ニア・アグスティーナ

ニア・アグスティーナ

出会いを育て成長を見守るーパラダンスのダンサー/振付家サポート術

Ⓒ 宮川舞子

2026.06.29
ニア・アグスティーナ

Ⓒ 宮川舞子

ニア・アグスティーナNia Agustina

パラダンス・プラットフォーム・アーティスティック・ディレクター。2014年、ジョグジャカルタにパラダンス・プラットフォームを設立し、3か月ごとにフェスティバルを開催するなど若手振付家・ダンサーの育成に尽力。インドネシア・ダンスフェスティバル(IDF)共同キュレーター(2016-2024)、夫アフマド・ジャリドゥと舞台芸術批評サイトgelaran.id共同開設、国際交流基金アジアセンター・フェローシップ(2020)を得ての日本のダンス・プラットフォーム調査、Centre42(シンガポール)主催South East Asia Critical Ecologiesレジデンシー(2021)参加、IETM Global Connectorメンバー(2021–2022)など、キュレーターやドラマトゥルグ、執筆者として、若手振付家の活動範囲を国内各地および海外に広げている。2024年チューリヒ国際舞台芸術祭シアタースペクタクルZKB PRIZES審査員。2025年セゾン文化財団ヴィジティング・フェロー。ジョグジャカルタ州立大学で数学教育修士号取得。

https://niaagustinarchives.wordpress.com/

ダンス大国インドネシアで、若手ダンサーや振付家の支援に取り組むニア・アグスティーナ。2014年にジョグジャカルタでパラダンス・プラットフォームを設立し、多数の若手振付家に作品発表の機会を提供しながら、アーティストやコミュニティとの堅固な信頼関係を築いてきた。さらに国外にも目を向け、リサーチや国際的な協働を積極的に重ねているが、これらもひとえに、アーティストたちに、より豊かで開かれた創作環境を提供したいがためだという。まず出会った人との縁を大切にし、アーティストの活動にていねいに寄り添う。血の通ったパラダンスの支援スタイルの構築と現状について聞いた。


取材・文/山口真樹子

  • ⒸHoai Nguyen

パラダンス・プラットフォームの立ち上げの経緯からお話しいただけますか。
私は幼いころからtari kreasiを踊っていました。これは伝統舞踊をもとに再構成された創作舞踊で、多くのスタジオで教えられているものです。もっとも、私が育った中央ジャワの山間の村ウォノソボには、ダンサーや振付家という職業そのものが存在しませんでした。ダンスはあくまで、インドネシア独立記念日(8月17日)の地域イベントや村の行事などの際に、人々が余暇活動として楽しむものなのです。
 
また、父は警察官、母は中学校教師で、どちらも芸術とは無縁の職業に就いています。そうした環境もあり、私は最終的に大学・大学院ともに数学教育を専攻しました。両親のように安定した仕事に就くことが、より現実的な選択だと感じたからです。
大学で学ぶうちに、舞踊専攻の学生たちと出会ったのでしたね。
学生時代も、私は地域のダンススタジオで踊り続けていました。そこでジョグジャカルタ芸術大学舞踊専攻の学生と知り合い、在学中や卒業直後の若手振付家には作品を発表する機会が極めて少ないという現状を知りました。
 
若い振付家の大学卒業後の状況はとても脆弱です。大学では作品の創作方法を学ぶことができますが、卒業後に直面する現実——制作の仕組み、上演の制度、資金調達の方法、ネットワークづくりといった側面については、十分な準備がなされていません。実際、若手が自主的に作品を発表しようとすれば、会場のレンタル費、制作スタッフの確保、照明や音響などの費用をすべて自己負担するしかなく、学生や卒業直後の振付家にとってそれは非常に困難です。
 
こうした現実を知ったことをきっかけに、若手のための発表の場を自分でつくれないかと考えるようになり、2014年にパラダンス・プラットフォームを立ち上げました。最初は友人の振付家5人に声をかけ、一晩で彼らの作品を上演する小規模なイベントとしてスタートしました。若い振付家同士が出会い、互いに刺激を受け、多様な作品に触れることで、それぞれの活動の可能性を広げていくことを目指しました。
 
当時のインドネシアでは、助成金にアクセスする方法もほとんど整っておらず、プロデューサーとつながるための情報やチャンネルも非常に限られていました。さらに、多くのアーティストが舞台芸術における「プロデューサー」という役割自体を十分に理解しておらず、その状況は現在も大きくは変わっていません。そうした空白のなかで自分にできる役割があると感じたことが、パラダンスを続けている理由です。
英語のクラスなど付随するプログラムも行っていますね。
パラダンス・プラットフォームには継続的な助成金や固定スポンサーはなく、運営費は自分たちでまかないながら活動しています。そのため、特定の枠組みに縛られることなく、振付家たちのその時々のニーズに応じて柔軟にプログラムを企画しています。
 
