石黒麻衣

石黒麻衣

遅れてきた大型新人のオリジナル口語演劇

Ⓒ 井野敦晴

2026.07.24
石黒麻衣

Ⓒ 井野敦晴

石黒麻衣Mai Ishiguro

茨城県出身。劇作家・演出家・俳優・劇団普通主宰。大学卒業後、プログラマーとして会社勤務する傍ら演劇教室に通い、2013年、自作の戯曲を上演するため劇団普通を旗揚げ。他団体との合同公演、外部団体への脚本提供や演出、出演などの活動を織り交ぜながら、自身が目指す演技体や世界観を目指して研鑽を積む。2025年、劇団公演『秘密』『季節』で、第33回読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞。2026年、『季節』が第70回岸田國士戯曲賞最終候補作品に選出される。外部での作・演出も予定されており、今後の活動に高い注目が集まっている。

劇団普通

劇団を旗揚げしたのが2013年だからこの言葉はふさわしくないかもしれないが、石黒麻衣には遅れてきた大型新人の感がある。主宰する劇団普通の最大の特徴は、現時点では、石黒の出身地である茨城(東京の北東約100キロに位置する人口約280万人の県)弁が全編に使われていることで、朴訥としたイントネーションで語られる生活の些事は、最初こそ笑いを誘うが、繰り返されるうち、日本を、さらには世界全体を覆う閉塞感を静かに告発するかのような視座を感じさせる。
デスクワークの運動不足解消にと、社会人になって出会った演劇は、幼少期からの豊富な読書体験を醸造の糧に、お手本のないまま独自性を獲得。劇作家として『季節』で第70回岸田國士戯曲賞にノミネートされた一方、演出手腕を高く評価する声も高く、今後の活躍に期待がかかる。

取材・文/徳永京子

石黒さんは会社勤めを経験されてから演劇活動を始められました。まず、子ども時代をどんなふうに過ごされたか教えてください。
おとなしくて、本ばかり読んでいる子どもでした。両親と、4歳上の兄がいるんですが、住んでいるのが田舎だったので時間があって、家の本棚にある本を片っ端から手に取っていました。児童文学も読みましたけど、兄がハマっていた赤川次郎さんのミステリーだったり、母が読んでいた向田邦子さんのエッセイだったり、父の蔵書にあったジャズやステレオの本、宮本武蔵の分厚い本とか。夜も、本を持ったまま眠っているような子で、そのおかげか、国語は得意でした。
呼吸するように活字を吸収されていたんですね。「自分はこういう本が好きなんだ」という志向性が目覚めたのはいつ頃からですか。
高校で話の合う友人がたくさんできたんですが、好きな作家の著書は全部読み切っているとか、時代小説はほとんど制覇したという方がいて、すごく影響を受けました。読んでいないと話についていけないので、教科書に出てくるような有名な純文学の作家は、あ行から制覇していくような感じで。

そのうち、高校生ということで、やっぱり刺激が欲しくて、読書にそれを求めたんですね。といっても表現が過激なものじゃなくて、新しい考えとか、そういったものを得る手段として本で読んでいくうち、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に夢中になりました。文庫なのに厚くて上・中・下とあって、登場人物の名前もなかなか覚えられなくて、何度もくじけそうになりながら読んだんですけど。
大学は哲学を専攻されました。一般的に就職に有利とは言い難い学部ですが、そこでやりたいことや卒業後の目標などがあったのでしょうか。
私に対する両親の望みが一つだけあって、医療職になってくれたらいいなと思っていたらしいんです。父の親戚に医療職をされている方がいて、具体的に人を助ける、すごくいい職業だと考えていたようで。それが無理なら自分の好きなところに行ったら、という感じでした。

