栗田芳宏/横内謙介

東西の古典の出会い
栗田芳宏が仕掛けた、能楽堂のシェイクスピアシリーズ

2005.03.16
栗田芳宏

栗田芳宏Yoshihiro Kurita

1957年、静岡県生まれ。96年「カッコーの巣の上を」で演出家デビュー。97年吉田鋼太郎と共に「AUN」を結成。現在、新潟市民芸術文化会館「りゅーとぴあ」のアソシエイト・ディレクター。主な演出作品『ピエタ』『大正四谷怪談』『リア王』『オーファンズ』『リチャード三世』『カッコーの巣の上を』『ハムレット』『モンテ・クリスト伯』、りゅーとぴあプロデュース作品ミュージカル『ファデット』、ミュージカル『家なき子』、『ビリーとヘレン』、劇団扉座創立20周年公演『フォーティンブラス』など。

横内謙介

横内謙介Kensuke Yokouchi

1961年、東京都生まれ。神奈川県立厚木高校在学中に高校演劇をはじめ、処女作『山椒魚だぞ!』で演劇コンクール優秀賞を受賞。早稲田大学在学中の1982年に劇団「善人会議」を旗揚げし、物語性に富む、個性的なキャラクターの登場する作品を発表する。93年、あえて劇団制にこだわり、再スタートを切る意味で、劇団名を「扉座」に改名。「観やすい、楽しい、分かりやすい」作風で、職業劇作家として幅広く活躍し、市川猿之助率いるスーパー歌舞伎や商業演劇にも作品を提供している。テレビのパーソナリティやワークショップの指導者としても活躍。『愚者には見えないラ・マンチャの王様の裸』で岸田國士戯曲賞受賞。スーパー歌舞伎『新・三国志』で大谷竹次郎賞を史上最年少で受賞。

新潟市民芸術文化会館プロデュース「りゅーとぴあ能楽堂 シェイクスピアシリーズ」は三間四方の和の空間に洋のドラマを融合させ、新しい古典の可能性に挑んだ意欲作。台本・演出を担当したのは、日本舞踊と市川猿之助歌舞伎を経て、現代演劇に進出した気鋭・栗田芳宏。能楽堂とシェイクスピアの出会いで発見したものは──猿之助門下として親交のある横内謙介と語り合った。
聞き手:劇作家・演出家 横内謙介
横内:そもそも能楽堂でシェイクスピアを上演することになったきっかけは?

栗田:非常に単純で、僕が6年前からアソシエイト・ディレクターとして活動している新潟市民芸術文化会館に能楽堂があったから(笑)。

横内:そばにあって空いていたから(笑)?

栗田:そうそう(笑)。実際は、『マクベス』の企画が先にあって、そこにたまたま能楽堂があった。新潟はもともと能にゆかりのある土地柄で、世阿弥が流された佐渡には、今でも島内に能舞台が30カ所以上も残っている。薪能も盛んだし、能楽師にとって新潟で演じることはひとつのステイタスにもなっている。そういう土地柄なので会館の中に能楽堂がつくられていて、身近なところに使える施設としてあったというのがこの企画の発端としては大きかったと思う。

横内:能楽堂からの発想ではなかったとしても、条件的にそれが使えたというのは凄い。そこが新潟の恵まれているところですよね。普通はそう簡単に使えるものではないし。これまでも1970年代に、太田省吾さんや鈴木忠志さんが能舞台を使って前衛演劇を上演したことはあるが、今回はシェイクスピアだから、発想を変えないと難しかったのでは?。

栗田:4本の柱に囲われた三間四方の本舞台と橋掛かりだけの能楽堂という空間で、西洋のシェイクスピアをやるわけだから、普通なら「それはないだろう」と思うところがたくさんあるははず。しかし、僕にはそれがなかった。むしろ、これは面白いと思った。

これまでもシェイクスピアや翻訳劇を上演してはいたものの、自分の中に限界を感じていたところがあって。多分、自国語ではない翻訳の台詞に矛盾を感じていたのだと思うが、役者に生活感のある台詞を言わせようとしても、歴史的な背景があるわけではないから難しい。

