瀬戸山美咲

当事者の声を受け止める
瀬戸山美咲の聞く力

2023.01.24
瀬戸山美咲

撮影:服部たかやす

瀬戸山美咲Misaki Setoyama

劇作家・演出家。1977年、東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。2001年、ミナモザを旗揚げ。現実の事象を通して、社会と人間の関係を描く。代表作に『エモーショナルレイバー』、『みえない雲』(グードルン・パウゼヴァング原作)、『指』、『ファミリアー』など。2016年、『彼らの敵』が第23回読売演劇大賞優秀作品賞受賞。2019年、オフィスコットーネ『夜、ナク、鳥』と流山児★事務所『わたし、と戦争』で第26回読売演劇大賞優秀演出家賞受賞。そのほかの主な作品にオフィスコットーネ『埒もなく汚れなく』(作・演出)、神奈川芸術劇場『オレステスとピュラデス』(作)、さいたまネクストシアター『ジハード―Djihad―』、新国立劇場『あの出来事』(ともに演出)など。「アズミ・ハルコは行方不明」、「リバーズ・エッジ」など映画脚本も手がける。『THE NETHER』にて第27回読売演劇大賞優秀演出家賞受賞。2020年、第70回芸術選奨文部科学大臣賞新人賞受賞。現代能楽集X『幸福論』〜能「道成寺」「隅田川より」で第28回読売演劇大賞優秀演出家賞受賞。

ミナモザ公式サイト
http://minamoza.com/

安保闘争と東日本大震災、二つの時代を往来しながらメディアのあり方を検証した『彼女を笑う人がいても』が4度目の岸田國士戯曲賞最終候補となるなど、実力派の劇作家・演出家の瀬戸山美咲(1977年生まれ)。自身が主宰する演劇ユニット「ミナモザ」公演の他、他劇団やプロデュース公演への戯曲提供、アイドルが主演する商業演劇とその活躍は多岐にわたり、2023年1月には初めてのミュージカルに挑戦。年を追うに連れ、演劇界での存在感を増し、22年3月には日本劇作家協会会長にも就任した。劇作家・演出家・業界リーダーとしての思いをインタビューした。
聞き手:田中伸子
彼女を笑う人がいても
彼女を笑う人がいても
彼女を笑う人がいても
彼女を笑う人がいても

『彼女を笑う人がいても』
(2021年12月4日~18日/世田谷パブリックシアター)
撮影:細野晋司

まずは瀬戸山さんの演劇のルーツを教えていただけますか。
 小学校高学年の時、乙羽信子さん出演の舞台『真砂屋お峰』を観に行って、舞台装置の凄さ、劇場の雰囲気に圧倒されたのが始まりです。そんな経験もあって、中学では演劇部に入部し、俳優から美術や照明、音響などいろいろなことをやらせてもらいました。また、お小遣いで行ける範囲で月に1本ぐらい、小劇場のお芝居を観に行っていました。1990年代前半で、ケラさん(ケラリーノ・サンドロヴィッチ)の劇団健康、そして鴻上尚史さんの第三舞台の解散公演などを観ましたが、その中でも一番好きだったのがつかこうへいさん(*1)のお芝居です。

 図書館でつかさんの戯曲を読んだのがきっかけで、エッセイ、小説も読むようになりました。最初に観た『熱海殺人事件』がただただ衝撃で、もう1回観に行ったほどです。最初はその破天荒な演出、マイクを使っての大音量のパフォーマンスに心を奪われ、特に人間の嫌な部分をエンタテインメントに仕上げてしまうところに惹かれました。

 観続けていると、つかさんは同じ戯曲でも時代に合わせて主役を女性に変えたり、セリフを変えたり、どんどん更新していくんです。それがとても面白いと思うようになりました。演劇ではすごい速さで“今”を反映させられる、と気付かされました。派手なエンタテインメントに見えて、差別の問題など社会的なことを扱っているところも好きでした。

 高校では大学受験のために演劇部を辞めたのですが、有志による文化祭の芝居のための台本を書いたりはしていました。1年生の時には漫画みたいな設定で、核兵器が女の子で、最後にはその好きな女の子を殺さなければいけないみたいなストーリーの芝居を書きました。思い出すと恥ずかしいですね(笑)。
その後、早稲田大学政治経済学部に入学されました。
 学生時代には演劇の他にも昔から好きな漫画や雑誌を読み漁っていました。音楽も好きで、実家が下北沢なのでライブハウスに通ったりもしていました。漫画は『寄生獣』(*2)の岩明均さんが一番好きで、彼の漫画は全部持っています。基本的にSF系の漫画が好みで、あとは岡崎京子さんですね。大人になって岡崎さんの漫画『リバーズ・エッジ』の脚本を書くお仕事をいただいた時は本当に嬉しかったです。

