落語の本質は「人間の業の肯定」
- まず、一度も鑑賞したことのない初心者や海外の方に、「落語とは何か」を解説いただけますか。
- 落語は非常に説明が難しい芸能です。例えば〈寿司〉を外国人の方に説明する時、「和食です」「魚介です」と単純化して言うことはできますが、そこには調理法や文化は含まれていません。同様に、例えば落語を「ストーリーテリング」「ジャパニーズ・トラディショナル・コメディー」と言うことはできますが、その言葉に集約できない要素が幾つもある。僕は一橋大学で留学生に授業をしていますが、彼らに能、狂言、落語、歌舞伎を説明する時に一番苦労するのが落語です。まず、パフォーマーがずっと座っているスタイルにも特徴があり過ぎるし、内容も笑わせる話から怖い話まで多種多様です。だからこそ、多くの人が楽しめる芸能に仕上がっていると思っています。
- 確かに「ジャパニーズ・トラディショナル・コメディー」と翻訳してしまうと、滑稽噺だけに限定されて、人情噺などに象徴される落語の重要な要素が抜け落ちる気がします。
- 多くの人は教科書的な「ジャパニーズ・トラディショナル・コメディー」と説明すると思います。でも例えば、人情噺や怪談噺など、トリ(最後に主役として登場する出演者)が口演する噺の中には喜劇と言えないネタも多く、それを周辺的なものと位置付けるのは無理があります。立川談志は「落語とは人間の業の肯定」と説明しましたが、これは割と本質だと思います。落語は人間の業を「良くない」とも言わないし、「良い」とも言わない。「そういう気持ち、あるよね」というのを自覚させるだけの芸能です。「怠けたいよね」「酒飲みたいよね」「嫉妬の気持ちってあるよね」「殺したいヤツいるよね」……などなど。極端に言うと“俗物”と言われるような人間の業や欲を「礼賛」すると破綻するので、その一歩手前にある「庶民の気持ちを撫でること」にとどまって肯定するのが落語なんじゃないか。笑いは目的ではなく、あくまで大きな要素なんです。
- 一説では、仏法を面白おかしく解いて聞かせていた安土桃山時代の僧・安楽庵策伝が落語の元祖と言われています。江戸時代(1603年〜)になって京、大坂、江戸に職業としての落語家が誕生し、今につながる「話芸」が生まれました。
- 落語のはじまりについては歴史的な説がいくつかあり、そのひとつが仏教説話です。お坊さんがただ真面目に宗教的な話をしても面白くないので、一般の人も興味をもって聞けるよう、面白い要素を入れた。話の内容は「こういう目に遭った人がいるよ」というのに止め、聞いた人に受け止めさせる。間接的な教育にもなっていたと思います。
人に何かを伝えようとする時、伝えたい人の方を向いて、人の目を見て喋るのが通常だと思いますが、面白いのは、落語は話者が聞き手に直接語りかけるものではないということです。A、Bという人物が喋っている様子を独りで再現してみせる──今で例えると、テレビの再現VTRのようなことを話者がひとりでやってしまうスタイルです。噺によっては登場人物が3人、4人と出てくるものもあり、増えれば増えるほど難しくなる。観客の胸ぐらを掴んで、「俺の話を聞け!」というやり方ではないので、噺の中にどういうメッセージを込めるかにもよりますが、押しつけがましくないんです。聞き手が自分で発見するように仕向けられている。 - 確かに「スタンダップコメディー」は観客一人ひとりに語りかけていきますが、落語はそういう演出ではありませんよね。演出のことで言えば、日本人は見慣れていますが、外国人には落語家が着物を着て座布団に座ったまま動かないことや、手ぬぐいや扇子をいろいろなものに見立てて演技(仕草)をするのは不思議に映るかもしれません。
