Artist Interview アーティストインタビュー

A look into the choreographic art of Akira Kasai, fifty years after entering the world of Butoh
dance
舞踏をはじめて50年 笠井叡の振付世界とは?
笠井叡は1963年に大野一雄に、翌64年に土方巽に出会い、舞踏家としての活動を始める。1971年には若干28歳で天使館(*1)を創立。ここから、山田せつ子や山崎広太などの舞踊家を輩出。79年、ドイツに旅立ち、シュトゥットガルトのオイリュトメウムに入学。85年に帰国後、シュタイナーの人智学についての講演、オイリュトミーについての講演や公演を各地で開催する。94年に『セラフィータ(*2)』でダンス界に復帰してからは、自身のソロ公演に加え、木佐貫邦子、伊藤キム、白河直子、黒田育世など日本のコンテンポラリーダンスを代表する舞踊家たち、世界のバレエ界を代表するひとりルジマトフなどにも振り付けるほか、北米、南米、ヨーロッパ、韓国など海外での公演活動も精力的に行う。
2012年11月、これまで交流のなかった麿赤兒率いる大駱駝艦との共演が、笠井の振付『ハヤサスラヒメ』(世田谷パブリックシアター)として実現する。この作品では、笠井、麿に加えて、天使館と大駱駝艦のダンサー各4人、オイリュトミーのメンバー20人が出演。ベートーヴェンの交響曲第九番全曲を、『古事記』に記された天地創造の物語に見立て、天使館と大駱駝艦が、善と悪、天と地など対立する宇宙の2原理を踊りで体現した。笠井と麿は、闘い、融合し、遂には二人で一人のハヤサスラヒメとなって、全ての汚辱を呑み込み世界の闇を光に変える──。
舞踏、モダンダンス、コンテンポラリーダンス、オイリュトミーなどのジャンルに囚われることなく、舞踊家としても振付家としても独自のクリエイティブな活動を続ける笠井は驚異的とも言える存在だ。笠井叡に、改めてその寄って立つところを聞いた。
聞き手:石井達朗[舞踊評論家]