アンナ・ミュルター

ダンスや劇場の考え方を広げる
アンナ・ミュルターのアプローチ

2020.04.06
アンナ・ミュルター

アンナ・ミュルターAnna Muelter

ベルリンのゾフィーエンゼーレ(劇場空間と複数の稽古場を持つスペース)のダンスキュレーターであり、また同劇場で開催されるフェスティバル「タンツターゲ・ベルリン」のキュレーターでもあるアンナ・ミュルター。

女性の若手振付家の支援に注力するとともに、5年半をかけて障がいをもつアーティストを育成し、劇場のバリアフリー化を実現してきた。2021年より国際舞台芸術祭テアターフォルメンの新芸術監督に就任する彼女に、ゾフィーエンゼーレでのキュレーションや障がいをもつ人への取り組みについて聞いた。
聞き手:山口真樹子

ベルリン・フォルクスビューネ→HAU→ゾフィーエンゼーレ

私がアンナさんに最初にお会いしたのはベルリンの劇場HAUで演劇部門のアシスタントをされていたときでした。
 HAUの前は、フォルクスビューネ劇場でインターンとアシスタントとして2001年まで働いていました。演劇の制作ではなく、企画「テーマを設定したウィークエンド」のチームにいました。今思うと、その当時から劇場や演劇の概念を拡張する企画に関わっていたわけです。「テーマを設定したウィークエンド」はマティアス・リリエンタールが立案したものですが、私がフォルクスビューネで働き始めたときに彼はもういませんでした。

 その後、マティアスが新たにオープンするベルリンの劇場HAUが、オープニング企画「テーマを設定したウィークエンド」のインターンを募集したので応募しました。このフォーマットを考案した本人から直接いろいろなことを学べると思ったからです。それから9年間、マティアスのもとで働きました。このフォーマットは分野横断的な内容を扱い、演劇やパフォーマンスだけでなく、映画、文学、美術といった多分野にまたがるディスカッションやレクチャーなどへと広がるものでした。私は常に劇場空間の外に、従来とは異なる演劇のあり方や可能性を探ることに興味を持っていました。そして実際、HAUはそういった実験的なプロジェクトを多数実現させていきました。典型的な例がX アパートメント(注:個人宅や使われていない建物内に、アーティストがそれぞれインスタレーションを展示し、観客が二人組になって数箇所の住居をみてまわるツアープロジェクト)です。そうしたことを9年間、現場で体験しました。

 そのうち様々なプロジェクトのプロダクションマネジメントを任せてもらうようになり、2008年にはHAUの演劇キュレーターであるシュテファニー・ヴェルナーのアシスタントになりました。(特定の劇場に属さない)フリーシーンのカンパニーの作品のプロダクションマネジメントを手がけながら、ドラマトゥルクとしての仕事も始めました。最終的にマティアスは小規模なキュレーションも任せてくれるようになりました。彼が2014年にTheater der Welt のキュレーターになるとき、一緒に来ないかと誘ってくれました。芸術監督の協働者というポジションです。マティアスのアシスタント兼コ・キュレーターという立場です。それで、国外のフェスティバル等を多数訪れるようになりました。その後、マティアスから少し独立しようと(笑)、ゾフィーエンゼーレのダンス・フェスティバル「タンツターゲ・ベルリン (Tanztage Berlin)」のキュレーター及び(ゾフィーエンゼーレの)ダンスキュレーターに応募しました。
兼任なのですか。
 そういう組み合わせのポジションです。実はそこに応募するまで、私はダンスを全く手掛けたことがなかったので大急ぎで勉強しました(笑)。突然ダンスキュレーターになり、地元ベルリンのダンスシーンを徹底的に調べました。特に、若手についてです。このポジションに就いた2014年当時、ゾフィーエンゼーレのダンスプログラムには、かなり地位を確立した男性の振付家の作品が多く、女性と若手の作品は非常に少なかったのです。それでもっと若手の女性アーティストを劇場として取り上げて支援しようと考えましたが、決して容易なことではありませんでした。

