エコウ・エシュン

インスティテュート・オブ・コンテンポラリー・アーツ(ICA)が60周年
新芸術監督のヴィジョンとは?

2007.03.23
エコウ・エシュン

エコウ・エシュンEkow Eshun

ICA芸術監督(Artistic Director of the Institute of Contemporary Arts [ICA] London)。1968年英ロンドン生まれ。ロンドンスクール・オブ・エコノミクスで政治と歴史を学ぶ。28歳で男性向けファッション雑誌『Arena』の最年少編集長となる。1999年には、「イブニング・スタンダード」紙が選ぶ「イギリスで最も有能な30歳以下の人物」の1人に選出され、その後も主要紙、TV、ラジオにしばしば登場し、現代芸術と文化の推進者として評価が高い。2005年にICAの芸術監督に抜擢され現在に至る。2007年1月、国際交流基金の招きで、日本のコンテンポラリーアートおよび文化の現状を視察するため来日。

美術から映画、クラブ系音楽まで、先端のアートを紹介する機関として、世界のツウ好みに知られるロンドンのインスティテュート・オブ・コンテンポラリー・アーツ(ICA)が今年で設立60周年を迎える。しかし、ICAがあるのがバッキンガム宮殿に続くザ・マル(The Mall)であることからもわかるように、そのとんがりぶりも、確固とした改革精神の伝統に基づいた「王道」をいくものと言える。2005年に芸術監督に就任し、ジャーナリストとしても活躍するエコウ・エシュン氏に、さまざまな顔を持つICAが核とする方針や、現在の動向について尋ねた。
(インタビュー・構成:稲葉麻里子 2007年1月 東京・国際交流基金にて)
ICAの成立ちとこれまでの歴史について教えてください。
 ICAは1947年に設立され、今年で60年目を迎えます。なぜICAの始まりが、他でもないこの時だったか、と考えると、当時、欧州は第二次世界大戦、ホロコーストを経験し、また日本が原爆を落とされて間もない戦後でした。そこに、ピカソやT・S・エリオット、W・H・オーデンなど、画家から詩人に至る当時の代表的な芸術家が集い、「アートはよい未来を築くことに役立つ」という信条に基づいて、ゆるやかな、半ばクラブのような形で発足したのが始まりです。
その頃のイギリスの美術館やギャラリーは、過去の作品の展示に焦点をあてていましたが、ICAはその意味で、初めて、近・現代の芸術、しかも、絵画のみならず、彫刻、詩、文学、音楽などジャンルを超えて扱うという意味で非常に革新的でした。初期のメンバーには、ピカソ、エリオット、オーデン、ディラン・トマスなどがいましたが、彼らは、「アートは人々に、自分が何者でどう生きているのか、よりよく思考する方法を示す」と考えていました。それは、ICAの精神として、以後60年間続いています。
どのような施設があり、どのように活動していますか?