でも実はシェイクスピア劇はどちらかというと非現実的な言葉の羅列であって、それが詩的だったり、音楽的だったり、ファンタジックだったり、道化やお化け、妖精や魔女もでてくるし、つまりはイマジネーションの世界。

そして能楽堂というのは、装飾がほとんど許されない、何もないnaked theater(裸舞台)だから、言葉に依拠してどうイメージさせるかにかかっている。つまり能楽堂はイメージの空間であり、それがシェイクスピアにはぴったりだった。それで、シェイクスピアの戯曲と能楽堂の空間を結婚させて混血を生み出せたら、イギリスでもない、日本でもない、ここでしか生まれないオリジナルなシェイクスピア劇がつくれたら面白いと思った。

僕の考えるオリジナリティというのは、能楽堂という異空間とのミスマッチを狙ったものではない。和製の漆塗りのお椀のなかに洋風のコンソメスープを入れるのではなく、同じ材料を使って、みそ汁でもなければコンソメでもない別の新しいスープをつくりたかった。

横内:ところで能楽堂は本当に舞台美術を飾れないんですか? たとえば、セットのために釘を打ちたいケースもでてくると思うけど。

栗田:もちろんダメ。基本的に能楽堂では装飾は許されていない。今回の『リア王』は新潟からスタートして、東京の梅若能楽学院会館をはじめ、各地の能楽堂で公演したが、能楽堂によってもルールが違っていて、柱に触れるのもダメなところもあれば、欄干を跨ぐのもダメなところがある。『リア王』では白石加代子さんのアイデアでリアをいろいろな場所から登退場させようということになったが、能楽堂の制約があって、客席から出てきてはいけないとか、自由にはならなかった。われわれ演劇人が使うことに対して非常に厳しい目があるのも事実です。

横内:一般には能よりブロードウェイミュージカルを見たことある人のほうが圧倒的に多いし、僕らにとって、能は、欧米の演劇よりも遠い存在。栗田さんは、このシリーズを始めるにあたって改めて能狂言の勉強したんですか?

栗田:いいえ。ただ僕が学んできた歌舞伎舞踊は能が起源だから、能楽の決まり事や歴史についてはある程度の知識はあった。多少、ビデオを見たりはしたけど、ちょっと調べただけでも能楽の様式には脈々と受け継がれてきたルールがあって、一息の間だとか、一足の運びとか、そういうことに縛られはじめると窮屈で何も出来なくなってしまう。むしろ知らないからやれることや生まれてくる発想もあるので、そちらを生かそうと。もちろんやってはいけないことをやって失笑を買うことはあるかもしれないが、能楽堂という空間を面白く生かすための新しい知恵や工夫があってしかるべきでしょ。

横内:僕はてっきり、このシリーズのためにどこかで1年ぐらい修行していたのかと思いましたよ(笑)。

栗田:ある人に、栗田は「和」をどこまで知っているかと聞かれたことがある。「和」なんて僕には分かりませんよと答えたけど、それより「和」とは何かという疑問の方が沸いてきた。つまり、日本人の日本人のためのスタイルとは何だろうと。そして、どこまでそれを知らなくてはならなくて、どこまでそれにこだわる必要があるんだろうと。横内:栗田さんの場合、現代演劇を始める前、本格的に日本舞踊と歌舞伎をやっていたでしょ。だから、改めて能を勉強したかどうかは別にして、古典を何も知らない演出家が、能楽堂でパンクロッカーのように暴れてるんじゃないことを伝えておかないと(笑)、誤解を招いてしまう。

