藤間勘十郎

歌舞伎舞踊の振付師とは? 8世藤間勘十郎に聞く

2006.03.29
藤間勘十郎

藤間勘十郎Kanjuro Fujima

1980年東京生まれ。歌舞伎舞踊振付師。日本舞踊宗家藤間流家元。祖父は膨大な振り付け作品を残し、典雅な踊りで高い評価を得た人間国宝の6世藤間勘十郎、母も現在活躍中の歌舞伎舞踊振付師3世藤間勘祖(かんそ)。2002年、22歳で8世勘十郎を襲名。03年芸術選奨文部科学大臣賞新人賞受賞。04年12月、勘三郎襲名を控えた中村勘九郎が主演した『今昔桃太郎』など新作の振り付けも多い。

日本舞踊には現在、約200もの流派があると言われている。その中で五大流派と呼ばれているのが、花柳流、藤間流、若柳流、西川流、坂東流である。今回インタビューした8世藤間勘十郎は、歌舞伎の振付師の家系として知られる宗家藤間流の若き宗家だ。藤間流は、江戸時代、藤間勘兵衛が創始したもので、彼が1700年代から続く「勘十郎」の名を継いだのは22歳の時。歌舞伎の舞台を裏で支える演出家であり、舞台監督でもある振付師の仕事について、話をうかがった。
聞き手:奈良部和美
残念ながら、現代の日本では日本舞踊よりはクラシックバレエやリバーダンスのほうが話題になるようです。歌舞伎舞踊と日本舞踊の違いがわからない人も多いだろうと思います。初心者向けに教えていただけますか。
歌舞伎は読んで字のごとく、歌あり、踊りあり、技あり。そもそも出雲の阿国が歌舞伎を始めた時は、お能の影響を受けていますから、芝居というよりは踊りが中心だったでしょう。歌舞伎が進化して、せりふが加わり、女形が出来て、三味線が入って、現在行われている歌舞伎舞踊の形になったのは江戸時代ですが、歌舞伎のもとは阿国の時から踊り。今も歌舞伎の所作、動きの基本は踊りです。長唄や清元など三味線音楽が流行りだして、歌舞伎の人気が高くなると、素人さんがやりたがったり、花柳界ではお座敷芸で歌舞伎のような躍りをやるようになる。そうなると一般の方に教える人が必要になります。歌舞伎は男にしか出来ませんが、踊りの腕の立つ女の人が師匠になって、日本舞踊というジャンルが出来てきたのだと思います。
勘十郎さんは職業を尋ねられると、どう答えられますか。舞踊家ですか、振付師ですか。
振付師ですね。今、25歳なので、若手ナンバーワンの振付師と名乗っています。私以外に若手はいませんから(笑)。だいたい我々の世界で若手というと50歳以下を指しますが、30歳代、40歳代といっても誰もいませんから、若手ナンバーワンじゃなくて、若手オンリーワンなんです(笑)。
歌舞伎は、400年の歴史の中で、役者が演技の型をつくり、代々伝えてきたと思います。振付師はどんな役割を果たすのですか。
みなさん誤解されていることが多いのですが、歌舞伎舞踊の型、いわゆる振り付けは役者さんの家に残っているのではなく、私ども踊りの家に伝えられているものなのです。例えば、役者さんが来月の歌舞伎座で『京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)』を踊ることになるとします。『道成寺』の振りは勘十郎家のものでと決まりますとお稽古にみえる。そこで振り付けをおさらいした後、代々歌舞伎役者の家の方の場合は、例えば父上から「僕の時はこうやったよ」と教わるわけです。つまり、基本的な振りを教えるのはあくまで振付師の役割なんです。
教える振りは役者さんによって違うものですか。
違います。役者さんはそれぞれ体型もちがえば癖も違うといったように十人十色なので、それに合わせて振り付けも変えます。祖父の6世勘十郎は、よく「振り付けはひとつじゃない。自分でつくればいい、それが振付師だ」と言っていました。つまり、こうでなければならないという型はないということです。
25歳の役者が65歳の役者と同じように動いたら、お客さんは何をゆっくりやっているのかと思うでしょうから、役者さんが良く見えるように動きを加えます。70歳の方にはゆっくり動くだけで円熟味を感じるように振り付けます。つまり、どの役者さんが踊っても役者が映える、踊りの名手に見えるようにするのが振付師の役目です。
