シャウビューネの代表的レパートリー『ノラ』について
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正式なタイトルはイプセンの『人形の家』ですが、ドイツ語では『ノラ』と呼ばれ、ほとんどドイツの劇作品と言えるくらい上演の伝統があります。私が初めて『ノラ』を読んだ時、「この作品が書かれた時代には大きな衝撃があったかもしれないが、現代社会を考えると離婚もたくさんあることだし、これではもの足りないのではないか」という印象をもちました。特に結末です。『人形の家』が1890年にコペンハーゲンで初演された当時は、ノラという言葉さえもタブーとして人々は口にすることを禁じられたほどでしたが。
オスローのある30代の劇場監督と話したとき、実はイプセンはドイツでの上演のために、もうひとつの結末を書いていたことを知りました。当時の女優の提案で、ノラが夫のもとを去らずに家に残る選択をしたというものです。その時以来、私は、ノラが家を出るという結末を考えなくなりました。
私が考えたのは、今日同じような影響を及ぼすにはどういったことが効果的だろうかということです。そのまま上演するというのは、70年代、80年代のヨーロッパなら、まだアクチュアルに機能したでしょうけれど、現在はそうではない。そんなことを考えながら、私たちはこの『ノラ』の舞台を今日のベルリンに置き換えてつくりました。
この作品が上演された19世紀は、当然ながら家父長制がとても強かったのですが、20世紀になってもヨーロッパではそれほど変わっていないのではないか。そして、現代ではもっとラディカルな結末があっていいんじゃないか。つまり、別の「処刑」の仕方があるのではないかと思いました。これと関連してとても印象的な出来事があったのですが、ある若い女性の観客が私たちの『ノラ』を見た後、「今でもこんな良い作品が書かれているんですね」という感想を寄せてくれたのです。
現代の女性は自分をどうやって示そうとしているのか──雑誌を見たりCMを見たりビデオを見たり、それからアニメにも影響されたりして自分をつくりだそうとする女性というのを私たちは演出に組み込もうとしています。私の演出の結末については、あまりにラディカルにつくり上げたために、観客の皆さんは戸惑うかもしれません。でもそれがまさに私たちが狙った効果で、なぜこのような結末がなければならないのか、そういった議論が観客の間でおこってほしいと私は考えています。
『火の顔』ついて
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現在シャウビューネが制作しているもの、私が手がけているものは、全体のおよそ3分の2が同時代の劇作家の作品、同時代の劇作にインスピレーションを受けて上演が実現した作品です。そのひとつが『火の顔』です。この公演を見た方は、とてもおどろおどろしくて希望のない作品だという印象をもたれたのではないかと思います。そのおどろおどろしさのポイントは、主人公のクルト少年が、理由もなく罪を犯すということです。
劇作家の功績とは、それまで言葉にされていなかったものを言葉にし、舞台にのせることを可能にすることだと思います。そういう意味では、ドイツの演劇には長い伝統があります。フランス革命の時代、ドイツではゲーテ、クライスト、ビュヒナーがいて、政治の世界でこそ革命というものはなかったわけですが、革命は文学の世界で起こっていたのです。つまり、ドイツでは政治でなく舞台において革命が起こっていたのです。
『火の顔』の主人公は、何の理由もなく、何に対して反抗しているのかも判っていない、そういう革命的な世代の代表なのです。今の「革命的な」世代というのは、なぜ自分たちが不満を抱えているのか、それを言葉にできない。例えば、ドイツのクレッツやファスビンダーなどの劇作家が活躍していた60〜70年代には別の目指すべき可能性というものがありました。現代は、その時代とも別の方向を示していると思います。
『火の顔』は、クルトとその姉がいて、二人とも思春期であり、クルトは姉に近親相姦的な恋をしている。クルトはまた、自分で爆弾をつくっている。子どもとどうコミュニケーションをとればいいのかわからない両親がいる、ドイツの中流層を代表するような、ある意味リベラルな家庭という設定です。家族たちは何ら間違ったことをしているわけではないのに、なぜか子どもたちが狂っていく。とうとうクルトは両親を殺し、死体と一緒に数日を過ごす。そういった筋書きです。
シャウビューネ劇場について
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シャウビューネが今ベルリンでどういう位置を占めているか、どういう状況にあるかをお話したいと思います。ここにいる何人かの方は恐らくご存知かと思いますが、シャウビューネには40年という長い伝統があります。そのなかでもっとも活動が盛んだったのは70〜85年で、当時の芸術監督はペーター・シュタインでした。当時はアンサンブル形式による合意形成を主体とした芝居づくりをしていて、とても新鮮さがありました。しかし、80年代の半ばから90年代にかけてそれがある種、博物館化してしまい、これまで培ってきたものを守るという守りの姿勢に入っていました。
