バンコク国際パフォーミングアーツ・ミーティング(BIPAM)
Bangkok International Performing Arts Meeting (BIPAM)
(写真は2019年開催の様子)
https://www.bipam.org/
ササピン・シリワーニット
東南アジアの新たなプラットフォーム
バンコク国際パフォーミングアーツ・ミーティング(BIPAM)
ササピン・シリワーニットSasapin Siriwanij
バンコク国際パフォーミングアーツ・ミーティング(BIPAM) アーティスティック・ディレクター
2015年の「TPAM―国際舞台芸術ミーティング in 横浜」に参加したのをきっかけに、2017年にタイで発足した「バンコク国際パフォーミングアーツ・ミーティング(BIPAM)」。
聞き手:山口真樹子
- ササピンさんは現在、BIPAMのアーティスティック・ディレクターを務められています。まずはBIPAM設立の経緯についてお聞かせください。ちなみにササピンさんは国際交流基金アジアセンターの招きで2015年のTPAM(舞台芸術交流ミーティング in 横浜)に参加されています。
- BIPAMは2017年にスタートしました。立ち上げたのはやはりTPAMに参加していたシュッド(チャワットウィット・ムアンケーオ)です。私は立ち上げを検討するプロセスには参加していましたが、初回のBIPAMには関与していません。私たちは同時代舞台芸術の国際プラットフォームであるTPAMに参加して感銘を受け、TPAMのプログラムの良さを知れば知るほど、同様のプラットフォームがタイにあればと考えるようになり、手本にしました。
TPAMで大勢の東南アジア地域のプロフェッショナルに出会ったこともとても貴重ですばらしい経験でした。でもわざわざ遠く日本まで出かけないと彼らと出会うことができないのが不思議で、私たちのホームであるバンコクで出会うことができればと考えるようになりました。バンコクは東南アジア地域の人々にとってアクセスしやすく、空路でせいぜい1時間もあれば到着します。シュッドは政府から仕事を受けることが多く、政府からの資金調達の経験もあり、バンコクでこういったプラットフォームを実現するために政府を説得するアイディアも持っていました。
私は彼と同意見でしたが、加えてタイ国内の舞台芸術のコミュニティにおけるディスカッションを促進したいとも考えていました。そしていずれは東南アジア地域に議論を広げていくことを視野に入れていました。タイでは多くの才能豊かなアーティストたちが面白い活動を活発に展開していますが、このまま何もしないと近いうちに飽和状態になることが予想されました。外の世界の異なる状況や未知のインスピレーションに対して自分たちを開き、他国のアーティストと出会い、アイディアを交換し、対話を深めることが必要だと思いました。それが自分たちの実践についてより深く考察するための重要な方法のひとつだからです。
これらのヴィジョンを組み合わせて実現させたのがBIPAMです。初回のBIPAMは「バンコク・シアター・フェスティバル」のプログラムの一環として実施されました。いわば同フェスティバルの国際部門です。おかげでBIPAM の存在は人々に認知されるようになりましたが、翌年の開催については私たちがあまりにも多くのプランを考えていたため、単独で開催することになりました。
内容的にも財源もかなり違いましたし、またヴィジョンにも少し違いがありましたが、相互にサポートし合いたいと考え、当初は同時期開催を試みました。BIPAMを訪れる人々がフェスティバルにも足を運べるようにしたのですが、実際には予想していたほどうまく機能せず、今では開催期間を合わせることはしていません。それでも他の形で互いにサポートしています。 - 2018年にササピンさんがアーティスティック・ディレクターに就任されてからどのようなことに取り組まれましたか。
- シュッドは第1回の企画・運営をすべて自分で手がけましたが、その体制は1回限りのものにした方がいいと考えていました。初回は多くの人々が集まり、有意義な対話も行われましたが、継続していくにはある程度のディレクションが必要でした。
