やまみちやえ

オリジナル義太夫とダンスの融合
古典と現代を繋ぐやまみちやえ

2023.01.31
やまみちやえ

やまみちやえYae Yamamichi

幼い頃から歌舞伎や文楽に親しみ、6歳から義太夫三味線、10歳から邦楽囃子を習い、現在は作曲家、太棹三味線演奏家として活躍するやまみちやえ(1995年生まれ)。同世代のコンテンポラリーダンサーと協働し、日本の古典作品を主題としたオリジナルの義太夫によるパフォーマンスを発表。若い感性で古典と現代をつなぐアーティストとして注目を集めている。

古典との出会いや「ダンスと出会ったから作曲をはじめた」という経緯、創作のプロセスをインタビューした。
聞き手:乗越たかお(舞踊評論家)
大蛇

やまみちやえ×安部萌『大蛇─義太夫とコンテンポラリーダンスによる─』
(2020年10月/スパイラルホール)
Photo: Yulia Skogoreva

バックグラウンド

やまみちさんは、多くのコンテンポラリーダンサーと協働し、日本の古典作品を主題としたパフォーマンスを発表しています。古典をそのまま使うのではなく、その謂れである様々な伝承伝説を研究し、引用し、再構成し、オリジナルの義太夫を作曲して新たなクリエイションをしています。やまみちさんがなぜ古典にそれほどの情熱と愛情を持つようになったのか、その出会いから振り返ってお聞きしたいと思います。
 私は1995年生まれで、高知県の出身です。両親は古典とは無縁の一般家庭の出身ですが、古典芸能が好きだったので、幼児番組を見せる感じで歌舞伎、能や文楽のビデオを家で流していたそうです。その影響か、私は言葉がわからないときから、特に文楽と日本舞踊がすごく好きだったそうで、それを見せておけば大人しくしていた。それで、両親は私が喜ぶ部分がループする「やえが見るビデオ」を編集して見せてくれていました。今改めて見ると、文楽の三代目吉田簑助さんの『櫓のお七』や初代吉田玉男さんの『熊谷陣屋』、藤間紫さんと三代目市川猿之助さん(現・二代目市川猿翁)の『曽根崎心中』や中村富十郎さんの『うかれ坊主』があって、名人たちの映像を見ていたんだなあと思います。四国は地芝居や人形浄瑠璃などの伝統芸能も盛んな土地柄ですが、私は純粋にビデオから古典に入っていきました。
物心もつかない子どもが日本の古典にだけハマったのは面白いですね。やまみちさんの子どもの頃のテレビ番組とかで流行っていたわけでもありませんし。
 そうですね。でも周りの同級生と好きなものが違うのはあまり気にならなくて。幼稚園に通っていた頃は、とにかく歌舞伎をやってみたくて、子役のセリフができるからという理由で6歳の時に竹本弥乃太夫師匠に入門しました。最初は語りでしたが、お稽古を続けるうちに三味線に惹かれていくようになりました。小学校には長唄のカセットテープを持っていって休み時間に流して踊ったり、お楽しみ会で友達を集めて『三人吉三』をやったりもしました。
そして10歳で邦楽囃子を始めます。
 猿之助さんの『義経千本桜』(*1)の狐忠信が出てくる四ノ切(「河連法眼館」の通称)が本当に好きで、小さい頃はよく親に抱っこしてもらって宙乗りのマネをしていました。そこに出てくる「初音の鼓」を見て、ずっと鼓に憧れがあって。ちょうど近所のカルチャースクールで教えていらした師匠(望月庸子師)とのご縁があり、今もお稽古を続けています。三味線と違ってお囃子はお祭りの和太鼓や笛をやっている人がいたので、習っている子どもも多かったです。
