中村壱太郎

新型コロナをきっかけに映像作品「ART歌舞伎」を発表
伝統芸能の未来を拓く中村壱太郎

2021.10.11
中村壱太郎

中村壱太郎Kazutaro Nakamura

1990年生まれ、東京出身。中村鴈治郎の長男。祖父は四世坂田藤十郎。母は吾妻徳穂。1991年11月京都南座『廓文章』藤屋手代で林壱太郎の名で初お目見得。1995年1月大阪中座『嫗山姥』の一子公時で初代中村壱太郎を名のり初舞台。2007年に史上最年少の16歳で大曲『鏡獅子』を踊り、2010年京都南座で『曽根崎心中』の大役お初に役柄と同じ19歳で挑む。2014年に日本舞踊の吾妻流七代目家元吾妻徳陽を襲名。2016年大阪文化祭賞奨励賞受賞。同年4月、野田秀樹作、オン・ケンセン演出『三代目、りちゃあど』に出演。2019年3月、『滝の白糸』、『お染の七役』などで第40回松尾芸能賞演劇部門新人賞受賞。2016年には新海誠監督映画『君の名は。』でヒロイン・三葉と四葉の姉妹が舞う巫女の奉納舞を創作。2020年7月、配信公演「ART歌舞伎」を上演。2021年6月現代劇『夜は短し歩けよ乙女』で主役を務め、歌舞伎を中心に、現代劇、ラジオ、テレビなどにも活動の場を広げ、幅広い活躍を見せている。

400年以上の歴史を持つ歌舞伎は、江戸(東京)と上方(京都、大阪)で、それぞれ特徴をもった独自の発展を遂げてきた。中村壱太郎(1990年生まれ)は、その上方歌舞伎を継承する若手女方。重要無形文化財保持者(人間国宝)の四世坂田藤十郎(1931-2020)を祖父に、四代目中村鴈治郎を父に持ち、母は日本舞踊吾妻流三世宗家の二代目吾妻徳穂という家で生まれ育った日本伝統芸能界のサラブレッドだ。2016年には、シンガポール出身の演出家オン・ケンセンが演出を手がけた現代劇に出演、現代劇など異ジャンルにも果敢に挑戦している。特に、2020年7月、新型コロナウイルス感染症に演劇界全体が揺れる状況下で企画した映像配信「ART歌舞伎」は大きな注目を集め、2021年5月には英語字幕付の映画版として劇場公開され、順次全国で公開中。カナダ・モントリオールで開催されたファンタジア映画祭でも上映されるなど好評を博している。伝統芸能の未来を担う新鋭として、画期的な企画力で行動し続ける中村壱太郎の「ART歌舞伎」に掛ける思いとは?
聞き手:川添史子

「ART歌舞伎」
2020年7月にオンラインで有料配信されたオンライン公演。歌舞伎俳優の中村壱太郎が中心となり、歌舞伎俳優の尾上右近、舞踊家の花柳源九郎、藤間涼太朗のほか、中井智弥(箏・二十五絃箏)、浅野祥(津軽三味線)、藤舎推峰(笛)、山部泰嗣(太鼓)、そして友吉鶴心(薩摩琵琶)といった和楽器奏者たちの出演により、「四神降臨」「五穀豊穣」「祈望祭事」「花のこゝろ」の4部構成の作品が収録・配信された。配信公演の映像に5.1chサラウンド編集と英語字幕を加えた劇場版も国内外で上映されている。
https://artkabuki.com

2020年春、新型コロナウイルス感染症のため緊急事態宣言が発令され、多くの劇場が公演中止や延期を発表しました。5月25日に全国で宣言が解除されてようやく演劇界も恐る恐る動き始めましたが、歌舞伎俳優の皆様も色々な思いの中にいらしたと思います。そんな先が見えない時期に、壱太郎さんは「伝統芸能」と「映像技術」と「アート」を融合させた映像作品「ART歌舞伎」をゼロから企画・準備されました。元々デジタル分野での表現活動が活発ではなかった伝統芸能の中においてあのスピーディーな動きには驚きましたし、クオリティも高く、大きな話題を呼びましたね。昨年を振り返り、初動までの経緯について伺えますか。
 あの時期は、歌舞伎公演が次々と中止となる中、(東京、大阪をはじめとする7都府県への)緊急事態宣言が出た4月7日は大阪でラジオ番組をやっていました。移動もしづらく、しばらく東京に戻らずに大阪の家に居ることに決めたものの、あの2週間は、今後の活動について深く考えさせられる時間でした。

