実的・結婚論』と再創作

『(my)BODY(my)CHOICE』の前、2017年に発表されたのが『現代版・現実的・結婚論』です。他の作品でも漢字のタイトルが多いですね。
 それは単純に椎名林檎さんの影響です!(笑)。
この時期の女性の振付作品に漢字が多いのはそういうことだったんですね(笑)。タイトルから連想するにテーマは結婚ですか?
 私自身に結婚願望はありませんが、結婚とは何か? 人と生活を共にするとは?ということについては常々考えています。

 私はバイセクシャルなので、相手が男性だから結婚する(できる)、女性だから結婚しない(できない)とは思いたくない。だから結婚というものはしない、と決めて生きてきました。結婚という制度が自分に合っているかどうかはさておき、生きていく以上は人と関わるし、コミュニティについては考えなくてはいけないなと。それで、いまの私たちに一番フィットする人との付き合い方を考えようと思いました。
なかなか大きな問題です。本作は「NEXTREAM21 in Rikkoukai 2017」で優秀賞を受賞しました。手応えはありましたか。
 初めてコンペティションで賞をいただいたので感謝していますが、自分が表現し切れているのか、このテーマがダンスという表現方法に合っているのか、正直まだ考えている最中です。私の場合、「ダンス的に面白いこと」と「表現したいコンセプト」が矛盾することが多々あるので、またリクリエーション(再創作)すると思います。

 ダンスを愛しているけど、私がやりたいことを表現するベストな方法はダンスじゃないかもしれない……と表現方法についてはずっと探っている最中です。
現代版・現実的・結婚論

『現代版・現実的・結婚論』(2017年5月3日/六行会ホール)
Photo by bozzo

発表されている作品にはさまざまなバージョンがあります。同じコンセプトの作品を、リクリエーションを繰り返して変えていくというつくり方なのですか。
 そうですね。短編をいろいろなフェスティバルやショウケースで発表し、まだやり足りないと思ったらリクリエーションする。本当は最初から単独公演で長編を発表できたらいいのですが、まだ早いスパンで自主公演を打てる集客と財力がないので。
従来のダンスカンパニーは単独公演が前提で、ショーケースはその短縮版みたいな感じでしたが、今は逆転していますね。
 若い世代はそうだと思います。自力で単独公演を実施するのは大変ですから。私は大学で演劇を学んでいたので作品発表=単独公演だと思ってやっていましたが、今の若い世代のダンサーには特殊だといわれることが多いです。

 長編作品は空間から全てプロデュースできるから好きなんです。『絶滅危惧種』(後述)では四角い囲みの客席にしましたが、ショウケースの短編ではできませんから。長編はどこから始めてどう終わらせるかなど、できる範囲が広がる。リスクもありますが、アーティストにとってすごく大事な場だと思っています。逆に短編で印象的で、駆け抜けるような作品をつくれる人がうらやましいですけど。

1991年生まれのパラダイムシフト

同じ2017年に「1991~バブル崩壊と共に生まれた我々が、違う窓から見たモロモロ~」を企画しています。中川さんと同じ1991年生まれの若手7組を集めたオムニバス公演です。なぜこのような企画を?
 私が卒業した桜美林大学では、コンテンポラリーダンス界隈で活動する同世代の人と会う機会が少ないと感じていました。神戸で開催されている「全日本高校・大学ダンスフェスティバル」やセッションハウスの「UDC(University Dance Cross)」など、大学のダンサーたちが集う場所に桜美林のダンサーはほとんど参加していなくて、卒業したとたん知り合いが全然いないことに気づきました。

 当時、水中めがね∞のダンサーは私と根本紳平だけで、後は制作スタッフが1人。作品のためにダンサーを集める必要がありましたが、知り合いが少なすぎるという切実な問題もありました。それで、同世代のつながりをつくりたいと、そのための場として企画しました。
コンテンポラリーダンスの初期、日本では個性的な振付家の周りにその人を慕うダンサーが集まり、カンパニー単位で活動していました。濃厚な関係の中で切磋琢磨して方法論を模索し、クオリティを上げていました。でも今は、あるカンパニーのメンバーが別カンパニーを主宰するなど、カンパニーへの帰属意識は希薄で、ダンサーはフレキシブルに幅広い交流の中で切磋琢磨しています。みな仲が良く、カンパニー中心だった時代とは明らかに状況が違います。若い世代ではパラダイムシフトが起きている感じがします。
 必要に迫られて、という面もあると思います。敵をつくっても自分が苦しくなるだけだし、多分どのジャンルもみんなでやっていこうという意識が強いと思います。まして今はYouTubeなどのSNSがあり、「みんなが発信者で、受信者でもある」時代なので、仲が良い方がメリットも大きいんです。誰もが発信して、互いの作品にダンサーとして出る──昔のように「あなたは○○門下だから他の作品には出ないで!」と言っていたら、たぶん誰も寄ってこないです。

