ベルント・シェーラー

全面改修リニューアルと20周年を目前に控えた
ベルリン・世界文化の家の新基軸

2007.05.24
ベルント・シェーラー

ベルント・シェーラーBernd Scherer

1955年生まれ。ザールランド大学で哲学博士号取得。「世界文化の家」ディレクター(館長・支配人)。1984年よりゲーテ・インスティトゥートに勤務し、同デュッセルドルフ事業所を経て、89年カラチ事務所長。94〜98年にベルリン「世界文化の家」に移り、文学・国際会議担当部長。その後ゲーテ・インスティトゥートに戻り、同メキシコ事務所長、ミュンヘン本部芸術交流部長を歴任。2006年1月より現職。

1989年に開設されて以来、ドイツ国内に向けて、非ヨーロッパ圏の文化を紹介する政府機関として多彩な文化プログラムを実施しているベルリンの「世界文化の家(HKW)」。今年8月、施設の全面改修を終え、再出発するHKWのディレクター、ベルント・シェーラー氏に新生HKWの事業について話を聞いた。
聞き手:戸田史子 2007年3月14日 国際交流基金にて
世界文化の家(Haus der Kulturen der Welt: HKW)が開館した1989年は、ベルリンの壁が崩壊した歴史的にも重要な年です。その後の約20年は、ドイツの社会状況はさまざまな変化を遂げてきたことと思います。その点を踏まえ、世界文化の家の設立の目的、事業方針の変遷などを教えてください。
 欧州圏以外の文化をドイツに紹介する公共施設である「世界文化の家(以下、HKW)」の設立は、壁崩壊の前から構想されていたものです。これはとても大事な点で、ベルリンという都市のなかに非欧州諸国と文化的な「対話」を導こうとする発想は壁崩壊の前からありました。HKWが設立された1980年代には、ベルリン、さらにドイツ全土で、移民の増加を背景として“マルチカルチャリズム(多文化主義)“をめぐる非常にダイナミックな議論がなされていました。加えて、その頃にはドイツの文化施設・学術施設は、欧州圏内だけでなくアメリカなどとも非常に良好な関係にありましたから、非欧米社会との関係を積極的に築いていこうとする世界文化の家が開設されたのは自然な流れでした。
HKWは美術館や劇場といった専門施設ではなく、建物は元会議場を改装したもので、設立当初から美術、舞台芸術、文学などすべての芸術ジャンルを扱い、学術的な会議も開催するなど多彩なプログラムを実施しています。開館当初は、途上国を中心とした非欧州諸国の展覧会やパフォーマンスを紹介していましたが、ベルリンに多く住んでいたラテンアメリカや地中海方面出身のアート関係者が主な観客であったため、HKWのミッションをより広く社会的に認知してもらうことが当時の大きな課題でした。
90年代に入り、一口で言うとグローバル化時代を迎えて、HKWもそれに対応し、コンテンポラリー・アートに照準をあわせることにより世界の動きを体系的に提示しようと試み、同じベルリンにあるマーティン・グロピウス博物館(Martin Gropius Bau)やハンブルガー・バーンホフ美術館(Hamburger Bahnhof-Museum fuer Gegenwart-Berlin ベルリンの国立美術館群の現代美術部門として1996年に開館)などと連携しながら、現在まで挑戦を続けています。
90年代により明確になったことのひとつが、世界に(欧米以外の)新たな中心が生まれたということです。それが中国、インド、もしくは日本のようなところです。私はメキシコの芸術状況に詳しいのですが、メキシコのアートなども90年代に入って国際的な評価を受けるようになりました。このように非欧州諸国は、政治・経済に加え、文化的にも大きな力を持つようになり、文化施設も数多く建設されています。これはダイナミックなシーンの変化が非欧州諸国の社会・文化に起こっているということであり、芸術文化全体の議論の在り方が変化したことを意味しています。壁の崩壊直後までは西ベルリンの“周縁”に立地していたHKWの建物が、崩壊後にはベルリンの“中心“に移転したように、館のテーマ(地域)もまた“周縁”から“中心”へと変わったということです。前回(2002年)のドクメンタ(documenta) (*) のキュレーターであるオクイ・エンヴェゾーOkwui Enwezor氏の「この国際的な議論(中心/周縁)は、ドイツにより強く波及してきている」という言葉を想起せずにいられません。同時に世界では、多数の現代美術家、文筆家、知識人が南部から北部へと移住しています。現在、アフリカで展覧会を企画すれば、アーティストの多くがパリやニューヨーク、ロンドンからやってくるという状況です。つまり、古い地図上の分布はもはや何の意味もなさなくなってきているのです。
