チャーリー・ラスバン

米キング郡を変える
4Cultureの試み

2010.10.25
チャーリー・ラスバン

チャーリー・ラスバンCharlie Rathbun

4Culture アートプログラム・ディレクター
ワシントン州のキング郡は、シアトル市など38市を含む人口約190万人の行政区域だ。そのキング郡の文化振興を担っているのが2003年に設立された「4Culture」(前身はKing County Arts Commission/以下、KCAC)である。

アーティストへの直接支援のみならず、郡内のアーツコミッション、ビジネスカンパニー、地域コミュニティなどとのパートナーシップを拡大し、文化コミュニティの発展に寄与し、郡に年間約8億4,400万ドル(約753億円、2003年実績)の経済効果をもたらしているという4Culture。KCAC時代から数えて20年余りにわたりキング郡のアートシーンを牽引してきた同アートプログラム・ディレクターのチャーリー・ラスバン氏にその活動と思いを聞いた。
聞き手:岡崎松恵[NPO法人Offsite Dance Project 代表]
まずは4Cultureを紹介してください。
 4Cultureの前身はKing County Arts Commissionで、元々はキング郡のエージェンシーでした。National Endowment for the Arts(全米芸術基金/以下、NEA)が、全米の州・郡・市にアーツコミッションの設立を推進したときに、キング郡でも1967年にアートを支援する機関としてKCACが設立されました。
その後の経済状況により、アーティストによる芸術教育や団体の投資計画の支援の予算が削減されるなどの事態となり、KCACは2001年までにキング郡の文化財局に徐々に吸収されてしまいました。その後、2003年にキング郡政府の半独立組織として自分たちで再組織し、新たに「4Culture」を設立しました。
4Cultureは、「Art(芸術)」「Public Art(パブリックアート)」「Heritage(文化遺産)」「Historic Preservation(歴史的文化の保存)」の4つの分野を指していて、もうひとつ「for culture=文化のために」という意味もあります。正式名称は「Cultural Development Authority of King County」なのですが、親しみやすく、世界と繋がることのできる通称として「4Culture」を全面に出して使っています。そうした通称を使う背景には、4Cultureが、「世界と繋がり、アート部門以外の人たちとパートナーシップを組むことによって相互が利益を受けられる形で仕事をするパブリックアリーナでありたい」という考え方があります。
4Cultureの事業予算は約1,000万ドル(約8.5億円)で、芸術・文化遺産・歴史的文化の3つの分野で毎年600のキング郡の個人および団体に対して約600万ドルの助成を行っています。また、パブリックアートの分野では、公共の建物を建てる際に予算の1%をアートに充当することを定めたキング郡の「One Percent for Art program」事業やコンサルティング事業など、交通のインフラ、下水、荒廃した施設、公園、ビルディングなどに新しい観光資源となるパブリックアートを設置するプロジェクトを展開しています。
4Cultureは独立後にはワシントン州の資金援助を受けて運営していますが、基本的に郡の文化機関であることには変わりはありません。Public Development Authorityという独立した組織になったことで活動が柔軟になり、収益をあげるなど資金の運用も自由がきくようになりました。一番の違いは、一般の人たち、アーティスト、コミュニティから、見え方が変わってきたということです。以前の郡のエージェントから、より広く多様な形でパブリックを助ける機関というイメージに変わりました。
ラスバンさんはKCAC時代から20年余りキング郡のアートシーンに関わられていますが、そもそもの経歴を教えてください。
 私はペンシルバニア州のピッツバーグの小さな町の農家で育ち、ピッツバーグのカーネギー・メロン大学でライティングと哲学を学びました。1976年〜82年に私が過ごしたニューヨークは、アートシーンが最もエキサイティングだった時期で、映像や演劇、美術などのアヴァンギャルドな表現に遭遇し、アートに開眼しました。まさに自分の人生にとっては革命的な時期でした。
まずは絵画のフレーミングや彫刻を設置する仕事から始めたのですが、そこでいろいろ学ぶうちに、演劇(シアター)に出合ったのです。当時のビジュアルアーツのアイデアは抽象的で表現主義的なものが主流で、批評的、政治的、社会的な作品が多かったのですが、演劇の分野ではコレクティブ・シアター(ジャンルを越えた共同創作の舞台)のムーブメントが起こっていて、ウスターグループやリチャード・フォアマンなどの舞台が最も新しく思えました。美術家がパフォーミングアーツとの繋がりで劇場の中で自分の表現をしていくのが大変面白く、ピーター・ブルックなど時代の最先端をいく重要な人物や型破りで予想もつかないアートが生まれた時期で大きな影響を受けました。
