JPネイザン

創造都市を標榜するシンガポールの巨大文化拠点
「エスプラネード」のプログラム編成部長に聞く

2007.07.30
JPネイザン

JPネイザンJP Nathan

エスプラネード プログラム編成部長
国家としてのブランドを確立し、経済的競争力を高めるとして、国を挙げて文化・芸術を振興する「ルネッサンス・シティー」プロジェクトに取り組むシンガポール。1987年に政府に提出された「文化と芸術に関する諮問委員会報告書」をきっかけにナショナル・アーツカウンシルが設立されるなど、芸術振興制度の本格的な整備が始まり、2002年10月には東南アジア地域最大規模を誇る劇場コンプレックス、「エスプラネード──シアターズ・オン・ザ・ベイ」(以下、エスプラネード)が建設される。市内中心部、マリーナ・ベイ地区の6ヘクタールに及ぶ広大な敷地に建設されたエスプラネードは、その形が似ていることから通称「ドリアン」と呼ばれ、2005年度の公演数は1,915公演(有料公演637、無料公演1,278)、総入場者数は約14万5千人という、シンガポールの舞台芸術マーケットシェアの30%を占めるまでに成長した。

東南アジアにおける文化ハブとして名乗りを上げたシンガポールを象徴するエスプラネードのプログラム編成部長を務めるJPネイザン氏に、その運営戦略について聞いた。
聞き手:滝口健
まずは、ネイザンさんご自身の経歴、エスプラネードに関わられるようになった経緯などからお話いただけますか。
私は、1970年代の後半ぐらいからアートの業界に関心をもっていましたが、当時のシンガポールでは、アート、特に演劇については職業として確立されていませんでした。当時私は英文学の教師としてキャリアをスタートしました。
90年代になって英文学の修士号を取得したころ、ちょうどエスプラネードの設立プロジェクトがスタートしました。シンガポールを文化的に活気あふれる都市とすることを目的に、87年に「文化と芸術に関する諮問委員会報告書」が政府に提出されましたが、その報告書でナショナル・アーツカウンシルの設立とともに、新しいアーツセンターの建設が答申されたのです。当時は「シンガポール・アーツセンター」と呼ばれていましたが、それが現在のエスプラネードで、運営は民間の活力を導入するために、いわゆる「国立劇場」とするのではなく、民間会社を設立し、そこが運営するという形態になりました。これは、公的性格の機関の民営化という世界的な流れを先取りしたものといえます。運営会社は92年に設置され、1997年には「エスプラネード株式会社」と改称されました。
アートへの関わりを続けたいと考えた私は、1997年にこの会社に入りました。ですから、もう10年近くここで働いていることになりますね。つまり、私はエスプラネードの創立メンバーの一人ということになります。
プロジェクト開始前には、エスプラネードのビジョンに関して、シンガポールのアーティストたちと議論を行う場が設けられたと聞いています。彼らからのインプットで重要だったのはどのような点だったのでしょうか。それからどのような意見が実際に反映されたのでしょうか。
国内のシアター・コミュニティからのインプットは、2つの点で重要であったと思います。まず第1がアジア的な要素の導入という点です。これは建物の設計においてだけではなく、プログラム編成の考え方についても反映されています。
もう1つは地元のアーティストが使うことのできる施設の必要性が強調されたという点です。エスプラネードには、大劇場、コンサートホール、シアター・スタジオ、リサイタル・スタジオの4つの施設がありますが、仮に大劇場とコンサートホールしかなかったとしたら、エスプラネードを使うことができる国内のアーティストは非常に限られた人たちになってしまったと思います。小劇場やスタジオがつくられたのはこうしたアーツ・コミュニティからの意見によるものです。
エスプラネードは単なる劇場ではなく、劇場、ショッピングモール、そして図書館などのパブリックスペースが巧妙に組み合わされた複合施設としてデザインされ、多くの人々が集まる賑わいのある場所になっています。これは当初から意図されたコンセプトだったのでしょうか。
ええ、計画当初、私がエスプラネードに加わった10年前からそのように考えられていました。単なる劇場にはしたくなかったのです。公演の前後にも人々が集まる場所をつくりたいと考えました。
現在はプログラム編成の責任者として活躍しておられるわけですが、エスプラネードのプログラム編成はどのように行われているのでしょう。
エスプラネードでは非常に幅広いプログラムを提供していますが、これは「エスプラネードは全ての人々のためのアーツセンターである」という、我々の設立理念の反映であるといえます。エスプラネードのプログラムには、我々自身が企画・制作する「主催公演」と、我々以外の団体が制作する公演がありますが、主催公演として行っているのは、(1)様々な形態・対象で実施される「フェスティバル」、(2)継続的に実施することによって観客・アーティスト双方の発掘および能力拡大を目指す「シリーズ」、そして(3)無料、あるいは低料金で実施し、観客層を拡大することを目的とした「フリー/アクセス・プログラム」の3つです。
シンガポールにおけるアーツセンターというものを構想していたときには、当然のことながら皆が理想を抱いていました。ニューヨーク、ロンドン、あるいは日本などの状況を見てみますと、非常に多くの劇場やアーツセンターとスペースが存在します。例えば、ロンドンである種の演劇を見たいと思えばサウス・バンクのナショナル・シアターやバービカンへ出かけるでしょうし、より商業的な演劇が見たいと思えばウエスト・エンドへ行くことになるわけです。しかし、シンガポールではそうした環境は整っていませんでした。
ですから、私たちは、公的な資金を使ってすべての人々のために建設されたエスプラネードは全ての人々のものとならなければならないと考え、様々な人々のための多彩なプログラムを提供することにしました。