それで私がBIPAMのプログラムの企画と内容についてのキュレーションを引き受けることになり、一緒に企画する委員会を発足させました。委員会のメンバーは私のほか、ジャールナン・パンタチャート(*1)(B-Floor Theatre 共同芸術監督、演出家、俳優、プロデューサー)、ウィチャヤ・アータマート(*2)(劇作家・演出家)、アミター・アムラナン(*3)(演劇批評)、そしてタイのコミュニティと深く繋がっているパーンラット・クリットチャンチャイ(俳優、演出家)です。この委員会でBIPAMのプログラムを毎年キュレーションしてきました。
BIPAM発足当時から私たちは様々な不確実性と常に向き合う必要がありました。守備を万全にして、よきにつけ悪しきにつけ、予想していなかったことにも対応し、変更や調整をしてきました。
BIPAMの法人格は非営利団体ではなく有限会社です。タイには非営利団体の制度がなく、唯一適用可能な法人格が有限会社でした。ただ、これにはメリットもあり、政府の芸術文化支援制度の対象にならないので、私たちがやりたいことを自由にやることができます。うまくいかなかったことがあれば次回には即変更できます。誰かに対して一度始めたことを継続する責任をとる必要はなく、その事情や理由を説明すべき相手は唯一コミュニティだけでした。
BIPAMの成り立ち
- 私は2018年のBIPAMに参加しましたが、とてもよくオーガナイズされていました。ディスカッションの内容も濃く、またショーケースも充実していました。バンコクのコンテンポラリー・ダンスとミャンマーの伝統舞踊の踊り手・人形遣いを組み合わせた作品も観ましたが、新しいことを果敢に試みていると感じました。
- プログラムを企画する上で、不足や制限があることで逆にインスピレーションを得ることがよくあります。私たちはとても大きな夢を抱いていますが、実際には予算が潤沢にあるわけではない。いろいろなパートナーから資金を得ていますが、当然それぞれのパートナーが望むものは異なります。このことが企画の上で大いなる創造性を引き出し、多くの作品を委嘱することになり、ひいてはBIPAMのシグネチャーになったと考えています。
矛盾していますよね。お金はあまりないけど、実際には新作を委嘱している。ただそれは小規模な作品です。でもこうした新作委嘱でこそ、私たちがコミュニティに対して語りたいことを作品に結実させることができるのだと思います。新作でアーティストを組み合わせるのはとてもワクワクします。アーティストたちは初めて共同で作品をつくることになり、そのプロセスで対話が生まれます。 - 異なる文脈のアーティストを初めて組み合わせて新作を委嘱するときに重視するのは結果としての作品ですか、あるいはそこに至る協働のプロセスですか。
- 2018年当時はやはりプロセスが重要でした。同時に、ある結果を得ること、少なくとも結果について考えること、具体的な結果を出すことを念頭において取り組めばプロセスの実践を深めることができることにも気づきました。出会いに重きをおいても、目指すゴールや終着点をある程度念頭においておくことでより方向づけができます。
2018年はアーティストが文字通り出会い、ショーケースというフォーマットの中で非常に短い期間に作品を作りました。その後、相変わらず規模は小さいままでしたが、アーティストが出会うための時間を十分にとるようになり、また十分な時間を確保してじっくりと議論やリサーチができるようにしました。
これを継続し、今ではリサーチや協働のプロセスをさらに深められるようになりました。作品としてではなく、インキュベーションのためのプロジェクトとして成立させることもあります。例えばフェスティバル/トーキョーのディレクター、長島確さんと共に実施した「The City & The City」(*4)がそれです。韓国・光州の国立アジア文化殿堂との最近のプロジェクトでは、アーティストが3カ月かけてオンラインでリサーチを行い、その成果を展示の形で発表しました。十分なリサーチの時間を確保し、プロセスに重点をおきながら、できれば最終的にプロダクションとして成立させるのが理想で、近い将来には達成できるかもしれません。 - 新しい価値の創造につながるといいですね。BIPAMのプログラム構成についてもう少し伺います。BIPAMの基本はミーティングですね。
