松本祐子/五戸真理枝/西本由香/稲葉賀恵/生田みゆき

松本祐子/五戸真理枝/西本由香/稲葉賀恵/生田みゆき

文学座Women<後編>—100年前の演劇運動と21世紀の後輩たち

© 宮川舞子 写真左から松本祐子、西本由香、生田みゆき、稲葉賀恵、五戸真理枝

2024.08.01

    近年、めざましい活躍をみせる演出家を次々に輩出している、新劇(*1)の老舗劇団文学座(*2)。しかも、その多くが女性なのは偶然なのか、それとも劇団の伝統や育成システムの成果なのか。謎を解明すべく、松本祐子、五戸真理枝、西本由香、稲葉賀恵、生田みゆきという世代の異なる5人の演出家が大集合。各自の演出の特色と文学座を選んだ動機、劇団内の自由な空気について語り合った<前編>に続き、<後編>では、文学座に属することで「新劇」のレッテルを貼られるという、少々窮屈な現実とどう向き合っているかを吐露しあう。そもそも、現代演劇だけでもさまざまなスタイルがあるなかで、なぜ「新劇」を選んだのか。自分にとって「新劇」とは何なのか。100年前に起きた演劇のニューウェーブ運動は、21世紀の後輩たちにどんな影響を与え得ているのだろうか。

    取材・文/鈴木理映子

    • 東京・新宿にある文学座アトリエ

    日本の現代演劇シーンには、近代劇の基礎を築いた「新劇」、その打倒を目指して身体性や観客との関係性の追求を軸に、さまざまな実験を試みた「アングラ(アンダーグラウンド)」、さらに80年代以後に登場し、映像メディアとも結びつきながら一大ブームを巻き起こした「小劇場演劇」、90年代半ばに平田オリザが提唱した、日常会話と抑制的な演技を特色とする「現代口語演劇」など 、異なる文脈スタイルを持った演劇が、同時に存在しています。そういった環境で、なぜ、皆さんは「新劇」の系譜につながる「文学座」という場を選んだのでしょうか。

    松本 私の少し上の世代(80年代後期から90年代にかけての小劇場演劇)のつくり手は、野田秀樹さんや鴻上尚史さん、川村毅さんなど、活躍されている方々はみんな作・演出家なんですよね。その人たちに憧れ、自分でも戯曲を書いてはみたものの、どうやら私には才能がなかった。とはいえ当時は、演出だけでやっていくイメージが持てず、一時は制作として演劇に携わっていました。その2年くらいの間に、それまで食わず嫌いだった新劇系の芝居や、英国のロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)、ナショナル・シアター(NT)といった優れた海外の作品を観て、自分は、物語の骨格がしっかりあって、人間の生活に根ざした心の機微が感じられる舞台が好きだと、つくづく思い知りました。大学進学で上京して、小劇場演劇や、唐十郎(*3)さんをはじめとするアングラ系の激しい文体の台詞を浴びて、すごく衝撃も受けたし感動した。でも自分は、そういった作品を演出したいわけではないんだと。そんな中、鵜山仁(*4)の演出作品に出会い、「この人のもとで勉強しよう」と思いました。鵜山の作品からは、古臭いストーリーをどうやったら今の観客に訴えるものにするか、しっかり考えていることが伝わってきたんです。

    • 松本祐子

      【公演情報】松本祐子プロデュース 
      『Someone Who’ll Watch Over Me〜誰かが見ていてくれる』
      作:フランク・マクギネス  翻訳:常田景子 演出:松本祐子
      2024年9月26日〜29日 
      文学座アトリエ
      詳細:someonejyoen@gmail.com

    五戸 私は劇作家になりたくて、自分で書いて、演出もしていました。でも、劇団を旗揚げして3本目の公演くらいで、今の自分の力じゃ長く続けていくのは難しいと思ったんですよね。演出を習ったこともなかったですから、これはちゃんと勉強した方がいいなと、調べてみたらちょうど文学座の研究生募集があって、あまり深く考えることもなく受験しました。最初は1年である程度のことを学んで辞めようと考えていたんです。でも、本科(研修所の1年目)の卒業公演で初めてプロのスタッフの仕事を間近に見て、例えば舞台監督による俳優の動線の確保の仕方といった、裏方の技術にすごく感動したんです。「これを身につけるには1年じゃ足りない、あと2年やろう」と研修科に進み、結局、ずっといます。