もう一つ重要なのは、シンガポールが多民族社会であるということです。これはシンガポールが他の多くの国と比べて異なっている点です。「エスプラネードは全ての人々のものなのだ」というのであれば、それがある特定の民族に属するようなことにならないように十分配慮しなければなりません。ですから、「全ての人々のためのアーツセンター」という私たちの哲学は、決して表面的なものではなく、インド、マレー、中華といった、シンガポールの主要な民族の伝統を祝うフェスティバルを数多く実施しています。我々はシンガポールで暮らす全ての民族、そしてコミュニティのためにプログラム編成を行う必要があるのです。
エスプラネードのプロジェクトが始まった頃には、シンガポールにはそれほど劇場がなかったというお話でしたが、2007年の現在ではかなり多くの劇場が存在するようになりました。エスプラネードがオープンした02年以降だけでも、大小の劇場がいくつかオープンしています。シンガポールの芸術産業全体を俯瞰して、エスプラネードをどのように位置づけておられますか。
この質問にお答えするには、若干異なる視点から見てみる必要があるでしょう。ドラマセンターやヴィクトリア劇場といったシンガポールの劇場施設は、そのほとんどが貸館のためのものであり、プログラム編成のための部門を持っていません。エスプラネードを計画していた時に最初に決めたことは、この劇場を貸し小屋にはするまい、ということでした。プログラム編成を自分たちでコントロールすることができなくなるのを恐れたのです。
ひとつには、プログラム編成の能力がなければ、「全ての人々のためのアーツセンター」という我々のビジョンを達成することが不可能になるからです。例えば、中華系の劇団からの申し込みしかなかった場合にはどうしたらいいのでしょうか? 他の民族に対する配慮も欠かせませんので、プログラム編成をコントロールできなければ、その場合はどうすることもできないでしょう。
第2に、プログラム編成によってアイデンティティ、あるいはキャラクターを確立するということがあります。確固たるアイデンティティなくしては、新しい建物を「アーツセンター」にすることはできません。アーツセンターは、そこで芸術・文化を創造することによって社会に対する責務を果たし、その責務を果たすことでシンガポールにとって重要な、必要なものとなるのです。受け身でいることは許されません。我々はシンガポールの文化を創造し、発展させていかなければならないのですから。
具体的には、エスプラネードのプログラム編成はどのようにマネージメントされているのですか?
我々のプログラムは多岐にわたりますので、1人のスタッフがこれら全てのジャンルに精通することは不可能です。ですから、ある者は実験的な演劇、ある者は50年代、60年代のポピュラーミュージックといった高齢者向けのプログラム、というふうに専門分野に分かれて対処しています。こうした専門性には中華系の文化に詳しい者、マレー系の芸術を専門とする者といった民族性に関わるものももちろんあります。我々のスタッフはそれぞれこうした専門分野をもっており、プログラムに応じてチームを組んで仕事をしています。
チームの大きさは、プログラムの性質に応じて異なります。大きなチームの中にさらに小規模なチームを置くこともあります。チームの編成は非常にフレキシブルに行われます。
現在、約20名のプログラム編成担当のスタッフがいますが、必ずしもアーツマネージメントの教育を受けてきているわけではありません。時には専門教育よりも情熱のほうが重要であるということもありますからね。エスプラネードは、シンガポール人のプログラムオフィサー、プロデューサーの育成という役割も果たしたいと考えています。プロデューサーに必要とされる能力は専門分野に関する知識だけではなく、ある種のマーケティング・センスも必要となります。現在、私たちは若いプログラムオフィサーを訓練している段階ですが、最終的には彼らがプロデューサーとして独り立ちしてくれることを願っています。
「フェスティバル」と「シリーズ」について聞かせてください。また、そうしたプログラムを編成する際に留意していることはありますか。
我々のフェスティバルは、いくつかのパートからなっており、それが組み合わさって構成されています。メインとなるプログラムについては、言うまでもないことですが、最高のクオリティの作品が必要です。それがどんなジャンルのフェスティバルであろうとも、私たちは国内外を問わず、上演可能な最高の作品を探しています。
しかしながら、我々は同時に、通常、劇場に足を運ばない人々についても考慮しなくてはなりません。アートは教養があり、洗練された人たち向けのものだと見なされる傾向にありますが、これまでも強調してきたように、私たちは「全ての人にアートを」という考え方を推進しています。そのため、あまり劇場に足を運ばない人たちを対象にした無料プログラムを用意するようにしています。また、フェスティバルの期間中は、できるだけ多くの地域住民が参加できるようにしたいと考えています。そのためにはワークショップや交流プログラムなどからなる教育部門が主要な役割を果たします。これら全ての要素が集まり、祝祭の雰囲気が作り出されるわけです。
フェスティバルの開催時期も重要です。例えば、「中華文化フェスティバル」は、中国の旧正月にあわせて実施しています。人々は文化遺産を──過去からのだけではなく、未来へつながる遺産を──祝福するために集まります。私たちがフェスティバルにおいて伝統芸能からコンテンポラリーまで様々な作品を提供するのもまさにこの理由によります。例えば、昨年の中華文化フェスティバルでは、台湾のクラウドゲート・ダンスシアターによるコンテンポラリーダンス、香港のズニ・アイコサヒドロンによる京劇を題材としたマルチメディア・パフォーマンス、シンガポールのトイファクトリー・シアターアンサンブルによる現代演劇、そして子ども向けには台湾の台原偶戲團による伝統的な人形劇といったプログラムを用意しました。
