北村想

演劇で人生を遊ぶ北村想ワールド

2014.04.22
北村想

北村想Soh Kitamura

1952年滋賀県生まれ。劇作家、小説家、エッセイスト。自らの作・演出により「T.P.O師★団」(1970年設立)を振り出しに、「彗星 ’86」(1986年設立)、「プロジェクト・ナビ」(1986年設立)と名前を変えながら劇団活動を展開。79年に発表し、15年にわたって上演を続けた代表作『寿歌(ほぎうた)』で小劇場演劇の旗手として注目される(2003年に劇団活動に終止符)。1984年に『十一人の少年』で第28回岸田戯曲賞受賞。『雪をわたって 第二稿 月の明るさ』で紀伊國屋演劇賞個人受賞。2013年からSIS companyのプロデュースにより日本文学へのリスペクトを込めた新作戯曲シリーズをスタート。太宰治の未完の小説をモチーフにした第1弾の『グッドバイ』で第17回鶴屋南北戯曲賞受賞。これまで執筆した戯曲は約200。小説、ラジオドラマ、エッセイなど幅広く活動。2013年に「恋愛的演劇論」(松本工房発行)を上梓。

現役の演劇記者がその年に上演された最も優れた新作戯曲を選考する「鶴屋南北戯曲賞」。その第17回(2013年)に選ばれたのが、昨年還暦を迎えた北村想の日本文学シアター第1弾、太宰治の未完の作品をモチーフにした『グッドバイ』だ。北村は、自らの作演出により1970年から「T.P.O師★団」を振り出しに、「彗星’86」、「プロジェクト・ナビ」と名前を変えながら劇団活動を展開し、1980年代の小劇場演劇ブームを牽引した旗手のひとり(2003年に劇団活動を休止)。79年に発表して以来、15年にわたって上演し続けた代表作『寿歌(ほぎうた)』は、核戦争後の何もなくなった街をゲサク、キョウコ、ヤスオという三人連れが芸をしながら放浪する明るく哀しい虚無的な世界を描いたもので、80年代の感性を象徴するエポックな作品となった。また、名古屋、大阪を拠点に活動し、AI・HALL(伊丹市立演劇ホール)において20年近く戯曲講座「伊丹想流私塾」を主宰するなど、関西の若手劇作家に多大な影響を与えてきた。物書きとして、戯曲に限らず、小説、ラジオドラマ、エッセイなど幅広く活躍する北村に、新シリーズについて、物書きとしての心得についてインタビューした。
聞き手:岡野宏文・小堀純