 早稲田を受験した理由の一つはやはり演劇が盛んだったからです。当時は福祉に興味があったので、大学では手話サークルに所属してろう者の子どもたちと遊ぶボランティアを続けていました。ちょうど世田谷パブリックシアターが開館したときで、劇場のフロントスタッフのアルバイトをしながら、舞台もいろいろ観ていました。

 海外からの招聘も含め、多様な作品を観ることが出来ました。NODA・MAPの『パンドラの鐘』を公演したときは場内案内係として6回ぐらい舞台を横目で観ました。役者さんの演技が日々変わっていくのを目の当たりにして、舞台はこんなに変わるんだと感じたのを思い出します。
その後、北区つかこうへい劇団(*3)のオーディションを受けましたね。
 就職氷河期で焦ってもしょうがないという空気の中、自分がやりたいことは何だろうと改めて考えた時にやっぱり演劇がやりたい、と。戯曲を読むのが好きだったので、作・演出を希望していたのですが、その道にどうしたら進めるのかわからなかった。とにかく人に出会わなければと思い、北区つかこうへい劇団の俳優オーディションを受けました。課題のダンスなんか踊れないし、無理だと思っていたら、私の履歴書に作・演出希望と書かれていたのを目に留めてもらって、音響のお手伝いとして2公演ほど参加させてもらいました。

 大学を卒業した次の年の2001年、ワークショップで知り合った俳優さんと一緒にミナモザの第1回公演『こころのなか』を中野テルプシコールで上演しました。周りの人に声をかけてスタッフさんも紹介してもらい、手探りで公演を打ってしまったという感じです。

 実際に起きた事件を題材にした作品で有名な山崎哲さんの戯曲も好きだったので、整形して逃走を続けた松山ホステス殺人事件の犯人、福田和子の事を芝居にしようと思いました。でも書き切れず、結局、第1回公演では東電OL殺人事件(*4)を題材にしました。男性社会に押しつぶされた女の子の話として描き、彼女の死を無念に感じている男の子が最後に「A子(彼女)は死んで勝ったんだよね」というような台詞で終わります。

 当時、この事件が自分の中の何かに共鳴したんです。高学歴で社会的に成功しているように見える女の人でも男性がつくったルールの中では生きていくのが難しいというのがショックでした。自分はそういった競争社会とは違う演劇界にいるけれど、もし会社に就職していたらこんな思いをするのか、女の人の行ける限界というものがあるのか、などと考えさせられました。
その後しばらくは演劇と職業ライターの二足のわらじで活動を続けていきますが、どうしてライターになったのですか。
 雑誌が好きだったのと、書くことが仕事にできればという思いがあって、アルバイト情報誌で見つけたライター事務所に応募して、1年ぐらい働きました。その後、フリーライターになり女性誌の記事を主に書いていました。

 一方、ミナモザの方は10年間ぐらい水面下で細々と年1回の公演を続けていました。活動を広げていこうという意識すらあまりなくて、周りの人からは趣味だとしか扱われていなかったと思います。悲しいなと思いながら、たまに戯曲賞に応募する、という日々でした。そんな折、当時、世田谷パブリックシアターにいた矢作勝義さんがシアタートラムで行っている若手演劇人の育成プログラム「ネクストジェネレーション」に応募してみたらどうかと勧めてくれました。そこで、3回目に応募した『エモーショナルレイバー』(振り込め詐欺を題材に、なぜオレオレ詐欺に女はいないのか?を描いた作品)が選ばれ、2011年1月にトラムで上演できたことでいろいろな人と出会うことができました。