高校は東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校(芸高)に進学します。
 芸高の邦楽囃子専攻に進みました。ところが、学校に行って気づいたのですが、私がずっと好きだった芝居用の演奏と、演奏会用の演奏とが全く別ものだったんです。演奏会用では綺麗に拍子を取ることが重要ですが、私は踊りが脳内再生されてしまうので、「ここは足拍子を踏む間をとって…… こう打つ!」となってしまう。もちろん頭では演奏会用の演奏のことも理解しているつもりでしたが、あまりにも違いすぎて難しいなと感じることが多くありました。
芸高では邦楽より洋楽の生徒の方が多かったと思いますが、環境はいかがでしたか。
 1学年1クラス約40人なんですが、作曲、ピアノ、ヴァイオリンなど西洋音楽の学生に混じって長唄三味線や箏曲など邦楽の学生がいました。音楽ジャンル問わず全員同じクラスなのが面白かったです。通常の学科とは別に、西洋音楽の演奏法や音楽理論を学ぶ授業もありました。オペラのこのフレーズにはこういう意味があるとか、こういうシーンだからこの和音の進行になるとか、作品の構造を理解することを学んで音のつくり方にもすごく興味が湧きました。楽曲分析や作品分析の面白さも知ることができました。
それは邦楽だけ修行していたら出会わなかったことですね。
 はい。ソルフェージュ(譜面を読む、聞いた音を採譜する等、譜面に関する技術)のような実技も必死で勉強しましたが、これもカルチャーショックでした。例えば三味線は、太夫の声の調子に音を合わせて調弦するので、毎回同じ音程でないのが当たり前です。なので、ピアノの譜面では「五線譜のここにある音符は絶対的に同じ音で鳴る」というのが本当に理解できなくて(笑)。知識が広がってすごく楽しかったです。在学中には文化祭でミュージカルの脚本と演出をやったこともあります。
演出にも興味があったのですか。
 高校生の頃は、将来、演奏で身を立てるのか、何か舞台をつくるようなことをするのかで悩んでいました。実は、小学5年生の時に見た串田和美演出のコクーン歌舞伎『東海道四谷怪談』に衝撃を受けたことがあって。南番と北番という演出の異なる2バージョンで上演が行われたのですが、南番はいわゆる歌舞伎の現行上演に近い形、北番は串田さんの新演出であまり上演されない場があったり、お岩様の髪梳きの場でギターが鳴ったりする。こういう表現もあるんだと素直に感動しました。
意外ですね。本来の三味線以外の表現が嫌ではなかったのですか。
 はい。もし私が演出家だったらその表現手法は使わないかもしれないけど、「こういう変換ができたら歌舞伎って今の人にも伝わるんだ」と客席の興奮をもろに肌で感じていたのを覚えています。そこから中村勘三郎さんと串田さんの協働にずっと憧れを抱いて、あのように古典を使って喜びが湧きあがってくるお芝居をつくりたい、人々が古典を面白がったり、古典と出会ったりする場をつくりたいと思い続けていました。この気持ちが消えず、舞台の勉強をしたいと思い、東京藝術大学の音楽環境創造科(音環)に進みました。
どういう学科ですか。
 現代音楽や電子音楽を作っている人、文化政策やアートプロデュースを学んでいる人、挙げると本当に様々で説明が難しい学科なんですが、音楽が鳴っている環境にまつわることをずっと考えたり、実践したりしているところです。入学したての時はとにかく最先端というか、音の「今」を考えている人が多いという印象で、アナログ人間が全然違う世界に飛び込んでしまった…という気持ちが強かったです。