- そうです。ショーケースとトーク・プログラムがあり、後者ではプレゼンテーション、パネルディスカッション、アーティスト・トーク、また少しですがショーケースに招聘したアーティストのワークショップも行います。さらにネットワーキングもプログラムの一つとして重要視しています。
BIPAMを訪れる人々にとって、パネルディスカッションのようなフォーマルな場以外での交流がとても重要であることはわかっていました。フライドチキンとフレンチフライとビールがあるような気楽な場です。多くの場合、そういった機会から何かが生まれるのでそうしたネットワーキングの機会も組み込みました。何か楽しいことが起きるような場をつくるのが私たちはとても得意です。 - 2021年のBIPAMは完全にオンライン開催で、「Ownership」がテーマでした。テーマについてはどのように考えていますか。
- 自分が関わった2018年から毎年テーマを掲げています。2018年は「Root Routes」として、伝統とコンテンポラリーを組み合わせました。それから「Eyes Open」(2019年)、「Under the SEA」(2020年)、「Ownership」(2021年)と続けました。テーマを掲げることで方向性が明確になり、プラットフォームで何をとりあげるかもはっきりします。しかし、これを今後も継続するかどうかは現在検討中です。BIPAMのキュレーションを行う上でテーマ設定が本当にメリットとなるのか、むしろ制限することになるのではないか‥‥。私たちにはBIPAMで実現させたいことが他にもあるので、逆にテーマをより広く捉えたほうがよいのではとも思っています。
2018年と2019年は私がアーティスティック・ディレクターになって間がなかったので、最も切実なことをテーマにしました。例えば「Root Routes」では、どうすればBIPAMがプラットフォームとして有意義なものになり、どのように政府を巻き込み、できるだけ多くの人々に交流してもらえるかを必死で考えました。タイでは往々にして政府が関心を抱くのは伝統芸能です。自分のバックグラウンドはコンテンポラリーなので、伝統とコンテンポラリーの間にどのような対話が可能なのかを探ろうとしました。
政府は関心がないようだったので、2019年は自分たちの関心事である社会に応答することをテーマにしました。それが「Eyes Open」で、内容の大部分は暴力に関するものでした。すでにそこにある東南アジア地域の現実、真実を取り上げ、新しいレベルでの交流になりました。この地域の歴史は、私たちが生きる現代史も含めて暴力に満ちています。そして興味深いことに、大抵の場合これらをすべて隠すか、もしくは一笑に付しています。トラウマがあまりにも大きいので、語り続けることができないのではないかと思います。この地域に共通する暴力の歴史をことごとく認識するためのスペースを作ることで、私たち相互の連帯がこれまでとは異なる方法で可能になると考え、2019年のテーマとしました。
2020年はコロナに対する応答がテーマでした。2019年のBIPAM終了後、毎年の開催から隔年に切り替えることを決めていました。しかし2020年はあまりに先行不透明で、2021年以降の企画を考えることに意味を見出せなくなっていました。そこで再検討し、2020年は自分たちが今話したい事を話す場にしました。私たちの友人が今何をしていて、この状況にどう適応しているのかを知りたいと思いました。これを東南アジア全11カ国に対して投げかけ、11週間に及ぶシリーズを開催しました。東南アジア各国から毎週、友人を含めたスピーカーを招き話し続けました。 - 2021年には新たに「インドネシア・ドラマ・リーディング・フェスティバル(IDRF)」(*5)と協働しました。この5年間でBIPAMは舞台芸術の実践者、研究者、批評家にとって創造的なプラットフォームになったと考えていますか?