 ICAが現在の場所、ザ・マルに移ったのは1968年です。バッキンガム宮殿の近くにというのは不思議な感じですが、伝統に相対する先端のアートを見せる場としては、いい位置にあるともいえますし、何よりロンドンの中心にあるのは恵まれています。意識あるアーティストたちの自主的な集まりとして始まったので、それまでは特定の場を持たずに、ロンドンの中心の、小さな場所や仮の施設を使用していましたが、ザ・マルに移ってからは、公的な芸術機関として、きちんとした助成金を受けるようになりました。
現在、運営資金の3分の1はアーツ・カウンシルからで、残りは私たち自身で調達します。現在のICAには、2つの映画館と、ギャラリー、劇場、講演会などを行うスペース、バーがあります。といっても基本的には19世紀の建物ですので、同じ家にある部屋を使い分けている、という感じです。施設は午前2時まで開いていて、音楽に関しては、平日に[ロック、ジャズなのどの]コンサート、木・金はクラブ・ナイトをやります。
設立以来、現在に至るまで、アクション・ペインティングで知られるジャクソン・ポロック、特に80年代に人気を博したキース・へリング、最近では映像アーティストのビル・ヴィオラなど、イギリスだけでなく、世界的に、当時の先端を行くアーティストの個展を開催してきました。イギリスのアーティストでは、デイヴィッド・ハックニー、ピーター・ブレイクなどがいますが、こういったアーティストの特徴は、単なる純粋な美術に留まらず、一般社会、彼らをとりまくより広い世界――音楽、はては政治にいたるまで――に関心があるということです。このような姿勢はアート、文化、思想すべてを扱い、斬新な発想を提示するICAに合うものです。
スタッフは、非常勤を含めて80名ほどです。ICAは、発足当時から、常にディレクターとして誰か1人はおいていましたが、私が着任してからは、ICAが多彩で複雑な組織ということもあり、ディレクターの役割を芸術面と財政面の2つに分け、それぞれを担当するディレクターをおくことにしました。従って、現在の組織は2人のディレクターと、映画、講演会、展示などのクリエイティブ部門およびマーケティング部門、スポンサー担当、技術担当部門、さらに役員会で成り立っています。
入場者、観客層はどんな特徴がありますか? 会員組織はありますか?
 年間入場者はのべ約25万人です。私たちの会員制度は少し複雑で、現在も再編成中ですが、いわゆる会員は1万人います。通常は、入場料として2ポンドかかります。本当は無料にしたいところですが、宮殿が近くにあり、こちらは夜中の2時まで開場していてお酒なども出すので、そこまで出入り自由にはできない、ということで・・・ですが、メンバーになれば、年会費を1回払うと後は何度来ても無料になり、実際それは効果的だと思います。何回も来てくれることで、私たちとも意見交換ができますから。
入場者にはとても恵まれていると思います。例えば年齢層も、イギリスの他のアートギャラリーや美術館は、40〜50代が中心ですが、ICAの主要層は18歳〜30代とかなり若く、学歴が高い人も多いです。彼らは好奇心が強く、新しいことに関心があるので、こちらも冒険ができます。
例えば、ICAでは有名なザ・クラッシュ、スミス、シザーシスターズ、フランツ・フェルディナンドなどが無名だった初期のころのコンサートをやっているんです。だから、今は無名でも、今週のコンサートに出演したバンドが、来年はすごく大物になっている可能性もある、そういう期待感もあるでしょう。ジャンルに限らず、私たちは、すでに「出来上がった」アーティストではなく、常に「現在」を最優先にします。挑戦的で、実験精神にあふれ、ときに過激でもある新しい才能をまず一番にとりあげ、来場者にとっても「自分はそのアーティストをいち早く知っていた」と言えるようにしたいのです。無難なものを並べてもあまりわくわくしませんしね。
若い才能や斬新な企画が特徴のようですが、ICAの創立者たちは、ピカソや、T・S・エリオットのような、すでに大変な名声を得ていた大御所ですよね。
 もちろん高名な芸術家たちですが、彼らはまずモダニストであり、なぜ地位を築いたかというと、リスクを恐れずに、斬新で革新的な表現形式を示したという業績で知られたわけですから、ICAの今とつながっているでしょう。例えば、私は10歳の時に初めて家族とICAを訪れました。それ以来、フランスの哲学や、ロシアのアバンギャルド芸術に初めて接したのも、自分にとって重要な本に出会ったのもここです。
同じように、ICAの来場者は、新しい考え方や異なるものの見方に対してとてもオープンですが、ICAに入るとまず書店があり、さまざまな文化や思想を紹介する書籍を揃え、来る人は入るとおのずとそれを目にしますから、影響を受けるでしょう。それゆえ、すべての人に気に入られる場所でもないことも承知しています。しかし、このようにICAは人を啓発する役割も担い、創始者たちの意図したことにかなっているといえます。
今後さらに観客層を広げるための、マーケット戦略はありますか?
