中島かずき

マンガと歌舞伎と伝奇ロマン活劇と――アクション劇作家・中島かずきのスペクタクル

2006.11.24
中島かずき

中島かずきKazuki Nakashima

1959年福岡県生まれ。舞台の脚本を中心に活動。85年より座付き作家として劇団☆新感線に参加。以来、物語性を重視した脚本作りで<いのうえ歌舞伎>と呼ばれる時代活劇を中心としたシリーズを担当。市川染五郎・堤真一主演の『アテルイ』(03年新橋演舞場)で、第47回岸田國士戯曲賞を受賞。近年、匠ひびき主演の『レディ・ゾロ』、宮本信子主演の『OINARI〜浅草ギンコ物語』等々、劇団☆新感線以外の外部プロデュース公演の脚本も積極的に手がけている。

http://www.vi-shinkansen.co.jp/

大阪の小劇場を振り出しに、日本で有数の人気劇団になった劇団★新感線。演出家のいのうえひでのりと座付き劇作家の中島かずきがつくりだす、歴史や伝説上の個性的なキャラクターが活躍する派手な伝奇ロマン活劇は、若者を引きつける新しいエンターテイメントとして大成功をおさめた。今では、日本の2大興行会社、東宝と松竹が経営する商業劇場にも作品を提供し、有名アイドルや歌舞伎俳優が出演する舞台はチケット売り出しと同時にソールドアウトする状況が続いている。漫画雑誌の編集者・原作者というもう1つの顔をもつ中島に、歌舞伎の時代物にも通じるその演劇観について聞いた。
(構成・小堀純 2006年11月1日、東京・新宿にて収録。協力・(有)ヴィレッヂ)
中島さんの作風をみると“アクション劇作家”という肩書がぴったりきます。平安時代の武将・坂上田村麻呂と東北部の伝説の武人・阿弖利為(アテルイ)との闘いを描いた 『アテルイ』 (2002年。第47回岸田國士戯曲賞受賞)にしても、陰陽師という、呪術を使って祭り事に参画するという平安時代の怪人・安倍晴明をバイプレイヤーに、鬼と人との闘い、人智を越えた男と女の愛憎を描いた『阿修羅城の瞳』(1987年初演。2003年に歌舞伎役者・市川染五郎を主演に2バージョン上演)にしても、実在の人物と虚構の人物がある時代で宿命的に出会い、奇想天外な伝奇ロマンが始まる。「血湧き肉躍る」というか、人物の激しいアクションで物語をつくっていく。
確かに“アクション劇作家”と呼ばれるのは、今は僕ぐらいかもしれないですね。
そもそもの芝居との関わりは?
演劇を始めたのは高校演劇がきっかけです。子どもの頃から少年漫画が大好きで、漫画研究会に入りたいと思っていたんですが、入った高校に漫研がなくて、他におもしろそうなことをやっていたのが演劇部だった。僕が育った九州の福岡は、高校生の創作劇を奨励しているところだったので、地区大会をみに行ったら創作劇をいっぱいやっていて「あっ、自分にも書けるんじゃないか」って思ってはじめました。
漫画はどのようなものを読んでいたのですか。
サンデーやマガジンなどの週刊少年漫画誌全般です。手塚治虫、石森(後に石ノ森)章太郎、赤塚不二夫……もう日本の少年漫画の王道ですね。特に永井豪はデビューから読み続けていて、中学生の頃に『デビルマン』(※1972年から連載を開始し、一斉を風靡した永井豪の傑作コミック。高校生の不動明が悪魔と闘うため、悪魔と合体して人間の心と悪魔の能力を持つデビルマンとなる)で凄いショックを受けた。作家の成長とともに自分も成長していくという感じでした。
白土三平やつげ義春が活躍した漫画雑誌の「ガロ」は?
「ガロ」は少年誌とは違うからダメでした。つまり僕が好きだったのは少年誌のような活劇なのであって、“アクション劇作家”とはそういう活劇を書く劇作家ということなんです。
怨念や情念が色濃く出ない、明るくカッコイイヒーローが活躍する少年誌の活劇なわけですね。漫画は自分でも描いていたんですか。
描いていましたね。大学(立教大学)では漫研に入りましたし、僕が漫画出版社の双葉社(※「漫画アクション」を発行している出版社。文芸書の企画も多い)に入社したときも漫画と履歴書の両方を持って行って、漫画家か編集者のどちらかになれればと思ったぐらいですから。
演劇は漫画ほど好きではなかった?
高校演劇からはじめただけですから。僕は漫画だけじゃなくて、SFも好きなのですが、その言葉に“センス・オブ・ワンダー”というのがあります。他の小説にはない、ある種フィクショナルな、ちょっとひねったアイデアやストーリーで読む人を「はっ!!とさせる」──ということなのですが、当時(70年代後半〜80年代前半)の小劇場演劇やアングラ演劇にはそれと同じような感覚があったと思います。高校1年の時、偶然、唐十郎さんの状況劇場が九州・福岡の炭鉱跡で上演した『蛇姫様』(1977年)をみたのですが、おもしろかったですね。演劇でそういう幸福な体験もいくつかはしています。
