柴原智子

柴原智子

独自のライブエンターテインメント「劇団☆新感線」で世界を目指す

Ⓒ 福井麻衣子

2026.08.31
柴原智子

Ⓒ 福井麻衣子

柴原智子Tomoko Shibahara

大阪府出身。演劇制作者、株式会社ヴィレッヂ 代表取締役社長。1988年より衣裳スタッフとして劇団☆新感線に参加。主宰・いのうえひでのりが書き下ろしたコント番組『てれびモドキ』(1991-1992、関西テレビ放送)の制作に関わったのを機に、劇団☆新感線の公演を運営する制作会社ヴィレッヂに入社。2年ほど制作と衣裳スタッフを兼務した後、制作に専念。2013年、ヴィレッヂ 代表取締役社長に就任。

ヴィレッヂ

劇団☆新感線

アクション、笑い、音楽を取り入れたエンターテインメント性の高い舞台で、独自の演劇世界を確立している劇団☆新感線。学生時代から衣裳スタッフとして劇団を支え、現在はプロデューサーとしてその魅力を国内外へ発信している柴原智子の人生は、大阪の学生演劇からスタートし、一大ライブエンタメ集団に躍進、さらに世界を目指す新感線の軌跡にそのまま重なっている。いまや日本の商業演劇の一翼を担う「劇団☆新感線」という“ジャンル”はどのように生まれ、進化してきたのか。柴原の歩みとともに確かめてみよう。

インタビュー/伊達なつめ 構成・コラム「劇団☆新感線とは」/金田明子

  • 劇団☆新感線 『ZIPANG PUNK~五右衛門ロックⅢ』(2012)

劇団☆新感線とは

1980年11月、いのうえひでのりら大阪芸術大学舞台芸術学科の四回生を中心にしたメンバーにより、つかこうへい作『熱海殺人事件』で旗揚げ。つか作品のコピー劇団として人気を博し、関西学生演劇ブームの中心的存在となる。
1984年『宇宙防衛軍ヒデマロ』より、ハードロック・ヘヴィメタルにのせた独自のオリジナル作品を展開。1985年『炎のハイパーステップ』から中島かずきが参加。以降、『阿修羅城の瞳』(1987年初演)、『スサノオ』(1989年初演)、『髑髏城の七人』(1990年初演)など座付作家として劇団を代表する作品を書き下ろす。主宰・いのうえひでのりによる、マンガ的な世界をコンサートばりの照明・音響を駆使して舞台を彩るド派手な演出は小劇場界ではほかに類がなく、話題を呼ぶ。
レパートリーとなるシリーズに、神話や史実などをモチーフとし、ケレン味を効かせた時代活劇《いのうえ歌舞伎》、劇中にオリジナルの楽曲が生バンドで演奏され、ミュージカルのように多くの歌で彩られる《Rシリーズ》、ネタを中心とした笑いを追求した《ネタもの》がある。


いのうえ演出の特徴として、①激しい殺陣やアクションにも対応しつつ作品世界を引き立てる派手で機能的という独創的な造形が特徴の衣裳やヘアメイク、②時代活劇の《いのうえ歌舞伎》に欠かせない甲冑や《ネタもの》での奇抜な着ぐるみなどのカブリ物、③耐久性と安全性を重視して軽量な素材で作られる刀剣類や、小さな笑いを起こす仕掛けのための小道具、④作曲家・岡崎司による疾走感のあるハードロックやヘヴィメタルから、映画音楽のような重厚なメロディまで作品世界を豊かに表現する音楽、⑤殺陣に合わせた刀の金属音や歌舞伎風のツケなど、見得やアクションに合わせて臨場感を高めるサンプラーを活用した効果音、⑥ムービングライトを活用したコンサートのように派手で躍動感がある照明(場面に合わせたその切り替えのきっかけは1000を超えることも)などが挙げられる。こうした特徴的なスタッフワークは“新感線クオリティ”と称され、昨今では次世代の舞台での継承も見受けられる。
さらに⑦スターや旬の実力派俳優を客演に迎え、劇団員がベースを支えるという贅沢なキャスティングも特徴のひとつ。近年では、座付きの中島だけでなく青木豪宮藤官九郎倉持裕福原充則と、いのうえの演出に合った作家も起用し、作風の幅を広げている。


