谷賢一

従軍中のウィトゲンシュタインが(略)

2016.03.29
谷賢一

谷賢一Kenichi Tani

作家・演出家・翻訳家。1982年、福島県生まれ、千葉県柏市育ち。DULL-COLORED POP主宰。明治大学演劇学専攻、ならびにイギリスUniversity of Kent at Canterbury, Theatre and Drama Studyにて演劇学を学んだ後、劇団を旗揚げ。「斬新な手法と古典的な素養の幸せな合体」(永井愛)と評されるポップでロックで文学的な創作スタイルにより、小劇場から商業演劇まで幅広く評価されている。『最後の精神分析』(2013年)の翻訳・演出により第6回小田島雄志翻訳戯曲賞、ならびに文化庁芸術祭優秀賞を受賞。また多数の海外演出家作品に翻訳・上演台本・演出補として参加。シルヴィウ・プルカレーテ演出『リチャード三世』、フィリップ・ドゥクフレ『わたしは真悟』、シディ・ラルビ・シェルカウイ演出『PLUTO』、デヴィッド・ルヴォー演出『ETERNAL CHIKAMATSU』など。近年の代表作は、KAAT『三文オペラ』(翻訳・上演台本・演出)、東京芸術劇場『エブリ・ブリリアント・シング』(翻訳・演出)、DULL-COLORED POP『福島三部作』(作・演出)など多数。「福島三部作」(『1961年:夜に昇る太陽』『1986年:メビウスの輪』『2011年:語られたがる言葉たち』)で第64回岸田國士戯曲賞受賞。第二部の『1986年:メビウスの輪』で第23回鶴屋南北戯曲賞受賞。

DULL-COLORED POP
https://www.dcpop.org/

 谷が主宰するユニット「Théâtre des Annales」(テアトル・ド・アナール)に書き下ろし、2013年に初演、15、16年再演された作品。第一次世界大戦に志願し、従軍した哲学者のルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが、死と隣りあわせの前線で、主著『論理哲学論考』に至る思索と生の意味を探る姿を描く。正式タイトルは、『従軍中の若き哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインがブルシーロフ攻勢の夜に弾丸の雨降り注ぐ哨戒塔の上で辿り着いた最後の一行──およそ語り得るものについては明晰に語られ得る/しかし語り得ぬことについて人は沈黙せねばならないという言葉により何を殺し何を生きようと祈ったのか? という語り得ずただ示されるのみの事実にまつわる物語』。
谷賢一『従軍中のウィトゲンシュタインが(略)』

Théâtre des Annales vol.4『従軍中のウィトゲンシュタインが(略)』
(2015年10月15日〜27日/こまばアゴラ劇場) 写真提供:テアトル・ド・アナール

Data :
[初演年]2013年
[キャスト]5人(男5)

 第一次世界大戦、東部戦線の前線。兵士達の宿舎が舞台。ルートヴィヒは友人ビンセントに手紙を書いている。彼にとっての「仕事」=哲学は一向に進まない。世界についての考察、東部戦線の戦況、どちらもはっきりしない。

 そこに、イングランドにいる〜ここには存在しないはずの〜ビンセントが現れる。ルートヴィヒは、愛について、論理について、言葉について、ビンセントと会話する。

 同じ小隊の兵士たちの騒がしい賭けトランプに遮られ、ビンセントは姿を消す。賭けに勝ったミヒャエルは、娼婦を買いに出てゆく。ミヒャエルはビンセントと相貌が似ている。

 福音書を読みふけるルートヴィヒに、カミルは塹壕戦で負傷した自分の足を示し、「神はとっくに死んだ」と詰め寄る。

 気のやさしいベルナルドは死んだ戦友たちを思い、祈る。そして、神がいないとしたら自分は誰に祈っているのだろうか、と問う。

 スタイナー軍曹が宿舎にやってきて作戦会議を始める。今夜戦闘配備となることが決まった。作戦内容は「来たら、撃つ」‥‥拍子抜けする兵士たち。スタイナーはテーブルの上に食料のパン、ソーセージ、タバコの吸い殻を、それぞれ山脈、川、連隊の配置に見立てて並べ、地図をつくって説明する。想定される敵軍の数は味方の何倍もあり、あらゆる兵器をもっている。

 スタイナーは言う。「心配するな。勝つときは勝つ。死ぬときは死ぬ」。ベルナルドが神の存在を問いかけると、スタイナーはスキットルを神に見立て自軍の領地に置き、カミルを連れて機関砲の手入れのために出て行く。

 残されたルートヴィヒは、ボタンと毛糸で、哨戒塔、機関砲、塹壕の配置を加え、敵の戦略を推理する。やがて彼は疑問を抱く。「なぜ、このように、モノで現実を写しとることができるのか‥‥?」。そして閃く。我々は言葉で現実を写しとれるのだ。我々は言葉によって、目の前の配置から宇宙の周縁までの「世界」を写しとることができる。彼は大いに興奮する。

 言葉は、現実を写しとるだけでなく、あり得るかもしれない世界をすべて語ることができるのだ。しかし、スタイナーが神に見立てたスキットル、これはその場所にはない。だが「神はいる」と言うことはできる・・。

 ビンセントが再び彼の前に現れる。彼らはそれぞれの前にある別の風景を、言葉で描いていく。さらに、かつて共に過ごした大学、ファンタジーの世界、月面へと旅をする。

 ルートヴィヒは言う。「思考の限界は、言語の限界と一致する」「思考の限界を示す境界線は、内側からのみ引くことができる」。「神は宇宙の外側にいる。外側は、内側から見えない」とビンセントがルートヴィヒに語りかける。

 スタイナーが集合を呼びかける。いよいよ作戦実行の時が迫ってきた。危険な哨戒塔係をくじ引きで決めようとすると、死に場所を求めているかのようにカミルが志願する。スタイナーは取り合わず、哨戒塔係はミヒャエルに決定する。

 スタイナーは再度「勝つときは勝つ」と言う。ルートヴィヒはこれを、論理学的に意味のない言明だと否定する。ベルナルドは、スキットルをテーブルの上に置き「神はここにいる」と言う。ルートヴィヒは、神は物質ではないと否定し、「神に似た何かはあるはずだが、この部屋にはいない」と言って、部屋の明かりを消す。不安が支配する。

 暗闇の中、一同は、先の塹壕戦のことを思い出す。爆撃の音がする。叫び声がする。サーチライトで広大な暗闇の中、敵兵を探索する。

 自分たちは生きているのだろうか、とベルナルドが問う。わからない。ルートヴィヒは再びランプをつけるが、男たちの世界は暗闇のままだ。

 「明かりをつけたい‥‥」。ルートヴィヒは願い、哨戒塔係を志願する。兵士たちは戦闘に向かう。

 先の作戦から2週間後。ルートヴィヒはビンセントに手紙を書いている。この2週間、ルートヴィヒの「仕事」は進んだ。「語り得るものについては明晰に語り得る。しかし語り得ぬものについては沈黙するしかない」と、彼は手紙に書きつける。

 スタイナーが作戦会議を始める。「戦況はオーストリア軍に有利」「小隊は本日撤退」という指令書が読み上げられる。そしてルードヴィヒに一通の手紙を渡す。

 ビンセントの母親が書いたその手紙には、ビンセントが事故で死んだこと、ルートヴィヒへの感謝の気持ちが記されていた。

 ルートヴィヒは、彼を茶化すミヒャエルを抱きしめ、ビンセントの死を悼んで祈る。ルートヴィヒは、撤退に向けて準備を始める。

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