ゴー・チンリー

新劇場やフェスティバルなど、活性化する
シンガポールの芸術文化シーンに迫る

2006.06.06
ゴー・チンリー

ゴー・チンリーGoh Ching Lee

シンガポール・ナショナル・アーツカウンシル アーツクラスター・ディベロップメント・シニアディレクター
シンガポール・アーツフェスティバル ディレクター

シンガポールでは、近年、地域でも最大級の劇場であるエスプラナード(The Esplanade)をはじめ、アーツハウス、ドラマセンターなど注目すべき新しい劇場が次々オープン。また、2000年に発表された、政府の「ルネッサンス・シティー」報告書において芸術の重要性が強調され、予算が増加するなど、芸術文化シーンが活性化している。シンガポール・ナショナル・アーツカウンシル(Singapore National Arts Council)のアーツクラスター・ディベロップメント・シニアディレクター(Senior Director of Arts Cluster Development)で、シンガポール・アーツフェスティバルのディレクターでもあるゴー・チンリー(Goh Ching Lee)さんに話を聞いた。
聞き手:滝口健
シンガポールのパフォーミングアーツ・シーンの最近の発展をどのようにご覧になっていますか?
最近の顕著な発展は、ある意味で1980年代後半の、シンガポールを文化的に活気に満ちた社会にしていこうとする政策の結果であろうと考えています。ナショナル・アーツカウンシルが設立されたことにより、過去10年の間、我々はシンガポールをユニークなグローバル芸術都市に発展させるというミッションを遂行してきたわけです。これらインフラや資金の源流をたどっていくと、80年代半ばまで遡ることができると思います。この時期に、芸術が国家のアジェンダの一部になったということもできるでしょう。
それ以前のシンガポールは、経済的な基礎の確立、貿易の発展、教育、住宅問題、あるいは基本的な社会インフラの整備に注力していました。1965年の独立直後には、シンガポールのGDPはアフリカの国々よりも低いレベルにあったのです。今日のシンガポールの発展をみるとついつい忘れがちになるのですが、当時はこうした事項が緊急の課題になっていました。
80年代に入って初めて、国民が「我々は長い道のりをたどってきたが、ようやく物質的な満足の他のことを考える時間ができるようになった」と感じ始めたのだと思います。人々はより高度な教育を受けるようになり、これまでとは違うもの、すなわち芸術を求めるようになってきたのです。これが最近の進展の原点です。
「ルネッサンス・シティー」報告書よりも以前に、もう一つの重要な報告書が提出されています。1987年の「文化と芸術に関する諮問委員会報告書」です。この委員会は、副首相が座長を務める、極めてハイレベルの委員会でした。委員会では、国民の要望や、「文化的に活気に満ちた都市」を実現するための方策など、芸術に関するニーズ調査が行われました。それを受けて発表された報告書では、ナショナル・アーツカウンシルの設置やエスプラネードの建設、芸術家を育てるための教育機関であるラ・サール・ポリテクニックの設立、さらには新しい美術館の開設などが提言されました。このレポートがなければ、シンガポールの芸術の状況はかなり違ったものとなっていたことでしょう。このレポートの提言にもとづいて、ナショナル・アーツカウンシルは1991年に、エスプラネードの運営会社は1992年に設立されました。
もう一つの重要な進展は、「アーツ・ハウジング・プログラム」です。私たちは、リトル・インディア、チャイナタウン、ウォータールー通りといったエリアに残っている多くの歴史的な建造物をアーティストのためのスペースに改装しています。アーティストはそこで作品をつくり、リハーサルをし、さらには劇場スペースとして使うこともできるようになっています。彼らは家賃の10%だけを負担すればよい、すなわち残りの90%は政府が補助するという形になっています。
アーツカウンシルはそうした政策の実施に重要な役割を果たしているわけですね。