 3月、4月は悔しさや悲しみが大きかったのですが、いざ緊急事態宣言で日本の動きが止まったときは、「果たして今後、僕は歌舞伎を続けていけるのだろうか?」という足元が揺らぐような感覚がありました。4月に入ると演劇界で配信の試みが色々と行われ始めましたので、自分にもこういう期間だからこそできることがあるのではないかと考えはじめました。この先も歌舞伎がエンターテイメントとして残るにはどうすればいいか、自分には何ができるか──。色々な方とリモートでお話をする中で、企画段階から協力くださったのが、以前から交流のあった若旦那さん(レゲエグループ湘南乃風のメンバー。本名・新羅慎二)でした。

 映画やファッションの現場で活躍されるヘアメイク・衣裳・装飾の方々に声をかけようというのは、若旦那さんのアイデアなんです。それが全ての始まりでした。普通なら脚本を書いてそれに合ったビジュアルをつくりますが、あの作品ではクリエイターの方々とお話し合いをしていく中で「歌舞伎」のイメージをビジュアル化し、外側が決まってから物語を描いていくという、通常とは逆のプロセスで制作が進んでいったところが面白いところだと思います。
ご出演された皆様についても伺えますか。特に演奏家は歌舞伎でご一緒されるような方ではなく、作曲や異ジャンルとのコラボレーションもされている気鋭の邦楽演奏家の顔合わせが実現しています。
 出演者に関しては、まず、あの時期に近況の報告をし合っていた(同じ歌舞伎俳優の)尾上右近君を誘いました。それから、日頃から共演したいと思っていた日本舞踊家の花柳源九郎さんと藤間涼太朗さんにお声がけしました。

 中井智弥さん(箏・二十五絃箏)(*1)、浅野祥さん(津軽三味線)(*2)、藤舎推峰さん(笛)(*3)、山部泰嗣さん(太鼓)(*4)という演奏家の皆様に関しては、過去に交換した名刺を見ながら「私は誰とやりたい?」「何をしたい?」と頭の中を整理しながら、「あの演奏は素敵だったな」と思い浮かんだ方々に自分で直接連絡させていただきました。友吉鶴心さん(薩摩琵琶)(*5)は、右近君の紹介です。どんな舟に乗せられるか分からない中、皆さんよくぞ乗ってくださったと感謝でいっぱいです。
メンバーも、脚本・構成も、同時進行で決めながらつくっていったんですね。
 全てが同時進行で、スピード命でしたね。5月のゴールデンウィーク開けに企画が立ち上がり、出演者が決まって、初めて顔合わせをしたのが6月15日。そして撮影は7月1日に1回のみの撮影・同時録音という普通ではあり得ない制作日程でしたから。やるからには伝統芸能の中でもいち早く動きたいと考えていましたし、かつ、ちゃんとした作品で勝負したいと思っていました。これまでにも力及ばずながら脚本を書いたり、演出をさせてもらった経験があり、色々な現場で幅広いジャンルの音楽を聞かせてもらったご縁や巡り合わせがあったからこそ形にできました。正直、こうした状況になって初めて考えたり、取り組んだりしたことだったら、とても実現できなかったと思います。
壱太郎さんは、歌舞伎を支える振付師の家系である宗家藤間流の藤間勘十郎さん(1980年生まれ)、尾上流家元の尾上菊之丞さん(1976年生まれ)、そして先輩の歌舞伎俳優の松本幸四郎さん(1973年生まれ。当時の染五郎)が中心となった「趣向の華」(*6)に19歳から参加されていました。これは、若手で長唄もやり、ご宗家(勘十郎)の新作歌舞伎を扮装なしで演じるなど、歌舞伎にとどまらないさまざまな趣向で若手の活躍を見せるものです。7年にわたって毎年夏に行われたこの企画では「春虹」という名前で脚本執筆、演出にも挑戦。そういった様々な経験がここで生きたんですね。
 そうだと思います。本を書く、演出をするということは、普通に役者をしていただけでは経験できません。2019年の夏には「こども歌舞伎スクール 寺子屋」(*7)の生徒さんたちと一緒に、『四勇士』という芝居もつくりましたが、こうした経験が積めたのも、「趣向の華」などで場を与えてくださった先輩方のおかげです。「ART歌舞伎」は過去の経験に加えて、自分の「やってみたい」という強い好奇心があったので、あのスピードで実現できたのだと思います。
「ART歌舞伎」は東京都内の神社にある能舞台を使って収録されました。1回のみのパフォーマンスを7台のカメラで同時収録。7月12日に有料配信し、その後、期間限定でアーカイブを有料公開しました。内容は4部構成で、1部から3部が創作舞踊、4部が琵琶の語りによる創作舞踊劇です。1部が四方を司る霊獣(東の青龍、南の朱雀、西の白虎、北の玄武)をモチーフに、中井さんの演奏で舞う壱太郎さんの青龍、藤舎さんの演奏で登場する源九郎さんによる朱雀といった組み合わせのソロパート。2部が津軽三味線の激しい民謡と雷鳴が轟くような太鼓で農耕民族の暮らしを謳いあげるような音楽パート。3部が「三番叟」(*8)を群舞で表現し、山部さんの太鼓をバックに、鈴を鳴らし、大地を踏みならして五穀豊穣を祈る「祈望祭事」。そして4部が、壱太郎さんが戦で夫と子どもを亡くした女、右近さんが戦で傷ついた男に扮し、友吉さんによる薩摩琵琶の語り物で演じる「花のこゝろ」。英語字幕の付いた映画版を拝見して改めて感じましたが、日本の芸能が古くから受け継いできた精神のあり様を「新趣向」で見せる試みだったと思います。
 「オープニングは出演者を紹介する場面にしよう」など大きな枠組は最初から頭にありましたが、誰の踊りと誰の演奏が合うのかはやってみなければわからない。音楽の部分は演奏家におまかせしたところが多いですし、細かい部分は稽古場でみんなで話し合いながら決めていきました。稽古をするうちに、その方の長所がわかったり、現場で出たアイデアをもっと膨らませてみようなど意見交換もできました。

