国際交流基金 The Japan Foundation Performing Arts Network Japan

Artist Interview アーティストインタビュー

2023.3.2
田村興一郎

Dance that born of the relationship between “object and the body”
Irradiating society, the choreographic art of Koichiro Tamura

ダンス

「モノと身体」の関係から生まれるダンスで
社会を照射する田村興一郎

2016年、18年と横浜ダンスコレクションで連続受賞し、注目を集める田村興一郎(1992年生まれ)。Noismが拠点を置く新潟に生まれ、高校ダンス部を経て、ジャンルを越えた交流が活発な京都を出発点としてアーティスト活動を開始。汚れたジーパン、Tシャツ姿の男たちが背中にコンクリートブロックを乗せて歩く代表作『F/BRIDGE』、車のタイヤを使ったデュオ作品『goes』など、「モノと身体」の関係から生まれる作品を発表。一方で放課後児童指導員として子どもたちと日々ダンスで触れ合うなど、二つの顔をもつ田村のリアルに迫る。

聞き手:乗越たかお(舞踊評論家)

F/BRIDGE

『F/BRIDGE』
ロンドン・コロネット劇場「Electric Japan 2022」公演(2022年5月)

創作ダンスとコンテンポラリーダンス

田村さんは新潟の出身だと伺いました。どのようにしてダンスと出合ったのですか。
 1992年に西区で生まれました。小学生の頃は絵を描くのが好きで、親は「将来画家になる!」と思っていて、描いた絵を全部残してくれていました。今でも5歳のときに描いた絵を分厚い冊子にしたものが20冊くらいあります。

 18歳まで新潟にいて、地元の新潟商業高校に進学したのですが、その新入生歓迎会で踊っていたのが山本和馬(振付家・ダンサーとして活躍中)でした。ダンス部でただ一人の男子で、アニメーション・ダンス(床を滑るように移動するなど目の錯覚を利用したダンス)がもの凄く格好良かった。それがダンスとの出合いで、彼に誘われてダンス部に入りました。本当はアニメーション・ダンスがやりたかったのに、ポンポンを持ったチアダンスやモダンバレエをやらされた。「あれ?」という感じで(笑)。それで独学でアニメーションの他にもブレイクダンスをやったりしていました。
新潟には、2004年に日本初の公共劇場専属舞踊団として創設された金森穣が率いるNoism(現在はNoism Company Niigata)があります。
 Noismが拠点にしているりゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)は家から割と近くて、ダンス部の先生の熱心な勧めもあって、積極的に観に行っていました。ただ僕にとっては、高校で創作ダンスに出合ったことの方が大きかった。全日本高校・大学ダンスフェスティバル(神戸)(All Japan Dance Festival – KOBE)(*1)で男子大学生が一所懸命踊っている姿を見て、自分の内側から湧き上がってくるものがありました。
田村さんは新潟のダンス県大会で優秀賞、AJDFで審査員賞を受賞しています。
 高校2年と3年のときで、ダンサーのひとりとして参加していました。この頃は自分でダンスを作るとは思ってもいなかった。ある時、新潟県の高校ダンス部の連盟が伊藤キムさんを招いて、ダンスを志す高校生100人くらい参加するワークショップを開催したんです。それではじめてコンテンポラリーダンスと出合いました。キムさんの動きはそれまで見たこともないもので、心底驚きました。それでキムさんが教えていた京都造形芸術大学に進学しました。
何学部ですか。
 舞台芸術学科のダンスコースで、そこで学んだ伊藤キムさんと寺田みさこさんが僕にとってのダンスの師匠です。その頃もAJDFに憧れていたので、出場チームをつくるために仲間を集めてやりましたがうまくいかなかった。高校ではダンス部という環境があったから踊ることができたけど、キムさんやみさこさんから学んでも踊る場所がない。大学を辞めようかと思うぐらい追い詰められた。その時にソロで踊った作品「点滴」がダンスコンクールで受賞し、もう一度がんばろうと思いました。

