
村田裕子
ロンドンで新作をつくるという挑戦—UMEGEI式世界展開&クリエイター育成メソッド

村田裕子Hiroko Murata
奈良県出身。株式会社梅田芸術劇場 常務執行役員海外戦略事業室長。1990年代から演劇プロデューサーとして数々の企画公演を成功に導いてきた。その中には映画界とタッグを組んだ『夜叉ヶ池』(2005)、日韓共同制作『僕に炎の戦車を』の日韓公演(2012、2013)、ブロードウェイ・ミュージカル『プリンス・オブ・ブロードウェイ』の世界初演(2015)などがある。近年は海外作品の日本への招へいだけでなく、日本の演劇人を英国の制作現場へ送り出しての両国のアーティストたちによる協働プロダクション『VIOLET』(2019、2024)、『One Small Step』『刺青/ TATTOOER』(2024)などを手掛け、日本演劇界に新風を吹き込んでいる。現在、ロンドンと日本の2拠点で活動を展開中。(2025年3月更新)
幼い頃、村田裕子は伝説のアイスダンス・スケーターデュオ、トービル&ディーンの芸術性の虜になったと言う。梅田芸術劇場の海外戦略事業室長となった現在は、そんな憧れのスケーターの出身地英国に居を構え、新たな海外事業展開に取り組んでいる。
2019年に藤田俊太郎演出によるミュージカル『VIOLET』をロンドンと東京で上演したのに続き、2024年秋には日本の若手劇作家の新作を、日英バイリンガルの俳優を起用し、日本では日本語上演、オフウエストエンドの老舗チャリングクロス劇場では英語上演するという、大胆な企画を敢行。日本の舞台芸術界隈を驚かせた。
舞台芸術に「産業」としての可能性を見出し、先達であるブロードウェイやウエストエンドに学びながら、対等な協働関係の構築を模索。同時に、海外の実践の場で日本の若手クリエイターを育成して、世界に向けた新作舞台を送り出す。そんな斬新なビジネスモデルを実践中の演劇プロデューサーに、ここに至るまでの経緯と真意を聞いた。
取材・文/田中伸子
- 演劇プロデューサーという仕事を選んだ理由を教えてください。
- 経済学部でアートマネジメントを学び、就職時は1990年代前半でした。当時、商社や銀行が好景気に沸く中で企業はメセナ(mécénat 芸術・文化の庇護)活動として演劇や音楽公演、美術展に出資しており、演劇はまだ産業としては成立していない状況でした。海外に目を向けると、演劇はしっかりビジネスとして成立しているのになぜだろう、と不思議に思いました。例えば英国では、20代の演出家など若手演劇人がウエストエンド・デビューをしているのに、日本では30代はまだアシスタント、40代になってやっとデビューするという遅さで、プロデューサーともなると、徒弟制度の風習からさらに遅く、50代でやっとデビューという時代でした。私はその遅さにすごく違和感を覚えていました。
私自身、20代の頃から演劇プロデューサーになろうと決めていたので、そのための就職先を考えました。確固たる実績をもつ東京の演劇会社ではなく、大阪で劇場を持ちながらまだ自主制作を多く行っていない真っ白なイメージのシアター・ドラマシティを目指し、親会社である阪急電鉄に入社しました。今は成長産業とは言えないが花形産業になる可能性が高いと読んで、エンターテインメントをやろうと決めたのです。なので、演劇界に入ったのは“演劇が好きだから”ではなく、当初からビジネスとして見ていたというところがあります。そこにはポテンシャルがあると思いましたし、絶対に金のなる木になる産業のはずなのになぜなっていないのか、逆に、だからこそ面白いと感じました。
- ある時期から海外に目が向いたのはなぜですか。
- 2005年に梅田コマ劇場とシアター・ドラマシティが梅田芸術劇場(梅芸)に事業移管された(*1)のですが、そのときに当時は珍しかった映画監督と一緒に舞台を作る企画で、三池崇史監督演出の舞台『夜叉ヶ池』(*2)を上演し、その異種業界のコラボレーション企画が高評価を得ました。
その次は、と考えていたら、当時の上司の小川友次(現在は梅田芸術劇場の会長と、タカラヅカ・ライブ・ネクストの会長を兼任)から、「東京を大きくするか、ニューヨークへ行くか、どちらを取るか」と聞かれたんです。私としては東京でまだ何も成し遂げていなかったので、2008年に東京に転勤したのですが、その前年におそらく当時最大級規模の招へい公演であった、ウィーン版『エリザベート』を梅芸が招へいすることになり、大阪のみの公演(東京はコンサート形式での上演だった)でしたが、意外にも大きな手応えがあり、世界はそれほど遠いものではないのかもしれないと思うようになりました。興行的にも成功し、大阪のドメスティックな劇場が採算を東京公演に依存しなくてもこの規模の興行をやれるのだということを、初めて目の当たりにしました。日本の人気俳優ではない海外キャストでの公演が興行として成立することを知り「もっと海外へ」という気持ちになりました。