 あえて言えば、より国際的なお客さんをとりこみたいですね。例えば私は、ロンドンの美術やデザイン学校の総合体「ユニバーシティ・オブ・アーツ」の役員にもなっていますが、これらの学校には、ご存知の通り、日本や韓国など、海外から驚くべき多数の留学生がいますので、彼らのような人たちにもっときてもらえるようにするのが私の今後の仕事の一つですね。こういう多国籍な顔ぶれを誘致できるのも、ロンドンという大都市の利点ですから。
若者はいいとして、シニアの観客層はどうですか?
 ICAの講演会は、好評を得ている事業の一つです。講演の内容によって違う新聞、メディアを選んで告知していて、これには幅広い年齢の人々が集まります。テーマは基本的に、現代のさまざまな思想についてですが、関心が高いのは、宗教、国際情勢などです。切実な問題だからでしょう。
ICAの強みですが、これまでに、講演者には、各世代を代表する思想家や知識人を招いてきました。最近では、ノーベル賞経済学者のアマルティア・セン、カンタベリー大司教のローワン・ウィリアムス、イギリスの若手作家を代表するゼイディ・スミスなどが来演しました。他にも、アメリカのフェミニスト/作家ナオミ・ウルフ、重要なイスラム研究者タリク・ラマダン、哲学ではフランスのアラン・バルディユ、今、非常に注目されているスロベニアのスラボジュ・ジジェックなど、錚々たる顔ぶれがいます。こういう方々にとっても、ICAで講演するというのは、過去の偉大な知識人に名を連ねる重要な機会になると捉えてられるので、ほとんど快諾してもらえます。いつも講演と活発な議論が交わされ、その後は、講演者と聴衆が、隣のバーに流れて討論を続ける、という光景が見られ、そのことを誇りと考えています。講演会はその意味でも重要な事業ですね。
他の部門ではどのような活動をしていますか?
 映画は、特に今、非常に重点を置いています。ICAはこれまでも、例えば日本映画では、『アキラ』(大友克洋監督/1988年/日本)や鈴木清順監督の作品、日本版『リング』のハリウッドリメイク版『ザ・リング』(ゴア・ヴァービンスキー監督/2002年/アメリカ)にいたるまで、いろいろな作品を紹介してきました。ICAは、イギリスで、施設を持つ公的芸術団体として唯一、映画の買い付けとイギリス国内での配給権の獲得をしている機関です。ナチス・ドイツに果敢に立ち向かう女子大生を描いた『白バラの祈り〜ゾフィ・ショル、最期の日々』(マルク・ローテムント監督/2005年/ドイツ)をイギリスで初めて上映したのも私たちでしたし、私も昨年はカンヌにも出向きました。専門知識のあるスタッフが、常にさまざまな作品を見に飛び回っています。
映画への人々の志向は常に変わるもので、日本映画、ウォン・カーウァイの映画、イランの作品といろいろ上映しましたが、今は、ドキュメンタリー映画、あるいはドキュメンタリーの手法に沿った映画が非常に注目され、また可能性を秘めていると思います。特にマイケル・ムーア監督の『華氏911』(2004年/アメリカ)あたりからその傾向が強いようです。今後は、アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門のノミネート作品『イラク・イン・フラグメンツ(ばらばらになったイラク)』(ジェームズ・ロングレイ監督/2006年/アメリカ)や、同じくドキュメンタリーで、サンフランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジから身を投げる人たちについての映画『ザ・ブリッジ』(エリック・スティール監督/2006年/アメリカ)などの上映を予定しています。重要な問題ですから、イラクに関するドキュメンタリーは他にもいくつか上映する予定です。
美術でも同じく、いかに新しい、大きな才能を発掘するかに重点を置いています。毎年、目玉となる行事は「Beck’s Futures」という、7年前に始まった美術賞で、イギリスではターナー賞に次ぐ大きな賞といわれ、大体35歳位までのアーティストを対象としています。著名なアーティストが審査にあたり、大々的に宣伝され、マスコミの注目も集めています。そこで入選したアーティスト13人を、イギリスで最も期待される才能として展示をします。