 音環には自己PRという入学試験の科目があるのですが、私は『船弁慶』を題材にした新曲を作って、太鼓を打ちながら三役(源義経と弁慶と平知盛)を演じ分けました。すると試験官から「あなたと話が合う人は多分いないと思う。孤独になるけど大丈夫?」と心配されたりもして(笑)。

 それで歌舞伎の演出を学びたいと思って演劇がメインのゼミに行こうとしたのですが、現代演劇を実際にやってみるワークが中心でした。古典のように役のキャラクターが決まっていなくて、どこをどう読んでもいいような台本が多くて途方に暮れてしまって。結局作曲のゼミに進みました。
作曲と言っても西洋音楽ですよね?邦楽はあるけど義太夫はないですし、演劇も現代演劇までで、実は古典をきちんと学べるところが日本の芸術大学の中にはありません。
 そうなんです。でも自分は義太夫が好きだし、義太夫で曲や作品をつくってみたいと、本格的に意識するようになりました。
ここまでお話を伺った限りではダンスとの出会いはないようですが……
 ただ、私が小さいときから見ていたビデオは『鏡獅子』や『うかれ坊主』、『羽根の禿』、『櫓のお七』といった舞踊作品が多かったんです。義太夫三味線やお囃子の稽古のときも、やっぱり舞踊を好きになった作品をずっと練習してきた。私自身は舞踊を習ったことはありませんが、踊りの身体を見るのはすごく好きでした。演奏しながらずっと自分が踊っているくらいの気持ちでしたし、音楽と舞踊は私の中ではひとつのものだったんです。
大学4年の2017年、芸大の千住キャンパスで自主公演『鷺娘─義太夫とコンテンポラリーダンスによる─』を行っています。Von・noズの久保佳絵のソロダンスでしたが、なぜコンテンポラリーダンスだったのですか?何か特別に意識していたことがありますか。
 コンテンポラリーダンスについては、数としてはそれほど見ているわけではありませんでした。そのときはコンテンポラリーダンスかどうかはさておき、現代の身体でやることが大事だと思っていました。私は近松門左衛門がすごく好きなのですが、ある先生が、「人形浄瑠璃の作家をやっていた近松が歌舞伎をやり、浄瑠璃に戻ったときには歌舞伎の脚本の影響を受けていた」と書かれていて。その影響というのが、「人形ではなく、当時のリアルな身体を通すことで古典が俗化した」と。すごく納得しました。
“古典が俗化する”とはどういう意味でしょう。
 “血が通う”みたいな意味だと私は解釈しています。古典の題材がその時代の身体を通すことで血が通う。もちろん日本舞踊も好きですが、古典を踊り慣れた身体ではなく、現代の日常生活を続けているわりとラフな身体で、義太夫の音や古典の題材を表したらどうなるか? そこに興味があってコンテンポラリーダンサーと一緒に始めました。
どんなダンス公演を見ていましたか。
 Von・noズはもちろん見ていましたし、その他には北尾亘さん(Baobab)、中川絢音さん(水中めがね∞)とか。演出助手や演出部として関わっていた現代演劇の現場のご縁で見たものもあります。結局、コンテンポラリーダンスの「何にでもなれる身体」は、日本舞踊にも通ずるところがあって、役を踊っていてもそこからいろいろな景色が見えてくるし、回想シーンになればまた全く違う景色が見えてくる。もちろんメソッドや出力されたものは違うけど、やっぱり踊るってそういうことだよなと安心しました。

古典を研究したクリエイション

ところで、第1回目の『鷺娘‥‥』からやまみちさんのクレジットは「構成・演出」になっています。どのような意図がありますか。
 古典を使って新作をやるとしても、例えば「バレエダンサーを呼んで義太夫で踊ってもらう」だけでは古典の二番煎じのようになり、自分が手がける作品としての核がなくなる気がして、やるときには新曲を作ると決めました。自分の感覚で再構築や解釈して新曲を作ることで、新しいものが生まれるだろうと。それで「構成・演出」というクレジットにしました。
『鷺娘‥‥』も新曲なんですね。
 はい。『鷺娘』(*2)という曲は長唄にも義太夫にもありますが、この作品では古典曲の歌詞を引用しつつ新曲を書いて、お囃子もオリジナルのものを入れました。いわゆる地獄の責めに落ちていく、という元のストーリーは引用していますが、内容は全く違うものになっています。最近の作品ではもっと研究と創造の幅を広げて取り組んでいて、ひとつの作品を引用するのではなく、モチーフにまつわる作品群をコラージュするようになってきています。
「古典作品を現代の器に盛った」ような作品も多いですが、やまみちさんは古典作品の元になった伝承や、派生していった作品まで研究し、新しい作品を生み出しているので、いまここにあることの清新さや勢いがあります。創作のプロセスを実例に沿って説明していただけますか。
 もともと義太夫には様々な先行作品をミックスして新作を作る手法があります。それで2回目の自主企画公演『三輪』(2018年。東大寺本坊広間で上演。振付:安部萌、出演:荒木知佳)では『妹背山婦女庭訓』(*3)のお三輪をテーマにしました。お三輪が登場する先行作品や三輪山にまつわる伝承・伝説などを20近く集めて再構築した結果、これまで古典で語られていたお三輪とはまた違う物語になったと思います。

 2019年に発表した『大蛇』ですが、日本の古典で大蛇というと、ヤマタノオロチ(*4)と安珍・清姫伝説(*5)が有名です。こうした大蛇についてはさまざまな地域に伝承が残っていますし、これまでも多くの人が題材にして作品をつくっています。まず、そうした伝承伝説、先行作品を徹底的に調べます。実際に伝承伝説が残っている土地に行くのも好きなので、例えば出雲に行って「ヤマタノオロチは川の氾濫を表現している」という説を現地で実感しました。下調べの過程では『万葉集』や『古今和歌集』などの歌集や謡曲にもあたり、出会った言葉をメモします。「音」への思い入れが強いので、「絶対にこの響きは入れたい」とか、「この古語の響きはかわいくて良いな」とか、そういう言葉も書き出します。