そこで着手したのが、お隣韓国の国立劇場との合作、鄭義信作・演出の『ぼくに炎の戦車を』(2012年東京・大阪公演、2013年ソウル公演)でした。チケットが完売になり、十分な手応えを得たので、次はブロードウェイとやってみようということになったのです。
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ウィーン版『エリザベート』(2007) © 梅田芸術劇場
- 本格的な海外進出は米国ブロードウェイから始まったのですね。手応えはいかがでしたか。
- 鄭さんのおかげで韓国の国立劇場とつながれたように、人とのつながりでものを作れるのだと知り、2013年にまず『4Stars(フォースターズ)』という、世界のミュージカル界のトップスター3人(レア・サロンガ、ラミン・カリムルー、シエラ・ボーゲス)と城田優さんによるコンサートを制作しました。海外のスター3人については誰かに紹介してもらうようなコネクションなどなかったので、シンプルにエージェントの扉をノックするところから始めました。
2014年にはニューヨークにオフィスも構えました。当時はウエストエンドよりもブロードウェイという気風でしたから。
『4Stars』の後、演出のハロルド・プリンス(*3)、スーザン・ストローマン(共同演出・振付)、ジェイソン・ロバート・ブラウン(音楽スーパーバイザー・編曲)、ウィリアム・アイヴィ・ロング(衣裳)という、全員がトニー賞を獲っているブロードウェイの錚々たるメンバーと、日本で『プリンス・オブ・ブロードウェイ』という作品を制作しました。なぜこれが実現したかと言うと、プリンスから「今、ブロードウェイで自分の作品を作ってくれるプロデューサーがいないから梅芸でやってくれないか」という手紙をいただいたからなんです。『4Stars』で音楽を担当したジェイソン・ロバート・ブラウンと演出家ダニエル・カトナーがプリンスの弟子だったので、彼らが梅芸はいろいろと思い切ったことをやっているということを伝えたのだと思います。『4Stars』で招いた出演者たちがブロードウェイでもトップクラスの人たちだったので、応分のギャラを払える興行主と思われたのではないでしょうか。
東京がワールドプレミアとなった公演も無事やりきったのですが、その際に、ブロードウェイは商業至上主義である事を思い知ったのです。プリンスほどブロードウェイに貢献し、人材育成にも尽力した人はいないと思うのですが、そのプリンスが最後の作品として自分をテーマにしたミュージカル作品へ出資するプロデューサーがなかなか現れないということに、とてもショックを受けました。
このことを機に、ブロードウェイでのマネーゲームに参加するよりは、じっくりと作品を作ることのできる場所を探すようになりました。ニューヨークのオフィスも閉じて、ウエストエンドで世界初のものを作るにはどうしたらいいかという考えに切り替えることにしました。
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日本で初演された『プリンス・オブ・ブロードウェイ』(2015) © 梅田芸術劇場
- 英国進出のキーマンのひとりとなったのが、演出家で元チャリングクロス劇場の芸術監督トム・サザーランド(*4)ではないかと思うのですが、いかがですか。
- 2014年頃から、当時30代前半だったトム・サザーランドと仕事をするようになりました。彼のような若い才能に私たちは投資すべきなのではないかと考え、美術家でも演出家でも、若い演劇人とものづくりをやろうと『イリュージョニスト』という作品をトムと一から作って英国で幕を開ける計画を立て、英国での上演権も取っていたのですが、残念ながらコロナ禍で頓挫してしまいました。東京ではなんとか2021年にコンサート・バージョンを上演し、いよいよ2025年の3月に念願のフルバージョンの幕を開けます。