  • いのうえ歌舞伎『髑髏城の七人』Season 鳥(2017)©TBS/ヴィレッヂ

  • いのうえ歌舞伎『髑髏城の七人』Season 鳥(2017)©TBS/ヴィレッヂ

  • ネタもの『鋼鉄番長』(2010)

  • Rシリーズ『メタルマクベス』(2006)

  • ムービングライトを活用したコンサートのようなライティング『メタルマクベス』disc1 (2018)©TBS/ヴィレッヂ

まず、柴原さんと劇団☆新感線との出会いを教えてください。
洋服が好きで、被服と造形を専門とする京都の短期大学に進みました。2回生になると同級生はアパレルメーカーへの就職活動を始めましたが、私は既製品の世界で決められた仕事をすることに少し抵抗がありました。そんな頃、西欧の道化服飾を研究されていた水谷由美子先生の授業でモーリス・ベジャールやピナ・バウシュの映像を観たり、舞台衣裳の現場に触れたりする機会があって舞台に惹かれ始め、その流れで友人に勧められて舞台中継録画で観たのが、劇団☆新感線の『星の忍者―風雲乱世篇―』(1988年)でした。
 
これはのちに新感線の柱となるシリーズ《いのうえ歌舞伎》の第二弾となる作品で、立ち回りのある時代活劇なのにギャグが満載で、俳優たちが自由に暴れ回っている姿に衝撃を受けました。ヘアメイクや衣裳もすごく凝っていて、派手なロングヘアに着物、その下にパンツをはいて、足元はブーツやハイヒール。「面白い! 私、こういう衣裳を作りたい!」と一瞬で心を奪われたんです。担当教員だった染色がご専門の吉田晃良教授に話したら、「今すぐに行け! 小劇場の劇団は予算も人手も足りないんだから、すぐに手伝わせてくれるぞ」と背中を押されて(笑)、扇町ミュージアムスクエア(*1)にあった新感線の稽古場を訪ねました。3日後にキャストやスタッフのオーディションがあると知らされ、一所懸命に作ったブック(作品集)を持って受けに行き、『宇宙防衛軍ヒデマロ3~キルファー ライジング』(1988年)に衣裳のお手伝いとして参加することになりました。このときのスタッフ志望者は10人ほどだったでしょうか。関西小劇場界が盛り上がっていた時代だったこともあり、役者志望は40〜50人ほどいたと思います。
  • 劇団☆新感線『星の忍者―風雲乱世篇―』(1988)

初の東京公演など、1988年は新感線にとって重要な年ですね。
《いのうえ歌舞伎》の『星の忍者』、《ネタもの》の『ヒデマロ3』とスタイルの違った2作品をつづけて東京で上演した1988年は新感線にとって転機の年だったと思います。当時、東京への交通費・宿泊費は自己負担だったので、私は費用を稼ぐために朝バイトをしてから短大の専攻科で作品の制作をし、午後は衣裳用の生地の買い出しの後稽古へ行ってパターン(型紙)を起こし、役者さんやお手伝いさんと作業をして、帰宅後も深夜まで衣裳を作るという「よく生きていたな」と思うほどのハードスケジュールでした(笑)。
 
アイホール(伊丹市立演劇ホール)の杮落とし公演として参加した『喜劇 井戸穴じょーじの大冒険』(1988年)から衣裳デザインを描かせてもらうことになるのですが、のちに代表作のひとつとなる『髑髏城の七人』の初演(1990年)など、甲冑やカブリ物といった新感線ならではの硬質な衣裳は小道具を担当していた劇団員の竹田団吾さんが、そのほかの衣裳は私が、というふうにすみ分けすることもありました。その頃は年に3本も上演していて隙間なく稽古と公演を繰り返していたので、常に時間は足りないし、公演規模が小さいので予算も少ない。プランどおりに仕上げることができなくて、公演初日にはいつも悔し泣きしていましたが、当時は劇団員も一緒に大道具や小道具を作っていましたし、衣裳も針仕事のお手伝いからコーディネートまで、いろいろとみんなにサポートしてもらっていました。今でこそ新感線は所帯が大きくなりましたが、ベースは小劇場。キャストやスタッフという分け方をすることなく、同じ釜の飯を食う仲間、カンパニーが一丸となって作る、というスタンスは今も変わりません。
  • 劇団☆新感線『喜劇 井戸穴じょーじの大冒険』(1988)