その後、劇団のメンバーになり、ツアーバスの運転手などもやりながらニューヨーク郊外のマサチューセッツ周辺で活動しました。ニューヨークで活動を続けるには経済的に苦しかったこともあり、シアトルに「New City Theater」がオープンするというので、その立ち上げに関わるためにシアトルに移りました。ここでは劇場付きのカンパニーのパフォーマー、マネージャー、ディレクターから雑用までを担い、5年ほど務めました。
ある日、KCACから電話があって、1987年のフェスティバル・コーディネーターを依頼されました。自分としても前に進む時期だという気持ちがあって、この仕事を引き受けたのがKCACとの出会いです。このフェスは21の新作を紹介するもので、ほとんどがサイトスペシフィックな作品で大変楽しい仕事でした。これをきっかけにKCACとテンポラリーに仕事をするようになり、その後NEAやシアトルのアーツコミッションの仕事を経て、1993年からKCACの正職員になりました。最初の関わりから数えると今年で23年目を迎えます。
シアトルに移り、キング郡のアート状況はどのように見えましたか?
 1990年にNEAの予算が縮小され、アーティストは国からの援助が受けられなくなりました。性的表現や宗教をテーマにしたり、政治批判をする作品は厳しい検閲の対象となりました。しかし、シアトルはそうした論争とは一線を画していました。
キング郡は、ある意味隔離されていて、独自の文化を育ててきた歴史があります。特にシアトルは約8割が他都市からの移住者で、財産のある会社や個人が移住していて文化を育てる力になってきました。例えば60年代には「ワールドクラスのものを作ろう。Best Opera」というキャッチフレーズを掲げて、トップクラスのバレエ団やオペラ団、美術館、交響楽団などが数十年の間に設立されました。それぞれ数百万ドル規模の予算をもち、富裕なファミリーや地元企業からの多額の資金で支えられています。代表的なところではボーイング社、マイクロソフト社、ポール・アレン・ファウンデーションなどで、多くの劇場には大口寄付者一族の名前が付けられています。
そうした状況は80年代〜90年代にピークを迎え、不況で減少してはいますが現在も続いています。4Cultureでも、毎年250のアートオーガニゼーションを助成しているのですが、シアトル市やキング郡の地域のサイズから考えると、他には例を見ない数の多さです。
4Cultureでは2005年から「Site-Specific King County Performance Network」という公共空間におけるサイトスペシフィックな活動を支援するプログラムをスタートするなど、こうした活動に力を入れています。1987年にあなたがコーディネートしたKCACのフェスは、その起源とも思われますが、どのようなものだったのですか? 当時キング郡ではサイトスペシフィックがすでに一般的だったのですか?
 このフェスは、「Performa 87, a Festival of New Works」というタイトルで、NEAから援助を受けて実施しました。私たちはあらゆる新作やサイトスペシフィックなパフォーマンス作品を委嘱しました。例えば、遊覧船、市バスの中、エアポートのような場所でもパフォーマンスをやりました。シアトルを代表する振付家パット・グラニーは、体操選手による段違い平行棒を使ったダンス作品を公園で発表したりしました。このプログラムは、地元のアーティストにシアトルやキング郡で独自の作品を発表してもらうのに主眼を置いていました。
KCACはサイトスペシフィックパフォーマンスの先駆者とは言えないかもしれませんが、実際は、キング郡の都市部から郊外まで劇場ではない、さまざまな場所でアーティストがオリジナルなものを作り出そうとし、それに公共的価値を与えたという点では、先駆的な活動をしていると言えるかもしれません。
4Cultureでサイトスペシフィックのプログラムを始めた理由はなんですか?
 4Cultureは25の市のアーツコミッションとパートナーシップを組んで仕事をしているのですが、シアトル市内に芸術活動の拠点が集中していて、郊外の地域では芸術活動に触れる機会が少なく、ダンスを上演する劇場もほとんどない、という現状がありました。サイトスペシフィックなら公園やレストラン、ショッピングモール、ストリート、どこでもアーティストが出向いて活動を行うことができます。シアトルには、劇場やギャラリーで作品をつくるア―ティストはたくさんいます。こうしたプログラムによって、さらに創造力を発揮してあらゆる場所で作品が創れるようなアーティストも数多くいることを発見しました。