哲学科は、『カラマーゾフの兄弟』をもっと理解したいという気持ちから選んだんですが、『カラマーゾフの兄弟』を理解するには、ハイデガーの『存在と時間』を理解しなければならないとどこかで読んで、西洋哲学を勉強するために哲学科に入りました。ですが、実際大学では、西洋哲学の中でもわりと現代的な、言語学とかに近い分野、自然科学に近いほうの哲学に興味をもつようになり、最終的に卒業論文は言語哲学を選んで、クワイン(ウィラード・ヴァン・オーマン・クライン)に落ち着いたという形です。
就職は、就職氷河期に当たっていたのでおっしゃるように大変で、最初は出版社などを考えていたんですけどうまくいかず、電気機器をつくっている会社に入社しました。公共的な人に役立つ事業にも関わっていたのがそこを選んだ理由です。両親の“人のためになる仕事を”という気持ちの影響を受けていたのかもしれません。
その会社では、当時広まり始めた考えである、文系をソフト開発に入れるという考えで私はソフト開発に配属されたのですが、周囲はみんな理系で、入社してから独学でプログラミングを覚えました。すごく大変でしたけど、面白さもありましたね。
そしていよいよ、演劇と出会うわけですね。いわゆるアフターファイブの習い事として演劇教室に通うようになったとお聞きしています。
はい。とにかくずっと座っている仕事なので、何か体を動かすことをしようと、最初は会社の仲のいい人からボクササイズに誘われたんです。それが続かなくて、でもやっぱり少しは運動したほうがいいだろうと、インターネットで「演劇、ワークショップ」と検索して出てきたところに行きました。
いろんなエッセイを読む中で、三谷幸喜さんや松尾スズキさんの文章がいつもすごく面白いので、演劇って面白いんだろうな、というイメージがあったんです。それで最初に出てきたのが上野にある演劇教室でした。社会人でも学生でも、誰でも来ていいよっていう開かれた教室だったのと、ここに来ても売れる方法とかは教えられない、と書いてあったのが、すごく率直でいいなと思って申し込みました。

初めて行ったとき、読み合わせにいきなり交ぜてもらって、あとは体を使った遊び──動きでしりとりをするとか──をして、それが楽しかったんですね。来たいときだけ来ればいいし、発表会も出たい人だけ出ればいいよ、という自由な教室で、理論的なことも教わらなかったんですが、一番印象的だったのが、面白いことしてやろうとか、うまくやってやろうとすることに対してはすごく厳しいところでした。誰かがお芝居をしていて、こちらが「すごいな、うまいな」と思って観ていても、「あ、いま、(自分で)うまいと思ってやってるから駄目だ。これは無し無し」と言われる。小手先でいろんなことが器用にできるよりも、ちゃんと心が動くか、本当に自分が楽しいかを中心に教えてもらったのは、すごくよかったなと思っています。それで続けて通うようになって、最初のワークショップ公演では、鴻上尚史さんの『スナフキンの手紙』で何役か演じました。
幼少期から内向的だった石黒さんが、最初から抵抗なく人前で演技ができた理由はなんだったのでしょう。
そこが演劇との不思議な出会いだと思うんですけど、なぜか演劇だと、本当になぜかわからないんですけど、「もっとこうしたほうがいいな」というアイデアが浮かんでくるんですよ。自分のやったことに対して反響が返ってくると、それがどれも糧にできると思えたし、自分でやったことを思い返して、「ああすればよかったな」「今度はこうしてみよう」と自然に考えたり。それまではそんなふうに思うものはありませんでした。

それと、もっとうまくなりたいという気持ちがありつつ、その教室自体があまり競争にさらされてない、いい意味で閉じられた世界だったので、いかに自分で納得する演技ができるかというところだけの突き詰め方ができたのもよかったと思います。行って、挨拶したらあとはずっと自分の世界に集中していられたんです。誰かと比べられることもなくて、たぶんそれはすごくいい影響でした。もし私がすぐに競争にさらされていたら、あっという間にへしょへしょになっていたと思います。

だから、外に出て認められてやろう、みたいな気持ちは全然なかったです。最後のほうではワークショップ公演にも出ないで稽古だけ、教室で課題として取り組んでいた太田省吾(*)さんの戯曲の数ページを、「楽しいな」って2年ぐらい繰り返してやったりしていました。
  1. 太田省吾

    寺山修司や唐十郎らと並び1960年代から2000年代前半にかけて日本の現代演劇界を牽引した劇作家・演出家(1939—2007)。『水の駅』に代表される、せりふを一切排除した沈黙劇のスタイルを確立した。

2013年に劇団普通を立ち上げて第1回公演『宇宙がこわい!!』を上演されますが、自分の世界に集中していたのが、劇団をつくることになった経緯は。
授業の一環で、これもやりたい人だけでよかったんですけど、15分のひとり芝居をつくるという課題が出たんです。本や演出を誰かに頼んでもいいし、照明や音響が使いたかったら教室の誰かに頼んでオペレーションをやってもらってもいいし、全部自分でやってもいいという。そこで自分で作・演出をした作品を発表したんです。ほとんど動きだけみたいな、でもその人物の中にはちゃんとストーリーがあってという、無言劇みたいな不条理劇みたいなものだったんですけど。そのとき、ミニマムな形ではありましたが、一つ作品をつくることができたのが楽しくて、もっとつくってみたいという気持ちが湧いたんですね。それを同じ教室に通っていた少し年下の女性に話したら、「一緒にやろうか」と盛り上がって準備を始めました。