日本文学シアター

鶴屋南北賞受賞おめでとうございます。受賞作の『グッドバイ』は、太宰治(1909-48)の自死のため未完となった小説『グッド・バイ』を本歌取りしたものです。小説は、10人の愛人と別れるため、とびきりの美人を連れて愛人を訪ね歩き、この人と結婚することになったと告げて手を切ろう企てる。そういう男の物語です。北村さんは愛する妻を失った初老の男が無償の愛を尽くすラブロマンスに仕立てています。そもそもどうして日本文学をモチーフにしようと思ったのですか。なぜこの作品を選んだのですか。
 実は日本文学には全然興味がなくて。子どもの頃から読んでいたのは山田風太郎の忍法帖シリーズみたいなエンターテイメント系ばっかり。純文学では芥川龍之介、坂口安吾、太宰治ぐらいで、夏目漱石だって全部は読んでなかった。だから、この際、読んでみようかなと(笑)。『グッド・バイ』は未完の作品なので、俺が完成させてやる!って感じでしたね。小説ではかなわないけど、戯曲なら俺の方がうまいよって(笑)。
複数の愛人と手を切る仕掛けは同じですが、戯曲はまったくの別物で、亡くした妻への愛の代わりに困っている女性たちを無償で支える初老の男が、新しい愛に向けて一歩を踏み出すというラブロマンスになっています。
 自分の渡世(心情)に訴えかけてくるところを膨らませるというか。たとえば中年男を初老にすると、彼の過去もあるわけで、自ずといろんなことが変わってくる…。
『寿歌』を書かれたすぐ後にも、『グッド・バイ』を取り上げています。そのときには玉川上水が舞台で、作家と編集者、ゲサクとキョウコという変な乞食のような人もでてくる。
 今回とは全然違います。芝居を止めようかなと思っていた時期で、『グッド・バイ』があったからこれでグッバイすればいいかなと(笑)。
純文学の中では、太宰が好きだったのですよね。
 そう、太宰と、それから安吾も好きですね。安吾の小説では初期の『木枯の酒倉から』や『風博士』がいい。特にエッセイが好きで、『FARCEに就て』(*1)で書いているファルス(道化)という言葉が演劇向きで、すごくいいなと思っています。ファルスというのは、イエスもノーも、なんたらもかんたらも、とにかく丸ごとまとめて肯定する力だというんです。太宰については、短編にせよ何にせよ、とにかく上手いです。あの会話体も、読者に自分だけが読んでいるかのように聞かせる技術は見事です。
太宰のリズムのある文体と安吾の何か破れているような文体はそれぞれ好き嫌いが別れて、同時に好きな人は珍しいのではありませんか。
 どうも僕の場合は、太宰の文章が好きなのに、書くと安吾風になるみたいです。自分じゃ全然意識していないけど、よく読んでくれている人からこの文体は安吾だねって、指摘されます。
物書きになって、若い頃から、文学において超えていかなくちゃいけない、相対化、対象化しなくちゃいけないものが2つあると思っていて。それが太宰と『二十歳のエチュード』(*2)を書いた原口統三だった。太宰については、吉本隆明を読むようになってから割と相対化できるようになりましたが、『二十歳のエチュード』には打ちのめされていますから。あれに勝つまでは書くのを止めてはいけないと思ってました。
日本文学シアターの第2弾は、漱石だそうですね。
 日頃お世話になっている元・読売新聞文化部(名古屋)の安住恭子さんが、『『草枕』の那美と辛亥革命』で和辻哲郎文化賞をお獲りになったので、じゃあ『草枕』(*3)をやりましょうかと(笑)。それではじめて読みました。
どういうご感想ですか。
 『草枕』の加速度はただ事じゃないなと思った。意外でした。それをつくっているのがヒロインの那美で、彼女がどんどん加速させていく。それが心地よかった、というかちょっと驚きでした。もう書き上がっていますが、内容はまだナイショです。実は、その次もできているけど、これもナイショ(笑)。


