相馬千秋

相馬千秋

インディペンデント・イン・インスティテューション―アジアならではのキュレーション・スタイルを確立する

2026.02.27
相馬千秋

ⓒ 井野敦晴

相馬千秋Chiaki Soma

領域横断的な同時代芸術のキュレーションを専門とするアートプロデューサー。フェスティバル/トーキョー(2009-2013)、あいちトリエンナーレ2019、国際芸術祭あいち2022、シアターコモンズ(実行委員長兼任、2017-)、世界演劇祭テアター・デア・ヴェルト2023等でプログラム・ディレクターやキュレーターを務めた。NPO法人芸術公社代表理事、みなと芸術センターm〜m開設準備室プログラム・ディレクター、東京藝術大学大学院美術研究科准教授。

芸術公社

世界中のあらゆる文化を享受できる大都市でありながら、なぜか有力な国際舞台芸術祭が根付かずにいた/いる東京。その中にあって、明確なテーマ性と先鋭なラインナップで独自の価値観を提示した「フェスティバル/トーキョー(F/T)」(2009-2020)の存在は鮮烈だった。その初代プログラム・ディレクターを務めた相馬千秋は、日本で国際芸術祭を運営するためのフォーマット構築から着手したという、同職掌のパイオニア的存在。以後、インディペンデントの立場でインスティテューション(公的機関) と協働しながら、国内外の重要なプロジェクトでアクチュアルなキュレーション手腕を発揮し続けている。ヨーロッパでの経験を経て、近年は「アジアでしかできないこと」に注力する辣腕キュレーターのキャリアを振り返り、将来を展望する。

インタビュー/長島確
インタビュー・構成/鈴木理映子

相馬さんは、2002年に東京国際芸術祭(TIF)の国際プログラム担当としてキャリアをスタートさせました。そもそもなぜ舞台芸術を仕事にすることになったのか、改めてお伺いできますか。
大学卒業後、とりあえず海外に行って研鑽を積もうと、フランスのリヨンに留学したのがきっかけです。そこにはリヨンビエンナーレという現代美術とコンテンポラリーダンスを隔年で見せる国際芸術祭があり、自分から求めなくてもアートが近づいてくるような刺激的な日々を過ごすことができました。現地でアートマネジメントや文化政策を学ぶ大学院に入り、アートと社会をつなぐプロデュースやキュレーションの仕事がしたいと思い始めたんですが、どうしたら日本でそれができるのかがわからない。まだアート界隈の情報ポータルサイトもSNSもない時代ですから、自分で調べて、一時帰国した際に企業メセナ協議会(*1)の門を叩きました。当時メセナ協議会にいらした熊倉純子(*2)さんが直接対応してくださり、そのご紹介でリヨンビエンナーレに視察にいらした加藤種男 (*3)さんのアテンド兼通訳をすることになりました。その後日本に帰るときに、改めて加藤さんに今後の相談をしたところ、市村作知雄(*4)さんを紹介され、アートネットワーク・ジャパン(ANJ)に入ることになりました。25年前のことです。
TIFは1988年に隔年開催で始まり、1999年以降は毎年開催となり2000年からANJが主催を担いました。この中で特に印象的だったのが、9.11を経た時期にアラブ圏のアーティストの特集を組んだ、相馬さん担当の中東シリーズです。
今でもはっきり覚えているのですが、2002年の7月1日ANJに入社したその日に「国際プログラム担当」と書かれた名刺を渡され、市村さんと国際交流基金に出かけました。そこで、市村さんが「中東シリーズをやりたい。担当は相馬です」と言ったんです。「これまで西洋経由でしか見られてこなかったアラブ中東世界を、演劇を通して見るんだ」という話で、私としては「そうなんだ?」みたいな(笑)。

