iaku+小松台東『目頭を押さえた』
(2018年1月30日〜2月4日/サンモールスタジオ) 撮影:堀川高志
Data
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[初演年]2012年
横山拓也
目頭を押さえた
横山拓也Takuya Yokoyama
1977年、大阪府出身。劇作家、演出家、iaku代表。鋭い観察眼と取材を元に、立場や事情の異なる人の議論をエンターテイメントに仕上げる会話劇を得意とする。「消耗しにくい演劇作品」を標榜し、全国各地で再演ツアーを精力的に実施。旗揚げ作品『人の気も知らないで』はほぼ毎年どこかの地域で上演され、iakuの公演だけでも13都市約70ステージに及ぶ公演を行っている(2018年現在)。日本劇作家協会会員(関西支部運営委員)。クオークの会所属。伊丹想流私塾5期生。受賞歴に、第15回日本劇作家協会新人戯曲賞 『エダニク』 (09年)、第1回せんだい短編戯曲賞大賞『人の気も知らないで』(13年)、17年、吹田市文化功労者表彰、第72回文化庁芸術祭賞 新人賞受賞『ハイツブリが飛ぶのを』(脚本、17年)、大阪文化祭奨励賞受賞『粛々と運針』『ハイツブリが飛ぶのを』の舞台成果(17年)。
過疎化が進む山間の人見村(ひとみむら)。葬祭ディレクターの杉山馨は妻・鈴を亡くし、数年前、一人娘・遼のために妻の故郷である人見村に移住した。鈴の兄・中谷元は人見村林業組合に勤めながら村の伝統的な葬祭儀礼を守り、妻・史子、娘・修子、小学4年の長男・一平と暮している。葬祭についての考え方が異なる薫と元は対立するが、高校三年生の娘たちは姉妹のように仲がよく親戚づきあいが続いている。
7月上旬。遼は顧問の坂本が指導する高校の写真部で活動している。遼は母の形見のアナログカメラで村の人々を“遺影として”撮影しており、修子をモデルにした写真が「全国写真コンテスト」の高校生の部で大賞を受賞する。
高校の暗室が使えなくなり、修子は、今は使っていない葬祭儀礼のための“喪屋”を暗室にすることを提案する。江戸時代からここ一帯の林業は危険な高所作業を行う「枝打ち」を生業としており、林業従事者が葬儀を取り仕切る「年行司」を務めてきた。「年行司」である杉山家の庭先には、ご遺体を納め、通夜および葬儀を行う“喪屋”があった。
帰宅した元に気軽に許可を求める修子。“喪屋”は本来、死者と跡継ぎしか入れないルールになっているが、普段はおとなしく自己主張しない遼からも頼まれて、元はしぶしぶ許可する。
元は現役の内に、後継の一平に「枝打ち」の仕事を見せ、葬祭儀礼も引き継ぎたいと考えている。枝打ちで滑落した死者はショックで眼球が飛び出すことがあり、それを死に化粧前に整える儀式は「目頭を押さえる」と呼ばれ、年行司の家の跡継ぎの役目とされてきた。が、時代の変化で伝統的な葬儀は長らく行われていない。
8月上旬。進路で悩む修子と遼。地元の短大に進むことが暗黙の了解になっていた二人だが、遼は東京の美大で写真を勉強したいと決意する。東京から来ている家庭教師の藤城に憧れ、遼の心変わりに揺れる修子。東京行きを馨に反対された遼に元と史子は「才能があるんだから」と理解を示すが、それを知った修子は遼に嫉妬する。
遼が公民館で展覧会を開催することになった。教え子である遼の夢がかなうよう熱心にサポートする坂本。坂本に淡い恋心を抱く修子はますます遼とギクシャクしてしまう。遼の上京に反対する馨は、元に「遼をたきつけて村を追い出し、僕から娘も仕事も住む場所も奪いたいんだ」と不満をぶちまける。
夜、悩んだ遼が坂本と喪屋で二人きりで相談しているところを偶然見かけた修子は、思わず写真をとってしまう。写真が流出し、スキャンダラスなうわさが村に広まり、展覧会の開催も危ぶまれる。喪屋が暗室として使えなくなり、修子と遼の仲違いは決定的なものとなる。
そんな時、枝打ちの講習中に元が落下し死亡。馨は運ばれた元の遺体を前に、「人見の葬儀で送る」と宣言し、跡継ぎである一平を、泣き叫ぶのも聞かず強引に喪屋へ連れて入る。中からは「目頭を押さえて!」という二人の声だけが響くのだった。
3月下旬、遼が東京へ行く日。修子が会いたいと連絡し、二人は喪屋の前で久々に顔を合わせる。素直に謝る修子と、気にしていないと許す遼。台所からは史子の声が聞こえ、見違えるように大人になった一平はお供えをもって父親の仏壇に向かう。お鈴の音が響く。
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