- 何もない空間で座布団の上で喋る「素話」という今の落語の型を確立したのは、落語史を語る上で欠くことのできない重要人物のひとりである三遊亭圓朝(1839-1900)です。それまでの落語では、歌舞伎のパロディ的な要素もあるため舞台装置を置くものもありました。有限から無限を生み出す表現形態は、能や狂言を始めとした日本の古典芸能の特徴と言えますが、素話も同じで、下半身の動きを省略し、舞台装置もなくし、極力余白をつくることで想像の余地をつくるものです。小道具は手ぬぐいと扇子だけ、仕草、演じ方によって煙草やお箸などいろいろなモノに見えてきます。
着物については、過渡期には洋装でやろうと試みた人もいたと思いますが、そうすると明治より後の話しかできない。洋服は時代によってデザインも変化しますし、イメージを固定化してしまう。想像の邪魔にならず、「なるべく意味を持たない衣装」として着物が最適だったということだと思います。上方落語は大道芸として発達した歴史があるので、人々の注目を集めるために鳴り物が入ったり華美で派手な着物を着る文化がありましたが、江戸落語は黒のみ。江戸は寄席やお座敷で密室芸として発達したので、色で人の気を惹くことは邪道とされていたようです。なので昔の名人は黒紋付や、華美な彩色の着物を着ていません。 - 落語は男性も女性も一人で演じ分けますし、いろいろな役をひとりで演じるのでイメージを固定しない着物は確かに便利だと思います。役の扮装をしないで踊る日本舞踊の「素踊り」にも通じるものがありますね。ちなみに上方落語と江戸落語では噺の傾向、スタイルにも違いがあります。
- ありますね。噺には、江戸で言う“粋(いき)”、上方で言う“粋(すい)”という美学が反映されていますが、基本的に上方は華美で煌びやか、賑やかで明るい噺が好まれます。それに対して江戸では、格好良い生き方を良しとする美学が好まれることが多いです。その違いが端的に表れるのが、お金の扱い方です。例えば、江戸落語『文七元結』は、金を失って身投げをしようとしていた見ず知らずの男の命を助けるため、自分の娘を売った50両を差し出す父親の話ですが、要はお金に縛られない生き方を描いている。上方はやはり商人の町なので、見ず知らずの人に無担保で50両、しかも娘を吉原に売ったお金を差し出すのは人としてあり得ないので、噺が根付かないわけです。
- 落語の演目には江戸時代から語り継がれている「古典落語」と、大正時代以降にできた噺や、日々落語家が創作している「新作落語」があります。
- おそらく高座でヘビーローテーションでかけられてる古典の演目は250〜300ぐらいあると思います。落語における古典の楽しみ方は、言うならばシェイクスピア作品と同じです。観客がプロットと見所をある程度共有していて、「今回の『真夏の夜の夢』はどう演出するのか?」「今回の『ハムレット』は誰が演じるのか?」というように、それが自然と鑑賞の物差しになっている。
例えば『芝浜』を例に取ると、「3代目桂三木助は海まで行く道中の描写がリアルである。朝日のまぶしさ、冬に海の水で顔を洗う寒さが見事に表現され、今は消えてしまった風景を話に閉じ込めた……」みたいな言い方がされるわけです。その上で現代の落語家さんの演技を見て、「誰々の『芝浜』は、道中は割とサッパリやっていたが、この演出もありだな」といった感想を語り合う。要は、物語というよりは、演出や解釈を楽しむために古典が存在している。古典という物差しがあるから、演者の個性や力量を味わうこともできます。 - そうした古典落語はどのようにして現代まで伝えられてきたのでしょう。
- 落語家さんが古典を高座にかけるためには、その前にいわば師匠から“噺を貰う儀式”(口伝で噺を習うこと)が必要です。貰うのは自分の直の師匠からでなくてもよくて、習いたい演目をもっている師匠に「稽古してもらえませんか」とお願いし、稽古を付けてもらう。それを覚えて、習った師匠の前で演じ、許可が出たら初めて高座でできるようになります。かつてはとても厳しく守られていましたが、今では記録メディアで覚えてしまうこともゼロではなく、こうした慣習も薄まってきています。しかし、師匠に教わって許可を得てやるというのが基本だと思います。そして教える側は無償で教えなければならない。そうやって自分が前の世代に貰った噺を次に繋げていくという文化が、現在も継承されています。
