中島淳彦

ゆれる車の音 九州テキ屋旅日記

2007.02.16
中島淳彦

中島淳彦Atsuhiko Nakashima

1961年宮崎県日南市生まれ。小学校時代に自分が書き下ろしたコントを仲間達で演じるなど脚本家の素養を示しつつ、上京後20代で再び芝居に目覚め「劇団ホンキートンクシアター」を立ち上げる。ホンキートンクシアター解散後、色々な劇団などに台本を書き下ろしながら、劇団道学先生・劇団ハートランドの座付き作家として数多くの脚本を手掛ける。劇団青年座や44プロデュース、東京ヴォードヴィルショーなど多方面へ作品を提供し、「人情喜劇」と評される独特の作風が観客を惹き付け、旬の作家の一人として多くの人気を集めている。「ゆれる車の音」は2006年度第51回岸田戯曲賞の候補作品にノミネートされる。テレビドラマ「こちら本池上署」(TBS)ほか、NHK歌謡ラジオドラマなどでも脚本を手掛け、多方面で活躍を続けている。

ゆれる車の音 九州テキ屋旅日記 中島淳彦
昭和40年代中頃(1970年代はじめ)の宮崎県日南市油津が舞台。20年ぶりに帰郷したテキ屋・金丸重蔵とその家族が、いざこざのあった地元の人々と再び心を通わせるまでの2日間を描いた、懐かしく心温まる作品。軽妙なやりとりの奥に、戦争によって人生を翻弄された人々の無念や悔恨、上手く世渡りできない自分達への嘆きや怒りが秘められている。当時の流行歌の替え歌やテキ屋の威勢のいい口上を劇中で効果的に用い、屈折を抱えつつも、人々が「未来」を明るく夢見ていた時代を描いている。
ゆれる車の音 九州テキ屋旅日記

文学座公演『ゆれる車の音 九州テキ屋旅日記』
(2006年9月/紀伊國屋サザンシアター)
撮影:飯田研紀 (c) 文学座

Data :
[初演年]2006年
[上演時間]2時間
[幕・場面数]1幕5場
[キャスト数]11人(男6・女5)

 テキ屋の金丸重蔵は、妻敏子と娘真弓を連れて、因縁の故郷油津へ戻ってくる。彼は20年前、特攻隊崩れの上原丈太郎に金丸組の所場を奪われ、理不尽にもこの地を追われたのだ。重蔵は、かつての組長である父が重い病に倒れたのを機に、乙姫様の縁日で決着を付けて所場を取り戻そうと決意する。

 しかし、かつては南九州一帯からテキ屋が集まって栄えていた乙姫様の縁日も今はさびれ果て、所場の価値などなきに等しい状態になっていた。敵の丈太郎はスーパーを経営する息子の元で楽隠居し、丈太郎の右腕だった小玉は建設会社の経営者、元テキ屋で重蔵の仲間だった有江はコネで警察官になるなど、今ではみんな堅気の生活を送っているのだった。

 丈太郎は重蔵に、「所場は返す、こんな状態にして申し訳ない」と頭を下げる。肩すかしを食った重蔵は、どうしていいか困ってしまう。そんな彼をよそに、周囲は久しぶりの再会を無邪気に喜んでいる。しかし、二十歳になる娘の真弓だけは、情けない父親の姿を目の当たりにし、旅から旅への生活や、大学に行かせてももらえず、未来も見えない苛立ちに釈然としない気持ちを持て余していた。

 駐車場で再会を祝ってどこかちぐはぐな宴会をしていたところに、しのぶという飲み屋の女将が二十歳になる娘あさみとともにやってくる。しのぶは娘を女手一つで育てていて、父は誰だか分からない。しのぶと馴染みだった重蔵は、もしや自分の子ではないかとおびえる。しっかりものの妻、敏子を恐れてもいるが、大切にもしているのだ。母から「父は立派なテキ屋だ」と聞かされているあさみは、重蔵に、テキ屋の仕事に興味津々。しかし、真弓はそんなあさみにテキ屋なんてロクでもないと、突っぱねる。

 縁日の当日。かつてのテキ屋仲間の小玉や有江たちは、仕事を休んであさみと一緒に楽しそうに店を出す手伝いをしている。縁日を盛り上げるために「油津タイガース」というバンドまで結成して、歌を披露する。しかし、折悪しく雨になり、潮が引くようにお客がいなくなる。

 人気のなくなった縁日で、丈太郎は重蔵に相撲を申し込む。相撲で自分を負かして所場を取り戻せ、そしてそれを病床の父に報告しろと言うのだ。行司は真弓。老いたとはいえ丈太郎は手強い。しかし、あさみが思わず重蔵に「お父さん」と声をかけたせいで、虚をつかれた丈太郎は負けてしまう。二人はお互いの老いた体、お互いの長かった時間を思いやり、かみ締める。

 一生懸命な父の姿に触発された真弓は、東京に行き新しい人生を切り開く決意をする。一方、敏子はしのぶと語り合い、あさみは重蔵の子ではないこと、本当にどこの誰ともしれない男との間に生まれた子であることを聞き出していた。それではあさみが辛すぎる。しばらくは重蔵を父と思わせておこう。敏子としのぶの間には不思議な友情が芽生えていた。重蔵は、敏子やあさみとともにテキ屋としてこの所場を盛り立てていこうと密かに心に誓うのだった。

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