たとえば、橋掛かりや能舞台というものの知識は誰もがもっているかもしれないが、栗田さんは、そこがどういう場所であり、どういうことが行われるべきところなのかということを感覚的に、身体的に理解できている。歌舞伎の市川猿之助さんや日舞の藤間流宗家での修行時代に培った経験がそこに生かされている。実際に栗田さんの演出を見てもそういうバックグラウンドをかなり感じます。栗田:確かに「所作」という意味においては、能と日本舞踊の違いははっきりと理解できるし、能と狂言との違いも分かる。祖母が日本舞踊家だったこともあるが、もっと大きいのは藤間流宗家に内弟子として4年間いた経験。そこでは稽古に来ていた歌舞伎役者たちとの交流もあったし、宗家が新作を生み出すためにいかに苦しんでいたかということを間近で見てきた。振り返ってみれば、「和」の世界に実質20年いたわけだから、そういう意味では能楽堂で演出することについて「僕がやるんだから間違いない」という気負いはあります。それは、藤間紫さんと猿之助さんに師事したわけだから、パンクロッカーとは違う(爆笑)。

横内:実際に能楽堂でシェイクスピア劇をやってみて、難しいと思ったところは?

栗田:それはやはり台本です。普通の劇場で上演する場合はそのままやればいいが、能楽堂となるとまず上演時間の長さが問題になる。能楽堂の公演は、狂言で1本30分、能でせいぜい1時間。上演時間3時間などという作品は能楽堂ではかけられない。

それと、能楽堂は儀式の場なので、戯曲をテキレジして、その場に相応しいように儀式化、様式化しないといけない。そのために、外枠の世界をつくる必要があるが、そうすると物語として誰がその世界を司るのかという問題が生じる・・・。

横内:それはどういう意味?

栗田:能楽堂は儀式の場だから、そこで写実的な演劇をやろうとしても仕様がない。登退場するところも橋掛かりしかないから、普通の劇場のように人物が出たり入ったりすることさえできない。だから、物語をある世界観に閉じこめて、様式化するわけだけど、そうするためには戯曲の中にその世界を司っている目をつくる必要がある。

それがシリーズ1作目の『マクベス』の場合は魔女だった。原作は3人だけど、魔女たちに操られているマクベスやマクベス夫人の世界をつくるには3人だけだと立体的にならないので、鏡演出として魔女を6人に仕立てた。

『リア王』の場合は、リアの影法師を3人登場させて、その影法師が司る儀式にした。ケントもグロスターもエドマンドも登場せず、その情報を影たちに与えてリア王と3人の娘の話だけにした。

今、企画している『冬物語』については、母親が子どもに物語を話して聞かせるというスタイルなので、その言霊として登場する子どもたちが司る物語にしようと考えている。つまり、物語のがっちりした外枠の世界をつくらないと能楽堂での上演は無理ということ。そのためにテキレジというか、演出構成という方が近いと思うが、シーンをずらして、コアになるものを取り出して、それを中心に世界を広げるような台本づくりをしている。

横内:(大きくうなずいて)なるほど。では、誰かが司らなければならない空間というのは、何ですか? 歌舞伎にはないですよね。

栗田:ええ。能楽堂という劇場自体が、一般に考えられている劇場とは違う。そこは祭祀的な場、つまり日本古来にあった、舞を踊ることによって雨乞いや米の豊作を祈祷する場としてスタートしている。そういう場に、いわゆるリアリズム演劇を当てはめてもうまく結婚はできないでしょ。

横内:そういう空間で展開されるドラマから、観客は何を得るんですか?

栗田:観客が何かを得るということ以前に、観客もイマジネーションを持たなければいけないということだと思う。はじめから大胆な虚構の世界であることが提示されている能楽堂の観客と、プロセニアム劇場の観客では、観客自体のルールが違っているはず。

たとえば、プロセニアム劇場でリアルな椅子が一脚あれば、その1センチと観客の座っている椅子の1センチは同じ寸法になるが、装飾のない能舞台においては1センチというのが1ミリになったり、1キロになったりする。照明もほとんど地明かりだから、明かりで演出することはなくて、あるのは役者の肉体とそれに対する演出だけ。

横内:それと言葉。

栗田:そう、肉体と言葉しかないんだから。投げたイメージを観客が自分のイマジネーションと合わせて受け取るという共同作業ができる。

横内:そういう場所なんだ、能楽堂は。

栗田:そう、そういう場所だと思うんです。

横内:能楽堂で上演可能な戯曲として、シェイクスピア以外に何か考えられますか?