ただ、私がいたフランスは、中東の歴史、文化、言語が移民たちの存在によって複層的に入り込んでいる場所で、例えば私がリヨンで通っていた自動車学校の先生は、チュニジアからの移民でした。こんなふうに、間接的ですがアラブ・イスラーム世界、中東地域への接点があり、言語的にもあまりバリアがなかったため、どんどんその仕事にのめり込んでいきました。ベイルートに行き、いったん日本に帰って、翌週はエルサレムというようなペースで、ひたすら現地に行って観る。演劇自体は素朴なものだったり、プロパガンダ的なものだったりもするんです。でも、知らない土地に行って、現地の人と話したりご飯を食べたりしながら、風土や歴史に興味を持つ。そのうえで劇場に行くと、作品と観客席がどういう関係を切り結んでいるのか見えてくるんです。つまるところ私は、その地域の社会と作品、演劇との関係を観にいっていたんだなと思います。中東シリーズは2004年に始まって、初回がクウエート、パレスチナ、レバノンの作品で、その後も若手から巨匠まで中東地域の多様なアーティストの作品を紹介するのみならず、東京で世界初演を迎える国際共同制作も手掛けることができました。
そうした作品を日本に持ってくる際、それこそ背景にある社会との関係はどうしても削ぎ落とされ、見えづらくなることがありますよね。
もちろん作品の背景は知っておいた方がいいし、そのための文脈づくりも考えます。でも、それが難しくても紹介すべき作品もあります。例えば2004年に初めてアジアで上演されたレバノンのラビア・ムルエ(*5)&リナ・サーネーの『BIOKHRAPHIA-ビオハラフィア』では、集客にすごく苦労しました。お客さんからすればレバノンのこともわからないし、タイトルにもなんの手がかりもない。でも芸術史的にも極めてラディカルで面白い作品だったので、結果的に話題になりました。海外招聘にまつわるこうした「わかる/わからない」問題は、もうどこかで腹をくくって、正直に「自分が観たい」作品を紹介すると決めています。それがどのくらい人を集められるのか、どれくらい理解されるかといったことは後で考える。大事なのは自分がそれを絶対に観たい、何度も観たいと思うかどうか。最終的にはそれが判断基準です。
  • 東京国際芸術祭2004 中東シリーズのちらし 提供:ANJ

TIFの後期には高山明さんのPort Bとの協働で、演劇の方法論を使って「都市」を再考、再体験する取り組みも始まりました。
2004年ににしすがも創造舎(*6)がスタートして、そこの喫煙所やサロンで、普段は出会わないような多種多様な演出家や俳優、スタッフの方々とおしゃべりをする時間を持つことができました。高山さんもそうして出会ったアーティストの一人です。当時のにしすがも創造舎には比較的若い世代のつくり手が多く集まり、そこで「つくる」ことと「見せる」ことの往復運動が生まれていました。私自身、フェスティバル/トーキョー(F/T)では、プログラム・ディレクターでありながら、高山さんと飴屋法水さんの作品にはドラマトゥルクとして参加しましたが、それはにしすがも創造舎にフェスティバルの事務局があり、そこがクリエーションの現場たる稽古場だったから可能だった。言い換えれば、さまざまな人が集まるにしすがも創造舎という磁場の上で毎年フェスティバルが開催されるという構造になっていたことが、後のF/Tが大きなプラットフォームとして成長していく必要条件にもなっていたのだと思います。

高山さんとは2008年のTIFで『東京/オリンピック』の再演をお願いしたのが仕事としては最初です。この時期には自分が新しいフェスティバル(F/T)のディレクターに就任することはわかっていたので、「これから演劇祭を立ち上げる東京という街はどういう都市なのか」と自問自答を重ねていました。東京って毎日がフェスティバルみたいな都市で、例えば東京ドームで開催される試合やイベントには1回で5万人が集まる。そういう都市で演劇を使って「都市の祝祭」をやるならば、単に人が集まって盛り上がるのではない形を発明する必要があるだろう。そんなフェスティバル・ディレクターとしての問いと、高山さんが都市を考察する演劇実践が重なり、F/Tでも毎年作品を創作・発表していただく流れができていきました。
  • にしすがも創造舎 提供:ANJ

