キム・チョルリ

韓国舞台芸術シーンを刺激する
ソウル・パフォーミングアーツ・フェスティバル(SPAF)

2007.11.07
キム・チョルリ

キム・チョルリKim Chul-Lee

1953年生まれ。演出家。西江大学新聞放送学科卒業。成均館大学大学院公演芸術学科卒業。2002年〜2003年国立劇団アーティスティック・ディレクター、2004年〜2005年水原華城国際演劇祭アーティスティック・ディレクター、2005年からソウル・パフォーミングアーツ・フェスティバル(SPAF)アーティスティック・ディレクター。その他、韓国演劇協会理事など多くの役員・委員を歴任。演出家として第26回白想芸術大賞新人演出家賞(1990)、第29回東亜演劇賞演出賞(1993)、第33回白想芸術大賞演出家賞(1997)などを受賞、翻訳家としては第29回ソウル演劇祭翻訳賞(1991)を受賞。

劇場数が100を越えると言われる演劇の街・大学路で開催される韓国最大規模のフェスティバル「ソウル・パフォーミングアーツ・フェスティバル(SPAF)」。7回目を迎える2007年は、9月20日〜10月14日まで、韓国をはじめインド、フランス、ドイツなど16カ国、33団体が参加し、全38作品の公演が行なわれた。世界各国のフェスティバルを飛び回り、招聘作品を自分の目で確かめてプログラミングしているのが、SPAFアーティスティック・ディレクターの金哲理(キム・チョルリ)氏だ。フェスティバルが終わったばかりだというのに、息つく間もなくまた来年の準備のために上海に向かうというキム氏に話を聞いた。
聞き手:木村典子/インタビュー:2007年10月16日
今日はお忙しい中、お時間をつくっていだだき、ありがとうございます。「ソウル・パフォーミングアーツ・フェスティバル(SPAF)」は、ソウル演劇祭(1977年から開催)とソウル舞踊祭(1979年から開催)という2つのフェスティバルが2001年に統合された総合フェスティバルです。発足当時は韓国演劇協会と韓国舞踊協会の主催でしたが、2003年からは独立組織としてアーティスティック・ディレクター制で運営されるようになりました。キムさんは就任して2年目になられますが、まずは、フェスティバルの運営方針からお話いただけますでしょうか。
 フェスティバルを発足した時に掲げた指針が3つあります。1つ目が、ソウルという国際都市に見合ったインターナショナルなフェスティバルに育てようということ。2つ目が、ジャンルの壁を壊し、東洋の舞台芸術の大きな伝統ともいえる「音楽劇」あるいは「トータル・シアター」のような作品を制作し、舞台芸術表現を活性化していこうということ。3つ目が、創造的な出合いを通じた新しい舞台芸術のインキュベーターとなり、発信地となることを目指すというものです。

 ちなみに、今年の予算は10億ウォン(約1億2千万円)でした。本来、きちんとした形の国際的なフェスティバルを開催するには30億ウォンは必要ですが、招聘費を削減するわけにはいかないので、事務局はボランティアで仕事をしているようなものです。財源は、文化観光部、韓国文化芸術委員会、ソウル文化財団が助成をしてくれているのと、企業や放送局、各国大使館がスポンサーについてくれています。
複合フェスティバルというのは、ジャンルが混在していてやりにくいところもあるのではないですか。
 ジャンルを区分する時代はすでに過ぎたと思います。私は演劇畑の出身ですが、私たちは他のジャンルに目も向けなかった世代です。この年になって、様々なジャンルを経験できる機会を与えられて幸せですし、とてもいい勉強をさせてもらっています。ただ心配なのは、アーティスティック・ディレクターとしてダンスや音楽がわかるのか、演劇に偏るのではないかと思われることです。能力以上の場を与えられた気分です。
キムさんは、2003年まで国立劇場のアーティスティック・ディレクター、2005年まで水原華城(スウォンファソン)国際演劇祭のフェスティバル・ディレクターをされていました。また、劇団枇杷(ピパ)の代表であり、『ノートルダムのせむし男』『シラノ・ド・ベルジュラック』『タイタス・アンドロニカス』などを演出されている他、俳優や翻訳家としても活躍されています。本当に多彩ですが、どういうきっかけでSPAFのアーティスティック・ディレクターになられたのですか。
 私の本業は、あくまで演出家です(笑)。演出家としては翻訳劇を主に演出してきましたが、韓国は創作劇中心なので翻訳劇はそれほど評価されないという風土があり、助成金も創作劇に偏っています。また、韓国には劇団木花(モックファ)レパートリーシアターの呉泰錫(オ・テソク)氏をはじめ強烈なスタイルをもつ演出家が多いのですが、私は演出スタイルをもたないタイプで、そういう演出家はなかなか認めてもらえない。演劇評論家から“スタイルを作ったら認めてやる”と言われたこともあるぐらいです(笑)。それと、年をとるごとに演劇はやはり俳優だという思いが強くなってきましたが、俳優層が薄く、チェーホフやシェイクスピアをやろうにも俳優がいない。この他にも多々ありますが、これらが50歳になって私が直面した韓国演劇界の現実であり、悩みでした。

