ミロ・ラウ

ミロ・ラウ

「革命」を目指すミロ・ラウの国際芸術フェスティバル改造プロジェクトーウィーン芸術週間の現場から

Ⓒ Inés Bacher  ウィーン芸術週間2024のオープニングセレモニー。左から4人目がミロ・ラウ

2024.10.01
ミロ・ラウ

Ⓒ Marc Driessen

ミロ・ラウMilo Rau

1977年スイスのベルン生まれ。演出家、作家、映画監督、ジャーナリスト、アクティビスト。2007年から「政治殺人国際研究所(IIPM)」を主宰。実際に起きた凄惨な犯罪や紛争、歴史的事件などについて綿密なリサーチを行い、舞台や映像のマルチメディアで再現しながら、その社会構造や政治的背景を露わにし、関係者に対する告発や観る者への問題提起を行う。90年代にベルギーで起きた少女監禁殺人事件を再構成しつつ、ベルギー国民のトラウマとされるかつてのコンゴ植民地問題や演劇のセカンドレイプ構造を暴く『5つのやさしい小品』(2016年)、2018年からベルギーのNTゲント芸術監督(~2024年)として「ゲントのマニフェスト」に則り制作された、現実の諸問題にギリシャ悲劇を重ねた三部作——『モスルのオレステス』(2019年初演。過激派組織ISに占拠・破壊されたイラクのモスルの人々とともにアイスキュロス『オレステイア』を上演)、『アマゾンのアンティゴネ』(2023年初演。大豆栽培のためアマゾンの森林を伐採する国家と労働者の抵抗をソフォクレスの『アンティゴネ』に重ねる)、『メディアの子どもたち』(2024年初演。エウリピデスの『メディア』を彷彿させる2007年に起きた母親による5人の子殺し事件を子どもたちが再現し発言する)——などの舞台作品、同様の設定によりテーマとなる現地に乗り込み撮影した『コンゴ裁判』(2015)、『The New Gospel – 新福音書 –』(2021)などの映像作品がある。2023年7月ウィーン芸術週間の芸術監督に就任。その後もNTゲントにはレジデント・アーティストとして在籍中。(2024年10月更新)

ウィーン芸術週間

実際に起きた凄惨な事件や、紛争地域にはびこる巨悪の構造の現場などに自ら踏み込み、徹底的なリサーチと大胆なアプローチで、新たなリアリティを現出させるドキュメンタリスト。スイス出身のミロ・ラウは、現在のヨーロッパにおいて、もっとも挑発的で影響力の大きな演劇人のひとりだ。その深遠な思索に裏打ちされた規格外の行動力とカリスマ性は、固有の作品創造のみならず、組織の構造や価値観の変革をも目指すもので、自ら「革命家」を名乗るほど。2018年にベルギーの有力な公立劇場のひとつNTゲントの芸術監督に就任した際は、「古典の翻案」を「固定化した俳優」により「一言語で上演する」ことをレパートリーの中心に据えるといったヨーロッパ演劇の旧弊を打破し、未来の都市劇場における演劇のあり方を実践するための10のルール「ゲントのマニフェスト」(*1)を発表。明解で実践的な制作スタイルの導入と、構造的な意識改革を実現した。そして2023年夏には、ヨーロッパ有数の国際舞台芸術祭、ウィーン芸術週間の芸術監督に就任し、同フェスティバルを根本的に改革するメッセージを込めて組織された「ウィーン自由共和国」(*2)なるものを樹立した。ラウ体制によるウィーン芸術週間が開幕して間もない2024年5月末に、現地でその意図するところを尋ねた。