    • 五戸真理枝

      【公演情報】文学座9月アトリエの会 『石を洗う』
      作:永山智行 演出:五戸真理枝
      2024年9月7日~19日 
      文学座アトリエ
      詳細:https://www.bungakuza.com/ishi/index.html

    西本 私も技術を手に入れたいと思っていました。大学時代に演出を学ぶ中で、センスや才能はもちろん必要だけど、それ以前に、この仕事には、経験を重ねれば手に入る職能があるはずだと考えるようになったんです。それで、技術や知識の蓄積がありそうな文学座を選んだ。実は大学時代の先生に「そういうことを学びたいなら、文学座か青年座だよ」と教えてもらって。ちょうどその頃、やっぱり鵜山仁さんの演出作品を観て、「これは面白い」と思ったのも決め手になりました。

    • 西本由香

      【公演情報】劇壇ガルバ 『ミネムラさん』
      作:笠木泉、細川洋平、山崎元晴 演出:西本由香
      2024年9月13日〜23日
      新宿シアタートップス
      詳細:https://gekidangalba.studio.site/

    稲葉 私は大学時代には映画制作をしていました。もともと絵描きになりたくて、一人で作ることが好きだったんです。映画って、撮った素材を生かすも殺すも編集次第、作品は監督のものという意識が強い媒体で、そこに憧れがあって。でも、実際につくりはじめたら、だんだん撮影より稽古がしたくなっちゃって。演技にこだわるうちに、撮影も遅れてお金もかかって……ようやく提出した作品を観た教授から「お前がやりたいことは映画ではないんじゃないか」と言われました。「こういうことがしたいなら演劇だろう」と。それを教えてもらえる場として、文学座を紹介されたんです。だから演劇については何も知らず「戯曲って何?」っていうようなところからの出発で、よく入れてもらえたなと思います。入ってからも、大学に行きながらで、本当に自分が演劇をやりたいのかどうかもわからない。それこそ「盗めるところは盗もう」というくらいの感覚でいました。でも、1年目にあった鵜山さんの演出ゼミがすごく楽しかったのと、高瀬久男(*5)さんの「戯曲を読む」っていう授業で、「あらゆる戯曲はこうやって読めばいいんだ」と思えるくらいの衝撃を受けたんです。松田正隆さんの『坂の上の家』が題材で、「この場面で最初にモノローグがあるのはなんでだと思う?」とか「登場人物はどんなふうに生まれてきたんだろう」って考えていくんですが、すごくロジカルでありつつ、自由度が高くて、わくわくしました。この二つの経験があったから、研修科の2年間があり、今があるなと思います。

    • 稲葉賀恵

    生田 私は中学、高校時代から演劇をやっていて、将来俳優にもなりたいと考えていたんですが、アマチュアなりに限界を感じてもいたんです。とにかくもっと勉強しようと東京に来て、出会ったのが大学院でやっていたオペラ演出のワークショップでした。そこで、作品をどうやって今の観客に提供するか、それを考えるのが演出なんだと初めて理解し、「これはやってみる価値がある仕事だ」と思いました。ただ、当時の私が知っていたオペラの現場は、歌手のスケジュールに合わせて細切れで稽古をしたりするイメージで、でも私は中高生のときから、一つのものをみんなで、ああでもないこうでもないと言いながら創ってきたし、それこそが創作の基本だと思うので、「オペラ」ではなく、あらためて「演劇」をやろうと決めました。そんなときにいちばん身近にいた演出家が文学座の西川信廣(*6)さんだったんです。大学院で台東区の中学生とミュージカルをつくる企画に参加したときに、オブザーバーのような立場で来ていた西川さんが、私が相手をしきれていない生徒に「立ち位置、こうやって覚えるといいよ」等と声をかけてくださったり、場当たりがスムーズにできるような技術的なフォローをしてくださった。それまでなんとなく「新劇は古い」というイメージがあり、食わず嫌いだったんですが、素直に「これはすごい」と感じました。それで、こういう技術を習得するためには、一人よりもやっぱり劇団に属して学ぶ方が早いんじゃないかと思ったんです。