 こうした創作現場では、感覚を研ぎ澄ましながら、その場で解決策を見つけ、早く判断できることが一番大事なことです。「明日までに考えます」というつくり方ではなかなか上手くいかない。もちろん、やってみてダメだったら最初に戻って考え直すこともありますが……。それから、私がいうのも口はばったいのですが、皆さん、それぞれのフィールドで活躍されている一流の方々で、応用力のある方々ばかりです。積極的に「こういう案もあります、こういうことができます」とご提案くださったのが勝因だったと思います。決して私がひとりで演出したわけではないので、クレジットでは、演出・振付を4人の連名にしました。
3部「三番叟」では、壱太郎さんと右近さんが全身を藁の簑で覆ったユニークな装束で登場したのにも驚きました。奇祭として知られる「カセ鳥」(山形県上山市で行われている小正月の祭事。五穀豊穣などを祈願し、藁の簑を被ったカセ鳥が真冬に町を練り歩く)がイメージソースだったとか。
 そうなんです。ヘアメイクの冨沢ノボルさんが見せてくださったフランス人写真家シャルル・フレジェの写真集(「YOKAI NO SHIMA 日本の祝祭―万物に宿る神々の仮装」)を参考にしました。そこにその東北のお祭りの写真があったのですが、頭からすっぽりと藁で覆われていて面白いんですよ。そこからアレンジを加えて表現したのですが、こういったビジュアル面に関しても、皆さんから斬新なアイデアをいただきました。
メイクもヘアも大胆で、特に4部「花のこゝろ」の壱太郎さんの拵えはとてもインパクトがありました。メイクは白塗りの顔に赤い円を大胆にエアブラシで描き、edenworksがドライフラワーで制作したヘッドピースはまるでアートのオブジェのようでした。この拵えで夫と子を亡くした女がとても抽象的な存在に見えましたね。
 こちらには全くない発想をご提案いただいたと思っています。かといって歌舞伎の様式を完全に崩しているわけではないので、あの形で演じることに違和感はありませんでしたし。逆に、いただいたアイデアをどうこちらが演技で表現するかを考えるのも新しい感覚で、楽しい経験でした。
加えて「花のこゝろ」は、友吉さんの薩摩琵琶(薩摩藩の武士の嗜みとして発展し、英雄伝・武勇伝などを語る)による骨太な語りという新趣向でした。
 ART“歌舞伎”と銘打ったからにはじっくり物語をお伝えすることも大切にしたいと考えました。「花のこゝろ」の台本を書き進めるうちに、何かパンチのある音楽が欲しくなり、最初は「義太夫かな」とも思ったのですが、右近君が友吉さんに引き合わせてくださった。そこで色々とお話しする中で、「閑吟集」(*9)を教えてくださいました。この中からヒントを得て紡いだ言葉もあります。演奏者が語りやすい言葉というのもありますので、そこは友吉さんに手を入れていただいたり。ですから、あの場面は友吉さんとの共作です。