そうした時、90年代の終わりに当時の劇場主が英断を下し、私をシャウビューネに呼びました。私はそれまで3年ほど、ベルリンでドイツ座の小スペース「バラック」の運営をしていました。そこには少数の俳優たちが関わっていて、そのうち何人かはドイツ座の俳優でした。ごく短期間でつくる、現代作品のプロダクションを上演していました。
96年頃はちょうど、フォルクスビューネが上り調子にあったころです。彼らはある程度の評判を確立し、ある意味、自分たちの世界に閉じこもってしまっていたと思います。それに対抗すべく、私たちは「バラック」を運営していました。
フォルクスビューネはプロダクションの方向性として、戯曲を破壊するというある種のデコンストラクションの手段をとっていたわけですが、私たちは、若い世代を代表しているという自負があったのでそれとは別の手法が取れないかと考えました。よりワイルドで、より極端な方向性を模索しました。その回答が、“社会のリアリティー”を劇場の中に持ち込むということでした。その一番の基礎、へその緒となったものが“劇作家”です。劇作家が描く世界そのものを現実に忠実な形で劇場にもってこられないか、そう考えました。
『火の顔』を書いたマイエンブルクに関して言うと、私が思ったのは、彼の戯曲は上演のために書かれたものではなく、自分を自己省察するような形で書かれたテキストだということです。(今回の演出では)物語の中の人物がどう成長していくか、発展していくか、それを追うという筋を大事にしていますから、手法としては保守的と言えるかもしれません。若い力、若い劇団の典型的なイメージが私たちの公演に見て取れる、というわけにはいかないので、あまり期待をしすぎないでほしいのですが(笑)。典型的な若者像を見出すよりも、どういうふうに物語が展開されていくかの方に見どころがあるかもしれません。
劇作家の発掘とフェスティバルについて
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私たちは現在活動している若手の劇作家の作品を発掘、支援することに努めています。とりわけ、社会批判的な作風をもつものが中心です。それと同時に、過去の作家の作品についても、新たな解釈を加え、今日のコンテクストに置き直してリアリティーのあるものに翻案する作業をしています。例えば、ゲオルク・ビュヒナーの『ヴォイツェク』や、マリイルイーゼ・フライサという女性作家の作品などです。
同時代の若手作家を発見、発掘する場として、シャウビューネでは、若手の劇作家を紹介するインターナショナル・フェスティバルを年1回行っています。これは毎回、ある言語圏に焦点を絞って、ドラマリーディング形式を中心に企画します。ほとんどの作品は優れた演出家の手によって上演され、衣裳も小道具も選びます。実際、本公演となった時にリーディングの方が良かったということもあります。
2005年3月には、二人の日本人劇作家を紹介し、松尾スズキの『マシーン日記』と、ケラリーノ・サンドロビッチの『フローズン・ビーチ』のドラマリーディングを行ないました。例えば、ケラ作品は、演出に関しても、原作戯曲のテンポを崩さないよう音楽やその他の点で工夫されており、若い観客を中心にとても良い反応がありました。『フローズン・ビーチ』は、『火の顔』と同様、ある種の家庭劇なのですが、テレビ文化、娯楽文化というものがトコロジーとしてとても良く反映されている。こういう劇作、作品世界にとても惹かれました。
このフェスティバルは5日間で、上演作品は5〜8本。観客も含めて国際色豊かで、メッセのような機能を果たしています。私たちはこのフェスティバルを足掛かりに、次のシーズンでどういうものを上演までもっていくかを考えます。こういう活動を通して私たちが望んでいることは、若い世代にもっと劇場に目を向けてもらい、生活のなかの実人生とでも言いましょうか、そこにつなぎ止めておくことです。若い劇作家は想像力が貧困というと言いすぎかもしれませんが、映画やテレビの影響で、実際に自分で物語を語るという力が貧弱になっているのは確かです。劇作家を発掘して支援するというこの場が最後の砦になってくれることを期待しています。また、このフェスティバルが、元来あるべきコミュニケーションというものを守るフォーラムになってくれることを期待しています。
今回もってきた2つの作品について言うと、『ノラ』はいわゆる近代劇で、『火の顔』は新しく発見され支援されている作家のものです。つまり、この2つが、今シャウビューネが目指している方向性が非常によく表れた作品だということです。これらが日本でどのように受け止められるか、そしてどのようなコミュニケーションが展開されるか、今からとてもワクワクしています。
演出について
