前川知大

見えざるモノの生き残り

2010.01.15
前川知大

ⓒ 阿部章仁

前川知大Tomohiro Maekawa

1974年新潟県柏崎市生まれの劇作家、演出家。東洋大学文学部哲学科卒業後の2003年に活動の拠点とする劇団「イキウメ」を結成。SFや哲学、オカルト的な世界観を有した独自の作風で常に話題を集め、国内の演劇賞を多数受賞する。
そんな国内での活動に加え、2019年に韓国・ソウルで『散歩する侵略者』、2021年には『太陽』が韓国人俳優により上演された。2023年に国立チョンドン劇場で『太陽』が再演された際には、ダンス作品の『太陽』もあわせて上演されている。
2022年、フランス・パリでのイキウメの海外公演『外の道』も好評を博し、近年ではさまざまな言語(フランス語、韓国語、スペイン語、英語、ロシア語、アラブ語、中国語)での翻訳版の出版が続いている。2023年上演の舞台に対して贈られる読売演劇大賞では『人魂を届けに』が最優秀作品賞を受賞。

イキウメweb

5、6歳の子どもの姿になって現れる座敷や蔵に棲み着く守り神「座敷童子」。いたずら好きで、座敷童子が棲みついた家は栄え、いなくなると衰退すると言われ、日本の民間伝承として親しまれてきた座敷童子をモチーフにした作品。迎え入れてくれた人や家族と共同生活をしながら「幸せ」を運ぶことを生業とする、現代版座敷童子(ざしきわらし)=家守(やもり)たち。彼らの目を通し、現代日本で生きる人間の孤独や欲望をあらわにし、幸せの本質とは何かを問いかけていく。
前川知大『見えざるモノの生き残り』

イキウメ『見えざるモノの生き残り』
(2009年12月/紀伊國屋ホールほか) 撮影:田中亜紀

Data :
[初演年]2009年
[上演時間]1時間50分
[幕・場面数]1幕11場
[キャスト数]8人(男6・女2)

 雨がそぼ降る雑踏。急ぎ足で通り過ぎる人々の中、一人、傘も差さずぼんやりと佇む青年がいる。

人の流れが引くと、そこには青年を見つめる男・伽那蔵(かなくら)が立っていた。青年に向かって唐突に語りかけ、頬を殴る伽那蔵。はじめは無反応だった青年は、伽那蔵の暴力で目覚めたかのように意識と言葉を取り戻す。が、青年には記憶がなかった。七節(ななふし)と名づけられた青年は、伽那蔵と行動を共にする。

 伽那蔵も七節も他の人からは見えていない。二人は電車の中で会った伽那蔵の仲間、日暮(ひぐらし)とともに彼らがたまり場にしている新宿駅の広場に向かう。伽那蔵、日暮たちは他人の家に住み込み、その家を守る「家守」と呼ばれる存在で、七節は家守になるためスカウトされたのだった。七節たちを見つけ、仲間の太鼓打(たいこうち)もやって来る。

 伽那蔵は七節に家守になるための研修をはじめる。住み込む家の家族が全員そろっている時に訪ね、お茶を一杯ご馳走してもらうこと、そして家守の存在を信じてもらうことが契約成立の条件。他人を容易には信じない現代社会において、家守が受け入れてもらうのは困難な仕事だ。伽那蔵は七節の参考にと、太鼓打に成功例を話させる。太鼓打は梅沢鉄彦・郁子夫妻について話し始め、太鼓打の記憶が再現される。

 太鼓打は夫婦喧嘩に巻き込まれながらも、お茶をご馳走になることに成功し、梅沢家に落ち着く。鉄彦は会社を立ち上げたばかりだった。太鼓打の存在は夫婦の生活の張りになり、仕事も順調に進む。