 こうして、演出家として壁にぶつかっていたころ、国立劇団のアーティスティック・ディレクターの話があり、2002年から2年間務めさせてもらいました。在職中は自分が演出するというより、後輩演出家に国立劇場の舞台を任せることにしました。おそらく、国立劇団で若手起用のプログラムを試みたのは私だけだと思います。若い人たちと仕事をしながら、とてもやりがいを感じました。自分が作品を手がけるだけがすべてではない、素晴らしい人材を探し出すのも舞台芸術の発展に寄与できる道だと実感し、フェスティバル・ディレクターという仕事にもはじめて魅力を感じました。その後、偶然に水原華城国際演劇祭を任され、本格的にフェスティバル・ディレクターという肩書きで仕事を始めました。ここは非常勤だったので演出家としても活動ができる状況でしたし、引き受けたのは、まあ、食うため、生存のためというのが本音です(笑)。そして、2005年にSPAFのアーティスティック・ディレクターの公募があり、応募しました。そうして現在に至っているわけです。
キムさんはアーティスティック・ディレクターとしてSPAFをどのようにしていきたいとお考えですか?
 アーティスティック・ディレクターに就任した時、漠然とした言い方ですが、世界のレベルの高いいい作品を紹介する場、韓国の舞台芸術が海外に進出できる場にしたいと思いました。海外進出に関しては、私の就任と時を同じくして2005年からソウル芸術見本市(PAMS)が開かれるようになり、開催期間も同時期なので、PAMSのショーケースをSPAFのプログラムに組み込みました。それで世界の舞台芸術を紹介するほうに力を入れることができるようになりました。韓国はアジアの端にあり、海外の演劇が簡単に見られる環境ではありません。韓国にいると、舞台芸術にかかわっている人でさえ、世界の流れが今どうなっているのか把握するのが難しい。それに、アジアと言った時に一般的にどこの国を思い浮かべると思いますか? まず、日本、そして最近は中国です。いくら映画で韓流がブームだと言っても、舞台芸術はほとんど知られていない。ですから、韓国にも見る目をもった観客がいて、公演できる場があり、招聘もするということを、世界に知らせていく必要があります。フェスティバルのプログラムとして海外の作品を招聘することで、韓国の人々は世界の文化芸術の流れを知り、また海外にも韓国の文化土壌を紹介できると思っています。実は、韓国のフェスティバルでは自国のものをみせなければならないという暗黙の了解のようなものがあるのですが、この2年で、できるだけ海外招聘を増やしてきました。今では、国内作品と海外作品が半々ぐらいになっていると思います。
最近、韓国にも様々なフェスティバルができてきましたが、SPAFの位置づけをどう考えていますか。
 果川(カチョン)ハンマダン祝祭や議政府国際音楽劇祭、野外劇中心の水原華城国際演劇祭、春川マイム祝祭といったカラーをはっきりと示したフェスティバル、居昌(コチャン)国際演劇祭、釜山(プサン)国際演劇祭といった地方のフェスティバル、そして各種ダンスフェスティバルと、舞台芸術関連のフェスティバルがずいぶん増えました。2004年に情報交換と協力を主目的とした「韓国公演芸術祝祭協議会」という民間組織を設立し、現在12団体が加盟しています。もちろん、加盟していない団体もありますが、この12団体が韓国の主な公演芸術関連フェスティバルと思っていいでしょう。しかし、地方で開催されるフェスティバルは様々な条件のために内容を特化せざるをえません。それがフェスティバルを矮小化する原因にもなっています。それに対して、常に舞台芸術で溢れているソウルで開催されるSPAFは、内容を特化するよりもっと大きな括りの中で、「国際都市ソウル」の文化的な顔として、しっかりとしたクオリティーの高い作品を提供していくことが重要だと思っています。
直接作品を見て招聘するそうですが、作品の選択基準についてどのように考えていますか。
 この4年あまりで、アヴィニヨン演劇祭とエディンバラ国際フェスティバル以外の30ほどの世界のフェスティバルをまわりました。アヴィニヨンやエディンバラのフェスティバルには歴史があるので、ソウルのモデルにはならないし、多くの人たちが行っていますからね。作品はどれも実際に見て決めますが、演劇の場合、その選択基準はいたってシンプルで、「いい作品」ということです。では、何がいい作品なのかというと、抽象的な言い方ですが、「人間の生にきちんと根ざしているもの」ということです。いい作品で韓国の舞台芸術界に刺激を与えられるものだったら、最先端である必要はないし、表現やスタイルにもまったくこだわっていません。ダンスの場合は、Modafe(国際現代舞踊祭)やSIDance(ソウル国際舞踊祝祭)など、世界的なダンスフェスティバルがすでに韓国にありますので、それらのフェスティバルのプログラムとは違うカラーとスタイルを持っている作品を選んでいます。
国内作品に関しては?
 国内作品は公募制です。企画書、戯曲や振付の意図、映像資料を提出してもらい、それを検討して決めています。国内の場合、業界を知っている分、逆に若手発掘が難しい面があります。公募なら、私たちが知らない若い人材をすくい上げる可能性が広がります。経験に関係なく、可能性と完成度を選定基準にしています。
フェスティバルの観客層はどういった人たちですか。
 主な観客は舞台芸術関係者、学生、愛好家です。一般の観客はそれほど多くなくて、「SPAFは芸術志向なのか」と嫌みを言われたこともあります(笑)。舞台芸術から何かを得た観客は、間接的に多くの人々に影響や変化を与えるものなので一般の観客の関心の有無や集客数の問題ではないとは思っていますが、一般のお客さんをどうすれば増やしていけるかはこれからの課題ですね。ちなみに、今年は観客数も増えて、手ごたえがありました。終わったばかりなのでまだ具体的な数字は出ていませんが、海外招聘作品は約1万3千人、国内作品を合わせると計3万人ぐらい集客して、招待客等も含めほぼ満席でした。それと、公演が終わって暗転になったとたん、観客が拍手とスタンディングで応じ、まるでミュージカルのカーテンコールみたいな作品が何本もあったようで、新聞記者や若いスタッフが驚いていました。こういう、見ることを学び、感じることを学ぶ観客がいるわけで、今すぐとはいかなくとも、舞台芸術に一般観客が戻ってくる可能性があると感じました。そうだ、観客数だけじゃなくて、拍手数みたいなものが合計できればいいと思いませんか?
今年の公演芸術祭は「Base of Arts―Challenge! Dare to dream Provocation!(日本語直訳「挑発、不穏を夢見る」)」がテーマになっていました。
 テーマというのは好きじゃなくて、実際は、テーマより先に作品が決まっている場合がほとんどです。でも、日ごろ考えていることが作品の選定にも影響しているので、振り返ってみるとあるひとつのテーマに沿っていたという感じです。今年のテーマは「Challenge」でしたが、ラトビアの『ロング・ライフ』、ドイツの『セールスマンの死』、ルーマニアの『ゴドーを待ちながら』は間違いなくchallenge(