そして梅芸は、海外の演出家を日本に呼ぶだけではなく、日本のクリエイターを交えて海外でも通用する作品を一緒に作っていこうということになりました。『イリュージョニスト』で言うと、スタッフ全てが英国勢ではなく、美術の松井るみさんや衣裳の前田文子さんがロンドンの制作チームに加わることで、日英一緒に作る方法を採りました。
それとは別に、日本でものづくりをする際に足りていない部分として、クリエイターの枯渇問題があるということをトムに相談しました。それについては育成しかないだろうというのが、彼から得た結論でした。そこで若手のクリエイターに、日本では絶対にできないような場を与えることで研鑽を積んでもらいたいと考え、トムに協力を仰ぎました。
当時トムはチャリングクロス劇場の芸術監督だったので、日本のために劇場のスケジュールをワンスロット空けようと言ってくれたんです。そこで、まずはミュージカルが作れる演出家を育成したいと、藤田俊太郎さんに声をかけました。
世界で既に広く知られている漫画とかアニメ原作のものは別として、日本のオリジナル・ミュージカルの海外上演にはまだ大きな壁がありますし、上演権の問題も絡んでくるので、それらの問題をクリアできる作品ということで、藤田さんと一緒に探して見つけたのがブロードウェイ・ミュージカル『VIOLET』です。
2019年に藤田さんとロンドンに滞在していたときにリサーチしたのですが、それまでにも日本勢の作品上演としてはリーディングやフェスティバル参加の短期間の公演などはあったと認識していますが、『VIOLET』のように2か月半の興行を行うというのは前例がありませんでした。ロンドンには、市場として日本の演出家が入り込む余地は全くなかったのです。藤田さんの現地演出は、トム、そして劇場のオーナーが信じてくれたからこそ実現したものです。藤田さんにはあの大変な経験を持ち帰り、日本で昇華して欲しいと思っていたので、彼がその後大活躍をしているのを見て、本当にやってよかったと思っています。
まず第一弾として『VIOLET』を上演したことで、その次に日本人アーティストを送り出す際に攻略しなければならない課題が見えました。それは、日本(ならでは)の作品を持っていくこと。借り物ではダメだということを痛感しました。
そこで、2020年に第二弾として、映画監督の長久允さんのオリジナル作品を舞台化しようと計画し、長久さんとロンドンで下見もしました。長久さんが映画のために書かれた脚本があまりにも面白かったので、是非舞台化してみたいと思いました。楽しみにしていたのですが、残念なことにコロナの影響で公演を実現させることができませんでした。
この二つの経験を経て、いったん方向を見直そうと私から提案して、2024年のチャリングクロスでの若手演劇人2作品連続上演へとつながっていきました。
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藤田俊太郎演出『VIOLET』ロンドン公演(2019) ロンドンで初演された後、コロナ禍の日本で3日間のみ限定上演。2024年に東京・大阪・福岡・宮城で再演された。 Ⓒ Scott Rylander
- 加藤拓也作・演出『One Small Step』と兼島拓也作、河井朗演出『刺青/TATTOOER』の上演は記憶に新しいところですが、とても若い作家の新作だったので、人選に驚かされました。まず、若い優秀なアーティストをどうやって発掘するのですか。
- コロナ前は自ら足を運んで、かなりの数の観劇をしていました。なので、才能あふれる若手に遭遇する機会も多かったと思います。コロナ後は社内に、戯曲が読める、若く面白い作家を見つけ出すのに長けているスタッフの協力を得て、徹底的に探してもらっています。一人でやっていると限りがあるので、チームで手分けをして逸材を探すようになりました。担当スタッフには本や映画、詩などあらゆるところから今の先端をいくものを選び取ってもらっています。
藤田さんのときにできなかったのは、オリジナルの戯曲を持っていくということでしたので、海外で挑戦したい意思があり、これからの日本演劇界に大きく貢献してくれると思われる人を念頭に、劇作家を選びました。自分のスタイルを持っていることも条件の一つでした。加藤さんの日本の現代語戯曲が海外でどう受け止められるか、という挑戦をしてみたい。そして兼島さんには、彼が持っている純文学的なバックグラウンドを見てみたいと思い、我が国の文豪・谷崎潤一郎の『刺青』をもとにした作品を依頼しました。河井さんは戯曲をいつでもどこでも、屋外でも小さな劇場でも、自分の信念とスタイルを持って演出される方であるところが目にとまりました。海外で仕事をするのは精神的にタフでないとできませんから、その点でも彼らなら大丈夫と思いお願いしました。日本の若手にチャンスを与えるという我が社の原点に立ち返り、その上で経済的なリスクを負うことを決めたので、20〜30年後にこの経験が血となり肉となるような世代の方を選んだつもりです。