それと、これは順番が前後するので、ちょっとわかりにくい話になるかもしれませんけど、その頃に、『病室』(2019年初演、2021年再演、2024年再々演)の着想を得て、実際に上演したのとほぼ変わらない形の脚本を7ページぐらい書いたんですよ。ただ、そのときは最後まで書き切ることができなくて、自分がどういうストーリー展開にしようとしていたか忘れないために、十数ページの短い小説にしたんです。形にできるとか思わないまま、とりあえず残しておこうと。
  • 『病室』初演(2019)  左から2人目が石黒 Ⓒ福島健太

最初のオリジナル作品がほとんど無言劇だったとすると、ご自分の中から言葉が出てきたのは、その『病室』の原型が最初ですか。
そうですね、それが最初かもしれないですね。それを寝かせたまま、旗揚げ公演のための台本を1年かけて書きました。その時は(『病室』の世界観から)一旦すごく逸れて、たくさんせりふがあって、せりふ回しも歌うような感じの話にしました。そこからいろいろ書いていくうちに言葉が絞り込まれて、「これならいいかもしれない」と思えたのが、『姉妹』(2016年第3回公演で再演)という作品です。この先をどうするか決めずに始めた企画でしたが、その後、私ひとりで続けていくことにしました。
『姉妹』は現在の劇団普通のプロトタイプに位置付けられますね。喫茶店で隣のテーブルの人の会話を聞いているような、断片的な短い会話が展開する。観客は、限られた単語や語順や言い淀みから、登場人物たちの関係性やそれぞれの背景を探る。するとやがて、小さな情報の断片が思いがけない像を結んで、言葉の向こうにある濃密な感情や大きな社会構造に思いを馳せる構造が、短編ながらも完成しています。
  • 『姉妹』(2016) しまおみほ(左)と石黒(右) Ⓒ 小尾幸春 

「書きたいたいことがあるけど、まだ全然、力が足りない」と思っていたので、公演をする中で、何が足りないんだろうと考え続けていました。書きたいというのは、『病室』でやりたいと思ったリアリズムで、たぶん一番の理由としては、リアリズムを舞台作品として見せてお客さんと共有する、その距離の測り方がものすごく難しくて。やっぱり情報は話している人の中にしかないものなので、それをどれくらい会話の中に乗せるかとか。現実の会話は用意されたものではないので、言い間違えたり、うまく答えられなかったり、聞き逃したり、意図的に無視したりして、一対の会話にならないことが多いですよね。そういったものを織り交ぜながら、どうやってお客さんと共有できるリアリティのある会話にしていくかを、自分なりにずっと研究していました。

具体的には、2018年に3本新作公演(1月『換身』、5月『害虫』、7月『城』)をやったんですけど、全部やり方を変えてつくりました。一つ(『換身』)はなるべくリアルな会話に寄せて、情報を極限までカットしたもの。もう一つ(『害虫』)は、リアリティのある会話を引き出すために、稽古場でエチュードしてもらって、そこで生まれた会話からつくったもの。3本目(『城』)はせりふに情緒を持たせて、読み物としてなるべく成立するように書いたもの。お客さんの反応もいろいろあり、少しわかってきた気がすると思って、2019年は『病室』を上演しようと戯曲を仕上げました。
  • 『換身』(2018)  Ⓒ 福島健太

  • 『害虫』(2018)  Ⓒ 保坂萌

  • 『城』(2018)  Ⓒ 福島健太

『病室』は、病院の相部屋で起きる、入院患者同士、あるいは患者と見舞いに来る家族たち、または病院関係者の会話劇で、全編、茨城弁でした。その場所だから言えないこと、出てしまう本音、隠しても出てきてしまうもの、それぞれの人物が持つ生活の差、時間の差などが、ユーモアも交じえつつ抑えたリアルなトーンで表現され、秀逸な作品でした。石黒さんはなぜ、リアリティのある会話を目指すようになったのですか。
たぶん教室で教わった、何が本当に面白いのか、それは嘘か、嘘じゃないのか、ということと関係していると思います。頭の中で会話を考えているときに、「あれ? これは状況を説明するためのせりふだぞ」とか、「これは(作者に)都合がいいから言ってるせりふだ」とか思うんですね。そうなると、普段、自分の周りで人がしゃべっている会話を呼び起こして、こういうときに人はどう答えていたか思い出す。やっぱりリアルな会話には嘘がないんですよ。あとからだんだんわかってきたことですけど、日常の会話の中にエッセンスは全て含まれているんだなと感じて。
演劇におけるリアリティのある会話というと、話の語順がバラバラだったり、不要な相づちや間というノイズが入ってきたり、複数の人が同時に話したりというスタイルが1990年代後半に「静かな演劇」として誕生し、それを平田オリザさんが体系化して「現代口語演劇」と名付け、日本の若い演劇人に広がっていきました。非常に興味深いのは、石黒さんはある意味、現代口語演劇のお手本のようなリアリティを実現させながら、平田さんの作品には触れていらっしゃらないんですよね。
何か不思議な偶然が重なって、平田さんを全然通らないで来てしまったんですけど、劇団普通を観た方から何度か「平田オリザさんを感じる」と言っていただくことがあって、「現代口語演劇」の関連本を10冊ぐらい購入して読んで勉強しました。すごくわかりやすく言語化されていると思いました。
ここまでのインタビューで出てきた演劇人の名前が、三谷幸喜さん、松尾スズキさん、鴻上尚史さん、太田省吾さんですから、面白いですよね(笑)。小津安二郎の作品にも似ていると言われながら、小津映画も未見とか。
そうなんです(笑)。
  • 『秘密』初演(2022) Ⓒ福島健太

