ミリアム・ドゥ・クロパー

アントワープの国際的芸術拠点
ドゥ・シングルの軌跡

2014.07.31
ミリアム・ドゥ・クロパー

ミリアム・ドゥ・クロパーMyriam De Clopper

ドゥ・シングル 舞台芸術部門 責任者
ドゥ・シングルは、以前より存在した芸術学校(コンセルヴァトワール)を中心として1980年にアントワープに開館した複合文化施設である。クンステン・フェスティバル・デ・ザールの創設者としても知られるフリー・レイセンのディレクションにより国際的なアートセンターとなり、フレミッシュ・ウェイヴを支えるだけでなく、積極的に共同制作を行う国際的芸術拠点として発展。

フリー・レイセンに次いで、現在、ドゥ・シングルの舞台芸術部門の責任者を務めているミリアム・ドゥ・クロパー氏にその軌跡と現状をインタビューした。
聞き手:藤井慎太郎[早稲田大学文学学術院教授]
ドゥ・シングルの歴史と概要について、まず伺いたいと思います。オープンしたのは1980年ですが、構想自体はもっと古くからあったと聞いています。
 ええ、音楽家や俳優の養成を目的として、王立コンセルヴァトワールがアントワープにつくられたのは1898年のことなのですが、当時においてすでに付属劇場が構想されていました。ですが、その実現にはだいぶ時間がかかったわけです。劇場はコンセルヴァトワールの教育のために存在しているわけではなく、当初の構想の段階から、学生以外の上演団体による公演が自由に行われることが想定されていました。最近ではドゥ・シングルのことを「インターナショナル・アーツ・キャンパス」と称して、コンセルヴァトワールを中心とした文化施設として誕生したアイデンティティを強調しています。
最近の組織改革により、コンセルヴァトワールは“アントワープ・シックス”と呼ばれる6人のデザイナーを生み出したアントワープ王立美術アカデミーと合併してひとつの大学になり、「アルテジス」と改称されました。こうした大学での専門教育に加え、生涯教育も私たちの活動の大きな柱になっています。
建築についてはレオン・スティネンの当初の設計(1968年、1980年)を尊重しながら、ステファン・ベールの設計によって増築が繰り返されてきました。現在では床面積にして46000平方メートル(東京ドームとほぼ同等)の大規模な施設になっています。劇場施設としては、コンサートホールであるブルー・ホール(966席)、演劇・ダンスの上演に使われるレッド・ホール(803席)、レッド・ステュディオ(270席)、ブルー・ステュディオなどがあります。併設したグラン・カフェは、午前9時から午前0時まで開いていて、食事も提供しています。
ドゥ・シングルとは別組織であるコンセルヴァトワールのほか、フランダース建築研究所やシディ・ラルビ・シェルカウィが立ち上げたカンパニーであるイーストマンの事務所も同じ敷地内にあります。かなり大きな読書室も併設されていますし、ラジオ局も入っています。また、失業している若者を対象に劇場の技術者・制作者になるための職業訓練を行うサバティーニという団体もあり、私たちの劇場スタッフも協力しています。
ドゥ・シングルといえば、今日ではフランダースだけでなくヨーロッパを代表する劇場ですが、開館当初は事業予算も充分でなかったとか。
 劇場としてのドゥ・シングルは1980年にオープンしましたが、そのときには劇場は完全なハコモノでした。プログラムと呼べるものを組むための予算もなく、 フリー・レイセン がいわば管理人として雇われたことは伝説になっています。コンセルヴァトワールはそれほど大規模ではありませんから、施設が大きすぎて手に余っていたのを、フリーが劇場を貸して得られた使用料収入をもとに1983年から独自事業を行うようになりました。ちょうどフレミッシュ・ウェイヴと呼ばれたアーティストが続々と登場してきた頃です。私は1986年頃からドゥ・シングルで働き、92年まで勤めたフリーの後任として舞台芸術部門の責任者になりました。