- 「新作落語」「創作落語」はどのような状況にありますか。
- 本当に笑わせることに重点を置いてつくる落語家さんもいれば、新作で今の時代の空気感を伝える人もいる。あるいは古典にない人間の行動や心理を落語に込めたいという人もいます。また、誰でも語れる噺をつくりたい人、逆に自分にしか演じられない噺をやりたい人もいて、「良し」とする噺の基準が落語家の数だけあるのが現状だと思います。数少ない古典をシェアしているので、古典に新しい演出を付ける人もいますし、個性がないと生き残っていけないので他の人がやらない噺の奪い合いにもなる。そう考えると、これから新作をやる落語家さんはもっと増えていくと思いますし、それらが古典化していくことにもなるだろうと思います。
- そもそも落語家さんは師匠を決め、その弟子になるところからはじまります。上方落語(大阪)と江戸落語(東京)では制度が異なりますが、東京では師匠に入門を許されると前座見習いとして修行します。そして師匠の許可がでてはじめて前座としてプロの団体に所属し、寄席の楽屋に出入りできるようになる。そこから二ツ目、真打ちと昇進していきます。
- 所属する団体によりますが、今は楽屋に入るまでに1年ぐらい待たされる人もいて、楽屋に入って前座として3〜4年。つまりトータル4年前後で二ツ目に上がれることになっています。真打昇進試験があった時代もありますが、今は落語家になりたい人の数が多く、昇進を認めないと下が詰まるので、基本的にシステマチックに昇進し、13年〜15年くらいで真打ちになる人がほとんどです。
- 落語家がホームグラウンドにしているのが「寄席」です。天保期の江戸市中には700軒もの寄席があったと言われています。現在の東京には、新宿末廣亭、鈴本演芸場、浅草演芸ホール、池袋演芸場という4つの定席(365日落語を行っている寄席)と、他に国立演芸場があります。定席では、昼の部、夜の部の2部制、上席・中席・下席の月3回出演者入れ替え制で興行が行われています。前座の落語からはじまり、漫談や奇術などの色物と呼ばれる演芸を挟みながら、二ツ目、最後に登場するトリの真打の落語まで毎日楽しむことができます。
- 寄席は、いつ行っても何かやっている、エンターテインメントのコンビニエンスストアみたいなもので、ラジオやテレビがなかった時代のメディアそのものでした。寄席は江戸、京、大坂といった大都市にしかなく、地方から来た人がいわゆる共通言語を学習する、つまり落語家が喋っている言葉が江戸弁で、恥をかかないために江戸弁を聞きに行くといった意味合いもあったようです。
現在の定席のプログラム(番組)は1部が4時間で、ひとりの持ち時間は基本15分ぐらいです。最後を任されるトリだけは30〜40分ぐらいとちょっと長い。トリを任されるというのは栄誉あることで、プレイヤーとして目指すステイタスになっています。初心者は番組を頭から最後まで全部見なきゃいけないと思いがちですが、どこで入ってどこで抜けてもいい。どのタイミングで入っても楽しめるように、色物が挟んであります。
落語はあくまでお客さんが想像することで成り立つ芸能で、お客さんと一緒につくり上げるという共同作業があってはじめて“作品”になる。演者は1席やれば終わりですが、お客さんはずっと居るので演者よりも疲れてしまう。脳味噌を使わなくても楽しめる時間をつくり、少し休憩を取れるようにというのも色物の役割だと思います。