衣裳プランナーから制作者へ転身されたのは、新感線の公演規模が大きくなっていったことが影響していますか。
「制作が足りない」と言われて、新感線の公演制作を担っていた会社、ヴィレッヂ(*2)でアルバイトを始めたのがきっかけです。公演規模が大きくなってきた1992年に、衣裳か制作どちらかを選ぶように促されて、人手の足りない制作に専念することになりました。
 
当時の新感線は東京での公演も定着し、ますます人気が出てきて観客動員数も徐々に増えてはいましたが、まだそれほど順調ではありませんでした。時代活劇でかっこいい殺陣やアクションのある正統派の《いのうえ歌舞伎》では観客数が増えるのですが、パロディやギャグ満載の《ネタもの》を上演すると減るんです。「こんなにバカバカしいものは観たくない」って(苦笑)。《ネタもの》は《いのうえ歌舞伎》以上に仕掛けが多く手間も掛かるためみんなが疲弊するうえに、動員が減る。でも、だからといって《ネタもの》をやらない選択肢はない、と主宰のいのうえひでのりも劇団員も強い意思を持っていました。ただ公演の運営としてはなかなか思うようにいかず、稽古が終わってからも劇団員たちと侃々諤々、白熱するとケンカもしましたね。みんな若かったんで(笑)。
新感線が東京公演を始めた頃、150席ほどの小さな劇場にもかかわらず、舞台装置が大きく張り出していて、その本気の凄みに圧倒された記憶があります。
初期にはセットを組んでみたら客席がほとんどなくなってしまって、「お客さんを入れる気はあるのか!」と制作担当が怒ったという逸話も残っています。そういう感じでしたから、1987年に180席程度のオレンジルーム(*3)で初演した『阿修羅城の瞳』を、松竹さんのお声掛けによって1500席近くある新橋演舞場で初めて上演した際(2000年)も、劇団員たちは口を揃えて「あれ、ここはオレンジルーム?」と言っていたんです(笑)。要するに、10倍のキャパシティになっても演じる際に何の違和感もない。演出のいのうえが観客に見せたい画、新感線としてやりたいことの根本は、初演当時から変わっていない、ということなんです。1989年に376席の青山円形劇場(*4)で『スサノオ─神の剣の物語』を上演したときなんて、いのうえはアンドリュー・ロイド=ウェバーの大ミュージカル『スターライトエクスプレス』(1984年初演)から想を得て、ハードロックバンド「KISS」のようなド派手な格好をした大きな男たちにローラースケートを履かせて、狭い客席通路を全速力で走らせていましたから。いのうえは現実的な規模や予算は度外視で、とにかく「見せたい画」が優先なんです。それは小劇場でやっていた頃から全くブレていない。だからこそ、大劇場での演出につながったのだと思います。
  • 劇団☆新感線『スサノオ─神の剣の物語』(1989)

いのうえさんの脳内は、小劇場のときから大劇場仕様だったんですね。
だからといって、大劇場でやりたいと目指していたわけではなく、東京公演では700~800席の中劇場で上演していました。1999年、青山劇場で上演した《INOUEKABUKI HORIMIX》『PSY U CHIC 西遊記 ~仮名絵本西遊記より~』では、ホリプロさんが「『ピーター・パン』のようにフライングができますよ!」とお誘いくださったもので、いのうえと座付作家の中島かずきさんは、おもちゃを与えられた子どものように歓喜して、二つ返事でホリプロさんのプロデュース公演に参加しました。このときに、いのうえがリスペクトしていた、ともに大御所の舞台美術家の堀尾幸男さん、舞台照明家の原田保さんとの縁をつないでくださったことは感謝しています。
新感線の大きな転機となったのは、翌2000年の新橋演舞場の《Inouekabuki Shochiku-mix》『阿修羅城の瞳~BLOOD GETS IN YOUR EYES』です。この公演で劇団☆新感線が、多くの観客の皆さま、業界関係者の皆さまに広く認知され、その後の新感線の大劇場での公演の広がりをつくりました。
  • 劇団☆新感線『阿修羅城の瞳~BLOOD GETS IN YOUR EYES』(2000)©松竹/ヴィレッヂ

  1. 扇町ミュージアムスクエア

    1985年3月、大阪・扇町に開業した文化施設。小劇場、ミニシアター、雑貨店、カフェレストラン、ギャラリーのほか、劇団☆新感線と南河内万歳一座の稽古場も備えていた。200席ほどの小劇場「フォーラム」は関西の劇団を中心に東京の劇団も拠点にして上演、関西小劇場ブームを牽引した。2003年、ビルの老朽化により閉館。