- そう思いたいですね、それこそが私たちが実現したいことですから。ただそれを判断できるのはコミュニティの人々であり、自らそう主張するのは正しくありません。ただこれまで何度もそういった意見をコミュニティの人々から聞いていて、BIPAMのあり方を評価してもらえてとても感謝しています。
私たちは繰り返し、東南アジアのハブとして機能したいと発言してきました。東南アジアについて話し、知るための場所を探しているのであれば、まずはBIPAMに参加することをお勧めします。ちなみにBIPAM以外にもフォーマットやテーマは異なりますが同様の目的をもつプラットフォームが東南アジアにはあります。IDRF、ジョグジャカルタの人形劇団ペーパームーンによる「Pesta Boneka」(*6)、「インドネシア・ダンス・フェスティバル」(*7)などです。
BIPAMのプログラムについて
- その中でBIPAMはフェスティバルではなくミーティングとうたっているところが特徴ですが、運営する上での課題はありますか。
- 発足当時から私たちは常に不確実な状況で取り組む必要がありました。守りを固めて、よきにつけ悪しきにつけ予想だにしていなかったことにも対応し、変更や調整をしてきました。
資金は今なお大きな課題ですが、お金そのものよりも私たちが利用できる芸術文化支援の仕組みがないことが問題です。国にそのお金がないわけではなく、アート界が必要とする形で割り当てられておらず、文化政策に位置づけられていません。これが現実ですが、徐々に改善されることを期待しています。
タイにはBIPAMのようなコレクティブだけでなく、バンコクにはタイ演劇財団(Thai Theater Foundation)もありますし、プロデューサーやフェスティバルのネットワークもあります。私と同じ年代の人がその中で活動していて、ときにはミーティングを行い、政治家や政党と接触し、コミュニティを代表する立場で政策立案に関わることを試みています。こういったそれぞれの努力が何らかの変化につながり、ささやかでも10年後、20年後に実を結ぶことを願っています。 - タイ演劇財団は以前からある財団ですか?
- BIPAM発足後にできた財団です。1、2年後だったと思います。ディレクターはラックサック・コンセンで、バンコクの大学で演劇を勉強した人です。現在ニューヨーク在住で、タイのチームと連絡をとりあいながら活動しています。
実はBIPAMのチームのメンバーのひとりはタイ演劇財団の仕事もしています。コレクティブで活動しているメンバーには掛け持ちしている人も多く、結局のところ、私たちの演劇コミュニティを担っているのはせいぜい10名から15名です。私もProducers of Thai Performing Arts Network (POTPAN)の一員であり、B-Floor Theatre、 For What Theatre (それぞれが別の集団に所属する3人の演劇人によるコレクティブ、*2参照)のメンバーでもあります。
課題は常にありますが、その中でいろいろな工夫をしています。BIPAMを有限会社にしていることもそのひとつで、外部からの委託や仕事を受けることができるので資金確保に繋がっています。国際交流基金のバンコク日本文化センターからの仕事もあれば、商業的なフェスティバルのキュレーションも引き受けます。こうした仕事も私たちにとっては面白いのですが、あっという間に活動が拡大してしまい、マネジメントが難しくなるという問題もでてきています。
COVID-19によるパンデミックが始まると、私たちの活動は国内でも、海外の多くの機関でも急激に知られるようになりました。BIPAMのポテンシャルを私たちもあらためて認識するようになり、いろいろなことができると感じてチャレンジしました。
舞台芸術をめぐるトークのシリーズを科学技術の専門家を交えて開催し、カナダの同業者との交流も続けています。また、オンラインのアーティスト交流プロジェクトを、イスラエルの独立系演劇クリエイター協会(EVE)と実施しています。BIPAMを通じてチャンスが得られれば、それをコミュニティの人々に手渡していきたいのです。気づくと多くの案件が集まっていましたが、私たちはアーツマネージャー1名とプロデューサー1名を入れたたった5名のチームに過ぎません。バンコクには経験豊かなプロデューサーやアーツマネージャーがまだまだ少なく、必要性は認識しているものの、その養成まで手が回っていないのが実情です。 - 多忙で燃え尽きてしまいそうなぐらいですね。
- 最初の2回、2018年・2019年のBIPAMの時はさすがにバーンアウトしました。今のチームはパンデミック発生当時に結成され、みなBIPAMを代表できるほど深くコミットしているので真の意味でチームとして動くことができるようになりました。バンコク日本文化センターの職員だったシリー・リュウパイブーンもメンバーで、強力なキープレイヤーのひとりになっています。
BIPAMの抱える課題
- 先ほどからコミュニティという言葉を使っておられますが、バンコクもしくはタイ国内のコミュニティを指しますか?それとも東南アジアのそれですか?