 もし選ばれなかったら何かしら自分の活動を仕切り直そうと思っていた時だったので、これでもう1回やってみようと思うことが出来ました。そこでの出会いがその後の仲間にもつながりました。そこから公演の数も少し増やし、外から仕事をいただくようになり、やっと演劇の世界でやっていける実感がもてるようになりました。
2011年の東日本大震災の折には、瀬戸山さんは『ホットパーティクル』という作品で一早く震災のことを取り上げていました。
 ちょうど現代美術の人たちと知りあった頃で、その人たちはすごい早さで動いていました。Chim↑Pomはいち早く福島県の帰宅困難区域に入っていました。私も実際に行って芝居を書きたいと思い、Chim↑Pomの卯城竜太さんにどうやったら行けるのか尋ねた記憶があります。それで実際に行ったときのことを『ホットパーティクル』(恋愛で失敗ばかりしていて売れない劇団をやっている33歳の女が勢いだけで行った福島を描いた作品)にしました。

 当時、雑誌のライターを続けていたので4月には被災地の取材をしていて、この状況を演劇にするにはどうすれば良いか考えていました。早く上演したいという一心で、結局自分の話をそのままやるという、今思えば何も考えてないような行為だったかもしれません。思い立ったらやらずにはいられない、理由は後で見つければ良いぐらいの先走った気持ちでした。ライターの性で、とにかく現場に行かなければと思っていました。
瀬戸山さんは現実に近いところに作家としてのモチベーションがあるように感じます。
 内と外で言えば自分では「現実プラス内側」であると思っていて、自分を通過しない現実を描きたくないというのはあります。自分が今何を考えているのか、何が嫌なのか、みたいなことがないと書きたくない。自分の弱いところとして、フィクションが書けないところがあって、岸田戯曲賞の最終選考でその点を指摘されると、納得するところがあります。現実の先を書かなければ、それをちゃんとメタファーに置き換えなければいけない、と指摘されます。
作品にしたいと思うのはどういった事件ですか。惹かれる題材に共通点はありますか。
 やはり女性の立場というところだと思います。去年の『彼女を笑う人がいても』も樺美智子さん(*5)の話だから書きたかったというのがあり、東電OL殺人事件も同じです。『エモーショナルレイバー』もそこは共通していて、『ホットパーティクル』も書いてみたらそういう話になりました。自分の日常を書いているだけなのに、そこにはセクハラが当たり前のようにあり、ホモソーシャルな空間の中で発言できない自分がいる。本を書きながらそうしたことを発見していきました。

 原発に関しても当時はすごく男性的なものの象徴として捉えていて、それを止めるにはどうすればいいかと考えていました。事件ものを題材にしていると思われているかもしれませんが、日常で一番気になるのは日本社会の中での女性の立ち位置の方です。

 ミナモザの第2回公演『青い山脈』の創作のモデルにした音羽幼女殺害事件(2歳の幼稚園児が同じ園に子どもを通わせる知り合いの母親に殺害された事件)についても、キャリアを求めず専業主婦になって子育てに集中していた人が、そのことだけが価値基準になって追い詰められていったという点に引っかかったのだと思います。
女性の立ち位置ということですが、先日、国際演劇評論家協会の講座で演劇界の状況について話題にされていました。どんなことを話されたのですか。
 演劇界のハラスメントの話もしましたが、私が会長を務めている日本劇作家協会の取り組みについて話しました。今は評議員についてクォータ制(ここでは男女共同参画を促進するため男女の評議員の割合を各々4割以上とした)を設けているとか。また、表彰される戯曲の作者が男性に偏っていて、女性の目線で書かれた戯曲が少なすぎる問題とか。増やせるかどうかはわからないですが、増やしたいし、どうしたらそうできるのかといったことを考えたい。もう少し表現が多様になることが大事だという話をしました。
瀬戸山さんが興味をもった事件や題材を戯曲にしていく創作のプロセスについて教えていただけますか。
 アウトプットはあまり考えずに、取材できることはまず取材します。以前、イギリスのロンドン・バブルシアター・カンパニーというコミュニティー劇団を視察したことがあり、そこの創作方法が参考になると思ったので取り入れています。レシピを決めないで、まずは材料を集める。集まった材料を並べてこれで何をつくろうか、というところから始める。そこは地域の劇団なので、年齢も性別も職業も異なる人たちが週に1回集まり、1年かけて作品をつくっていました。

 自分の劇団でもまず話を聞きます。2013年に初演した『彼らの敵』(1991年に実際に起きた「パキスタン早大生誘拐事件」の被害者で、後にカメラマンになった服部たかやす氏に取材した作品)は初日0ページで稽古場に入り、モデルになった人を招いて2日間喋ってもらいました。そこから少し書いてはまた直し、みたいなつくり方をしました。それが良いときもあれば、うまくいかなくて、本が間に合わないこともありました。

