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陶慶梅(タオ・チンメイ)
現代戯劇文化研究・博士、中国社会科学院文学研究所比較文学室副研究員
中国の演劇界はこの20 年で大きく変わりました。その中身は複雑ですが、大きく言うと1990 年を境に、90 年以前と90 年以後に分けることができます。
90 年代前は、改革開放政策以降の文化的発展の過程にはあったものの、中国人が西洋の芸術に触れる機会はまだ少なく、ましてや舞台芸術にはほどんどその影響は見られませんでした。
90 年代に入ると新しい動きが出てきます。その変化の特徴の1 つに、民間の人々つまり庶民の演劇活動が盛んになったことが挙げられます。90 年以前の”芝居を見たいが見るものがない”という状況が、民間劇団の誕生を導き、人々も演劇について考えるようになりました。
民間劇団の活動が顕著になった2000 年ごろからは、国家も民間への支援を開始します。こうした民間の盛り上がりとともに、小劇場演劇が各地で出現しました。また、こうした実験的な演劇作品に対して、国家がバックアップするようになりました。
バックアップはいわゆる資金面だけでなく、政府系劇団自体が実験的な演劇をつくろうと試みるようになりました。もちろん政府系劇団ですから、ある程度の規制があったり、興行的な要素も含まれますが、新しい芝居を求めている観客に向けた演劇をつくるようになりました。
こうした動きのきっかけとなったのが、元政府系劇団所属の演出家、牟森(ボーヒン)の活躍です。彼が民間劇団を率いて海外の演劇祭に積極的に参加し、注目されたことで、国家が援助を開始。その実績が認められたことが大きい。
近年の中国小劇場シーンで、重要な作品のひとつが、2001 年に初演された『天上人間』です。この作品の成功により、作品名が劇団名になったほどで、2001 年から2003 年までに国内で50 公演が行われました。この数字は、中国の小劇場演劇界ではもの凄い数です。木頭(ムートゥ)が私費で作・演出を手がけ、低予算で製作し(最初のプロダクションコストは、8 万元[日本円=約1,060,000 円])、再演に再演を重ねて、2004 年3 月の4 度目の公演で、観客総動員数で小劇場界ナンバーワンになりました。
これら中国で成功した小劇場の海外公演の実現の可能性はありますが、その前に脚本の修正など、海外向けの作品づくりに着手する必要があると思います。また、日本からも小劇場を招聘していますが、こうした舞台芸術の交流事業は「継続」させることが重要。1 回限りの公演ですべてを回収しなければならないということではなく、1 回目でもし赤字なら、2 回目、3 回目はどうするかをともに考えていくこと。長期的、継続的な公演・交流計画を立てようというスタンスが大切だと思います。
陶慶梅/呉惟慶/張金元
舞台芸術界にもチャイナインパクト
民営化が進む中国のパフォーミングアーツシーン
陶慶梅Tao Qingmei
中国社会科学院文学研究所比較文学室
劇評家としての活動をはじめ、演劇に関するさまざまな論文および著作を中国国内で発表。とりわけ中国の現代演劇に精通する若手研究者。TPAM には、「東アジアネットワーク」プログラムの一環、「中国マーケットの可能性」セミナーのゲスト講師として参加。
呉惟慶Wu Weiqing
広東省芸術研究所
TPAM で「広東省の舞台芸術事情」と題して、中国の地方都市における民営化の動向を紹介したウー氏は、同研究所所長ほか、広東芸術雑誌社の社長兼編集長、評論家と、多彩な顔を持つ。広州の舞台芸術の最新情報を握るキーパーソン。
張金元Zhang Jinyuan
天津人民芸術劇院
ジャン氏は、舞台だけでなく、TV などの映像の世界でも活躍中のベテラン俳優。副院長として現場主義の人材育成、環境整備に努めながら、プロデューサー、作家としても活躍。
(東京芸術見本市にて)
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呉惟慶(ウー・ウェイチン)
広東省芸術研究所所長
広東省芸術研究所は、省内外のあらゆる芸術情報が集中するハブ的存在。私自身、広東芸術雑誌社を営み、芸術系雑誌を発行していることもあって、情報収集とその発信が重要な役割だと思っています。そこで、当研究所では、人々への情報開示サービスの一環として中国で初めての芸術系データベース「芸術データバンク」を開設。約3年の準備期間を経て、1999 年にインターネットのサイト「広東文化網」を立ち上げました。
データベースには、「音楽」「ダンス」「アーティスト」「演劇理論」など9 つのカテゴリーがあり、当研究所で蓄積されているすべての芸術関連資料のオンライン検索が可能です。舞台芸術の理論と方法論、作品の批評、新しい創作作品の推薦、国内外の文化現象(ブーム)の分析、広東省の文化芸術界の情報など、さまざまな論文や読み物を随時掲載しています。