- 活動の内容によります。たとえば先述の舞台芸術と科学技術のトークシリーズはタイもしくはバンコクのコミュニティが必要としているものを探し出し、不足を解消し、ローカルのコミュニティとして未来を考えるプログラムです。一方で、これまで私たちは機会があれば極力東南アジアのコミュニティを巻き込んできました。現在進めているCAPACOA(*8)を通じてのカナダのプレゼンターとの交流がそうで、ここでは東南アジアの関係者のグループを作りました。私たちにはプレゼンターという職業はないため、相当する仕事をしている7名に声をかけました。BIPAMは重要な出会いと交流の場所になっていますが、それ以外にこうしたトークシリーズなどの小さなプロジェクトにたくさん取り組んでいます。
たとえば「Blur the Lines, Redefine the Borders(輪郭をぼかす、境界線を再定義する)」と題するシリーズです。舞台芸術と科学技術の間に橋を架けることに関心がある舞台芸術のアーティストにBIPAMから声をかけ、科学技術に関するリサーチを行なってもらうものです。ゆっくりと十分に時間をかけながら、アーティストと科学技術者が出会い、自分たちで対話を進め、自らプロジェクトを立ち上げられるようになることを目指して手助けをしています。
このシリーズは今後も継続していく予定です。テクノロジーに関する知識を持ち合わせていない私たちですが、ピースが欠けているのはわかります。それを埋めるために、一時的なパネルディスカッションに終わらない有意義な対話や交流をどうすれば継続し、深めていけるのかを他国のパートナーと関係を築いて時間をかけて探していきたいと考えています。BIPAMはアーティストと実践者のための橋を架けるプロジェクトをタイ国内でも、また東南アジア地域でもできるだけ展開していきます。 - バンコクの舞台芸術のコミュニティについてですが、人々が互いにとても助け合っている印象があります。所属する劇団が異なっていてもサポートし合っていて、有機的でいきいきとしたコミュニティがバンコク演劇界の強みになっているように思いました。
- 私もそれが強みだと思います。ただし、それはある意味で狭いということでもあります。いつも同じ顔触れで、よく知っているから何かあっても誰に連絡すればいいかすぐにわかる。たとえば国際的なプロデュースやツアー案件であれば、ほぼ私に連絡がきます。いわば家族のような感じで、私もアーティストとしてこのコミュニティの中で育ちました。ですから、バンコク・シアター・フェスティバルは、全員が毎年集う大家族の集会のようなものです。
- 次回のBIPAMについても教えてください。
- 次回は2023年3月に開催する予定です。プログラム構成に変更はありませんが、ポスト・コロナ時代の観点から新しい試みを考えたいと思っています。もちろん実際に会って話したいのでバンコクまで来てほしいのですが、今では多くの人にとって長距離の移動や旅を決心することは容易ではありません。あくまで例ですが、バンコクの一室に皆で座りプロジェクターをみながらプレゼンテーションに耳を傾けるのではなく、会場を外に移す、もしくはグループで一緒に旅に出て複数の場所を訪問してその中で語り合う、といったことを考えています。
COVID-19 による影響を考察し、今私たちが直面している現実とは何かを考えたいです。現実はパンデミック以降非常に速いスピードで変化し続けています。オンサイトに完全に戻ったところもあれば、そのままオンライン開催を継続するプラットフォームもあります。BIPAMはインディペンデントなコレクティブとしてそのどこに位置すべきかを探っています。 - ところでバンコクはすでにパンデミック前の状況に戻っていますか? 演劇界の現況はいかがですか?