こうした広範なプログラムを用意するのは、先に述べたような「アートは一部の人々のものである」という思い込みを否定するためでもあります。「高級」な芸術と「一般」の芸術というような区分けを壊してしまいたいと思っているのです。私たちにとっての「アート」とは、常に「あらゆる人に向けたアート」をということのみを意味しているのです。
年間を通して「フリー/アクセス・プログラム」についてはいかがですか。
「フリー/アクセス・プログラム」には2つの目的があります。1つはアートを日常的に楽しむ観客の育成、もう1つはアーティストの育成、すなわち新進気鋭のアーティストを支援し、彼らの能力を伸ばすということです。
まず、観客の育成については、誰もがエスプラネードを訪れることができるようにする、ということを重視しています。チケットを購入する余裕がない人たちにも作品を楽しむ機会を持っていただきたいと、年間を通じて毎週金曜日に屋外劇場で無料公演を実施しています。また、日曜日の午後にメイン・コンサートホールで月1回の無料コンサートやランチタイム・コンサートを実施しています。
この他にも、主に高齢者を対象にしたシリーズ「コーヒーモーニング&アフタヌーンティー」を月曜日に実施しています。高齢者は、ともすれば終日、家の中に閉じこもりがちです。このコンサートは、彼らが外出し、人に会い、友達をつくり、そして1950年代〜60年代の歌を一緒に歌ったりする、よい機会となっています。
アーティストの育成については、若手のアーティストにエスプラネードでの有料公演の機会を提供する「レイトナイト@エスプラネード」をコンコース・エリアで月末に実施しています。このプログラムでは、同時に、若い観客の掘り起こしも狙っています。エスプラネードでは年間約1,200の無料公演が行われていますが、そのほとんどは地元アーティストによるものです。また、地下鉄とエスプラネードを結ぶ地下道にはビジュアルアートの展示スペースが設けられており、シンガポールの若手現代美術家に開放されています。これらは全て、地元アーティストを育成しようという取り組みの一環です。
主催以外の公演では、例えば、今年初めに上演された『オペラ座の怪人』の2カ月公演などの商業的なプログラムも行われています。
アーツセンターとして、全てのプログラムを自分たちで組んでしまおうとするのは有益ではありません。もちろん、ビジョンを実現するためには、他人に任せることはできない部分があるのは事実です。しかし、同時に、ミュージカルのように、きわめて大規模で時としてリスクの大きな作品の場合は、貸館として活用してもらうようにしています。エスプラネードが有力な劇場であると認知されるにつれ、こうした可能性も大きく開けつつあると感じています。
ミュージカル以外の分野においても、シンガポールでは多くのプレゼンターが育ちつつあります。健全なマーケットの発展のためにも、様々な主体によってそれぞれ異なる種類の公演が提供されるということは非常に重要です。きわめて商業的な公演を行う団体もありますが、公演が良質のものであり、きちんとオーガナイズされているのであれば、これも我々の「全ての人々のためのアーツセンター」という目的に沿うものであると考えています。
こうした外部のプレゼンターと共同で制作を行い、彼らの能力向上を支援するというケースもあります。例えば、シンガポールの劇団、ネセサリー・ステージが主催する「M1 シンガポール・フリンジフェスティバル」においては、彼らとの良好なチームワークのもとに共同作業を行うことができました。このように、外部の団体を支援することによって、業界全体の発展を助けたいと考えています。また、他団体と一緒に活動することにより、我々のプログラム編成に別の視点を導入することができるというメリットも大きいですね。
海外との関係についてうかがいたいのですが、現時点では、シンガポールは東南アジアにおいて唯一、海外からの公演を大規模に受け入れることができる国といえます。しかし、近年は近隣諸国でもいくつかの進展が見られます。将来において、東南アジアの関係団体・機関と協力することは可能だと思いますか?
もちろんです。実際、既に「リトルアジア・ダンス交流ネットワーク」というプロジェクトに参加した経験もあるのです。これは、香港アーツセンター、シドニーオペラハウスの小劇場、韓国のSIダンス、台北ダンスフォーラムなど、アジア地域の小劇場による共同制作でした。このプロジェクトでは、小規模なスタジオ公演作品を制作し、ツアーを行いました。
大規模なコラボレーションの例もあります。2004年に初演した、ロバート・ウィルソン演出による『イ・ラ・ギャリゴ』は、ミラノのチェンジ・パフォーミングアーツやインドネシアのバリ・プリナティ・アーツセンターなどの協力を得て制作された国際共同制作プロジェクトです。スラウェシ島南部のブギス人たちの叙事詩をベースにしたこの作品は、50名を超える出演者による約4時間の大作であり、シンガポール公演の後、アメリカ、オランダ、スペイン、フランス、イタリアへツアーしました。我々は小さな規模でも大きな規模でもコラボレーションを行っており、常にパートナーを探しています。もちろん、時期や予算などの問題は常に存在するわけですが。また、観客の要望に応えうるものであるかというのも大事な点です。
国際的な共同制作は、エスプラネードにとって重要な意味があるように思われます。2002年10月に劇場がオープンした際の記念公演、『月の回想』がシンガポール・ダンスシアターとインドネシアの振付家、ボイ・サクティとのコラボレーションであったのは象徴的だったと思います。
そうですね。あれは、エスプラネードのアイデンティティに関する、ある種の「公式声明」となったこともあり、象徴的な作品となりました。東南アジアにおける新しいアーツセンターとして、このような作品で劇場をスタートさせるということは、とても重要なことでした。これにより、きわめて効果的に、我々が何者であり、どこに生きているのかということを知らせることができたと思います。
