佐東範一

日本のコンテンポラリーダンスの情報源
アートNPOの草分けJCDNの活動とは?

2005.10.22
佐東範一

佐東範一Norikazu Sato

ジャパン・コンテンポラリー・ダンス・ネットワーク(JCDN) 代表
日本では、1998年に「特定非営利活動促進法」が施行されたのを機に、芸術文化の領域でもNPO法人が設立され、様々な活動を行うようになってきた。そうしたNPO法人の代表的存在であり、2001年に設立されて以来、コンテンポラリーダンスの領域において情報発信や全国巡回公演のシステムを立ち上げるなど、重要な役割を担っているのが「ジャパン・コンテンポラリー・ダンス・ネットワーク(JCDN)」である。

「社会とダンスの接点をつくる」をミッションに掲げたJCDNの活動について、代表の佐東範一氏に聞いた。
聞き手:土屋典子
なぜ、JCDNの設立を思い立ったのですか?
私は1980年から1994年までの15年間、舞踏手兼制作者として京都の舞踏カンパニー、白虎社に所属していました。1994年にグループが解散したのですが、その後の2年間、舞台とは全く関係のないところで仕事をした。そのときに初めて一般の人たちが芸術、とくにダンスと全くかけ離れたところで生活をしていることを実感しました。
その後、知人の紹介でニューヨークのNPO「ダンス・シアター・ワークショップ(DTW)」に出会い、1年間ですが、DTWの部署のひとつ「ナショナル・パフォーマンス・ネットワーク(NPN)」のインターンとして働きました。そこで彼らが「社会とダンスを繋げる様々な方法をいかに生み出していくか」「ダンスを社会の中でどう広げていくか」という視点で、ワークショップなど様々な取り組みを行っていることを知りました。私がカンパニーにいたときは、社会からは外れた存在という認識で、社会と繋がるというよりは、自分たちの表現をいかに社会に認めさせるかに躍起になっていた。そうではなくて、「ダンスは社会にとって有意義である」という発想があることを知り、本当に驚きました。それだけではなく、実際に社会とアクセスする方法論を彼らは持っていた。
ビザが下りなくて97年に帰国する際に、あるダンスの国際プロジェクトに関わったんですが、そこで日本国内のアーティストや制作者、批評家などいろいろなダンス関係者と改めて接した。そうしたら日本のコンテンポラリーダンスには、発表する場も、お客も、情報も少なく、助成金も少ないというないないづくしだということを会う人会う人が言っていた。
でも当時は、伊藤キムさんや山崎広太さんなどの新しい才能が出てきていた時期で、コンテンポラリーダンスの新しいムーブメントが起こっていた。また、ダンスのアーティストを育てて、活動をサポートし、情報を発信している小さなスペースも生まれていました。東京のセッションハウス、横浜のSTスポット、大阪トリイホール(ダンスプログラム終了、現在ダンスボックスに移行)などです。こういうダンスに詳しいディレクターがいて、プログラムを作っているところがあるのだから、NPNで体験したネットワークの発想が今の日本には必要なんじゃないかなと感じました。
それでJCDNの準備室を設立し、セゾン文化財団の助成を受けて、まず全国の状況を調査しようと各地のダンス関係者に会って話を聞きました。その後、東京でJCDNの活動について話し合うミーティングを企画したんですが、30人ぐらいしか集まらないと思っていたら、全国から120人も集まってくれた。これならやれるんじゃないかと、手応えを感じました。
その話し合いを踏まえてJCDNの活動内容が明確になっていった?