  2. ヴィレッヂ

    劇団☆新感線主宰・いのうえひでのりの高校・大学の同級生で広告代理店に勤めていた大石時雄が設立。1985年、東京の劇団が大阪で公演する際の現地制作を請け負う演劇・ダンスの企画会社として立ち上げ、あわせて劇団☆新感線のマネジメント、公演制作も行う。1988年に法人化。舞台公演などの企画・製作、舞台作品の映像化・配信、アーティストマネージメント、ECサイトや演劇・舞台系動画のニュースサイトの運営を行う。

  3. オレンジルーム

    1979年、大阪・梅田の商業施設「阪急ファイブ(梅田阪急会館)」(現 HEP FIVE)に多目的ホールとして開場。劇団☆新感線、劇団そとばこまち、南河内万歳一座などが拠点とし、関西学生演劇ブームを牽引。1998年、ビル建て替えにより閉館し、同年「HEP HALL」と改称してリニューアルオープン。

  4. 青山円形劇場

    児童のための総合施設「こどもの城」内に青山劇場とともに1985年11月に開館。完全円形舞台で演劇、音楽、舞踊など舞台芸術の活性化に貢献したが2015年3月に閉館。

舞台映像を映画館で上映する《ゲキ×シネ》の展開も慧眼でした。同様の「シネマ歌舞伎」は2005年、メトロポリタン歌劇場オペラの「METライブビューイング」は2006年のスタートですから、2004年に登場した《ゲキ×シネ》はまさに先駆け。なぜ、これほど早く映画館でのデジタル上映に踏み切ることができたのでしょうか。
当時、東映におられたある方からのご提案がきっかけです。2000年に日本初のデジタルシネマシステムを備えたスクリーンで上映する事業「ティ・ジョイ」(現 東映ジョイ・エンタテインメント)を立ち上げられたのですが、新感線の舞台を収録した映像が、新しいコンテンツのひとつになると思ってくださったようです。ちょうど同じ頃、新感線の舞台収録・映像制作を担当している弊社のスタッフ・金沢尚信(現 副社長)が、「新感線作品の魅力やクオリティをより広く伝えるためには、単なる収録映像ではなく、映画館のスクリーンにかけられるクオリティにまで高めるべきだ。映画ファンが映画館で観る作品の選択肢のひとつになるくらいまでにしたい!」と熱く語っていたんです。それで両者を引き合わせてみたら、あっという間に動き出しました。
  • ゲキ×シネ『朧の森に棲む鬼』公開中の映画館

《ゲキ×シネ》は、2011年版『髑髏城の七人』の2014年ダラス・アジアン映画祭「観客賞」受賞を機に、海外でも展開されています。
「《ゲキ×シネ》は劇団☆新感線を広めるための最大の宣伝ツール」と信じて疑わない金沢は、海外にも広く展開させたいと言い続け、そのための人材が必要ということで、海外にもネットワークを持つ人材を採用しました。担当者の地道なアプローチのおかげもあって、欧米やアジアなどさまざまな国や地域の国際映画祭で選出され、スペインのバルセロナで開催されているシッチェス国際映画祭では、度々選出していただけるようになりました。映画祭でご覧になった方々からの「ほかの作品も観たい」という要望に応えて、NetflixやAmazonプライムビデオでの配信にも取り組み、地道に蒔いた種によって、ようやく次の展開が見えてきたと思った途端に2020年からのコロナ禍です。映画祭やイベントは軒並みに中止となっていた、あの失われた時間の影響は大きいですね。
 
ひさしぶりに海外で手応えを感じたのは2025年、《いのうえ歌舞伎》『天號星』の上映でした。シッチェス国際映画祭での観客の反応が驚くほどビビッドだったんです。笑いのシーンでは立ち上がって大盛り上がり、悪役の姑息なお芝居にはブーイングが起き、ヒロインの登場には大きな拍手が起こる。物語やキャラクターをちゃんと理解したうえでの反応だとわかり、嬉しくなりました。『天號星』は「Manga Barcelona 2025」にも招聘していただき、上映のみならず衣裳やポスターの展示、座付作家・中島さんのサイン会も実施しました。『天元突破グレンラガン』や『キルラキル』など人気アニメの脚本も手掛けられている中島さんは、海外のアニメファンにも「先生」と呼ばれるほど支持されていて、ヨーロッパ各地から集まったファンの皆さんが「神が来た!」と高揚しているんです。アフリカからやってきたという青年は「心身が不調だったときに『グレンラガン』を見て救われました」と涙ながらに伝えてくれた。彼らの姿を目の当たりにして、世界はつながっていると実感し、もっといろいろな人に届けたい、そのためにはもう一歩進まなければ、という想いが強くなりました。
  • 「Manga Barcelona 2025」中島かずきのサイン会