- 演劇界については、パンデミックの前に戻り、とても活発です。演劇公演だけでなく、美術展、フェスティバル、コンサート、すべてが戻ってきたという印象です。不動産会社が主に所有している商業スペースはパンデミックで十分に活用できなかったのですが、今では自らアーティストを招いて場所を提供するようになりました。バンコクでは長い間スペースの不足が深刻な問題だったので、これはとてもいい傾向だと思います。アーティストが自らスペースを持って運営するのとは意味が異なりますが、新しい変化の兆しとして見守っていきたいと思います。
パンデミック中の規制が緩和され、バーの営業も23時までに制限されていたのが従来の午前2時までに戻りました。一方で、今なお緊急事態令に基づく措置が続いてもいます。軍事政権が変えようとしないのです。ですからとても変な状況です。何もかもが開かれようとしており、アートとは直接の関係はありませんが、マリファナも合法化されました。一方で軍事政権による厳重な制限が私たちには今なお課されています。 - そういった厳しい制限を実際に感じますか?
- 目にみえる衝突は少ないかもしれませんが、トラウマのような感じが続いています。人々は攻撃や対立にすっかり疲弊し、もはや家の外にでていきません。街頭での対立やにらみあいは少なくなりましたが、告発、誘拐、逮捕は今なお起きていて、自分たちにも近づいているという印象です。今何かが起きているわけではないですが、今以上に何かをやろうとすると何らかのトラブルになる可能性があるのではないか、といった空気が漂っています。
- その意味では、バンコクの演劇界が情報を交換しサポートし合う家族のような関係であることは心強いですね。
- はい、そうです。それから国際的につながっていることもとても重要です。実際に何か重大な問題が起きたときには頼ることができます。
「コミュニティ」とは?
- プロデューサーとしての仕事についてお尋ねします。最近ウィチャヤ・アータマートの2つの作品をプロデュースしています。両作品とも欧州でツアーをして好評でした。そのうちの『父の歌(5月の3日間)This Song Father Used to Sing』は今夏再びヨーロッパでツアーが行われます。これらタイの文脈で書かれた作品をプロデュースする際、外国の観客のことを考慮しますか。
- ウィチャヤの作品については、ゼロからプロデュースしたわけではありません。『父の歌』はすでに創作済みで、その後も彼自身が何度も手を入れてきた作品で、彼のパーソナルなプロジェクトと言っていいと思います。ヨーロッパのフェスティバルへの招へいが決まってから、彼に加わりました。
また、2作目『9月の4日間 Four Days in September(The Missing Comrade)』 については、ウィチャヤのアイディアに対して、私とのやりとりもありましたが、特に共同製作のパートナーであるクンステン・フェスティバル・デザール(ブリュッセル)、ウィーン芸術週間、フェスティバル・ドートンヌ、ブラック・ボックス・シアター(オスロ)と、作品の展開やうまく観客に届ける方法について意見を交換しました。最高の結果とは言いませんが、ヨーロッパの観客に関心を持ってもらうためのベターな方法をみつけることができたと思います。
ただ、私たち自身がヨーロッパの観客のことを考慮することはしていません。ウィチャヤはいつもタイ社会について考察しながら自分の方法で作品を創作します。ですから私がやるべきことは、誰かを喜ばせることなど考えず、これまでそうしてきたように自分のやりたいようにやればよい。そうすれば作品自体が語りだす、と伝えることでした。
作品の「国際化」が必要な場合は、ウィチャヤをサポートします。たとえば、『9月の4日間』の欧州公演(2021年)では、タイの政治史の年表を観客に配布することを決めました。彼と相談した上での決定です。
ウィチャヤの作品のプロセスにおいて私が果たす役割はそういったもので、アーティスティックなプロセスに積極的に介入することはなく、アーティストにとってのサポーターに徹します。彼を非常に信頼しているので、彼がやっていることを続けてもらう。そして観客に届ける上で必要となるものについて、互いに話し合います。
ただ、まだ台本が完成していない段階でフィードバックやコメントをすることはあります。たとえばそのジョークはタイ国内では笑えるが、ヨーロッパでは不快に感じられるかもしれないのでカットしよう、とか。また、俳優のためのワークショップやエクササイズを、リハーサルやウォームアップとして私がやったことはあります。
プロデューサーとして、アーティストとして