 人の作品に出ると学ぶことも多いし、自分の作品の風通しも良くなる。それはダンスのあり方の多様性を認めることです。もちろん私の作品に出てくれるダンサーには、「あなたの美学は大切にしてほしいけど、私の作品でこれとこれはやらないで。あとSNSに愚痴は書かないで」と念押しはしますけど(笑)。
中川さんもそうですが、いまの若いダンサー・振付家はプロデューサー的な感覚もありますね。セルフ・プロデュースのみならず、ダンス界まで射程に入れて行動する人が多い。
 そうならざるを得ないというか‥‥。先人たちがつくってくれたダンスの流れには敬意を表しますが、このまま続けても行き詰まる、すでに行き詰まっていると、肌で感じています。そこから変えていかないと、という思いがみんなにあるのではないでしょうか。
ちょっと前までは、ダンス関係の制作会社がフェスティバルを企画したり、新作公演を制作していましたが、今の若い人たちはそこにも組まなくなっていますよね。
 それは、明らかに儲からないのでどうせ引き受けてもらえない、という感じなので。なにか受賞するまでは助成金も受けられないだろうし。フェスティバルにお声掛けいただいても、その先が見えないと思っています。私の実力不足かもしれませんし、そもそも先なんて無いのかもしれませんが。

 だから周りの人が見向きもしてくれないんだったら、自分たちで場をつくるしかない。「こういう場が欲しい」と思ったら、支援してくれる人が現れるまでは、最初は借金を抱えてでも自分たちでスタートを切らないとダメだ、と私は感じている。
そのタフさを頼もしく思う反面、若いアーティストに必要な状況をつくってこられなかったことに、オトナたちは責任を感じなくてはいけませんね。ダンス界全体で本腰を入れて考えるべき課題だと思います。

『絶滅危惧種』と『有効射程距離圏外』

「1991」の時に発表した『絶滅危惧種~繁殖部屋にて~』は性や生殖に関わるテーマでした。このあたりに根深い問題意識がありますか。
 私より上の世代にはもっと強いプレッシャーがあったと思いますが、私たちも「子どもは産んでおいた方がいいよ」と言われ続けてきました。多分男性も言われていると思います。その中で私は「子どもを産まない」という選択をしていますが、本当にそれでいいのか、人間という種として生を全うしているといえるのか、と思う時もあります。地球に生まれた生物としての人間にとって、本能に規定された欲求と言えば新しい生命を生み出すための性欲くらいで、それ以外はあとづけの欲求にすぎないのでは……という思いもあり、自分と観客に問いかけたかった作品です。
世の中にはいまだに女性を「子どもを産む機械」のようにいう人もいますね。
 この作品をつくった翌年、ある政治家が「同性カップルは子どもをつくれないから生産性がない」という発言をして、心底怒りを覚えました。私のまわりにはLGBTQの友人もたくさんいるので。『絶滅危惧種』は、「子どもをつくることが生産性で、それが社会にとって最優先事項なら、まるで地球全体が巨大な繁殖部屋みたいだけど、それでいいの?」という問いかけでもありました。まあ、そんな問いかけをなぜダンスでするのか、ということですけど(笑)。
言葉で向き合うと、いちいち揚げ足をとられることも多く、ダンスのような非言語表現のほうがダイレクトに今の自分の感情や思いを伝えられる可能性があるのかもしれません。コンテンポラリーダンスは、明確に言語化される以前のリアリティを表現できますし、そこに向き合って、自分をわけのわからない存在として提出している中川さんの姿に潔さを感じます。
 本当にそうかもしれない(笑)。「ちょっと今わかんないんっすわ~」という段階でも作品にできるのがダンスのいいところですよね。ストーリーで正しさを伝えたいわけではなくて、問題意識を共有したい。だからダンスという表現を選んでいるのかもしれません。
次にd-倉庫で上演した『有効射程距離圏外』(2018年)もリクリエーションが多く、再演ごとに内容が変わっています。
 よくプロデューサーから怒られます(笑)。本当に申し訳ないのですが、再演の度に表現したい内容が私自身や社会情勢によって変わってくるんです。