 ゾフィーエンゼーレにはほぼ事業予算がないのです。つまり、ああ、あの若手の女性の振付家には才能がある!彼女の新作をプロデュースしよう、とは簡単には言えない。アーティスト個人が助成金を申請する必要があったので、私たちはその手助けをしました。毎年60件から70件のアーティストによる助成申請をサポートし、そのうちの大体20件が採用になり、採用になった作品を制作・上演します。若手は名前が知られていないため、申請が採択されるチャンスは低いのです。

 若手の支援・育成には時間がかかります。大変な労力を投入し、それが必ず報われるとは限りません。それでも非常に重要なミッションであると考えています。私自身にも若いアーティストにも互いに学ぶところの多い仕事です。5年半の間、若手育成を続けましたが、嬉しいことに、サポートを続けてきたアーティストの中には、自らの道を切り拓き、自分のポジションを獲得した振付家もいます。2020年にミュンヘンで行われるタンツプラットフォーム(2年毎にドイツ国内都市持ち回りで開催されるコンテンポラリーダンスのプラットフォーム)に2名が選出されています(ユーレ・フリーエル Jule Flierl とシーナ・マクグランドルズ Sheena McGrandles)。
タンツターゲも若手に重点を置いたフェスティバルです。どのぐらいの若手を対象にしていますか。
 タンツターゲはゾフィーエンゼーレへの登竜門でもあるので、地元ベルリンの非常に若いダンサー・振付家を取り上げています。大まかにいうと、卒業してから5年以内の人ですね。3〜4人ほどを継続して支援します。先ほど言いましたように申請のサポートなどもします。アーティストはゾフィーエンゼーレのコプロダクション(共同製作)を得て、作品を制作します。ほぼ新作で、毎年8作品から10作品をタンツターゲで初演します。その後、3〜4回ほど同劇場で再演されます。

タンツターゲ・ベルリンについて

もう少しタンツターゲについて伺います。コンセプトや目的、キュレーションについて教えてください。
 タンツターゲのキュレーションでは、公募の助けを借りています。若手の振付家が対象です。既存の作品でもいいですし、次作のコンセプトでも応募できます。応募書類はすべて私が目を通します。ただし公募からのみ選ぶのではありません。公募というととてもオープンで民主的に聞こえますが、公募の情報が届く範囲は結局のところコンテンポラリーダンスのシーンの中にいる人々に限られます。例えばヒップホップなどのアーバン・ダンス・シーンには全然届きません。私は、タンツターゲは限りなく広範囲のダンスを扱う、つまり実に多様なダンススタイルのための場所であるべきだと考えています。ですので、私自身、年中常に多様な振付家・ダンサーの発掘を心がけています。芸術大学の卒業生だけでなく。年中あちこちに上演をみにいき、多種多様なダンスの世界とつながりを持つことに努めています。

 タンツターゲのキュレーションを任されて私が導入したことが一つあります。「Around the World」という枠です。このフェスティバルが取り上げるのはベルリンの、つまり地元の振付家だけですが、彼ら若手世代が国際的なダンスシーンと接続することがとても重要だと考えています。それも欧州内に限らずです。欧州内は移動が簡単ですし、ブレグジット(イギリスのEU離脱)の問題があるとはいえ、それでも多数のネットワークやつながりがあります。しかし、欧州域外の地域との接触や交流は困難です。査証の問題もあります。若手振付家は大きな機関などに属していない限り、査証を取るのは難しいのです。だからこそ、欧州域外で活動しているアーティストの作品やその思考に触れる機会を作ることが重要です。実際にはフェスティバルと組むことが多いです。今年はインド・バンガロールのGender Bender Festival と組みました。非常に面白いフェスティバルです。