『父の歌(5月の3日間)This Song Father Used to Sing』
ウィチャヤ・アータマートがFor What Theatreで発表した代表作。父の命日を供養するために毎年バンコクの実家に戻ってくる姉弟が台所で思い出や近況を語り合う中で、タイの現代史において重要な意味をもつ5月17日、5月19日、5月22日を浮かび上がらせる作品。2019年クンステン・フェスティバル・デザール(ブリュッセル)、ウィーン芸術週間などに招聘された。パンデミック直前にはオスロのブラック・ボックス・シアターでも上演。2021年にKYOTO EXPERIMENTで上演予定だったがCOVID-19のため映像配信に変更。2022年再び欧州ツアーを実施。
https://kyoto-ex.jp/shows/2021s-wichaya-artamat/
https://kyoto-ex.jp/magazine/sho-fukutomi2021s/
(C)Wichaya Artamat
『9月の4日間 Four Days in September(The Missing Comrade)』
歴史的証拠の隠滅や活動家の拉致など、「失踪」をキーワードにタイの30年の歴史を暗示したウィチャヤ・アータマートの作品。2021年クンステン・フェスティバル・デザール、ウィーン芸術週間、、ブラック・ボックス・シアター(オスロ)、Maison de la Culture de Seine-Saint-Denis(フランス・ボビニー)、フェスティバル・ドートンヌ(パリ)による国際共同製作作品として欧州に招かれた。
(C)Kawin Sirichantakul
- もうひとつあなたが関わっている進行中のプロジェクトにミュンヘンのバイエルン州立劇場レジデンツテアターとの共同製作があります。
- 『I Don’t Care ไม่ว่าอย่างไร』(*9)です。やはりアーティストの発案によるものです。演出家のジャールナン・パンタチャートはドイツの作家ユルゲン・ベルガーと面識があり、8人のトランスジェンダーの人々に行ったインタビューが元になっています。私が参加したのは少したってからで、このケースでもそれほど創作のプロセスにはかかわっていませんが、作品を展開するうえでの提案や助言をすることはあります。
ユルゲンと相談しながら、また演出家(アンナ=エリザベス・フリック、ジャールナン・パンタチャート)とも協議して決めています。このプロジェクトは共同演出なので、そのバランスをとることやチームのためにクリアにすべきことがあればサポートしています。繰り返しますが、私は自分がアーティストとして参加しているのでない限り、アーティスティックなプロセスに介入することはありません。 - レジデンツテアターは非常に大規模な公立劇場です。そういった劇場と共同製作・制作を行う上でササピンさんの存在や役割はとても重要だと思います。
- レジデンツテアターはプロフェッショナルです。国際的なプロジェクトでアーティストと協働することにも、また、小規模で実験的な創作のスタイルにもとても理解があります。特に直接やり取りをしている人たちとはよく理解し合っていますし、こういうチームで共に新作を作ること、そこに参加できることをとても幸運だと感じています。
- ササピンさんは本来アーティストであり、パフォーマーです。岡田利規さんが演出した『プラータナー:憑依のポートレート』(*10)にも出演されています。どのような実践をしていますか。
- 私自身は俳優であり、動きをベースとするパフォーマーです。自作では、ライブ彫刻のソロ作品『Oh! Ode』などがあります。パフォーマンス・アートの作品を発表していますが、最近はアンサンブルを演出したダンス作品も手がけました。女性であることを扱った女性のみが出演する『Vessel』という作品です。また、先日は初めて展覧会のためのヴィデオ・インスタレーションも作りました。
私のアーティストとしての実践は明確に深く身体に根差しており、動きを伴うフィジカル・シアターを手がけています。演劇的な背景も強くあるので、身体で演劇とダンスを組み合わせていると言えます。もうひとつ、女性であることについてのエンパワーメントも大きなテーマです。社会の中で女性であることの意義を高め、エンパワーする方法を見つけること。もちろんエンパワーする対象は自分だけではなく、他者や市民も含みます。身体とエンパワーメントが私の2大テーマであり、アーティストとして歩んできた道です。形は様々ですが、常にこの2つの観点を持って表現してきました。 - 明確なアイデンティティですね。お忙しいところインタビューにご協力いただきありがとうございました。