ちなみに、今日では一般のホールなどでもさまざまな企画で落語会が催されています。寄席はどちらかというといろんな種類のお惣菜を味見して、自分好みの味を見つける場所。そこで好きな味(落語家)がわかったら、今度は目当ての落語家さんが出演する落語会でおいしいところをたっぷり味わっていただけます。 - 定席には落語に詳しい席亭(寄席の経営者であるプロデューサー)がいて、東京だと4つの定席の席亭が集まり、団体に所属する落語家さんから上席・中席・下席の出演者を選び、全体のプログラムを組んでいます。
- 寄席の役割としてお話ししておきたいことのひとつが、落語家を育成するシステムになっているということ。単純に目先のお客さんを集めるというのではなく、落語家さんにまず寄席で高座数をこなして体力をつけさせ、自分の個性を見つけて40代ぐらいまで研ぎ澄まし、50代〜60代になってお客さんを呼べる人になってくれればいいという、長期的な育成システムとして機能している。寄席にはそういう将来的な投資の意味での番組も存在しています。
- 現在、落語家は東西合わせて約800人以上、江戸時代以降で最高数となっています。なぜこんなに増えたと思われますか。
- 理由はさまざまですが、まず単純に、世間の落語に対するイメージが“悪くない”んだと思います。僕が落語を聴き始めた90年代は、落語は年寄りのものという社会的なイメージも強く、「終わる芸能を見届ける」という思いでした。他にも面白いエンターテイメントが沢山あるのに、若者が「落語が好き」と言うと、「なぜ?」と問われて、なぜ好きかを常に説明しなければならなかった。ただ、2000年代に入り、落語家を主人公とした映画やTVドラマが複数生まれ、最近だと「昭和元禄落語心中」という漫画になるなど、メディアミックスで落語が扱われることが多くなった。そこで落語そのものだけではなく、落語界に生きる人たちの人間ドラマが描かれることによって、悪いイメージが払拭され、社会的認知が向上し、興味を持った人が入門しやすくなったと思います。
- 2000年代に入って何度も落語ブームが来ています。他の伝統芸能に比べて、現代性を取り入れるのがうまい芸能だということもありますよね。
- 芸術性と大衆性の両面があり、今も「大衆芸能」であり続けているんだと思います。古典であっても、一言一句完璧に復元しなくていいという幅もある。演者の中には落語を道案内に例える人が多いのですが、大事なのは目的地、あとは「最初の角を左に曲がって次の2つ目の角を右に曲がる」ことぐらいで、その基本を守れば古典であるという、幅を許してくれる芸能なんです。冒頭に「落語は庶民の気持ちを撫でる芸能である」と言いましたが、時代、時代で人の気持ちは変化する。人が変われば落語も変わる。時代の変化に敏感に反応し、進化し、生き延びてきた歴史があるので、伝統芸能の中でも一番最後まで残るだろうと予測します。
- 伝統芸能の場合は、「こうでなくてはいけない」ことも多いです。
- 保守化するとプレイヤーを選んで次第にストイックになっていくし、表現する幅が狭くなりますから。そうやって深化する芸能もあるでしょうが、落語はそうじゃない。もちろん、プレイヤーによるこだわりはあり、「最初の角を15歩で右に曲がりなさい」という人もいます。でも比較的、多様性が認められている芸能だとは思います。
- 現代性に敏感な落語家さんも、伝統にこだわる人もいる。プレイヤーの数だけ選択肢があるということでしょうか。
- そうですね。キャリアをどう形成するか、マーケットをどう観察するかで、その落語家さんが選ぶ道が分かれるということでしょう。僕は、現代の落語家はみんな、立川談志が構築した「落語にはテーマがある」「枕で現代に接続する」という考え方の影響下にいると思っているので、談志以前/以降を比べるだけでも落語は大きく変化したと思います。例えば90年代の寄席では枕を振る人はそんなにいなかったし、師匠から教わった通り一言一句違わずやるという人がほとんどでした。ここ数十年だけ見ても空気が変わり、「もっと個性を発揮すべし」という時代になり、多様性が広がっている。前は12色しかなかった色鉛筆が、今は48色ぐらいになっている感じがします。