ええ。しかし、1990年代にはインフラの整備に焦点が当てられていたと言わざるを得ません。しかしながら、後には、ソフトウェアにより重きが置かれるようになってきました。2000年の「ルネッサンス・シティー」報告書にあわせ、5年間で5千万ドルを超える予算が認められましたが、これはカンパニーの強化、作品の制作、そしてシンガポールのアーティストに国際的なプロジェクトへの参加を促すこと等を通じ、アーティストの活動を支援するためのものでした。もちろん、それまでにもアーティストの活動支援のスキームは存在しましたが、ここで明確な転換が行われたわけです。
特に、主要な劇団に対する助成金のスキームはシンガポールの演劇業界に大きなインパクトを与えていると思います。このスキームについてもう少し教えてください。
この2年間の助成スキームも「ルネッサンス・シティー」報告書の結果としてつくられたものです。劇団への助成はそれ以前にも行われていましたが、規模は小さなものでした。報告書に伴ってつけられた予算によって、各劇団により安定した資金援助を行える助成システムを構築することが可能となったのです。
アーツカウンシル自体も2004年に機構改革を経験しています。この目的は何だったのでしょうか。芸術を支援する政策に何らかの変化があったのでしょうか。
これも「ルネッサンス・シティー」報告書に含まれているのですが、数年前から芸術がより広範なクリエイティブ産業の一部となっているという認識が高まってきています。芸術はそれ自身のためだけに存在しているわけではないということです。経済やコミュニティ、さらには国民形成に貢献することができるのではないか──私たちは、これを「アートのABC」と呼ぶことがあります。アート(Art)のためのアート、ビジネス(Business)のためのアート、そしてコミュニティ(Community)のためのアート、というわけです。これは、シンガポールでは極めて新しい考え方ではありますが、ある意味では世界での最近の傾向を反映したものであるとも言えます。現在では、音楽、映画、出版、ニューメディア技術といった商業セクターが相互に連関し、シンガポールの社会そのものにインパクトを与える一大産業が形成されてきているわけですから。
こうした考え方を受けて、過去2年間、アーツカウンシルは芸術の支援に、これまでとは異なった種類のアプローチをとってきました。芸術をこうした産業の一部ととらえる全体論的なアプローチです。しかし、我々のサポートはキープレイヤーだけに向けられているのではありません。将来性のある小さなカンパニーにも果たすべき役割がありますし、我々もそうしたカンパニーを支援していきたいと考えています。大小のカンパニーが相互にサポートしあえるような形が望ましいですね。このように、我々の支援のほとんどは芸術関係の非営利セクターに向けられてはいますが、私たちはギャラリーやオークション・ハウスなど、芸術に関連する事業に参入したいと考えている企業とも頻繁に仕事をしています。時には、彼らが芸術に関連するイベントを開催する手伝いをしたりもするのです。これは、資金的に協力するということではありません。企業をアートに引き込むと同時に、彼らが製品を改善する手助けをするわけです。
これらは全て、シンガポールをアーティスト、芸術関連施設、仲介者、独立のプロデューサー、運営団体、公立学校など、数多くのレベルのプレイヤーが存在する、活気のある場所とするという目的のために実施されているのです。
シンガポール・アーツフェスティバルも、この「文化的に活気のある都市」というビジョンの一部を成しているわけですね。このフェスティバルは、アジアにおける主要な芸術祭の一つとして、国際的な認知を得ていると思います。
ええ。このフェスティバルの性格は、「シンガポールをユニークなグローバル芸術都市として発展させる」という、アーツカウンシルのビジョンに沿って定められています。「ユニーク」と「グローバル」がキーワードです。「グローバル」とは、国際的な連携の志向を示します。おそらく、かつては「シンガポールは先進国に追いつこうとしており、グローバル・プレイヤーになりつつある」というようなことが語られることが多かったと思います。もちろん、これは現在でも重要ではあるのですが、もはや我々は、自分たちが達成してきたことをシェアすることを考えてもいい段階に到達しているのではないかと感じているのです。単に外国から取り入れるだけではなく、将来性のあるアーティストを送り出すことができるのではないか、ということです。