そうです。それで「社会とダンスの接点をつくる」ことをミッションにして、「全国巡回公演のシステムづくり」「アーティストへの制作サポート」「海外とのネットワークづくり」「ダンスに関する情報のオープン化」「情報交換の場づくり」「調査研究・普及活動」を並行して行いながら、これらの活動を相互に作用させてダンスを取り巻く環境を整備していこうと決心しました。
なぜ「社会との接点」をミッションにしたかというと、日本は戦後、経済的には発展したかもしれないが、芸術的なことを排除してきたのではないか、という問題意識があったからです。97年に神戸で日本中を震撼させた、中学生が小学生を殺傷した「酒鬼薔薇事件」が起こり、それをニューヨークで知ったときには本当にショックでした。日本という国はここまで来てしまったのか、競争社会の結果のような気がして、これまで芸術が何か世の中のはずれものか、ぜいたく品のように思われてきたけど、これから日本を救うのは芸術なんじゃないかと真剣に思いました。その思いが原点になっているような気がします。
ダンスは言葉や道具を使わずに、自分自身の身体を使って表現しコミュニケーションする、他の芸術にはない特徴を持っています。“自分を見つめる力”“自己表現力”“他者との関係性を創る力”、これらがダンスを形づくっています。これらの力は人間が生きていく上で不可欠な“生命力”であり、現代社会ではこの生命力が希薄になっているのではないか。それならば、ダンスの持っている力を社会の中で活かしていくことこそが我々の使命なのではないか、と考えました。
事業の内容を教えてください。
柱は、JCDNの会員になっているアーティストや関係者の具体的な情報を網羅した冊子「JCDNダンスファイル」の制作・発行、コンテンポラリーダンスのアーティストが全国のパフォーマンススペースを巡回する「踊りに行くぜ!!」の企画・制作・主催、それと海外とのネットワークづくりです。
冊子は年1回発行していますが、2003年には61組のアーティストの動画を1分ずつ収録したCD-ROM版を初めて発行しました。また、ウェブサイトの運営と、公演チケットのオンライン予約サービスも行っています。2000年にスタートした「踊りに行くぜ!!」は、地元以外の場所でアーティストが公演する機会を提供し、新しい観客との出会いによってアーティストも観客も育っていくことで新しいムーブメントを生み出すことを目的にしています。2004年には全国14カ所のアートスペースで23組のアーティストが公演を行いました。今年は18カ所、43組以上のアーティストが参加しています。冊子やインターネットで情報を発信することも必要ですが、実際に人が動くことで確実に何かが生まれるし、それが一番力強いことだと思っています。
その他、コンテンポラリーダンスに特化したNPOとして、日本各地で行われているダンスプログラムのコーディネートにも携っています。公立ホールや地域の文化振興財団がアートNPOと協働するようになったのに加え、ダンスの企画についても鑑賞事業だけでなく、もう少し突っ込んだ企画を立てたいというところが出てきました。ワークショップについての認知も広がってきたので、アーティストを派遣して地元のアーティストや市民を対象にしたワークショップをコーディネートしたり、制作セミナーなども行っています。それから、各地でのダンスプログラムのコーディネート事業を行っています。
こうした事業を実施する資金は、文化庁などの公的な助成と企業からの協賛金が主で全体の6〜7割を占めています。その他、コーディネート事業の委託料が2割、活動を支援する会員(法人、カンパニーは1として数えて、現在287)からの会費とチケット売上などが1割です。スタッフはフルタイムで5人が常駐していますが、正直、大変です(笑)。
「踊りに行くぜ!!」に参加するアーティストはどのように選んでいるのですか?
各地でアーティスト選考会をやっています。今年は9カ所で行いました。ただし、東京については応募者が多いので推薦制度をつくって対応しています。それ以外に、ビデオテープによる公募と、「踊りにいくぜ!!」に参加実績のあるアーティストへの依頼等により、出演者を決定します。それで、10月〜12月の開催期間中のスケジュールを確認し、各地の主催者に対して出演者のビデオとスケジュールを送付し、最終的に主催者側のリクエストを聞いて最終決定します。
事業が始まって6年目になりますが、影響は?