こうした状況を踏まえて、HKWの課題を新しく整理し直さなくてはならない時期にきていると思います。グローバル化した世界の問題に正面から取り組む文化施設として、これまでのようなテリトリー的な世界分布に倣うことなく、非欧州地域の発展に向けて各国のアーティストとの恊働作業を行いたいと考えています。
HKWのもう一つの課題は、プロジェクトのテーマを組み立てる際、そのテーマが私たち個々人の生きている社会と明確な関係性を持つようにしていくことです。これが、テーマが異国趣味になることを避けるために非常に重要なポイントだと思っています。テーマや議論は、ドイツ社会、ヨーロッパ社会のなかのものとして扱われなければなりませんし、何かしら「異文化」的なものとして語ってはいけません。そこが大事です。仕事の仕方についても同じです。
ドイツ連邦政府の国際交流機関には、HKWの他に80カ国に144の支部をもつゲーテ・インスティトゥートがあります。どのような役割分担になっているのでしょうか。
 ゲーテ・インスティトゥート(設立1951年)は、ドイツの文化を紹介するなどプロジェクトの比重をドイツ国外に置いた機関です。対して、HKWは今のところ、「新たな中心(非欧州地域)」のプロジェクトをドイツ国内へ向けてプロデュースする施設です。スローガンふうに言えば、ゲーテ・インスティトゥートはドイツの扉を世界に向けて開き、HKWでは世界の扉をドイツに向けて開く、ということになります。私たちは互いに補いあう関係であり、よく共同で仕事をしています。ただし、目的が異なるのでゲーテのプロジェクトをそのままベルリンに“輸入“するということはありません。ゲーテは非常に良質で局地的な情報を持っているので、私たちが企画を立ち上げる際の対象国についての情報収集などに協力してもらっています。
近年の連邦政府の国際交流における文化政策の方針はどのようになっているのでしょうか。
 昨今のドイツ連邦政府の政策について一般的に言えることは、対外文化政策の重要性をより反映しているということです。ですからゲーテが大きなイニシアティブを握っているだけでなく、HKWも大きな役割を担っています。というのも、昨今の国際的な衝突のなかで、相互の根本的な理解を生み出すためには文化を中心に据えるべきだと認識されているからです。特に、非欧州諸国文化が周縁ではなく中心としてより大きな意味を持つようになり、こうした事実に対する人々の意識も高まってきました。また、イスラム文化圏の問題など、文化対立が政治問題化していることも影響しています。HKWとしては、これらの事象をテレビやインターネットなどのトランスナショナルに社会を繋ぐメディアを通して明確に分析することが重要になってきています。
ただし、ドイツには“芸術と学問の自由”という理念がありますから、文化事業が政治の道具として利用されることはありません。社会のなかの個人や集団は表現の自由が認められており、そして連邦政府は彼らの国内外での活動を支援することが義務であると考えています。
HKWの自主プログラムはどういう方針で決めていますか。2006年には「ブラジル」と「中国」がテーマ国になっていますが、こうしたテーマ国はどのように選定されているのでしょうか。
 通常、世界各国から異分野の専門家のグループ8〜10人程度を招いて企画委員会を組織し、ワークショップを行いながらテーマを発展させていきます。展覧会としてプレゼンテーションするだけでなく、本来的な「知的財産」をプロデュースすることが重要だと考えています。それは、ワークショップやリサーチなどのプロセスを通してのみ成し得るものだと思います。
例えば、中国をテーマにした時には、専門家らとともに「カルチャー・メモリー」をコンセプトに決めました。このテーマは現在ドイツで活発に議論されていることの一つで、いろいろな側面が想起されますが、例えば、文化大革命の記憶とも強く結びついていると言えます。展示では、文化大革命後の80年代のドキュメンタリー写真や、その後発展した芸術写真などの写真芸術をプレゼンテーションしました。また、文化大革命時代は中国オペラの上演はすべてのオペラハウスで禁止されたことから、私たちはこのようなコンテクストを読み解き、6つのオペラを製作しました。ベルリンで公演した後、最終的には上海でも公演しました。
これからは特定の国に重点をおいたプログラムを組むことはないと思いますが、このように、長期的に、専門家や他の機関と協働でプロジェクトを発展させていくことがとても重要だと考えています。