- そもそもタツオさんが落語と出会ったのはどのような経緯だったのですか。
- 大学1年の時に落語研究会(落研)にうっかり入ってしまったのが、生の落語との出会いです。内田百閒の研究をしようと早稲田大学文学部に入り、「百閒や夏目漱石の小説に出てくる落語を見とくか」ぐらいの気持ちで何となく入った。それが、古今亭志ん朝師匠、立川志の輔師匠を見た時に、「めちゃくちゃ面白い」と思った。特殊な教育を受けたわけでもない18歳の自分でもすぐに理解できて楽しめたから、同世代の人でも絶対に楽しめるすごい芸能だなと思いました。それで「みんな見るべきだよ」と言ったのですが、「え? 落語?」みたいな感じで、すごい差別と偏見に遭った(笑)。それから誰にも落語が好きとは言わなくなりました。
- タツオさんは、漫才師「米粒写経」としても活動されています。落語家を志す道もあったかと思いますが、なぜ漫才を選ばれたのですか。
- 落研で「落語だけやるのも面白くないから色物もやろう」ということで、サークルの先輩だった今の相方と漫才をやりました。学内だけだと面白くないので、「一般のお客さんに見せるお笑いライブで力を試したい」と思い、当時、浅草キッドさんが毎月やっていたライブでネタ見せをする若手を募集していたので、応募しました。「また来月来るように」と言われて続ける間に、なりゆきで芸人になってしまったというか、「辞めます」と言うタイミングがなくなっちゃった(笑)。落語はプロになると人の高座を正面から見られないのと、やりたいと思わなかったこと、そして正座に耐えられないということなど、「やらない理由」のほうが圧倒的に多いですね。どっちかというと、落語に関してはいろんな人のを正面から聴ける観客のほうがいいです。
- 2014年にタツオさんがキュレーションする初心者向けの定期落語会「渋谷らくご」がスタートします。これは80年代のミニシアターブームを牽引した映画館「ユーロスペース」が、2006年に渋谷の桜丘町から円山町に移転し、14年から新たに運営をはじめたライブスペース「ユーロライブ」の事業です。
- 「ユーロスペース」の代表であり、映画プロデューサーでもある堀越謙三さんに依頼されたのがきっかけです。渋谷にはかつて創作落語会もやっていた「ジァン・ジァン」という小劇場もありましたし、「東横落語会」という伝統ある落語会もありました。でも今や渋谷は文化を発信する場所ではなく、ただ人が集まる場所になってしまったのではないか。そういう懸念を抱いた堀越さんが、キャリアの最後に劇場をつくろうと、14年にオープンしました。堀越さんはすごく落語が好きな方で、定期落語会をはじめる企画が動き出しましたが、現在の若い落語家までは把握しきれていなかった。それでとある人に僕が紹介されてしまい、「やるしかない」状況に追い込まれてしまったんです(笑)。
演者が演者を選別するというのは本来は許されない。角しか立たないですし、正直に言ってやりにくいです。なので「渋谷らくご」に関して、僕は演者ではなく、あくまでスタッフのひとりだと思って取り組んでいます。落語会をよく打っているイベンターに委託することもできたと思いますが、そうすると特定の団体に所属している落語家さんだけが呼ばれる可能性もあります。それがしがらみを生むことを堀越さんはきちんとわかっている方なんだろうと思います。中立的な人物を選んだ結果、僕になったのではないでしょうか。ただ、落語家さんとしては僕との接し方をどうしたらいいか、困っているかもしれませんね。特に僕からはどうしてほしいとも伝えてないですし。
「キュレーション」という言葉はわかりにくいのですが、今イキのいい落語家さんは誰なのかを紹介してほしいという意味だと理解しています。原則的には渋谷らくごは月に34高座ありますが、僕が落語家さん全員に連絡しちゃうとスタッフが育たないですよね。当初、落語家さんの名前すら読めないような状況でしたが、スタッフのみなさんを教育しようというところからスタートしました。推薦した僕が現場にいないのでは演者さんに申し訳ないし、誠意を尽くしたいので、責任を取る立場として現場には入るようにしています。 - 「渋谷らくご」は二ツ目の若手中心で、お客さんも初心者がターゲットです。このコンセプトはタツオさんのアイデアですか。