また、我々は、自分たちが東洋と西洋のどちらとも、非常にうまくやっていけることに気付きました。これは、シンガポールが東と西、すなわちアジアとそのほかの世界の間に挟まれた独特の位置にあり、多文化の背景を持っているからだと思います。私たちは両者の橋渡しという役割を果たすことができるのです。このことは、シンガポールの文化やアーティストの作品に色濃く繁栄されています。シアターワークスという劇団の芸術監督であるオン・ケンセンは、こうした交雑によって新しい種類の芸術的感受性をつくり上げた、すばらしい例と言えるでしょう。
そして、これこそが、私たちのフェスティバルにおいてコラボレーションが極めて重要である理由なのです。それはシンガポール人のアイデンティティの反映であり、私たちが文化の世界で貢献しうる分野を示していると考えています。
フェスティバル・ディレクターとして、どのようにプログラムを編成するのでしょうか。セレクションのポリシーとはどのようなものなのでしょう?
シンガポール・アーツフェスティバルには非常に明確なアイデンティティがあります。アジアとコンテンポラリー作品に対するフォーカスがそれです。こうした全ての要素はシンガポールに住む我々のアイデンティティの反映であり、私たちにとっては極めて自然なことなのです。多くのシンガポール人の若者は新しいビジュアルの世界に親しんでいます。また、彼らは過去からの文化的な重荷を負う必要がないため、多くの新しい考えを自由に受け入れることができるのです。
観客は常に何かこれまでとは違うもの、新しいものを求めます。私たちの観客はとても若いのです。おそらく6割から7割の観客は35歳以下でしょう。したがって、私たちのプログラム編成もそれに見合ったものになります。もちろん、シンガポールの国家的なフェスティバルとしては一般の観客が親しみやすいプログラムも必要ですが。そのため、プログラムは異なる種類の演目の組み合わせになりますが、それでもなおアジアとコンテンポラリーのプログラムが主流であるとは言えるでしょう。
私たちは、それぞれのプロジェクトの過程を非常に重視します。すなわち、ユニークで興味深い創作のプロセスがあるかということです。また、作品の文脈についても考慮をはらいます。その作品が、我々に関係の深いトピックについて語っているかどうかということですね。私たちのセレクションの基準はこの2つのコンビネーションであると言えるでしょう。シンガポール・アーツフェスティバルにおいては、「革新」がキーワードとなっています。私たちは、常に独自性のあるムーブメントやプロセスを求めています。また、異なる国々や文化間のコラボレーション、すなわちインターカルチャラルな側面や、ダンスと演劇、音楽と演劇、あるいはダンスとマルチメディアといった異分野間の共同作業にも大きな関心を持っています。こうした作品は、時としてある分野に関する旧弊な考え方を打破するものになり得ますから。
テーマとしては、移民や国外移動などの問題に起因するアイデンティティの問題や、歴史について関心がありますね。歴史の文脈をたどり直すというのは、私たちにとって重要なテーマです。
マレーシアの劇作家・演出家であるフジール・スレイマンが2002年のフェスティバルで『オキュペーション』という作品を上演しましたね。これは日本軍占領下におけるシンガポールでの生活を描いたものでした。
歴史をテーマにした作品はたくさんありますよ。フジールの作品はその一例ですが、2004年のフェスティバルでシンガポールの劇団が上演した2つの作品もそうでした。チェックポイント・シアターの『アヘンの香り』という作品は、アヘン戦争について京劇の手法で取り上げたものでした。シアターワークスの『サンダカン挽歌」という作品も歴史をテーマにしたものです。さらに前には、ネセサリー・ステージと故クオ・パオ・クンの劇団、シアター・プラクティスが制作した、孫文をテーマにした『100年間待ち続けて』という作品もありましたね。