北村想の旅

北村さんの代表作のひとつが『寿歌』です。舞台は核戦争後の世界で。ゲサクとキョウコという二人の旅芸人がリアカーを引きながら瓦礫の中を放浪している。そこにヤスオが現れるわけですが、ゲサクは戯作者、ヤスオはヤソ(イエス・キリストの日本語読み)だとか、深読みをしようと思えばいろいろな解釈のできる作品です。
『寿歌』は、最近まで自分でも何の話だかさっぱりわかんなかった。25、6歳の頃、ちょうど鬱病が発症して、体がキツくてキツくて。座ってても、寝っ転がっててもどうにもならない。それでも本は書かなくちゃならないから、休んでは書いての繰り返し。頭だって動きゃしないので、辞書を横に置いて、目をつむってパラパラって適当に開いて、指でエイヤって指す。「櫛」って言葉にあたったらそうか次は櫛を出せばいいんだなって、そういう具合にして書いた。
それでちゃんと話がつながるというのがいつ聞いても不思議ですね。T.P.O師★団を名古屋で立ち上げたのが1970年ですから、かれこれ45年になります。今日まで変わらず抱きつづけている演劇観はありますか。
 かつて、韓国のソウル演劇祭に『寿歌』を持っていったことがあるんだけど、そのときの芸術監督から「北村さんにとって演劇とは何ですか?」とズバリ聞かれたことがある。だから僕も「ズバリいうなら私の脳の中、葛藤するイマージュ、ひっくり返した人生というオモチャ箱ですよね」って答えた。演劇で人生を遊ぶ、むなしい命を演劇で蕩尽する──演劇というのは“虚無への供物”(*4)だというのは変わらない気持ちとしてありますね。
演劇以外の職業を考えたことはありますか。
 食えなくても演劇を続けるのか、サラリーマンか何かをやるのかという岐路が一度あって。実は絵本を出している小さな出版社に就職したことがあります。だけど、1週間で辞めた。僕が一生続けられる仕事じゃない、もうこうなったら、人生を棒に振ろうと決心しました。それを友人に話したら、お前は人生を棒に振ったんじゃなくて、人生のほうから棒に振られたんだと言われた。その時はまだ食えてなかったけれども、当時は若かったから芝居をやっているのが面白かった。演劇というのは職業じゃないの、ヤクザな、渡世です(笑)。
それこそT.P.O師★団の頃ですね。
 その頃ですね。当時は、唐十郎さんの模倣をしていました。大学でニセ学生をやっていたんだけど、唐さんの紅テント派と佐藤信さんの黒テント派に分かれていて、僕だけが紅テントのファンだった。黒テントの方がインテリですからね。でもどうしたって芝居は唐さんの方が面白い。あれから45年になりますが、最近はどこか唐さんふうの芝居に戻ってきている。仕事で引き受けるものは別ですが、自主的にやっている名古屋のavecビーズっていうユニットに書き下ろしている作品は完全に唐さんタッチです。
劇作家の矜持として守ってきたことはありますか。
 まあそれほどのものではないけど、絶対やっちゃいけないと戒めているのは、観客にシンパシーを持ってもらおうと思って書くこと。依頼されてエンタテインメントを書くときも、これは守ってる。
では、何に頼って書いているのですか。
 さっきの話と繋がるんだけど、僕にとって演劇は「すごく楽しいオモチャ」だから、書くこと自体がもの凄く好きなんですよ。だから自分が楽しめないと、筆が滑っていかないと、書けない。どんな仕事を受けても、どうやったら楽しいかってことですよね。
北村さんが尊敬している唐さんもそこは似ていますよね。鈴木忠志さんが唐さんのお芝居のことを「幼心の発露」と言いましたが、少年がチャンバラで遊べるように、おもちゃ(演劇)で遊べる能力が北村さんにはあります。
 両親が共稼ぎだったから、子どもの頃、家に帰っても誰も居なかった。じゃあ他の子と遊べばいいじゃないか、となるんだけど、5時になったら風呂を焚かなくちゃいけないとか、いいつけられたことがあって、遊んでいても途中で抜けなきゃいけない。そうするとみんなにすごく悪口を言われる。野球をしていてもお前は途中で帰るから、入れてやんないとか。だから仲間で遊ぶということができなかった。それで仕方なくひとりで遊んでいた。
何をやっていたかというと、ひとりキャッチボール、要は壁当て。それをやりながら頭の中で、「投げました、一塁に走りました」と空想しながら物語を作っているわけ。早熟だったから、子どものときから山田風太郎の『甲賀忍法帖』や、漫画『伊賀の影丸』なんかを読んでいたので、忍者がリーグ戦で戦って斃れていくみたいな遊びを、拾ってきた石を戦わせてやったり。そうやってひとりで遊んでいた。
そういう遊びと、ワープロに向かって書いているのは、同じ感覚なんです。神様じゃないけど、やっぱり作れるから。好きなように作れるから、好きなように遊べる。もう本当にそういう意味では遊びなんですよね。
北村さんのもう一つの代表作に『想稿・銀河鉄道の夜』があります。私はこの芝居をはじめて見たときから、必ず誰か欠けている人がいて、それが作品全体の哀しさに繋がっていると感じていました。たとえば、ジョバンニとカンパネルラが並んで遠くを見ていると、あっちの方に手を振っている人がいるというけどその人は登場しない。ジョバンニと母親の場面でも、母は声だけで舞台には現れない。随所に誰かいない喪失感があるんです。
 わざとは書いてないけど、やっぱり僕自身の潜在意識の中に、そういう感覚があるんだと思います。誰かいない、という喪失感が…。それと、“かなしい”という感情だけはよくわかるんですよね、“喜び”とか“愛”とかはよくわかんないけど、“かなしみ”ということだけは実感としてわかる。哀切の哀という字をあててもいいし、愛情の愛と書いてもいいけど。だから、どうしても、作品をそっちに収束させていっちゃう。意識的にはやってないんですが…。
北村さんは廃墟が好きで、モンヘンジョダロに行かれたこともあります。それ
も喪失感と関係がありますか。
 廃墟は、もう失うものが何もない。全部失ってしまった、すべて終わってしまったという優越感を廃墟はもっている。もう終わってしまっているから、安心できる。そういうのがすごく好きです。ひとつ言えるのは、僕は“孤独”というのがどういうものなのか、よくわからないんです。喪失感は“感覚”ではあるんだけど、「私、孤独で…」って思ったことはないし、孤独で悩んだこともない。上手く説明できないけど、孤独みたいに気持ちの良いものはないだろって(笑)。