栗田:難しいですね。ギリシャ悲劇を能楽堂でやったらと考えると、できないこともないとは思うけど、シェイクスピア以上の効果はまず出ない。

シェイクスピアが演出家や役者によっていろいろなオリジナルをつくることが可能な戯曲だと思う。劇作家が全部指示をしてしまっている本が多いなかで、シェイクスピアにはト書きも少ししかないし、後は、勝手にやってくれって言われている気がする。この不完全なところが魅力。研究者や翻訳者はそうではないと言うかもしれないけど(笑)。

横内:シェイクスピアは構成とか関係とか実に緩いところがいっぱいあるけども、その台詞の一言一言はその緩さを補ってあまりある含蓄がある。

栗田:だから研究は学者に任せて、シェイクスピアの世界を僕らはもっと自由に遊んでいいんじゃないかと思う。それは能楽堂を使うという意味においても同じ。

それを言うと、横内さんの作品で、舞台上にベッドをひとつだけ置いて上演した『愚者には見えないラ・マンチャの王様の裸』のイマジネーションは、能狂言に通じるものだと思う。それだけで、世界のすべてを作ってしまったんだから。

横内:ただあれは、ザ・スズナリというソデもない、場面転換もできない小劇場での公演だったために、空間的な制約から、その場所で行われるメタシアターな物語にした。たしかに空間によって物語が動き始めるということはあって、能楽堂という場自体が求めているある種のドラマがあるというのはわかる。だから、チェーホフなどを能楽堂でやる意味はあまりないですよね。三島由紀夫の『近代能楽集』というのも企画が出そうだけど難しいと思う。

栗田:実は『桜の園』も企画に上がったけど、どうにもこうにもならない(笑)。三島も上演できるか読んでみたけどダメ。太宰治の『新ハムレット』もダメだった。やっぱりシェイクスピアの曖昧さの力が能楽堂には合う。

横内:人間関係を描いていても、宇宙観がないと始まらない。

栗田:そう。だからといって能楽堂で哲学を述べようという気はさらさらないけど、そういう思考のある普遍的な戯曲でないとなかなか難しい。

横内:ところで、『マクベス』も『リア王』も、出演者の大半は新潟でオーディションした、栗田さんの育てている若い俳優たちですよね。そういう若者たちに、能舞台が求めている様式を伝える必要があると思うけど、本格的な能狂言の技術を習得することは不可能にしても、演技指導なりは必要では?

栗田:育成の問題は一番悩んでいるところ。企画が決まり、オーディションで選んだ役者に所作指導から始めて発声指導などを3カ月ぐらいでこなしてもらう。それをずっと続けられる養成システムがあって、能の専門家が基礎的な稽古をつけてくれるようになればいいけど、今は公演毎の練習しかできない。特に能楽堂では普通の発声では声が通らないので苦しい。横内:たとえば、その点、鈴木忠志さんなどは、自分のスタイルや様式をつくることに力を注いで、「鈴木メソッド」という訓練法をつくった。栗田さんはそういうことには興味はないんですか?栗田:メソッドのようなかたちで自分のスタイルをつくろうという考えは全くありません。作品ごとで、観客が興味を持てるような創意をすることに興味がある。だから、『マクベス』と『リア王』も、能楽堂だから一定のルールはあるが、必ずしも同じ演出スタイルでやっているわけではない。『マクベス』で考えた栗田イズムが『リア王』で通用するとは限らないので、その都度、作品に向き合うということが重要だと思っています。

横内:能楽堂シリーズの具体的な演出について。照明は?

栗田:三間四方の屋根の部分に組み込まれている照明と、あとは客席の後ろに機材をつるす程度。色を使うこともできるけど、今回は地明かりの明るさを変える程度でした。

横内:それはルールとして決めたんですか?