 もうひとつ、フェスティバルとして取り組んできたのが、「Let’s talk about dance」というプロジェクトです。Uferstudios(注:ベルリンのダンススタジオ。ダンス作品制作とアーティストの育成、情報拠点)およびHZT(注:Inter-University Centre for Dance Berlin。ベルリン芸術大学とエルンスト・ブッシュ演劇大学によるダンスの高等教育機関) との共同研究により、作品についてどのようにコミュニケーションすればいいかのフォーマットを5年かけてリサーチました。専門家を招いたワークショップを行い、観客同士で作品について意見を交換するのにどのような形が最も適しているかを探りました。ポスト・パフォーマンス・トークのように、舞台に向かって皆同じ方向に座り、アーティストに「稽古にどのくらい時間をかけたのですか」といったおきまりの退屈な質問をするのではなく、観客自身が作品をどう感じたか、何を受け取ったかを探ることのできるエキスパートであることを出発点にしました。同じ作品を観た者同士が何を観たかを話すことのほうが、ずっとわくわくするはずですから。

 特にダンスの場合、「私にはわからない」という人が多数います。そんなことは全くありません。すべて、その人が観たもの、解釈したこと、認識したこと、感じたことは正しいのです。そしてそれについて他の人と話し合うこと、自分の感じ方は間違っていないのだということを知ることが重要です。そのために、クリエイティブなフォーマットをつくり上げました。決して向こう側とこちら側の二手に分かれるのではなく、小さなグループに分かれて、内気な人たちも自分から話したくなるような形式をとりました。
タンツターゲはどのような観客層ですか。
 タンツターゲは名前を聞いたことのないような若手振付家の作品ばかりを扱っていても、これまでに29回、長年実施されてきたので知名度が高く、固定の観客がいます。さらに、若い振付家やダンサーも来場します。常連の中には、他のダンス公演は全然観なくても、タンツターゲには必ず来る一般の人もいます。

 ちなみに、開催時期も特徴的です。年越しの大騒ぎが終わらない内に開幕します。今年は1月8日からでいつもより遅かったですが、大体1月3日や4日が初日になります。年明け早々に開催される唯一のフェスティバルなので、注目度が高く、メディアの取材が非常に多く、ベルリン中がこのフェスティバルについて知るようになりました。ベルリンの主要テレビのニュース番組でも取り上げられます。そして実際に入場者数も多く、チケットはほぼ完売します。何度も言いますが、実に若い、だれも名前を知らない振付家の作品ばかりです。ゾフィーエンゼーレも有名ですが、タンツターゲというフェスティバル名もよく知られています。
それは素晴らしいですね。

ゾフィーエンゼーレでの取り組み〜障がいをもつアーティストへの支援

ゾフィーエンゼーレのキュレーターとしてはどのようなことをされていますか。
 ゾフィーエンゼーレ本体で私がてがけているのは、テーマを設定した上でのフェスティバルです。ダンスのほか、演劇もありますが、実験的なものが多いです。ゾフィーエンゼーレはいわゆるプロダクションハウスといわれる種類の劇場で、専属のアンサンブルを抱えるドイツによくある大がかりな公立劇場ではありません。私たちが協働するのはインディペンデントな、つまり劇場に属さないアーティストやカンパニーです。彼らも自分たちで助成金を申請・獲得し、私たちとの共同製作で、作品をつくり上演します。
ゾフィーエンゼーレではあなたがキュレーションするようになってから、障がいをもつ人への対応をとても充実させたと聞いています。
 2〜3年前より、ゾフィーエンゼーレでは「障がいと、障がいをもつアーティスト」というテーマに重点を置くようになりました。私が言い出したことではありますが、ゾフィーエンゼーレが芸術監督のフランツィスカ・ヴェルナーはじめすべての部署、つまり広報、総務、技術、制作部門など劇場全員が一体になり、とても積極的に取り組んでいるテーマです。すべての部門に関わるテーマなので、全員で取り組むことがとても重要です。障がいをもつアーティストにとってのバリアは障がいによって異なりますし、多様です。それらはさらに複数のレベルで複雑に絡みあっているので、同時にいくつものことを考慮する必要があります。