 調べる段階でこんな美しい響きの古語があったんだとか、西行(1118-1190)と松尾芭蕉(1644-1694)が同じ場所で詠んだ和歌がこうして響き合うんだとか、いろいろな出会いがあります。それらは私が今の時代に生きているから見えてくるものであり、ものすごい特権だと思うんです。芭蕉が西行に500年という時を超えてアンサーソングを作っているなら、私だって古典を受け取って現代に生きる作品をつくれるはずだ、と勇気づけられます。
大蛇
大蛇

やまみちやえ×安部萌『大蛇─義太夫とコンテンポラリーダンスによる─』
(2020年10月/スパイラルホール)
Photo: Yulia Skogoreva

そうした研究した内容は、振付家やダンサーに説明しますか。
 能や日本舞踊を一緒に見てこの振り付けにはこういう意味があるとか、この詞章(浄瑠璃における歌詞のこと)はこうやって生まれたとか、その過程はできるだけ共有したいと思っています。例えば『娘道成寺』(*6)には、乱拍子という爪先で三角形を描く有名な振り付けがあります。それは蛇の鱗の形の意味もあるし、実際に清姫が寺までの階段を登っている足取りにも重なるし、蛇が鎌首をもたげているようにも見える?とか……。でもダンサーがそれをどう捉えるかはまかせます。その人に沿って出力してもらうことが大切なので。

 それに誤読も許されるのが古語だと思っています。例えば「アメ」という単語は、古語ではよく「天」の意味で用いられますが、今の人はまっさきに「雨」をイメージしますよね。そこでダンサーから雨が降っているような振り付けが出てくるのは面白いと思います。そういう振り付けにとってもフックになるような単語を意識して詞章を作っていきます。ただ、私から「乱拍子をバレエ的な身体でやったらどうなるか見たい」とか、「日本舞踊だと鬼の手は3本指なので、どこかで入れてほしい」と要望することもあります。
作曲についてはどのようにしていますか。
 詞章が完成した時点で、すでに言葉やフレーズに言語的な音程ができていたり、作りたい情景はあったりするので、そこからイメージを膨らませて作曲をしていきます。また、古典には「夕暮れのシーンではこういう音型が入る」といったような作曲上のルールがあるので、そこは守って作曲しています。昔の人はその音にリアリティを感じていたわけですし、音の表現としてそれが古いわけではないという信念があります。