取材・文/伊達なつめ

2018年にベルギーのNTゲントの芸術監督に就任された際は「ゲントのマニフェスト」を掲げて、硬直化したヨーロッパの演劇界に対し具体的な問題提起をしたことが大きな話題になりました。その後2023年にウィーン芸術週間の芸術監督に公募により選ばれたということは、NTゲントに着任したときから、5年間で目的を達成する計画だったということでしょうか。
NTゲントから芸術監督を引き受けたのが2017年で、1年の準備期間を経て2018年から23年までその全シーズンを手掛けました。2023年からウィーン芸術週間の準備も始まっていたので重複期間もありますが、芸術監督としてNTゲントを去ったのは2週間前(2024年5月)。新型コロナの影響で停滞した期間が生じたため、実質的には1年多く約6年間になりました。
最初から計画していたわけではないんですが、個人的見解として、以前から、芸術監督のポストには、5年より長く留まってはならないと考えていました。日本のことはわかりませんが、ヨーロッパでは、芸術監督が20年間変わらないといったケースはよくあることで、常日頃から、それをとても不思議に思っていたんです。世の中全般において、組織で上層部の体制が交代する際は、民主的な方法が取られることが普通なのに、芸術の世界では、なぜそれがないのかと。ヨーロッパの劇場にはある種の封建制度が根付いていて、多くの芸術監督や管理職は20年、あるいは定年までその職から離れなかったり、インスティテュートのような劇場の付属機関を開設して、そこに最後まで留まったりするのですが、それは誤りだと私は考えています。ひとりの人間が持つビジョンには限界があって、5年も経てば、発想は枯渇してしまうものですよ。まあこれ以上の批判は他者に任せますが、とにかく長期にわたってひとつのポジションに留まるということは、芸術面と民主的観点、いずれから見ても間違いだと思っています。
柔軟で風通しのよさそうなベルギー中都市の公立劇場から、中央ヨーロッパを代表する歴史的大都市ウィーンが運営する大規模な国際芸術祭に照準を合わせた理由は。
ウィーンの方が、より開かれているべきであり、かつ変更されなければならない組織構造を持っているからです。構造がシンプルで規模も小ぶりなNTゲントに比べると、ウィーン芸術週間は全てにおいて規模が大きいぶん、可能性が広がっているのが利点であると同時に、変化のためには、大きさが欠点でもあります。この、ヨーロッパ最大のクロスオーバー・フェスティバルが行われる場所を、これまでとは全く異なるものに変えようと決断しました。既にこれまでの数か月で、かなり前進しています。
2024年3月のウィーン芸術週間ラインナップ発表の記者会見時から「自由!」「革命!」「共和国樹立!」と物々しいメッセージとパフォーマンスを繰り広げていて、とても演劇的なアクションに見えました。どこまで本気なのだろうと思いましたが……。
では、5月23日の市庁舎前でのオープニングセレモニーの様子をお見せしなければ(とスマホで動画を見せる)。私たちはウィーン自由共和国を樹立し、ウィーンの都市部分を占拠して革命を起こしました。国歌を作って、ほら、これが歌っているところ。そしてこのように国旗も作りました。
  • ウィーン市庁舎前で行われたウィーン芸術祭2024オープニングセレモニー。ステージで「ウィーン自由共和国国歌」が歌われている。Ⓒ Franzi Kreis

  • 2024年3月のウィーン芸術週間記者会見では、共和国のテーマカラーの目出し帽姿で馬車に乗って会場に到着(左から4人目がラウ)。Ⓒ Franzi Kreis

国旗は4色のストライプですが、それぞれの色に意味がありそうですね。
4つの革命の色です。緑は環境(エコ)の革命、赤は社会の革命、黒は無政府主義的革命、そして紫はジェンダーの革命です。私たちはまず、構造的な改革から取り組み始めています。これには当然長い時間がかかりますが、ウィーン芸術週間の運営機関としてウィーン市全23区から集まった市民と各分野の専門家80人のメンバーによる共和国評議会を設置し、共和国ハウスで毎週火曜日と水曜日に評議を行っています。まずフェスティバル期間中の第1週目には、オーストリア共和国を被告とする第1回「ウィーン裁判」を行いました。そしてフェスティバル最終日には、ウィーン芸術週間による「ウィーン宣言」(*3)を採択します。
また私たちは「アカデミー第二モデルネ(モダニズム)」(*4)を創設しました。これは、発表の場が男性作曲家に比して圧倒的に少ない女性作曲家たちに、国際的なネットワークの中で作品を発表するためのプラットフォームを提供する取り組みです。私たちは、こうして既に多くの組織を立ち上げ運営しており、そのどれもが全く“演劇的”なものとはかけ離れた実態を持っています。例えば先週末の「ウィーン裁判」は、15時間におよぶもので、非常に真摯な内容でしたよ。
  • ウィーン芸術週間2024で、オーストリア共和国を被告として行われた第1回「ウィーン裁判」 Ⓒ Ines Bacher