もちろん、役者さんの性格や癖も把握しておかなければなりません。役者の癖を踊りに取り入れるのは祖父が始めたことですが、そのきっかけをつくったのは美男子で名高い15世市村羽左衛門さんだったそうです。羽左衛門さんが6代目中村菊五郎さんを相手役に歌舞伎舞踊の大曲『将門(忍夜恋曲者)』を踊ったのですが、名優の競演なのにさっぱり客に受けない。「おめえの振りが悪いから拍手がこない。受ける振りを考えろ」と、羽左衛門さんに怒鳴られて、祖父が「明日までに」と答えましたら、「今ここで考えろ。それが出来ないなら死んじまえ!」と言われて。祖父は困って、思い出したのが羽左衛門さんの癖です。羽左衛門さんはお芝居の時、両手を胸の辺りで左右に振る癖があったらしいんです。それを踊りに取り入れたら、次の日の舞台はすごい拍手だった。以来、羽左衛門さんは祖父を信頼してくれたそうです。
6代目の話が出ましたが、踊りはおじいさまに教わったのですか。
祖父とは80歳違いますから、とてもかわいがってくれましたが、師匠ではなくて、踊りは母に教わりました。僕の初舞台は2歳半でしたが、周りが踊りをする環境でしたから、嫌々やるというのではなく、普通のこととしてやっていました。小学校へ行くようになっても、放課後は友達と遊ぶよりは、家に帰って踊っていましたね。
帰ると祖父が遊んでくれるのですが、人形を使ってお芝居ごっこをするんです。人形といってもプラスチックでできたレゴ人形で(笑)、祖父の口三味線でレゴ人形を動かす。その遊びの中で芝居のストーリーや曲の歌詞を自然に覚えていきました。遊びながら昔話や役者評も聞かせてくれたのですが、それが今、とても役に立っています。
レゴ人形は今も振り付けを考える時に使っています。大勢が動く踊りの振り付けをする時は、頭の中で考えていると、一人ひとりの動きがわからなくなるので、レゴ人形に役者さんの名前を書いて動かしながら考えます。それを稽古場に持っていって、役者さんに説明することもありますが、端で見ていると大の大人が人形遊びをしているようでおかしいですよね(笑)。
初めて振付師として仕事をしたのはいくつの時ですか。
高校1年の2月だったと思います。歌舞伎の地方公演に母のお供で行った時です。公演の前日、食事の時に母が「こういう所には仕事じゃなくて来たいですね」と言ったら、中村富十郎(なかむらとみじゅうろう)さんが「じゃあ明日はお母さんは休んで、坊ちゃんにやってもらいましょう」と言われて、エッと思っていると、母も「そうですか、よろしくお願いします」と‥‥。翌年2月には、母と二人で振付師として歌舞伎のイタリア公演にも同行しました。これが本格的な仕事始めになりますが、母の手元を離れて独り立ちしたのは20歳の時です。
振付師は稽古ばかりでなく、公演にも立ち会うのですか?
振付師の仕事は、ある意味で演出家みたいなものだと考えていただければいいと思います。踊りの演目の場合、踊る役者の動きもさることながら、照明、大道具、小道具、衣装、かつら、音響すべてを理解していて、全体をまとめる指示を出すのも振付師の役割です。
歌舞伎の場合、全員が集まって行う総稽古は3日間しかありません。それまでは役者、三味線、鳴物など、みんなそれぞれ自分で稽古をしていて、開幕3日前に大道具や照明などの裏方も含めて全員が初めて顔を合わせます。その時、じゃあ幕の開く時の音はこうしてください、と指示を出したり、早変わりの場面で、どこで舞台から引っ込んで、衣装を変えてどこから出てくるか、その時の三味線は曲のどこを弾いてください、とか段取りを付けるのもすべて振付家がやります。道具の大きさが役者の体に合わなくて動きにくいと思えば、小道具方に交渉して小道具のサイズを変えてもらうのも私の仕事です。音楽や照明に役者さんから注文がつけば、担当者に伝えて調整もします。
振付師というのはコレオグラファーだと思っていたのですが、演出家でもあり舞台監督でもあるのですね。
そうですね。現代劇の演出家と違うところは、あくまで主体は役者にあるということです。どんな時も役者さんが一番で、役者さんの注文にどう答えるか、役者さんがよく見えるためにはどうすればいいか、それをあくまで裏から支えるのが私どもの仕事です。
そのためには踊りのことだけわかっていればいい、というわけではありません。照明、装置、衣装、音楽、すべてに通じていなければなりませんし、それに関わっている人のご協力がなければできないことです。大変なこともたくさんありますが、私は振付師という仕事が楽しくてしょうがありません。古典でもここを変えれば面白くなる、お客さんに受けるだろうなと考えながら、練って練って、舞台にかける。自分の頭の中で考えたことを、一流の役者さんが踊ってくださり、お客さまの拍手喝采がいただける。私が「そこで太鼓」と言えば、ドンと鳴る。これはつくった者にしかわからない快感です。