アイデンティティの問題を取り上げた作品として面白かったのは、ロンドンを拠点とするモティロティという劇団とニューヨークを拠点とするビルダーズ・アソシエーションが共同制作した『アラディン』という作品です。これはインドにあるお客様相談センターの話なのですが、そこのオペレーターはアメリカ人を装うように訓練されているのです。アメリカで製品を買った人が質問しようとして電話をかけると、当然アメリカのどこかに繋がっていると思うわけですが、実際にはインドに電話が繋がっているという話で、交差するアイデンティティに関する寓話になっていました。この作品ではマルチメディアが斬新な使い方をされており、その意味でもとても面白いものでした。
フェスティバルをオーガナイズしていると、それが実際どれほど面白いのか気付かないことがあります。もちろん、面白いということはわかっているのですが……。それぞれのプログラムがどのように連関しているかが見えないことがあるのです。数年たって、やっとフェスティバル全体がとても興味深いものであったということに気付いたりするのですよ(笑)。
近年、シンガポール・アーツフェスティバルが、単に既成の作品を招待するだけではなく、新たな創造の場となってきているのは興味深いことです。2004年のフェスティバルでは、イギリスのアクラム・カーン・カンパニーが2週間のレジデンシーを行い、新しい作品を制作しました。
はい。アクラム・カーンの翌年には、ベルギーのヴィム・ヴァンデケイビュスを招きました。今年はベトナム/フランスのエア・ソーラを招待しています。フェスティバルでの公演を世界初演とすることはできなかったのですが、私たちは彼女のベトナムの2世代にわたる人々との共同作業をコミッションすることになりました。我々の隣人、そしてカウンターパートからは非常に多くのことを学んでいます。我々がこれまでに知ったこと、学んだことをもとに、独自のツールややり方といったものをつくり上げることができました。結果として、これらが私たちのポリシーとなっているのです。
アーツカウンシルが設立されてからは、こうしたポリシーを実行に移すため、より意識的な努力が払われるようになったと感じています。ある特定のイベントを、新たな発展の可能性を開く道具、あるいは原動力として使うということです。つまり、フェスティバルは単に作品を買い付けて、順番に見せていくというだけのものではなくなるのです。むしろ、観客の芸術に対する理解を深め、世界の動向を知り、そして、これはとても重要なことですが、国内のアーティストを育てる、こういったことのための土台として機能することができると考えています。シンガポールのアーティストの新作にお金を出すことも重要ですが、海外の作品を連れてくることにより、彼らに新しいアイデアをもたらすことも同じく大事なことだと思っています。
また、フェスティバルによって、国を超えた繋がりをつくることができるというのも事実です。こんなことを断言してしまっていいものか、いささか心許ないのですが、シンガポールはこの地域において、常に極めて活発に活動してきたと思っています。実際、私が新しく設立されたアジア舞台芸術祭協会の議長を務めさせていただいているのも、それが理由であろうと思います。
新しい作品の創造ということでいえば、国際的なコラボレーションは重要な方法になりうると思います。今年のフェスティバルでは、シンガポールの劇団による演劇作品3作品のうち、2作品までが国際共同制作です。コラボレーションという方法について、どのような可能性を感じておいでですか?
私が2000年に現在のポジションについたとき、既にいくつかの国際共同制作の実績がありました。オン・ケンセンが日本の岸田理生と一緒に制作した『デズデモーナ』がその一例です。ロバート・ウィルソンの新作をコミッションしてもいます。年を重ねるにつれ、私たちは徐々に他の国際フェスティバル、例えばオーストラリアや香港のフェスティバルとの協力関係を築いてきています。そうした後、アクラム・カーンの作品のように、より国際的なコミッションを行うようになってきました。
私たちの側で作品制作を先導し、流れを逆転させようというのが、そこでの私たちのねらいです。初期においては、アーティストが制作した作品を受け入れるという一方通行の流れしかありませんでした。アーティストが自らの地平を拡大する機会を与えたい、そしてこの地域のアーティストやパートナーとのある種の仲介をしたい、というのが現在の私たちの願いなのです。
2003年のフェスティバルにおいては、シンガポール・ダンスシアターと日本のH・アール・カオスとの非常に印象的なコラボレーションがありました。H・アール・カオスは2001年に自分たちの作品の上演のために招かれ、その2年後に戻ってきたということになります。このプロジェクトはどのように始められたのでしょうか。