舞台芸術関連の事業の一つに、2002年から開催されているフェスティバル「イントランジット」があります。その具体的な事業内容と背景を紹介してください。近年では共同制作に力を入れているようですね。
 イントランジット・フェスティバルの根底にあるアプローチとして、「発表(プレゼンテーション)」、「作品(プロダクション)」、「反響(リフレクション)」、「作業(ラボラトリー)」の4つの面があります。
キュレーションということに鑑みると、作品はHKWが国際的なアーティストとの協働で生み出すものと言えます。つまり、作品はひとつのカルチャーから生み出されるのではなく、トランスカルチャーな関係によって生み出されるというのが「イントランジット」の基本的な考え方です。
4番目にあげた「ラボラトリー」というのは、南アフリカ生まれでロンドン在住のサラット・マハラジというインド人哲学者が私たちとともに発展させた方法論で、知識(knowledge)というものが、読書や学問によって得られる「インテレクチュアルな知識」ということだけにとどまらず、「身体によって表現される」ものでもあるという理念に基づいています。ラボラトリーでは、このようなさまざまな「知識」を公開するための相互対話を目指しています。
私たちは最近、ドイツ連邦文化財団(Kulturstiftung des Bundes)とともに「身体知(Wissen in Bewegung(knowledge in Motion)」をテーマにした会議を開催しましたが、この会議ではまさに、「知識」がインテレクチュアルな知識を意味するだけでなく、「身体で表現される知識」として体現されるという理念をもとに議論が交わされました。そこでは書物などの形でのアウトプットが求められているのではなく、新しいことが試される、ということに意味があります。
具体的なアーティストとの恊働作業の予定はありますか?
 2008年の「イントランジット」では、NYで活躍しているダンス理論家アンドレ・レペキがキュレーションする予定です。いずれにしても、先程あげた4つの面、Presentation、Production、Reflection、Laboratoryの実践は、将来的にもこのフェスティバルの大きな核になると思います。
HKWでの他のプログラムの概略について教えてください。また、今後、特筆すべき事業の予定はありますか。
 HKWは2007年7月まで改修中のため、現在、事業は行なっていません。建物は8月にオープンしたのち、2008年から本格的に大規模なプロジェクトに取り組む予定です。
まず、新しいフェスティバルとしてエレクトロニック・ミュージックの「World Tronics」をスタートします。また、夏の音楽フェスティバル“Wassermusik“(Watermusic)などでは、HKWの建物などを活用したプロジェクト展開も考えたい。HKWの建物はシュプレー川が背後に流れる河畔に建っていますが、今、ベルリンでは、ウォーターフロント地区での開発が進められ、周辺には洒落たカフェや庭園、新しいアートスペース「ラディアル・システム(Radialsystem)」もオープンしました。こうした地域の特性や景観、建物などを活用したプロジェクトにしていきたいと考えています。
特に今後10〜15年間は「水」が非常に重要なテーマになってきます。私たちはこのテーマに芸術というフィルターを通し、フェスティバルという形式をとって取り組んでいければと思っています。毎年、継続的に水をテーマにしたワークショップや国際会議を行い、そこにもアート的な要素を入れるとか‥‥。将来は水中でイベントを行ない、川に小島をつくり、水面に映画を映すこともできるかもしれません。水というテーマをエコロジープロジェクトとして認知させるのではなく、芸術的に昇華させることが大事だと考えています。
このようなプログラムを企画する上で留意しなければならないのは、HKWがどのように社会と繋がっていきたいと考えているのか、観客は誰なのかということです。ベルリンという都市の特徴として、さまざまなコミュニティーによって構成されている点を上げることができますが、それは移民やその中の3割を占めるトルコ人の問題についてだけ言っているのではなく、ドイツの中にさまざまな社会環境(social milieu)が同時に存在していることを意味しています。ドイツ国内に約750万人いる移民は確かにひとつの重要な要素としてありますが、ベルリンには、世界遺産のシャルロッテンブルク宮殿のある歴史地区シャルロッテンブルクや、旧東ドイツの芸術家地区プレンツラウアーベルクなどといった全く異なるカルチャーシーンが存在します。HKWはこうしたさまざまなカルチャーシーンの交流拠点としての役割を果たさなくてはなりません。