 それで、今度は自分が振付して自分が主宰するカンパニーをつくろうと2011年にREVOを立ち上げました。革命を起こす!という意気込みでREVOLUTION(革命)からとってREVO。19歳の時です。AJDFを目標に頑張って、決選まではいきました。今思うと、ダンスというより、チームで喜び合うことに憧れていたんだと思います。
AJDFは体育大学のダンス・チームが得意とするような大人数の群舞で、田村さんの今の作品のスタイルとは全然違います。
 そうですね。キムさんやみさこさんから身体表現の核について学びながら、AJDFには体育としてのダンスを見ていて、自分の中では分けて捉えていました。授業の発表公演とAJDFで発表する作品は世界観が違いすぎて、割り切るしかなかった。ただ、体育としてのダンスに身体表現のエッセンスを採り入れたいとは思っていました。

 僕には子どもの頃からクラシックバレエをずっとやってきたみたいなベースになる技術が全くない。高校時代に触れた創作ダンスやモダンバレエ、独学したストリートダンス程度で、逆にそういうベースの技術がないことが自慢できる。そのかわり、いろんな方のワークショップを受けて、それを自分のオリジナルなメソッドに還元しています。強いて言えば、動きはストリートダンスに近いかもしれません。
REVOを結成した2011年には、「アーティスティック・ムーブメント・イン・トヤマ(富山県で行われるコンペティション。全国の大学生・短大生による少人数の創作ダンス)」で『ハゲワシと少女』が特別賞を受賞しました。このタイトルは、写真家のケビン・カーターがスーダン内戦で撮った写真のタイトルでもあります(*2)。飢えてうずくまる少女を狙うようにハゲワシが後ろに立っている。田村さんの作品は強い怒りや暴力性を内包した、新人らしからぬ作品として高く評価されました。
 審査員の浜野文雄さん(ダンスマガジン編集委員)に横浜ダンスコレクション(日本を代表するコンテンポラリーダンスのコンペティション&フェスティバル)への応募を勧めていただきました。アーティスティック・ムーブメント・イン・トヤマでは2013年に審査員賞をいただきました。

横浜ダンスコレクションで連続受賞

2015年に大学を卒業してから、拠点を京都に置きつつ、横浜ダンスコレクションでの受賞や国内外での公演が続きます。2016年にはソロの『飼育員』がコンペティションⅡにて最優秀新人賞受賞。2017年には受賞者公演で『Yard』を発表し、2018年に『F/BRIDGE』が若手振付家のための在日フランス大使館賞とシビウ国際演劇祭賞受賞。2019年にパリ滞在を経て、2020年には滞在制作作品の『MUTT』を発表。そして2021年にはシビウで公演した高瑞貴とのデュオ『goes』を発表するなど、活発な活動を展開します。
 2016年には卒業後初の単独公演『余裕の朝』を東京の神楽坂セッションハウスでやりました。KYOTO EXPERIMENTのフリンジ的に発表したもので、自分でもわけのわからない作品でした(笑)。でもダンサーの知人に評価してもらえて、とてもうれしかったです。
この20年余りでコンテンポラリーダンスのアーティストが育つ環境はいろいろ変わってきました。田村さんはNoismのある新潟を振り出しに、AJDFとの出合い、KYOTO EXPERIMENTという前衛的な芸術祭のある京都という環境、ジャンルを超えた学生が交流している大学生活、そして若手振付家の登竜門&海外進出の足がかりとなっている横浜ダンスコレクションでの評価と、90年代生まれならではの環境だと思います。
 自分にとってはとてもよかったと思っています。もし新潟でダンスに出合っていなければ絵を描いていたかもしれませんし。特に大学時代は刺激しかなかった。空間芸術や映像で面白いことをやっている同級生もたくさんいます。それらのノウハウをミックスして今がある。
『Yard』は男女のデュオで、白い粉塗れの二人が歩くと舞台上に白い足跡ができていく。ほとんど無音で、不思議なもっちり感のあるゆっくりした動きで、照明の使い方を含めて空間全体を把握した演出に感心しました。
 これは評論家の石井達朗さんからダンスマガジンの評で「若手で静かな公演を作るのは仲々いない」と褒めていただきました。今はあまりこういう作品を作れなくなりましたね。
Yard

『Yard』
横浜ダンスコレクション2017 アジアセレクション 最優秀新人賞受賞者公演
(2017年2月/横浜赤レンガ倉庫1号館)
出演:山本梨乃、田村興一郎
Photo: bozzo
https://youtu.be/lMT1d7089QU