プログラムの編成については、いくつかの変化がありました。80年代や90年代はアートが依然として成長を続けている時期であり、フェスティバルは観客育成の重要なツールとなっていました。したがって、当時のプログラムは幅広い観客層にアピールするために、より広範なものとなっていたのです。
しかしながら、私が就任した2000年にはアートシーンは既に成熟しており、アーツカウンシル以外にも数多くのプレイヤーが存在していました。たくさんの海外のイベントが自力でシンガポールに来るようになっていました。ですから、フェスティバルには何か別のものが必要だと考えたのです。また、この年は新しい千年紀に入った年でもありましたので、未来に向けたフェスティバルのあり方を提案したいとも思いました。
そこで、2000年のフェスティバルのタイトルを「ニュー・インスピレーション」とすることにしました。この年のフェスティバルでは、数多くのコンテンポラリー作品が紹介され、同時にアジアのアーティストによる作品に焦点が当てられました。それ以来、フェスティバルの作品の50%以上がシンガポールおよびその他のアジア諸国からの作品となっています。新しい創造をもたらしたい-第一義的にはシンガポールのアーティストによって-という私たちの願いが、そこにはっきり現れていたと思います。シンガポールのアーティストによる作品は、これまで全て新しくコミッションされたものとなっています。しかしながら、彼らにとって重要なのは、地域のアーティストと一緒に作品を作ることだと私は考えています。そして、他のフェスティバルも彼らをサポートしてくれるのが理想的です。
H・アール・カオスのケースでは、私たちはアーティストとの関係を発展させることが重要だと考えました。それまでは観客を刺激するために新しいものをどんどん紹介し続けていたわけですが、そろそろある特定のアーティストと彼らの作品とをフォローしていくべき時期なのではないかと感じたのです。現在は、将来コラボレーションの相手となりうる海外のアーティストを意識的に招待するということをしています。シンガポールの観客に彼らの作品を見る機会を与えておいた上で、数年後に現地のアーティストと共同制作を行うために再度招待するわけです。
シンガポール・ダンスシアターとH・アール・カオスのケースでは、2つのカンパニーの関係はどのように発展していったのでしょうか。彼らと連絡を取り続けたのはアーツカウンシルだったのですか?
私たちは、シンガポールのアーティストに海外のアーティストとコラボレートするよう、常に言い続けています。その結果、多くのアーティストが独自の協力関係を築き始めています。同時に、私たちの方でも、一旦知り合った海外のアーティストとは連絡を取り続けていますので、カウンターパートとなりうるカンパニーを紹介することもあります。ですから、2つの方法が併存していると言えるでしょう。私たちがアーティストを結びつけることもあり、アーティストが自分たちで調査を行って私たちに提案するという場合もあるわけです。
シンガポール・ダンスシアターには、アジアのアーティストともっと一緒に作品を作るように言い続けてきました。H・アール・カオスのケースでは、彼らにカオスと一緒にやってみたらどうかと提案したのは私たちの側でした。カオスのエージェントや関係者とはコンタクトがありましたので。
今年のフェスティバルでは、シンガポール・ダンスシアターはシンガポール・チャイニーズオーケストラと一緒に作品を作ります。これは国際的なコラボレーションではありませんが、この2つのカンパニーを一緒にして新しい作品をつくってもらいたいと常々考えていたのです。この作品のために、日本を含むアジア大洋州地域から振付家を呼びたいとも考えましたが、残念ながら実現しませんでした。
シンガポール・ダンスシアターとH・アール・カオスのコラボレーションについては、アーツカウンシルが主要なイニシアチブをとったわけですね。他方では、おっしゃるように、シンガポールの劇団は独自にコラボレーションを始めています。今年のフェスティバルにおける2つのコラボレーションはこのカテゴリーに分類されるのではないでしょうか。ネセサリー・ステージとシアターワークスという2つの劇団は自分たちでコラボレーションのアイデアを練り、実施しているのだと思います。アーツカウンシル主導のコラボレーションと比較した場合、アーティスト主導のコラボレーションについてはどのようにお考えですか?どちらの方がより望ましいのでしょう?