    • 生田みゆき

      【公演情報】理性的な変人たちvol.4『寿歌二曲』(寿歌[全四曲]より)
      作:北村想 演出:生田みゆき
      2024年9月12日~17日
      北千住BUoY 
      詳細:https://x.com/henzinzin 

    皆さん、老舗の劇団が持っている方法論や技術に惹かれたわけですね。いわゆる「新劇」というカテゴリやその背景にある歴史については、どんなふうに考えていますか。

    松本 歌舞伎や新派(*7)、新国劇(*8)に代表される既存の演劇に対する「新劇」というムーブメントが、かつてあったというのは確かです。ただ、今となっては、私たちが上演しているものと、商業演劇や小劇場のお芝居って、そんなに違わないと思うんです。私も(アングラや小劇場に属する)テント芝居を演出したりしていますし、稲葉さんは寺山修司(*9)作品の演出も手がけています。だからもう「新劇」という色分けをする必要はない。現代人の知的欲求を満たす娯楽作品をつくるというのが、「新劇」であり文学座の始まりだったと私は思っていますし、だとすれば、そういった色分けよりも、シェイクスピアやイプセンはもちろん、『女の一生』や『ふるあめりかに袖はぬらさじ』といった劇団の代表作も現代的なイシューを含んでいるわけで、それらをどう現代の観客に手渡していけるかを考えることが大事なんじゃないのか。だから、第二次世界大戦中に弾圧を受け、それでも頑張ってきた先人の抵抗の歴史を理解しつつも、私たちがやっているのは、「現代劇」ということでいいんじゃないかと思っています。

    • 松本祐子 演出 文学座アトリエの会『スリーウインターズ』(2019年9月3日~15日) © 宮川舞子

    五戸 最初に「新劇」と言い始めた人たちから今までに何か受け継がれているものがあるということこそが、ほかの現代劇とは違うのかもしれません。劇団で作品を作ると、劇団員同士で感想を言い合ったりしますよね。それだけでも、集まっては別れてしまうプロデュース公演とは違って、何か余韻のようなものが蓄積されていく気がします。そもそも新劇は西洋から輸入された文化。それをどう日本人独自の感性とフィットさせるのか。歌舞伎や落語に比べて、新劇は日本に根づいているのだろうか。借りてきた文化のままではないのか。そういったことは常に考えさせられるし、同じように考えてきた先人たちがいて、その研究の成果が重ねられて今があるのだと思います。

    西本 「新劇」という言葉は、日本人が西洋の文化や文学をどう取り込んでいったか。どんなふうに吸収し、自分たち自身を変化させてきたかというプロセスの中にあるんじゃないかと思います。だから「これはアングラ、これは小劇場演劇、これは現代口語演劇」といったようなジャンル分けには入らない。いろいろなものを節操なく取り込むアメーバ的な体質があるのが「新劇」で、実際に、いわゆるアングラと呼ばれる作家の言葉も、現代口語演劇も自分たちに引き寄せて取り込んできたし、そうして進化してきたのかもしれない。この先もそういうふうにあり続けていくんじゃないかと思います。

    稲葉 だから「新劇」は運動で、作品につく言葉じゃないんだけど、そこがごっちゃになっている。私は「新劇の演出家です」と宣言して活動しているわけじゃないし、どういう歴史や思考の体系がそこにあるのかわかってはいても、その中で自分の特質を出していこうと考えているわけではない。にもかかわらず、外側からは「新劇」というカテゴリ、レッテルを貼られてしまう。この説明の難しさにやきもきすることはよくあります。

    西本 外から見た「新劇」との齟齬を感じることもありますよね。例えば台詞を朗誦していると「新劇的」と言われたり。いや、むしろ朗誦しないように心がけてるよ、と自分としては思っているんだけど。

    稲葉 ありますね。逆に私は、「新劇っぽくないね」と言われても「はっ?」ってなります。

    五戸 「新劇の人」と言われるときって、だいたい何か相手の感性と合わないことを私が言って、むかつかれているんだと思います。ただ、それはレッテルで判断する差別用語なので、私はもう、聞き流しちゃう。