新感線の演出家、いのうえひでのりさんも中島さんと同郷で高校演劇出身。彼が最初に書いた芝居が『桃太郎地獄絵巻』(※ 桃から生まれた桃太郎が鬼退治をする昔話のパロディ。ハードロックと格闘シーン満載の活劇)というタイトルなのが、現在の新感線を髣髴とさせますね。
僕はその芝居を高校演劇の大会でみてね、すごくおもしろかった。自分と同じようなことを考えている人間がいるんだと。それも舞台表現としては一歩先を行っている。いのうえ君に会って「この芝居やらせてくれないか」と云って、今度は僕が“鬼殺しの鬼”の話に書き換えて上演した。それをみたいのうえ君がおもしろがってくれて、それからのつきあいですから。「三つ子の魂百まで」で、その時から日本の伝説を元にした話を書いてきたわけです。
中島さんが一番最初に書いた作品は?
テネシー・ウィリアムズのパロディで『踏みにじられたマニキュア事件』。次がイヨネスコの『授業』のパロディで、家庭教師が娘を殺しても、また次の娘が現れるという話です。
最初は不条理劇のようなものが“正しい芝居”だと思っていたので、そういうものを書いていました。自分ではどこか釈然としない部分もありましたが、当時の高校演劇の傾向として「わかりやすいもの」より「わかりにくいもの」の方が評価されやすいということもあったんです。それからつかこうへいさんの初期の作品、『熱海殺人事件』や『初級革命講座・飛龍伝』に衝撃を受けて、その影響でレトリックに凝った話も何本か書きました。
でもいのうえ君と一緒に芝居をするようになって、やっぱり違う、自分で信じるものを書こうと思うようになりました。自分は何を信じているのか。それは“漫画的な活劇”や“映画的な活劇”であり、そういうものをずっとおもしろいと思ってきたんだから、じゃあ、舞台の上に漫画や映画をのっけようと決意した。それからもうずっと今までそのことだけをやり続けています。
観客が、「みてわかる、みておもしろい芝居」ですよね。そういう漫画的・映画的活劇の始まりはどの作品からですか?
いのうえ君が『星の忍者』(1986年)というタイトルの芝居をやりたいと言ってきたんです。忍者もののチャンバラ活劇で、ラストは星から落ちてきた女の子が光の翼にのって星へ帰っていく。おもしろい話だから僕に書かせてくれと言って、山田風太郎さんの伝奇小説が好きだったので、そうしたテイストも入れて書いたら自分でもおもしろいぐらいにのって書けた。「あ、自分にはこういう作品が向いているな」と。それで次に書いたのが『阿修羅城の瞳』です。
『阿修羅城の瞳』は息が長い作品ですね。
はい。でも骨子はあまり変わっていないんです。女の子が恋をしたら鬼になるというのは、いのうえ君のアイデアですが、何て云うのかな。神からの啓示のように書けた、神さまが自分にくれた宝物のような作品です。逆に『髑髏城の七人』は自分の原石。初演から14年間かけて磨き上げていったという作品。全然違う2作品があるのは、ありがたいと思っています。
『髑髏城の七人』は、黒澤明の映画『七人の侍』というよりは、それを西部劇にしたジョン・スタージェスの『荒野の七人』の雰囲気がある、戦国時代の関東を舞台に信長の化身のような男(髑髏党を率いる天魔王)と主人公の捨之介に代表されるアウトローたちの闘いが小気味いい活劇。この芝居は古田新太主演の『アカドクロ』と市川染五郎主演の『アオドクロ』(共に2004年)の2バージョンありますが、『阿修羅城の瞳』や 『アテルイ』 と同じで歌舞伎役者が演じてもぴたっとはまる。そもそも歌舞伎に興味があったんですか。
なかったですね。ただ、歌舞伎の本を読んだり、調べてみると、新感線と同じだなと思った。役者に当て書きするし、鳴り物入りでギャグを入れるし、ケレンもある。じゃあ時代劇をやるなら「いのうえ歌舞伎」と付けちゃえと(笑)。小劇場でやっていた「いのうえ歌舞伎」が、今では本物の歌舞伎役者さんが出て大劇場でやっているんですから。「継続は力なり」ですよね。
中島さんの戯曲は「仮説」の立て方がとてもおもしろい。出世作になった『スサノオ─神の剣の物語』(1989年)は、日本の古代神話に材をとり、渡来民と先住民の“クニヅクリ”の物語が虚実入り乱れて展開しています。実在の人物と虚構の人物がある時代のある場所で遭遇し、そこからの化学変化、異化効果がおもしろい。『阿修羅城の瞳』も安倍晴明と共に江戸時代の戯作者・鶴屋南北が登場します。