 西洋音楽を参考にすることもあります。ワーグナーのオペラ『ジークフリート』にも大蛇が出てきますが、その音型を引用して蛇の這う感じを半音で作ったり。先述の三角形に関連して3をモチーフにしたテンポで、四拍子からいきなり三拍子に変えたり。
三味線で踊ることに慣れていないダンサーもいるのではないですか。
 そうですね。そういう場合はクリエイションに入る前にワークショップをやります。例えば私がその人に合うと思った和歌を5首選び、気に入った和歌で1分くらいの振り付けを作ってもらいます。和歌も漢字だと意味がわかってしまうので、全部ひらがなで書いて選んでもらう。私も即興で曲を付けて、バッと合わせる。日本語のひらがなの響きだけで受け取ったものを踊ってくれるので、さっきの「天」「雨」みたいなことも起こります。でもそれが今の人による古語の解釈だから、それはそれで愛おしいと思えるんです。
古語の「音」から想像を膨らませるところが面白いですね。研究したり、資料を調べたりすると「正しい意味」「調べた結果」を伝えたくなりがちです。やまみちさんのように古語の響きが現代人に響く様を「愛おしい」と思う感性はとても豊かだと思います。
 「この和歌は私の中ではあいみょん(*7)の歌詞みたいだと思うんだけど」といって曲を聞いてもらって、じゃあその曲でさっきの振り付けを踊ってみようとか。ポップスだと踊りやすいけど三味線だと踊りづらい、その違いは何なのかとか。現在の人が古語や古典の音をどう感じるかを知りたくてずっとリサーチしている感じです。そこに正解はないと思っています。私はJ-POPもよく聴きますし、自分の作品にイメージソングを決めるのですが、『大蛇』のときはあいみょんの『満月の夜なら』(女を口説く男の長い夜の気持ちを歌った曲)でした。
初めにこれからつくる作品の世界をダンサーとイメージソングで共有して、そこからそれぞれが創作していくということですか。
 そうですね。和歌でもJ-POPでも、私の中では選ぶときに差はありません。そういう意味で、私は古典に対してネイティブなんだと最近自覚するようになりました。古典と現在の作品を隔てなく行き来して、どちらに対しても「エモくて好き」と思える感覚が大事だと思っています。
そこがやまみちさんの才能ですよね。橋本治が古典の『枕草子』を現代語訳し、「春はあけぼの」を「春って曙よ!」と今の若い女性の気持ちになって訳しましたが、昔の人も今の人もそういうエモさは同じだったはずですよね。
 すごくわかります。和歌にはあんな風に書きたくなった気持ちが凝縮されていると思います。目に飛び込んだ景色がギュッと真空パックされて冷凍されている。しかも解凍の仕方が受け手に委ねられるのが、すごく良い。私たち後世のものとしては、それを存分に、好き勝手に遊ぶことが許されていると思うので、思い切り遊びたいという気持ちが強いんです。
これまで古典をコンテンポラリーダンスに繋げようとする試みが木に竹を接ぐようなことになったのは、そういう古典を遊ぶ感覚が足らなかったからかもしれません。
 例えば芸能の源流ともされる神楽はもともと畑仕事の合間に練習して神様に奉納するものでした。芸能は非日常(ハレ)と日常(ケ)の間にある。生活があって、でも歌い踊る。それはそのまま遊びに繋がっているのではないかと、個人的には思っています。だから私はひとつの作品を完成させるというより、人も人以外のものも集って見て、「何か楽しかったな」くらいの感じで家路につくような“場”を作りたい。お客さんが楽に居られると感じられるような芸能を目指したいと思っています。
3回目の自主企画公演『酒呑童子』(2019年)は近代日本彫刻の巨匠・平櫛田中の旧アトリエで行われました。構成・作曲・演出がやまみちさん、振付・出演はモンガ・コンプレックスの白神ももこでした。
 勘三郎さんと串田さんがタッグを組んだ舞踊劇『大江山酒呑童子』がかなり印象的な観劇体験として記憶に残っていて。悪者として退治されるべき対象であるはずの鬼神が、童子姿で山中を戯れ遊ぶ姿はとてもチャーミングで、どこか悲しかった。このユーモラスなで悲しい鬼の姿に迫りたくて、白神さんにお願いしました。

 それから、平櫛田中の彫刻に「転生」という作品があります。これは、「生ぬるいものは鬼も喰わない。喰うには喰ったが、気持ちが悪すぎてさすがの鬼も吐き出してしまう」という話をもとにつくられた、鬼が人間を口から吐き出している作品です。鬼に関係するアトリエで鬼の作品をやってみたいなと思いました。古典は、結構強引に「こことここが似てるっぽいから繋げちゃえ」もOKな世界なので、これもありかなと思い、会場を選びました。
古典の題材でとくに惹かれるモチーフはありますか。
 最初は日本舞踊の『船弁慶』(*8)、能や歌舞伎の『俊寛』(*9)など、自分が舞台を観て好きになった作品を題材にすることが多かったです。でも『三輪』以降は、女の子を題材にすることが増えました。清姫も橋姫(*10)も、1000年も語り継がれてくる間に話に尾ヒレがついたんじゃないかと。多分「あの娘ヤバイよね」「ストーカーじゃん」みたいなところからはじまって、最後には蛇や鬼にされてしまった。でも元をたどれば多分ただの女の子で、そこを知りたかった。伝承のマトリョーシカの中に隠された本当の姿を見たいと思いました。