1990年頃にはフランダース政府からも活動が評価されるようになり、1993年にアントワープが欧州文化首都に選ばれたのを契機に政府からの支援が強固になりました。現在ではフランダース・オペラ、フランダース・バレエ、フランダース交響楽団などと並んで、フランダース地方に7つ存在する「主要文化施設」のひとつとして認定されています。フランダース政府による助成は、主要な劇場や上演団体に対しては4年毎(より小規模な場合には2年ないし毎年)に諮問委員会の審査・勧告に基づいて金額が決定されています。ドゥ・シングルはそれとはまた別枠で、5年毎に審査されていて、もうじき2016年からの5年間の助成金についてフランダース政府と交渉を始めることになっています。
予算については、大まかに言うとフランダース政府から600万ユーロの助成金を受けとっています。うち150万ユーロは建物の維持費などに必要ですが、入場料収入、アントワープ州、アントワープ市からの助成金、メセナ収入としてほぼ同額が入ってきます。内訳は、300万ユーロが芸術事業費、200万ユーロが人件費、100万ユーロがその他の出費、広報、旅費、運営経費などに充てられます。私が責任をもっている予算は芸術事業費の内の120万ユーロで、これで約30作品、120回ほどの公演を行っています。
アントワープ(人口約50万人、都市圏としては約125万人)は、フランダース(人口約637万人)の中心的都市ではありますが、決して大都市ではありません。ドゥ・シングルでは、どんな作品でも上演回数は最低2回、多くて6回で、ほぼすべての作品が他の劇場との共同制作のためツアーが前提になっています。いくつかの作品はドゥ・シングルで稽古をしてつくっています。ちなみによく共同制作をしているパートナーは、 クンステン・フェスティバル・デ・ザール 、モネ劇場、ヘット・トネールハウス、オランダ・フェスティバル、パリ市立劇場、国立オデオン劇場、アヴィニョン演劇祭、モンペリエ・ダンス、ルール・トリエンナーレなどです。
ヨーロッパを代表する劇場やフェスティバルばかりですね。ドゥ・シングルのパフォーミング・アーツ・プログラムはどのような方針で組まれているのですか。
 ドゥ・シングルのプログラムは建築・演劇・ダンス・音楽の4つの領域の催しから構成されています。その内私が責任をもっているのは演劇とダンスです。今年(2013-14年)のシーズン・プログラムを例にとると、演劇では、イギリスのケイティ・ミッチェル、スペインのロドリゴ・ガルシア、イーヴォ・ヴァン・ホーヴェ、ザカリー・オバーザン、世界的に有名なアメリカ人演出家のロバート・ウィルソン、スペインのアンジェリカ・リデル、ドイツのニコラス・シュテーマン、ワルム・ウィンクル、ルネ・ポレシュ、ヨス・ドゥ・パウ、イタリアからロメオ・カステルッチ、フランスのパトリス・シェローの作品を上演します。イーヴォ、ワルム・ウィンクル、ヨスの3人はフランダースの演出家で、イーヴォはアムステルダムで活躍しています。ご存知のように、残念ながらシェローは昨年の秋に作品を完成させる前に急死してしまいました。この公演については、別の作品を上演するのではなくキャンセルすることを選択しました。
ダンスについては、ピナ・バウシュ、シディ・ラルビ・シェルカウィ、エマヌエル・ガット、アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル、ボリス・シャルマッツ、ローラン・シェトゥアーヌ、ヴァンサン・デュポン、ウィリアム・フォーサイス、ヤン・ファーブル、ヴィム・ヴァンデケイビュス、アラン・プラテル、ダニエル・リンハンの作品を上演します。シディ・ラルビ、アンヌ・テレサ、ヴィムというフランダースの振付家3人については2作品を上演します。エマヌエル・ガットは、イスラエル出身で現在はフランスを拠点として活動する振付家で、すでに3回ほど私たちの劇場でプログラムしています。シャルマッツ、シェトゥアーヌ、デュポンの3人は、コンセプチュアルな作品をつくり続けているフランス人振付家です。ウィリアム・フォーサイスは私が心から尊敬するアーティストなのですが、2015年夏にカンパニーを解散します。本当に残念です。アメリカ出身のダニエル・リンハンは、ブリュッセルのダンス学校PARTSに学んだ若手振付家で、私たちの劇場のアソシエート・アーティストです。年間を通じて、彼によるワークショップや新作の発表をドゥ・シングルにおいて予定しています。