若い頃から国枝史郎とか白井喬二、最初は半村良ですけど、伝奇小説が好きでした。隆慶一郎さんには90年に出会って、ほんとうに目から鱗が落ちましたね。『吉原御免状』(2005年)をやらせていただきましたが、差別された側の人たちをあれほど誇り高く書いていることに感動しました。山田風太郎さんも好きですが、根本にペシミズムがあるのが、僕にはもうひとつ肌が合わないといいますか……。向日性な性格なもんですから、人が前向きに生きていくのが好きなんです。山田さんと隆さんは裏表、ネガとポジだと思いますが、僕はどちらかというとポジティブな隆さんの世界にどうしても魅かれてしまいますね。
中島さんが一貫して描いているテーマのひとつに隆さんの被差別民に対応する異民というのがあります。異民というのは、鬼と呼ばれた者とでも言えばいいのでしょうか。『アテルイ』も、時の権力者とまつろわぬ者(服従しない者)、つまり鬼との闘いの話です。ただ、それが抵抗する側のペシミズムで終わらないところが中島戯曲だと思いますが‥‥。
僕にとっての鬼はそれこそ先住民というイメージなのですが、そういう抵抗者の方が正しくてかわいそうだとは捉えていません。あくまで権力者と抵抗者をフラットな視点でみて、そこからどのような物語が描けるのかを考えています。もちろん物語がおもしろくなればそれでいいということではありません。その辺でテーマ性とエンターテイメント性のせめぎ合いはありますね。
権力者であれ抵抗者であれ、人物に血が通わないとおもしろくはならない。つまりは、登場人物の、虚実両方の人物の存在感の問題だと思います。
そうですよね。それと新感線の場合は、エンターテイメントですから「みにきてよかった」という満足感を持ってお客さんに帰っていただかないといけない。ただのペシミズムで終わって「現実ってツライよね」となっても仕方がない。現実がツライのはあたりまえだから。芝居が終わって劇場から出る時に「ああ、おもしろかった」という思いをもっていてほしい。
“エンターテイメント職人”と呼んだらいいんでしょうか。中島さんもいのうえさんもそうした共通の姿勢がある。だからこそ新感線は動員力のある人気劇団になったと思います。
若い頃にはその時にしかできない羽目を外した作品をやっていましたが、今それを無理矢理やろうとしても形だけになってしまう。僕もいのうえ君も過去に捕われず、自分たちの皮膚感覚に忠実にやってきたということです。座付き作者として、役者が変れば書き直しますし、そうしてやってきた結果が今だと思います。
江戸時代の劇作家でいうと、近松よりは南北ですか?
南北ですね。『阿修羅城の瞳』を書いた時に『四谷怪談』を読みましたが、すごくおもしろかった。言葉に力があって、日本の昔の演劇は思っていたよりおもしろいと思いましたから。でもこれを20代の若い人が歌舞伎座で見て果たしておもしろいと思えるのだろうかと。それなら、テキストがこれだけおもしろいんだから、そのテキストの精神を現代に通用するようにしてやればいい。それが新感線のやっていることだと思います。
「活劇」として舞台化するために中島さんが戯曲を書く段階で留意されていることはありますか?
概念として書くのではなく、個人(役者)の肉体に全てのストーリーを落としこむようにしています。そのためには物語を“人の話”にしないと、 『アテルイ』 なら「アテルイの話」にしないとできない。個人の感情なり生き様なりをテーマとして絞り込んでいって、そのぶつかり合いの中で物語がどう展開していくか、ということだと思います。
『アテルイ』なら坂上田村麻呂という人間像をしっかり考えなきゃいけない。
そうです。いわゆる演劇的なテーマというのは、物語(ドラマ)とは別にあったりするじゃないですか。そうではなくて、テーマよりも物語(ドラマ)が先だろう、それを担う個人の肉体が先だろうと。舞台の上に立っているキャラクターを描くことで、背景にあるテーマがついてくればいいと。活劇って、結局、誰と誰が闘ったらどちらが強いか、そういう問題じゃないですか。そこに興味を持たないとクライマックスは盛り上がらない。そのために物語(ドラマ)をつくっていく。個人それぞれが持っている物語が、舞台の上で力ずくでぶつかり合う、その瞬間のカタルシスを大切にしたいんです。
そうして、登場人物が実感のある言葉を物語る。