シンガポール・ダンスシアターはコンテンポラリーダンスのカンパニーであり、一方、ボイ・サクティは伝統的な要素を強調する振付家です。その意味でも、この公演はあらゆる要素を含んでいたといえます。地域性、過去と遺産、そして現在の状況といったもの全てを、です。
2002年に実施した「オープニング・フェスティバル」では、他にもいくつかのコラボレーションがありました。シンガポール・レパートリーシアターの大成功したミュージカル『紫禁城』は英国との共同制作でしたし、音楽の分野では、シンガポール・チャイニーズオーケストラが中国のソプラノと共演しました。我々は、現在も国際共同制作に強い関心を持っています。
「オープニング・セレモニー」では、日本のアーティストのプレゼンスも目立ちました。劇団解体社はシアター・スタジオで公演を行った最初のグループとなりましたし、「オルターゾーン:ステート・オブ・マインド」と題されたコンサート・シリーズでは全6公演のうち、3公演で日本のアーティストがフィーチャーされていました。日本のアーツシーンをどのようにご覧になっていますか。情報はどのように入手されているのでしょうか。
アジアにおいて、日本の演劇は、他のほとんどの国よりも長い歴史を持っています。日本のパフォーミングアーツは、演劇、音楽、ダンスなど、あらゆる分野において非常に発展していますし、そこからもっといろいろなことを得ることができると思っていますので、今後もよい作品を探していきたいと考えています。
情報の収集については、この世界は人間関係が非常に重要なので、プログラム編成に携わる職員が積極的に国外にでかけて国際的なネットワークをつくるところから始めています。
エスプラネードは今年、第4回「アジア・アーツマート」をホストしました(6月1日〜3日)。これもネットワーキング形成への取り組みということですね。
その通りです。実は、今年のアーツマートは、前回までとは違います。アーティストのためのイベントという性格が強くなり、アーティストたちが互いに知り合う場であることを強調しています。芸術見本市では、プレセンターのみが実質的な参加者と見なされ、アーティストはショウケースのためだけに参加しているという形が通常ですが、私たちはアーティストも参加者としてとらえたいと考えているのです。
アジアではほとんどのアーティストは若く、発展途上にあるため、意見を交換することで相互に得るものがあるので、アーティスト同士にできるだけ活発に対話してほしいと思っています。これは、芸術見本市という分野においては先駆的な発想であるといえるでしょう。もちろん、プレセンターにもアーティストと、彼らの作品を知ってほしいとも思っていますが。
将来の計画を練るにもいい機会になると思います。もしかすると、このアーティストとあのアーティストを組み合わせて新しい作品を作ってもらったらどうだろうというように、新しいコラボレーションのアイデアを得ることもできるかもしれません。
アジア・アーツマートは今年の「シンガポール・アーツフェスティバル」の期間中(2007年5月25日〜6月24日)に開催されました。アーツフェスティバルの参加作品のうちいくつかはエスプラネードで上演されますが、同時にエスプラネードも「シンガポール・アーツフェスティバル協賛公演」として、独自のプログラムを組んでいますね。日本の明和電気の『メカトロニカ』もその中に含まれています。フェスティバルとの関係はどのようになっているのですか。
我々は民間企業ですので、シンガポール・アーツフェスティバルを運営するナショナル・アーツカウンシルと直接関係があるわけではありません。アーツカウンシルは政府機関として、情報通信芸術省の直接管轄下にありますが、我々はそうではないのです。ですから、アーツフェスティバルが彼らのプログラムのためにエスプラネードの施設を使用する場合には、単なる貸館になります。しかしながら、私たちは「シンガポールを文化的に活気あふれる都市にする」という目的を共有していますので、実際には密接に連携しています。祝祭的な雰囲気を盛り上げるため、エスプラネード独自で「協賛公演」を行うのもこうした連携の一環です。そういう場合のプログラムは、ちょっと風変わりで肩の凝らないようなもの、つまりフェスティバルの作品とは異なる種類の作品で、ほとんどはコンコースや前庭などのオープンスペースで実施されます。明和電気のように、いくつかは大劇場やコンサートホール、スタジオで行われます。こうした公演を目にすることで、エスプラネードに来る人々は、「ああ、今月はアーツフェスティバルの月だな」と感じてくれるはずです。
エスプラネードがオープンしてからほぼ5年が経過しました。最も大きな成果はなんだと思われますか?また、今後については、どのような展望を持っておられますか。
最も大きな成果の一つは、シンガポールにおける「アーツ・カレンダー」とも呼べるものを作り上げたことではないかと思います。1年のうちのこの時期にはこのイベント、という関係ができたのです。毎年開催の国際ダンスフェスティバルである「Da:nsフェスティバル」が06年10月にスタートし、1年を通したアーツ・カレンダーが完成しました。
これらの努力により、以前は舞台芸術公演になど足を向けたことがなかった層の非常に多くの人々に舞台芸術を紹介し、エスプラネードに来ていただけたと思っています。地元のアーティストやコミュニティとの間にも強い関係を築くことができたと感じています。
将来については、やりたいことはたくさんあります。我々はこれまでも懸命に努力をしてはきましたが、アーティストの能力と、我々のプログラム編成の洗練度の両方をさらに磨いていきたいと考えています。特に、児童を対象にした教育プログラムをさらに発展させたい。学校単位の施設見学は常時受け入れていますが、さらに充実させる余地があると思います。例えば、児童のみに対象を絞った公演の数をもっと増やすなど、将来舞台芸術を支えてくれるかもしれない子どもたちが年少のうちから演劇に親しむ機会を増やしていければと思っています。