2009年にF/Tがスタートした当時、相馬さんは30代に差し掛かったばかりで「プログラム・ディレクター」に大抜てきされました。ディレクターという役割も含めて、ロールモデルのいない中での挑戦だったと思いますが、その大変さをどう受け止めていましたか。
大変でしたね(笑)。ただその挑戦は、私が何者でもなかったからこそできたことだとも思っています。それまでの日本演劇の創造的磁場は、利賀の鈴木忠志さんやこまばアゴラ劇場の平田オリザさんをはじめ、プロデュース能力のある演出家がつくってきたと思います。ところが演出家でもない人間とそのチームが、いきなり億単位の予算を使って場を開くことになった。そのことがむしろ、F/Tが新しいプラットフォームであるという印象を強めたと思いますし、参加するアーティストたちもその場を利用して面白いこと、新しいことをやろうとするという相乗効果を生んだと思います。
TIFからF/Tへのステップでは、予算規模も含め担うものがかなり大きくなりました。F/Tではどのようにプログラムを組んでいったのでしょうか。
おっしゃるとおり、TIFはANJが主催するインディペンデントなフェスティバルで、毎回助成金を集めて開催していました。それがF/Tになったとたんに、東京都から2億という主催者拠出金がつき、全体で3.5億円もの予算で毎年やることになった。いまだかつてない規模の「東京の演劇祭」のあり方を考えたとき、まず意識したのは国際的な“空港”をつくることでした。世界中どこに行っても、空港には国際スタンダードのシステムがありますよね。それと同じように、まずは世界のフェスティバル・サーキットの中で共有される制作・普及システムをちゃんとインストールし、「東京の演劇祭」の存在が、そこで制作される作品や思想とともに国際的に可視化され、認知される構造を考えました。

具体的には、海外演目では、ポストドラマ演劇など新しい美学にもとづく世界的話題作をタイムリーに日本、アジアに紹介する。その一方で、日本の演目については、東日本大震災など同時代のつくり手たちが直面する社会と時代に応答する作品や、東京という都市のリアリティを反映した作品、領域横断的な作品を新たにプロデュースし、世界にプレゼンテーションするという組み立てです。さらに公募プログラムを設けて、アジアの若いつくり手たちがF/Tで作品を発表し、国際的な批評も得られるような枠組みも整えていきました。
  • F/T09秋 記者発表。左から松井周、高山明、クリス・コンデック、天児牛大、黒田育世、松本雄吉、タニノクロウ

公共の主導で開催されるからこそ直面する難しさもあったと思います。
すごく「偏った」と思われるような演目があったとき、99%の人は「よくわからない」と感じたとしても、1%の人が「これは未来の社会にとって必要だ」とか「この表現が歴史を変えるかもしれない」という可能性を見出すならば、99%の人々はその作品が上演されることを許容する。これは公共を支える根本原理だと思います。医療や福祉も、1%のために99%が支える仕組みで成り立っているわけです。でも最近は逆で、1%の反対意見があれば、99%の人が賛同する企画もできなくなってしまうこともある。リスク管理やコンプライアンスの名のもとに、全てが最大公約数的なものに迎合していくような流れが公的文化事業の場でも起こっている。そうしたジレンマは私がF/Tをやっていた時代からありましたが、最近はよりその傾向が強くなっている気がします。
F/T09春が始まる際、相馬さんが「若者に観せたい」と言っていたのが印象的でした。後に活躍する人材を育てようという意識もあったのだろうなと。
若い人に限らず、自分がいる現在と、歴史と、未来とがどうつながっていくのかをつかむことは大事です。F/Tはその歴史的パースペクティブを意識しつつ、過去から現在、そして未来に放たれる先鋭的な表現に触れられる場にしたかった。それで歴史的に重要な作品を映像上映するプログラム(F/Tテアトロテーク)もやりましたし、長島さんにコーディネーターとして参加していただいた「演劇/大学」(F/T09春、秋)も企画しました。唐十郎(*7)さん、山田せつ子(*8)さんといった巨匠が演出する作品に学生たちが出演し、その成果を共に見合うことで、学生たちがフェスティバルで演劇史、舞踊史そのものを学ぶことができた。