 実はその前に2年間かけて当事者の人たちに取材していたのですが、書き始められないまま稽古場初日を迎えてしまいました。それで稽古場に来てもらって、今度は俳優がインタビューし、それを聞きながら自分も一緒に考えるみたいな感じで書きました。再演の時には、パキスタンの話なのでパキスタンのことを知らなければと思い、パキスタン協会で話を聞いたりしながら少しずつ書き足したり、直したりしました。

 そういうつくり方なので、みんなで何かをやることがとても多いです。公演の1年ぐらい前から俳優も一緒に取材に行ったりします。冒頭でサバイバルゲームが登場する『WILCO』(外国の軍隊で傭兵になる日本人を描いた作品)の時には実際にみんなで行きました。ミナモザの場合はとにかくやってみよう、みたいな感じです。外から依頼があった時は台本0ページで稽古に入るわけにはいかないのですが。

 基本的に資料を当たるより、関連した人に会って話を聞くことが多いです。ただ、『彼女を笑う人がいても』の場合は取材できる方があまりいなかったので、資料に当たりました。09年に亡くなられた劇作家、大竹野正典さんの生涯を描いた『埒もなく汚れなく』の時はプロデューサーの綿貫凜さんと一緒に大竹野さんのベースであった大阪へ何度となく足を運んで多くの人とお会いして、主に妻の小寿枝さんにお話を聞きました。
彼らの敵
彼らの敵
彼らの敵

ミナモザ『彼らの敵』
(2013年7月24日〜8月4日/こまばアゴラ劇場)
撮影:服部たかやす

そうして話を聞くと、何が最初に立ち上がってくるのですか。登場人物ですか?それともストーリーですか?
 ファーストシーンの絵とかが見えてくることが多いですね。劇作家ではなくて、演出家として舞台の絵が立ち上がってくる感じです。実は私は台本だけを書くのがすごく苦手なんです。もちろん、台本だけを書いて演出家に託す場合もありますが、その場合は演出が固定されないよう余白を残して書くようにしています。

 関係者に何度も取材に行くと、最後の方になってポロッと本音が漏れたりするんです。そういう言葉を入れたいとか、そこからシーンが決まったりします。大竹野さんの時も稽古が始まる寸前、最後に小寿枝さんに会ったとき、今どうしていますかと尋ねたら、最近はキャンプに1人で行っていると。それを聞いて、そこから絵をつくり始めたいと思いました。私の場合、人と出会えないと本当に書けないんです。心が動かないと全く書けない。
人に会って、これを書きたいというものが出てくるとさまざまなことが氷解して書き始められるということでしょうか。
 そうですね、『彼女を笑う人がいても』のときもそうでした。そもそも樺美智子さんのことを書きたいと思ったきっかけは、つかさんの『飛龍伝』で彼女の存在を知ったからです。どうして東大にそんな女子学生がいたのだろう、とずっと気になっていました。それで演出の栗山民也さんに、樺さんのことを書きたいと話しました。でも、そこから10カ月間書けなくて。その時にプロデューサーから現在の視点があったほうが良いとアドバイスされました。

 そんなときたまたま福島出身の知り合いの歌人・三原由起子さんがやっていた配信を見たら、自分が元々住んでいた浪江町は復興しているように見えるけれどそれは表だけで裏は違うという話をしていた。それを聞いて、自分が書くべき劇の構造がやっと見えてきました。それまではずっと資料を漁って、気になることを拾っていたのですが、あの言葉のおかげで単なる過去の話にとどまらないものが書けました。
『彼女を笑う人がいても』は瀬戸山さんの演出ではありませんでしたが、台本だけ、演出だけとミナモザ以外の仕事も広がっていますね。
 世田谷パブリックシアターのネクストジェネレーションに選ばれた『エモーショナルレイバー』から10年経った去年ぐらいから、何かまた自分の表現の方向性を考えなければと思い始めました。

 それでここ数年は演出を頑張ってみたいなと思い、演出だけの仕事を受けるようにしています。台本を書くだけというのは苦手なんですが、先ほども言ったように、どちらかというと絵が浮かぶほうなので、演出のアイデアはいろいろと湧いてくる。小説を上演台本するとか、海外戯曲とか、そういう人の書いたものをどうやって立ち上げるかを考えるのはとても楽しいです。