両方の場合があっていいと思います。フェスティバルの仕事をしていて一番面白く、また報われるのはこんな時です-あることについて誰かと無邪気な話をしたとします。それをみんながそれぞれにふくらませていき、最後にはそれがある形で一つにまとまるのです。こうした展開の背後にある目に見えない力を感じることがあります。結果が即座に現れるときもありますし、そうではないときもあります。こうしたことがありますので、こうした話し合いを始めたり、特定のコラボレーションを開始したりすることは大歓迎です。また、アーティストたちは我々の考え方を知るようになってきましたので、今では多くのアーティストが私のところにやってきて、「やぁ、新しいプロジェクトを考えてるんだけど。君たち、コラボレーションにはいつも興味を持ってるだろ。これはどう思う?」と尋ねるのです。ですから、先ほど申し上げたように、アーティストの側がプロジェクトをスタートさせるケースと、我々が可能性のあるコラボレーターを探す場合との両方があることは極めて自然なことだと思っています。
ネセサリー・ステージという劇団の『モバイル』という共同制作作品の場合には、全体のプロセスを背後で動かしていたのは、主に東京の世田谷パブリックシアターであったと言えるでしょう。彼らは、2003年から2005年にかけ、ネセサリー・ステージの座付作家であるハーレシュ・シャルマを含む16名ものこの地域のアーティストを招き、作品の制作を行いました。実際、私も東京に行き、このプロジェクトの最初期段階を見ています。ただ、そのときには、このプロセス全体がうまく機能するのかについて確信を持つことができませんでした。あらゆるものが荒削りの状態でしたから。しかし、ネセサリー・ステージが、この世田谷のプロジェクトから少人数を抽出した形でプロジェクトを進めていると聞いたとき、この企画に協力することを真剣に考慮すべきだと考えました。移民労働者問題というこのプロジェクトのテーマは、この地域の共通の課題となっていますので。そこで彼らに、プロジェクトの進捗状況について常に情報をくれるように声をかけたのです。
フェスティバルがコミッションするコラボレーションに、多くの日本人アーティストが加わっています。例えば、『モバイル』には、Theガジラの鐘下辰男の他、2名の俳優が参加しています。フェスティバルの将来の計画はどのようなものなのでしょうか。さらに多くのコラボレーションが行われることになるのでしょうか。
日本とシンガポールのアーティストによるコラボレーションということに関していえば、将来は極めて明るいと言えると思います。また、インドネシアなどの国々とのコラボレーションの可能性も大いにありえます。これは双方が求めていることなのだと言えるでしょう。アジア地域での共同制作に対する要望は極めて強いと感じます。そこで最も重要なことは、アーティストがコラボレートするための適切かつ有機的な方法を見つけるということです。
もちろん、いろいろ難しい局面もあり得るでしょう。全てのアーティストが異なる出身国、異なるバックグラウンドを持っていますので、コラボレーションの方法が多様になるのは自然なことです。一つの方法としては、ある特定の人物に力を与え、この人が作品全体を導いていくというやり方がありえます。別の方法としては、全ての参加者を同一の状態に置き、民主的な方法で作品をつくっていくということもあり得るでしょう。しかしながら、前者については演出家一人の作品となってしまうというリスクがあります。一方、後者の場合には、理解しやすく、親しみやすい作品ではなくなってしまうことが少なくないように思います。たとえ意図としては気高いものであったとしてもです。おそらく、完全に民主的なプロセスを採用するというのは難しいのでしょう。何らかの形で参加アーティストを監督していくことが必要になるのだと思います。
現在、多くのシンガポールのカンパニーが海外のカンパニーとの独自の関係を築いており、シンガポールはこの地域のコラボレーションの中心地になっているように感じます。