ベルリンという都市のもつ特性を活かし、ドイツの内と外が出会う、つまりナショナルとインターナショナルが交差するような場所となることが私たちHKWには求められていると思います。また同時に、芸術と学問の出会いの場となり、相乗効果を生み出すことを求められています。私たちは常に、こういった境界に身をおいて仕事をしなければなりません。
2007年8月のリニューアルオープンを祝して大きな企画があるということですが。
 8月23日にリニューアルオープンします。改修後の記念プログラムとして「ニューヨーク」に関する展覧会を、アメリカのクイーンズミュージアムと共同でプロデュースします。今なぜニューヨークなのか? これ関しては、いくつかの理由があります。
そのひとつが、先ほどから言っている「グローバル化」というコンテクストからのポイントが非常に重要になってくるわけですが、私はそのためには「ローカル」という発想が重要な役割を果たすと考えているので、今回はHKWの歴史、特に建物の歴史に着目しました。
HKWの建物は、実は50年前にアメリカ人によって建設されたものです。1957年に国際建築博覧会がベルリンで開催され、その時にアメリカが会議場として建設した建物がベルリン市に寄贈されました。つまり、この建物は西側諸国の近代化のシンボルだったわけです。1957年当時のベルリンは占領下で、この建物の周辺もほとんど何もなかった。そうやって建物を眺めると、まるでUFOが“惑星ベルリン”に着陸したかのように見えるでしょ(笑)。
確かに(笑)。
 50年代初頭は、スターリン通り(stalinallee、現在のfrankfurter allee)が東側のシンボルとされたのに対し、この建物はアメリカもしくは西側諸国の民主主義と自由のシンボルでした。ここでは東/西ドイツをめぐる大規模な政治討論などが頻繁に開催されていました。ただし、東側に対する西側のプロパガンダだと、冷戦時代のシンボルとして批判の的にもなりました。
1980年に屋根部分が落下する事故があり、それを機に改修が行なわれ、現在のHKWとなりました。つまり、ここはベルリンという視点から見た過去50年間の世界史を反映した建造物なのです。この50年をグローバル化の進展という視点からではなく、自分たちの住む都市からの視点で眺めるということ──つまり「ベルリン」と西側の価値を代表する都市「ニューヨーク」を大西洋を越えて影響しあった「トランスアトランティックな近代都市」として位置づけ、今やベルリンにおけるトランスアトランティックのシンボルからグローバル化された世界のシンボルとなった「ニューヨーク」という実際的なテーマを通じて、グローバル化した世界のさまざまな問題を提起できればと考えました。
経済と文化、移民、そして「9.11」というここ数年の世界の変化の中心に位置する出来事と、まさにニューヨークは現代のシンボルです。
また、今回共同制作をする クイーンズ美術館 Queens Museum of Artは、マンハッタンと、それ以外の地区(美術館のあるQueens地区は移民が多く、民族・宗教のメルティングポットと言われている)という観点でみるとニューヨークという都市の中心と周縁の関係であり、建物や景観が刻む歴史(美術館周辺は戦前・戦後に2度「ワールド・フェア」が行われた歴史的なエリアとなっている)を見ても、まさに“transmuseum(トランスミュージアム)“といえる施設で、彼らもわれわれと同じような立場にあると言えます。
具体的なプログラム内容は5月に発表しますが、展覧会やパフォーマンス、音楽プログラム、そして会議の開催などからなる大規模な複合プログラムにする予定です。ベルリンで開催した後、クイーンズ美術館に巡回し、カーネギーホールとの共同プログラムも考えています。
その他にどのようなプログラムを計画されていますか。
 「ニューヨーク」のプロジェクトの後には、中東情勢に対してアーティストがどの行動するかといった大規模なプロジェクトも考えています。つまり、今回の企画は私たちがこうした一連の変化のプロセスにどう取り組むかを考えるスタートになるのです。
また、リニューアル中からあるプロジェクトを実施しているのですが、それが「Meine baustelle(My Construction Site:私の工事現場)」というプログラムです。2006年秋から2007年の夏まで丸1年閉館しなければならなかったため、閉館中の建物を上手く利用しながら、私たち自身が新しい役割を熟考すると同時に、その思考プロセスを外に向けて発信していきたいと考えました。実は、ベルリンでは、壁崩壊後の90年代から工事現場を利用したプロジェクトがよく行われるようになりました。最近で言うと、共和国宮殿(Palast der Republik)で数多くのプロジェクトが行なわれたので、ご存じの方も多いと思います。