『F/BRIDGE』

田村さんの代表作とも言えるのが『F/BRIDGE』です。初演は2015年で大学の卒業制作です。この作品が2018年のダンコレのコンペティションⅠで「若手振付家のための在日フランス大使館賞」と「シビウ国際演劇祭賞受賞」をダブル受賞しました。薄汚れたジーパン、Tシャツ姿の男達が背中にコンクリートブロックを乗せて歩く姿をダンスにした、労働を感じさせる独特な世界観の作品でした。「意味のない苦役」という点ではシーシュポスの神話すら連想させます。モノと身体の関係性を追求したユニークな作品でした。
 『F/BRIDGE』をつくっていた3カ月間は卒業を前にいろんな思いが拮抗しているときでした。それで仲間と気分転換に学内の庭に行ったときにたまたま置いてあった汚れたコンクリートブロックを見つけた。身体に乗せてみたらいい感じだったので、ブロックと身体で何ができるかを考えました。作った当初は正直自分では何がいいのか掴み切れていませんでした。

 卒業後についてはアカデミックな進路も考えていたし、振付に打ち込みたい、ダンスの身体表現を突き詰めたい気持ちもあった。REVOの活動を知ってもらえるようになっていたのでカンパニーとして続けていきたいと思い、京都を拠点にアルバイトをしながらダンスを創り続けました。ダンサーとして他人の作品に出るよりも、自分の思っていることを出して、新しいものを作る方に生き甲斐を感じました。ちなみにREVOは固定メンバーがいるわけではなく、僕が一人でプロデュースしています。
コンテンポラリーダンスの歴史では、身体だけで生み出す動きに行き詰まりを感じきたときに、「負荷をかけた身体のリアクションでダンスを生み出そうとする試み」が多々行われてきました。フィリップ・ドゥクフレのように、わざわざ動きにくい衣装をダンサーに着せたり、コンテンポラリー・サーカスなども「モノを動かす身体はモノによって動かされている」という考え方で表現の幅を爆発的に広げてきました。モノと身体の関係を探るというのは、この作品以前からあった田村さんのテーマですか。
 当時はcontact Gonzoさんの肉体の衝突に憧れていました。また、KYOTO EXPERIMENTが招聘したアルゼンチンのルイス・ガレー『メンタルアクティヴィティ』(コンクリートブロック、木材、鉄屑、岩、ペットボトルなどが投げ込まれ、その工事現場のような場所で6人のダンサーがパフォーマンスを展開)に感動していました。ですから、モノと身体、モノとしての身体のことはずっと考えていました。
田村さんはひとつのダンス・スタイルを突き詰めるというより、身体を含めたモノを使った表現を様々に考察している感じがしますね。
 そうですね。「美術を見ているみたいだけど、見終わった後にダンスを見た」と思えるような作品が理想です。

『F/BRIDGE』
(2020年7月/城崎国際アートセンター)