 具体的には3つのP、①Program (プログラム)、②Publikum (観客)、③Personal (スタッフ。劇場で働いている人たちのこと)が重要になります。まずプログラムについては、障がいをもつアーティストの作品をプログラムし、障がいをもつアーティストの作品を劇場で観られるようにすることです。2番目の観客については、バリアフリーを実現させて様々な障がいをもつ人が劇場を利用できるようにいろいろなサービスを実施することです。最後の劇場のスタッフについては、組織としてこのテーマに取り組むことを指します。それは、多様性に取り組む団体が、自ら移民の背景をもつ人材を雇うのと同じ意味です。

 ベルリンのダンスシーンは、肌の色も出自も性的指向もジェンダーにおいても信じられないほど多様ですが、それにも関わらず、障がいをもつアーティストはほとんどいません。いたとしてもアマチュアもしくは初心者のレベルです。私たちは障がいをもつアーティストをもっと取り上げたいと思っています。私たちゾフィーエンゼーレは主にベルリンのアーティストと仕事をしていますが、そのベルリンに障がいをもつアーティストが十分にいないことが問題でした。そこで、新しいプログラム「Making a difference」を立案しました。幸いなことに、ドイツのローカル・リージョナル・ナショナルの3つのレベルが共同で予算をつけるダンス支援プログラム「Dance Pact Local-Regional-National」の支援が受けられました。この支援が受けられればかなり大規模なプロジェクトをダンスにおいて実施できます。Making a difference はベルリン市内の8つのパートナー機関(ゾフィーエンゼーレを含む劇場、スタジオ、大学他)が担うもので、障がいを持つ人々をダンスに誘い、踊ることに興味をもってもらうために、初心者向けのワークショップを実施します。また、障がいをもつダンサーもしくは振付家にレジデンスやリサーチラボの機会を提供し、さらにその能力を伸ばしていくことを目指します。

 このプログラムを開始してから2年弱たちました。アーティストに対してのエンパワーメントとしてうまく機能していて、実際にダンス界が変化してきているのでとても嬉しく思っています。それまで全く互いの存在を知らなったアーティスト同士が、今では豊かな交流をしています。また、彼らは一般のダンス公演に出かけるようにもなりました。公開のディスカッションなどで、自分たちの意見を述べるようにもなりました。以前にはみられなかったことです。
Making a differenceでの障がいは身体障がいのことですか?知的障がいや精神障がいを含みますか?
 身体と知覚障がいです。運動障がいや視覚・聴覚障がいも含みます。このプロジェクトにおいて最も重要な原則は、Disabled Leadership=障がいをもつ人がリーダーシップをとるということです。このコンセプトが中心にあるので、芸術上のディレクションは障がいをもつアーティストが行います。たとえばワークショップを行う際、ワークショップのリーダーは障がいをもつアーティストであり、リサーチラボの場合には、そのラボの芸術面は障がいをもつアーティストが主導します。

 このプロジェクトが目指しているのは、コミュニティ・アートではなく、個々のアーティストの支援です。彼らを一定のレベルまで引き上げ、他のアーティストと同様に自ら創作を行い、助成金の申請もできるようにします。現在の課題は、ダンス教育プログラムが多数あるにもかかわらず、その多くに障がいをもつ人々がアクセスできないことです。バリアフリーではないことがひとつ、それからカリキュラム自体へのアクセスが不可能なこともあります。ある一定の身体的条件を持つ人には到底できないことを要求されることがあるからです。また、「障がいを持つ人も採用します」とはっきり謳わないので、アクセスしにくいこともあります。実際に舞台上で障がいを持つ人を観る機会がまれなので、若い人でも障がいがあるとダンサーになろう、なりたい、と考える人が出てこないのです。これは、ロール・モデルがいないという問題でもあります。ですので障がいをもつアーティストの多くは、ほぼ全員が独学で踊っています。だからこそ私たちは、このプログラムを通して、アーティストの支援とその養成に力を入れているのです。