 先ほどの酒呑童子もそうですが、土蜘蛛(古代、大和朝廷に恭順しなかった土着の豪族などの蔑称。近世以降は蜘蛛の姿をした妖怪のこと)やアテルイ(古代の蝦夷のリーダー。大和朝廷に刃向かったことから処刑される。鬼退治伝説のルーツのひとつ)なども、まつろわぬ民たちが妖怪や鬼などのレッテルを貼られて討伐されたのだろうとか、想像しはじめると扱ってみたいテーマはいくらでもでてきます。
現代の人の感覚にも通じるそもそもの部分にやまみちさんが興味をもっているので、コンテンポラリーなアーティストとも題材を共有しやすいのでしょうね。
 もちろん古典の派手なところも好きですよ。ヤマタノオロチだったら本当に8人出てきて演じるようなものもやってみたい。近松の原文を読むと、スピルバーグの映画みたいに疾走感があってすごいと思います。
そういえば橋本ロマンスと組んだ『江丹愚馬(ENIGMA)』(2021年。演出・振付:橋本ロマンス  詞章・作曲:やまみちやえ)は結構スペクタクルでしたね。
 ロマンスは同い年で、元々お互いの作品をよく見ていて、いつか一緒にやってみたいと思っていました。最初はロマンスから「東京の地下で眠っていた怪物が目を覚ますことで過去と現在が繋がる」というアイデアが出て、それが古典にあるナマズの伝承に繋がりました。

 ナマズについては、江戸時代に瓦版を通じて、「ナマズが暴れると地震が起こるため、神様が要石で押さえているが、ときどき石がずれて災いが起こる」という言説が流布されました。それが次第にナマズが正義の味方に変わり、瓦礫の中から人を助けたり、復興を手伝ったり、安政のあたりになると悪い金貸しをこらしめている浮世絵が出回るようになった。
「鯰絵」ですね。
 そうです。私は破壊と再生の両方を担っている両義性が面白いと思っていたのですが、ロマンスが「ナマズの自作自演にも見えない?」と言いだして、確かにそうだなと思いました。だったら政治のプロパガンダにも繋がるから現代のこととして描けるんじゃないかという発想になり、正体不明の怪物を江丹愚馬と名付けて、江丹愚馬を利用しようとしたり、利用されてしまう人々を描きました。
お父さんも語りで出演されていました。
 父には私の作品によく出演してもらっています。プロの演奏家ではありませんが、私が大事にしている芸能的な場を体現してくれるパフォーマーだと思っています。普段は語りだけですが、東京芸術祭が主催したきたまり/KIKIKIKIKIKI公演『老花夜想』(2021年。振付・演出:きたまり、作曲・演奏:やまみちやえ)ではきたまりさんの要望で出演もしていました。
『老花夜想(ノクターン)』(*11)は太田省吾の戯曲が原作で、全体が能舞台のようになっていて、ほぼ全編で流れる浄瑠璃とパフォーマンスが素晴らしい一体感を作り出していました。
 『老花夜想』は、まずクリエイションの前にきたまりさんやドラマトゥルクの新里直之さんとの勉強会があり、皆が一緒に作品背景や戯曲の解釈を共有するところから始まりました。その中で泉鏡花の作品や能の『山姥』がコラージュされている戯曲だとわかり、その構造を私も音楽で引用した作曲を試みました。主人公の老娼婦は、私の中では『関寺小町』(老婆になった小野小町が昔を回想する)のイメージで、90分の作品用に20曲くらい書きました。使わなかった曲も含めるともっとあります。
江丹愚馬

橋本ロマンス×やまみちやえ『江丹愚馬』(ENIGMA)
(2021年12月/KAAT神奈川芸術劇場-大スタジオ)
Photo: Yulia Skogoreva

老花夜想

きたまり/KIKIKIKIKIKI『老花夜想(ノクターン)』
(2021年10月/東京芸術劇場-シアターウエスト)