 挑発)してくれましたね。『ロング・ライフ』は台詞なしのリアリズム演劇でしたが、台詞が多くて日常的なのがリアリズム演劇という韓国の人たちがもつ通念を壊してくれました。それと、韓国は強烈なスタイルをもつ作品が最高とされてきましたが、スタイルにきちんと内容を込めていかなければならないと痛感させられました。『セールスマンの死』は韓国に紹介されてからすでに40年以上は経っていますし、何人もの演出家が手がけてきました。しかし、戯曲の解釈と演出はアメリカの初演と何ら変わらないまま上演され続けています。『ゴドーを待ちながら』も劇団サヌリムの林英雄(イム・ヨンウン)氏が再演を重ねながら作品を完成させてきていますが、これ以外の演出はまだ出てきていません。こういう状況に対して、少しでも挑発できればと思い、意図的にこの3作品を招聘しました。
『ソウルの雨』(日韓共同制作 作/演出:長谷川孝治)と『演じる女たち』(ウズベキスタン・イラン・インド・日本共同制作 企画制作:国際交流基金)という共同制作作品もありました。
 フェスティバルの方針として意図的に共同制作作品をプログラムしているわけではありません。将来は、SPAF発の共同制作作品として音楽劇をつくってみたいとは思っていますが、経費も時間もかかりますし、どうすれば実現できるか方法を模索しているところです。