私たちはとても勇敢なのだろうと思うのです。ナショナル・アーツカウンシルの中心的な価値観とは、勇敢であろうということにあります。フェスティバルにおいても、私たちは勇敢で、かつ進歩的であろうと努めています。我々はリスクを冒すことをおそれないのです。実際、この種のプロジェクトは非常にリスキーな性格を持っています。自分たちが支援し、資金をつぎ込もうとしているプロジェクトの結果は最後になるまではっきりとは分からないわけですから。それが可能な理由の一つは、私たちが過去からの文化的な重荷を負っていないという点にあるのではないかと思います。私たちは多様な相手ととても自由に協力することができますし、異なる影響力をともに抽出するということもできるからです。
ナショナル・アーツカウンシルの資金を使うことで、シンガポールのアーティストが外国へ出かけていき、国際的なプロジェクトに参加できるようにしたいと考えています。同時に、私たちの側でも積極的に機会を探しているのです。シンガポールのアーティストには、外国のフェスティバルや芸術見本市に積極的に参加するよう勧めています。国際コラボレーション助成というスキームがありますので、外国のカウンターパートと共同制作を行いたいというアーティストを支援できるようになりました。この助成においては、その成果はシンガポールでだけではなく、共同制作の相手国においても上演されるべきだと考えています。
現在、いくつかのカンパニーが独自にコラボレーションを行っています。以前は、学習するのだという一般的なムードがあり、シンガポールのカンパニーが外国の演出家を呼ぶ場合でも、単にその人に自分たちを演出してもらうというだけにとどまる傾向がありました。しかしながら、現在ではコラボレーションはより対等な関係を意味するようになってきています。これは重要な変化であり、この変化をもたらすために、フェスティバルが一定の役割を果たしてきたと考えています。例えば、シンガポール・ダンスシアターは、H・アール・カオスを再度招待して自分たちでコラボレーションを行なおうとしていますし、シンガポール・チャイニーズオーケストラも多くの異分野間の共同制作プロジェクトを計画しています。このように、いくつかの劇団は定期的にコラボレーションを行うようになってきています。こうしたコラボレーションが、極めて有機的な形で進められているというのが重要な点です。
つまり、あなたは人々を繋げる中心的な人物というわけですね。
ええ、私たちはある意味で繋ぎ役であると言えるでしょう。人と人とを繋ぎ、そして将来のフェスティバルでその成果が見られるように祈るわけです(笑)。日本のアーティストとの関係でいえば、私たちは極めて活発に招待してきたと思います。言葉の壁がありますので、ダンスとマルティメディア・パフォーマンスの分野が主でしたが。日本のカンパニーについてはずっとリサーチを続けてきており、現在も2、3のカンパニーと話をしています。実際のところ、字幕をつけることもできますので、言葉は致命的な問題ではないのだろうと思います。結局は作品の内容とコストが問題ということです。他の国際演劇祭と協力し、日本のアーティストの作品をコミッションすることも計画しています。
やるべきことはたくさんあります。昨年、ロンドンで「シンガポール・シーズン」というイベントを実施し、非常な成功を収めました。実のところ、これはかなり偶然の産物だったのですが。シンガポールのアーティストが海外で活動する機会をつくろうとする努力をしていた結果、いくつかのプロジェクトがたまたまほぼ同時に実施されることになったのです。そこで、私たちはさらに多くの人たちを巻き込んで、イベント全体を一つのシーズンとして実施することにしたわけです。最終的には、政府や商業セクターも巻き込んで極めて大きなものになりました。これが成功したので、同様のイベントを2年に一度実施することが決まりました。次回、2007年は北京と上海で、2009年はニューヨークで開催することが既に決まっています。
東京で実施する計画はないのですか?
ええ、やりたいと思っています。実は、今年は日本とシンガポールの外交樹立40周年でしたので、今年やれればと思っていたのですが・・・残念ながら実現しませんでした。いつか実現できればと思っています。