世界的に著名になったグループは別にして、これまでほとんどのアーティストが自分の地元でしか公演できなかったわけで、それがこの「踊りに行くぜ!!」のシステムに載れば全国巡回公演できるようになった。日本のどこで活動していても全国に出られるようになり、新しい観客や批評家の評価を受けられ、どこにいてもダンスにアプローチできる環境が生まれたことはアーティストにとってとても大きな励みになっていると感じています。
また、このシステムでは出演者に少しですがギャラを支払っています。今まではアーティストが金銭的な負担をして、自分の身内にパフォーマンスを見せていたためとてもプロとは言えなかったけれど、ギャラを受け取り、小さなスペースかもしれませんが批評的な観客のいるところで踊ることでアーティストの意識は明らかに変わってきたと思います。
海外との共同事業も行っていますよね。
ええ。2002年度から隔年で「日米振付家交換レジデンシープロジェクト」を実施しています。これは、ニューヨークのジャパン・ソサエティとダンス・シアター・ワークショップ、フィラデルフィアのペインテッドブライド・アートセンターなどとの共同事業として始めたものです。アメリカと日本のアーティストが一緒に両国の各地域1週間程度滞在して、アーティスト同士が交流を深めるとともに、その地域のダンスコミュニティとも交流を図るというプロジェクトです。2004年度はボストン、フィラデルフィア、ニューヨーク、東京、大阪から一人ずつアーティストを選んで、その5人がボストン、フィラデルフィア、ニューヨーク、京都、松山の5カ所を回りました。
ニューヨークには様々な日本のアーティストがやって来ますが、どこで公演をするにしても、ホテルと劇場の往復だけで、ニューヨークのコミュニティに出合うことなく帰ってしまう。そうではなくて、異なる文化に触れて、アーティストがもっと刺激を受けられるような仕組みがつくれないか、と考えました。公演はある完成されたものを提示するものですが、そうではなく、何かが生まれていく、その根の部分をつくりたいと思ったんです。
このプロジェクトでは、各地のオーガナイザーとも知り合えるし、アーティスト同士の関係も生まれる。各地のアーティストがホスト役になってくれるので、新しい人脈や関係性を育むことが出来ます。実際、2004年度の参加アーティスト同士が作品の共同制作をするという成果も生まれています。これをアジアはじめ、様々な国でやりたいと思っています。
それから今オーストラリアとの「エクスチェンジ・プロジェクト」を準備中です。アデレードの見本市で、オーストラリアのアーティストやオーガナイザーと知り合ったのがきっかけで、2006年の日豪友好年に併せてレジデンスをしながら一緒に作品づくりができないか検討しています。コンテンポラリーダンスがまだまだ社会の中で浸透していないなど、オーストラリアと日本の状況が似ているのも理由のひとつです。
そのほか、調査研究として、今年からイギリス・プロジェクトを立ち上げています。イギリスは国がかなりダンスに力を入れていて、ナショナル・ダンス・エージェンシーという国の機関が全土に9つもある。そこがアーティストの育成とコミュニティの中で行うダンス活動を展開していて、例えば、障害者や登校拒否児などを対象にしたワークショップなど、コミュニティ・ダンスの事業を年間計7万件もやっているそうです。こうした取り組みは、日本の公立ホールの参考にもなるので、できれば1冊の本にまとめたいと思っています。
日本のコンテンポラリーダンスを海外はどう評価しているのでしょうか。
とても注目されているのではないでしょうか。新しい身体表現をつくりだした舞踏の流れが背景にありながら、80年代以降たくさん来日したヨーロッパやアメリカのダンスの影響がクロスし、極めてバラエティ豊かなダンサーを輩出しています。その多様性が注目されていますが、まだまだ層が薄いのが現状です。
5月にソウルで初めて大規模な舞踏フェスティバルが開催されました。そのプログラムの一環として日本のコンテンポラリーダンスを紹介する「Contemporary Dance Exchange」が企画され、佐東さんが日本側のディレクションを担当されました。
若手の中に、日本の中でしか生まれ得ないダンスというものが確実に出て来ていると思います。今回は、8組の全く違うタイプのアーティスト(近藤良平&野和田恵里花、山下残&納谷衣美、森下真樹、身体表現サークル、三浦宏之、ほうほう堂、黒沢美香、鹿島聖子&杉本亮子)を韓国と相談して選びました。
韓国では大学の中に舞踊科があり、体系的な指導が行われています。しかし、日本のコンテンポラリーダンスは様々なところから生まれてきているので、全く違う表現形態が同じ線上に並んでいる状態で、だからこそ可能性を感じます。これだけバラエティに富んだダンスが同時代に生まれ出ているのは、世界にも例がないと思います。
ただ、次の世代がなかなか育ちにくい状況だな、という感じもします。今までは、例えば一度は舞踏のカンパニーなどに所属して、徹底的な訓練や身体表現を突き詰めていくことを学び、育っていく人がいた。でも、今の日本のコンテンポラリーダンスは、アイデア段階で「面白い」という評価を得ても、それを次の段階、作品にもっていけるだけの基礎体力が少ない人が多いように思えます。それは鍛えられる場が少ないからです。将来のことを考えた時、ある種の振付家養成学校のような専門の教育機関をもたないと、日本のダンスは発展していかないかもしれません。
社会とダンスの接点がいくら出来ても、そこに素晴らしいアーティストが継続的に生まれていくような環境がないと話にならないことは事実です。
「踊りに行くぜ!!」に応募してくる人たちの中に次の世代がいるのではありませんか?