 演出に関して言うと、劇場のサイズによって演出方法は違ってくるという意識があり、その経験を積みたいと思っています。大劇場でもスピーディーに展開したいので、その辺の技術的なところをもっと学びたいと思っています。大きな劇場での公演は予算もあるのでいろいろなことが試せますし、若い時から観客として大中小さまざまな規模の公演を見てきたので、自分でも試してみたいことがたくさんあります。
瀬戸山さんはご自分の劇団ミナモザの主宰者であるだけでなく、オリガミクスパートナーズ株式会社という主に映像系の脚本家をマネージメントするエージェントにも所属されています。日本においては俳優のマネージメント会社は多いですが、脚本家を主にしたエージェントは少ないです。
 ライター時代にその事務所に所属していた脚本家の友人から誘われました。最初は籍だけ置いている状態でしたが、2013年に初めて大きな仕事として向田邦子さんの小説『阿修羅のごとく』の上演台本を執筆しました。その舞台を主催したQuaras(クオラス)という会社がジャニーズ事務所のアイドルが出演する舞台の制作をしていたことからそういう関係の演出もするようになりました。事務所を経由した仕事としては、19年・21年にダンスパフォーマンスグループのs**t kingzの台本と演出を担当しました。こうした依頼は、事務所に所属していなければ来なかったと思います。
22年3月に日本劇作家協会の会長に就任されました。まずは日本劇作家協会がどういう組織でどういう活動しているのかをご紹介いただけますか。
 日本劇作家協会(以下、協会)は23年に創立30周年を迎えます。初代会長の井上ひさしさんの他、別役実さんや永井愛さんといった方々が会長を務めてきました。上演料や著作権など、劇作家の権利を守ることに加え、もう少し広い意味で劇作家の地位の向上を図ることが協会の目的になっています。また、若手劇作家の育成も大きな目的です。

 現在の会員数は600人弱で、30年で事業も段々増えてきました。主な主催事業には戯曲セミナー、新人戯曲賞、文化庁委託事業である「月いちリーディング」(俳優によるドラマリーディングとディスカッションにより戯曲のブラッシュアップを図るワークショップ)があります。文化庁委託事業以外は、戯曲セミナーからの収入と後は基本的に劇作家が手弁当で集まって行っている組織なので、何かの役職に就いても報酬があるわけではありません。

 長年行っている戯曲セミナーは受講生も多く、卒業生からは長田育恵さんなどプロの劇作家を輩出しています。また、劇作家協会新人戯曲賞は劇作家が選ぶ賞で、こちらも若手劇作家の登竜門になっています。何年かに1回、地域の劇場や自治体と共に、市民の方が参加できる劇作家大会という全国の劇作家が集まる大会を行うこともあります。各地域に支部があり、戯曲集を出したり、イベントやったり、どちらかというと支部のほうが活発に活動しています。
日本の場合は劇作家兼演出家が多いですが、今一番問題視されている創作現場でのハラスメントの問題、戯曲の内容における表現の自由の問題、またレイシズムの問題など、協会としてはどのように対処されていますか。
 ハラスメントに関してですが、私たちの協会は業界の中でも比較的早くに動き出したと思います。2018年頃に勉強会が立ち上がり、ハラスメント事案の対応に関する基本要綱をつくるグループが立ち上がりました。そして、20年にセクシャルハラスメントに関する基本要項を発表しました。

 これは、基本的に協会が主催する事業の中で起きたセクシャルハラスメントを対象にしたもので、申告窓口もそのためのものです。加害者に知られない仕組みをつくり、実際の調査は弁護士と臨床心理士がしています。演劇業界で起きたハラスメント案件のすべてに対応する窓口と勘違いされて、相談がよせられることもありますが、私たちのできる範囲のことをやっています。

 22年9月にはパワハラなども含めた広義のハラスメントに関するガイドラインも作成し、会員のパブリックコメントを反映させた上で、もうすぐ運用していくことになります。これまでは理事だけでこれらの案件に対応してきましたが、ハラスメントに関しては新しく対応委員を設けました。今後は全国の会員の中から募ったチームで請け負うことになります。

 ハラスメント関連については、文化庁が23年度予算の概算要求で新たに「ハラスメント防止対策への支援」(作品・公演単位75件、1件上限20万円(予定))を打ち出しましたが、われわれの協会のような統括団体にも予算措置をしてもらえないか、文化庁に要望を出すことを検討しています。