これもそうそうたるアーティストばかりですね。フェスティバル/トーキョー、SPAC、ダンストリエンナーレなどに招聘されて、日本で作品を見る機会のあったアーティストも何人も含まれています。カステルッチ、プラテル、シェトゥアーヌには私の大学でもレクチャーをしてもらいました。
 こうした公演に加えて、シーズン中には短期間のフェスティバルをプログラムしています。「アクト」は演劇・パフォーマンスのフェスティバルで11月下旬の2週間ほどにわたって開かれます。「ブージュ・B」はダンス・パフォーマンスのフェスティバルで、4月下旬の1週間にわたって開かれます。フランス語の「Bouche bée」(口が閉まらなくなるほど驚愕・呆然としている状態)にB級のBなどの意味も込めて名付けました。昨年始めたばかりなのですが、たいへんうまくいったので今後も続ける予定です。
ドゥ・シングル独自の活動としては、たとえば、サロン・ドゥ・ラ・パンセ(フランス語で「思想のサロン」)があります。毎回、異なる社会が直面する問いをめぐって、外部のゲストスピーカーを交えて、哲学的、芸術的な議論をする場です。この前は「ポルノグラフィは芸術たりうるか」という問題について議論しました。次回は「自由意志はイリュージョン(幻影)でしかないのか」というテーマについて議論します。こうして年に2回、日曜日の午前11時から午後2時まで、軽食と飲み物を交えてリラックスした雰囲気の中で話し合います。こうした批評的な思考と議論の場としての側面も非常に重視しています。
アントワープにはドゥ・シングルのほかにも、演出家ヒー・カシールスが芸術監督を務めているヘット・トネールハウス(ブルラ劇場)、ユニークな小劇場であるモンティ、ヤン・ファーブル率いるトラウブレンの拠点であるラボラトリウム、さらにフランダース・バレエ、フランダース・オペラなどの拠点劇場があるなど、舞台芸術に関しては非常に密度の濃い環境が存在しています。ほかの組織とはどのように役割分担、連携をされているのですか。
 大きく言えば、ドゥ・シングルは国際的な性格が強く、フランダースのアーティストの比率はそれほど高くありません。それに対して、アントワープ、ゲント、ブリュッセルにある市立劇場はフランダース演劇を多くプログラムし、レパートリーの継承に力を入れています。ダンスについては、バレエは私にとってはいささか固定化された芸術に思えますし、フランダース・バレエもあるので、フォーサイスなどによる現代バレエと現代ダンスをプログラムの中心にしています。アントワープのほかの劇場とは、アボヌマン(事前予約割引)制度で連携して複数の劇場の演目を選んで予約できるようにしています。たとえば今はドゥ・シングルの観客がヘット・トネールハウスの演目を見に行く方がその逆よりも多いですね。
逆説的なことですが、アントワープはフランダースの中でも最も経済的繁栄を享受しつつ、伝統的に極右政党が強い地域として知られています。ベルギーからの分離独立を訴えてフランダース地方で高い支持率を集め、連邦議会でも第一党になった新フランダース同盟(N-VA)の党首でもあるバート・ドゥ・ウェーヴァーが2013年1月1日にアントワープ市長に就任したことがニュースになりました。そうした政治情勢の影響は何かあったのでしょうか。
 私自身もアントワープの出身ですが、確かにアントワープは逆説に満ちた都市だと思います。幸いにもアントワープ市から受けとっている助成金はわずかなので、ドゥ・シングルは市政の影響はあまり受けていません。ヘット・トネールハウスは、フランダース政府の助成も受けていますが、よりアントワープの市立劇場としての色彩が強いので、助成金が大きく削減され、活動にも悪影響が出ているようです。