栗田:決めたというよりは、今は、能楽堂でやる限り能楽堂の品位品格のようなものや能舞台のルールをある程度尊重していこうという考えがある。ただ、大胆な照明を使いたい作品が出てきたら、そのときは挑戦するかもしれない。

横内:音楽については? 宮川彬良さんとは、劇場のミュージカル公演でもコラボレーションしているけど。

栗田:能楽堂シリーズでは、宮川さんが舞台下にピアノを置いて、生演奏している。『マクベス』は、魔女たちの儀式にわらべ歌のようなピアノ音楽を合わせたのでずっと音楽が聞こえている感じだった。『リア王』は、当初7、8曲用意されたのに2曲に減ってしまった。影法師という影の世界だから、ピアノのようにはっきりと旋律が刻まれる音楽が気になり始めて・・・。能楽堂のような儀式の場には、太鼓のようなイマジネーションに頼る曖昧な音の方が合うのかもしれない。

横内:能舞台を見て、これはピアノが合うとか、合わないか、太鼓は合うけど三味線は合わないとかいう感覚や、栗田さんが感じている『リア王』にはピアノの旋律が合わないという感覚は日本人が共通してもっているものなのか。それとも空間というものに感性を持っている人にしか分からないものなんでしょうか。

栗田:音楽は難しい。それを追求している演出家とえば、ピーター・ブルックだと思うが、三間四方の絨毯を敷いて能舞台をモチーフに上演した『ハムレットの悲劇』では、楽師がいて生演奏し、鳴り物的な効果を出していた。照明もイエローを基調とした明かりをぼんやりと点けているだけ。能スタイルに必要な音とはこういうものなのだと勉強した結果でしょう。そこでもピアノではなく、鈴や太鼓などのあいまいな音色だった。

横内:衣裳は? 

栗田:『リア王』では、影法師が主役だから一体一体に知恵の帽子、つまり烏帽子を被せた。これについては自分で絵を書きました。

横内:烏帽子の発想はどこから?

栗田:平安時代の貴族の烏帽子を基調にした。あとはもちろん衣裳プランナーのオリジナリティもあります。予算の制約もあるし、使える古布も限られていましたが、いろいろと動きを試しながら機能性を考えた。舞台では靴ではなく、足袋を履いているのでそことのバランスがどうしてもでてくる。こういう着物でもドレスでもない和洋折衷の衣裳をつくる際に気をつけなければいけないのは、ファッションショーになってしまわないこと。難しい作業だけど・・・。

横内:これまで2作品つくって、思うところは?

栗田:能舞台についてはいろいろ考えるところがあった。能舞台には正面と脇があるでしょ。たとえば円形劇場はどこが正面でもないが、能楽堂では正面を向くと脇から鋭角的に横顔を見られるし、脇を正面にして演出したときは、正面席から横顔を見られる。こういうことを常に意識しなければいけない。円形よりもよりも難しくて、どこからもスキが見せられない。演出席を変えながらチェックをしたけど、正面で成立している画が脇では案の定成立していなかったり、みたいなことがたくさんある。

それと長い橋掛かりと柱に必ずデッドゾーンがある。新潟の場合は、柱がひとつ取れるので、心配はないけど。このデッドの後ろにどうやって役者を立たせておくのか、長く立たせられないならどう動かすか。歌舞伎の花道には七三という確固たる見得を切る場所があって、そこを中心に展開することができるけど、能舞台の橋掛かりにリアを立たせたとしても、デッドになる場所がたくさんできてしまう。長く立たせたいけど、できないみたいな。夜中にのこぎりもって柱をぜんぶ切ってやろうかと思うほど(笑)。

能楽堂はこういうピンチの連続のような場所だけど、マイナスが多ければ多いほどプラスが浮き彫りになる。すごく面白かったのは、『マクベス』で最初に王が殺される場面。その王が死んだ直後に門番が登場するけど、能楽堂シリーズでは魔女たちに殺された王が目が覚めたとたん、一瞬にして門番に変わるという演出をした。殺された王様を退場させられなかったから、イマジネーションをうまく使って、そのまま王と門番を一人二役にしたら予想以上に効果的だった。