今回、ビジネス的には痛い目をみているわけですが(笑)、少しでも日本にいる演劇人たちの希望になればいいなと思っています。
劇評はまちまちでしたが、加藤さん、兼島さん、河井さんの持っているものをぶつけて、その結果を、私も含めてそれぞれが真摯に受け止めたことは大きいと思っています。彼らはこの経験を、これからの作品に必ず活かしてくれると信じています。今回の戯曲をさらに練って再演できれば、世界に通用する戯曲になる可能性はあると思います。私たちの会社がそこまで行けるかどうかは、今後の社内での話し合いになっていくでしょう。
作品を育てるという軸とともに、もう一つの軸として、日本発の商業エンターテインメントをロンドンで展開していくことができればと願っています。育成と収益性というのは密接に関わっていて、収益性だけだと次第に演劇界全体が枯渇していくと考えているので、その両軸で進めたいのです。
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ロンドンで初演された加藤拓也作・演出『One Small Step』(2024) Ⓒ Mark Senior
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日本で初演後ロンドンで上演された兼島拓也作、河井朗演出『刺青/TATTOOER』(2024) Ⓒ Mark Senior
- そもそもの質問に戻るのですが、今、海外進出することはなぜ必要なのでしょうか。
- 日本の人口は減少しているので、これ以上演劇人口は増えようがありません。英国では幼稚園の頃から演劇を見せているので、日常のこととして劇場へ通う習慣ができています。日本もそのような状況を目指すか、もしくは韓国のように海外へ向けての発信を強化して、日本の演劇を海外の人たちに見てもらうかしかないのです。まずは市場を、観る人を増やさないと作品自体が育っていかないと思っています。海外進出が重要であるのは、観る人を増やすためです。加藤さんの作品を日本だけでなく海外の人にも観てもらうためには、ロンドンで上演するしかない、ということです。
人間が人間として考えることを失わなければ、演劇の経済的なポテンシャルはあると思っています。しかし、将来、自ら考えることがなくなっていくと、もしかしたら岐路に立たされることになるかもしれません。演劇の危機というのは日本だけでなく、ここロンドンでも言われていて、チケット代の高騰に加え、以前のような作品史上主義ではなく、日本のような有名人の期間限定キャスティング舞台なども増えてきていて、ロンドンも危機的状況にあると思っています。
先日、クリスマス時期恒例のパント芝居(歌やダンス、ジョークが盛り込まれた子ども向けのドタバタ笑劇)を観に行ったのですが、思っていたよりも子どもが少なくて、ほとんどが高齢のお客さんでした。何人かに聞いてみたら「小さい頃にいつも観ていたから毎年来るのよ」と話していました。つまり彼らの幼少期の経験が今の観劇消費につながっているわけです。なので、今のお母さんたちが子どもをパントに連れていかないと、その子たちのパントの習慣は失われてしまい、観客は減っていくだろうなと、将来の演劇文化の危機を感じました。
- 梅芸が目指す今後の海外展開についてお聞かせください。
- ロンドン演劇界の住人になることです。大阪で買い公演(作品ごとパッケージで買い取り上演する事業形態)を主体としてスタートした梅田芸術劇場が、今東京でコンスタントに作品をプロデュースしているように、ロンドンにおいても、東京でプロデュースするような感覚で作品を発表していきたいと考えています。赤字公演もあるでしょう。大ヒット公演も生まれるでしょう。その失敗と成功を繰り返しながら、着実に梅芸作品をロンドンでも根付かせていきたいと考えています。“大阪→東京→ロンドン→世界”。全社員一丸となって、世界中の人から愛されるUMEGEIブランドを構築し、インターナショナル・エンターテイメントカンパニーへ成長し続けていくことを目指しています。