テキストのないダンス公演の作曲を依頼された場合はどうしますか。
 中川絢音さんと組んだ『しき』(2021年)は全くテキストがありませんでした。もちろん作品テーマはあるのですが、そういうときは、まず振付家がいま何に興味があるかを聞きます。好きなJ-POPや洋楽を共有し、あの時は好きな絵についても聞きました。まあ、半分はダンサーのことを知りたいという私の好奇心ですが(笑)。
中川絢音はバレエと日本舞踊の両方やっていた人ですが、他のダンサーとの違いを感じますか。
 振り付けの時に、コンテンポラリーだけをやってきた人よりも邦楽的なフレーズで曲を捉えるところがあるという認識はありました。『しき』は「人を弔うことをやりたい」という話だったので、日本だけでなく古代ローマや中国など古今東西の葬儀やそれにまつわる芸能を調べました。「泣き女」という役職がいたり、道化が出てくるところもあったりで、葬儀もお祭りなんだという認識で作曲を進めました。
やまみちさんの参加する作品は基本的に生演奏です。これはコンテンポラリーダンスの世界では貴重なことです。
 私は稽古場に三味線を持って通います。ダンサーに合わせて常に生演奏で稽古をしたくて、「そちらが踊りを止めるまで、いくらでも弾き続けます」と言うと、最初は戸惑われますね(笑)。それを続けていくと、ここで盛り上げたら反応してくれるかな?とか、終わりたそうにしているけどもう少し続けてみようとか、相手の呼吸がなんとなくわかってくる瞬間がくるのがたまらなく面白いです。
音と身体がリアルタイムで影響し合うことが重要なんですね。
 はい。私が小さいときに言葉の意味もわからない古典のビデオに惹かれたのは、やはり音に何かしらの魅力を感じていたからだと思っています。文楽のクドキで泣くシーンの三味線のフレーズが「涙がボロボロってこぼれる音なんだ」と芯から体感すると、もう細胞が沸き立つというか。昔の人も絶対この音を聞いてこういう感覚だったんだろうなと思うと、同じ瞬間を私の作品でも生み出して、ダンサーにも観客にも出会ってほしいという気持ちが盛り上がってくるんです。
ここまで話を伺っていると、「昔の人もここで震えたんだろうな」という数百年の時を軽々と超えて共感できる能力と、それを今の身体を通して現在のリアルにする能力を兼ね備えているだけでもすごいですが、その両者が無理なく直結しているのが本当に面白いですね。
 言葉にしていただくと、私ってそういうことをやっているんだ、と腑に落ちました(笑)。そもそも私が太棹三味線を選んだのは義太夫を好きだから。義太夫は基本的に1人の太夫と1人の三味線弾きの2人だけで演奏します。ナレーションも登場人物もすべて2人で担当する。太夫もすごいし、合わせて弾き分ける三味線もすごいんです。男女、神様、赤ちゃんからおじいちゃんおばあちゃんまで、神話の世界から当時のホームドラマまで、太夫と三味線だけで全部表現できる。音楽だけじゃない、演じる語り物であることが、ダンサーと協働するときに大きく作用していると思います。
最後に、やまみちさんはクマ財団(*12)の奨学生で、卒業後も活動支援を受けています。クマ財団はクリエイターという括りで、大変幅広い才能を奨学生として支援しています。2022年にはクマ財団が新たに開設したギャラリーで『橋姫』のワークインプログレスを発表しました。
 クマ財団の性質上、奨学生には新しい価値の創造に挑戦するような人が多くて、私のようにガッツリ古典でパフォーマンスする人は少ないです。芸術系の大学生は、コンスタントな発表の場をもつことや創作の費用を捻出することに苦戦することが多いですが、クマ財団はそこをピンポイントで支援してくれるので本当にありがたいです。

 学生のうちは、審査はありますが継続申請が可能で、年間120万円を何に使ってもいい。私は自主企画と卒業制作の制作費に充てました。卒業制作は北尾亘さんに振り付けしていただき、安部萌(あべめぐみ)さんと熊川ふみさんに出演していただいて『ふることふみ-義太夫とコンテンポラリーダンスによる-』を発表しました。
今後やりたいことはありますか。
 ワークインプログレス公演『橋姫』では初めてレクチャーを交えた上演に挑戦したのですが、予想以上にお客様に喜んでいただけて手応えがありました。事前レクチャーをすることで観てくださる方それぞれの古典に対する先入観や予備知識を一旦フラットにすることができる。そのような観劇環境をつくることにも興味が湧きました。古典の題材について、私の作り方や面白がり方について、音楽について紹介し、最終的に生演奏でパフォーマンスを見てもらうような企画をレパートリーとしてやっていければと思っています。
道案内というか、それができるのが古典の強味でもありますし、生き生きとした萌える言葉で伝えられるのもやまみちさんの魅力だと思います。
 ありがとうございます。それから、先ほどもお話しましたが、日常と非日常の間にある「芸能」的な、人が集う場を作っていきたいと思っています。とても大きな目標ですが、がんばります。