それ以外の期間は、同じように刺激的なアーティストによるグループ展、個展などを開催しています。最近では、「エイリアン・ネーション」という、「民族、アイデンティティ、SF」に焦点をあてたよい展覧会がありました。また1月に始まるのは、今回が3部作の最後にあたる、ドイツのティノ・シガールというアーティストによる企画展です。基本的に、「反物質のアーティスト」で、この人は「何も作らない」のです。グッズとして後で売れるようなものは作りません。人との関わりを扱う、いわゆるコンセプチュアル・アートに近いかもしれません。
例えば、今回の展示では、入場者が入ると、その部屋では、学校の教室から移動してきた30人の子供たちが1日中遊んでいます。会場には子供たちしかいません。観客は、その子たちと話すかもしれないし、無視されるかもしれない。どういう相互作用が起こるかはわからず、どういう展覧会になるかは、観客と子供たちの反応にかかっていますが、6週間続きます。過去2回の作品も、その対象が、子供でなく大人だったりしましたが、いずれも、人と接したときの予測できない瞬間、を経験してもらうのが意図でした。ふだんの生活で、意外に人はお互いに話もしないし、関わりも持っていない。そして接しても、楽しかったり、不快だったり、と、その反応も予測できない。今、イギリスでは、いたいけな子供たちが悪い影響下にいつもおかれている、という恐怖や被害妄想に陥っていますが、今回の展覧会では、子供たちも自身も、時には危なく、暴力的にもなりうる、と思えるかもしれません。
過去の反応は、賛否両論でした。しかし、シガールは、海外の批評家、キュレーターを含めた2部門、それぞれの推すアーティストの2位に選ばれています。今回もやってみなければわかりません。バカバカしいと思う人もあれば、夢中になる人もいるでしょう。しかし、このような展覧会が典型的なICAの事業です。決してみんなに好かれるものをやる場ではないのです。
レジデンシーのアーティストはいますか?
 それぞれの分野でレジデントのアーティストを置くことがあります。例えば、最近では、作家のゼイディ・スミスがいました。今は特にいませんが、大事なのは、ICAだけでなくどの芸術団体もそうでしょうが、アーティストとは長期的な付き合いをしている、ということです。お互いに考え、よく話し合って、企画を実現させるのには本当に年月がかかる、ということを理解しなければいけません。
パフォーミングアーツではどのような企画がありますか?
 他のジャンルと同様、革新的な作品に重きをおいています。今後計画しているもので、いくつかご紹介しましょう。まずは、ドイツのアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンという実験的ロックバンドの公演です。これはすでにICAに20年前にやったのですが、プレイ中に、ミュージシャンがドリルで舞台に穴を開ける、という過激な公演で、「破壊的だ」と論争を呼びました。現在、またパフォーマンス作品として練り直し中です。再演するのは、その時点で「過激な行為」だったものが、年月を経ると、「歴史的な芸術の一大イベント」になりうるのか、に私も興味があるからです。
あと一つ、演劇で、非常に楽しみにしているのは、イラクに関する、同じように実験的な作品です。スコアをニティン・ソウニー、デザインをルーシー・オルタが担当し、作家はジョナサン・ホルムスです。舞台はなく、観客は装置の合間を歩き、俳優がそのまわりにいるという設定なのですが、台詞はすべて1人称です。兵士も一般人も含め、米軍によるファルージャ包囲攻撃の際にそこにいた人々がそのときの状況を1人称で語るのです。当時ファルージャにはジャーナリストも行けないような状況でした。ホルムスは、その後まもなく、危険を冒してファルージャに出向いた最初の作家で、そのときに取材した人たちの証言やコメントに基づく演劇作品となっています。
これもICAの大切にすることですが、私たちの上演作品が、何かの討論のきっかけになるということですね。私は楽観的に考えるので、例えば、この作品は演劇でもあり、パフォーマンスから音楽、政治問題までが一体になっていますが、それを経験する人が、自分のとりまく世界を考える機会になればと思っています。