 『有効射程距離圏外』というのは、「どんなに劇場で私が命がけで踊っても、劇場の外にいる人には届かない」という虚しさと、「劇場に集った人たちだけが知っている良さ」みたいな醍醐味の両方を指しています。YouTuberのオフ会にはファンが集まるように、ネット社会が進んでも直接会いたい・見たいという欲求はなくならない、という願いも込めています。

 逆に北朝鮮のミサイル情報などは、初めのうちは大騒ぎしていましたが、いまでは慣れてしまっている。ニュースとしては届いているけど、差し迫って自分に関係のない情報は意識から排除してしまう。届いているけど届いていない、というアンバランスさも作品に込めました。

 実際の公演では、劇場の外の映像をライブで流しました。会場であるd-倉庫は住宅街の中にあるので、おじさんが自転車に乗って通り過ぎたりしますが、劇場内のことはわからない。私は「ミサイルが降ってきても大丈夫です、劇場は私がオナラしたって外の人にばれない“安全な場所”だから」と言いながら踊り、実際に私が「安全ではない場所(劇場外)」に出て行って踊るのをライブで劇場内の観客に見せました。
この作品はd-倉庫主催の「ダンスが見たい!」でオーディエンス賞を受賞しました。現在のコロナ禍ではまた別の意味を持ってきそうですね。
 そうなんです。2021年にまた同じ会場で公演したときは、すでにコロナ禍になっていました。とてもじゃないけど劇場を「安全な場所」だとはいえなくて、みんなどうする? みたいになってしまった。
これだけ「“安全な場所”がなくなる社会」は誰も想定していませんでしたからね。あらゆる環境の変化が急激に進む現代では、中川さんのようにリクリエーションを繰り返し、アップデートしながら変化させていくスタイルがこれからのスタンダードになっていくかもしれません。「作品をひとつのパッケージとして巡演する」という従来のあり方ではなく、ダンス作品は常にプロセスの途上にあるものとして、その時々、その場所でのリアルを反映するものになっていく。もちろん変わることのない芯を内包しながらですが‥‥。
 たしかに初演時から「人と人が会う・会わない」というコンセプトは、時代と共に変わっていく内容だろうなとは思っていました。さすがにコロナ禍でこんなに激変するのは想定外でしたが。

 ただ若いダンサーは、そうやって作品を変化させ、成長させていくために必要なクリエイションをする場所もお金もなくて、苦い思いをしています。良い作品をつくって評価されれば助成金や稽古場の支援を受けられるけど、そもそも最初の良い作品を作れる環境が若いダンサーにはないんです。

 私は今回の横浜ダンスコレクションでありがたい賞をいただきましたが、今までは「賞を取った人ばっかり場所やお金をもらっているけど、あなたたちはもういいじゃん! 本当に必要なのは、まだ賞を取れていない私達だよ! 私達を支援してよ!」とずっと思っていましたから。
絶滅危惧種