 『ソウルの雨』は、劇団路地(コルモッキル)の朴根亨(パク・グニョン)代表からの提案によるものです。長谷川さんの作品は日韓の歴史を扱ったものでしたが、どちらかというと男女関係や人間関係の美しい話になってしまったように思います。それと、言語も文化背景も違い、表現方法も異なる俳優たちが共同制作するには時間が足りなかった。私は「韓日演劇交流協議会」の運営委員もやっていますが、これまでは日韓合作という名のもとでアイディアがあればやれていたところがありました。しかし、両国のコラボレーションに関しては、もう一度考え直してみる時期にきているのではないでしょうか。個人的には日本と韓国以外の戯曲を使ってのコラボレーションを模索してみたいと思っています。『演じる女たち』は、参加国以外の戯曲を使ったコラボレーションの例として招聘したものです
韓国の公演芸術の現状をどのようにご覧になっていますか。
 現在、演劇街といわれる大学路には100以上の劇場があるといわれています。なのに、演劇は内容的に過渡期を通り越して沈滞期です。原因は様々でしょうが、小劇場演劇が中心になってきたことがひとつの問題点だと思っています。小劇場演劇が観客(大衆)の軽い信号を追ってどんどん感覚的、商業的になっていき、演劇が矮小化し、テレビと演劇の境界がなくなってきた。個人的にはとても危機感を感じています。反面、ミュージカルは元気です。ミュージカルは個人的には関心がありませんが、自分でも演出してきました。ライブエンターテイメントとして機能し、観客が劇場に通う習慣をつくってくれていると思います。ダンスは門外漢ですが、今後成長の可能性が高いジャンルだと思います。身体中心ですから国際的にも可能性があるでしょうし。総体的に韓国の舞台芸術界は決していい状況にはありませんが、だからこそ、SPAFがクオリティーの高い作品を提供し、韓国の舞台芸術界を刺激していかなければならないと思っています。
来年のSPAFはどのようなプログラムになりそうですか。
 すでに海外作品はいくつか候補があがっています。国内も公募選定が基本ですが、この振付家、この演出家、この作家に任せたいと思っているものがいくつかあります。テーマもぼんやりとですが、頭の中で固まりかけています。言い古された言葉ですが、「衝突と調和」。衝突と調和がアンド(and)でつながっていているのは、衝突があるからこそ、調和があるから‥‥。でも、こんなテーマでいいのかなあ(笑)。まあ、作品選定が先でテーマは後からついてくるので、1年間の苦悩がまた始まります。それと、来年は作品数を減らし、開催期間を長くするつもりです。今年の最終日は4本の作品が重なってしまったので、そういうことのないスケジュールをつくりたいと思っています。いました。できるだけ作品と作品が重ならないように配慮しようと思います。この11月には来年のプログラムをリサーチするために2回日本を訪問します。
日本の作品を選定する際の特別の方針はありますか?
 日本の演劇には多様性があるし、作家と戯曲の豊かさを日ごろから羨ましく思っています。作家の真摯さ、商業主義や流行に流されない仕事に対する姿勢を感じます。韓日演劇交流協議会が行なっている現代日本戯曲リーディングという事業のなかで宮沢章夫さんの『ヒネミ』のリーディングがあったのですが、実はこの作品には俳優として出演しました。でも日本だからといって特別な方針はなく、いい作品、クオリティーの高い作品と出合えることを願っています。