イギリス、とりわけロンドンには数多くの美術館やギャラリー、劇場など芸術団体がたくさんあります。現代アートを扱うところも少なくありません。その中で、芸術監督として、ICAをどう差別化し、特徴を出そうとしているのですか。
 その答えは、「差し迫った問題」に焦点をあてていることです。確かに、ロンドンには無数のギャラリーや美術館があり、見せることを主体にそれぞれよくやっています。他方、ICAは、その物理的条件からも幅広く、芸術、文化、思想それぞれの関連性について討論しています。つまり、ICAは何でもできるということです。でも私にとって最も重要なのは、早急な課題に向き合うということで、だから、いくつかの機会を捉えて、イラクをとりあげました。誰にも関わる重大な問題だからです。
最近の映画の動向は別にして、美術にしても、演劇にしても、アートはなぜかイラク問題について充分とりあげていないと感じていました。でも、ひとたび、ギャラリーの外に出れば、人は、今の政治や社会について、普通に話題にしているわけでしょう。そのことに私は注目し、この問題について芸術的に掘り下げることもできるのでは、と思ったのです。
芸術的な観点でいうと、いくらでも展覧会ができる中で、あえて今、このアーティストを選ぶという際に、基準になるのは、その作品がイギリスだけでなく、世界的にみても、革新的、刺激的であるということです。私たちの決断した企画それぞれが、やがてICAの歴史の一部となり、その文脈で評価されることを認識しなければなりませんし、どこの芸術機関もそう考えているでしょう。
また、私は、そのアーティストの芸術的な位置づけだけでなく、より広い文化の中での存在感や、政治的な意味なども考慮します。例えば先に紹介した、「何もつくらない」ティノ・シガールも、難しい反面、非常に興味深いアーティストであり、ベニス・ビエンナーレのドイツ代表になるなど、重要視されている人です。ICAでやる作品は、活動のごく一部ですが、今いる位置を占めている理由の一つに、彼が、アート界が金銭に踊らされ、作品が投資の対象や商品化されている現状に挑戦している、という姿勢であり、売り買いの出来ない作品を作っているということもあると思います。
エシュンさんはジャーナリストとしても活躍されていますが、その視点から、アートは今、イギリスの社会や人々の考え方にどのような影響を与えていると思いますか?
 昨日の「ジャパンタイムズ」紙に、なぜロンドンがニューヨークを凌ぐほどの刺激的な都市になったか、という記事がありました。経済的には株価が上昇し、市場が過熱している、という要因もありますが、文化の果たしている役割も大きい、ということで、私もその通りだと思います。
ロンドンは今、アートが非常に盛り上がっていて、世界の中で最も活気ある中心地なのではないでしょうか。特に、2000年にテイト・モダンが開場し、多くの来場者を得て、その傾向が加速したと思います。でもそれだけでなく、今、ロンドンでは、すべての芸術団体が、より多くの観客を集め、よりよい作品を提供しようと必死に努力していて、競争が激しくなっています。美術、演劇、映画に至るまで、試合の規模が大きくなり、超えるべき壁が高くなったのです。アートに関わる側は大変ですが、同時に、人々も、文化に飢え、アートを渇望していると思います。これはとても刺激があり、健全な状況ではないでしょうか。ですから、今、世界のこの地域にいられるということを、私も幸運だと思っています。
ジャーナリストとしては、これまで、アートはもちろん、政治、ファッション、文化、アイデンティティの問題などについて書いてきましたが、自分の中でこれらを区別していた意識はありません。どれもが、我々がどう生きているかを反映し、それぞれが関わりあう、分別して考えられないことだからです。いつも関心をもっているのは、人々を突き動かすのは何なのか、ということ。文化というのは、個々の出来事、個人の声の集合体です。ですから、私はそれに耳をすまし、ひいてはそこから、イギリスが今、世界の中ではどのような状態にあるのかを考えるようにしています。