*1 『義経千本桜』
人形浄瑠璃および歌舞伎の演目のひとつ。平安時代末期の6年にわたる内乱、俗にいう「源平合戦」(平清盛を中心とする平氏政権を、源頼朝を中心とする武士集団が打倒した戦い)を背景にしたもの。「義経千本桜」は、源平合戦の功労者である義経が兄・頼朝に謀反を疑われて都落ちし、その義経に死んだはずの平家の武将が生きていて復讐を企てるという後日譚。「河連法眼館(かわつらほうげんやかた)」では、館に匿われている義経のもとに、妾の静御前が義経から形見として渡された初音の鼓を持って、家来の佐藤忠信(親の夫婦狐を鼓の皮にされた子狐の化身)と訪ねてくる。早変わりや宙のりなどの仕掛けも多く、正体を明かした狐忠信が見どころ。

*2 『鷺娘』
歌舞伎および日本舞踊の演目のひとつ。恋に身を焦がす娘の姿を白鷺の姿になぞらえた踊り。雪景色の中に白鷺の精が姿を現し、娘に姿を変えて積もる思いを踊り、再び白鷺に姿を変えて恋への執着から地獄に落ち、責め苦を受けて力尽きる。

*3 『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』
人形浄瑠璃および歌舞伎の演目のひとつ。江戸時代中期に近松半二によって書かれた時代物(江戸時代より前の時代設定を用いて歴史上の事件や人物を扱った作品)。古代王朝の政変を舞台に、その狭間に生まれたさまざまな恋の行方をいくつもの伝説を織り込んで描いたもの。その恋のひとつが酒屋の娘お三輪の片思いで、宿敵を討つために身をやつしていた藤原淡海に恋慕し、嫉妬に狂う。しかし、嫉妬した女の生き血が宿敵を討つのに役立つと聞かされ、あの世で結ばれることを願いながら死んでいく。

*4 ヤマタノオロチ
日本神話に登場する8つの頭と8つの尾をもつ巨大な怪物(大蛇)。1年に1度、現れては娘を食べることから、スサノオノミコトに退治される。

*5 安珍・清姫伝説
清姫は、熊野権現に詣でる途中に一夜の宿を借りた山伏の安珍に恋をする。安珍は逃げるが、清姫はすさまじい執念で大蛇に化身して後を追う。道成寺に逃れた安珍は釣鐘の中に匿われるが、その釣鐘に大蛇となった清姫が巻きつき、炎で安珍もろとも焼き尽くす。

*6 『娘道成寺』
歌舞伎舞踊の演目のひとつ。安珍・清姫伝説の後日譚。道成寺に奉納された新たな鐘のための供養が行われ、そこに清姫の化身である美しい白拍子が現れてさまざまに舞い、最後は蛇体となって舞う。

*7 あいみょん
1995年生まれ。揺れる気持ちを同時代の感性で綴った強烈な歌詞とポップな曲で若者のアイコンになっている新世代のシンガーソングライター。

*8 『船弁慶』
能『船弁慶』を元に歌舞伎化され、その後、舞踊化された演目。怨霊となった平知盛と、その宿敵である源義経に捨てられた愛人・静御前が主人公。

*9 『俊寛』
平家討伐のクーデター未遂で鬼界ケ島に流刑となった俊寛は、大赦でも放免されず、ひとり島に残される。

*10 『橋姫』
橋にまつわる日本の伝承で登場する女性、鬼女、女神。『平家物語』の剣巻では嫉妬に狂う鬼として描かれ、後の橋姫の物語の原型となっている。能『鉄輪(かなわ)』では、橋姫は後妻に夫を奪われた嫉妬に狂う鬼女として描かれている。

*11 『老花夜想(ノクターン)』
1974年作。ホテル月光には娼婦を求めて男たちが夜な夜なやってくる。「月蝕の夜に娼婦は最後の務めを終えてひっそりと足を洗う」と言い伝えられていたが、もう1カ月も客がとれない年老いた娼婦「はな」は一向にやめる気配がない。男たちとの思い出に耽りながら、はなはある男がやってくるのをずっと待っていた‥‥。

*12 公益財団法人クマ財団
スマートフォン向け人気ゲームを開発・配信している株式会社コロプラの創業者で代表取締役会長兼チーフクリエイターの馬場功淳(ばばなるあつ)が設立。25歳以下の学生クリエイターを対象としたクリエイター奨学金(給付型、用途自由、年間120万円、50名)、奨学生・卒業生を対象とした活動支援事業(年間30万円〜500万円)、クリエイターが繋がる場の提供などによりクリエイターの成長と活動を支援。

この記事に関連するタグ