横内:当然それらは劇場での演出に使うこともできるけど、劇場だと意図が見え過ぎて場合によっては鼻につく。でも能楽堂だとよりマッチするんでしょうね。

栗田:夢幻能のように、登場人物が全員亡霊だったとしてもいいわけ。どんな役に姿を変えようが、どんな退場の仕方をさせようが、死んだ後にどんなふうにそこにいさせようが、夢幻能というイメージを持っていればなんでもできる。リアルで写実的な空間ではないから成り立つんです。

横内:空間が教えてくれる芝居があるということですよね。

栗田:ええ。それと、能楽堂では、「静」をいかにうまく演出できるかです。能楽堂で許される「動」は一瞬だから。その一瞬の動をより動以上に見せる静をどう演出するかが求められる。静と動の逆転です。これは日本独特のものだと思う。能の『黒塚』の静動の使い方など完璧で本当に素晴らしいと思う。

横内:小劇場演劇をやっていると、師匠がいなくて、その自由さの中で自分のスタイルをつくってきたといういいところがあるけど、栗田さんの自在な仕事をみていると、ある環境で20年技術を研鑽した人の強さがあるなと思います。ここはこういう場所だ、というのを教わった人の強さ。見ているだけではわからないことがたくさんありますから。

栗田:新潟と能楽堂との偶然の出会いがあってシェイクスピアシリーズが生まれたけど、このシリーズの可能性を実感しているだけにぜひ続けたいし、海外でも見てもらってお客さんがどう感じるか、ぜひ感想を聞いてみたい。

(構成・但馬智子)

新潟市民芸術文化会館プロデュース りゅーとぴあ能楽堂シェイクスピアシリーズ『リア王-影法師-』
© Niigata City Performing Arts Center
作/W・シェイクスピア
翻訳/松岡和子
構成・演出/栗田芳宏
作曲・演奏/宮川彬良
衣裳/時広真吾 ヘアメイク/我妻淳子 プロデューサー/笹部博司
出演/白石加代子 ほか
企画・製作/りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)
2004年12月 新潟公演:りゅーとぴあ能楽堂
2004年12月 東京公演:梅若能楽学院会館
2005年1月 大阪公演:大槻能楽堂
2005年1月 名古屋公演:名古屋能楽堂

新潟市民芸術文化会館プロデュース りゅうとぴあ能楽堂シェイクスピアシリーズ『マクベス』
© Niigata City Performing Arts Center
作/W・シェイクスピア
翻訳/松岡和子
作詞/岡本おさみ
台本・演出・振付/栗田芳宏
音楽/宮川彬良
プロデューサー/笹部博司
製作/りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)
2004年5月 新潟公演:りゅーとぴあ能楽堂
2004年6月 東京公演:銕仙会能楽研修所

新潟市民芸術文化会館 りゅーとぴあ
開館:1998年10月
新潟市が設置した、コンサートホール(1900席)、劇場(900席)、能楽堂(380席)をもつ複合文化施設。新潟市芸術文化振興財団が隣接するホール付きの音楽専用練習場の新潟市音楽文化会館を含めてトータルに運営している。演劇部門の芸術監督にプロデューサーの笹部博司、演劇部門のアソシエイト・ディレクターに演出家の栗田芳宏、舞踊部門の芸術監督に金森穣が就いている。総事業予算は約4億円。音楽部門では音楽文化会館を拠点にジュニアオーケストラを育成し、小中学生を対象にしたスクールを運営。演劇部門でも小中学生を対象にしたスクールを運営し、オリジナルミュージカル作品をプロデュース。また、全国ツアーを行なうオリジナル作品のプロデュースも行い、人気俳優をキャスティングした公演や能楽堂を使うシェイクスピアシリーズなどを発表している。

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