今回のように日本に来られるのも素晴らしいことですね。私は常に、次の波はどこにあり、それは世界のどこから来るのかに興味を持っています。個人的なレベルでもトレンドには注視しています。私は、最初の頃、『アリーナ』という男性向けのライフ・スタイル、ファッション雑誌の編集をしていたことがあります。ファッションというのは洋服がすべてではないんですよ。なぜ人々がそういう格好をするのかにはそれぞれ理由があり、世界のトレンドをいち早く映しているのですから。
しかしアートが、人々の意識を変えたり、刺激的な都市を作るのに貢献する反面、世界的には、人は将来に対して悲観的になっている印象がありますね。
 アート自体が何かの問題の解答を示すことはできません。しかし、アートは物事に対して疑問を投げかけ、願わくは、人々に違う視点や意識を持たせることができます。
今、国際問題に関連し、世の中では、宗教が話題の大半を占めています。私自身の信仰は、アートにおきたい。なぜなら、芸術的な活動は、美術であれ、映画であれ、世界の矛盾点にこだわっているからです。アートを世界の諸問題、矛盾への解答としたい。宗教が単一の答えを出そうとするのに対して、アートは世界の複雑性を示すものだからです。それは心地よくない現実ですし、悲観的になるかもしれません。しかし不可欠なのは、それを受け入れ、自分をとりまく物事の意味について考え、話し合うことではないでしょうか。願わくは、その中から新しい波、よりよい未来へのトレンドが生まれるかもしれません。
アートの本質は、ジャンルが何であれすばらしい作品に接した際に、人はこれまで意識しなかったこと、違う視点に気づくということです。ときにそれは不快な感覚かもしれません。ICAでも、私は必ずしも人が喜びそうなものは選びません。しかし、重みを持ち、後で振り返ってまた考えたくなるような作品を重視しています。
60周年を迎える今年は何か大きな事業がありますか。
 60周年を記念する本格的な事業は、大体が今年の後半から始まります。まだ計画中で、資金的にも確約されていないので残念ながら公表はできませんが・・・実現すれば、音楽を交えた、ICAのメインスペースでのかなり大きなイベントになると思います。今後は、もちろんこれまでの革新性や実験精神を保ちながらも、工夫して、それをいかに多くの人たちに見てもらうようにするかが課題ですが、それについてのはっきりした提案はすでに考えています。
特に今後、力をいれたい分野はありますか。
 そうですね、美術、映画、パフォーミングアーツ、音楽、どれについてもよく検討し、今何に注視するべきか見極めるようにしていますが、美術は、今のイギリスの状況から考えて重要だと思います。また、ライブ・ミュージックも同様です。今、イギリスでは、音楽的には、近来にない盛り上がりを見せていますので、新しい音楽もどんどん紹介しなくては、と思っています。
これはまたICAの特徴でもありますが、私たちは収蔵品や常設展を持つ美術館ではありません。つまりすべてのスペースは、企画によって仕様を変更できるのです。それが長所であって、いろいろな分野を扱う中で、今はこれが大事だから力を入れ、これはその次、というバランスをとることが可能で、状況に柔軟に対応できます。ICA自体が「ライブ」で、有機的に機能しているのです。ですから、スタッフには、熱意があってこの仕事をしているということ、自分が大事だと考えることをやっているのだ、という意識を忘れないようにといつも言っています。
エシュンさんは、作家として、『Black Gold of the Sun』という興味深い本を出されています。これまでの個人的な体験が、今の仕事にどう役立っていますか。
 私の書いたこの本は、結果として、「属していない、ということは、いったいどんな感覚なのか」、裏を返せば、複数の故郷を持つということ・・・私の場合は、イギリスとアフリカでしたが、これがどういうことか、について考察する本になったと思います。こういう境遇に置かれると、自分はよそ者、部外者だという視点で物事を考えるようになります。それはなかなか辛いことで、特に子供時代はこたえます。しかし大人になってその経験もよかったと感じ、かつ重要と考えられるようになったのは、何事についてもこれは当たり前のことと捉えなくなったことです。文化について新鮮な見方ができるようになったと思います。