立ち上げ当初から2016年頃までは、小規模なフェスティバルの開催を中心に活動していました。“Festival Mini Seni Gerak dan Tari”と題するもので、年に3〜4回、若手振付家が作品を発表できる場を設けていました。その後、活動の幅を広げ、「スタディクラブ」や「キャンプ」など、英語の読書会を開始しました。現在ではレジデンシー・プログラムも実施しています。また、振付家自身に創作プロセスについて文章を書いてもらい、それらをまとめた書籍をこれまでに2冊出版しています。
  • 振付家自身が創作プロセスを綴る書籍を2冊発行

パラダンス を10年以上続けてこられた鍵は何ですか。
私たちの活動は、コミュニティに大きく支えられています。資金は入っては出ていくものですが、良好な関係を築くことができれば、コミュニティは持続的に存在し続けます。それがパラダンスを継続するうえでの最大の基盤です。会場として使用しているバライ・ブダヤ・ミノマルタニなども、地域の会議や行事に利用される、住民が日常的に集まるコミュニティスペースです。
 
運営にあたっては、常に自分たちの力量や可能な範囲を見極めています。そのため、パラダンスはあえて小規模のままでよいと考えています。成長すべきなのはプラットフォームそのものではなく、そこに関わる振付家たちだからです。活動規模を抑えておけば、資金状況に左右されすぎることなく、継続することができます。
 
コミュニティと関わる際には、互いに何を必要としているのかを理解し合うことを大切にしています。パラダンスを実施する際には地域の人々が手伝ってくれますし、コミュニティの行事があれば、私たちが協力します。私の夫の家族は農家ですが、収穫があれば地域の人々と分け合いますし、私も海外から帰国する際にはお土産を持参します。ビジネスとしての関係ではなく、友人や近隣住民として自然な交流を続けていることが、結果的にパラダンスを支えているのです。
 
会場は半屋外の空間であるため、ダンスに馴染みのない人でも気軽に立ち寄ることができます。実際、近所のお母さんやお父さん、子どもたちが、ふらりと鑑賞に訪れることもあります。特にコンテンポラリーダンスに対する反応はとてもユニークで、日頃ダンスを観ない観客に作品がどのように受け取られるかを知る機会となるため、アーティストからも好評です。こうした偶然の出会いを通じて、関心を持つ人が増えている印象もあります。
  • バライ・ブダヤ・ミノマルタニ ⒸHoai Nguyen

パラダンスから生まれた振付家の中で、特に名前を挙げたい人はいますか。
大勢いますよ!(笑)。まず振付家 アユ・プルマタ・サリ。彼女にレジデンシーを提供し、神戸のダンサー/振付家の中間アヤカと共同創作が実現しました。その次の世代に、エラ・ムティアラ(西ジャワ州スカブミ)、M・サフリザル(アチェ州)、トリアンガラ(ジャカルタ)、マン・トリ・レイ・デワンタラ(バリ島)、レウ・ウィジェ(パル)などがいます。さらに、最近 パラダンスに出演したなかで今後の可能性を感じさせた振付家が、ディンダ・スリスナ(アチェ州)、ファーリ・マトラワ(パプア)、イ・ワヤン・エカ・パルタ・ムリアナです。そして、先ほど挙げたエラ・ムティアラは、2025年12月から1月にかけて パラダンスでレジデンシーを行い、松本奈々子さんと協働しました。国際交流基金の支援を受けています。
ニアさんはジョグジャカルタで若手振付家を支えながら、シンガポールのオン・ケンセンによるキュレーター育成プログラムへの参加など、国際的にも活動を広げていますね。
その出発点となったのは、国際交流基金アジアセンターの「次世代舞台芸術制作者等育成事業」に参加し、TPAM(現YPAM)2016を経験したことでした。これは私にとって非常に大きな転換点です。舞台芸術の世界がいかに複雑で、構造的に入り組んでいるかを初めて知り、正直ショックを受けました。同時に、インドネシアのアーティストがこの分野でキャリアを築いていくには「戦略」が必要だと気づいたのです。この経験が、その後の活動の方向性を決定づけました。
具体的には何がショックだったのでしょうか。
まず衝撃だったのは、コネクションのあり方です。インドネシアの伝統舞踊では、海外公演は大使館や政府を通じて実現するのが一般的です。しかしTPAMでは、アーティストとプロデューサー個人のつながりによって海外公演が成立している現実を目の当たりにしました。どのようにしてそうした関係を築くのか、強い驚きを覚えました。
 