● 施設概要
オペラハウス(2,000席)、ラッセル・ジョンソンのデザインによるコンサートホール(1,600席)、ブラックボックス型のシアター・スタジオ(可動220席)、室内楽に適したリサイタル・スタジオ(可動245席)の他、ウォーターフロントに面した屋外劇場とステージ@エスプラネードと名付けられた屋外ステージがあり、主に無料公演に利用されている。また、コンコース・エリアも無料公演やビジュアルアーツの展示などに開放されている。建物の1〜3階部分には9,800平方メートルに及ぶショッピングモール「エスプラネード・モール」が併設され、シンガポール発の舞台芸術専門図書館、ライブラリー@エスプラネードが入居している。

● 運営予算
エスプラネードの運営予算は政府からの補助基金が相当程度を占めるが、その使途には厳しい制限が設けられており、自助努力による収入拡大が常に要求されている。このため、エスプラネードでは2005年度にはマーケティング部門の再編を行ない、企業等からのスポンサー獲得能力を強化している。2007年現在、エスプラネードのパートナー企業はフォルクスワーゲン、VISAカードの2社で、スポンサーには大小の企業が名を連ねている。
【収入内訳(2005年度)】
[単位:千シンガポールドル]
施設(劇場、ショッピングモール)賃貸料11,327チケット収入3,404スポンサー料、寄付2,351その他収入2,586政府補助金(借地料補助金を含む)38,136(出展:エスプラネード2005年度年次報告書)