これまでにも、例えばコンゴで紛争の当事者たちを呼んで模擬裁判を行った様子が『コンゴ裁判』というドキュメンタリー映像に収められ、ラウさんの代表作のひとつになっていますが、今回は、同じようにウィーンの権力者層である政財界等の重要人物を実際に召喚して、裁判を展開しているわけですね。
そうです。裁判は3件ありまして、まず新型コロナについてオーストリア政府が行った施策に対する裁判、2つ目は民主主義への脅威と極右政党オーストリア自由党(FPÖ)に関する裁判、3つ目は芸術の有効性についての裁判です。
ウィーン芸術週間は、有力な国際舞台芸術祭のひとつですが、この中でそうした裁判を行うことにはどのような意味があるのでしょうか。単に作品を集めて見せる場ではなく、芸術祭の根本的な概念を変えようとしているということですか。
私たち市民は、フェスティバルを変革し、その社会的意義や帰属意識について問うことができるはずです。私は、フェスティバルは「社会を変えることができる」ということを示せるユートピア空間であると信じているんです。その証拠にゲントでは、市立劇場における制作体制と意識の変革を目指し、ひとつの公立劇場が、明瞭な条件(「ゲントのマニフェスト」参照)のもとで作品制作を行えることを証明しました。それと同じことを、ここウィーンでは、より大きな規模で行おうとしているということです。
それは「ゲントのマニフェスト」の第1項に掲げられたビジョンの実現に必要な過程ということかと思いますが、その文言「もはや演劇は、世界を描くためのものではない。世界を変えていくためのものなのだ。目指すべきは現実を描くことではなく、表現自体を現実とすることである」という表現について、もう少し説明していただけますか。
スイスの映画監督ジャン=リュック・ゴダールは、「これまでの映画表現を変える」と言いました。その意味するところは、誰が、何について、どのように映画をつくり、それを誰が観るのかを、従来の状態から変更するということでした。演劇についても同じで、あるストーリーを伝えるために演劇をつくるのではなく、制度や構造物としての演劇が、何について、どのような方法で、誰によって、誰のために創作されるのかを改める必要がある、ということです。醜い条件下では美しいものは生み出せるはずがなく、美しい条件下であれば、醜いものは生まれない、ということですね。
  • ベルギーNTゲントの本拠ロイヤル・ダッチ・シアターのロビーに掲げられた「ゲントのマニフェスト」Ⓒ 伊達なつめ

「自由共和国」を打ち建て、芸術のための環境や制度を民主的な方法で制定することで、美しいものを生み出す土壌を整えると。
そういうことです。今すぐに整備できるわけではありませんが、私には5年ありますから。この1年の準備期間でも、既に多くのことを改変したので、達成できると信じています。
ミロ・ラウ体制第一弾のウィーン芸術週間のラインナップを8本ほど観劇しましたが、突き刺さるようなメッセージ性の強さに圧倒される作品が多い印象です。明確な選定基準がありそうですね。
選定にあたっては、個々の異なった理由がありひとつに集約することはできませんが、それぞれのやり方で、誰が、なぜ演劇をするのかという、演劇を行うプロセスについて問いかける作品を多く招聘しています。「ゲントのマニフェスト」第1項で示したように、単にストーリーを物語ることは重要ではなく、制度(インスティテューション)としての演劇、ひいては制度としての社会を、本気で変革しようとする意志が感じられる作品を選んでいます。
招聘する作品の地域についてはどう考えていますか。アーティスト/ジャーナリストとしてのラウさんは、これまでアフリカや中東、グローバル・サウスの問題などに取り組み、ウィーンに移ったことで今後は東ヨーロッパに目を向ける旨の発言をされていますが、例えば今回は参加がないアジアに関しては、どうお考えでしょうか。ウィーン芸術週間は、かつては日本特集を組んだこともあったのですが。
私自身や自分の作品は、頻繁にアジアにも行っていますが、現在のウィーン芸術週間としては、確かにアジアやラテンアメリカ、アフリカとの交流は少なく、強化していかなければいけないと思っています。日本にもドラマトゥルクを派遣しますよ。フェスティバルとして、遠く離れた地域からさまざまな作品を招聘する可能性を有しているのは素晴らしいことだと思います。(この周辺で)その機能(と予算)があるフェスティバルは、アヴィニョンとルール・トリエンナーレ、ウィーン芸術週間くらいで、ほかではなかなか困難ですから、その意味でも、私たちは積極的に取り組む必要があります。ウィーン自由共和国の評議会が行う公聴会で、どの大陸からいくつのプロダクションを招聘すべきかの検討を行うことを考えています。
各大陸の割合は、均等になっていくと考えてよいですか。
はい。しかし、割合は大陸別に限りません。例えば、これまでウィーン芸術週間が招聘した東ヨーロッパと日本の作品数を比べたら、日本の方が多いんですよ。そうした問題もありますし、ほかにもジェンダーや作品ジャンルなど、さまざまな領域について考慮しなければなりません。芸術週間主催者として何本を自主制作し、何本を招聘するか。音楽劇と演劇の作品数の割合はどうあるべきかなど、予算を含めたプログラムについての、あらゆる問題を討議したうえで文書化し、「ウィーン宣言」と呼ぶ憲法として定める予定です。これはいわば、かなりディテール化した「ゲントのマニフェスト」という感じですね。
国旗の色にもあるエコロジーについてはいかがですか。CO2削減のため航空機による移動が必要な演者は不利になりますか。
私たちは憲法を発布するために、5週間のフェスティバル期間中に1テーマ2日間×5回の大きな公聴会を開催しますが、最終週の第5回で取り上げるのが、国際的なフェスティバルとして、持続可能性およびカーボン・ニュートラル問題にどう対処すべきかを私たち自身に問う、というテーマです。ただ、これはアーティストよりも観客がどのような移動手段でここに来るかという課題が中心で、例えば、グローバル・サウスのアーティストは航空機移動が必須だから排除する、などという判断は、当然あってはならないと考えています。
私たちは、こうして会期中に評議会の評議員によって裁判や公聴会で討議を重ね、その内容を織り込んだ「共和国憲法」を策定して、フェスティバル最終日の6月23日に「ウィーン宣言」として発布します。ウィーン芸術週間は、「憲法」を持つ最初の舞台芸術フェスティバルになるはずです。(取材日:2024年5月27日)
  • ウィーン市内にあるオーストリア民俗芸術博物館内に設置されたウィーン芸術週間のフェスティバル・ハブ「共和国ハウス」で取材に応じる。 Ⓒ 佐藤美晴
    通訳/高島勲