もう一つは、作品を理解することの難しさです。TPAMで観た実験的な作品は、正直すぐには理解できませんでした。あのような表現に触れるのは初めてだったからです。この経験から、作品の読み方やパフォーマンスの理解の仕方を学ぶ必要性を強く感じました。パフォーマンスの美学は、その国の芸術史とも深く結びついていますよね。一つの作品を読み解くことは、決して簡単ではありません。
 
さらに気づいたのは、自分の中にある劣等感でした。インドネシアが長く植民地支配を受けてきた歴史とも関係しているのかもしれませんが、いわゆる “colonial mentality” のように、無意識のうちに外国のアーティストのほうが優れていると感じてしまう感覚です。これは私個人だけでなく、多くのインドネシアの若い振付家やダンサーにも共通しているのではないかと思いました。
そうした経験を経て、どのような「戦略」を立てたのですか。
まず取り組んだのは英語の習得です。人とつながるためにも、舞台芸術に関する知識にアクセスするためにも、英語は不可欠だと考えました。正直なところ勉強するのは気が進みませんでしたが(笑)、自分の立ち位置を理解し、前に進むためには必要だと思いました。
 
そしてTPAMから戻った後、パラダンスでスタディ・クラブを始めました。若い振付家たちが国際的な場で怖じ気づかないようにするためです。また、他国のアーティストと共同でレジデンシーを行っているのも、同じ空間で創作する経験を通じて、対等にコミュニケーションできるという実感を持ってほしいからです。
 
私にとって振付家を支えるとは、作品制作だけでなく、精神的な成長や自信を支えることでもあります。作品と人格の両方が成長していくことを常に願っています。
国際交流や協働についてお聞きします。特に、インドネシアのアユ・プルマタ・サリさんと日本の中間アヤカさんの協働を実現させたのは、ニアさんの重要な実践例です。そのプロセスについて教えてください。
2020年に国際交流基金アジアセンターのフェローシップを得て、神戸でリサーチを行いました。DANCE BOX(https://performingarts.jpf.go.jp/article/109341/参照)の横堀ふみさんに出会い、たくさん話をしたところ、DANCE BOXの活動内容も横堀さんご本人の考え方も、自分にとてもフィットする感覚がありました。ということでパラダンスとDANCE BOXが共同でレジデンシーを作ることになり、それぞれが個人としてよく知っている振付家を紹介し合うことにしました。横堀さんは中間アヤカさんと長く一緒に仕事をしていたことで、私はアユ・プルマタ・サリさんを2011年から支援していたことで、いずれもその作品と人柄をよく理解していました。それぞれが信頼する振付家同士の相性がよさそうだと感じ、この二人を出会わせることになりました。
 
まだパンデミックの影響があった2022年に、まずオンライン・レジデンシーとして対話を重ねました。その後、同年末にDANCE BOXで、翌年1月には国際交流基金ジャカルタ日本文化センターの支援を受けて、パラダンスおよびアユの故郷ランプン(スマトラ)の自宅で滞在共同創作が実現しました。
 
そして2023年、アユが再びアヤカをランプンに招きました。これはインドネシア政府のプログラムMTN(Manajemen Talenta Nasional)からのサポートで実現したものです。さらに2024年初頭に、ドイツ・デュッセルドルフのtanzhaus nrwからの招へいで滞在創作を行いました。同年末に再び神戸で二人が合流。2025年11月に神戸のhouse next doorで新作『AYUKA』を初演しました。
 
実は横堀さんと私が直接関わったのはこのうち最初の二つの対面型プログラムだけで、その後はアユとアヤカが協力し合い、さまざまな支援を自力で獲得しながらプロジェクトを展開しました。私たちはレジデンシーを設計する際、「もしも合わなければ、無理にコラボレーションしなくてよい」 と立場をはっきりさせていましたが、結果的に二人は自分たちの相性がいいと感じ、主体的に動いたわけです。
  • アユ・プルマタ・サリと中間アヤカによる滞在共同創作の様子  Ⓒ BIBID HRIDAY

  • 同 Ⓒ BIBID HRIDAY

ニアさんは、昨年まで8年間務めたインドネシアン・ダンスフェスティバル(IDF)の共同キュレーターを辞めたそうですね。その理由と、これから手がけたいこと、今いちばん興味をもっていることについて教えてください。
IDFのような大規模なフェスティバルで仕事をすること自体は、非常に刺激的で貴重な経験でした。実際、私が取り組んできたパラダンスの活動は、IDFでのキュレーション業務を支える役割も果たしていました。パラダンスを通じて、インドネシア各地にどのような若手振付家がいるのかを把握できるようになり、いわば地図のような視点を得ることができたのです。その情報があったからこそ、IDFにどの振付家を紹介し、どのようなプログラムを組むかについて、具体的な提案を行うことができました。
 