*1 ジャールナン・パンタチャート
https://asiawa.jpf.go.jp/culture/features/f-ah-tpam2019-jarunun-phantachat/
*2 ウィチャヤ・アータマート
演出家、For What Theatreのメンバー。1985年、タイ・バンコク生まれ。タマサート大学映画専攻卒業後、Bangkok Theatre Festival in 2008のプロジェクトコーディネーターを務める。2009年にNew Theatre Societyに参加。2015年にB-Floor Theatreに所属するササピン・シリワーニット、Crescent Moon Theatreに所属するベン・ブッサラカムヴォンとともにFor What Theatreを共同設立。個人史と政治の関わりを独自の演劇的アプローチで取り上げ、タイ現代演劇界で最も注目されている若手演出家。
*3 アミター・アムラナン
https://asiawa.jpf.go.jp/culture/features/ah-tpam2020-three-critics-interview/
*4 「The City & The City」
BIPAMとフェスティバル/トーキョーとの交流企画。2019年にスタートし、2020年には東京とバンコクの2都市から各3名のアーティストのチームが参加。それぞれが生活する都市についてのリサーチを行い、そのプロセスをオンラインで交換。最終プレゼーテーションとして2都市の会場でのヴァーチャルツアーを実施。
https://www.festival-tokyo.jp/20/program/bipam.html
*5 インドネシア・ドラマ・リーディング・フェスティバル(IDRF)
2009年に東京で開催されたアジア劇作家会議をきっかけに、2010年にジョグジャカルタでスタートしたインドネシアの新作戯曲のためのプラットフォーム。インドネシア語に翻訳した海外戯曲も紹介。
https://performingarts.jpf.go.jp/J/pre_interview/2109/1.html
*6 Pesta Boneka
https://www.pestaboneka.com/
*7 インドネシア・ダンス・フェスティバル(IDF)
1992年からジャカルタで2年に1度開催されているインドネシア最大の国際ダンスフェスティバル。国内外から招聘したダンス公演のほか、若手アーティストが学び、アイデアを発展させ、作品を上演する機会などを提供。
https://indonesiandancefestival.id/
*8 CAPACOA
カナダ舞台芸術協会。舞台芸術の上演とツアーに関わるプレゼンター、フェスティバル、カンパニー、エージェントなどを会員とする組織。
https://capacoa.ca/en/
*9 『I Don’t Care ไม่ว่าอย่างไร』
バンコクのB-Floor Theatreとミュンヘンのバイエルン州立劇場レジデンツテアターによる国際共同プロジェクト。ジャーナリストで作家のユルゲン・ベルガーが2017年から22年にかけてタイとドイツのトランスジェンダーの人々に行ったインタビューにインスピレーションを得た、アイデンティティの自己決定をテーマにした作品。B-Floor Theatreの振付家・演出家・共同ディレクターのジャールナン・パンタチャートとドイツの演出家のアンナ=エリザベス・フリックの共同演出。タイのビデオアーティスト ノンタワット・ナムベンジャポン、俳優2名(パッタウィー・テープクライワン、サルット・コーマリッティポン)、レジデンンツテアターの専属俳優マライケ・バイキルヒが参加。2022年9月にバンコクで世界初演後、10月にミュンヘンで公演を行う。
https://www.residenztheater.de/en/stuecke/detail/i-dont-care
*10 『プラータナー:憑依のポートレート』
タイ現代文学のウティット・へーマムーンによる小説を原作とし、岡田利規の脚本・演出、塚原悠也(contact Gonzo)のセノグラフィーによる演劇作品。タイの現代史と、そこで生きる一人の芸術家を描く。タイの俳優11名出演のもと、2018年バンコクで世界初演、同年パリのポンピドゥ・センターにてフェスティバル・ドートンヌ・パリ/ジャポニスム2018公式企画として、さらに翌年には響き合うアジア2019にて東京で上演された。
https://www.pratthana.info/
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