 また、事業だけを対象とするのではなく、もっと広範囲の案件を申告するための第三者機関を立ち上げようと動いています。日本演出者協会や日本劇団協議会など32の業界関連団体で設立した「演劇緊急支援プロジェクト」というコロナ禍に対応するために立ち上がった組織でも、第三者機関に関する話し合いを始めています。

 また、劇作家協会では権力が集中することを避けるため、選挙で選ばれる評議員を除き、理事や委員を60歳定年制にしました。今ここで次世代に繋いでいけるよう改革しないと、先細ってしまうという考えもありました。ただ、いきなり全員入れ替えると引き継ぎがうまくいかないので、副会長だけは会長の任命制で、60歳以上の人もなれるような仕組みにしました。現在、他の理事は30代、40代です。

 劇作家、演出家はハラスメントをする可能性は限りなくあるという大前提に立って対策をすべきだと考えています。若い人も含めて協会でそれを共有できればと思います。とは言え、現状はまだ入り口に立ったばかりで、世代関係なく、ハラスメントがようやく表面化してきていると感じます。本当はまずハラスメントについて勉強してから演劇を始める、学校でも教えるぐらいにならないといけないと思います。
ハラスメント対策以外の協会の事業についてお話しいただけますか。
 私としては上演権や上演料などの改善が一番意義のあることだと思っています。協会では上演料の規定を設けていて(最低上演料は総予算の5%とし、いかなるときにも100万円は下らない。ただし非営利の公演は除く)、それを知って私もこの世界で生きていける、と思いました。こうした規定に強制力はありませんが、劇作家が生活していく上で、上演料とか著作権の保護は大切なことなので、そこは協会としてきちんとやるべきだと考えています。

 実際にはこの金額を提示すると無理だと言われることのほうが多いですが、こうした基準があることでお伝えして交渉しています。ただ、上演形態による規定は改めて考えていく予定です。総予算が大きな公演に関しては比率を下げる、助成金の対象となっている団体は100万円、アマチュアではまた別の基準といった感じです。演出家は拘束日数で演出料が計算できますが、劇作家はそれがないので、このような基準をつくることが必要になります。
会員になるための資格がありますか。また、若い会員を増やす工夫はありますか。
 会員は、一度でも戯曲を書いたことがある人ならば誰でもなれます。また、35歳以下のプロを目指す入会希望者には3年間会費を免除する奨学金制度を最近始めました。現時点で、十数人が入会してくれました。ただ、会員にはアマチュアとして活動している方もたくさんいるので、プロとの乖離が生まれないよう考えています。

 あと、EPAD(*6)として「戯曲デジタルアーカイブ」(https://playtextdigitalarchive.com/)が出来ました。現在、330人以上の作家が登録し、500作品以上を読むことができます。今後も増やしていって、ネット上で上演許可依頼ができるところまでもっていきたいと考えています。
新人戯曲賞の公募はどうなっていますか。
 例年200〜250ぐらい応募がありますが、2022年度は少し減って200弱でした。応募数が減っているのは、単純にコロナで上演した戯曲が減ったからだと分析しています。“新人”と謳っていますが、年齢の制限はありません。

 今は自分で主催して作品を上演するのがすごく厳しい時代になっているので、戯曲賞や演劇コンクールを利用して上演の機会を得る風潮を感じています。劇作家協会では新人戯曲賞では選ばれた作品の上演はしていないのですが、リーディングはやることにしました。
女性作家という観点からはどんなふうに感じていらっしゃいますか。
 600人ぐらいいる会員の中で、名前だけで判断すると女性作家は約3割程度だと思います。もちろん、男性/女性の定義に当てはまらない方も少なからずいると推測されます。それでも、男性が圧倒的に多いです。また、おそらく、プロの劇作家になると女性はもっと少ないと思います。今の演劇界ではキャリア的に一番頑張りどきのタイミングが30代後半ぐらいに来てしまうので、妊娠・出産との両立で悩む女性作家も少なくないです。現実問題としてほとんどがフリーランスなので、出産へのハードルは高いと感じています。それでも、男性以外の劇作家を増やすことや、子どもを産んだ作家が書き続けられる仕組みは諦めたくないです。
コロナで中止の可能性があるなど、リスクが高すぎて、今は演劇をつくるのが本当に大変な時代だと思います。
 コロナの前、私の劇団のミナモザが年に1本だとしても継続的に公演できたのは、借金を負っても別の仕事や次の公演でリカバーできたからです。でも今はコロナの影響により多くの団体に本当に余力が無くなっています。1本公演を失敗したらお終いで、演劇から離れていってしまう。そうなると先ほど話していたコンクールで選ばれることが貴重なチャンスになってきます。