しかし、8年間続けるなかで、自分のアイデアが次第に似通ってきているのではないかと感じるようになりました。そこで、改めてパラダンスに集中することを選びました。これまで私がキュレーターやプロデューサーとして成長できたのは、振付家たちと非常に近い距離で仕事を重ねてきたからです。だからこそ、もう一度その原点に立ち返り、若手振付家とていねいに向き合うプロセスを大切にするために、IDFでの役割を手放す決断をしました。
これからも、ジョグジャカルタやインドネシアの振付家たちを、世界へとつないでいきますか。
はい、もちろんです(笑)。私がこうして来日し、今もさまざまなプログラムに応募しているのは、インドネシアのダンスアーティストがインターローカルに、そしてインターナショナルに活動する道を少しでも広げたいと考えているからです。今回招かれた舞台芸術祭「秋の隕石2025東京」でも、作品やアーティスト、人々と実際に出会うことを最も大切にしています。
 
その意味では、IDFもまた、国内のアーティストと海外のプレゼンターが出会う重要なミーティングポイントです。ただし、IDFにもリソースの限界があり、すべてを一つのフェスティバルだけで担うことはできません。だからこそ、IDF以外にもさまざまなダンスのプラットフォームが、それぞれの方法で振付家を支えていくことが大切だと考えています。IDFが国際的な出会いの場として機能する一方で、パラダンスやほかのプラットフォームは、それぞれのスケールと方法で若い振付家を支えています。複数のプラットフォームが連携しながらそれぞれの役割を果たすことで、インドネシアの振付家たちが進む道はより広がっていくと思います。
 
実際、インドネシアにはパラダンス以外にも多くのダンス・プラットフォームがあります。例えばバンドゥンのSasikirana Danceや、スマトラのKABA Festivalなど、国際交流を視野に入れた活動が地方でも行われています。タイプの異なるプラットフォームが複数並存していることは、とてもよいことだと思います。そうすることで、IDFに参加できた人だけでなく、より多くの振付家が別の形で支援や機会を得ることができますからね。
 
また現在、インドネシアでは舞台芸術全体を発展させるための取り組みもいくつか進められています。その一つがForum Producerで、国内のプロデューサーやアートマネージャーがつながるための場です。私自身もそこで多くの人と出会うことができました。
 
私が大切にしているのは、人脈を限定せず、出会った相手と自然に関係を育てていくことです。これまでの11年間の経験の中でも、例えば横堀ふみさんとは、まず関係を築き、お互いをよく理解するプロセスを経たうえで協力するようになりました。そうした関係の積み重ねが、結果としてインドネシアのアーティストが世界とつながる道を少しずつ広げていくのだと思っています。
最後に、インドネシアのダンスの現状についてはどんな課題がありますか。
最近特に感じているのは、TikTokなどのSNSによって即時的な成果が得られてしまう環境が広がっていることです。1分や30秒の動画で多くの視聴数を獲得できれば、それが収入につながる場合もあります。一方で、振付作品を一つ創作するには、時間や資金、リサーチ、公演のプロモーションなど、非常に多くのエネルギーが必要で、場合によっては自己負担もしなければなりません。そうした状況の中では、SNSの方が簡単に成果が出ると感じてしまう若手がいることも、理解できます。だからこそ、若い振付家たちとどのようにつながり続けていくかが、今の大きな課題だと感じています。
 
このようにSNSやオンライン環境の広がりは、創作のあり方にも影響を与えています。現在の若い振付家たちは、マルチディシプリン(複数領域横断)へと自然に向かう傾向があります。ダンスだけでなく、インスタレーションや演劇など、さまざまな領域を取り込んだ作品が増えているのです。これは世界中から情報が入ってくる時代ならではの動きだと思います。
 
ですからパラダンスが開催するフェスティバルでは、アーティスト応募者がダンス専攻であるかどうかは問いません。ダンスを専門的に学んだことがない人であっても、作品に振付的な要素があれば受け入れています。いわゆる「これぞダンス」と言える作品もあれば、パフォーマンスとインスタレーションが混在する作品、演劇的な構造をもつ作品など、非常に幅広いかたちの作品が並びます。
 
アーティストの創作はますます多様化しています。その現実に応答するためにも、パラダンスでは振付に重点を置くタイプの作品や、ダンス以外の分野を背景に持つアーティストの視点から創られた作品、さらにはそのほか多くの表現形態を受け入れ、一つのフェスティバルの中で幅広い表現に触れられるようにしています。
  • 通訳/津川さくら 協力:舞台芸術祭「秋の隕石2025東京」  Ⓒ 宮川舞子

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