 「閑吟集」の小歌にもありましたが、昔の人は来世に思いをはせる時に“夢”という言葉を使うんです。では現世を生きるとはどういうことなんだろう? このコロナ禍でこの時代に“生きる”とはどういうことか? そういった問いが次々と浮かぶ中に、「人は生まれ、そして死ぬ。でも、どこかでそのこゝろは続いている」という輪廻転生のテーマが自然に生まれてきた気がします。真っ直ぐな一色のメッセージで伝えるのではなく、お客様が脳内で連想していってくださったらいいな、と思いながら発想していきました。
神社の境内にある能舞台で撮影されましたが、収録日(2020年7月1日)はお天気が怪しくて大変だったそうですね。
 皆さんのスケジュールがこの日しか合わず、予備日も取ってありませんでした。配信は7月12日と決めていたので、その日を逃すともう編集が間に合わない。どうしてもこの日に撮らなければならなかったのですが、夜になるまでは小雨だったのに、カメラを回した途端にビックリするぐらいの大雨になってしまった。でも、「四神降臨」で私が青龍を踊り始めたら雨が降り、右近君が玄武を踊ったら風が吹きと、ハプニングが逆に良い演出になったんです(笑)。

 楽器は水に弱いのに音楽家の皆さんが演奏を止めず、撮影陣は機材が濡れる心配もある中、撮影を止めることなくやり切ってくださった。たとえ編集して配信するにしても、一発撮りなら生の舞台の臨場感は映像でも絶対に伝わると思っていて、そこは私が一番こだわっていたことでもあるので、色々なことに感謝しながら演じていました。
今回一緒に企画されたKSR Corp.は音楽関係の会社なので、カメラワークや照明もライブコンサートのようで斬新でした。カメラマンに一人、外国の方が入っていたそうですね。
 一発撮りにこだわったので7台のカメラを同時に回しました。そのうちの1人が外国人のカメラマンさんだったのですが、撮影監督は彼にはカメラワークを「感性に任せる」と指示されたようです。その結果、素直な感性で純粋に目で見て美しいと思った画を撮ってくださいました。4部の薩摩琵琶のシーンで演奏家の手元がアップになっていたりするところは彼が撮影したもので、「こういうところに注目するのか!」と、勉強になりましたし、感銘を受けましたね。
配信日に向けて、ご自身のYouTubeチャンネル「かずたろう歌舞伎クリエイションNakamura Kazutaro〈Kabuki Creation〉」を使った宣伝活動もされ、視聴者に創作過程を共有してもらうなど、いろいろ工夫されていました。
 映像班や制作班からもご意見を頂戴し、本編より先にメイキングを出すなど宣伝手法をいろいろと教えてもらいました。その中で、You Tubeのようなツールを使わない手はないなと思いました。継続的に自分の舞台を観てくださっている方たちの反応も知りたいですし、「ART歌舞伎」にどういった方が興味をもってくださるのかわからなかったので、まずは思いつくところ全てにお声がけしようという戦略で臨みました。今回限りではなく、第1弾を話し合っている時から第2弾もやろうという雰囲気がありましたから、ここで次につながる基盤づくりをしたいと思いました。
「ART歌舞伎」は映像という新しい表現のチャレンジであると同時に、歌舞伎という古典芸能を広く普及するための試みでもあります。若手の歌舞伎俳優の方々は舞台で新しい企画に挑戦するのはもちろん、インスタグラムで宣伝するなど、今の時代を踏まえた取り組みをされています。今年2021年3月、京都南座で行われた「三月花形歌舞伎」は壱太郎さん、右近さん、中村米吉さん、中村橋之助さんと30歳以下の若手による座組みでした。終演後まだ身体から湯気が上がっているような状態で、皆さんが毎日インスタライブをし、日々の思いを伝えられたのは歌舞伎公演としては画期的でした。
 こういう宣伝はまさに「ART歌舞伎」で学んだことのひとつ。とにかく公演中も発信し続けようとみんなで相談したら、劇場側も協力してくださいました。僕たち若手は、「ここが見どころだ」というポイントを自分たちで決めてアピールするのではなく、誰がどこを見てくれるかわからないから、いろいろな情報を発信することが大事だと思っています。最初に入り口を狭めてしまうと「難しい」とか「古典だから」ということになってしまう。何がお客様に引っかかるかはわからないけれど、きっかけさえつかんでいただければ、意外と入り込みやすいのが歌舞伎。もちろん、チケット代など次のハードルはありますが、人の目に触れる機会をあちこちにばら撒くことは止めてはいけない。きっかけが多くてもお客さんに来ていただけないようなら、考え方を変えなくてはいけませんが(笑)。
 