若い劇作家に伝えてきたこと

北村さんは約20年間AI・HALLで、劇作家養成講座「伊丹想流私塾」を主宰していらっしゃいます。劇作家を目指す若者に、「ストーリーは作るな、テーマは持つな」と指導されているそうですね。
 そうです。最初にそれを言います。テーマとストーリーが邪魔をして、ものを書き難くしているからです。だから、まずそれを棄てなさいと。それから、「私はここでレクチャーしますが、こういう本があって、シェイクスピアはこうでとか、演劇について教えるつもりはなくて、自分がいま興味のあること、考えていることについて喋ります。この事件はこんなふうに考えているといった時事的な話題もあるし、ともかくそれをずっと聞いていてくれればいい」と前置きします。
ある塾生が、戯曲が書けないと、いつも暗い顔をしていた。多分その子は勘違いしていて、戯曲を一生懸命人に読ませようと思って書いて、失敗していたんです。戯曲は別に人に読ませようと思って書かなくていいから、自分が読みたい戯曲を書きなさい、とアドバイスしました。そうしたら顔がバッと明るくなって、次から書くものが凄く変わった。つまり、日記で良いんです。自分の日記を書くような感じで戯曲を書けばそれでいい。それこそがその人の固有性ですから。そこに物語性をどう持ち込むかは1つのテクニックに過ぎません。物語性みたいなものを持ち込みたいのなら、物語なんてこれまでに一杯あるんだから、借りてくればいいだけなんです。
ここを間違ってしまうと、客のために書いている、読者のために書いている、となって読者が喜ぶようなものを書こうという欲が出てきてしまう。僕はそういうのが嫌いだから、自分が面白いと思うものをまず書きなさい、ということを教えます。そこは普通の戯曲塾とはちょっと違いますね。
テーマとストーリーを抜くと、キャラクターが残るんじゃないかという気がします。
 そうそう。だから、まずキャラクターを考えなさいと言います。唐さんが、「戯曲と小説の違いは、戯曲はキャラクターを考えたら後はキャラクターが喋ってくれる、ところが小説は喋らさなきゃいけないから難しい」と言っていますが、僕もその通りだと思う。戯曲はキャラクターさえ考えれば勝手に喋ってくれる。もちろんセリフは考えているんですが…。それと、シチュエーション。どの場にどんなキャラクターを置くか。それができれば、戯曲は書けているのと同じです。
もう1つ塾生に言うのは、演劇は勉強するな、ということ。勉強すると、演劇の枠を作ってしまう、演劇というのはこういうもんだ、というふうに自分で思い込んじゃう。つまり、演劇なんて入れ物の中に自分を入れちゃダメで、自分の中に演劇を入れておけと。自分の中に入ってくるものは全部演劇だと思っていればいいんです。だから、演劇以外のものを色々、これがまさか戯曲に結び付くとは思わないと思うものでも何でもいいから、自分が興味を持ったものをとにかく自分の中に入れておく。
ですから、何も書けない時の方法論の1つとして、大きな書店へ行ってブラーっと歩いてご覧なさいとも言います。そうすると必ず目に付く本が何冊かある。それは外からの信号で、自分が今何に興味を持っているのかを知らせてくれているのだから、とにかくそれを手に取って、自分の興味がある所だけ読みなさいと。そういうことをやって刺激されると、割と書けるからと。インターネットで本を買うのもいいけど、やっぱり大きな書店に行くのは良いよと。
それから、最近はインターネットで何でも調べられるけど、それは後からにしなさいとも言います。まずは、何かを調べる時は必ず辞書を引きなさい、百科事典があったらそれを引きなさいと。百科事典や辞書にはパッと開いた時に、自分の探していた以外のものがザーッと並んでいるから、それも一応読んでみなさいと。
塾生には「勉強するな」とおっしゃっているようですが、先頃上梓された「恋愛的演劇論」を読むと、北村さんは相当勉強されています(笑)。
 まあ(笑)。はじめは演劇というのが何だかわからなかったから。演出って何だろう? 演技って何だろう? それで、評論家で編集者の村井健さんに相談しに行った。色々とその手の本が書店にあったから読んだけど、どうしても納得できるようなものに出会えなかったので、何を読んだらいいですか?って。そしたら「それは君が書くんだよ」って言われて、ああ、そうかって(笑)。それでどうすればいいかと思って、まずは先にどうやって考えるかという方法論を見つけたほうがいいと。それで最初に出会ったのが、三浦つとむさんの唯物論弁証法だった。三浦さんは唯物論弁証法ともう1つ、言語学を研究されていて、実はそれが非常にラッキーでした。
『日本語はどういう言語か』(*5)という本ですね。
 そうそう、それを辿っていくと、すごい発見があった。あ、こんなふうに考えるのか、言葉ってこんなんだって。
あの本にはビックリさせられますよね。「は」と「が」はどう違うか、とか。
 「の」が名詞だとか。でも、読んでいくと、だんだん難しくなってくるんですよね。言語と認識の理論とか、そういう所に至るので。それで吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』のほうを先に読み始めた。偶然その本には「劇」という章があり、「書かれたものとしての劇」として戯曲というのはあるし、「演じられたものとしての劇」として舞台があると書いてあった。なるほど、こういうふうに考えるのか、と思った。だったら「劇それ自体」とは何かを僕は見つけようと格闘したわけです。
それから、次に吉本さんの『心的現象論序説』を読みました。これには図式が掲載されていて、要するに高校の数学で習う微積分みたいな図なんですが、この本には見逃していけない何かがあるような気がした。これが読めるようになりたい、理解できるようになりたいと、参考図書を次々に読んだ。そうしてもう一度読んだら、ちょっとわかった。それからまた何年か悪戦苦闘して、そして10年目でやっとわかった。『心的現象論序説』を1冊読むのに10年かかったわけです。そんな風に、1冊本を読もうと思うと、他に3冊ぐらい読まなくちゃいけなくなる。で、その3冊の本を読もうと思うとまた3冊…ねずみ算なんです。お陰で裾野ばっかり広がってくる(笑)。
そうやって勉強していたので、『恋愛的演劇論』は30年かかって書いた本です。塾生には勉強するなと言ってるけど、僕のは表現の方ではなくて理論の方だから、いいんです(笑)。
最後に、北村さんは本当に速書きです。塾生に限らず、遅筆なすべての物書きへ、そのコツは何ですか。
 別に速く仕上げようとして速くなっているわけじゃなくて、締め切りが自分の中にしかない。自分の締め切りで書いているだけなんです。そもそも書く速度とかが速くなるわけがない。でも、とにかく、いつも何本かの芝居のプロットなり、アイデアなりの蓄えがあるんです。今はスマホを使っているから、そこにザーッとメモが入っています。
ネタ帳みたいな?
 まあ、それのちょっとボリュームのあるヤツ。そういうものがあるから、原稿を頼まれたら、あ、この依頼ならこのネタだな、という具合にやれる。なので、頼まれてから「ウーン…」と考えることはあまりありません。
要するに、色んな本を読んだりしているから、それを自分の頭の中でサンプリングして、リミックスすればそれでもう書けてしまう。だから、演劇と関係ないものでもいろんな本を読んだ方がいい。ちなみに資料は読んでも使わない方がいい。書くときに参照してしまうと、資料を右から左に写すだけの作業になってしまうので。
そうやって頭の中のこっちの情報やこっちの知識を、「待てよ、アレはここにあったな」と、本棚からバッと出すみたいにしてリミックスすればガーッと書けるから、速いんです。