海外進出

2018年には『Yard』で香港ダンスエクスチェンジに招待されました。これが海外での初公演でした。
 すごく緊張してパフォーマンス自体が上手くいったかはちょっとわかりませんが、劇場の中のギャラリースペースに僕たちのものすごく大きなポスターが貼ってあった。スケールの違いを感じて、海外でも活動したいなと思いました。
同年に京都芸術センターとソウルダンスセンターのエクスチェンジでソウルに2カ月間滞在し、クリエイションしました。
 韓国のダンサーはみんなすごくテクニックがあって、刺激的でした。モダンテーブル(キム・ジェドクが率いる世界的に活躍している韓国のダンスカンパニー)も大好きでした。ところがチェ・ミンソンという海外で活躍している振付家が「韓国のダンスは全部伝統的すぎて古い」と言っていてなるほどと思いました。
滞在期間に作った『Chopsticks!』はどのような作品ですか。タイトルからイメージすると、日本と韓国の材質が異なる箸をテーマにした作品ですか。
 ソウルダンスセンターの協力でオーディションをして、ソン・ユンジュいう身体の利くダンサーを選びました。伝統舞踊の芯がある韓国のダンスを学びながら取り入れた作品でした。おっしゃる通り食文化の違いからダンスの違いを形にしたつもりですが、観客はよくわからないという反応でしたね。
『F/BRIDGE』の受賞でフランスとルーマニアのシビウにも訪れることになります。コロナでいろいろ変更になりましたが、2019年にフランス、2021年にシビウに行きます。
 フランスにはコロナ禍がひどくなる前に行くことができて、2019年4月から3カ月間、パリのフランス国立ダンスセンター(CND)を拠点にクリエーションしました。その合間にパレ・ド・トーキョー / 現代創造サイト(Palais de Tokyo / Site de création contemporaine)という国立ギャラリーで僕がやったパフォーマンスを見てくれたフランス人のストリートダンサーが一緒にやろうと言ってくれたり、中国人の映像作家がビデオ作品を撮ってくれたり。「アーティストはお互いに金はないけどギブアンドテイクで一緒に何かやろう」という感じで輪がどんどん広がって、それがフランスのいいところだと思いました。
帰国後、2020年2月にフランスでつくったソロ作品『MUTT』を横浜ダンスコレクションで発表しました。床は黄色いテープで十字に仕切られ、その中で寝ている田村さんの目もテープで塞がれている。静かにはじまり、次第に怒りと狂気が限界を超えて、激しく身体を捻る。場所を求めて彷徨う「芸術迷子」になった若いアーティストをテーマにした作品です。
 フランスに住んでいる友達がヨーロッパの芸術事情を教えてくれて、「ロンドンはメディア・アートが強い。ドイツは前衛的で尖っているものが多い。フランスは遊び心と手づくりにこだわる人が多い」と。彼の独断と偏見ですが面白かった。『MUTT』ではフランスで感じたことを作品にしたかったので、そういう手作り感も盛り込みました。
シビウでは高瑞貴とのデュオ作品『goes』を上演しました。車のタイヤを使った作品で、男女がタイヤに身体を通してぶつかったり、タイヤを転がしたりする。田村さんのテーマである「モノと身体」の関係 に加えて、男女の関係性も窺わせる作品になっていました(男2人のヴァージョンもある)。反響はいかがでしたか。
 手応えはいまひとつでしたが、笑ってる人もいて反応は良かったです。しかし後半、字幕もなく日本語で話すシーンがあり、それが理解できなかったのか、途中で退席する観客もいて、精神的にへこみましたね。
海外で公演する意味は、日本とは違う作品の評価軸に晒されて、違う角度から作品を見る機会になるということなので、落ち込む必要は全くないと思いますよ。
F/BRIDGE

『goes』
横浜ダンスコレクション2021「振付家のための構成力養成講座」
(2021年2月/横浜赤レンガ倉庫1号館)
Photo: Yulia Skogoreva

段ボール箱とレジ袋

2018年の台風により京都の鞍馬山で起きた倒木被害を扱った『STUMP PUMP』(2019年神戸初演)では、大量の段ボール箱を使っています。
 当時は全然復興が進んでいなくて、倒れた木をオレが起こしてやる、という強い気持ちで作りました。倒木の中には樹齢500年の大杉などもあり、木の太さや偉大さを圧倒的な質量で見せたかった。それで積み重ねたり、倒したりを繰り返せる素材としてダンボール箱に行き着きました。今回は「高さ」を突き詰めたくて、東京公演では7mぐらい積み上げました。
ダンボールはモノでもあるし、一緒に踊る相手でもある。高く積み上げて倒す倒木のイメージには迫力と段ボール箱だからこその弱々しさがあり、舞台美術として優れていました。全体に工事現場のような印象を受けました。
 はい。そこから徐々に鞍馬が復活していく。東京公演では後半に段ボール箱で献灯籠をつくって並べながら踊るシーンを付け加えました。最後は京都三大奇祭といわれる鞍馬の火祭りを再現し、「サイレヤ、サイリョウ」という独特なかけ声をかけながら盛り上げました。
2020年には6人の群舞もある『窪地』を発表しました。日本語のタイトルは珍しいですね。レジ袋を使ったことでも話題になりました。
 このとき窪地という日本語がすごく美しく感じられた。コロナ禍のダンスができない状況で自分の原点になっている創作ダンスを作りたい気持ちが蘇り、久しぶりにユニゾンも作りました。ちなみにレジ袋は初演では使ってなくて、再演のリクリエーションからです。