- 落語会のマーケットは既に飽和状態で、いろんなニーズに対応するものが多数存在しています。加えてユーロライブは円山町という渋谷の奥まった所にあり、駅からのアクセスは決して良くない。特に伝統芸能が好きな人からすると渋谷はあまり足を運ばないエリアなので、保守層には「落語は聴きたいけれど、渋谷だから嫌」という人が結構いるわけです。という中で、既存の落語ファンにアプローチしても、それほどリターンが得られない。他の落語会にはない意義を立てるしかないと思いました。
そこで、才能はあるけど寄席ではそれほど出番がない、ホール落語に呼ばれるほど知名度はない、けれども腕がある二ツ目たちに注目しました。また、“初心者向け”と謳っている落語会も存在しなかった。落語家の数は増え、落語の認知度も向上し、潜在的に興味がある人はいるのに、最初の一歩を踏み出せるような場所がなかったんです。これは当然と言えば当然で、“初心者向け”と謳うと既存の落語ファンは誰も来ないので、リスクしかないですから。でも、「大学生の頃の僕に見せたい落語会をつくればいいんだ」と思いました。最初は苦戦しましたが、今では落研の大学生たちが新歓で「渋谷らくご」に来てくれる。そういう形で落語会の意義が構築できたことは良かったと思います。 - 通常、定席では15分ですが、「渋谷らくご」では30分が与えられるというのは若い落語家さんにとって大きな経験だと思います。「渋谷らくごだから」とか、「初心者の前だから」というモチベーションもあるのではないでしょうか。
- そうですね。初心者に向けるというのは、落語というジャンルが試される部分もあると思います。当初、楽屋の皆さんの様子を見ても、ネタ選びや語り方に、ものすごい神経を張り巡らせているのを感じました。例えば、柳家喜多八師匠のようなベテランも、毎回アンケートを確認し、新しい人の前で落語を演じることの意味を見出していた。そうした方が楽屋にいれば若手にも伝わります。そういう意味で、本当に初心者がいるかどうかはともかく、「初心者向け」と謳うことによって、ネタ選びに対する影響は大きくあったと思います。僕自身、「99人の落語を知っている人よりも、1人の初心者を優先してください」と言っています。99人にとっては聴き慣れた噺の確認作業になっても、初めて聴く人が確実に面白いと思ってくれる演じ慣れた面白い話をやってほしい。もちろん、その通りにやってくださるかは演者にお任せしていますけれど。
- 研究家として「渋谷らくご」で発見できたこと、再確認できたことはありますか。
- 落語は「寝てもいい」と、「全てがわからなくていい」ですかね(笑)。「寝てもいい」というのは、イビキは立てちゃいけないですけど、古典は寄席で途中から入ったり、居眠りから目覚めて起きた時に、「あの話のここね」って一発でわかるように設計されているんです。「これは『子別れ』で、子どもがお父さんに会って、今はどういう生活をしているか尋ねているシーンだな」とか、「『鰻の幇間』で鰻屋に入ったところだな」というのが直ぐわかる。ログインが速い。なので、自由に出入りできるぐらい古典落語のことを知ってしまったら寝てもいいということです。
そう言うと「知っててなんで見るの?」という人がいます。それについては立川志の輔師匠が、「落語というのは脳のスポーツで、例えばテニスをしている人に『なんでボールを打ち返すの?』と聞く人はいないでしょ」と明快な回答をされています。ボールが来たら打ち返す。落語も目的地がある散歩みたいなもので、「ここを右に曲がるんだなあ」とか、「2つめの角にたばこ屋があってそこを左に曲がるんだ」とか、すっかりわかっているけれど同じ道を歩く作業。これはもう脳のスポーツなんだと。サッカーやテニス、バスケットをやってる人に「(同じルールを繰り返して)なんで飽きないの?」って言う人はいないですもんね。 - 「全てがわからなくていい」はどういう意味ですか。