    • 五戸真理枝 演出 文学座アトリエ公演『アラビアンナイト』(2024年5月4日~18日) © 宮川舞子

    生田 私はむしろ、テキストをもとにすべてを解釈していく自分の演出は、やっぱり「新劇的」と呼んでいい気がしています。今度、自分のユニットで北村想さんの『寿歌』を上演するので、いろんな方がオーディションに来てくださったんですけど、どうしても私は、戯曲の言葉から何を立ち上げるか、っていうことで話をしてしまう。でも、そういう土壌を持っていない俳優さんもいらっしゃるし、その中にはすごく面白い発想をする人もいて、私の話がその人たちの表現を凡庸にさせているんじゃないかと、ふと思ってしまったんです。じゃあ、同じ芝居づくりの土壌を共有していない人たちに対して、どういう言葉をかけていけばいいのか。今はそこですごく迷っています。

    稲葉 私はそういうとき、「私は今こういう読み方でやってはいるんですけど、面白くないって思ってます。あなたはどう思います?」って聞いちゃいます。違う土壌を持っているんだったらなおさら、どう読んでいるのかを聞いて、アイデアを出してもらったうえで、取捨選択をする。ただ、そういうやりとりの中で、やっぱり「身体性」ってことへの考えが、自分はまだまだ弱いなと思うこともありました。稽古中、ある俳優さんに「例えばお腹がすいたと思っていなくても、首をかしげたらお腹が空いたように見える可能性はある。そういうアプローチも大事かもしれない」ってことを言われたんですね。それって、表層的な立ち方をしないでほしいっていう私の考えとは相反するものだと最初は思ったんですけど、後で考えてみると、すごく大事なことを言われていた。つまり、台本に書かれた「思い」を汲み取るだけじゃなく「そう見える」ための身体を開発することもできるんじゃないのか——という問いなんです。確かにそれはやってみたいけど、私にはまだその筋力が足りない。

    • 稲葉賀恵 演出 文学座アトリエの会『十字軍』(2013年4月16日~30日)© 宮川舞子

    松本 身体ってすごく物語るものなんだけど、文学座の俳優だと、時に、身体を変えずにある程度表現することができてしまう。理詰めで戯曲を読んで構築しようとするあまり、腰から下が死んでいるようなことも起きる。そこをどうサジェスチョンしたら、より生きた存在になれるのかは、私もすごく気になります。

    西本 別役実さんがある本に、相撲見物をしていると観客の身体、筋肉が動く、それが演劇の原点にあるものだっていうことを書いていて、私はそれがすごく腑に落ちたんです。身体性といっても、バキバキに動ける必要があるかというとそうではない。うまく動けない、ある種不自由な身体でも、観ている方の腰をグッといれさせ、共振させることが大事なんだなと思います。実際、五戸さん演出の『舵』の場面転換の際に、一枚ずつ畳を動かしている役者の佇まいは、私の中で今でも記憶に残っていますから。

    五戸 演劇のジャンルって、確かにたくさんあるんだけど、そもそも、一つの作品を一つの様式で通さなきゃいけない決まりはないはずです。だからもっと自由でいい。文学座の俳優が走り回ってるお芝居もあっていいし、走り回るだけじゃなくてもいい。もちろん劇団としての伝統があるぶん、畳一枚動かすにしても、どうしてそれが必要なのか、先輩方を説得するための言葉を必死に考えなければならなかったりはします。でも、それもいいことかもしれなくて。新しいことをやりたいというだけでは、物珍しさを売りにする作為がバレちゃいますから。今まで培ってきたものとのすり合わせをして、プラスマイナスしながら提出できる環境に自分はいるんだなと思います。

    松本さんはロンドン、西本さんと生田さんはドイツで研修(在外研修)した経験をお持ちですし、みなさん、海外戯曲の演出もたくさん手がけています。かつては「輸入」ともみなされた海外の演劇との関係について、皆さんは今、どんなことを考えていますか。

    松本 私は内外問わず新しい劇作家、あるいは日本ではあまり紹介されていない作家との出会いは、これからも求めていきたいと思っています。西本さんが言ったように節操なく、なんでも取り込んで、私たち自身も変容し、成長していくことが大事です。