蜷川幸雄さんなど現代劇の演出家が歌舞伎を演出して注目されていますね。
振付師はあくまで裏方ですから、ポリシーとして日の当たるところに出るべきではないと思っています。役者さんがよく見えればそれでいいんです。この人がいれば何とか話がまとまるだろうと、役者からも興行主からも、演奏家からも裏方からも信頼されることが大事です。どうしても私に振り付けを頼まなければいけないということはないわけですから、信頼されなければ仕事はいただけなくなります。
本当のプロの世界は年齢も名前も関係なくて、問われるのは実力です。私は祖父の13回忌に勘十郎を襲名しましたが、藤間流の宗家になったからといって仕事がくるわけではありません。歌舞伎舞踊の振付師と呼ばれているのは母と私の二人しかいませんが、日本舞踊の舞踊家はたくさんいるのですから、僕に実力がなければ、ほかの方に頼めばいい。
生半可な知識では舞台で指示は出せないので、自分で言うのも何ですが、ものすごく勉強しました。中学生の頃から長唄や三味線、鳴物に触れていて、歌舞伎座の御簾内(みすうち/演奏者が入る舞台下手のスペース)で演奏させてもらったこともあります。そうするとそこで演奏する長唄さんの気持ちもわかるようになりますし、演奏家の友人もたくさんできました。
若くしてこの重責を担うのは相当なプレッシャーですね。
最高の息抜きは、自分で台本を書いて、自分が主役で舞台をやることですね(笑)。長唄にも清元にも、鳴り物にも友人がいますから、僕のやりたいように演奏してもらう。誰も文句を言わないんだから、いっさい妥協しなくていい。もう快感です。
3月にフランスの演劇志望の学生に歌舞伎舞踊の指導をされると聞いています。
今回は、演劇を学んでいる人たちが対象なので、日本舞踊ではお酒を飲む仕種はこうするとか、手拭いをこう使うと波を表現できるとか、扇子の使い方とか、後々、舞台をやる時に少しでも役立つものを伝えられればと思っています。
日本舞踊の基本は、「腰を折ること」と「すり足」です。すり足は着物を着た日本人が美しく見える歩き方です。大股でバサッバサッと歩くと裾さばきが汚いでしょう。すり足でスムーズに足を出すためには、腰を折らなければできません。こういう日本舞踊の基本を学んでいただくのですから、もちろん着物を着て、足袋を履いて勉強していただきますし、着方や畳み方も指導します。
勘十郎さんは宗家藤間流の宗家でもいらっしゃいます。日本舞踊は習っている方は多くても、お弟子さんが見に行くぐらいで、日舞を楽しむ観客がいないように思います。日本舞踊のファンを増やすには何が必要だと思いますか。
日本舞踊は日本人が築き上げてきた美意識のかたまりです。なので、踊りを見ていると、ああ、きれいだと思うことがたくさんあります。手の開き方ひとつとっても、手を細く美しく見せる工夫があるし、立ち方にも半身に構えると痩せて見えるといった、単純だけど長い間に培われてきた工夫がたくさんあります。それは次の世紀に伝えていかなければいけないし、その繋ぎ目に、私はいるのだと思っています。
古典は面白くないというイメージがありますが、歌舞伎も踊りもお客さんあっての娯楽として発展してきたわけですから、絶対に観て面白い要素があったはずです。畏まって見るような、高尚なものじゃありません。日本舞踊の世界でも最近はシンセサイザーやギターで踊ったり、奇抜な演出の公演をしたりしていますが、ちょっと違うような気がします。
実は、1年ほど前に大阪で若手舞踊家6人で公演をしたのですが、その時はとにかくお客様が沸くものをやろうと、紋付き袴で踊る素踊りで早変わりをやりました。髪形を変えたり、紋付き袴の色を変えたり、僕らは汗だくでしたけれど、お客様にはとても受けた。日本舞踊の生みの親は歌舞伎ですから、もっと歌舞伎の力を借りて日本舞踊を面白くしたらいいと思います。歌舞伎の仕事を大切にしながら、いずれは日本舞踊の可能性を知らせる仕事もしたいと思っています。

舞踊 常磐津 “将門”(2004年/石川県立音楽堂)
撮影:山田黎二

長唄『月見座頭』(2003年/国立小劇場)
撮影:山田黎二