*1 『FARCEに就て』
1932年に発表されたエッセイ。悲劇や喜劇より下等に見られるファルス(道化)について、悲劇も喜劇も道化も同等に扱い、「悲劇とは大方の真面目な文学」「喜劇とは寓意や涙の裏打ちによつて、その思ひありげな裏側によつて人を打つところの笑劇、小説」「道化とは乱痴気騒ぎに終始するところの文学」と定義し、道化について考察したもの。

*2 『二十歳のエチュード』
一高3年在学中の1946年、19歳で自殺した詩人・原口統三が遺品として残した大学ノートに綴られた手記。戦後の文学者、若者に多大な影響を与え、読み継がれてきた。

*3 『草枕』
1906年に発表された夏目漱石の小説。「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される…」という冒頭の一文が有名。日本の西洋化を背景に、温泉宿に宿泊している主人公の洋画家と美しい出戻りの宿の若奥様・那美との出会いを発端にした作品。

*4 『虚無への供物』
1964年に発表された中井英夫の推理小説。推理小説でありながら、推理小説であることを拒否する反推理小説(アンチ・ミステリー)の傑作として知られる。

*5
三浦つとむ(1911-89)は言語学者、マルクス主義者。56年に発表した『日本語とはどういう言語か』は客観的表現と主観的表現を軸に日本語とはどういう言語かを解説した三浦言語学の名著。

日本文学シアター Vol.1「太宰治」
『グッドバイ』

(2013年11月29日〜12月28日/シアタートラム)
演出:寺十 吾
撮影:谷古宇正彦

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