それと、やはりアジアに開かれた公募プログラムはF/Tのレガシーだったと思います。チョイ・カファイやダニエル・コックのようにアジアの重要な担い手になった人たちもいれば、KUNIOの杉原邦生さん、木ノ下歌舞伎の木ノ下裕一さん、マームとジプシーの藤田貴大さん、鳥公園の西尾佳織さん、円盤に乗る派のカゲヤマ気象台さん……と今も活躍する多くのつくり手たちが、まだ大学を出るか出ないかくらいの年頃で参加していた。そうやって同世代の仲間が可視化され、切磋琢磨していくことで公募プログラム自体が一つの登竜門になっていきました。

実は「演劇/大学」には、当時桜美林大学の学生だった市原佐都子さんも俳優として参加していたんです。その後彼女が率いる劇団QはF/T13の公募プログラムに参加し、市原さんはあいちトリエンナーレ2019で上演した『バッコスの信女-ホルスタインの雌』で岸田戯曲賞をとり、2023年の世界演劇祭(テアター・デア・ヴェルト)では同作でオープニングを、『弱法師』の世界初演でクロージングを飾りました。まさに私自身のフェスティバル・ディレクターとしての歩みと市原さんのこの15年の展開は重なっていて、あれほどの才能が登場し世界で活躍していく流れをつくれたことは、プロデューサー冥利に尽きます。
  • 作者の唐十郎自身の演出による近畿大学 『腰巻お仙─義理人情いろはにほへと篇』「演劇/大学」(F/T09秋)ⓒ 石川純

  • チョイ・カファイ『ノーション:ダンス・フィクション』(F/T11) ⓒ 松本和幸

批評家プログラムや記録集の発行もありましたし、今考えるとF/Tはフェスティバルとして必要なものをかなり揃えた場づくりをしていたと思います。F/Tを離れた後の相馬さんは、NPO法人芸術公社を立ち上げ、2017年からパフォーマンスやワークショップなどさまざまな形式のプログラムで構成する「シアターコモンズ」をスタートさせます。この時期、活動の方針やプログラムの方向性についてはどんなことを考えていましたか。
F/Tという大きなものの庇護から外れたとたんに、インディペンデントになり、お金も自分たちでどうにかしないといけない。でも、考えてみればアーティストってみんなそうですよね。これからもアートと社会の関係を問い続けるのであれば、自分だって誰にも頼まれずとも何かを実現できると証明すべきだと思っていました。ただ、それは公共の組織とかかわらず独立独歩で突き進むということではなく、アジアの中で生き延びるためにはむしろ、インスティテューション(制度/組織)の中でできることとインディペンデントだからこそできることをうまく両立させていくことが不可欠だと考えていました。ヨーロッパのインスティテューションのようにお金・機会・人材が制度的に集中し、アーティストもスタッフも安定した環境で創作に没頭できる場は日本にない。であればインディペンデントとしての軸足を持ちながら、機会があればインスティテューションが主導するプロジェクトの中でもキュレーションを実践していこうと。