- 人は未知なものに触れる時、つい勉強しようとするし、ちょっとしたことがわからないと自分を責める人が多いんです。でも、最初から全部わからなくていいんです。どういう意味だろう?と考える、それだけでも貴重な時間だと思います。わからない方が印象に残るし、落語家さんは全部がわからなくても理解できるような演じ方をしてくれています。でも勉強すると、話を細かく覚えようとしちゃうんです。それはあまり面白い楽しみ方ではなくて、最初は「あんな話があったなあ」ぐらいボヤッと覚えておいて、1年ぐらい経って「あれ、そういえば去年、この話、聴いたことあるかも」と思いながら聴くと、もっと面白い。で、3年目ぐらいになると、「ああ、この話は知ってる。でも前の演者のほうがちょっと面白かった。なんでだろう?」と楽しみ方が変化していく。なので、1回目から完璧に覚え過ぎちゃうと、長く楽しめないんです。
古典というのは春夏秋冬という日本の四季に合わせて存在していて、リラックスしながら、一年中、一生楽しめるようになっている。「どんな話も無駄な一席はないな」と、最近は強く思います。 - 新型コロナウイルス感染症のため日本では4月7日に緊急事態宣言が発令され、5月25日にやっと解除されました。東京の定席も3月下席の途中から休席になり、6月の上席からやっと営業を再開しました。3月下席は今年新たに昇進した新真打ちの襲名披露興行が行われていましたし、みなさん大変辛かったと思います。そんな中で、落語家さんたちはこれまで以上にYou Tubeなどでのライブ配信に取り組み、また、鈴本演芸場も6月に「鈴本演芸場チャンネル」を開設し、インターネットでの無料配信をはじめました。「渋谷らくご」も新型コロナの影響を受けて公演を中止し、再開してからは席数を減らしたライブと有料のライブストリーミング配信の両方を行う新たな形態にチャレンジされています。
- 3月は2週目まで通常どおりの公演をしましたが、その翌週ぐらいから「もうマズイな」という空気になってきた。緊急事態宣言が発令されるとわかり、すでに番組を組んでいた4月公演の中止を決意しました。それで無観客で1公演だけ有料のライブ配信をやりました。それが、橘家文蔵師匠、柳家小せん師匠、入船亭扇辰師匠の高座とライブ演奏がある「三K辰文舎」です。この時、はじめてライブ配信をするために必要なオンライン環境の確認や、カラオケを使わない生演奏の動画配信に関する音楽著作権の申請方法、許諾をもらうのにどのぐらいの時間が必要かなどについてチェックできました。また、どの配信サイトを使うか、どういうチケット販売方法がいいのかも吟味しました。Vimeoが一番画質も音質も良いので、このときに試しました。有料でしたが、普段より大勢のお客さんに観てもらえましたね。YouTubeは無料のインフラでとても便利ですが収益化が難しいです。また課金も落語に集中できないのではないかと思いました。渋谷らくごとしては、宣伝するよりは、まずは求める人に落語を提供できる状態をつくり上げておくこと、そして演者さんに可能な限り安全を確保したうえで高座の機会を提供することを心掛けました。
- 5月は無観客でしたが、「渋谷らくご」全てのプログラムを有料ライブストリーミング配信として再開しました。
- まず、そもそも演者さんが都内を移動できるのかどうか、一人ひとりに確認を入れました。実際、「家が遠い」「年老いた親と同居しているので出演できない」と言う方もいました。「行きたいけど行く足がない」という人には、「車を出そう」など、ひとつひとつ相談しました。