最初に支援したプロジェクトは、2005年9月にシアトルの劇作家・演出家のKeri Healeyによる「The IKEA Cycle: Tiny Domestic Dramas」というもので、レントン市のIKEAのショールームで行われました。店内のベッドやダイニングルーム、リビングルームなどが舞台となり、ストーリーや音楽、ダンスなど6つのシーンで構成された2時間のツアー・プロジェクトです。このプログラムでは、4Cultureはアーティストからのプロポーザルを受けてIKEAの担当者とのパーナーシップを助けるとともに、8,000ドルを助成しました (*) 。ここで一番大事なことは革新的であるか、これまでアートに触れなかった人たちに出会わせる機会になるかということです。
サイトスペシフィック作品は比較的資金が少なくてすみます。ビジュアルアーツのサイトスペシフィックの例ですが、シアトルのスーザン・ロブの作品は僅か200ドルでした。ゴミ袋に使われるようなビニールで作られた高さ50フィートの作品で、自然環境の変化でダイナミックに形を変える大変素晴しいものでした。この作品のように、天井も壁もない空間での創造には大きな可能性があると考えています。
*「Site-Specific King County Performance Network」では、4Cultureはプロジェクトを実現するために必要なローカル・オーガニゼーションとのパートナーシップづくりをサポートした上で、1万5,000ドルまで資金援助する。
4Cultureの支援は、基本的にはキング郡に在住する団体や個人が対象ですが、今年初めて私たち日本の「Offsite Dance Project」による山下残と 鈴木ユキオ のレジデンシーをサポートしてくださいました。海外のアーティストを支援することにした理由、また期待することはなんでしょう?
 Offsite Dance Projectはサイトスペシフィックのすぐれた実績があって、私たちとエキサイティングな関係を築けると思ったからです。キング郡のアーティストとアーツオーガニゼーションにフォーカスした仕事を長年続けていると、他の場所で何が起こっているかを知ることが難しくなってきます。私たちアドミニストレーターの仕事は常にオープンであるべきなのに、ともすれば自分の仕事の中に制約ができてしまう。つまり枠・箱が出来てそこから抜けられなくなってしまうのです。それで時々そこから飛び出して何かに気づく必要があります。Offsiteのプロジェクトは、シアトルのダンス拠点Velocity Dance CenterやTBAフェスティバルを主催するポートランドのPICAといった北西地区のアーツオーガニゼーションとのパートナーシップが前提となっていて、日本人の振付家と地元アーティストとのコラボレーションが行われるなど、キング郡のアーツ・コミュニティに新たな刺激をもたらすのではないかと考えました。
お陰で、山下残は3週間、鈴木ユキオは1週間、Velocityでシアトルのアーティストとクリエーションし、TBAフェスティバルでサイトスペシフィックのプロジェクトを実現することができました。また、地元の振付家が参加するワークショップと公演、小学校でのアウトリーチプログラムも実施できて、4Cultureの助成をシアトルのコミュニティにも還元できたと思います。
 それは本当によかった。今回は、最初の一歩の支援と考えています。今後を期待しています。
ラスバンさんは20数年キング郡のアートシーンを見てこられました。率直なところ、現在のパフォーミングアーツの状況をどのように考えていますか?
 90年代以降は成長の質が変わったと感じるようになりました。それは、ハイテク産業が盛んになり、法律的・政治的・経営的な面に長けた、文化的にも意識の高い人たちの人口が増えたにもかかわらず、芸術は逆に「箱」の中に閉じこもってしまったという感じがしています。ある特定の場所に集まって観るというスタイルから脱することができなくて、広い意味で市民に繋がっていくものが欠けているのではないか、創造的に発展させ育成する方法を見失っているのではないか、と感じています。
先ほど「箱」と言いましたが、それは劇場というハコを指すのではなく、これまでキング郡のパフォーミングアーツの関係者がつくり上げてきたトラディショナルなアートの形式やフォームに収まっているという意味です。現代のメディアに煽られた私たちの文化は二次元的な刺激で満たされています。ですから、一般的な劇場施設は、この受動的な観客の関係と似たような状況を示しているように思います。劇場の舞台は三次元的な空間ですが、これからは舞台と客席という関係をもつ劇場から抜け出して、そのバリアを越えて、新たな三次元の芸術環境を提示する必要があると考えています
既存の枠に囚われているという現状認識は、他のパフォーミングアーツの関係者も共有しているのですか?
 誰もが変化を求めてはいると思いますが、打ち破るものが生まれていないという状況です。ですが、その変化は起こっていると確信しています。組織やアーティスト、アートやパブリックがそれぞれの枠を破ろうとすればするほど、その変化はより早く、より現実のものとして起こり、人々は可能性を見い出していくでしょう。そして、その可能性や想像力が増すごとに、実際に活動となって新しい方向へと踏み出すことになるでしょう。