 他にも様々な取り組みがあり、それらが互いにつながっています。ひとつは、2年ごとに助成金を申請し、障がいをもつアーティストの招聘公演を実施していることです。ベルリンにはそういうアーティストがとても少ないので、外から招聘します。特に、2012年のロンドンオリンピック以来、いわゆる“Unlimited“ といわれるプログラムで、何年にもわたって障がいのあるアーティストを継続して支援している英国から招聘することが多いです。英国ではロンドンパラリンピックに際し、多額の予算を障がいのあるアーティストのために用意し、10年にわたってコミットしています。この取り組みから素晴らしいアーティストが生まれています。
2番目のP(観客)、さまざまな人が劇場を利用できるようにするバリアフリーについてはどのような取り組みをしていますか。
 劇場としてバリアフリーの実現に取り組むとなると、エレベーターを整備するのはあまりにお金がかかりすぎるなど、「そんなことは到底無理」と思われることが多いです。でも、いろいろなことがほぼコストゼロ、もしくは非常に少ない費用で実現できます。最も重要なのは、劇場で働く人(③Personal)の意識や姿勢を変えることです。

 劇場で働く人々が、来場者の多様な障がいに対しての接し方を学ぶことが重要です。そのためにはとても繊細な言語を習得する必要があります。よくなされる過ちですが、車椅子に乗る人が来場し、その車椅子を押す同伴者がいる場合、多くの人は車椅子に乗る人ではなくその同伴者に話しかけてしまいます。本来は車椅子に乗っている人と話すべきなのにです。でもこれはスタッフに対してコーチングやアドバイスを行えば、簡単に変えることができます。そのコーチングやアドバイスは、必ず障がいを持つ専門家から得ることが肝心です。 もうひとつ重要なのは、その劇場が実現させているバリアフリーについて、詳細に記述して知らせることです。たとえばパンフレットにエレベーターの位置だけでなく、そのサイズも記載する。バリアフリーのトイレの入り口の幅も伝える。障がいというのは人によって非常に差異があるので、自分が入れるか、入れないかを判断できる情報を予め知らせることが重要です。

 さらにほぼすべての公演において、「early boarding」 を実施しています。これには、追加の費用は全く発生しません。ただのオーガナイズの問題にすぎません。自由席の場合、開場時に大勢が入り口に殺到して席を確保しようとするため、たとえば視覚障がいを持つ人には入場自体に困難が生じます。車椅子の人、松葉杖の人、その他歩行に不安のある高齢者も同様ですが、そういったお手伝いが必要な観客については開場時間より10分早く入場できるようにしています。そうすれば、自分に最も適した、必要とする席を自分で選ぶことができます。たとえば視覚障がいのある人は通常は一番前に座りたがりますが、視野狭窄の人はむしろ後ろのほうに座りたい。人によって必要とするものが違うのです。early boardingにしておけば、慢性疼痛の人がいればクッションを持ってくるとか、身を横たえる場所を確保することもできます。こうしたことに私たちは素早く臨機応変に対応しています。early boarding に際しては、入場10分前にアナウンスし、かつ集合場所を指定します。この明確で具体的なインフォメーションも重要です。これらの対応策は、ぜひいらしてくださいという歓迎の雰囲気をつくることになります。障がいのある人々に、劇場は自分たちのことを考えてくれていると気づいてもらえます。