私たちの場合は、6週間にわたって週末ごとに改修現場でプロジェクトを行うことにしました。“Baustelle(工事現場)“とは、建物の構造が露わになる「工事中の現場」という意味であるのと同時に、人々の「思考プロセス」という意味にもとれます。さらに、「Mein(私の)」ということで、「私」という個人のパースペクティブが必要だということを示しています。
こうしたコンセプトで「私の外交(術)(Meine Diplomatie)」「私の家(Mein Haus)」「私の市場(Mein Markt)という関連プロジェクトを「私の工事現場」期間中に実施しています。「私の外交」は、個人という立場から文化と政治の問題に対するテーマを問いかけるというもの。「私の家」は建物そのものを指し、個の視点からグローバル化した世界における都市空間の在り方を問うものです。「私の市場」ではリアルなマーケットをHKWに出現させるつもりです。市場とは本来、物の価値が貨幣に交換される場、つまり交換のプロセスの場です。それで、ミュージアムショップだけでなく、例えば、スウェーデンからのデザイングループやプラダやグッチのような店、ミッテ地区にある若者によるクリエイティブな店舗や移動屋台などに出店してもらい、商品の値段は設定せず、交渉して決めます。このアイデアは、館を市場に変えることで、ベルリンにおける「店の風景(Shops-Landscape in Berlin)」の地図を作成しようというもので、5月に実施する予定です。
もし、人々が個人的な視点から世界に参画することに自覚的になれば、この建物には多くのパースペクティブが集まり、人々が恊働して何かを生み出すことのできる「出会いの場」として機能させることができる──ここで私たちが実現させたいのはそういうことなのです。
文化の社会的な役割もこの20年で大きく変わってきました。ドイツでは現在、失業率や若年層の問題などさまざまな課題に直面していると思います。文化に期待されていることがあればご紹介ください。
 当然これらの諸問題に対して取り組むべきだと思いますし、現在、政治が文化のなかでより重要な意味を占めてきていると感じています。しかし、アーティストは明日、明後日に社会で起こりえることに対して敏感に感じ取る力を持ち合わせています。テーマや問いかけは、政治的文脈から安易に借用するのではなく、アーティストが関与することで発展されるべきだと思っています。
この点から言うと、文化施設の課題は、政治的文脈から課題を借りてくるのではなく、どうすれば文化的/芸術的コンテクストに発展していくか、という問いかけをベースに、“政治や社会と共に”対話を模索していくことに尽きるのではないでしょうか。政治との共同作業は、文化的/芸術的なパースペクティブを抜きにはあり得ないというのが私の信念です。
これまで20年にわたってHKWはさまざまなプログラムを実施してきましたが、こうした取り組みの社会的な成否を判断するのはとても難しいことです。数字で判断できる事だけでなく、人の頭の中や心を刺激したことが何だったのかが明らかになるには長い年月がかかると思います。

*ドクメンタ(documenta)
ヘッセン州の古都カッセルで1955年に創設され、以後5年おきに開催されている大規模な現代美術展。先端の現代美術をあるテーマのもとに世界中から集めて紹介し、美術界の動向に与える影響は大きい。世界の数ある美術展のなかでも、「ヴェネチア・ビエンナーレ」などに匹敵する重要な展覧会の一つ。毎回1人のアーティスティック・ディレクターにテーマおよび参加作家選定の全責任が与えられる。第12回のdocumenta 12が2007年夏に開催される。
https://www.documenta12.de/

世界文化の家
The House of World Cultures (Das Haus der Kulturen der Welt)

「世界文化の家」は、ドイツ連邦政府(文化・情報省および外務省)およびゲーテ・インスティトゥートとの連携のもと、欧州圏外の美術、舞台芸術、音楽、文学、映画を紹介し、各芸術分野の現場および議論の両方のレベルで欧州文化との交流を深めていくことを目的とする活動を展開する組織。2007年8月には建物の大規模な改修工事を終え、新たな事業展開が期待される。
https://www.hkw.de/

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