『絶滅危惧種』
(2018年10月11日〜13日/1010シアター ミニシアター(稽古場1))
Photo by bozzo

有効射程距離圏外

『有効射程距離圏外』(2018年7月25日/d-倉庫)
Photo by bozzo

日本舞踊との新機軸『しき』

日本舞踊の素養を活かして日本舞踊家とも本格的なコラボレーションをしています。2021年にコロナ禍で1年延期していた『しき』を発表しました。これは、中川さんと日本舞踊家二人がコラボしたもので、15分の作品を3部構成で見せた中の1本として、『my choice, my body,』、藤間涼太朗と花柳寿紗保美が季節の舞踊四種をまとめた日本舞踊『青朱白玄』と一緒に上演されました。正直にいうと全体としては3つ並べただけという感じでしたが、きっとここから始まるんだろうなと思わせる企画でしたね。
 そう言ってもらえるとありがたいです。『my choice, my body,』では「別ジャンルのダンス経験者とどこまで日本舞踊を共有できるか」を自分のカンパニーメンバーと探ってきました。次は「日本舞踊をしっかりやってきた人とコンテンポラリーダンスは何ができるか」を探ってみようと思いました。私は日本舞踊を好きなようにやって逃亡した人間ですが、現在プロとして活動されている方が今の日本舞踊に見ているものを教えてもらいつつ一緒にやってみたかった。本当にスタートを切ったばかりのプロジェクトです。
極めて印象的だったのは、『青朱白玄』で踊られた『三社祭』でした。「善」「悪」と漢字が意匠になっている面をつけて二人で踊る。マンガなどによくある「心のなかの天使と悪魔が葛藤するシーン」が日本舞踊化されている。結構アナーキーな踊りですが、江戸時代につくられたものでしかもほぼそのままの形で受け継がれていると知って驚きました。
 私が通っていた日本舞踊の教室の先輩方は『白鳥の湖』や『ボレロ』などのクラシックバレエは見慣れていますが、この企画で『my choice, my body,』を見て、「コンテンポラリーダンスっていうんですか? あれはすごく面白かった」と言っていました。逆に水中めがね∞の観客は「日本舞踊があんなに面白いとはビックリした」と、お互いが新しい発見をしていました。水中めがね∞の活動を追っていればどんどん新しい世界が開かれて楽しいという、観客と共に旅していける関係性をつくっていきたいです。
もちろんバレエと日本舞踊と言えば、モーリス・ベジャールが『仮名手本忠臣蔵』をモチーフにした『ザ・カブキ』や坂東玉三郎との共演などの優れた先例があります。近年では日本でも『娘道成寺』をきたまりが踊ったり、花柳源九郎が『ボレロ』に振り付けたり。太棹の三味線奏者で多くのコンテンポラリー・ダンスの人たちと共演しているやまみちやえなど、新しい世代が出てきています。先述したような無理に接いだ不自然さのない形で出てきていることに希望を感じます。
 やまみちさんには『しき』の作曲もお願いしましたが、公演が延期になったことでお互いにじっくり考えることができて有意義な時間をもてました。彼女は古今和歌集や万葉集を、aikoやあいみょんに喩える。「この和歌は気持ちをストレートに伝えていて、あいみょんなんですよ!」とか、とても面白いんです。「伝統文化を伝えなければ」じゃなくて、あいみょんも聴きながら三味線を弾いて楽しんでいる。私も自分がやってきた経験があるからこそ、もっとそこで遊びたいと思っています。
しき

『しき』(2021年7月8日〜11日/神奈川県青少年センター・スタジオHIKARI)
Photo by 金子愛帆

場をつくり、「届く作品」を

最後に、今後の予定を教えてください。
 「1991」の第2弾が動いています。1回目はお互いの作品を見て意見し合い、観客とも交流するものでしたが、今回は「お互いの作品にどこまで介在していけるか」に挑戦したいと思っています。それで、まずは上演を目的にしないで出会ってみようと、城崎国際アートセンターにレジデンスに行きます。
それは先ほど言っていた「若いアーティストの創る場のなさ」に関わることですか。
 それもありますが、韓国で滞在制作したときに「絢音は、考えていることや身体は面白いのに、それが作品に出ていない」と指摘されたことがあるんです。考えてみたら私たちにはクリエイションを勉強する場所がほとんどなく、「振付なんて勉強するものじゃない」みたいな雰囲気が強い。学ぶ場所がないから色々な振付家の作品に出て、その経験を頼りにする人も多いし、後は本を読むぐらいしかできない。