 バリアフリーの取り組みとして、他にライブ解説つきの「タッチツアー」を行っています。ヘッドフォンを通して解説を聞きながらダンスを知覚できるようにするもので、オーディオ・ディスクリプションとも言います。視覚芸術でもあるダンス作品に対して視覚障がいの人のアクセスを可能にするための取り組みです。参加者には開演の75分前に来場してもらい、舞台に上がってもらいます。オーディオ・ディスクリプションを担う人が舞台空間を描写し、実際に舞台美術やオブジェクトに触ってもらう。また、舞台上を歩いてステージの大きさも実感してもらいます。出演者も短時間ですが参加者と会い、どんな姿かたちで、どのような衣装を身に着けているかなどを説明します。オーディオ・ディスクリプションはダンスを観ること、描写することに慣れている若い振付家が担当しますが、これがとても重要です。彼らは2日間のワークショップに参加し、その方法と留意点などを学びます。彼らはオーディオ・ディスクリプションを担当するうちに、バリアフリーやオーディオ・ディスクリプションへの意識が高まり、自分の作品の創作に際しても取り入れるようになります。素晴らしい相乗効果だと思います。タッチツアーは2019年のタンツターゲで始めて、その後通年のゾフィーエンゼーレのプログラムに取り入れました。もちろん毎日やるわけではなく、毎月1度程度です。定期的に実施することによって、視覚障がいのある観客層を開拓しています。

 もうひとつ、「relaxed performance」という取り組みもあります。これは英国ではかなり広く行われていますが、ドイツでは私たちの劇場が初めてです。自閉症やトゥーレット症候群をはじめとしたニューロダイヴァーシティ、脳が多様に機能する神経多様性をもつ観客を対象にしています。自閉症やトゥーレット症候群などの人は、じっと静かにしていることや、静かに行動することがほぼ不可能で、細かく動いたり、もしくは大きな声で発語したりします。自分で制御することはできません。ですから彼らは、まず劇場には行きません。しかしrelaxed performance では途中で退場できるように明かりを少しつけておくなどして、受け入れます。また、いろいろな種類の椅子、マット、ソファ-、クッションなどを用意しています。特に慢性疼痛のある人には効果的です。こういう取り組みは手配するだけで、ほとんど費用がかかりません。ただ、relaxed performance であることをしっかり周知することが重要です。
バリアフリーにあまり費用がかからないとはいうものの、何等かの支援があるのでしょうか。
 オーディオ・ディスクリプションでも1公演で250EURくらいしかかかっていないので、支援は受けていません。
それが可能なのは、全員がその意味と重要性を理解して行動するからですね。
 その通りです。たとえばタンツターゲのパンフレットにはバリアフリーに関する詳しい情報が掲載されていますが、これは広報部のアイディアです。私が指示したわけではありません。また、制作部はこの2年間に障がいをもつアーティストによる公演を多数オーガナイズしました。彼らはそうした公演のツアーや障がいのあるアーティストの招聘公演の現場で多くを学び、知識を身につけました。介助をつけての空の旅や、どのようなホテルの部屋が必要になるか、などについてです。

 全メンバーの一定のキャパシティがこのために必要なのは確かですが、新たに人を雇う必要はありません。全員が一緒に考え、行動できれば十分です。他の劇場では、「それは広報が担当しています」「それは演劇教育担当にご連絡ください」といわれることがありますが、それは全く間違っていると思います。
スタッフに対するコーチングでは、具体的にどのようなことをするのでしょうか。
 コーチングは最初に着手すべきプロセスです。私たちは2種類のコーチングを実施しました。ひとつはチームのためで、特にアーティスティックな仕事をする部門、広報や制作に関わる部門です。前半は、繊細な言語表現や、とりわけ偏見やステレオタイプに気づくための自己啓発(アウェアネス・トレーニング)が行われました。後半は、「この劇場の中でどんなことを実現できるのか」の話し合いです。その中ですぐに出てきたアイディアがearly boardingで、すぐにやりましょうと話が進み、1週間で実現させました。ゾフィーエンゼーレは小さなチームなので臨機応変で動くのも早いんです。