【関連記事】2024年9月に開催された国際演劇協会世界大会で、ラウは『抵抗する方法—あるいはナショナリズムへの唯一の回答がグローバルで多様である理由』というタイトルの基調講演を行った。https://www.festwochen.at/en/opening-speech-iti-how-to-resist(英文のみ)

  1. ゲントのマニフェスト

    2018年にミロ・ラウがベルギー第3の都市ゲントの市立劇場NTゲントの芸術監督に就任した際に掲げた、作品制作における10項目のルール。スタイルはデンマークのラース・フォン・トリア監督らが映画製作上の10項目のルールを定めた「ドグマ95」に倣った。基本理念である1のほかは技術的かつ具体的な内容であると同時に、膠着したヨーロッパ演劇界の問題点を明文化した点でも注目に値する。以下マニフェスト条文(編集部訳)。

    1. もはや演劇は、世界を描くためのものではない。世界を変えていくためのものなのだ。目指すべきは現実を描くことではなく、表現自体を現実とすることである。
    2. 劇場が示すべきは作品ではなく、その創造プロセス。リサーチ、キャスティング、稽古およびそれらに付随する議論は、全て公開しなければならない。
    3. 著作権は稽古や公演に関与する者、彼らの役割が何であれ、完全に彼らに帰属する。そしてそれ以外の誰にも帰属しない。
    4. 古典戯曲の原文どおりの上演は、翻案であっても禁止。このほか原作(書籍、映画、戯曲など)を引用する場合は、全上演時間の20パーセントを超えてはならない。
    5. 稽古時間の少なくとも4分の1は、劇場空間外で行わなければならない。劇場空間とは、作品が稽古または上演される場所を指す。
    6. 1作品の中では、少なくとも2つの異なる言語が舞台上で話されなければならない。
    7. 舞台上にいる俳優のうち、少なくとも2人は非プロ俳優を起用しなければならない。動物はこれに含まれないが、出演は歓迎する。
    8. 舞台装置の総容積は20立方メートルを超えてはならない。つまり、通常の運転免許で運転できるバンに収まる必要がある。
    9. シーズンごとに少なくとも1作品は、文化的インフラがない紛争または戦争地帯で稽古または上演されなければならない。
    10. 各作品は、少なくとも3か国10か所以上で上演されなければならない。この数に達するまでは、NTゲントのレパートリーから作品を削除することはできない。