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私は総合的な仕事をするアーティストというよりも、解釈をする、戯曲に奉仕するアーティストであると自分自身を捉えています。劇作家の仕事、作品の核をどう引き出すかというところに私は仕事の重点を置いています。どういう作家かというと、マイエンブルックだったりサラ・ケインだったりします。
近代劇については、例えばイプセンの『ノラ』ですが、私はこういう芝居を演出する際には、大きく翻案をします。この劇作家が今日生きていたらどういうメッセージを伝えたいか、そういうことを考えながら演出をしています。その作家の精神を追求するとでも言いますか。
『ノラ』に関して言うと、筋そのものをさほど変えているつもりはありません。もっともこの上演をイプセンが見たら怒るかもしれませんが、筋は尊重しています。それが示される、それに付随する状況というものがむしろ主眼にあるのです。どうしてこういう状況が起こってしまうのか、どうしてノラは家を去るのか、あるいは去らないのか、それを今日に照らして、なぜ? という問いが生きてくるように、そういうことを考えながら演出しました。
シャウビューネの観客について
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観客層はさまざまです。『ノラ』については、元々『人形の家』を見ようと期待して来た人、言ってみれば高い年齢層の人です。同時代作家の作品では、作家と同じような若い年齢層です。例を挙げると、マーク・レイヴンヒルが書いた『ショッピング&ファッキング』という作品があって、もう120回も上演を重ねていますが、この観客層は18〜28歳といった年齢の若者たちです。昔シャウビューネを見に来ていた人たちというのは、80年代半ばの時点でその伝統が止まってしまった感があったのですが、彼らも少しずつ劇場に戻ってきています。私たちの活動が軌道に乗ってきたことから、そうなったのではと思います。
これはドイツの劇場文化の伝統のひとつですが、どの芝居を見るか年間で予約をしておいて、シーズンが始まる前から年に数回必ず劇場に行くということを決める観劇システムがあります。60年代までの教養文化主義というか、それが観劇文化に残っていて、劇場はリベラルな人たちにとっての教会のようなものだったわけです。しかし、今ではその教養文化主義は絶滅したと言っていい。その背景には、劇場以外のさまざま娯楽・文化が発展したということがあります。それのよい例が、映画であったり若い世代のクラブ文化であったりします。こういう人たちを劇場に連れてくるのはとても難しい状況です。
レパートリー作品について
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レパートリー作品には、ブレヒトやチェーホフなどの作品もあります。私の演出ではありませんが『屠場の聖ヨハンナ』や、私の演出による『男は男だ』、それに2000年のシャウビューネのこけら落とし公演のひとつに、ブレヒトの『処置』からの翻案作品を上演しました。2004年の秋にはチェーホフの『かもめ』を、若手劇作家・演出家のファルク・リヒター演出で大幅に翻案し、上演しました。将来的には『櫻の園』や『三人姉妹』をかけることも考えています。こういう作品を上演する際にも、同時代(現代)のドイツの劇作家による新訳で挑もうと考えています。
また、英語圏の作家もシャウビューネでは数々上演してきました。エンダ・ウォルシュ、サラ・ケイン、マーティン・クリンプ、ジム・カートライトなど。マーティン・マクドナーはたまたま取り上げていませんが、彼とは個人的にも付き合いがあり、作品も大好きです。これだけ多くの英語圏の作品をかけてきたもので、ちょっと多すぎるかなと思って(笑)。
『火の顔』などに見られる暴力的なシーンについて
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『火の顔』については、「暴力」が強い印象を残すと思います。しかしこうした暴力シーンは、特別に目新しいものだとは思いません。三島由紀夫の作品にも暴力はあふれているし、ギリシャ悲劇などの古典劇にも暴力描写はたくさんあると思います。シェイクスピアの『タイタス・アンドロニカス』では、ラビニアが舌を抜かれ、両手首を切られ、砂に犯人の名前を書くというシーンがありますし、こういう過激なシーンは逆に、同時代作家の作品では見たことはありません(笑)。
私が思うに、演劇というのは、その始まりから「死」というものと直面していると思います。そして、死と向き合って、一種亡霊を鎮めると言いますか、そういう役割を果たしていると思います。ほとんどのギリシャ悲劇がペルシア戦争の後に成立したということにもそうしたことがうかがえます。ペルシア戦争の後に多くの野蛮人がやって来て、亡霊を鎮めるために舞台の上で殺人を犯したり、暴力シーンを見せたり・・・。現実世界で消化しきれない非政治的な部分を舞台で吐き出してしまう、そういった役割を演劇は果たしていたのではないのでしょうか。