  • 『春』(2026) Ⓒ福島健太

これからも茨城弁で戯曲を書いていかれますか。
茨城弁で作品をつくるようになったのは、『病室』の着想を得たのが茨城での出来事だったので、茨城弁で書いたほうがいいだろうと思ったのがきっかけです。標準語にしてしまうと、そういう(その地ならではの)性質を持った人がそういう話をしていることがよくわからなくなってくる気がして。そういえば、方言で創作することについて、(津軽弁を中心とした演劇作品を創作している)ホエイの山田百次さんと話す機会があって、そのときに、地形的なこと、例えば山があると人が分断されるとか、そういうところから環境が人間に与える影響がある、という話になりました。同じ日本語ではあっても、独自の言語のように、感情とか歴史とか表現が混ざり合った、言葉だけじゃないものがそこに乗っているものが方言だと考えると、すごく面白いと。私が、茨城の言葉が生き生きと書けるというか、魅力を伝えることができるのも、やっぱり子ども時代からの積み重ねであったり、初めて接した言語というところがあってのことだと思います。

でも、こんなに続けて茨城弁の作品を書いていると、標準語で書けるのかという心配もあるんです。自分としては標準語の作品をやりたい気持ちもあって、というのは、茨城にいたときより東京での生活のほうが長くなっているんですね。いつか、その時間が自分の中で積み重なって、自然と放出できるようになったときに書くのがいいのかなとは思っています。やっぱりリアリティということを考えると、自分がどれだけ実感できているかが大切なので。
 
先日、念願だった茨城公演(2026年、『季節』を水戸芸術館ACM劇場で上演)をすることができました。それと、豊岡演劇祭(2020年)に参加して初めて関西地方の兵庫に行かせていただいたら、すごく大きな反響があったんですね。北関東の方言を、離れた土地の方がどう感じてくださるんだろうと思っていたので、うれしかったですね。なので、九州や大阪など、独自の方言がある土地にどんどん行ってみたいです。それと長野の松本も演劇が盛んと聞いているので、松本にも行ってみたいです。

よく「海外でやったらいいのに」と言っていただくんですけど、方言をどう表現するかについては、いま、すごく考えています。例えば英語字幕だったら、どう訳せばいいのかとか。
  • 『季節』(2025)  Ⓒ福島健太

学生時代から演劇を始める人が圧倒的に多い中で、スロースターターとなったご自身のキャリアについてはどうお考えですか。
自分にとってはいいことだったのかなと思います。演劇を長く続けたり、なるべくたくさんの方に観ていただこうと考えると、実務的な話ですけど、やらなければならないことがすごく多いんですよね。それ以前にも稽古で人と関わるっていう重要なことがありますけど、私は、昔は本当に引っ込み思案だったので、社会人経験を通していろんな方と接したことはすごくよかったです。

さっきの地方公演にしてもそうですが、演劇によって自分の世界が本当に大きく広がってきたので、いろんな地方や国と演劇で交流できたら、というのが今の夢すね。そして、こういう選択肢があるということを、若い方たちにもっといっぱい宣伝したいです。

【公演情報】

PARCO PRODUCE 2026 『髪結いの亭主』

原作:映画『髪結いの亭主』(監督=パトリス・ルコント 脚本=パトリス・ルコント、クロード・クロッツ)
脚本・演出:石黒麻衣(劇団普通)
出演:安田章大、中村映里子、丸山智己、占部房子、村木仁、用松亮、浅井浩介、武谷公雄、中山求一郎、香月彩里
東京:2026年9月28日〜10月25日 新国立劇場 小劇場
広島:2026年11月5日〜6日 JMSアステールプラザ 大ホール
大阪:2026年11月12日〜20日 森ノ宮ピロティホール

  • Ⓒ 井野敦晴