    西本 海外の最先端の現代戯曲をやってみたいと思っても、それを今、日本人がやる意味については考えざるをえないんですよね。特に現代の劇作家は、その土地固有のアクチュアルな問題を当事者として扱っていることが多くて。それを日本でやることについては一歩立ち止まらざるをえないような戯曲が増えているなと感じます。

    • 西本由香 演出 文学座アトリエの会『アンドーラ』(2024年3月11日~26日) © 宮川舞子

    稲葉 あまりに個人的だったり、一つのテーマに特化したものは、確かに難しいですよね。私は演出家なので、作家とは別の視点を取り入れて、いわば翻訳をするようなところがある。それができる土壌の深さを持つ戯曲となると、やっぱり1930年代から50年代くらいの、世界大戦を経験しながら書いている人たちの眼差しが、自分にとっては大事になっています。それと、最近のヨーロッパ圏の戯曲は、ひとつひとつの台詞が短くなっている傾向があるんですよね。それにもいっそう難しさを感じます。

    生田 私にとっては、今、世界で同時進行で起きていることを伝えるということも、演劇をやるモチベーションの一つです。もちろん普遍性は大事だけれど、個別性も無視できない。普遍的に感じたい、共感したいという思いは、ともすれば、そこに書かれた出来事や人間の思いを「均(なら)す」ことにつながってしまう。10年後、100年後には解決しているかもしれないけれど、今、それが問題になっているのは確かで、それを同時代の人に向けて発信することは、演劇の重要な役割の一つだと考えます。2023年2月に上演した『占領の囚人たち』という作品は、パレスチナでこの75年間に起こったこと、その事実なくしては語りえないものでしたし、それを伝えることは公演の使命でもあったと思います。メディアとしての波及力はそれほどではないかもしれないけど、間近で同じ時間を共有してもらえるからこそ人を揺さぶることができる、その力は演劇ならではだと思いますし、そこに賭けたいという思いはあります。

    • 生田みゆき 演出 文学座アトリエの会『アナトミー・オブ・ア・スーサイド—死と生をめぐる重奏曲―』(2023年9月11日~23日) © 宮川舞子

    今日は「劇団」のあり方や「新劇」というカテゴライズなどについて、とても率直にお話しいただけたのではないかと思います。こうして5名が顔をそろえるのは珍しいことだそうですが、それぞれに異なる体験、考えもありつつ話が弾むのは、座内にあるという対話の文化、言葉への信頼や探究心があってこそなのかもしれませんね。貴重なお話をありがとうございました

    1. 新劇

      20世紀初頭に、歌舞伎などの既成演劇=旧劇に対し、近代という新しい時代を反映した演劇を目指して生まれた現代劇の一形態。基本はリアリズム演劇で、当初はヨーロッパを中心とした海外戯曲の翻訳上演を主に行い、興行資本の意向に左右されない非商業演劇主義を主張。芸術性の重視とともに、ブルジョワジーに対する市民のための演劇という側面から左翼運動と一体化していた。第二次大戦後はレッドパージを経て政治色は薄まり、文学座・俳優座・民藝をはじめとする各劇団が個性を競い隆盛を極めたが、1960年代後半にアンチ・新劇を標榜する新たな現代演劇のムーブメントが起こると、メインストリームの座を取って代わられた。近年、こうした新たな才能が台頭し始めたことで、イメージに変化の兆しも見える。

    2. 文学座

      1937年、3人の文学者(岸田國士、久保田万太郎、岩田豊雄)によって設立された劇団。西洋近代演劇の影響下にあってテキスト解釈を旨とする日本の「新劇」の劇団の中でも、特に文学性、芸術性を重視し、同時代の作家との協働につとめてきた。テネシー・ウィリアムズ、ソーントン・ワイルダーを早くから日本に紹介したことでも知られる。附属演劇研究所を通した俳優・スタッフ育成、アトリエでの実験的な演劇上演にも定評がある。