*エスプラナード
2002年にオープンしたシアターコンプレックス。2,000席の劇場、1,600席のコンサートホールの他、それぞれ200席強のキャパシティを持つシアタースタジオ、リサイタルスタジオを持つ。また、屋外スペースでは毎週末無料のイベントが実施されるなど、シンガポールのパフォーミングアーツの中心としての地位を確立している。
https://www.esplanade.com

*アーツハウス
1827年に建てられた旧国会議事堂を改装したアーツセンター。2004年にオープンした。展示ギャラリーの他、小規模なブラックボックス、映画上映スペースを持つ。

*ドラマセンター
2005年11月にオープンした、シンガポールで最も新しい劇場。旧ドラマセンターは1955年に開設され、特に地元劇団の作品が多く上演され親しまれたが、シンガポール歴史博物館の増改築のために2002年に閉鎖。それに代わる劇場として、新築された国立図書館内に開設された。ナショナル・アーツカウンシルが直接管理する劇場の一つ。615席のプロセニアム・シアターの他、120席のブラックボックスを持つ。

*2年間のメジャーグラント・スキーム
アーツカウンシルが指定する主要な芸術団体に対し、活動費および作品製作費を2年間にわたって助成するスキーム。2005年時点では6団体が指定を受けており、年間2百万ドルを超える助成が行われた。インタビューに登場するシンガポール・ダンスシアター、ネセサリー・ステージ、シアターワークスも指定団体に含まれている。

*アジア舞台芸術祭協会
アジア地域の舞台芸術祭の国際的な協力の促進、コストシェアリング・共同コミッショニングなどのためのネットワーク構築などを目的として2004年6月に設立。創設メンバーは上海国際芸術祭(China Shanghai International Arts Festival)、シンガポール・アーツフェスティバル(the Singapore Arts Festival)、香港アーツフェスティバル(the Hong Kong Arts Festival)、ジャカルタ国際アーツフェスティバル(the Jakarta International Arts Festival: JakArt)の4フェスティバルだったが、現在は東京国際芸術祭を含む13団体が正式加盟している。

*シンガポール・ダンスシアター
故アンソニー・ゼンと現芸術監督のゴー・スー・キムによって設立されたダンスカンパニー。コンテンポラリー・バレエをベースとしたレパートリーを持つが、インドネシアのボイ・サクティと共同作業を行うなど、アジアのコンテンポラリーダンスとの関わりも深い。
https://www.singaporeballet.org/

*シアターワークス
国際的に活躍する芸術監督、オン・ケンセンが率いる劇団。オンのネットワークを生かした国際的な共同制作を活発におこなっている。また、横浜トリエンナーレにも参加した「フライング・サーカス」プロジェクトなど、ファインアート、フィルムなどとの異分野間共同制作も多い。

*アクラム・カーンとエア・ソーラのプロジェクト内容
2004年、シンガポール・アーツフェスティバルは英国に拠点を置くアクラム・カーン・カンパニーに2週間のレジデンシーをオファーし、新作「Ma」が制作された。この作品は同年のフェスティバルのオープニング・イベントとして上演された後、ロンドン、パリ、ローマ、アムステルダム、ニューヨークにツアーを行った。2006年のエア・ソーラのプロジェクトは、戦争の記憶をテーマに、ヴェトナム北部の村落の老人たちを巻き込んで、1995年制作の「Drought and Rain」の再解釈として実施された。ヴェトナム国立バレー団のダンサーたちが参加することで、ヴェトナムにおける2世代の視点が示される作品となった。

*ネセサリー・ステージ
(The Necessary Stage) 1987年にアルビン・タン、ハーレシュ・シャルマの2人を中心に旗揚げした劇団。社会的な問題に鋭く切り込む作品で知られる。海外のアーティストとの共同制作に積極的に取り組んでいるほか、地域コミュニティへのアウトリーチ活動も活発。2005年よりシンガポール・フリンジフェスティバルを主催している。
https://www.necessary.org/

The Necessary Stageによる本年度上演作品
『モバイル(Mobile)』

Photo: Sim Chi Yin