新しい方向を示す具体的なプログラムがあれば教えてください。また、キング郡全体で、同じような変革の兆しは見えるでしょうか?
 先ほどお話しした「Site-Specific King County Performance Network」は、そのひとつです。また、2010年には新たに「Storefronts Seattle」というプロジェクトを開始しました。これは、シアトル市とビジネスカンパニーや地域のコミュニティとパートナーシップを組み、ダウンタウンの空き店舗をアートスペースとして活用するというものです。アートのインスタレーションやパフォーマンスを行ったり、稽古場としても使っています。アーティストにはスペースの提供ができますし、デベロッパーは家賃などの現金収入にはならないけど人を集める効果があり、プロジェクトとしては大きな意味があります。10年前には考えられないことでしたが、何か新しいことにトライしてみようとするアーティストやコミュニティが育ってきたこの現状は、新しい時代の変化だと感じています。
キング郡の動きとしては、数字から読み取ることができます。アーティストが増えて、財政支援する市民も増えています。また、4Cultureがパートナーシップを組んでいるすべてのアーツコミッションについても、これまでは誰もが同じものを欲しがっている時期が長く続いていましたが、ここにきて、それぞれの地域や環境ならではの独自の作品を要望するコミッションが増えてきました。幾つかの市ではリスクがあっても面白いこと、ユニークなことをやっていこうという意識が高まっていて、地元のデベロッパーや企業家と共にその動きを推進しています。
例えば、マイクロソフト社の本社があるレドモンド市のアーツコミッションでは、隣のベルビュー市と本市を結ぶ道路を使ってハイテクデザイナーとアーティストが共同で新しいメディアアートをつくろうという動きが出ています。また、ビューディアン市のアーツコミッションがサポートしている「B/IAS」というプロジェクトがあります。これは、未開発の巨大な駐車場を1年使用する権利をもらい、地元のアーティストが巨大な彫刻庭園をつくるというイベントを行いました。これも一般市民やアーティストが昔に比べてオープンになってきた一例だと思います。
確かにシアトルの若いアーティストと話していると、今週は公園のパフォーマンス、クラブのショー、スタジオの実験パフォーマンス、今度は映画館という具合で、シアターワークとは別に低予算で気軽にいろいろなことにチャレンジしている様子が伺えます。
 アーティストが自ら仲間と一緒にさまざまな機会を探しています。4Cultureが彼らにチャンスを提供することに大きな意味があると考えています。この10年間で新しい世代のアーティストも育ち、助成に頼らず、自分たちでつくり上げようとする変化が見られるようになりました。重要なことは、アーティスト自身がコミュニティをもっていて、それが発展している点です。
アーティストというのは人一倍自分たちの想像力を実現させる力があり、人を引き寄せる魅力があり、フレキシブルに対応できる人たちです、だからこそその力を押しとどめてしまうことが一番危険なことです。アーティストがコミュニティに入り込んで正直な感性や思いや行動が出てくることで、新しいコラボレーション、コミュニケーション、パートナーシップを生み出す可能性があります。
4Cultureの強みの一つは、ただ「NO」と言うことがない、ということだと思います。必ず方法はあるはずだから、なるべく「YES」と言おうとします。それは、答えは一つではなく、可能性はいろいろあって、すべては可能であるという信念があるからです。ですから、作品のゴールと同じくらい「クリエイティブなプロセス」を重視し、サポートしたいと考えています。
「チャーリーはいつも“We can do it!”だから勇気づけられる」とアーティスト仲間では評判です(笑)。それは、4Cultureのフィロソフィーでもあるのですか?
 アートに関わる人間は、芸術的なパーソナリティやビジョンより、確実なマネジメントがなされていることを重視しすぎる傾向があると、時に思うのです。アーティストもアーツ・オーガニゼーションも、自分なりのアプローチやメソッドをもっています。私たちアドミニストレーターにとって大事なことは、異なる個性を支援できるということです。個々のパーソナリティーは、(社会の)均衡を保つ上でも重要な役割をもち、潜在的な力を発揮するということを認識するべきで、そのことは簡単ではないけれど、最良の芸術が生まれるのに役立ちます。
芸術が発展するには、教育施設が必要だし、大きな団体だけではなく小さくて若い組織も必要、作品を創るためには資金や支援、場所、そして滞在する場所も必要です。それらが全部必要で、多くの人々がそのことを強く望まなければ、良い方向に社会を変革することはできません。それがすべての分野で起きるようにサポートするのが、私の仕事でもあり、私たち4Cultureの仕事です。