 たまたま実家が引っ越すことになり、自分の部屋の中を整理したのですが、ふともうこの家には戻ってこないのかと、感傷的になった。最後に街を少し歩いたら、懐かしさと切なさが入り混じった気持ちになって。僕の代表作の『F/BRIDGE』では、当時、問題になっていた過労死のことが頭にあったし、『STUMP PUMP』では鞍馬のことがあった。そういう社会的な問題から派生し、マイナスをプラスに変えていきたいという思いが僕の作品づくりの原動力になっています。でも『窪地』は、個人的な懐かしさという感情だけで作りたいと思いました。

 4カ月後の2021年3月に再演が決まったのですが、ちょうど東日本大震災から10年目。震災当時、僕は高校3年生で、新潟では被害もほとんどなく、大学のある京都に行くことで頭がいっぱいでした。福島から来た同じ学科の新入生がいて、「実家は半分流されて、今でも妹が見つかっていない、それでも俳優を目指したい」と言われた時には、僕なんかが今このタイミングで芸術なんてしていていいのかと途方に暮れた。この10年自分もいろいろな経験をしてきたし、震災の年に立ち上げたREVOも10年だし、すべてが繋がって再演で震災をコンセプトにしようと思いました。それで、初演では使わなかった大量のレジ袋を使って作り直しました。
レジ袋を選んだ理由はなんですか。
 『goes』は10キロあるタイヤ、『F/BRIDGE』では12キロあるコンクリートブロックと「労働」のイメージがある重いモノを扱ってきました。それに対してレジ袋には「生活」のイメージがある。日常でも被災地でも人間の生活に深く関わっているのがレジ袋じゃないかと思いました。

 軽いレジ袋の手応えのなさと、なくなってしまった故郷を思う寂しさと‥‥。床に置かれたレジ袋は人が少し移動するだけでフワッとかすかに動く。振ると音もするし、街中で風に吹かれていると寂しい感じがしますよね。「モノと身体」ということで言えば、重さへのリアクションだけではなく、もっと繊細で微かなモノとの関わり方があるのではないかと思いました。
STUMP PUMP TOKYO

『STUMP PUMP』初演(2019年2月/ArtTheater dB Kobe)

『STUMP PUMP TOKYO』
(2022年3月/吉祥寺シアター)
Photo: 石田満理佳

窪地

『窪地』
韓国「Contemporary Ballet of Asia 2022」公演
(2022年11月/ソウル江東アートセンター)
Photo: Rachel Na

REVOの10周年では『THUNDER THUNDER』『K92』のダブルビル公演を行いました。『THUNDER THUNDER』の原作は、なんと田村さんが子どもの頃に書いた作文でした。そのコピーが観客にも配布されましたが、登場人物の名前が無言平(むごんべい)、消郎(けしろう)とセンスが非凡(笑)。彼らがゲームに必要な乾電池をもらうために電気学校へ行って事件に巻き込まれる3600字の大作です。『K92』も変わった作品で、全員が曼荼羅の仏像のような格好をしているダンスでした。
 長らくダンスに言葉を使うことに否定的でしたが、この頃は戯曲などを原作にダンスを作ることに興味がありました。実家の整理をしていたときに偶然この作文を見つけて、緊急事態宣言が続きスタジオも夜8時以降は使えない中で作りました。

 阿弥陀如来像は困った人を見つけたら直ぐに駆けつけられるよう、前傾姿勢になっているんですよ。実は実家の整理をしているときに祖母が入院して、92歳で亡くなりました。葬式をしたお寺に前傾姿勢の阿弥陀如来像があって、その姿が「K」に見えるなと思って『K92』というタイトルにしました。僕が大変なときに阿弥陀如来さまのように祖母が駆け付けて支えてくれる気がして。ですから、この2作品は僕の中ではひとつながりになっていて、どちらも思い入れ深い作品です。