ただ初めのうちは、決まった仕事もないので、みちのくアート巡礼キャンプやr:ead(レジデンス・東アジア・ダイアローグ)など、自分の関心を深めたり、人材育成につながるプログラムを自主的にやっていました。みちのくアート巡礼は、民俗学者で「東北学」を提唱されている赤坂憲雄さんと一緒に被災地を巡りながら、震災後の表現の可能性を開拓していく企画で、r:eadは日本・中国・韓国・台湾のアーティストとキュレーターが一定期間を共に過ごす対話型レジデンスです。どちらも決まったゴールはなく、東北やアジアという土地や歴史からリサーチを展開し、ほかの参加者やゲストとの対話を通じて、未来に向けた企画を考案するプロジェクトで、私自身も、アジアで生きるインディペンデント・キュレーターとしての足腰をすごく鍛えられたと思います。それと並行して、インディペンデントとしての方法論や予算規模で芸術的チャレンジをする場としてシアターコモンズを立ち上げました。
日本の舞台芸術の組織や制度は歴史的にも浅く弱くて、インディペンデントで活動することが基本とされている。ただ、その活動が社会的なアクションと重なっていく場合、インディペンデントでやり続けるかパブリックでやるかというのは単純な二択ではないですよね。相馬さんが「コモンズ(共有地)」という考え方にたどりついているのも、そういう背景があってのことだと思います。
そうですね。ずっとパブリックについて考え、1%か99%かで葛藤してきたけれど、その出口は、いかにコモンズをつくるかにあった気がします。実際、私のキュレーションの傾向もこの10年で変わったと思います。シアターコモンズでは、特にコロナ禍の影響で、XRを活用した作品や、セラピー、ケアの要素を取り入れた体験型の作品など、新しい形式のパフォーマンスを開拓してきました。そうした芸術的な実験を経て、これからは、いわゆる職業的な「アーティスト」だけでなく、誰もが自らの創造性を耕し、発揮する主体である、という理念に基づく企画も増やしていきたいと考えています。

例えばシアターコモンズ’26にはArt Translators Collectiveという、初回から通訳や翻訳を中心に一緒に仕事をしてきたコレクティブが「参加アーティスト」として登場します。AI時代に消えていくであろう「翻訳」という行為を拡張し、自分たちの問いを参加者と共有しようという彼らの試みは、まさに「演劇のコモンズ(共有知)を活用し、社会のコモンズ(共有地)をつくる」というシアターコモンズの理念を体現するものでもあります。1%か99%かという対比でなく、誰もが1である場所を開く。その理念は、これからのプロデュース活動でもっと実現していきたい部分です。
この間に手がけられたインスティテューションでの仕事についても聞かせてください。相馬さんがパフォーミングアーツ部門のキュレーターを務めた「あいちトリエンナーレ2019」では、参加アーティストの男女比をほぼ半々としたことに加え、現代美術部門での「表現の不自由展」をめぐる抗議や炎上(*9)でもニュースになりました。
男女比については、もともと私が津田大介芸術監督に提案した参加アーティストのリストの半分は女性でしたし、MeToo運動の高まりもあり必然的な流れだと感じていました。一方で「表現の不自由展・その後」をめぐっては、暴力的な言葉が飛び交い身の危険を感じるような非常事態では、大きな声で政治的言語を操ることに長けた人物に、より多くの注目や発言権が与えられていく状況も目の当たりにしました。そうした闘争的な展開がなければ展示の再開は果たせなかったかもしれませんが、本来は非常時にこそ、声を上げにくい人たちの言葉をどう聞くかが問われるべきです。平時の制度が機能しない例外状態でのジェンダー平等がいかに難しいか、非常に考えさせられました。
2023年にドイツのフランクフルトとオッフェンバッハで行われた世界演劇祭では、非西欧圏の女性として初めてプログラム・ディレクターを務められました。さまざまな場面で西洋とそれ以外という非対称な状況がある中、どういった苦労や成果がありましたか。
シアターコモンズやあいちトリエンナーレでの領域横断的な作品のプロデュース、F/Tで培った都市型フェスティバルのキュレーション経験を応用し、最終的にはドイツでもフェスティバルのドラマトゥルギーをつくることはできたと思っています。一方、ドイツのインスティテューション自体が、西洋中心的なコロニアルな構造を体現するシステムとして機能する面もあること、また、特にドクメンタ15(*10)以後、反ユダヤ主義と捉えられるリスクのある表現や参加に対する自己検閲が、劇場やフェスティバル事務局で働く人々の間に強く内面化されている状況も目の当たりにしました。だからこそ自分は日本に帰ったら、パブリックとインスティテューション、インディペントの三つ巴の中で、アジアでしかできないことをやるんだという気持ちは強くなりましたね。