ソウル・パフォーミングアーツ・フェスティバル(SPAF)
Seoul Performing Arts Festival (SPAF)

ソウル市鍾路区東崇洞1-89 ソクマビル4F
(Seokma B/D 4F 1-89 Dongsoong-dong, Chongro-ku, Seoul, Korea)
PHONE +82-2-3673-2561-4
FAX +82-2-745-7924

ソウル・パフォーミングアーツ・フェスティバル 2007
ソウル・パフォーミングアーツ・フェスティバル 2007

ソウル・パフォーミングアーツ・フェスティバル 2007
(2007年9月20日〜10月14日)

演劇国内作品(5作品)
Namodak Movement Lab『チェ・ゲバラ』
劇団物理『荷』
Sadari Movement Lab『盲人たち』
劇団ウトゥリ『ホンドンジ遊び』
演戯団コリペ『血の婚礼』

音楽劇国内作品(3作品)
音楽劇集団パラムゴッ『水を探して』
TIMFアンサンブル『ローズ』
韓国フェスティバルアンサンブル『イプセン・イン・ミュージック』

演劇海外作品(8作品)
Performers at Work『アラビアンナイト』(インド)
New Riga Theatre『ロング・ライフ』(ラトビア)
Plasma『狂夜』(スイス)
Farm in the Cave『Waiting Room』(チェコ)
Jacques Bourgaux『ドンキホーテ』(フランス)
Schaubhne am Lehniner Platz『セールスマンの死』(ドイツ)
National Theater『ゴドーを待ちながら』(ルーマニア)
『演じる女たち』(ウズベキスタン、イラン、インド、日本)

ダンス国内作品(13作品)
ユニバーサルバレエ団『バンブー、バンブー』『ほのかな香りの蘭』『マイナス・セブン』
ダンスシアター加頭『戻ってきたパズルの中の記憶』『ロミオと幽霊ジュリエット』
SEOバレエ団『ニュー・ボレロ』
ソウルバレエシアター『マスク』
UBINダンス『砂漠熱』
ナム・ヨンホ舞踊団『マティテル、マティエル…』
YJKダンスプロジェクト『ベケットの部屋』
カン・ヘヨンダンスプロジェクト『水流?』
チョン・ミスク舞踊団『行かないで』『聞かないで』

ダンス海外作品(7作品)
Cie Michele Noiret『百色の部屋』(ベルギー)
bjm dance Les Bllets Jazz de Montreal『MAPA』『ジャコブの部屋』(カナダ)
Electronic Shadow『2つの視線』(フランス)
Inbal Pinto Avshalon Pollak Dance Company『Shaker』(イスラエル)
Olivier Dubois『地上のすべての金のために』(フランス)
Lucy Guerin Inc『Malt』(オーストラリア)

コラボレーション作品(2作品)
ダンス:『あの時、あの時間』(韓国、中国、日本)
演劇:弘前劇場+劇団路地『ソウルの雨』(日本、韓国)

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