4Culture

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E-mail:
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URL:
https://www.4culture.org/

『Seven Uneven 1987』
ラスバン氏がコーディネートしたKCACが1987年に行ったフェスティバルにて、パット・グラニーが発表したサイトスペシフィックのダンス作品。
Photo: Thomas Gourley
http://www.patgraney.org/performances

The IKEA Cycle: Tiny Domestic Dramas
4Cultureのサイトスペシフィックの助成により、2005年9月Renton市のIKEA店内で行われたプロジェクト。その後、IKEAとアーティストのパートナーシップで、同店での再演、子ども向けの新作、他都市の店舗でも上演され、継続的なプロジェクトに発展した。
Photo: Bootsy Holler

シアトルの現代美術家、Susan Robbのビニールで作られたインスタレーション

Moore Theatre Site Specific 2009「Inside Out」
4Cultureのサイトスペシフィック助成プログラムより。キング郡のメジャーなアーツオーガニゼーションのひとつ、Seattle Theatre Groupが行ったコミュニティプログラム。Free Sheep Foundationのキュレーションにより、50を超える気鋭の美術家やパフォーマーが、1907年に建てられたMoore Theatreの建物全体でサイトスペシフィックワークを展開した。
Photo: D.K. Pan
https://www.stgpresents.org/

City Meditation Crew 2010『Radiant Silver Circle』
シアトル市と公園内の公共のアクティビティを統括する「Seattle Parks & Recreation」とのパートナーシップで、2009年より開始したサイトスペシフィックの助成プログラム「artSparks」より。市内中心部の3つの公園における無料イベントが対象。時間に追われている現代社会に沈思黙考をもたらすAnne Beffelのプロジェクト。
Photo: Joel Sackett

山下残ワークショップ
2010年9月、4Cultureの助成で滞在した山下残がシアトルのダンサーEzra Dickinsonとともに、シアトルのJohn Stanford International Schoolで行った全校生徒対象のパフォーマンス。同校はシアトルの公立小学校として初めて外国語のカリキュラムを開設。日本語を学ぶ4〜5年生に日本語でワークショップを行った。シアトル市の助成(Seattle Mayor’s Office of Arts and Cultural Affairs)を得て実施された。

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