 2回目のコーチングは、直接観客と接する劇場スタッフのためのものです。彼らが知りたいことをすべて知ることができるように、何でも質問できる場をつくりました。彼らは障がいをもった観客にチケット売り場で、入場の際に、もしくはロビーのバーなどでどのように接すればいいか不安に思っています。そういう彼らがわからない、知りたいと思っていることをすべて聞くことができるコーチングを実施しました。
どういう方がコーチをされたのですか。
 そのときは障がいをもつ文化芸術関係の学者でした。今はもっといろいろなコーチを知っていますが、自身も障がいをもつ人をコーチに迎えることが重要です。
その他、障がいをもつアーティストへの支援で留意していることはありますか。
 ろう者のコミュニティについては留意しています。彼らは自らをドイツ語の手話言語という独自の言語をもつ文化的マイノリティだと考えています。それはろう者ではない人でこの手話を使える人が非常に少なく、ろう者以外との接触があまりないからです。ろう者のコミュニティに対して何かを提案・働きかける場合、何よりも大切なのは、ろう者の代表者に相談することです。そうでないと、彼らが必要としていることとは全くかけ離れたことを提案してしまいがちだからです。

 私は知り合いのろう者のパフォーマーたちとミーティングし、どうすれば劇場のプログラムにもっとろうの人に参加してもらえるか聞きました。そのうちの一人とその後契約し、定期的に私たちに助言をもらっています。
それは観客として参加して欲しいということですか。
 まずは観客としてでした。ベルリンのろう者のコミュニティは高い政治意識を持っているのですが、彼らにヒアリングすると、「すでに出来上がった作品の公演を観にいくのは、横に手話通訳者が立っていて通訳してくれたとしても、自分たちは全く関心がない。それどころかばかばかしいとさえ感じる。興味があるのは、最初から2言語で創作された作品の上演であり、ろう者と聴者のパフォーマーが共同でつくった作品である」という意見でした。

 私たちは2019年のクリスマス前に、この考え方を取り入れた初の作品を上演しました。4名のろうの女性のパフォーマーが共同してつくった作品です。ベルリン初の、ろうのパフォーマーがディレクションした作品です。これまでにも2言語でつくるグループはありましたが、芸術的責任を負うディレクターは常に聴者でした。この作品をつくって上演したことは、彼らにとっても、また私たち劇場にとっても素晴らしい経験となりました。彼らが手掛けたのはミュージカルでした。ろうの人たちは音楽とは接点がないだろうと考える人が多いですが、そんなことは全くありません。かなり実験的な作品です。
面白そうですね。
 ゾフィーエンゼーレでの私のポジションのよい点は、常に新しい試みやパイオニア的なプロジェクトを実現できることです。
まさにパイオニア的なプロジェクトを次々に仕掛けていますね!こうした取り組みはベルリンだけでなく、ドイツ全土に影響を及ぼしているのではないですか。
 はい、バリアフリーというテーマに対し、ここまで包括的に取り組んだのは私たちの劇場が初めてです。今では、同様の取り組みをする劇場も増えてきましたし、問合せもあります。今回ドイツで「Aesthetics of Access アクセスの美学」というネットワークを立ち上げました。ドイツの公立劇場もフリーシーンの劇場もネットワークに参加し、このテーマについて話し合います。
障がいをもつアーティストと一緒に仕事をすることで、あなたが得たものや気付いたことはなんでしょうか。
 ゾフィーエンゼーレでの仕事と並行して、デュッセルドルフのタンツハウスNRWの仕事もしていました。一度そこで、障がいをもつアーティストだけが参加する1週間のラボを企画しました。「障がいをもつ人間としての日常生活の体験が、芸術創作に与える影響」をテーマにしました。もちろんこれは、障がいをもつそれぞれのアーティストによって全く異なるものです。一方で共通点もかなりありました。参加者にクレア・カニングハムというアーティストがいました。彼女は松葉杖を日常生活でも、またアーティストとしての創作においても用いています。彼女のダンスの創作は、自分の身体とその松葉杖との間の関係を探索することです。松葉杖を使用することは、彼女に特別な世界の観方をもたらしています。松葉杖を使って動くだけでなく、松葉杖を通して世界を知覚しているのです。これは研究に値する重要なテーマで、障がいをもつアーティストひとりひとりに尋ねて深く掘り下げました。特別な感覚とは一体どういうものなのか。知覚の方法が具体的にどう異なるのか。そして日常生活での体験をもとに、どのようなアーティスティックな決断をするのか──。