オープニングに出演者が日替わりで解説をされたのも、初心者には親切なプログラムづくりだと思いました。それぞれの言葉で歌舞伎の魅力を話し、思いがダイレクトに伝わってきました。
 演者が自分の言葉で話すことが大事です。最初、現代語で喋っていた普通の若者が、次の場面では白く塗って変身して出てくることが面白さでもあると思います。
歌舞伎を観たことがない方、あるいは海外の方に「歌舞伎とは何か」を説明するときに大事にされていることはありますか。
 歌舞伎はシンプルに言えば、「音楽(歌)」「踊り(舞)」「演技(伎)」、この三事をやることです。そして男性だけで演じる演劇で、長い歴史を持つ芸能だということを事実として説明できますが、それだけでなく、日本の歴史や文化の中で歌舞伎がどう位置づけられるかを理解していただくことがすごく大事だと思っています。
日本舞踊の舞踊家としてのお仕事についてもお伺いしたいと思います。壱太郎さんは2014年、吾妻徳陽として吾妻流七代目家元を襲名されました。壱太郎さんの家元襲名は、20歳という若さで家元を継がれたお母さま(二代目・吾妻徳穂)のご提案だったそうですね。かつて女子の習い事の筆頭だった日本舞踊も今では大きく環境が変わっています。
 日本舞踊は歌舞伎と違い、一般の方もお稽古を通して体験できることが大きな魅力ですが、おっしゃるように、「嫁入り道具として習っておこう」という時代でもない。やはり芸術、エンタメとして、舞踊家が「憧れられる存在」にならなければ衰退してしまうと思います。自分の意志で「日本舞踊を習いたい」と思う方を増やさないといけません。流派の集まりといった内々の交流だけではなく、どう外に開いていけるか、これが未来への課題だと思っています。