フェスティバル
シンガポールの主要民族の文化をテーマとするカルチャー・フェスティバル(本文中で触れられている「華芸」中華文化フェスティバルの他、「カラア・ウツァヴァム」インド文化フェスティバル、「ペスタ・ラヤ」マレー文化フェスティバルなどが実施されている)、子供、高齢者、家族連れなど、特定の観客層をターゲットとしたコミュニティ・フェスティバル(子供の日を祝う「オクト・バースト」、高齢者を狙った「デート・ウィズ・フレンズ」など)、ジャンル別に実施されるジャンル・フェスティバル(ジャズ/ワールドミュージックの「モザイク・ミュージックフェスティバル」、オルタナティブ・ミュージックの「ベイビート」、古典からコンテンポラリーまで幅広いダンスを紹介する「da:nsフェスティバル」など)の3分野で実施されている。

シリーズ
クラシック音楽の「クラシックス」や、パイプオルガン音楽の「ペダル&パイプ」などのように、国際的なアーティストをフィーチャーするものと、実験演劇の「スタジオ・シーズン」や中国音楽の「チャイニーズ・チャンバーミュージック」のように、地元アーティストの能力開発支援を目的とするものとが実施されている。

フリー/アクセス・プログラム
エスプラネード内の各施設で実施されているが、なかでも劇場入り口のコンコース・エリアとウォーターフロントに位置する屋外劇場が主な会場となっており、それぞれ「アット・ザ・コンコース」、「オン・ザ・ウォーターフロント」のタイトルでシリーズ化されている。この他、本文中で触れられている「コーヒーモーニング&アフタヌーンティー」のように、特定の観客層をターゲットとしたシリーズも実施されている。(2005年度)

貸館プログラム
2005年度の貸館公演は489回に及び、エスプラネードに595万シンガポール・ドルの使用料収入をもたらしている。ジャンル別ではミュージカルが大きな部分を占め、ブロードウェイ・ミュージカルの「サウンド・オブ・ミュージック」の他、シンガポールで制作された作品が複数上演された。その他のジャンルでは、オペラ、ダンス、音楽の大型公演の他、シンガポール・アーツフェスティバルの9作品がエスプラネードで上演された。

大劇場

コンサートホール

『イ・ラ・ギャリゴ』
( I La Galigo )

『月の回想』
( Reminiscing the Moon )