 スウェーデンのシンドリ・ルヌッデ(Sindri Runudde)という振付家がいます。強い視覚障がいがあります。彼は、日常生活では常に視覚以外の感覚を使って空間の中の自分の位置を確かめているそうです。感覚を使って空間を知覚するスキルが大変高いのです。それはまさに、ダンスを学ぶ人々が長い時間をかけて学ぼうとする能力です。それに対してシンドリは日常生活で必要なので、それ以外に自分の位置を認識する手立てがないので、その能力を身に着け、常にオンの状態で、スイッチオフができない。日常生活でも、舞台上でも、常にその能力を働かせているのです。それに対してダンサーは、舞台の上でそれを駆使しますが、舞台を降りればオフにできるのです。

テアターフォルメン2021に向けて

最後に、来季から芸術監督になる国際舞台芸術祭テアターフォルメン(Theaterformen)について伺います。芸術監督に就任した経緯と、アンナさんの構想を教えてください。
 当該フェスティバルの芸術監督の在任期間は2期(計6年)までと決められています。それ以上の延長はなく、現芸術監督マーティン・デネワルは今季で任期を終了します。

 2019年初めに次期芸術監督の選考のプロセスがスタートし、応募をすすめられました。このフェスティバルはハノーファーとブランシュヴァイクとで交互に開催されています。私はハノーファー出身なので、毎回観に行きましたし、このフェスティバルとともに自分も育ってきたという感覚があります。最も素晴らしい国際舞台芸術フェスティバルのひとつだと思います。現芸術監督が成し遂げてきたことに感嘆します。革新的でかつアーティスティックな立ち位置に重きを置き、政治意識も高い。これらの方向性は私も引き継いでいくつもりです。また、これまで話したようなバリアフリーと障がいというテーマについては、このフェスティバルでも必ず取り組みます。障がいをもつアーティストの作品を数多く招聘しますし、障がいをもつ観客のための多様なサービスやプログラムを実現させるつもりです。

 テアターフォルメンは予算の執行とプログラミングについては独立していますが、ハノーファー州立劇場の一部であり、多くの公演は同劇場で行われます。ハノーファーでフェスティバルが隔年開催されるときだけバリアフリーを実現するのではあまり意味がありません。同劇場の新総芸術監督ソニヤ・アンダースはバリアフリー化の導入にとても積極的なので、私たちは共同でバリアフリー化を推進し、フェスティバル期間中だけでなく、通常の劇場のシーズン中も常時実現するよう取り組みたいと思っています。ただ、こういった州立劇場というのは巨大な装置で常時数百人が働いています。ソフィーエンゼーレの20人のスタッフでは比較的簡単にできたことが、同劇場で全員一丸となって取り組めるかどうか、私にとっても大きなチャレンジです。

 さらに劇場の外に出て、街の中や公共空間において大規模な観客参加型のプロジェクトも実現させたいと思っています。また、クライメート・ジャスティス(気候の公平性)をテーマに取り上げるつもりです。環境問題としてだけでなく、経済・社会・政治問題として位置付けます。

 ハノーファーにはすごく面白い活動をしている人たちがいます。シティ・メーカーと称して、都市空間に介入してプロジェクトを展開し、都市計画を再考する人々です。ハノーファーにはそうしたグループや市民運動が多数あり、ネットワークでつながっています。その中でとてもクリエイティブなEndbusというグループと先ほど話した参加型プロジェクトを実現させる予定です。ハノーファーは出身地ではありますが、新たにこの町を知り、今何が起きていて、どこに長所や特徴があるのかを見出して、どのようにフェスティバルとつなげるかを考えています。
来年のテアターフォルメンのアンナさんのキュレーションを楽しみにしています。どうもありがとうございました。

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