例えば私は、イギリス生まれですが、いわゆる「イングリッシュ」でもなく、イギリス人でありながら白人でないということから、イギリス社会にいろいろな形で現存する不平等や差別について常に意識していきました。しかし、それと同時に、人は発言とは違う行動をとることもある、ということや、社会や文化はいろいろな「含み」に満ちているものだ、という現実に慣れてきました。私はそれを生かし、こういう問題を文化的、芸術的にどう掘り下げられるのか、考えるようになりました。
ですから、私にとって、「心地悪い」状況は、悪いことではないのです。社会が不公平で差別的なのは事実です。後はそれに対して人がどう反応するか、でしょう。いろいろな人の声を聞き、誰も差別されるべきでなく、自分が大事だと考えることを正確に発言できるように、私もなるべく気をつけています。私自身、子供時代楽しいことばかりではありませんでしたが、今、逆にその体験を活用し、強みにしています。何に関しても、既成事実と捉えずに、物事は常に違う視点、新たな見方で向かうようにしていると思います。

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『The Black Gold of the Sun – Searching for Home in England and Africa』(Penguin Books, 2006)
イギリスに生まれ、幼少の一時期をガーナで過ごしたエシュン氏が、成人後、再びガーナを訪ねた経験をもとに綴った、半自叙伝的な比較文化論。現代における「帰属意識」について考察している。
現代アートは、社会や若者が抱えている問題にビジョンを与え、そういう問題がある、というメッセージを発信する場になっています。特にエシュンさんは、イギリスの若者の間では何が問題となり、それに対してICAではどう応えたいと考えていますか。
 若者に限らず、イギリスは今、「不安の時代」を迎えています。多くの人が、特に一昨年7月のロンドンでの爆発事件からですが、多民族主義への不信や、若者を含めた社会の秩序の崩壊、社会構造が脆弱になっていると感じるなどさまざまな不安感を抱いています。ICAにできることは、このような動揺や不安感について公に表現する場を、時に応じて提供することです。
2つの例を挙げましょう。若者に関していえば、先ほどICAではクラブ・ミュージックを月に何度か開催しているといいましたが、最近、「ダーティ・キャンバス」という、黒人の若い子たちがつくるグライム・ミュージックばかりをかける夜を始めました。「ワル」のイメージのある音楽なので、これをやると来場する若者が暴力的になる恐れがあるということで、他のクラブではやっていませんし、やろうとすると、当局から、本当にいいのか? と聞かれるほどです。でもICAで始めてみて、これまで何の暴動も起きていませんし、毎回売り切れで、黒人だけでなく白人の若い子たちがたくさん集まります。小さい企画ではありますが、世の中の不安感を相殺する意味でも、その不安の対象とされることや人に、公の場を与えるのは大事だと思います。グライム・ミュージックについては、やっても大丈夫だと証明できましたし、そうすることによって、危ないといわれる音楽も、今のイギリスの文化の一部なのだと認めさせられるのですから。
もう一つの例は、イラク戦争のドキュメンタリー映画の上映について述べましたが、公的な機関であるという中立的な利点を活用して、人々に討論の場を設定することです。巷では今、頻繁に「文明の衝突」などといっていますが、結局人は人でしょう? もちろん、実際、討論して怒ってしまう人もいますよ。でもそれでいいのです。私たちとしては、困難な問題を話し合う機会が重要なのです。
でも、ICAは何よりも芸術機関ですから、今、若者や、ある少数派が社会問題になっているからこのイベントを提供しなきゃ、というふうには動きません。実際、ICAの入場者は、イギリスの他の機関に比べると、小数派に属する人たちの占める割合が多いといわれていますが、私たちは特にその層を狙って企画しているわけでもありません。あくまで、それは斬新で、面白い、質の高い作品を提示した結果なのです。

インスティテュート・オブ・コンテンポラリー・アーツ(ICA)

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