国際交流基金 The Japan Foundation Performing Arts Network Japan

New Plays 日本の新作戯曲

2022.3.21
未練の幽霊と怪物

Unfulfilled Ghost and Monster

Toshiki Okada

未練の幽霊と怪物
岡田利規

夢幻能の形式を借りた「挫波」「敦賀」からなる作品。「挫波」では建築家ザハ・ハディドが、「敦賀」では核燃料サイクル政策が亡霊として登場する。当初、2020年6・7月に予定されていた公演はコロナ禍の影響で延期となり、リモートで行なわれた稽古の成果として戯曲の中盤までが『「未練の幽霊と怪物」の上演の幽霊』としてオンラインで公開された。21年6月に1年越しに公演が実現。第72回読売文学賞(戯曲・シナリオ賞)、第25回鶴屋南北戯曲賞を受賞。

未練の幽霊と怪物

KAAT神奈川芸術劇場プロデュース『未練の幽霊と怪物─「挫波」「敦賀」─』
(2021年6月5日(土)〜6月26日(土)/KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ)
企画製作:KAAT神奈川芸術劇場
作・演出:岡田利規
音楽監督・演奏:内橋和久
能「挫波』出演:太田信吾、森山未來、片桐はいり
能「敦賀」出演:栗原類、石橋静河、片桐はいり
歌手:七尾旅人
撮影:高野ユリカ/Yurika Kono

Data : [初演年]2022年

夢幻能の形式を借りた「挫波」「敦賀」からなる作品。「挫波」では建築家ザハ・ハディドが、「敦賀」では核燃料サイクル政策が亡霊として登場する。当初、2020年6・7月に予定されていた公演はコロナ禍の影響で延期となり、リモートで行なわれた稽古の成果として戯曲の中盤までが『「未練の幽霊と怪物」の上演の幽霊』としてオンラインで公開された。21年6月に1年越しに公演が実現。第72回読売文学賞(戯曲・シナリオ賞)、第25回鶴屋南北戯曲賞を受賞。

●能「挫波」

夢幻能の形式に基づき、日本の建築家(前シテ)、観光客(ワキ)、近所の人(アイ)、ザハ・ハディド(後シテ)が配されている。また、謡にあたる歌手も語りを担う。

2018年。建設中の新国立競技場の工事現場を観光客が訪れる。観光客は競技場の周囲を散策しながら一周しようとするが、その距離は思ったより長く、東京体育館との間にかかる陸橋の欄干にもたれて休憩する。

観光客はそこで工事現場を一心に見つめる人物を見かけ、不審に思い声を掛ける。その人物はそこに建つはずだったザハのデザインによるスタジアムを思い浮かべているのだという。観光客が、ザハ案はデザインの評判が悪く、コストも高かったために白紙撤回されたのではなかったかと問うと、その人物は、あなたもあの建築と建築家に向けられた悪意あるキャンペーンに乗せられた一人なのだと返す。

コンペティションでは彼女が描いた未来的なビジョンが勝利したにも関わらず、私たちは約束を反故にし、騒動の責任を転嫁して追い出した。気の強そうな外国人の女の建築家であれば約束を破っても構わないと思っていたんだろうと言う。

観光客は、今はもう新しい競技場をめぐる騒動も落ち着いて工事も進み、再来年のオリンピックが無事に開催されるのを待つばかりなのに、なぜそうこだわるのかと問う。その人物は自身も建築家であることを明かし、完成していたはずのスタジアムに未練があるのだと言う。

「よってたかってザハを叩いた」と観光客と建築家がともに語り出す。歌手が「問題の本質を見ないで/議論をろくにしないで/彼女をスケープゴートにして」と歌いはじめる。「流れには逆らえなかった」「みんななにもかも忘れてしまっても/後悔をし続けていよう」「決して建つことのない未練のスタジアムが」「そこにゼロとして建っている」と歌う。

歌が終わるとともに建築家の男は去る。

観光客が、この近所に住んでいる人はいないかとあたりに問いかけると近所の人が現れる。どうやらウォーキングの最中らしい。観光客は近所の人に対し、これまでのいきさつを説明し、建築家を見たことはないかと問う。近所の人も確かにいたと言い、その建築家は私たちがザハを殺したと考えているのだという。

ザハ案のデザインもオリンピックの招致に貢献したはずなのに、白紙撤回するなんてあんまりだ。コストが膨らんだの発注サイドの設計要件やコスト管理に因るところが大きいのに、その混乱を受注サイドのザハに押し付け、世の中の雰囲気もそれに追従した。システム全体が、責任を負わない社会がザハを殺した。

完成すると上から見たときに数字のゼロの形になっている新国立競技場は、ゼロ・ベースにされたザハとそのデザインを忘れないための巨大な碑なのだ、と。

語り終えた近所の人は去る。

風が強くなるなか、観光客が巨大な碑として改めて工事中の新国立劇場を眺めていると、ザハが現れる。ザハは自らがスタジアムのデザインに込めたイメージを語り、歌手も唱和する。

重なり合うレイヤー/世界の複合性の反映/現実を導く道標/蒼穹と呼応する反転した竜骨。無数の線の錯綜が境界を取り払い、構造と景観、都市計画、その全てが溶け合い同じ要素のままとなる。複雑さを複雑さのまま具現化した形。