    3. 唐十郎

      1940年生まれの劇作家・演出家・小説家・俳優。1963年に劇団シチュエーションの会を旗揚げし、翌64年、劇団名を状況劇場と改名。1967年以降は「紅(あか)テント」と呼ばれる移動式テント小屋で自身の作・演出作品を上演するスタイルにこだわった。猥雑な現実と幻想が交錯し、詩に昇華してゆく過程を、戯曲よりも個々の俳優の身体性を優先させて描く、独自の表現世界を確立。自身のカリスマ性に富むキャラクターも相まって、60年代後半に始まるアングラ演劇の象徴的存在として、同時代以降の日本の現代演劇の創り手に絶大な影響を与えた。2024年没。

    4. 鵜山仁

      演出家。1982年から文学座座員。新国立劇場演劇部門芸術監督(2007~10)。シェイクスピアの歴史劇三部作や多くの井上ひさし作品、さらにオペラやミュージカルまで幅広く手掛けて信頼の厚いベテラン。2024年から劇団文学座代表。

    5. 高瀬久男

      演出家。1985年から文学座座員。自身の脚色による『モンテ・クリスト伯』や、『スカイライト』『NASZA KLASA』といった海外の新旧戯曲や『アラビアンナイト』など、子どもも対象とした作品を数多く手掛けた。2015年、57歳で急逝。

    6. 西川信廣

      演出家。1981年から文学座座員。劇団公演のほか、各種プロデュース公演、大劇場での商業演劇などで内外の多彩な戯曲を手掛ける。新国立劇場演劇研修所副所長。東京藝術大学客員教授。日本劇団協議会会長。

    7. 新派(劇)

      歌舞伎の影響を残した近現代劇の一ジャンル。19世紀末に、自由民権運動の活動家が、歌舞伎に代わる新時代の演劇を目指して始めた大衆劇を端緒とする。『金色夜叉』(作/尾崎紅葉)など悲恋ものに名作が多く、新派劇のレパートリーを上演する劇団新派によって、戯曲に描かれた明治・大正・昭和という日本の古きよき時代のリアルな生活文化や言葉遣いも継承されている。

    8. 新国劇

      1917年に、俳優の沢田正二郎が新しい国民劇の創造を目指して結成した劇団。「右に芸術、左に大衆」をモットーに広範な観客層に訴える大衆劇を上演し、特に迫力ある立ち回りの剣劇(いわゆるチャンバラ劇)で一世を風靡した。メロドラマ系が主流で女性客が多い新派劇に対し、侠客や社会派もの中心で男性客に支えられていたが、1987年に解散した。

    9. 寺山修司

      1935年生まれの歌人・詩人・劇作家・演出家・シナリオライター・映画監督。短歌から競馬エッセイまで多方面で才能を発揮した。演劇においては1967年に演劇実験室「天井桟敷」を旗揚げ。「見世物の復権」と称してさまざまなビジュアルの人間をオブジェ化して見せたり、ハプニング性に富む市街劇を行うなど、リアリズム演劇への批判的姿勢を貫き、アングラ演劇の旗手として、唐十郎の状況劇場と双璧をなした。1969年、ドイツの国際実験演劇祭エクスペリメンタ3に招待され、日本の現代劇として初の海外公演を行い高評価を獲得。以後、1983年に寺山の死で天井桟敷が解散するまで、国外での公演は欧米など数十都市におよんだ。

    • 松本演出『五十四の瞳』地方公演、五戸演出『アラビアンナイト』次回公演、西本演出『アンドーラ』上演中、と記されたポスターが並ぶ文学座アトリエ前

    松本祐子

    © 宮川舞子

    松本祐子Yuko Matsumoto

    演出家。1967年大阪府枚方市生まれ。明治大学文学部文学科演劇学専攻卒業。1992年文学座附属演劇研究所に入所し、1997年座員に昇格。1999年文化庁新進芸術家海外研修制度によりロンドンで1年間研修。帰国後1作目の『ペンテコスト』が優れた翻訳戯曲上演に贈られる湯浅芳子賞を受賞(2002)。2006年『ぬけがら』(文学座アトリエの会)、『ピーターパン』(ホリプロ)の演出で毎日芸術賞の千田是也賞、2019年『ヒトハミナ、ヒトナミノ』(企画集団マッチポイント)、『スリーウインターズ』(文学座アトリエの会)で紀伊國屋演劇賞個人賞と読売演劇大賞最優秀演出家賞、2020年『五十四の瞳』(文学座)で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。(2024.7更新)