5月に全高座を配信してみたら、送り手と受け手、どちらにもインターネット環境の不備や問題があることがわかりました。問い合わせ窓口をつくったら、「インターネットの立ち上げ方がわからない」「URLがわからない」「メールの受け取り方がわからない」など、電話がかかりっぱなし。お客様サービスセンターのようになって、その対応に人手を取られ、精神的にもかなり削られてしまった。インターネット接続は夕方の6時から7時台が一番混雑するので、この時間で配信するには大掛かりな工事が必要だということもわかった。この月は失ったものも多かったけど、発見も多かったです。 - 6月は緊急事態宣言が明け、客席を減らして観客も入れ、同時に配信するというハイブリッド型でした。
- 5月の反省を踏まえ、公演2日前に大規模な工事が間に合って、送り手としての環境の問題は解決しました。1日だけYouTubeで無料配信し、後は有料ライブストリーム。アーカイブは24時間のみにしました。アーカイブは収録の放送や、DVDで見てもらうのと変わらない。生の落語の魅力は時間の共有だと思うので、僕は長期のアーカイブに関しては慎重派です。
6月になると世の中的に配信が飽和状態になっていきました。その結果、有料より無料の方が視聴が増える。無料でやったら次はアーカイブしてくれと言われる。そうやってお客さんの声に合わせていくと、結局、「タダでずっと置いとけ」になってしまう。そうなると演者さんに還元できない、出演料が払えなくなるわけです。ものすごく大勢の人に見てもらえて、褒めてもらえて、アーカイブもされれば一時的な快楽は得られる。一演者がそれをやる分には良いかもしれませんが、全体がそうなると業界全体が低迷するので、有料の生配信にこだわりたいと思いました。春風亭一之輔師匠や古今亭菊之丞師匠、神田伯山先生、そして鈴本演芸場など、業界にとってもアイコンになるような存在がやる分には大賛成ですが、うちのようなところがやるのは良くないのではないかと思いました。そんな中、何をやるべきかを考えました。この春に昇進した落語家さんたちは、お披露目の落語会が全て中止になってしまっていました。それでこの混乱の中で彼らが一堂に会するような場所にしようと、6月は「顔見せ公演」にしました。 - 緊急事態宣言の間いろいろな演劇のライブストリーミングを見ましたが、演劇は役者が動き、観客は好きなところを追うので、編集された映像は生と比較すると物足りなさの方を感じることが多かった。それに対して、生の高座でも観客の視点がある程度固定されている落語は、ただカメラを正面に置くだけでも成立し、配信にとても親和性が高いと思いました。
- そうなんです。これは本当に圓朝に感謝しなきゃいけないのですが、下半身の動きを省略し、お客さんが想像することで世界を広げていく芸能に落語を設計してくれたおかげです。落語家さんがせっかく上下(カミシモ)を振って演じているのに、落語でカットを切り替えたりするとお客さんが画面酔いしてしまう。背景のセットも想像のノイズにしかならない。落語はインターネットでそのまま中継しても固定カメラ、黒い背景で成立します。6月はお客さんを入れたので、オンラインの視聴者も、生のお客さんと演者でつくった作品を観ることができた。そういう意味では、もしこの状況が1年、2年続くのであれば、今のハイブリッド型がひとつの回答かなと思っています。
- 翻訳の問題はありますが、オンラインは落語を海外に知ってもらうためにも有効です。
- 落語は海外の人にこそ見てもらいたい表現方法の宝の山です。お金を取る芸能なのに、プレイヤーがずっと座ってるってどういうことだ?とか(笑)。どんな教訓があるのかよくわからない噺もたくさんあるし。ただ読み書きができない人たちが集まって「これ何て読むの?」って言ってるだけで15分終わっちゃったり(笑)。そういう落語の持つ不思議なオリジナリティは、海外の人にも新鮮に楽しんでもらえると思います。