 また、流派それぞれの特徴、強みをどう活かすかについて深く考えることが重要だとも思っています。例えば、和食、中華、フレンチ、イタリアン、美味しい料理はいろいろありますが、どうして美味しいんだろう?と、旨味についてしっかりと追求していかなければ個性や魅力は生まれない。ただ「日本舞踊をやればいい」という時代ではなくなっていると思います。
江戸時代で途絶えた吾妻流を昭和に復興させた祖であり、日本舞踊界に数々の足跡を残した初代吾妻徳穂さん(1909-1998)は壱太郎さんのひいおばあ様にあたります。流儀の祖は市村座の女方だったそうですね。歌舞伎の女方である壱太郎さんが家元になることで、また新しい、面白い発展が生まれるかもしれません。
 吾妻流の動きは、作品のドラマ性が強いと言うのか、身体をしなやかに使うことはもちろんですが、何か身体の使い方が粘り強い感じがあります。もちろん作品にもよりますけれど、女性である曾祖母が発展させた流儀である強みを生かした作品がいくつもありますので、それを私が男の身体でどう表現していくかはきちんと考えないといけません。ただそうした工夫は、歌舞伎の女方で追求している部分とリンクする部分でもあります。
初代吾妻徳穂さんは1950年代に「アヅマカブキ」で欧州10数カ国を巡演し、パリ公演ではジャン・コクトーが公演を大変に気に入ったという記録も残っています。革新的な活動をされた舞踊家ですね。
 海外のお客様に向けた「アヅマカブキ」はレビュー形式のようなショー的要素が強かったように思います。そういう意味では、日本舞踊には世界中の皆様に感動していただけるような表現方法がまだまだあるのではないかと感じています。
レビュー形式と言えば、「コマ歌舞伎」の歌舞伎レビュー(昭和40年代に東西のコマ劇場で壱太郎の祖父、坂田藤十郎、当時二代目中村扇雀が中心で踊り人気を博した)にも通じる気がいたしました。「ART歌舞伎」前半のめくるめく展開はある意味レビューにも近い気がします。
 祖父が若いときに取り組んでいたことは、時代を経て、改めて見直される斬新さを秘めています。ショー仕立ての新作舞踊は、いつか必ず自分でやってみたいと思っていることのひとつです。群舞の力というのも、現代の感覚から見ても魅力的に思えます。
壱太郎さんは国際交流基金のプロジェクトで海外でも踊られています。演目選びの際は、どんなことを重要視されていますか。
 土地柄にもよりますが、舞踊に関しては、華やかで豪華であれば良いというわけではなく、ドラマがあった方が良いとはよく言われます。これは私自身、『鷺娘』(道ならぬ恋に悩む鷺の精の舞踊)をヨーロッパで踊った時に強く感じたことです。引き抜き(舞台上で衣裳を一瞬にして変える演出)や、技を見せた時に拍手が来るわけではなく、踊り終わって、幕が下りた瞬間に拍手が来る。この方たちはやはりドラマを見ていらっしゃるんだなと感じました。国際交流基金では韓国、スイス、ハンガリー、ポーランドに行かせていただき、どれも大きな経験でした。
コロナ禍はまだ現在進行形ですが、このピンチに生まれた創意工夫によって拓く未来の扉があるかもしれません。今後の展開、あるいは課題について伺えますか。
 若手にとって自分の芸を深めることは一番重要なことですが、同時に、表現する場を知っていただく努力をしないと、結局自分の場所を失うことになります。「ART歌舞伎をやりました」と「劇場に歌舞伎を観に来てください」を繋げることは至難の技ですが、歌舞伎に興味を持っていただく道筋を複数つくっていくのが僕らの使命ではないでしょうか。いろいろな種を撒き、さまざまなステップをつくっていくことが大事なのだと思います。種を撒いて、水をあげて、花を咲かせて、実がなるまでは時間がかかります。この実を収穫するのが私の世代なのか、次の世代なのかはわかりませんが、すぐに実を収穫することを考えず、長い目でみて実らせる努力をしないといけないと思っています。

 ART歌舞伎は音楽も大変好評で、演奏していただいた演奏家の方々と「ART歌舞伎MUSIC LIVE」(*10)をはじめました。ART歌舞伎の第2弾も考えていますし、ひとつの企画が次に繋がるとことを大事にして、工夫しながら継続していく方法を模索していきたいと思っています。

*1 中井智弥(箏・二十五絃箏)
三重県津市出身。箏・三絃・二十五絃箏演奏家。作曲家。東京芸術大学音楽学部邦楽科卒業。6歳より箏、12歳より三絃を始め、古典的な箏、地唄三味線の研鑽を積む。一方、音域の広い二十五絃箏を駆使し、箏の持つ可能性と芸術性を追求。作曲・編曲も手がけ、伝統とモダンをミックスしたスタイルを確立。日本の古典文学や能、世界の神話などを題材にした多彩な作品を創作している。海外公演では外務省や大使館等のイベントで文化交流を担い、2018年日本・スウェーデン外交関係樹立150周年記念イベントにも参加した。
https://tomoyanakai.com/