誰でも振付家になれる身体美術館

このインタビューの前日、吉祥寺ダンスリライトvol.3で公演する新作のオーディションを兼ねたワークショップを拝見しました。そのなかで行われていた「身体美術館」というワークショップがとても面白かった。ダンサー(参加者)がペアになり、ひとりがスタジオの中にある小物(椅子、テーブル、ホウキなど)ともう一人を使って振り付けるというか、モノとヒトで造形する。それをみんなで美術館の展示物を見るように見て回るというものでした。
 じっとしていてもいいし、動いてもいい。大切なのはあくまでも身体をモノとして扱い、モノが主体であるということです。身体とモノの関係について参加者に発見してもらい、空間をデザインしてもらうワークショップです。

 ソウルで2カ月レジデンスしているときに韓国のダンスの学生に参加してもらって開発したワークショプです。ダンスの素養がなくても、大人でも子どもでもできるので、いろいろなところでやっています。今回はオーディションなので、僕がモノと身体の関係を追求しているアーティストだというのを理解してもらう目的でやりました。
田村さんは「こういうのはやめてね」と言って、いわゆるコンテンポラリー的な動きをやってみせていました。
 そういう身体の動きが求められることもありますが、僕は予期しない身体の動きの方を見たいし、身体に負荷がかかるものが美しいと思っています。「私の素晴らしいダンスを見てください」ではなく、「舞台上で、人前で、見世物として立っている身体」をまずは強烈に自覚してほしいんです。

 その後に、心の内側をさらけ出して、ガッと魂をぶつけている人に関心がある。ダンサーである前に、人として興味を持ちたい。どれだけ身体が仕上がっているかとか、与えられたムーブメントをどれだけ上手く踊れるかではなく、その人の全力の歯軋りみたいな部分を見せてほしい。そのへんは演劇をやっている人の方が上手いなと思うことも多いです。
それはそれでちょっと内向きに過ぎませんか。
 演劇的な強さと身体的な強さのバランスが取れているのが魅力的だと思っています。『窪地』のなかでただ前を見つめているシーンがありますが、ダンサーが見つめるのと役者が見つめているのは全く違う。身体にばかり集中して動いていると、どう綺麗に立っているかに意識がいく人が多い。でも役者はちゃんと「なぜそこにいるか」の動機まで考えて動くから伝わる。その部分が足りないダンサーが多い気がします。ユニゾンの練習も大事ですけど、最近はとくに感情や動機の稽古の方が長いかもしれません。でも結果的に、良い作品に繋がっていると思います。

放課後児童指導員としての活動

ちなみに田村さんは放課後児童指導員や運動療育士といった資格を持っていて、平日は学童クラブなどで子どもたちと触れ合う仕事をしています。ダンスのアーティストとしての活動と両立しているのがユニークです。
 僕の中では2つの軸として切り分けてやっています。「どんなに理解してくれる人が少なくても追求したいダンス」もいいですが、子どもたちと楽しくダンスするのも嫌いじゃない。やりたいことは全部やろうと思っています。

 先生たちと僕では子どもたちの受け止め方が違います。発達障害やグレーゾーンの子どもたちは普段から注意されがちでストレスフルなんです。僕が話しているときに隣に子どもが寄ってくると「座っていなさい」と生活指導をされる。でもダンスなら、振り付けと違う動きをしても「それもいいじゃん!」と言える。子どもの自己肯定感をダンスで高めるということを、本当に大切にしています。

 すべての動きやすべての価値観を認めて子どもたちの成長に繋げる活動をしているからこそ、逆に振付家としては身体について徹底的にこだわり抜きたいと思っています。

*1 全日本高校・大学ダンスフェスティバル(神戸)(AJDF)
AJDFは、1988年に日本女子体育連盟、神戸市、神戸市教育委員会が創設。高等学校、大学および短期大学に在籍する生徒、学生を対象にした日本ではじめての全国規模の創作ダンス競技会。毎年8月に開催され、5人以上30人未満のチームによる未発表の創作ダンスを対象にした「創作コンクール部門」とさまざまなダンスで参加できる「参加発表部門」の2部門があり、出場経験者にはプロで活躍するダンサー、振付家も多い。

*2
カーターはこれでピュリッツァー賞を受賞したが、「少女を助けるべきだった」と非難を受け1カ月後に自殺。後にハゲワシはたまたま寄ってきた瞬間を撮影しただけですぐに飛び去ったという証言も出て物議を醸した。