    五戸真理枝

    © 宮川舞子

    五戸真理枝Marie Gonohe

    演出家、劇作家。兵庫県三田市出身。早稲田大学第一文学部演劇映像専修卒業。自ら劇団を旗揚げしての小劇場活動を経て、2005年文学座附属演劇研究所に入所、2010年座員に昇格。2016年『かどで/舵』(文学座アトリエの会)の『舵』で文学座初演出。演出のほか、戯曲や童話の執筆も手がける。文学座での演出作品は、2014年『新ハムレット』(リーディング公演)、2021年『命を弄ぶ男ふたり』(自主企画)、2022年『コーヒーと恋愛』(脚色・演出)、2024年『アラビアンナイト』(文学座アトリエ本公演)、『石を洗う』(文学座アトリエの会)。2019年、新国立劇場でゴーリキー作『どん底』を演出するなど、劇団外でも多数の演出を手がけている。 2023年『コーヒーと恋愛』(文学座アトリエの会)、『貴婦人の来訪』(新国立劇場)、『毛皮のヴィーナス』(世田谷パブリックシアター)で 読売演劇大賞最優秀演出家賞を受賞。(2024.7更新)

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    西本由香

    © 宮川舞子

    西本由香Yuka Nishimoto

    演出家。日本大学芸術学部演劇学科演出コース卒業。 2006年文学座附属演劇研究所に入所し、2012年座員に昇格。2018年12月『ジョー・エッグ』(文学座アトリエの会)で文学座初演出。 2019年、文化庁新進芸術家海外研修制度により渡独し、1年間ベルリンのマキシムゴーリキー劇場及びシャウビューネで研修。 近年の演出作品は、『歳月』(文学座アトリエの会)、『病気』(名取事務所)、『錆色の木馬』(劇壇ガルバ)、『黒い湖のほとりで』(日本劇団協議会)、『アンドーラ』(文学座アトリエの会)など。(2024.7更新)

    ホームページ https://www.yukanishimoto.com/

    稲葉賀恵

    © 宮川舞子

    稲葉賀恵Kae Inaba

    演出家。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。在学時より映像作品などの創作をスタート。2008年文学座へ入所、2013年座員に昇格後、4月に文学座アトリエの会『十字軍』にて初演出。主な演出作品に『野鴨』『熱海殺人事件』(文学座アトリエの会)、『誤解』『私の一ヶ月』(新国立劇場)、『ブルーストッキングの女たち』(兵庫県立ピッコロ劇団)、『墓場なき死者』『母 MATKA』『加担者』(オフィスコットーネ)など。近年の作品に『幽霊はここにいる』(PARCOプロデュース)、『ブレイキング・ザ・コード』(ゴーチ・ブラザーズ)、『クレバス2020』『季節はずれの雪』『音楽劇不思議な国のエロス』(ミックスゾーン)など。2023年『加担者』『幽霊はここにいる』で読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞。(2024.7更新)

    ホームページ  http://kaeinaba.com/

    生田みゆき

    © 宮川舞子

    生田みゆきMiyuki Ikuta

    演出家。大阪府出身。東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程修了。2011年文学座附属演劇研究所に入所し、2016年座員に昇格。同年、ドイツ文化センターの文化プログラムの語学奨学金(芸術分野対象)を得てドイツに滞在。2017年『鳩に水をやる』(文学座アトリエの会)で文学座初演出。その後、文学座では2018年『最後の炎』、2020年『ガールズ・イン・クライシス』を演出。2018年より演劇ユニット「理性的な変人たち」メンバーとして活動を開始。2023年、パレスチナ演劇上演シリーズ『占領の囚人たち』(名取事務所)、『海戦2023』(理性的な変人たち)、『屠殺人ブッチャー』(名取事務所)で読売演劇大賞優秀演出家賞、『占領の囚人たち』『アナトミー・オブ・ア・スーサイド』(文学座アトリエの会)等で芸術選奨新人賞を受賞。(2024.7更新)

    Ikuta Miyuki WEB ikutamiyuki.wordpress.com