私たちが今後挑戦し続けていこうとしている国際計画(*5)は、まだ途上段階で始まったばかり。ようやくスタートラインに立ったぐらいのところです。その先へと行くためにはリスクを恐れず、日本のアーティストの才能を育てるという初心を忘れずに信じて進むしかない、と前回の若手公演を経て強く感じています。
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2005年に梅田コマ劇場とシアター・ドラマシティが梅田芸術劇場(梅芸)に事業移管された
梅田芸術劇場の前身の1つである「梅田コマ劇場」は1956年11月16日、株式会社梅田コマ・スタジアムによって開場。その後、建物の老朽化などもあり、1992年9月28日に閉場した。1992年11月2日に、現在梅田芸術劇場のある場所に、「劇場・飛天」として再開場したが2000年4月に劇場名を再び「梅田コマ劇場」に戻した。2005年4月1日に阪急電鉄がシアター・ドラマシティと併せて「梅田芸術劇場」(梅芸)としてリニューアルオープン、現在に至る。
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夜叉ヶ池
『夜叉ヶ池』は竜神伝説をベースにした泉鏡花(1873-1939)の幻想的な戯曲。その映画版(1979年、篠田正浩監督)を元に長塚圭史が脚色、映画監督の三池崇史が演出した舞台を梅田芸術劇場が2004年に制作、上演した。
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ハロルド・プリンス
『ウエスト・サイド・ストーリー』『オペラ座の怪人』『キャバレー』『屋根の上のバイオリン弾き』『エビータ』『フォリーズ』などの大ヒット傑作ミュージカルを次々と生み出した米国の演出家/プロデューサー。トニー賞を個人として史上最多の21回受賞している。
ウエストエンドとブロードウェイでロングラン記録を持つ『オペラ座の怪人』は共にハロルド・プリンスの演出版である。 -
トム・サザーランド
英国人演出家で現在は英国南部サウザンプトンにあるメイフラワー劇場芸術監督。ロンドンの小劇場、サザークプレイハウスで上演されたリバイバルミュージカル『パレード』『タイタニック』『グランドホテル』『Mack and Mabel』が立て続けに評判となり注目を集める。特に2013年に上演されたモーリー・イェストンのブロードウェイ・ミュージカルのリバイバル舞台『タイタニック』は国内外で数多くの演劇賞を受賞。日本では、梅田芸術劇場の制作のミュージカル『タイタニック』(2015、18)、『グランドホテル』 (2016)、『パジャマゲーム』(2017)を手がけ、いずれも高い評価を受けている。
その日本公演での関わりから、梅田芸術劇場の英国進出企画に大いに尽力し、自身が芸術監督を務めていたチャリングクロス劇場へ若手の日本人演劇人たちを招き入れ、日英の共同制作舞台を上演している。
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私たちが今後挑戦し続けていこうとしている国際計画
梅田芸術劇場は、国際展開を目的として、2025年2月に英国ロンドンに現地法人「Umeda Arts Theatre UK Limited」を設立。英国における新作舞台『The Hunger Games On Stage』の制作に共同制作会社として参画することが決定。これは世界的ベストセラー小説『ハンガー・ゲーム』を原作とし、映画シリーズも世界的な大ヒットを記録した作品の初の舞台化プロジェクトで、2025年10月にロンドンの新名所として開場するトルバドール・カナリー・ワーフ・シアターで開幕予定。
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コロナ禍にコンサート版で上演された『イリュージョニスト』(2021) Ⓒ 岡千里
2025年にフルバージョンのミュージカル『イリュージョニスト』を上演。
演出:トム・サザーランド 出演:海宝直人 成河 愛希れいか/栗原英雄/濱田めぐみ ほか
東京:2025年3月11日~3月29日 日生劇場
大阪:2025年4月8日~4月20日 梅田芸術劇場メインホール
問い合わせ
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協力:梅田芸術劇場 Ⓒ 伊ケ崎忍
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