 やがて夫妻の哀しい過去も明らかになる。彼らは幼い息子を海水浴の事故で亡くしていた。太鼓打を息子代わりにする郁子と、その振る舞いに苛立つ鉄彦。郁子は太鼓打に「死んだ息子に会わせて」と泣きつく。家守への願い事は契約違反なのだが、結局太鼓打はその後も梅沢家に留まり続けた。

 太鼓打の話を聞くうちに、七節の記憶が甦り、今度は七節の物語が始まる。彼の以前の名前は竹男(たけお)。6歳で父に蒸発され、18歳で母親にも捨てられていた。別れ際、「父がいる会社」と母から渡されたチラシは便利屋の広告で、竹男はその会社を訪ね、拾われる。先輩の矢口九作(やぐちきゅうさく)と向かった最初の仕事は、新興宗教にハマった両親の借金を背負う若い女・持田喜美(もちだきみ)からの取立てだ。

 喜美は九作がよく行くファミリーレストランでアルバイトをしている。後をつけ、家に乗り込む九作と竹男。初めて知る両親の借金に驚きながらも、喜美は働いて自分で返すという。これは両親が自分に与えた試練であり、乗り越えることで自分は成長するのだ、と。しかも彼女は時折、見えない誰かがいるかのような奇妙な独り言を口にする。

 喜美の発言が偽善的だと怒る九作は、状況を思い知らせろと竹男に彼女を襲わせる。室内で激しくもみ合う喜美と竹男。だが突然何か強い衝撃を受けたように、竹男は床にくずれ落ちる。

 竹男は死んだのだ。自分の死を意外なほど素直に納得し、家守・七節としての復活に前向きな竹男。家守の仕事は興味深いが「人を幸せにすること」の意味がよくわからないという竹男に、太鼓打は中断していた梅沢夫妻のその後を語り出す。

 結局、太鼓打は梅沢家で家守としての「満期」を迎えた。「満期」は、家守が「この家にずっと居続けたい」と満足したときにやってきて、期間は決まっていないという。満期になると、自分の代わりに「幸せな人には見える」という羽根状の生き物・タマシロ(別名・ケセランパサラン)を置いて家守は去る。

 名残惜しげに太鼓打を見送る夫妻。彼らは息子の死を受け入れ、二人で住むための家に転居する。だが、その後の二人は仕事の不調に見舞われ、かつての充足を失ってしまう。「絶好調のときはいつも、『自分がこんなに上手くいくわけがない』と思っていた」とこぼす鉄彦。励ます郁子に彼は、実はだいぶ前からタマシロが見えなくなっていたと告白する。だがそれは郁子も同じことだった。泣きながらも、改めて二人で生きていこうと誓う二人。そのとき、見えなくなっていたはずのタマシロが眼前に現れる。心強くした夫妻は、タマシロを家に留めず、風のままに外に放つことを選ぶ。

 太鼓打の話が終わり、今度は日暮が「持田の部屋には実は自分がいたのだ」と、竹男の死後の出来事を語り出す。

 身寄りのない竹男の死は便利屋の社長・佐久間の意向もあり、3人だけの秘密となった。口止め料がわりに、九作は喜美の借金整理を手伝うことに。頑なに「自分で返す」という喜美だったが、実は親にだまされて捨てられたことがわかり、ようやく現実に直面して九作と心を通わせるようになる。

 ある日、九作が「ヘンなオッサンの姿が見えた気がする」と言い出す。

 その翌日、日暮は持田家を去った。日暮の姿が九作に見えたのは、彼が喜美の家族になる予兆だと感じ、彼女はもう大丈夫だと思えたから、と。

 研修を終了した七節の頬にはとめどない涙が…。何か深く大きな想いが、胸の底から溢れ出しているのように。

 やがて、笑顔で旅立っていった七節の背に、伽那蔵はかつて家守を務め上げて福の神になった米月(こめつき)の姿を重ね、日暮もそれに同意する。「許してくれるかな。僕は彼の才能に引かれたということで」。最後に、日暮は伽那蔵にそっと秘密を耳打ちする…。

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