 今度「せんがわ劇場演劇コンクール」の審査員をやりますが、このコンクールは、参加団体が劇場が行っている学校などへのアウトリーチ事業にも関われる可能性があります。

 劇団で活動しづらくなっているとしても、劇場のプロデューサーなどが才能ある若手を発掘していければ可能性はあります。私の場合は、世田谷パブリックシアターがそうでした。ネクストジェネレーションに選んでもらった4年後に単独公演を行う機会をもらって『みえない雲』をつくり、その後も劇場がプロデュースした「現代能楽集X『幸福論』」や『彼女を笑う人がいても』を依頼してもらった。私の将来を考えてくれるプロデューサーがいたのが大きなサポートになりました。
最後に今後の予定とこれからチャレンジしてみたいことをお願いします。
 2023年に、初めてミュージカルを演出することが決まっています。アンドリュー・ロイド=ウェバー作曲、ベン・エルトン作の『ザ・ビューティフル・ゲーム』というアイルランド紛争を題材にしたもので、若者にどんな未来を渡せるかを描いていて、ぜひやりたいと思いました。上演台本も担当しています。その次は、高校を巡回する公演の台本で、2月末に東京のサザンシアターで上演して、その後全国を回ります。
長時間どうもありがとうございました。今後の幅広いご活躍を期待しています。

*1 つかこうへい(1948-2010)
劇作家、演出家、小説家。慶應義塾大学在籍中から演劇活動をはじめ、73年に文学座に書き下ろした『熱海殺人事件』(部長刑事の木村伝兵衛が、恋人のハナ子を殺害して捕まった大山金太郎を“一流の犯人”に育てるために、殺害に至る経緯をダメ刑事の熊田留吉らとともに繰り返しロールプレイさせる中でみんなが人として成長していくという倒錯的な悲喜劇)により、当時最年少の25歳で岸田戯曲賞を受賞。1974年につかこうへい事務所を設立し、70年代から80年代にかけて一大ブームを巻き起こした。ひとつの戯曲をベースに、稽古場で俳優に当ててセリフを即興的につくりかえ、口頭で伝える「口立て」により上演台本を自在に操り、バージョンを変えて何度も再演。多くの劇作家、演出家、俳優に多大な影響を与えた。

*2 『寄生獣』
宇宙から飛来した寄生生物(パラサイト)によって脳を乗っ取られた人間は、人間を捕食するようになる。高校生の泉新一はパラサイトに襲撃されるが、脳ではなく右手に寄生される。新一と自らを「ミギー」と名乗るようになった寄生生物の奇妙な共生生活と、人間とパラサイトとの攻防を描いたヒット漫画。

*3 北区つかこうへい劇団
つかこうへいが東京都北区からの要請により、1994年に設立した北区を拠点とする劇団。俳優の養成に力を入れていたが、つかの逝去に伴い、2011年に解散。

*4 東電OL殺人事件
1997年に実際に起きた未解決事件。東京電力東京本店に勤務する女性の他殺遺体が渋谷区円山町のアパートの空き部屋で発見されたもの。昼間は大企業の社員、夜は売春行為をしていた被害女性や、不法残留していた外国籍の男性が犯人とされた冤罪事件として注目され、多くのノンフィクションの題材とされた。

*5 樺美智子
学生運動家として安保闘争に参加した東京大学の女子学生。1960年6月15日のデモで国会に突入した際に警官隊と衝突し、22歳で死亡。

*6 EPAD
新型コロナウイルスの感染拡大による収益機会の減少などにより影響を受けた文化芸術団体等の支援を目的とした「文化芸術収益強化事業」(文化庁委託事業)の一環として立ち上がった舞台芸術アーカイブ+デジタル化支援事業。2020年度に舞台芸術業界団体により発足した「緊急事態舞台芸術ネットワーク」が主体となり、映像・戯曲・舞台美術資料の紹介及びデジタルアーカイブとしての活用を行っている。