鄭義信

五十四の瞳

2021.02.01
鄭義信

鄭義信Chong Wishing

1957年、兵庫県姫路市生まれ。作家、演出家。同志社大学文学部を中退し、横浜放送映画専門学校(現・日本映画学校)美術科に学ぶ。松竹の美術助手から劇団黒テントに入団。
同世代の仲間と作った劇団新宿梁山泊を経て、現在はフリーとして活躍。文学座、オペラシアターこんにゃく座、新国立劇場ほかに戯曲を提供する傍ら、92年に立ち上げて自ら作・演出を務めるプロデュース集団「海のサーカス」で、人生の機微を描いた哀しくもコミカルな作品を発表。93年に『ザ・寺山』で第38回岸田國士戯曲賞を受賞。並行して映画にも活動の場を広げ、同年『月はどっちに出ている』の脚本で毎日映画コンクール脚本賞、キネマ旬報脚本賞などを受賞。98年には『愛を乞う人』でキネマ旬報脚本賞、日本アカデミー賞最優秀脚本賞、第1回菊島隆三賞、アジア太平洋映画祭最優秀脚本賞など多くの賞を受賞した。平成13年度芸術祭賞大賞他を受賞した『僕はあした十八になる』(2001年 NHK)などテレビ、ラジオのシナリオでも活躍中。08年、新国立劇場制作の日韓合同作品『焼肉ドラゴン』(11年、16年再演)は韓国ソウルでも上演。同作品で第16回読売演劇大賞優秀演出家賞、第12回鶴屋南北戯曲賞、第43回紀伊國屋演劇賞、第59回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。2014年春、紫綬褒章受章。
https://www.lespros.co.jp/artists/wishing-chong/

在日コリアンの戦後史をライフワークにしている鄭義信の最新作。瀬戸内海の西島に実在した朝鮮人学校がモデル。日本人と在日コリアンがともに学ぶこの学校の職員室が舞台。時代に翻弄されながらたくましく生きる4人の卒業生(良平、昌洙、萬石、君子)の20年にわたる人生を、良平(語り手)の温かい視線で描く。
五十四の瞳
五十四の瞳
五十四の瞳
五十四の瞳

文学座『五十四の瞳』(2020年11月6日〜15日/紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA)
撮影:宮川舞子

Data :
[初演年]2020年

【第1幕】

 舞台は、瀬戸内海の西島にある朝鮮人学校「西島朝鮮初級学校」の職員室。採石を生業とするこの島では戦前から朝鮮人と日本人が一緒に暮らし、今は27人の子どもたちがこの学校でともに学んでいた。

 1948年。14歳の吉田良平、洪昌洙(ホン・チャンス)、呉萬石(オー・マンソク)、女子の金 君子(キム・クムジャ)はこの学校で学んだ幼友達。今日は、新任の先生を迎えるために職員室の掃除を手伝いに来たが、ふざけあっていてちっとも作業が進まない。

 そこに新任教員・康春花(カン・チュンファ、22歳)を連れて、柳仁哲(ユ・インチョル、35歳)が帰ってくる。二人は親密な関係の様子。電気も電話も通っていない島暮らしを不安がる春花に対し、「ここは食べ物に困らないだけでも幸運」という仁哲。戦後2年半経っても日本の食糧事情は悪いままだった。

 良平も昌洙も親ひとり子ひとり。良平は成績優秀だが、母ミツコが姫路の闇市で魚を売ってどうにか生計をたてているため、中学を卒業したら採石で稼ぐつもりだ。昌洙は都会で一旗揚げることを夢見ているが、採石の飯場頭である父・元洙(グァンス)は反対し、言い争いが絶えない。

 みんなで元洙の得意料理の煮タコをつつきながら、朝鮮学校閉鎖令の噂話をする。仁哲は、在留朝鮮人を日本の学校に就学させるのは民族教育の完全否定だと怒り、「この小学校はお前らのアボジ(父)、オモニ(母)、島の若い衆みんなで建てた。いつか故郷へ帰る日が来ればハラボジ(爺ちゃん)、ハルモニ(婆ちゃん)に、朝鮮語で挨拶してほしい……故郷への想いが詰まっている」という。

 4月25日。占領軍(GHQ)が全国の朝鮮人学校閉鎖を宣言し、大阪や神戸で大規模な抗議デモが巻き起こる。良平、昌洙、萬石はデモに参加するため、親や先生に内緒で島を抜け出す。

 一方、職員室では仁哲が妻との不仲を嘆き、春花はしょうもない男の口車に乗せられてこんな島まで来た自分を阿保だと嘆く。

 5月1日。デモの混乱で傷だらけになった3人が島に帰ってくる。昌洙は障害が残るほど片足を負傷し、萬石は友達二人が殴られても何もできなかったと号泣する。春花は萬石を抱きしめながら「立派な民族闘士だ」となぐさめる。

 1952年。「朝鮮学校閉鎖令」発令により学校が次々と閉鎖される中、「西島朝鮮初級学校」は変わらず授業を続けている。19歳になった良平と昌洙は親の仕事を手伝い、君子は姫路の食堂で働いている。採石場で働く萬石は、デモのときに友達を助けられなかった後ろめたさから労働運動にのめり込んでいく。

 狂言自殺で当て付けをする妻のことをグチる仁哲に、春花は言葉ばかりで行動しないと皮肉な態度をとってしまう。

【第2幕】

 1953年。ますます過激になった萬石は朝鮮戦争の義勇軍参加を決めるが、昌洙は韓国も北朝鮮も在日韓国人の味方ではないと止める。良平も危険だからやめろと説得するが聞く耳をもたない。

 1954年。21歳になった良平はずっと憧れていた先生の春花に求婚するが、春花はやんわりといなす。妻の葬儀で姫路へ行っていた仁哲は島に戻るが、厄介者だと思っていた妻がいなくなったことで、逆にどうやって生きていったらいいかわからなくなったと春花に告げる。

 1960年。良平は春花に婚約指輪を渡すが、母ミツコに反対され、なかなか関係が進まない。帰還事業で北朝鮮に渡ることに決めた仁哲に、島民が次々と別れの挨拶をしに来る。

 1961年。砕石は近代化されダイナマイトが使われており、良平が事故で岩の下敷きになってしまう。春花は狂乱する母ミツコを病院に急がせ、自分は一人、職員室に残って婚約指輪を左手薬指にはめる。

 1968年。さまざまな問題を棚上げにして日韓条約と日韓地位協定が調印され、時代は大きく変化する。良平の死から7年。採石場は閉鎖され、島には地下ケーブルで電気が通り、生徒が2人だけになった「西島朝鮮初級学校」は来年の春の廃校が決まった。

 今日は、本島の西播初級学校との合同文化祭。チマチョゴリを着た春花が仕切っていると、春から西播に着任する新任教師がやってくる。それは君子と結婚した昌洙だった。君子のお腹には子どももいる。生き残ったことを後ろめたく思う昌洙を、春花は「生き残って、ソンセンニム(教師)になった。結婚した。子どももできる……なに落ちこむことあるの」と抱きしめる。

 波止場に子どもたちを乗せた船が到着する。「五十四の瞳が、四つになってしもたけど、がんばるでぇ……」という春花。その横には良平が寄り添い、二人は大きく手を振り続ける。

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