立ち上げ費用として約100 万元(=12,855,122 円)を投入。その後、更新のたびに30 〜50 万元前後の経費を充てています。現在はすべて中国語ですが、今後、広東省独自の芸術を国内外に発信していきたいと思っています。
広州は、商業化が非常に進んでいるため、芸術も商業的要素のある作品が受け入れられやすいと思います。たとえば、オペラやミュージカルなどの音楽劇で、2000 年には日本の宝塚歌劇団が広州公演(10回公演)を行い、大成功しました。私も観ましたが、非常に感動しました。ただ、ハード面での整備はまだまだ遅れています。
当研究所では、2002 年9 月に日本の劇団東演の公演を受け入れ、上海、武漢、広州の3 都市で2 作品を上演しました。そのうちの1 本が、当研究所所属の王佳那(ワン・ジアナー)が演出を担当した中国の話劇を日本の劇団が演じるという実験劇だったので、このようなツアーが実現しました。現在、王佳那をはじめとする演出家や芸術家たちが各自の「戯劇工作室」を設け、独立採算制で作品製作を行う画期的な試みを進めています。今後は、この活動を強化していきたい。さらに、市場のニーズを踏まえ、投資家や観客の育成を図りながら、広東省の芸術全体を高めるよう努めていきたいと思っています。
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張金元(ジャン・ジンユアン)
天津人民芸術劇院副院長、国家一級俳優
天津人民芸術劇院(天津人芸)は1951 年に設立された、53 年の歴史を持つ国立劇団です。現在200 人以上の劇団員が所属。その内訳は、俳優56人、舞台技術者42 人、制作関係20 人、さらに108 人の作家と5 人の演出家など多くの専門スタッフを抱えています。
現在まで、大劇場用の大型作品をはじめ、小劇場空間での現代劇や古典など280 作品以上を上演。中国近代演劇の祖といわれている天津出身の作家・曹禺の作品群はとくに有名です。1930年代に初演された『雷雨』や『日の出』ほか、当劇院も彼の代表作をレパートリとしています。伝統を尊び今なお当時のかたちを残しつつも、上演のたびごとに新しい試みにも挑戦しています。
中国では地方演劇が非常に盛んで、特色ある劇団および作品が各地に存在しています。天津人芸は地方劇団の中でも代表格にあり、全国区でとらえても北京、上海に次ぐ大きな影響力を持つ劇団であることは、私たちの自負するところです。
中国における現代演劇は1920年から30年ごろ、日本から伝来してきたことをご存じでしょうか。天津は港湾都市であるため、当時から日本との交流が盛んでした。中国における現代演劇は天津をその入口にして国内全土に広まったともいわれています。
その後、地方都市では、その土地ごとの伝統や文化を題材にしたオリジナル作品が積極的につくられてきました。一方、同じ港湾都市の上海や広東は建国直後から演劇が盛んでしたが、このような大都市で生まれる作品が地域性を持ち合わせることは稀です。
私たちの制作形態としては2つあります。1つは政府の方針で制作・公演が決められるもの。もう1つはいわゆる自主制作活動。これらをあわせて年間5 本ぐらい上演します。
私には自主作品のほうを海外に出したいという切なる願いがあります。天津は千葉市、四日市市、神戸市の日本の3つの港湾都市と姉妹都市を結んでいますが、現在ほとんど交流がないのが実状。TPAMの際に千葉市の人に会えたことはよかったのですが、やはりお互いの情報がないとどうにもならない。
天津は現在、文化施設だけでなく、一般の住居など再開発が進んでいます。演劇に限らずあらゆる表現形態の作品を天津で上演する可能性が大いにあると思います。
私たちのような公立カンパニーの利点としては、政府からの援助が得られやすいこと。さらに人材を数多く抱え、施設も備えているわけですから、そういった点を大いに利用してほしいと思います。
上演の機会を増やすには観光産業との連携も重要だと思います。現在の中国では、政府は私たちに指示をすることはあっても、邪魔をすることはありません。公立カンパニーですから、必要以上に利益創出を気に病むことは逆効果。私たちの使命としては、国内外の演劇界に何らかの影響を与えられればいいと考えます。
そのためには、私たちも国内の若い観客を育てていくことに尽力しなければなりません。町の人口に応じた観客を地方で確保することが理想です。今の中国の大学生には4年間のうちに一度も現代演劇を見たことがないという人が依然多い。伝統劇については小さいころから何らかのかたちで触れている人もいますが、やはり現代演劇の観客層は未開拓です。これらの課題を克服しつつ、日中演劇交流の第一歩を踏み出す行動力が今、互いに求められていると思います。
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