そう思ってこのプロジェクトを行っています。この層がどんどん厚くなってきたら、もう少し違う展開が生まれるかもしれません。後5年したら、「踊りに行くぜ!!」が、30カ所、あるいは全都道府県47カ所でやれるようになるかもしれない。そうしたらきっと変わると思います。
コンテンポラリーダンスが直面している課題がありますか?
日本のダンス作品は、すでに発表されているCDに収録された既存の曲を使うことが多いんです。実は「踊りに行くぜ!!2001」を収録した「JCDNダンスDVDシリーズ」第1弾を今年初めて発売したのですが、企画してから3年もかかってしまった。それは、オリジナル曲を使っていないために音楽著作権が問題になったことが原因です。振付家の音楽著作権に対する問題意識が日本の場合ちょっと甘いんです。そこで、ダンスとコラボレーションしたいと思っている音楽家のリストを作成し、サイトで出会う仕組みをつくろうかなと、今考えています。それによってもう少しオリジナル曲による作品づくりが増えていけばと……。
今後もDVDは発行する予定ですか?
できればコンスタントに発行したいですね。公演を見てもらうことができなくても、例えば書店にDVD シリーズが10巻ぐらい並んでいればコンテンポラリーダンスを多くの人に認知してもらえるし、映像を見て公演に行く人もいる。つまり、ダンスに関しては絶対的に情報量が少ないんです。これからすそ野を広げていくためには、情報の出し方、量を増やしていく工夫が必要不可欠です。
それでこの11月から動画サイトを立ち上げて、映像での情報配信をスタートさせます。今、JCDNのチケット予約サイトの登録者数は2,000人近いのですが、無名の人たちの集客力はどうしても弱い。映像を見てもらうことで少しでも集客に繋がればと思っています。
社会との接点をつくるということに関して、今どの段階まで来ていると思いますか。
様々な地域で一般の人や障害者などを対象にしたワークショップが行われるようになったり、学校を対象にしたプロジェクトも企画されるなど、いろいろな「点」が生まれてきています。ただ、その「点」が、まだまだ単発だし、個人のエネルギーに頼っていることが多い。蝋燭の火みたいなもので、それが絶えてしまうと終わってしまう。その「点」を拡大していく方法があるのか、継続していける方法があるのか、というのが今の課題だと思います。
資金的にも助成金に頼っているため、毎年、申請する必要がありますし、それが通らなければ事業は継続できない。ただ、大きな流れ、機運としては、ダンスの必要性が高まっていること、それを感じている人は多いというところにきていると思います。
その流れを定着させるには、アーティストが地域や学校でのワークショップをすることで、お金を稼げるような仕組みを作ることです。作品をつくるだけではなく、社会の中で自らの力を生かせるようになれば状況はものすごく変わると思います。10年前は日本のアーティスト側にそういう発想が全くありませんでした、それは社会からも望まれていなかった言うことなのかもしれませんが、今は確実に意識が変わってきている。どこまでいけるかわかりませんが、芽は間違いなく出ていますし、JCDNのスタート時より確実に状況は変わってきています。

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