また、1985年の第2回世界演劇祭の開催地はフランクフルトで、このときは鈴木忠志さんが『トロイアの女』など3作品を上演しています。鈴木さんが西洋の古典戯曲を東洋独自の身体所作や美学で演出した、その40年後に同じ土地で、市原佐都子がギリシャ劇を大胆に翻案した『バッコスの信女-ホルスタインの雌』をクィア的視座に基づく演出で上演した。そういう日本の演劇史と世界の演劇史が交わる線を引けたことも、自分にとっては大きなことでした。
  • 世界演劇祭2023のオープニングを飾った『バッコスの信女-ホルスタインの雌』初日カーテンコール  提供:相馬千秋 

  • 同クロージングで世界初演された『弱法師』  ⓒ Jörg Baumann

2027年11月に開館する港区立みなと芸術センター m〜m(むーむ)でもプログラム・ディレクターを務められます。その展望についても教えてください。
古代ギリシャでは、劇場は共同体の装置であり、そこに参加することは権利であり義務でもあったと言われています。新しくできる公共の劇場が、同じように都市や市民にとって必要な場となるならば、そこは市民が主体的に参加し、創造性を発揮することで共同体自体が活性化されるような場であるべきです。日本は音楽やダンスなど、習い事のレベルも高く層も厚いので、そうした人々の文化的実践力がもっと活かされていいはずです。劇場は、ただ優れた作品を観るだけでなく、自ら参加する場であるという理念を、プログラムにも実装してきたいと思っています。

また、m〜mは羽田空港から近いので、アジアに開かれ、アジアとつながる舞台芸術のプラットフォームになっていきたいという思いもあります。砂浜やジムのように、それぞれが自由に振る舞いながら、個人の創造性と尊厳が守られる居場所。それがm~mが目指す劇場のイメージです。
  1. 企業メセナ協議会

    1990年、企業による芸術文化支援活動の活性化と環境整備を目的に設立された団体。

  2. 熊倉純子

    企業メセナ協議会を経て東京藝術大学教授(~2025)。アートマネジメントの専門人材の育成や地域型アートプロジェクトのコーディネート、文化政策の提言などに携わる。

  3. 加藤種男

    アサヒビールで長年にわたり企業メセナを担当。現在もさまざまなアートプロジェクトの提案や地域間のネットワークづくりに取り組む。

  4. 市村作知雄

    山海塾の制作を経て、国内外の舞台芸術公演のプログラミング、プロデュース、文化施設の運営を手がける。NPO法人アートネットワーク・ジャパン顧問。

  5. ラビア・ムルエ

    演出家、俳優。内戦後のレバノンの歴史、社会、政治状況を題材に、多様なメディアを用いて虚実を揺さぶり、今日的な問いを浮かび上がらせる。

  6. にしすがも創造舎

    廃校になった中学校を稽古場や公演会場として活用するプロジェクト(2004〜2016)。ANJとNPO法人「芸術家と子どもたち」が共同運営した。

  7. 唐十郎

    劇作家、演出家、俳優。状況劇場、劇団「唐組」の活動を通し、日本のアンダーグラウンド演劇を牽引した。

  8. 山田せつ子

    舞踊家、ダンスカンパニー枇杷系主宰。笠井叡に即興舞踏を学んだ後、日本のコンテンポラリーダンスの先駆けとして活躍する。

  9. 表現の不自由展をめぐる抗議や炎上

    公共文化施設などで、展示を拒否されたり検閲や自粛を余儀なくされた作品を集めた企画展(2015、ギャラリー古藤)。あいちトリエンナーレ2019ではこの企画を発展させた「表現の不自由展・その後」が抗議や脅迫を受け、オープンから3日で展示中止となった(後に抽選制で再開)。

  10. ドクメンタ15

    ドクメンタは、ドイツのカッセルで5年ごとに開催される国際美術展。2022年に開催された「ドクメンタ15」ではインドネシアのアーティスト・コレクティブ「ルアンルパ」が芸術監督を務め、脱欧米中心的な視野、アートと社会を接続する実践的プロジェクトで高く評価された一方、一部の展示が反ユダヤ的表現を含むとして大きな論争を呼んだ。

  • 協力:みなと芸術センター開館準備室  ⓒ 井野敦晴