2014年はベルギーでは連邦議会、地域議会(フランダース、ワロニー、ブリュッセル首都)、欧州議会の3つの議会の選挙が5月25日に同時に行われるのですが、N-VAの得票率は30%を超えて、次回の選挙でも勝利することが確実視されています。芸術文化に関するN-VAの政策は非常に貧しいものですが、連立を組むほかの政党の政策との兼ね合いもあるし、また、私たちの劇場の経営は現在のところとてもうまくいっているので、それほど大きな影響は受けずに済むのではと考えています。
ベルギーやフランダースの人口はそれほど多くありませんが、芸術的な創造性については本当に驚くべきものを持っていると思います。ヴィジュアル・アーツに関しては、人口が2倍以上のオランダに比べて引けをとるとは思いませんし、ブリュッセルのような小都市も、現代ダンスにかけてはパリと肩を並べることができるほどです。ケースマイケルがつくった学校PARTSのおかげで、優秀な才能が世界から集まり、卒業後も多くがブリュッセルに残って活動しています。こうした事実はどんな政治家も認めざるを得ないでしょうし、芸術文化予算が他国に比べて有効に使われていることの証だと思います。
反面、これらの選挙においては全くといってよいほど芸術は争点にはなっていません。これからの政治において芸術をいかに位置づけるのか、政党・政治家に問いかけ、争点化するキャンペーンに私たちも加わっています。
フランダースに限った話ではありませんが、1980年代から今日に至るまで、創造の最前線に立っているのはケースマイケル、ファーブル、プラテルら、1950年代後半に生まれた世代のアーティストだという印象を受けます。世代交代はうまくいっているのでしょうか。
 表面的にはそういう印象を与えるかもしれませんが、私たちはみんな継承の問題に真剣に取り組んできました。ドゥ・シングルと同居するコンセルヴァトワールからももちろん新たな才能が生み出されていますし、ケースマイケルのPARTSからもすでに多くのアーティストが生まれてきました。“アントワープ・シックス”を生み出したのも王立美術アカデミーです。アラン・プラテルのLes Ballets C de la Bにも、プラテル以外の多くの振付家が所属し、作品を発表していますし、シディ・ラルビ・シェルカウィもこのカンパニーの出身です。ヤン・ファーブルのラボラトリウムも同様に多くの才能を迎え入れています。こうした若いアーティストはフランダース出身者に限られたものではありません。彼らよりも前の世代、モネ劇場やパリ・オペラ座の支配人を務めたヘラルト・モルティール(ジェラール・モルティエ)も、そうした意識を持って若い才能を積極的に起用した人物でした。残念なことにモルティールも最近亡くなってしまいました。彼の功績、思想をいかに次の世代に継承していけるのか、大きな課題です。
フランダースのアーティストは、その活動領域が演劇であれ、ダンスであれ、美術であれ、ファッションであれ、それぞれに独自の方法論と美学を持っていて、ひとつの流派=学校(school)をつくっているわけではありません。しかし、厳しい要求水準を持つ教育機関に世界中からすぐれた資質を持つ人材が集まり、その要求に応えようと努力しています。自由な雰囲気の中で互いに刺激を与え合う、そんな環境を準備することが重要なのだと思います。
日本の古典芸能の招聘を準備されているそうですね。
 私は普段は基本的に現代ヨーロッパのパフォーミング・アーツ作品ばかりをプログラムしているのですが、この10年ほど、能や文楽などの日本の伝統芸能を何としても呼びたいと思っていました。先ほど、バレエは芸術として固定化されすぎていると言いました。日本の伝統芸能にもコードとして固定されている側面がもちろんありますが、高度に抽象化されているところがバレエと異なると感じています。相応のお金もかかることですので、今から準備を始め、数年かけて観客の知識を高めながら、ツアーする劇場やフェスティバルを募り、日本文化を受け入れる条件を整えたいと思っています。
今後がますます楽しみです。インタビューにご協力いただき、どうもありがとうございました。

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