 韓国では、もちろん自分のスタイルは自分でつくるしかないけど、行き詰まった時にどう発想を転換していくかなど、クリエイションへの向かい方を学ぶ場所が近年できたそうです。毎日のようにつくるから振り付けのスピードが早くなる。その分、見せ方や演出を考える時間に充てられる、と言っていました。
動きを考える以外に、振り付けのためにするべき事はたくさんあります。韓国には大学での徹底した舞踊教育に加え、国立コンテンポラリーダンス・カンパニー(KNCDC)もある。振付コースではズバ抜けた技術のダンサーに振り付けるので、できることの幅が広い。もちろん「クリエイションは教えられるものなのか」という議論はありますが、実際に多くの成果を出しています。また、日本のダンスの構成力のなさやドラマトゥルクの必要性についてはヨーロッパなどのダンス関係者からもよく指摘されることです。
 私は努力でカバーできることはすべて努力したい派なので、勉強できるなら勉強したい。でももう学生じゃないので、つくりながら勉強するしかない。そこで他の振付家達と一緒に作品をつくりながら、意見を出し合って互いの振り付け方法を学び合い、共有する場を自分でつくりたいと思いました。城之崎のレジデンスがその手始めです。
日本人同士では互いの作品についてはあまり語らないことが多いですね。ヨーロッパで学んできた人達は、「あそこは好きじゃなかった。なぜなら……」と言い合いますが、別に険悪にならない。「提案力のないダンサーは生き残れない」という環境で戦ってきたからだろうけど、日本のダンサーは「ダンスは習い事」文化のせいか、議論に慣れていない。
 そうなんです。私は、母と姉とよく三つ巴の論争が家で繰り広げられてきたので、自分の意見はガンガン言っていかないと取りこぼされるって思って生きてきました。それが普通だと思っていましたが、意見を述べると、「怖い」「怒られる」「否定された」と受け取られてしまう。意見を聞きたいのに、「それでいいです」と流れていってしまう。 それで「1991」では、「同い年なんだから、何を言ってもいいよね」という空気をまずつくっておいて、お互いの作品に意見を言う時間をつくりました。もちろん黙ってしまう人はいますけど、やっぱり自分で作品をつくっている人は、たいてい意見が出てきますね。みな手探りで苦労しているんだと思います。

 ドラマトゥルクの数も少ない現状では、アーティスト同士で意見を言い合える関係性が絶対に必要です。観客に見せる前にハードルがあることで質の高い作品をつくれる環境を自分たちでつくっていかなければと思っています。
日本舞踊との関わりで考えていることはありますか。
 日本舞踊家とのプロジェクトで中編くらいの長さの作品をつくりたいです。やまみちさんとも話していますが、現代音楽などもリミックスしたいと思っています。
水中めがね∞の予定は?
 7月に単独公演があります。ただこれを「劇場公演の最後」とは言わないまでも、これ以降は劇場の外へ飛び出していきたいと思っています。コンテンポラリーダンスやアートは自分のいる界隈に外部を引き入れて作品に昇華することが多いけど、私は外の世界に出て、知らん顔して自由にやるのが性に合っています(笑)。自分の領域に持ってくると綺麗な枠に収まって、ちょっと借りましたみたいな作品になってしまう。そうじゃない形に落とし込むには、そもそも劇場という枠から離れる必要があるのではないかと思っています。

 それからもうひとつ、『有効射程距離圏外』で言ったように、「劇場で待っていてもなかなか届かない」「届けたい人に直接届けに行かないと、もう届かないんじゃないか」という思いがずっとあります。『絶滅危惧種』も新宿2丁目あたりでパフォーマンスすればよかった。ストリップ劇場でもいい。土俵でもやりたい。届けたい人・届けたいものを中心に据えて、場所も形態もどんどん変えていく活動にシフトしていこうと考えています。
すごくいいですね。別府のアートフェスティバルでストリップ劇場での公演がありましたし、土俵も大学の相撲部なら貸してくれるかもしれません。今、中川さんが言われた問題意識は、ヨーロッパのジャグリングやサーカスアートの人たちが抱いているものと同じです。「劇場に来る金も余裕もない、たとえば移民や貧しい人たちこそ、自分たちのアートを本当に必要としている層なんじゃないか」と、そこに出向いてパフォーマンスしています。
 本当にそうですよね。私の母は、元旦には必ず劇団四季の仕事で外出していました。それは創設者のひとりである浅利慶太さんの考えで「仕事が忙しくて普段公演に来られない人でも、元旦だけは休みを貰えるだろう。その人たちにとっては、それが1年で唯一舞台を見に来られる日かもしれないから、我々は公演をやろう」と。私も自分のパフォーマンスを、必要としてくれている人に直に届けられるような活動をしていきたいと思っています。