海外での“上演”の可能性は。
一度、イギリス・ロンドンの演劇関係者40名ほどに向けたピッチイベントに参加する機会をいただき、《ゲキ×シネ》のダイジェスト版を流しながら新感線の作品についてプレゼンテーションしたことがあります。おおむね好評価でしたが、具体的な舞台作品招聘の話にはなりませんでした。規模感が大きすぎることが理由のようでした。既にロンドンでの上演を実現されている東宝さん、ホリプロさん、NODA・MAPさん、梅田芸術劇場さんなどに追随したいところですが、いのうえは「呼ば(招か)れたら行く!」というスタンスですし、それは私も同感です。いつかは生の舞台を世界に、と思っていますが、それを実現させるためには、まず《ゲキ×シネ》で耕すところから始めないといけないなと痛感しました。これまでにストックしてきた数多くの新感線のIP(知的財産)をどう広げていくか。《ゲキ×シネ》などこれまでのアーカイブを「レガシー」として広く発信するためにはどうするか。あらためて仕組みづくりから考え直しているところです。
 
また、インバウンドが拡大している今、海外での上演よりも先に、日本にいらっしゃる外国の皆さんに向けての取り組みが急務だとも感じています。劇場に足を運んでくださった外国のお客さまに、シッチェス国際映画祭での観客のように、物語や役をちゃんと理解して存分に楽しんでいただくため、まずは「作品を理解していただく」仕組みを整えようと思いました。2008年にリリースした『朧の森に棲む鬼』以降、すべての販売ディスク(DVD/Blu-ray)には英語字幕を、作品によっては韓国語字幕もつけていますが、劇場へお越しになるお客さまに向けてのタブレットやスマートフォンを使った英語字幕サービスも、近いうちに実現させるべく作業を進めています。
 
もうひとつは「劇場で観ていただく」ための仕組み、つまりチケット販売方法です。ブロードウェイやウエスト・エンドのように旅行者でも劇場ボックス・オフィスで気軽に買えたり、海外からでもウェブサイトで購入できる仕組みを考えたいと思っています。いずれも歌舞伎や文楽などが先行して取り組んでいることですが、私たちもスピード感を持って進めたいと思っています。
劇団☆新感線の継承についてはどう考えていますか。
劇団☆新感線の「解散」はありません。体力的に出演することが難しくなる劇団員は出てくると思いますが、いのうえが元気に演出を続けられる間は、新感線として舞台を作り続けていくと思います。
 
制作者としては、これからもいのうえが「やりたいこと」を実現するために尽力したいと思っています。私がこの仕事に従事するようになったのは、舞台そのものが好きだからというよりも、いのうえひでのりという演出家が作る舞台に魅了されたから。いのうえの「やりたいこと」が私の「やりたいこと」だと信じ、一蓮托生でここまで続けてきました。今後もヴィレッヂの社員、公演に携わるすべての皆さまと一丸となり、さらなる高みを目指したい。国内外問わず、ひとりでも多くの方に新感線作品の魅力を味わっていただくために《ゲキ×シネ》で種を蒔き、いつかは生の舞台で世界へ。そして海外の方に「SHINKANSEN? Japanese bullet train or theater company?」と言われるまでになったら面白いなと思っています。

【公演情報】

劇団☆新感線 いのうえ歌舞伎『髑髏城の七人 LAST STAND』
作: 中島かずき  演出:いのうえひでのり
出演: 早乙女太一、塩野瑛久・藤岡真威人(Wキャスト)、早乙女友貴、柚香 光、片岡千之助、桜井日奈子、近藤頌利、河野まさと、木村 了、浜中文一、粟根まこと、山口馬木也ほか
東京:2026年11月14日~12月25日 新橋演舞場
長野:2027年1月21日~24日 ホクト文化ホール
金沢:2027年2月8日~14日 金沢歌劇座
大阪:2027年2月25日~3月11日 フェスティバルホール

  • Ⓒ 福井麻衣子

    協力:EX THEATER ARIAKE