そうです。しかもそれは借りてきた抽象的な概念を頭で語るのではなく、その人間が自分の肉体を通して、自分の信条として言葉にしている。アテルイならアテルイの、阿修羅なら阿修羅の、その人の言葉なんです。抽象的な概念や哲学的な問答とかではなくてね。
中島さんの戯曲では、まず登場人物が自分を“名乗り”ますよね。
ええ、その通りです。滝沢馬琴もそうですが、例えば、「信」「忠」「義」という名前をつけた『八犬伝』のように登場人物に意味のある名前をつけますよね。自分もそうで名前にはすごくこだわりがあります。登場人物の名前が決まると、その人物配置も決まる。つまり、キャスト表ができたときには、芝居の6割ぐらいはできているという感じです。名前にどういう意味をもたせるのか、どこから出典してくるか、いろいろ考えるので、名前を付けるのにはすごく時間がかかります。どうしてその名前がついているかが、自分の芝居のもうひとつのテーマと言っていいぐらいです。
こういうのは日本人が「言霊の国」の人間だからだと思います。武術や格闘技の必殺技もそうですが、「真っ向唐竹割り」とか、すぐ名前をつける。格好いい名前を競うし、強そうな名前の方が強いんです(笑)。
ひら仮名、カタカナに漢字が混じる日本語は視覚的ですからね。『阿修羅城の瞳』の主役の剣士「病葉出門(わくらばいずも)」も、名前をみただけでどういう人物かイメージがふくらんでくる(笑)。
それからト書きに文章として読ませる工夫がしてあるのも特徴的です。また、台詞にも独特のリズムがありますね。
最近は短くなりましたが(笑)、一時期はもっと凝って、ト書きで遊んでいました。作家としての基本ですが、最初に読む演出家や役者にはまず「おもしろい」と思ってもらえるホンを書きたいと思っていて、そのことはいつも意識しています。
台詞については、自分が気持ちのいいリズムで書いています。独学ですが、基本は五七調で、日常的な生活言語とは違うフィクショナルな言葉です。だから演じる役者もフィクショナルな感性や技法を持っていないと水が合わないのかなと思います。
舞台の絵づくりもイメージして書いていますか?
一応、イメージしていますが、いのうえ君が視覚的に芝居を立ち上げることにものすごい力を持った演出家なので、そこは委ねています。僕が“アクション劇作家”なら、いのうえ君は“アクション演出家”。やっぱり稀有な才能だと思います。

『朧の森に棲む鬼』
(おぼろのもりにすむおに)

作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
公演日程:2007年1月2日〜27日(東京・新橋演舞場)
2月3日〜25日(大阪松竹座)
プレビュー公演:2006年12月29日・30日
カウントダウン公演:2006年12月31日
https://www.shochiku.co.jp/

『阿修羅城の瞳』
1987年
作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
(c) ヴィレッヂ

『星の忍者』風雲乱世編
1988年
作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
(c) ヴィレッヂ

『スサノオ〜神の剣の物語』
1989年
作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
(c) ヴィレッヂ

『阿修羅城の瞳』
2000年、2003年
作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
主演:市川染五郎
(c) 松竹株式会社/ヴィレッヂ

『アテルイ』
2002年
作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
主演:市川染五郎
(c) 松竹株式会社/ヴィレッヂ

『髑髏城の七人』アカドクロ
2004年
作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
主演:古田新太
(c) ヴィレッヂ

『髑髏城の七人』アオドクロ
2004年
作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
主演:市川染五郎
(c) 松竹株式会社/ヴィレッヂ

『SHIROH』
2004年
作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
(c) ヴィレッヂ