*2 浅野祥(津軽三味線)
1990年生まれ、仙台出身。津軽三味線奏者。祖父の影響により3歳で和太鼓、5歳で津軽三味線を始め、三絃小田島流二代目小田島徳旺氏に師事。7歳で津軽三味線全国大会(弘前)に最年少で初出場。翌年より各級の最年少優勝記録を次々と塗り替える。2004年、14歳のときに津軽三味線全国大会A級で最年少優勝。その後2006年まで3連覇、同大会の殿堂入りを果たす。17歳でメジャーデビューし、2008年、ワシントンD.Cでソロライブ開催。同年4〜5月のカナダツアー、2011年9月、「バルト三国邦楽公演-浅野祥&アンサンブル」(エストニア、ラトビア、リトアニア、いずれも国際交流基金主催)に参加。
http://www.j-s.co.jp/asano/

*3 藤舎推峰(笛)
1979年生まれ、東京出身。笛(篠笛・能管)演奏家。祖父・藤舎秀蓬、伯父・藤舎名生、父・中川善雄に師事。東京藝術大学大学院修了。浄観賞、同声会新人賞、アカンサス賞受賞。2004年伯父の前名である「推峰」を襲名。2011年には国立劇場主催「明日をになう新進の舞踊・邦楽鑑賞会」に推挙される。国内外で公演を行い、ヴァイオリンと邦楽のユニット「竜馬四重奏」など、多方面で活動中。
https://m.facebook.com/toshasuiho/

*4 山部泰嗣(太鼓)
1988年生まれ、岡山出身。3歳から太鼓に親しみ、6歳で初舞台。「東京国際和太鼓コンテスト 大太鼓部門」では史上最年少の16歳で最優秀賞を受賞。演歌歌手との舞台競演、きゃりーぱみゅぱみゅらJ-POP、ロックとのセッションまで幅広いエンターテイメントとの競演を精力的に行っており、プロ奏者として海外にも活動の場を広げている。世界30カ国と地域で500万人以上を動員した体験型エンターテインメント「FUERZA BRUTA」の日本公演「WA!」にも参加した。
https://www.yamabe-taishi.com/

*5 友吉鶴心(薩摩琵琶)
1965年生まれ、東京出身。幼い頃から日本文化芸能の様々な稽古を受け、両祖父の影響で薩摩琵琶発展を志して鶴田錦史に師事。古典はもとより国内外でセッションを重ね活躍。昨今では、ゲーム「モンスターハンター」 の琵琶音楽も担当。また、NHK 大河ドラマ等の芸能考証・指導、NHKラジオでレギュラー番組を勤める。
http://biwagaku.com

*6 「趣向の華」
歌舞伎俳優の七代目市川染五郎(現松本幸四郎、日本舞踊松本流家元)、日本舞踊家の藤間勘十郎(藤間流宗家)、尾上菊之丞(日本舞踊尾上流家元)が中心となり、歌舞伎にとどまらないさまざまな趣向を見せる企画として、2008年から2014年まで開催。若手歌舞伎俳優も参加し、壱太郎は同企画の中で上演された『若華競浪花菱織(わかぎくらべなにわのひしおり)』(2013年)などにおいて「春虹(しゅんこう)」の名で脚本・演出に挑戦した。

*7 歌舞伎アカデミー「こども歌舞伎スクール 寺子屋」
和装での立ち居振る舞い、礼儀作法、日本舞踊、そして歌舞伎での子役の演技などを、実際に歌舞伎の舞台に携わる講師陣が指導する松竹株式会社運営の教室。2019年夏には同教室の生徒たちが出演し芝居『四勇士(よんゆうし) 〜友と共にあめアメふれフレ』を創作。壱太郎は脚本、演出、振付、作調を手がけた。

*8 「三番叟」
神聖な儀典曲で天下泰平を祈る能『翁』に由来。三番叟の舞は五穀豊穣を寿ぐといわれ、躍動的な足拍子からは農事にかかわる地固め、鈴ノ段は種まきを思わせ、豊作祈願がうかがえる。歌舞伎や人形浄瑠璃、また日本各地の民俗芸能や人形芝居のなかにも様々な形で残っている。

*9 「閑吟集」
16世紀初頭、室町時代に流行した小歌311首を編んだ歌謡集。

*10 「ART歌舞伎MUSIC LIVE」
「ART歌舞伎」の劇中曲を、津軽三味線の浅野祥、笛の藤舎推峰、二十五絃箏の中井智弥、太鼓の山部泰嗣らが演奏するコンサート形式のスピンアウト企画 。壱太郎をはじめ舞踊家が参加することもある。