  2. ウィーン自由共和国

    2024年5月17日ウィーン芸術週間開幕日に発足した、ミロ・ラウ芸術監督下におけるウィーン芸術週間の実動を伴う概念的組織体系。独自の国歌(賛美歌)、国旗、革命的機関(ウィーン裁判、アカデミー第二モデルネ)、常設のフェスティバル・ハブ(共和国ハウス)、クラブ、そして市内全地区の市民からなる共和国評議会を擁し、「ウィーン宣言」という憲法を持つ。

  3. ウィーン宣言

    2024年のウィーン芸術週間(5月17日~6月23日)会期中に、ウィーン自由共和国評議会を中心に行われた民主的な協議をもとに作成された「未来のフェスティバルのためのガイドライン」であり、ウィーン自由共和国の憲法。以下条文(編集部訳)。
    第一条: 多彩なプログラムには多彩な視点が必要だ。プログラムのデザインは、少数のキュレーターの特権であってはならない。 そこでウィーン自由共和国は、国内外の専門家を交互にメンバーとするプログラム諮問委員会を導入する。
    第二条:リップサービスではなく、包括的な構造改革。 ウィーン自由共和国は、招聘、共同制作、新規制作のための拘束力のある枠を定義する。 世界的な女性作曲家のプラットフォームであるアカデミー第二モデルネがその例である。
    第三条:フェスティバルは観客のものであり、まだ参加していない観客も含まれる。 プログラム・デザイン、広報手段、価格政策を根本的に相互関連させることで、社会の全構成員に呼びかけることができる。 23のパートナーとの協力で全市を巡回したVolksstuck/piece communeは、この方向への第一歩である。
    第四条:政治的な手跡は、エコロジーの足跡と同じくらい重要である。 ウィーン自由共和国は、世界中のパートナーとともに、持続可能な制作・上演・巡回モデルを開発する。社会生態学的な変革のための舞台を提供する。
    第五条:変革は組織内部から始まる。 社会全体を反映するチームだけが、都市と世界に関連するフェスティバルを開催することができる。 ウィーン自由共和国は、スタッフ構成に都市社会の全容を描き出すことを目指す。
    第六条:裏外交の代わりに討論を。 ウィーン自由共和国は、論争が起きたときや、ゲストの排除や芸術プロジェクトの中止を要求されたときに呼び出せるよう、平易なプロセスや公的な形式を整備する。
    第七条:この都市の舞台は、この都市に住む人々のためのものである。 私たちは毎年、地域のコミュニティとともにアートプロジェクトを展開してゆく。 国境なきモダニズムに基づき、私たちはグローバルな交流が都市の多様性を育むと考える。
    第八条: ウィーン自由共和国は、演劇を討論の場に変える。 社会的な現実を交渉するためには、時事的な出来事に対して迅速かつ持続的に反応できるような形式が必要だ。 ウィーン裁判に端を発した議論は、その最初の例である。
    第九条:私たちは尊重された労働環境と、あらゆる形態の差別や暴力に反対することを約束する。私たちは、舞台の前でも、舞台の上でも、舞台の裏でも、あらゆる形態の差別や暴力に反対し、尊重された労働環境を約束する。 行動規範を策定し、専門家の支援とともに実施する。
    第十条:誰がウィーン芸術週間に資金を提供し、誰が利益を得ているのか? ウィーン自由共和国は、ウィーン芸術週間の過去と現在の収入と資金調達構造を、社会的・気候的公正の観点から批判的に検証するための対策を強化する。

  4. ウィーン第二モデルネ(モダニズム)

    ウィーンはかつてモデルネ(=モダニズム)の首都とされたが、シェーンベルク、フロイト、クリムトらによる芸術的・哲学的変革である第一モデルネは、中欧的・男性的・エリート主義的で不完全なものだった。そこで、よりグローバルで女性を中心にしたアカデミー第二モデルネを設立。シェーンベルクの弟子で、忘れ去られた50人の女性作曲家の中から年に10人を5年間にわたり世界各地からウィーンに招き、グローバル化されたモデルネの大使として彼女たちの作品を発表する。アカデミー第二モデルネの目的は、あらゆる演劇、オペラ、コンサート、フェスティバル等で取り上げられる女性作曲家の作品数を明確に増やすことにある。