それはコンピューターや三次元モデリングが動きやエネルギーを建築へと翻訳したもので、東京を動かす刺激なのだ。陰鬱な空気に絡め取られていく世界には活気を、未来を信じることのできるフィクションが必要なのだ。そのフィクションは流線型の携帯で宇宙から東京の千駄ヶ谷に舞い降りる。それは都市に、惑星に力を与える。

そしてザハのスタジアムから力を得た東京は、不確定性の高まる世界を生き延びるビジョンのひとつとなるのだ──。

そう語るとザハは去り、そして観光客も去る。

●能「敦賀」

波打ち際の女(前シテ)、旅行者(ワキ)、近所の人(アイ)、核燃料サイクル政策の亡霊(後シテ)。また、謡にあたる歌手も語りを担う。
9月。旅行者が福井県の日本海沿いの道で車を走らせている。やがて目的地である敦賀市の白木海岸に着く。漁港もあるそこからは、廃炉作業が進行中の高速増殖炉もんじゅが見える。旅行者は人気のないその海岸で海や空、もんじゅを眺めて過ごすことに決める。

誰もいなかったはずの海岸の波打ち際に女がいる。旅行者は海や空を見ているのかと問うが、女はいいえと答える。旅行者がここはいい景色だが、もんじゅの建屋が水を差していると言うと、女は見た目だけあげつらい、そんな心ないことを言うなんてと旅行者を責める。

女と歌手が唱和する。

あの白い建物は増殖する原子力の夢を結ぶはずだった。エネルギーが永遠に枯渇しないプルトニウムの夢は叶えられなかった。もう目を覚さなければならないことはわかっているが、もう少し微睡んでいたい。告げられた終わりに従うしかないことはわかっているが、どうしたらいいかわからない。だから夢と現の波打ち際で逡巡している、と。

旅行者が女にもんじゅとの関係を問うと、再び女と歌手が唱和する。

最初は夢の原子炉として期待された。ウランの原子核に中性子を高速で当たるとプルトニウムが増殖する。だがそれは人類の手には負えない無理難題だった。それでもニッポンの技術をもってすればと夢見ることを強いられた。

試験運転開始から3ヶ月余りたった1995年。液体ナトリウムの流れる管に裂け目が生じ、空気と水に反応したナトリウムが燃え上がり、コンクリートの床に穴を空けた。安全神話に取り返しのつかない穴が空いた。20年余り稼働を停止したもんじゅはそのまま廃炉となった。

私はもんじゅの化身なのだ。成し遂げるはずだった夢への未練と放射性廃棄物を遺して廃炉になるこの悔しさをどうしたらよいのか。

歌が終わると波打ち際の女は去る。

近所の人が現れる。旅行者はその人にあなたが地元の人なら訊きたいことがあると、「もんじゅ」と言いかけるが、近所の人は余所の人に話すことは何もないと頑なになる。

もんじゅについて聞こうとする余所の人は大抵はぶしつけであり、地元の状況への想像力がない。夢見ることへの理解がない。過疎化していく敦賀半島の起死回生の夢は、世界の夢でもあった。エネルギー問題を解決することは世界に感謝されることであり、そのような夢を見ることが余所者の目線、現在からの価値観だけで判断されるべきではないのではないか。

今さら夢から覚めてどうしろというのか。過ぎた30年の責任は誰にも取れないし、誰も取っていない。かつての夢は、いつの間にか誰か偉い人間の立場やメンツを守るための都合のいい言葉として使われていたのかもしれない。

そう言うと近所の人は去る。いつしか日が暮れようとしている。

そこに核燃料サイクル政策の亡霊が現れ、歌手と唱和する。

あかつきの名を持つ輸送船がフランス製のプルトニウムを運んでくる。その道行は歓迎されなかった。反対されてパナマ運河は通れず、希望峰を回った。マラッカ海峡も通れず、オーストラリアの南を回った。迂回を重ねて東海村に寄り、しかし核燃料サイクルはいまだに回っていない。

はじまる気配のないまま終わりの気配が訪れる。敦賀半島の未来の夢、平和のための原子力の夢、エネルギーのために争う人類の負の歴史に終止符を打つ夢は潰えていく。いくつもの夢が合わさり手に負えない化け物となる。

生まれることなくゾンビとなった核燃料サイクルという化け物。消えてしまいたいという願いさえ叶わない。放射能は十万年残り続け、潮騒だけが寄り添うだろう──。

語り終えると核燃料サイクル政策の亡霊は去り、そして旅行者も去る。

Profile

1973年横浜生まれ、熊本在住。演劇作家、小説家。チェルフィッチュを主宰し、作・演出を手がける。2005年に『三月の5日間』で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。以降、その活動は国内外で高い注目を集め続けている。2008年、小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』で第二回大江健三郎賞受賞。2016年よりミュンヘン・カンマーシュピーレ劇場のレパートリー作品の演出を4シーズンにわたって務め、2020年には『The Vacuum Cleaner』がベルリン演劇祭の“注目すべき10作品”に選出。タイの小説家ウティット・へーマムーンの原作を舞台化した『プラータナー:憑依のポートレート』で2020年第27回読売演劇大賞 選考委員特別賞を受賞。2021年には『夕鶴』でオペラの演出を初めて手がけるなど、現在も活動の幅を広げ続けている。

チェルフィッチュ公式サイト
https://chelfitsch.net/